COTAX 159MM+Distagon T*28/2.8,Tri-X
(兵庫県洲本市)
1997年から1998年にかけて、
僕は何度となく淡路島に足を運んでは、
数え切れないほどたくさんの写真を撮った。
大学の卒業制作の作品を、
いろいろな意味で僕を変えてくれた場所である
淡路島の写真でまとめようと考え、
僕の中に焼きついている淡路島の光景、
淡路島に住んでいたときには気にしていなかったのに、
そこを離れるとなぜか思い出して仕方ない光景を
次々に記録していったのだ。
洲本市の港の近くにある安いビジネスホテルを
定宿として、2週間近く泊り込んで撮影したこともあったし、
ばたばたと1泊で撮影したこともあった。
その頃の淡路島は明石海峡大橋が出来てから、
まだそれほどたっていなくて、
いたるところに古き善き島の暮らしの、
つまりは僕がいた頃の淡路島のにおいが残っていた。
今年の2月に、久しぶりに淡路島を訪れたとき、
ある程度は予想していたものの、
その佇まいの変わりように言葉を
失ってしまうような場所もけっこうあった。
長い時間をかけて、細い路地を縫って歩くと、
あの頃と変わらない空気があふれている場所も多い。
でも、ぱっと見は、全く別の町に変わってしまったような…
島に住む人たちには、喜ばしいことなのだろう。
けれど、やはり当時の町が記憶の中だけのものになってしまった
その寂しさは、感じずにはいられなかった。
当時(そうか、もう10年も前になるのか…)学生だった僕は、
そうやって多くの写真を撮影しながら、
これは自分の「作品」なのだ、と、ただ町を切り取るのではなく、
そこには僕の意思だったり思いだったりを
何らかの形で埋め込まなければ、その写真に価値なんかないんだと、
そんな風に、頑なに信じていた。
だから、記念写真的に、または記録写真的に、
ただ町を記録するようなカットは
ほとんどと言っていいくらい、撮影していない。
今、当時の写真を見返してみると、
なぜ僕はこんなにはすに構えていたんだろう?とか、
なぜもっと素直に、自分の愛した町を写し取っていないのだろう?とか、
不思議というよりも、過去に帰って自分を叱ってやりたいような、
そんな気持ちに駆られてしまう。
そして、結局当時を素直に撮影した写真がないものだから、
当時のことを思い出そうとするときに、
最終的には僕の脳内で補完するしかない。
せっかく、あんなに足しげく通って、
あんなに写真を撮っていたというのに。
もちろん、自分の思いを投影すること、
作品と呼べるような、自分が色濃く出た写真たちを
撮影することは大事だと思う。
でも、やはり素直に物事を「記録すること」。
それを忘れては本末転倒なんじゃないかなと、強く思う。
もしかしたら、僕がそれから10年の間に、
学校の卒業アルバムや記念日の写真という、
自分ではない誰かのある時を記録する写真に携わってきたから、
そのように感じるようになったのかも知れない。
そう思うことが完全に正しいのかは、わからない。
また10年の月日を経た後で、ここ最近撮影した写真を見ては
もっと自分を出して撮っておくのが正しかったと、
そんなふうに思うのかも知れない。
それでも今は、この気持ちに素直に写真を撮っていこうと思う。
僕の写真のスタートは、鉄道少年だった昔に、
自分の乗った大好きな電車を手元に残しておきたい、
楽しかった電車に乗っての家族旅行の思い出を残したい。
そういう気持ちだったんだと、思い出す。
写真を学ぶことで、深く携わることで、
写真との付き合い方が捻じ曲がってしまってたんだろうな。
うん。
そういえば、大学に入った頃の授業で、
先生が大きく板書していたっけ。
写真の役割、それは、記録・伝達・表現である、と。
そのバランスを大きく崩すことなく、
写真と付き合っていかないとね。