道の途中で。 

2004年06月29日(火) 23時14分




「やあ、」
呼び止められて少女は振り向いた。少女は急いでいたのだけれど、道の真ん中でにこにこと笑う青年に見覚えがあったので止まることにした。
「何処へ行くんだい?」
「教会。」
「そうか、」
青年は何処か嬉しげに笑った。
「教会か。うん。それはいい。」
それはいいね、と。
「懺悔をしたことはあるかい?」
「ないわ、」
「これからは?」
「きっとないでしょうね。」
それじゃあ、私急いでいるの。早く早く。早く行かなきゃ。準備することなんかなんにもないけれど。だって、それは何年も前から私の躰の中で。
それでも気が急くの。だから、さようなら。
「さようなら、お別れだね。」
青年は言った。さようなら、少女も言った。
少女はそのまま駆け出して、数メートル先で立ち止まった。
振り返る。そして言った。
「私、おにいちゃんを恨んだことないわ。」
うっとりと眼を細めて笑った。
「だって、あのとき貴方が言っていたことが判るもの。」
舌なめずりを見せつけるような。慈愛に満ちた、蕩けるような笑み。
「うん。だから、お別れだね。」
青年は、満足そうに、けれど少しだけ残念そうに笑った。
「さようなら、」
少女はもう一度言って、青年に手を振った。そして、それきり振り返らずに走り出す。









さようなら。青年は呟いた。
もうお別れだね。だって、次に逢うとき君はもう。
その胎の奥に、すべてを。
そうして、青年は呑み込まれる男のことを思った。そして、もう一度。
さようなら、と呟いた。









君に喰らわれるなら、僕だって本望だよ。









了。




2004/06/29



道の途中で。 

2004年06月29日(火) 23時11分




少女は黙って立ち尽くした。青年の言うことは、少女には理解出来なかった。けれど、それはすとん、と彼女の躰の中に落ちた。当たり前の部品のように。元から彼女の一部になるためのものだったように。彼女の奥底に納まった。
それが躰に馴染むのを待つように、じっと動かない。青年はやんわりと笑った。傲岸なのに、何処か遠慮がちな笑みだった。
「お兄さんを、恨んじゃダメだよ。」
少女は深く頷いた。そんな日が来る筈ないもの。
「本当に怖いのはお兄さんの方なんだから。それは君の本能と同じ、潜在的な恐怖なんだよ。喰われる側が、呑み込まれる側が、抱く、ね。」
くわれる、と少女は声に出して繰り返す。青年はただ笑ってそれを見ていた。
やがて、少女の名を呼ぶ、兄の声が近づいてきた。それが焦ったものに変わったときには、青年は既に少女から離れて歩き出していた。
慌てて兄は少女に駆け寄った。
大丈夫か?何もされなかった?と心配そうに覗き込む兄に、少女はただ抱きついた。
何も答えずしがみつく少女を、兄は優しく抱き上げ、その背を撫でてやった。
ひとりにしてごめんな、と兄は少女に謝った。ますますしっかりと首に両腕を絡ませる少女を抱いて、家路を辿る。









道の途中で。 

2004年06月29日(火) 23時06分




「だけど、」
探すのは好きじゃないの、と少女は言った。隠れておにいちゃんを待つのが好き。おにいちゃんが私を呼ぶ声が好き。おにいちゃんが私を探しているのが好き。おにいちゃんが私を見つけてくれる瞬間が好き。
だから、少女は、いつもいつも、兄に向かって、おにいちゃんがおにね、と言う。兄はいいよ、と頷く。そうして、兄がゆっくりと優しく数を数える声を聞きながら、走り出すのだ。
「うん。そうだろうね、」
青年は如何にも、といった風に頷いたので少女は怪訝な顔をした。少女のこの理屈は、兄以外に通じた例がなかったからだ。話してみたら、同い年の少女たちは一様にそんなのずるいと叫んだし、もともと少女にしたって、兄以外に見つけて貰っても嬉しくも何ともなかったので、それ以上その話をしたこともなかった。
でも、と青年は続ける。
「お兄さんに隠れられるのは、嫌なんだよね、」
「うん、」
少女は素直に頷いた。兄が自分に背中を向けて、駆けていって、何処かへ隠れてしまうなんて、嫌だった。例え、遊びでも。
「隠れて、待つのはわくわくするでしょう?」
「うん、」
「それはね、君が本能ですべて悟っているからだよ、」
「ほんのう?」
うん、と青年は頷く。何が何だか判らないといった顔の少女に、殊更優しく言い含めるように。
「君はね、いつか自分が鬼になることを知ってるんだ。だからね、追われる側の快感を知っておこうとしてるんだよ。」





道の途中で。 

2004年06月29日(火) 23時03分




「やあ、」
呼び止められて少女は振り向いた。少女は急いでいたのだけれど、道の真ん中でにこにこと笑う青年を多少奇異に思って立ち止まることにした。
「なあに?」
急かすように少女は言った。かくれんぼの途中なの。早く隠れなきゃいけないの。
「うん、」
青年は頷いた。何が、うん、なのか。少女にはまったく判らなかった。
「うん。そうだね、…………かくれんぼは好き?」
好き、と少女は答えた。好きだからわざわざしているの、なんて言葉遊びはまだ少女からは生まれない。ただ、当たり前のことだったので頷いただけだった。
かくれんぼは好きだった。だから、いつもいつも、少女より遅く帰宅する兄をじりじりと待っていた。少女と十以上も年の離れた兄は、とっくにそんな遊びから卒業していたけれど、いつも笑って少女の遊びに付き合ってくれていた。




夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時29分




「暑いね、」
友人が、ぽつりと言った。
「そうだな、」
彼も頷く。
「…………窓閉めて、クーラーつけよっか。」
「あぁ、」
動こうとしない彼に変わって、友人が立ち上がりベランダを閉めた。









風とも呼べない生温い空気が入らなくなって、

クーラーが冷風を吐き出して、

扇風機のない此の部屋で、

彼は、漸く、

還らない夏を想って、

泣くことが出来るのだった。

ただ、黙って傍らに寄り添う友人は、

もう、こんな夏を、

場所は違えど、

十回、繰り返している。








そして、

閉ざされた窓の向こう、遮蔽物を通り過ぎた空に、

高速道路の電光掲示板が、明日は雨だと告げた。






了。

2002.07.31.







「リアル」の原型。少年だとこういう話でした。
それにしても古いなあ。




夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時24分




彼が眼を開けたとき、視界には見慣れた天井が映っているだけだった。
僅かに顔を傾ければ、白いシーツが眼に飛び込む。
家の中は恐ろしいくらい、静かだった。
机の上には、色取り取りの歪な塊が転がっている。
一週間程前、クラスで千羽鶴を作ることになったのに、
織り方が判らなくて馬鹿にされたと、泣きそうな顔で部屋に来たから。
けれど、教えてやろうにも、まったく彼にも縁のないことで、
彼自身も悪戦苦闘した結果、二人で歪な鶴を作り上げることに成功して。
後から母親に笑われるくらい、酷い出来の物だったけれど。
コレでいいと、二人で笑った声が、まだ部屋の中に響いているのに。
部屋の中まで忍び込む線香の匂いに、彼は声を殺して泣いた。




夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時18分




「お兄ちゃん、」





「…………嘘、だぁッ…………!!」
池を浚っていた熊手が、青白い子供の腕を引き上げようとして。
彼は悲鳴を上げて、耳を塞いだ。



(…………お兄ちゃん、)




…………嘘だ。嘘だ。嘘に決まってる。




(…………お兄ちゃん、)




ほら。だって、声が聞こえる。





いつもみたいに、あの甘ったれた口調で。






僕を呼んでる。




だから、それは違うんだよ。




――――ほら。呼んでる。



――――彼奴の声が、誰にも聞こえないのは、セミが煩いからだ。




夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時16分




「…………嘘だ、」
其処は池と呼ばれてはいたが、実際は沼に近かった。
良くある、子供が近寄ってはいけない、だけどどうしようもなく子供を惹きつける場所だった。
(…………靴が、くつ、がね、)
彼は大人たちが、池を浚う光景を、ただ見ていた。
陽射しは相変わらず強かった。




彼が、遊びに行く弟に、返事をしてやらなかった日から、三日が経っていた。
体力も、気力も限界で、足には力が入らなかった。
あの日から、一睡もしていなかった母親は、静かに泣きながらその光景を見ていた。
父親は、焦点の合わない眼をして、黙々と作業に加わっていた。
狂ったような陽光が、周囲から切り取られてしまったかのような風景を、
せせら笑うように照り付けていた。
どうしようもなく、暑くて。
なのに、躰は冷たかった。




夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時10分




「貴方の夏は、十五年前から動いていないんだね、」
「…………暑かったからな、」
「そう、」
「セミも煩かったんだ、」
「そっか、」

「雨も降らなかったし、」
「うん、」
「…………だから、」




「夏は、嫌いなんだ、」




向日葵の迷路。
遠慮のない陽射しと。
それでも楽しそうに笑う二人を、友人は知っていた。
整然とした部屋の中、TVの上の伏せられた写真立は。
飾ることも出来ないくせに、仕舞うことも出来ないのだ。
いい加減、色褪せている無邪気に笑う兄弟の。
あれは、あの夏の残した物だった。
やっぱり、よく晴れていた。










夏の日のこと 

2004年06月28日(月) 0時07分




「夏は嫌いなんだ。」




水滴の浮いたグラスを握って、彼は呟いた。
夏の夜、開け放したベランダの向こうは、電線越しに同じ高さのマンションの部屋。
車の排気音。
イルミネーション、とまでは行かなくとも、常に何色かの灯りが見える。
「…………夏ねえ、」
向い側では、彼の十年来の友人が、同じようにグラスを傾けていた。
「烏龍茶じゃ、思い出話も様にならないね、」
友人は、どうでも良さそうに笑って言った。
彼は答えなかった。
グラスを握る手を見つめる。
同じ年月を歩んだ親指。手の甲。
硝子を二枚挟んだ向こう側に、置き忘れてきたあの時の指が見えるような気がした。
呼び止めることすらしなかった、子供の頃。
振り返ることすら出来なかった、子供の頃。
あの時の指。
からん、とまた氷が崩れる。
彼はグラスを左手に持ち替えて、濡れた右手を見遣った。
いつもと同じ、あれから十五年近く過ぎてしまった手だった。
「…………蒸し暑いな、」
「そうだね、」
聞き上手な友人は、穏やかに相槌を打った。
「…………もう、夏なんか来なきゃいいのに。」
半ば独り言のような呟きに、彼の友人は問い返したりはしなかった。






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