7月17日 帰国の日 

2007年07月17日(火) 18時34分
朝8時40分項、高々となる電話の音と共に目が覚める。
体を起こそうとするが目の前がくらくら回っている。と、同時に悪寒が走る。

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7月16日 世界遺産観光 

2007年07月16日(月) 22時52分
夜中の2時頃に目が覚める。と、同時に強烈な腹痛。と、瞬間に強烈な下痢。おなかがへこむくらい流れ出た。


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7月15日 スラバヤ→ジョグジャ 

2007年07月15日(日) 23時59分
みんなの寝息とイビキの輪唱の中、一人もそもそ起きて外に出る。体がほてりのどが焼けている。幸いにも、熱のせいか火傷の痛みをあまり感じない。タバコが本当にまずい。ならば吸うなよっていうのは禁煙者の言葉だ。愛煙家はもう吸うという行為に意志はない。パブロフの犬だ。そう、犬なのだ。

部屋から出ると、よっちゃんが道に捨てられていた。一声かけようかと思ったけれど、とりあえず無視しておいた。ここは新宿か、はたまた江古田南口か。さすがの彼もそんな状態だから朝7時頃はぐったり静か。と、思いきや「死にてぇー。苦しいー。」と大騒ぎだった。昨夜現地スタッフに振舞われたアラにやられたんだろうな、頭も体も。ご愁傷さまです。ポクポクポク。

6時間の長旅も一眠りふた眠りすればあっという間だ。しかし、どんどん熱があがっていく気がする。これから観光という第二ラウンドが待っているのに、こいつは予想外の展開だ。とにかく寝るしかない、食うしかない。

途中、窓から見える畑の風景。
どこまでも遠く広がる畑の中にたまに農夫がゆっくり動いている。この列車の箱の中窓一枚を通して見える向こうの世界はまるで水族館の水槽の中だった。僕はこの座席からインドネシアの風景と名付けられた馬鹿でかい箱の中をのぞいているようだった。見られていることにも気がつかず働いたり休んだりする農夫はまるで水族館の魚。それは時に自分も窓の外側にいることがあるのであろう。だから、普段から演技をする必要があるのかもしれない。普段から何気なく意識すれば表現することができるのかもしれない。そんなことを思いながら窓の外をぼーっと眺めていた。

ジョグジャカルタに戻って、以前と待っていたホテルにつく。前には言わなかったが、このホテルはお湯の出がたまに悪いとはいえ、プールも付いてとにかく綺麗なホテルでまったく申し分ない。風呂も各部屋にあり、部屋も清掃してくれる。駅や街から少し離れるが、今まで何度か行ったツアーで泊まったホテルの中でもベスト3に入るホテルだった。。

体力をつけるしかねえ。とりあえず荷物を置いて昼食へ。目をギラギラさせて食い漁る。血がたりねえ!じゃんじゃん持って来い。と、思ったが、体がうけつけない。腹八分目で店をでた。星野の皿に残されたナマズのから揚げの頭が、どうしても気になって、どうしても口に放り込みたかったが、はしたないと我慢した。今回の公演で一番我慢した瞬間だった。

アニキはこれから病院で検査なので、とりあえずビールを買い込んで風呂にお湯をはる。残念なことに水に近いお湯であったが勢いよくでるお湯は無色透明、無味無臭。スラバヤでは考えられないその光景に「ウオゥー」と一人で叫び興奮して、浴槽で祝いのダンスをした。やっぱり水は大事だ、水は。水風呂につかり、ビールを開けて、ボーっと今までを振り返る。日本でも僕はこの時間が好きだ。鼻声で鼻歌を歌い、頭からビールをかけ、もう一度大声で笑った。

6時、ウキさんが先に帰国するということで、ロビーでお見送り。ウキさんはアニキについて病院に行ってくれていたのので、バタバタの帰国となった。

7月14日 ワークショップ アニキ入院 

2007年07月15日(日) 23時53分
新しい彼女の夢をみた。
夢の中で彼女はずっと笑っていた。
追いかけて追いかけて、捕まえてはまた追いかけた。
ゆっくり目をあけると真っ白の天井が2m先に見えた。
喉の痛みをさすりながら、白い朝の外に出たて、タバコに火をつけた。
大澤アニキのベッドには、かばんと青いタオルがのっていた。

今日は朝からワークショップの予定であったが、通訳のウキさんが病院で大澤アニキに付きっ切りで連絡が取れないので中止にする方向で動いていた。少なくとも、ジョグジャでやった縄をやる予定であったが、俳優全員の背中についたケロイドが原因で縄は不可能だった。それ以前に、木村さんの思考が止まっている気がした。9時スタートのワークショップであったが、木村さんは9時を過ぎても一向動く気配がなかった。と、いうより9時に再びベッドに入った。

ウキさんが9時半頃に戻ってきた。とりあえずアニキの具合は順調とのことだった。

そういえば、実のところ、僕も東京公演の直前に目を強打して、網膜に穴が開いた。それ以来右目の視界に光の点が見えるようになった。慌てて医者にいったところ、網膜に穴が開きそこから中の液体が流れ出たら網膜はく離になって、視力低下、失明になっても不思議ではないと、ご丁寧に説明を受けた。東京公演の前日にレーザー手術をしてうまくいかず、インドネシアに旅立つ2日前に再手術をした。とりあえず成功とのことだった。

時間の経過とともに状況に応じて人は慣れていく。光の点も今でもたまに見えることがあるが、危機感も恐怖心もない。もっといえば、光の点が見えたことに気が付かないことも多々ある。人の体は消耗品だと最近思う。だから目に穴が開こうと耳が聞こえなくなろうと、その状況になれるまでは違和感や喪失感を感じるかもしれないが、その事実を受け入れることに(今のところ)そんなに苦ではないし、それが日常として流れていく。

アニキの具合を少し聞いて木村さんが元気になったようだった。結局ワークショップをやることになった。木村さんに「聡一、どうする?」って聞かれた時、本当はやりましょう!と言いたかった。小心者の僕は、ただ口ごもってしまったけれど、これが本音です。それに、本当にやってよかったと思う。やらないと、我々がここまで来た意味がないのではなかろうか。

ウキさんがワークショップ後インドネシアの新聞を持ってきてくれた。
何と、5社の新聞にデカデカとした写真つきで掲載されていた。その後も、インドネシアの二大新聞の一方に一面で掲載されるとのことだった。何だかすごいぞ。なんだろう、我々は。戸惑う。

その夜、スラバヤ最後の夜ということで、アニキを待ちながら打ち上げが始まった。火照った体にビンタンビールが染み込んでいく。盛り上がるというより、ぬるいビールをすする感覚。何かが抜けて、何かが終わっていく気分だった。そんな気分のものだから、視線は下もむけば、知らず知らずのうちに何もない空中で焦点が合う。

1時頃だっただろうか。フェスの実行委員長のヘリさんが来てご挨拶をした。木村さんからストアで行っているフェスの話などが出て、お互いにお互いを話すような時間だった。さらに深く静かに真剣な空気が流れていく。木村さんから何か言おうとしたその瞬間、「たっだいまー!!」と、微妙にテンションの高いアニキが帰ってきた。その微妙なテンションは中途半端に静かな空気に刺激を与え、とても捻じ曲がった空気となってみんなを戸惑わせた。アニキはそのまま無責任に投げ捨てて、小さくなって椅子に座った。僕はアニキが帰ってきた喜びで顔がほころび、
「やっぱりこの人、間が悪いなあ。」
と思い、さらに顔が緩んでいった。星野がみんなで打ち上げができてよかった、と涙したが、本当にそう思う。いつもいじめっ子の星野が泣いている姿は、いじめられっ子が泣かされて家に帰ってきた時の姿だった。

最後にスラバヤスタッフチームが挨拶にきて、スタンディングでThank you so much!

インドネシア語でYesは「Yo-u」。
酔って気分のいい木村さんはスラバヤの人たちから何か言われるたびに150デシペルくらいの大声で「ヨー!」とだけ答えていた。その都度にスタッフチームは大盛り上がりしていた。
そんな最中、木村さんの2つ隣で、ヨーッ!!に合わせて、B-BOY(ヒップホップっぽい動きですか?)を連発しているマッシーが一番幸せそうでした。

マッシーのお祭り小人は、本日は疲労のため、マッシーの体内に逃げ帰ったものの、本日15匹はお目にかかりました。1匹は鼻をたらしていました。

あ、そうだ。病院のアニキの荷物に入れておいたTバックをアニキはちゃんと着用されていました。が、活用されませんでした。しかし、何のためにもってきたんだろうか。謎は深まるばかりです。



                 

7月13日 本当の千秋楽、に待っていた・・・。A 

2007年07月13日(金) 23時59分
楽屋に戻る通路。踊りだしたいくらい心は弾んでいた。
しかし、それと同時に咳が止まらず、体の痛みを感じだす。ヒリヒリピリピリ。
その時だった。アニキが「やばい、やばい」と騒ぎ出した。その言葉とともに体に走る痛みがどんどん燃えるようにあがってくる。原因は石灰だった。アニキは目が見えないと言い出した。メガネをかけても、僕とマッシーの顔がうっすら丸い物体が見える程度だと言っている。僕は顔の右側と両肩がヒリヒリと痛む。騒然としだした楽屋の中で、やっと危険を感じた僕は慌ててパンストを剥ぎ取り、水を浴びるもこびりついた石灰がなかなか離れてくれない。
10年前は理系だった大澤アニキの話によると、消石灰は水と化学反応を起こし、強烈な熱を発する。駅弁のひもを抜いて温める弁当はこの原理を利用しているそうだ。それを我々はもろに全身に浴び、汗とともに化学反応を起こしたそれは、僕たちの体を容赦なく焼き尽くしていったのだ。僕の背中と顔面はただれ、それはまるで戦場帰りの負傷兵だった。

最後のステージだったこともあり、その痛みやただれた自分を悲しく不安に思う気分と、この2ヶ月半の地獄の稽古から本番が終わった爽快感と、躁鬱入り混じった時間は複雑のまま続いていった。

とにかく心配なのは大澤アニキだ。結局入院が決まり、今晩は帰ってこれない。石灰で焼けた眼球に傷がつき、視力が低下しているとのことだった。男3人でアニキのかばんを漁って入院の準備をする。とりあえず、タオルと本と着替えを入れていると、よっちゃんが「何だこれ」と黒い紐のようなものを取り上げた。それは、黒のTバックだった。「ネタ仕込んできてるなー」と、よっちゃんと腕を組んで感心していたが、僕はおもむろにそれを取り上げ、入院用のかばんにつっこんだ。マッシーは僕たちの後ろで自分の腕の傷を眺めながら、嬉しそうに「ジュクジュクしてる」と5回くらい言っていた。3回目くらいからよっちゃんは無視していた。アニキ、看護婦さんとあわよくば!男の本気、見せておくれ!

静かな足りない打ち上げが始まって、
重く詰まった夜は更けていき、
ベッドに入ってその日が終わった。

木村さんの視線は下を向いていた。
視線の先にある部屋のひんやりとしたコンクリートの床に、
木村さんは何を見ていたのだろう。

木村さんが下を向かなくなるための薬は、アニキが無事に帰ってくることしかないだろう。でも、木村さん。我々負傷してる側から言えば、たとえ、顔のや肩の傷が残ろうと、我々は何の恨みもないですよ。我々の勲章ですよ。子供な発言ですけども、この傷も褒めてください。まあ、見てください。いい傷でしょ。アニキも間違いなく回復しますよ。我々の勲章に、木村さん自身が苦しまぬように、縛られないように。 ♪上を向いて、歩こう〜

ところで、楽屋でアニキが騒ぎ出し、僕が咳き込んでいた頃、マッシーの頭の中はビール呑んでドンちゃん騒ぎすることで頭がいっぱいだったそうで、ずっとニコニコでした。その間もマッシーの体を石灰がむしばんでいっていることにも、まったく気が付かず・・・。チャンチャン♪マッシーのお祭り小人、本日2匹発見。

7月13日 本当の千秋楽、に待っていた・・・。 

2007年07月13日(金) 23時55分
まだ夜の空が白くなる前に街中にお祈りの声が響き渡る。
この街の調和や規律を守る声は、澄みきった空にあたって共鳴し、街中を覆いつくす。
人々はその声に何の救いを求めるのか、何にすがっているのか。その声に何をみているのか。

朝の4時頃目が覚めると、あきらかに喉が痛い。体も火照って熱っぽい。ちきしょう、クーラーのせいか。この宿には掛け布団がない。クーラーのかかりっぱなしの部屋でただただ横になる。風もひくよ、こりゃ。慌てて長袖を引っ張り出すも時すでに遅し。風邪とは、ひいたら戦うしかない。

14時頃からマスコミ向けのゲネをやるので、朝10時から軽く体を動かす。みんなの体が重そうだ。何人か一人走りしそうな気配を感じる。こういう不安は今回の公演で初めてのことだった。最後の公演に嫌な予感するのは自分だけだろうか。

19時30分開演!と思いきや、何とお国柄なのか、お客さんがなかなかこない。来たお客も後で来ると帰っていたらしい。じゃあ、20時開演で、って話になって、20時まで待つ。しかし、本当にのんびりした国だ。仕込みも、昨夜現地スタッフが夜中に仕込むという話だったにもかかわらず、朝劇場に入ると何一つできてなくて、「パギー」って笑顔で挨拶。ゲネも実は、1、2時間押しスタート。この国の人たちは待ち合わせとか、できないんじゃなかろうか。

無言で体を伸ばすみんなに、一人ずつ声をかけてみた。
星野は会場中を飛び回るコウモリが、本番中自分の頭にウンコを落としてきたらどうしようか、真剣に悩んでいたので、対処法を手取り足取り教えてやった。なっちゃんとは宇宙人の話と秘密の花園話をした。アニキはいつも人が集中したい時に、屁こいたり人の股間を触ってくるので、今回はこちらから尻の割れ目をなぞってやった。そしたら、残念ながら喜んでしまった・・・。マッシーだけはちゃんとフィジカルコンタクトの確認をした。大丈夫、今日もいける、そう確信した。

そして20時頃、本番がスタートした。
出だしからうまく間が作れていない気がして心配で変な気分だった。倒れるタイミングも明らかにはずした。ああ、駄目なの自分じゃないか、と思いながら、そのまま床に倒れた。
床には三間四方で囲まれた石灰の山のラインがある。その前のシーンで徐々にその結界は崩れだしている。広がりつつある白い粉。そこに転がっていく我々。僕はゆっくりと体の側面、顔の側面とつけて転がりだした。その時、急激な熱さと激痛が顔面を襲う。パンストがすれて顔が切れたのか、そう思い、軽い気持ちで転がる。時に石灰の山を手で動かしたりして遊んでいた。しかし、転がれば転がるほどに背中にも痛みが走り、石灰を踏めば踏むほど石灰はいつもと違う舞をみせる。とにかくキラキラ舞っている。汗で舞わないはずの石灰が自由に飛びまわっている。息もどんどん苦しくなり、口で息をすることが恐ろしくなってきた。「これ、まずいかも」何度なく思った。その時木村さんは舞い散る粉に、「本当に綺麗だなぁ。」と感心していたそうだ。

そんな状態のままこれが最後のローリング。転がっては起き上がる。まるで古着が舞うように体を柔らかく、そして力強くのフォルムを頭におき、とにかくまわりの役者とコンタクトをとることだけ考えて。痛みも苦しさも、その時ばかりは忘れていた。
後半、舞台奥にさがって転がっていると、星野がスッと寄ってきて、二人センターラインに向かって転がり上方へと伸びあがる。伸びあがってはそれ以上あがれず舞い落ちる。とても心地よい時間だった。二人近づいていく時の皮膚に感じるぬくさ。誰にも味わえない、味合わせたくない時間がそこにあった。そしてその二人の伸び上がりはまた5人の伸び上がりに呑み込まれ、1つの時間を作っていく。

カーテンコールの明かりがつく。あぁ、終わったなと思った瞬間、強烈な拍手が会場中に響いた。それには、体の中心部から震えが起こって、全身がこそばゆくなるほど感動した。スタンディングオべーション。ここまでの拍手をこの国でもらったのは初めてだったので、本当に不意をつかれたが、ただただ、もう少しこの拍手の中にじっと立っていたかった。まるで遊び疲れてかえる夕暮れに、夕立を浴びたような、そんな気分だった。

7月12日 スラバヤ2日目 

2007年07月12日(木) 23時50分
ホテル泊で過ごしてきた我々。
昨夜スラバヤの宿に23時頃着き、
宿に運ばれるとそこに待っていたのは、二段ベット8個の大部屋だった。
木村さんは大男なのでベッドに体がおさまりきらない。にもかかわらず上段のベッドで寝ていた。
夜中、我がイビキも相当のものだけれど、木村さんは寝返りうつたびにベッドの柵にぶつかって、
「オァーッ」と雄たけびに似た声をあげていた。それがおかしくて笑いをこらえながら何度も眠った。
木村さんの並びで寝ていたカメラマンのまこっちゃんは、
その都度ベッドが揺れて地震かと思って飛び起きたそうだ。

本日も相変わらず快晴。
市営の大きな劇場の脇に隣接した宿に泊まる我々は、まるでサーカス団だった。
たまに吹き付ける右からの風が砂ぼこりを舞い上げて静かに建物の隅へと消えていく。

朝食はパラツァオ。甘めのカレーのようなもの。
うまくて食は進むものの、10時から稽古ということなので、控えめに。
10時からこんなに動くなんて高校時代の剣道部の合宿を思い出す。

グヌンキドゥールの舞台で本番を経験したせいか、
何だか、どこでどんな状況で本番を向えようと、もう大丈夫な気がする。
5月からの稽古ももう2ヶ月半が過ぎるが、Remainsのプロフェッショナルになったようだ。
たぶんこの世界でこの5人にかなうものはない。このRemainsに関しては。

昼から自由時間だったので、よっちゃんと大澤アニキ、ピアノの伊澤と4人で屋根にボールを投げて落ちてくるボールをキャッチするゲームを開発して大暴れしていた。
小さな子供が仕事の休憩中らしく、ずっとそれを見て笑っていた。
僕らも負けじと笑顔で走り回った。






晩御飯を食べ、いよいよオープニングセレモニー。
通訳のウキさんがインドネシア舞踊をセレモニーで舞う。
本当に綺麗だった。大きな会場の中で一人で観客の視線を背負っていた。
人に教える立場な人だけある。ただ振り付けを踊ってるだけじゃないのだろうな。



さて、いよいよ明日が最後のRemainsだ。
今日は早めに寝るとしよう。しかしベッドは寝心地悪いな。

ちなみにマッシーは今日道端で「From フィリピン?」って聞かれ、
「イエス!」と力強く答えていた。あんた、何人だよ。

7月11日 ジョグジャ→スラバヤ 

2007年07月11日(水) 19時40分
移動の列車の時間がPM4:00ということもあり、本日は久々の息抜きの時間。
街へでて散歩するも疲労は増す一方だ。しかしながら体の重さと反比例して、
詰まっり切った胸のうちが開放されていく。

朝からホテルのプールに飛び込み、千田さんを追いかけまわした後、
よっちゃんとシンクロを決める。プールに入っていた人々はプールサイドにあがり、
プールサイドいっぱいになった客からは大喝采!10万RPから100$札まで、どんどん投げ込まれる。
近くを飛んでいたゲンゴロウもアメンボもプールに入って一緒に遊んだ。
マッシーがプールに飛び込んだ。
そしたらプールの水が溢れ出し、再びマッシーがプールからあがると水かさがひざ下まで落ちていた。
慌ててマッシーは2Lのペットボトルの水をプールに流し込んでいた。
足りねえよ。

プールをあがって風呂に入って『上を向いて歩こう』を大熱唱していると、
僕の部屋の前でお祈りが始まった。とりあえずチップをあげると山ほどのフルーツと1羽の鶏をくれた。
鶏のおなかを押したら、まだら色の卵が出てきた。

昼は通訳のウキさんお勧めの店へよっちゃんがガイドになり向い、色々食ってビール飲んで歩いた。
食ったものの名前は忘れちまったが、米もスープもメンも本当にうまかったな。
それで150円くらいだもの。毎日でもいいぞ、こいつは。
そう思ったので店を一軒買い占めてやった。

今日の疲れはいつもと違う。
遊び疲れとでも言っておこうか。
疲れと癒し(と妄想)のハーモニー。
久々の休息。

現在移動の車中。移動時間は6時間。
スラバヤまで後3時間だ。
       

7月10日 クヌンキドゥール 

2007年07月10日(火) 23時13分
              ウルルン滞在記をご存知ですか。




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7月9日 2ステ 

2007年07月10日(火) 2時44分
プールサイドで朝食をとる。
水に反射した光がゆらゆらと食堂の天井を照らし出す。
従業員の一人が今日もプールを掃除している。
こんな静かな時間が異国である証拠。
心に映した写真をそっと懐にしまいこむ。
ナシゴレン。

疲労のせいか、朝からひどく体調が悪い。
体が重いだけでなく、息切れが激しい。空気になれないのか。
いやはやデリケートな奴だ、おれさまは。
いやはやこんな時に迷惑な奴だ、おれさまは。

今日も朝からワークショップ。今日はちょっと難しかったか、受講生達は緊張ぎみ。
もっとはっちゃけて楽しい空気を作ればよかったと反省。
ウォーキングを30人くらいでしてぶつかったら終わりというゲームをして、
劇団員のなっちゃんと、以前参加(今回舞監)のよっちゃんがいきなり激突。
・・・、笑うしかねえ。

昼飯の後、2時間の休憩があった。これが何ともいいタイミングで昼寝を敢行。
しかし、体調復活せず。厳しいな。なんだろうか。

そうしているうちにジョグジャでの本番が終わった。

2日間を終えて意外にも日本と大きく変わらぬお客の反応に、物足りなさを感じる。
って、贅沢すぎ、欲しがりすぎか。
ただ、異文化で行うわけだから、その点役者として毎日がドキドキしていて、
舞台に向かう緊張感は楽しいものだ。

木村さんと2時まで呑む。