ご無沙汰沙汰 

October 21 [Sun], 2007, 6:56

久々に更新。
今回は麻雀について書きます。

ここ数ヶ月ゲーセンのオンライン麻雀を集中的に打っているのですが、成績が下降気味にてイライラしています。

携帯に登録すると詳細が見れるとのことで登録してみたところ、色々見れて楽しいです。

07/05/05 「麻雀格闘倶楽部6」プレー開始。

07/05/09 4戦目で初段昇格

07/07/27 国士無双を和了

07/08/27 108戦目で玄武マスター昇格

07/09/04 143戦目で黄龍昇格

07/09/07 数え役満和了

07/09/18 国士無双を和了

以上のことが表示されています。


重要な戦績といえば、

アガリ率:24.66%
平均アガリ役数:3.48役
振込み率:12.07%
ドラ使用率:152.9%
リーチアガリ率:32.25%
ツモアガリ率:31.4%

役満アガリ回数:3回

順位回数:(全300戦)
1位:102回(34.00%)
2位:72回(24.00%)
3位:71回(23.67%)
4位:55回(18.33%)

ちょいと前までの勝率が3割5部台をキープしていたのに……

黄龍レベル6で現在月間成績店内8位の称号がありますが、成績は下降気味。
週2程度、朝から晩まで時間が許してくれれば店内トップを目指したいところではあるが、暇な奴には勝てんのや。

ちなみに先月は店内6位で先々月は店内5位。下降気味じゃ・・・・・・

所属は先月東京都6位のタイガープラザで暇さえあれば打っている馬鹿な麻雀打ちですが、ネット麻雀侮るなかれ、A1リーグになれば下手なテンピンリーチより旨い奴がゴロゴロしている。正直オモロイ。

不満が一つ。
四神数なる数値があるが、ドラ使用率と役数がどうしても低くなる。振込み率は240/250をほぼ切らないのだが……

それと、メアド変わってロン2のデータが更新されなくなってしまったので、今は休止中。つーか、誰か助けてください。

テレビ放送の支払い義務化法案 批判をする前に 

August 05 [Sun], 2007, 5:07
そう言えばテレビ放送の支払い義務化法案提出問題がありましたね。

なので今回は放送法について考えていこうと思う。


まず立場を明確にしておこうと思うが、俺は NHK の受信料を一切支払っていません。
徴収人に対して払わなくていいことをちゃんと説明して帰っていただいたからだ。

NHK擁護派にはなんて野郎だと怒られそうだが、現在の放送法に則って支払い義務がないことを明確に説明して帰っていただいたので、目くじらを立てないでいただきたいと思います。

受信料の支払い義務は『放送を受信することのできる受信設備』を持っていることです。受信設備はアンテナと映像を写す画面(テレビ)を合わせて持つことになります。

なので、テレビは持っているがアンテナと繋いでいない。アンテナはあるがテレビがない。そんな環境の人間は支払い義務がないわけです。


現在俺はケーブルテレビを使用していて、このケーブルテレビは勿論NHKが映ります。
なので、俺は地震や台風があった際はNHKを利用しています。ならばNHKに受信料を支払っても良いのではないかと思いますが、払いたくないものは払いたくない。
NHKにお金を支払うのは嫌な物だから、徴収人に対して「家にテレビがないもので…」と嘘を吐いていたのだが、CATVを敷くにあたって『NHKを視聴できる環境があるので支払え!』としつこい徴収人のために新たな言い訳を考えていました。

俺は法律を絶対に守らないといけない等と考える人間でない。が、法律を知っていると色々な所で有利に働くことを知っている。なのでCATVを受信している人に対して法律を遵守した正当な断り方を伝授しよう。


まず以下の放送法を知っていただきたい。


放送法第2条 この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする。
1.「放送」とは、公衆によつて直接受信されることを目的とする無線通信の送信をいう。

つまり、NHKとの受信契約義務を定めたとされる放送法では、「直接受信されることを目的とする無線通信の送信」を「放送」と定義している訳です。


ここで、CATVは何か考えていただきたい。

NHKからの無線をケーブルテレビ局側が一旦受信して再送信しているので、「ケーブルNHK放送」となり、言い換えれば「有線によるNHKテレビジョン放送」ということになります。(※総務省の正式発表です)

CATV利用者は有線放送を見ているので、放送法第二条第一項に適用されないのです。

ここで、NHK徴収人に対してこんな言い訳が出来るのです。

「放送法第二条第一項による放送を受信することのできる受信設備は持っていませんが、放送の受信を目的としない有線通信の受信を目的とした受信設備は持っています。支払い義務は無線を受信して有線で配信しているCATV局なのではないのでしょうか?」

ここで、「有線だって放送の受信はできるだろ!」と言われると思うが、その際は、

「放送法32条によれば、『多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない』と明記してある筈ですが、何か?」

これでも食い下がる人は半端な理論武装をしているか、感情に任せての常識論だと思われます。
そこで考えられるNHK徴収人は大抵以下のことを言うだろう。

「『ケーブルテレビ』はNHKの無線を受信して配信しているので、受信アンテナが自宅にあるかケーブルテレビ局にあるかの違いです。受信しているケーブルNHK放送は「無線通信の送信」ではありませんか?」

もっともな意見であるだろう。同じことを言われたしね。この場合は、

「アンテナがケーブルテレビ局にあるだけでは放送を受信することはできません。CATV局が放送を再送信しているからです。そして、CATV局が送信した放送は「有線放送」であるというのが総務省の見解で、あなたの意見は有線テレビジョン放送法の存在意義を自ら認めていないと思いますが、どうなのでしょう?」

この意見以降、徴収人はやってこなくなりました。

または、「無線の放送は契約義務があるのに有線放送には無いのは、常識として支払い義務があるからですよ」と言われるかもしれない。

「放送法で言う『放送』とは無線で、有線テレビジョン放送法で言う『放送』とは有線電気通信である。それを同じ放送と捉えるのならば、有線テレビジョン放送法の17条の『放送法の準用(放送法の規定を当てはめること)』についての規定に明記されている筈です。反論があるなら、法律を改定してからお願いします」


まあ、大人しく帰るか刺されるかのどちらでしょうが、現行法も改定される際も、今のところこの論法が通用しそうです。



放送法は国が定めた法律ですから NHK が決めているものではありません。
法律で決められているのは、NHK と受信契約を結ぶことで、受信料を定めているのは NHK の受信契約です。

この二つは別なものですから分けて考えなければ駄目です。
消費者側とすれば国が勝手に特定の団体と契約を結ばせる法律を作っている方が問題なのではないでしょうか?

今度は、真面目に NHK 批判をしましょう。

増税について 

August 01 [Wed], 2007, 7:32
読み返してみると政治批判をしてきたものである。

旬な話題は極力避けているアウトローな自分ですが、ここで民主党についての考察をしようかと思う。いや、全く関係のない話を書き連ねよう。でも少しは関係のある話を書こう。

日本の政治は衆議院が主な仕事を負う。早い話が参議院がいくら頑張ろうが、基本的には衆議院が力技で強行してしまえば何でも通ってしまうのが日本の政治なのだ。

参議院で民主党が過半数を取ったからといって、現状、衆議院の与党が優先されると言うことである。が、民意といわれるのもがあるので、安倍総理は解散総選挙なり、総理退陣して次の衆議院選挙に備えるべきだとは思うが、総理続投などと民意や……いや止めておこう。

正直いうと、数年前から自民党は駄目だと評していた自分にとって、今回の選挙はあまりに遅すぎる反応だと思う。
かといって民主党を手放しに喜べる状況でもない。それだけ各々の党に期待できない。個人的には応援したい人物はいるのだが・・・残念なことに隣の区だから、衆議院の投票には残念の極みである。

増税なり、改憲なり、その他諸々必要な事だと思う。これは昔からの持論である。改憲の問題については以前のブログを読んでいただければ分かると思うが、今回は増税の問題である。

その前に、改憲の問題を少し補足しておく。
法律に少しでも詳しい人間がいれば、改憲の必要性は分かっていると思う。しかし、東大法学部卒の自称憲法学者の人間がテレビで護憲を声高らかにしていると、本当にこの人は法律を知っているのだろうかと疑いたくなること大である。
護憲の正当性はどこにあるのだろうか? これが俺の意見である。
司馬遼太郎曰く、『平和念仏主義者』とよく言ったものだ。



さて増税。

自民でも民主でも近しい将来増税するだろう。

勿論反対である。が、感情論を論じても仕方ないので、論理的に考えてその必要性は分かっているつもりである。つまり、致し方なしということだ。

「増税をする!」
「はい、そうですか」

なんて簡単に受け入れられないもの確かである。

やれることをやってからの増税なら我慢できる。それが出来るかどうかは今後の民主に期待しよう。

では、やれることを具体的に考えてみよう。

プール金を御存知あるだろうか? 聞いたことがあると思うが、それが何かを知っている人は思ったほか少ない。

今回はプール金を槍玉に挙げようと思う。

その前に、確認をしておこう。
公務員が働いている場所は、国内様々物凄く多い。当然皆知っている事だと思う。
無論、不要な施設や明らかに無駄な税金を投じている施設も多いことも知っているだろう。あれだけ報道されていたのだから、忘れている人はいないとして話を進めようと思う。こいつは論外で、問答無用で解体なり責任追及をしていくことが、今後同じような馬鹿な事を抑える抑止力になるだろう。

国の仕事は、国民の税金を集めて再配分することであるから、それを私利私欲に使うことはあってはならないと事である。

さて、国の様々な施設はどのように予算が割り振られるかを知っているだろうか?
こいつを簡単な喩えで紹介すると、『お小遣い』が適当になるだろう。

例えば、月々小遣いとして1000円を貰っているとしよう。
が、今月は800円しか使わなかった。となれば、来月の予算の際は、「あなたは一月800円でもやっていけるので、来月からは800円のお小遣いにします」となってしまうのだ。
つまり、小遣いが1000円あったとしたら、完璧に使い切らないと小遣いカットになってしまうのだ。

これが、昔からの日本のやり方で、使い切らないと予算カットに繋がってしまう。
裏を返せば、使い切れば予算が足りないとアピールすることも可能なのである。

でも、実際は800円でもやっていける。でも予算を使い切らないと減らされてしまう。自分の身に置き換えて考えてみれば分かると思うが、誰もが使い切ろうとする。
これが、年末に異常に公共施設が建てられる実態なのだ。勿論、使い切らなきゃ予算が減らされると強迫観念じみた考えで造る施設だから、税金の無駄としか思えない建造物があちこちに建てられるのは言うまでもない。

ふざけるな! と思う人は次のことはもっと許せないと思う。

800円のみを使ったにも拘らず、嘘の報告書を作成して1000円使ったと申告することである。これを政治の用語で『水増し』と言われることである。あまった200円を水増し金⇒プール金と言うことになる。
お小遣いを引き合いに出しているのでここでは、ヘソクリと言った方が妥当ではあるが、この税金の余りを懐に入れてしまう人間が出てきてしまうのが問題なのである。

役人は800円でも大丈夫なところを、なんとしても1000円にしなければならないと頑張っているのが分かるだろう。馬鹿なことにこれが仕事だと思っている連中も数多い。
この200円は本来なら国民に再配分される筈である、それにも拘らず、このお金を解決せずに増税を発表するとは愚かとしかいいようがない。
予算の配分をもっと慎重に行うなど、少なくとも、民間の経営コンサルトや監査を強化すべきではなかろうか?

気が向いたら書いていこうかと思うにつき、政治批判。 

July 18 [Wed], 2007, 19:11
どれほど久方ぶりだろうか。
つー訳で政治批判である。

憲法9条の改定批判が昔よりは減った昨今、未だに現実に目を背ける人が多い。

この時点で「右翼め!」と人のことを危険人物と非難する人がいるのなら、ちょっと待っていただきたい。

9条護憲派に批判したいのが俺の意見であって、非難したいのではない。
そこで認識してほしいのは非難と批判は違うということである。

非難とは欠点や過失などを取り上げて責めることであり、批判とは誤りや欠点を指摘し正すべきであると意見することである。
つまり言えば、非難とは相手を否定してそこで終わりであり、批判とは相手を否定して今後にその意見を活用していただきたいと言うことだ。

俺は頑なに自分の意見を真理と捉えて絶対に曲げないと言う救いの無い堅物とは違うと思う。
そういう点において、護憲派の意見が改憲派より正しいと思える意見があるならば、今からでも護憲派に賛成する所存である。

が、未だに護憲派が正しいと思える改憲批判に出会えたことはない。
それどころか、一方的な改憲非難で最終的に「ダメなものは駄目!」という一番厄介な意見になっているのだ。

では、俺が「憲法の改憲は必要なんです! 必要な物は必要です!」と意見したら護憲派はどう思われるだろうか?
正にそこが肝心で、何故必要なのかを懇切丁寧に説明しつつ批判したいと思います。


--本題--

日本人の常識としての『右翼』とは何なのだろうか。
色々とあると思うが、「憲法9条の改定賛成」がその項目に含まれていると日本に3ヶ月でも住めば分かると思う。
現在、安倍総理が凄い非難を受けていることでこの点は異論はないと思う。が、様々な揚げ足を想定して要らない補足を付け足せば、ここでの『右翼』とは右派と言う意味で使っていることを中学生を問題なく卒業できる国語力を持っていれば分かると思います。

日本人の常識として・・・と書いたのは、世界では違うからです。
この辺を理解していない日本人が多いので噛み砕きますが、当たり前のことなので理解していただきたい常識です。

世界の常識での『右派』とは自国の軍隊を国益に使おうと主張する人たちを表し、『左派』とは軍隊は自国を守ること以外には使ってはいけないと主張する人のことをそれぞれ指します。

つまり、世界の前提は自国保有の軍隊があることです。


さて、ここで疑問が湧きます。
憲法9条を字義通りに解釈すれば、日本に軍隊があってはいけません。
じゃあ、日本にある『自衛隊』って何なのでしょうか?

よく、日本には『軍隊』は無いが『自衛隊』ならあると訳の分からないことを言う人がいます。
戦車を持ち、戦闘機を持ち、射撃訓練をこなし、陸海空の分野に分かれ兵卒・将校がいる団体を軍隊と言わずして、何を軍隊と呼ぶつもりなのだろうか?

本来軍隊を持ってはならない国が軍隊を持っている。これは明らかに憲法違反である。ここまでは護憲派の人にも分かっていただける理論であろう。


問題はその後である。

まず俺の主張を言えば、「憲法9条を改定し、軍隊の保有を日本国憲法に明確に記し、その上で自国民の財産と安全を守ることを最優先に、国益のための軍隊使用を禁止した軍隊統制についての憲法を作るべし」である。

これは、世界の常識で言えば左翼の側の意見であるが、日本では間違いなく右翼と取られる意見である。

しかし、この主張を常識のある日本以外の左派の人に同調を求めた場合、間違いなく話にならないと笑われるだろう。いや、笑われるだけなら良いかもしれない。もしかしたら、白い目で見られる可能性が非常に高い。

日本の歴史教育が悪いことが原因なのだが、日本人は分からない人が多いと思う。これは右派左派を超えた恐ろしい世界の非常識が含まれているからだ。

その理由を簡単に説明しよう。

脱線 

January 12 [Fri], 2007, 19:47
『検非違使』についての考察。

検非違使が記録上に出現するのは弘仁7年(816年)のことであり、後の鎌倉幕府が六波羅探題の設置と共に弱体化、室町時代の侍所に吸収されて消滅。

仕事は主に、平安京の警備・平安京の犯罪者の捕縛・平安京の非人の統括である。
正直、くどい言い方になりましたが、基本は平安京のみの仕事です。
警備・捕縛は分かると思いますが、最後の非人の統括の意味が分からないと思われます。

現代日本教育は差別問題には物凄く五月蝿い社会です。
士農工商という身分制度が江戸時代にあったことはご存知だろうが、なんと、差別的表現を歴史で教えることはいかがなことだろうと言うことで、とある機関から士農工商の言葉を歴史教科書から消すべきだという運動があったぐらいのもです。

実は、こういった様々な言葉は色々と消されています。
例えば『渡来人』って言葉を知っていますか?これを知らないのなら中学からやり直した方がいいと思いますが、この『渡来人』はもともと『帰化人』と呼ばれていました。このことについて知っている人がどれほどいるだろうか?

『帰化人』は差別的表現で、『渡来人』と言い習わした方が妥当という見解から変わったことなのですが、これでは正確な当時の意味が失われてしまいます。

そもそも、過去において先進国である中国大陸からやって来た人が『帰化人』とは間違っているという意見があるだろうけど、この点については僕も賛同で、全く以って反対の意見はありません。
けれども、当時の倭国人が、諸外国の国に対してどんなイメージを持っていたかをこの『帰化人』が雄弁に語っているのです。

百済・新羅といった国は当時の倭国にしてみれば属国扱いだったのだ。
本当に属国だったのか言われれば、それは間違いで、倭国の思い上がりに他ならない。
記録上にも、倭国の遣新羅使は不遜であるといわれる始末。


『非人』とは?

非人とはあまりにも酷い日本の最低な侮蔑的表現の一つです。
もう、この非人と言う言葉を日本国の言葉と位置づけいません。

人に在らざる者。が『非人』であるのですが、非人とは何か考えたことあるでしょうか?
本当に馬鹿馬鹿しいことなのですが、動物を殺すことを生業にした職業とか、人を殺すことや痛めつけたりする職業とか、死体を扱う職業などをやっていた人を『非人』と位置づけています。

動物を殺すことを生業にした職業は、例えば「肉屋さん」等がすぐに浮かびますね。これは当時の日本は肉を食べなかったじゃないか?とすぐに反論を受けることかと思います。
では、すぐ後の時代に武士が登場してきますが、その武士の鎧は何でしょう?これは動物の皮です。皮を使うには動物を殺めなければなりません。
人を殺すことや痛めつけたりする職業は、言わずもがな『軍隊』や『武士』のことです。
死体を扱う職業とは、葬儀屋とかです。人はいずれ死にます。人間死ぬ前に土を掘り起こし、自ら土に埋まって死ぬことは出来ません。故に、誰かがこれを代行しなければなりません。

上記のことは、社会を営むには絶対に必要なことです。そういった人たちを日本では差別扱いしてきたのです。このことを、きちんと歴史で教えないから同じような感覚の差別が日本には残るのでしょうが、取り敢えず、言葉を消ししまえばそんな差別はなくなると非論理的な馬鹿なことを真剣にやっている機関があることを知っておいて下さい。

死に対して近い仕事やそういった環境に身を置いた者、死が身近にあった場所の出身者(伝染病や八墓村のような事件、エイズや身体障害者の子孫)を問答無用で差別する気質を日本人は持っていることを知ってください。

非人と神道

世界各国でも同じように避けられない死を恐れる考えはあります。
ほとんどの宗教は、『死』について正面から向き合い、克服しようとしています。

しかし、日本の宗教は違いました。
徹底的に『死』から目を背けることが日本の原始的宗教論です。

仏教にしろ、神道にしろ基本的には『死』から逃避する考えがあります。

『触穢(しょくえ)法則』が神道にはあります。人の葬儀にいった場合、ちゃんと御祓いや禊を受けないで他人の人に触れたり会話するだけで、『穢れ』が人に伝染すると言った考えです。

文化史的に考えると、この考え方が生まれる条件が倭国にあることを否定できません。
なんらかの病気で人が死に、その葬儀に行った際に、その病気が感染してその人も死んでしまう。
早く言えば、伝染病を科学力の稚拙な当時では『触穢』と認識したのではないだろうか?という文化史的考察になるのだが、平安時代には『触穢』の考え方があるのは歴史的に証明されています。

そこに、言霊精神を持つ者が政権を握っている場合どうなるかと言いますと、『軍人』なんかあったら『触穢』の被害にあってしまう。軍隊は解体して、正式な機関ではなく悪まで『律令』の外に『検非違使』を作ろう。『検非違使』は国に正式に認められてない機関であるから、倭国には『軍隊』など無い。『穢れ』はやってこない。地方もそうだ。『健児』であって軍隊ではない。
いわば、言い換えなのですが、それでも当時の治安維持がままならないぐらいに軍備が縮小されたされたことには変わりないです。

京都は『検非違使』がいたので何とか治安は確保されましたが、地方は違います。山賊がはびこり、いつ集落が襲われるか分からない。かといって中央政府は京都以外へ展開できる軍事力は持ち合わせていない。そんな恐怖との瀬戸際で、自分達で身を守らなければどうにもならない。武器を持ち自警団を作るしかない。
これが、農民系武士の発祥です。

軍隊と9条 2 

January 11 [Thu], 2007, 19:40
それでは、歴史のおさらいと歴史的考察です。


『軍隊』を憲法で認めていない国は、古今東西、日本以外では考えられません。
と述べましたが、間違ってないのですが実のところ少し訂正部分が存在します。

本当は、『軍隊』を憲法外にしていた国が昔ありました。
それは、平安時代の倭国です。まあ後の日本なので間違ってはいないでしょう。

『検非違使』をご存知あるだろうか?
僕が中学生の時に黒太字で出てきたものだったような気がしますが、この『検非違使』は日本の軍隊事情を鑑みるに重要な意味を持っていると思います。

794年に桓武天皇が長岡京から平安京に遷都してから、1185年に源頼朝が守護、地頭設置までの391年間の時代を平安時代と言いますが、この一番初めの平安時代の創始者である桓武天皇は当時の世界(現代の世界でもあるんですが・・・)では到底理解できないことをします。

それは軍隊の廃止です。

現代日本は敗戦を機に軍隊を解体したわけですが、桓武天皇は自発的に軍隊をなくしたのです。

何故か?

実のところ、この説明を他者から引用することが出来ません。理由がはっきりとしていないからです。だから、当時の情勢と信仰を交えて考える必要があります。


軍隊を廃止する理由の考察

第1に、まず他国敵国の侵略がないことが絶対条件である。

当時の世界情勢・・・航海術の半端な時代では中国大陸が日本にとって世界の対象なのですが、平安時代確立の100年前に白村江の戦いが、663年天智天皇の時代にありました。倭国(後の日本)と百済の遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦いで、唐・新羅連合軍の勝利に終わった。

天智天皇の死後、天武天皇が朝鮮半島の新羅と手を組んだおかげで780年までは新羅との外交は良好でだったのですが、急に勢力をつけた渤海(満州から朝鮮半島北部ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国)が日本に遣日本使を派遣すると新羅と日本の間の国交は停滞・緊張した。その後新羅は後継者争いなどで、反乱や内戦の嵐になり935年に滅亡するまでとてもじゃないが他国に喧嘩を売れる状況ではなくなりました。

日本は島国で、当時の航海術を加味すると艦隊編成を組んで攻め入るには朝鮮半島に拠点を構えなければなりません。その朝鮮半島が内戦で身動きできないからこそ、軍隊の廃止が可能だったわけです。

軍隊と9条 

January 10 [Wed], 2007, 19:25
H氏の疑問に答えたいと思いますが、本当に難しい問題ですね。

改憲問題と自衛隊はある意味タブーとされた議題であろうに・・・



進歩的文化人に多く見られる「駄目なものは駄目!」と感情論なんてことしません。だから、護憲運動者からの批判は「あなたはここがこう間違っていて、こういった理由でこうだから憲法改定はいけないのです。何か反論はあるでしょうか?」と論理的にお願いします。


まず、『自衛隊』についてです。

『自衛隊』とは何なのでしょう?

僕は迷うことなく『軍隊』だと思っています。
よく日本人は、『自衛隊』はあるけど、『軍隊』はないと言います。

大砲を持ち、銃を持ち、戦車を持ち、将校がいて、軍曹がいて、兵がいる団体を『軍隊』と呼ばずして、何を『軍隊』と呼ぶつもりなのでしょうか?

『自衛隊』を英語に訳すと何になるのでしょう?『force』として訳すのが一番妥当であると思います。い
や、そうとしか訳せません。

ここまでは、この短い説明で分かっていただけるでしょう。

そんな『軍隊』を憲法で認めていない法治国家は、古今東西、日本以外では考えられません。
近代国家の『軍隊』には最近良く耳にするシビリアンコントロール(軍事力の暴走を抑制するための制度の一つ)の確立に、まず憲法で認知する必要があるからです。

けれども、日本ではそんなことを口にするだけでも批判の嵐が待っているわけです。
間違いなくこれは世界の非常識です。

強大な武力を持った部隊が憲法で縛られていない。こんな非常識なことがあっていいのでしょうか?
日本の実情を知らない国から見れば、こんな恐ろしいことはありません。

そもそも、憲法9条(平和憲法)がどれだけ世界に知られているかと言えば、これが思ったほど少ないのです。ここ十数年前(?)に中国の首相が日本にそんな憲法があること知って驚いたと話している程、知り渡っていないのです。

だってそうでしょう?どれほどアメリカの憲法を知っていますか?中国の憲法を知っていますか?韓国・北朝鮮どれでもいいですが少しでも知っていますか?そもそも、日本の憲法を知っていますか?96条を知っていますか?手順さえ踏めば96条によって改憲できるんですよ。99条にありとあらゆる公務員は憲法を尊重して擁護するとあるが、勿論『96条』も含まれてて、改憲=99条違反はおかしいのです。

お隣の国ですら自国の憲法ですら、あまり分かっていないのです。
勿論周辺諸国の他国がわが国の憲法を正確に知っている人は憲法学者ぐらいのもので、事実、時の中国首相ですら日本の憲法9条を知らなかったのです。

そんな国から見て、シビリアンコントロールが憲法で確立されていない国をどんな風に見るかと言えば、恐ろしい国としか見ないでしょうね。
確かに、平時においての日本はとんでもない平和主義者ということはある程度知り渡っているようで、悪い意味で世界中に失笑を買っていることは間違いありません。

だけど、その平時が崩れた場合、日本の『軍隊』はどうなるのかを考えると世界各国は日本を信用できない、恐ろしい国と見るわけです。

平時が崩れる場合を少し考えてみたいと思うのですが、まず考えられることは『日本国憲法の停止』です。

現在の情勢ではまずありえないでしょうけど、日本が宣戦布告を受け占領されたときやクーデターで現日本政府が失脚した時などです。
こういった際の取り決めが全くされていないのが日本の実情で、日本以外の国なら当然考えていなければ国民のクーデターが起きるでしょう。

こういった事態が過去において何度か起きる可能性がありました。

三島由紀夫事件(昭和45年)のクーデターは失敗に終わったのですが、これは重大な事件でした。
もしかしたら、『自衛隊』が三島に加担した可能性があったからだ。
(ここまで憲法9条に意見できませんが・・・)

冷戦下において日本が戦場となる事態が起こりうる状況だったこと。
(北朝鮮が日本に攻める可能性があるという友達の意見がありましたが、それはないでしょうね。そもそも、北朝鮮は日本に賠償責任があるとして本来の外交交渉を行ってきたのです。その国に宣戦布告しても政略的に得るものが少ないからです)


番外として平和主義者で世界中に失笑を買っていると述べましたが、あまりに筋違いで世界中で非難を受けた外交があります。

それは、カンボジア平和問題。
ポルポト派とプノンペン派(当時の現行政府)はもっと話し合うべきという意味が分からない外交をやったからだ。情勢はどんなものだったのかと言えば、800万人の国で内乱がありポルポト派が200万人の自国民を殺害したのです。これは驚くべき数値です。つまり、4人に1人殺害されています。四人家族の家の誰かが殺されているという恐ろしい割合です。
こんな情勢で、日本人はポルポト派のその罪を許すからパリの平和協定のテーブルに来てくださいと外交したのだ。ポルポト派はそれでも嫌だと拒否しているのに無理にテーブルに着かせ、腹を割って話し合ってくれ的な外交をしたのだ。

勿論、決裂に決まっているのだが、日本マスコミ情勢では「更なる話し合いが必要」等と報道しているのだから、世界から日本人って奴はなんだか気持ち悪いと失笑されるのです。

神道を説明する前に 

December 24 [Sun], 2006, 7:12
日本人は他のどこの国とも理解されない奇妙な文化を持っています。

例えば、宗教を非常に蔑視する民族になってしまいました。
まぁこれは国家政策の内に組み込められた歴史的な問題があるのですが、キリスト教にしろユダヤ教にしろイスラム、ヒンズー、仏教、神道、儒教など等、そういう宗教に対して、まともではない人間が信仰しているものだという考え方がされている気がします。

僕の場合はどうかというと、確かにどこの宗教(葬式仏教では浄土真宗だったみたいです)にも入ってはいませんが、自分がどの考え方に傾倒しているかは独学の比較宗教史では『神道』以外には考えられません。
葬式仏教では浄土真宗と書きました。これは江戸時代に作られた檀家制が原因なのですが、この説明は特に致しません。

アメリカ人にはアメリカ人の考え方、中国人には中国人の考え方、日本人は日本人の考え方がそれぞれあります。
たとえば、日本人が現在の選挙にひとり一票が当然であることは知っています。これは色々な時代背景で変化してきたことで、当初は高額税金納税者だけ、後に男性ならば誰でも、婦人参政権の確立を経て成人の国民はひとり一票を持つようになりました。

ここで、少し嫌な表現を使います。
では、税金を全く払えない人、または払いたくないために所得を隠してしまう人、または法律を犯してしまった人も反社会的人も、真面目に税金を払って真面目に暮らしている人も、一人一票でよいのでしょうか?
恐らく、よほど捻くれていない人以外は「良いに決まっている」と言うに違いありません。

では、何故良いのでしょうか?

この答えに窮する日本人が大半なのではないだろうか?
実は歴史を遡って調べてみるとこの考え方は日本には無いのです。

では、どこから生まれてきたのでしょう?
それを紐解く鍵は『一神教』と『印刷技術』です。
シヴィライゼーションならこの二つの技術を手に入れた段階で『民主主義』の技術を研究できるのでしょうが(実は出来ませんが)、そう簡単なことではありません。

では、『一神教』で日本人で実情の分かる国、アメリカに「何故、一人一票なのか?」と質問すれば似たような答えが返ってくるでしょう。
『そもそも、人間は神様が泥を捏ねて作ったものだから、神の御前の前では貧富・性別・善人・悪人など関係ない。みんな泥のひとかけらだから一人一票なのだ』

それが、宗教に無関心ではない国の当然の答えなのです。

善人・悪人など関係ないと書きましたが、日本人にはなかなか受け付けられない概念であります。キリスト教には『最後の審判』という考え方があるからです。その代わりに日本人には『穢れ』という日本人原始的感情があり、一度の罪を一生軽蔑する考え方を持っています。その違いが各民族の考えの違いであり、日本人らしい考え方は『和』『言霊』『穢れ』などの『神道』という原始的宗教感情が働いているからなのです。

せっかくだから、『印刷術』がもたらした効果を説明しましょう。
その前に、キリスト教を大きく分けて2つあることを念頭に入れておく必要があります。
これは知っている人が多いと思いますが、『カトリック』と『プロテスタント』です。

印刷術が出来た当時の聖書は『ラテン語の聖書』で、現代の日本語で言えば『古文・漢文』のように古い文字です。当時の識字率(文字を読める人口率)は非常に悪く、ましては当時使われていた文字よりも古いので、聖職者の一部にしか読めません。
だから、ザ・クリエイチャーやキリストの言葉を伝えられる人はほんの一欠けらに過ぎません。故に、明確に身分の格差があり、その頂点に立つのが『法王』なのです。それを民間人に伝えるのが『神父』となるわけです。

非常に大切な考え方なのですが『解釈権』というものがあり、神の言葉と言う奴があやふやでこれはこうにも解釈出来るのではないかと考えることを言います。
日本で憲法の原文はこうにも解釈できるとして、憲法を改正せずに様々な法律を後付で試行してきたこと同じです。

その『解釈権』は『法王』持っていたということです。これが『カトリック』と考えてもらっても大筋においてあっています。

しかし、『印刷術』が普及してしまうと聖書の現代語訳がわんさか市場に出回ることになります。
つまり、権威ある聖書の読める人が個人レベルまでに引き下げられてきます。
故に、『神父』以外の人間が識字出来ない民間人に聖書の内容を伝えることが出来るようになり、それを『牧師』となると思っていただいて差し支えはほぼありません(単純にそれだけではないのですが詳しく説明するとややこしくなります)。

それで、聖書の読める人口の普及は更なる変化をもたらします。
『法王』が解釈していることは間違っている!という抗議する者達です。
英語が達者な人はもうお分かりでしょう。
『プロテス』とは『抗議する』という意味で、『プロテスタント』とは『抗議する者』です。

そもそも、聖書によれば「人間は元を辿れば泥の一掬いであって、人間に格差など無い」だから、「『法王』も泥の一掬いなのだから、『法王』一人が『解釈権』を持っているのはおかしい」としたのです。
これが、『民主主義』の原型になる考え方です。

勿論、権力者(カトリック)はこれの行動を抑える動きをします。
それが有名な『異端諮問』や『魔女狩り』といったものなのです。


とまぁ、日本人の歴史的原始感情を説明しようとしたのですがだんだんと筋道がずれてしまいました。
『穢れ』の概念をどう良く説明しようか未だに考えてはいるのですが、外堀から埋めて行こうとすればするほど説明に窮してしまいます。
そろそろ、仕事に向かわなければならないので、この辺で・・・

空想読感想文 

December 12 [Tue], 2006, 2:19
おざなりな更新に自分でもビックリですな・・・

相変わらずしぶとく生きています。
もう死んでもいいのではないかと思う年頃ですが、
死ぬ勇気が無いから惰性で怠惰に流されつつ、「あの編集やっている奴死なねーかな?」と悪態をつきつつ細々と生きています。

その死んでも良い編集をやっていらっしゃるお方(H氏)のお宅にお邪魔しに行きました。

そのお宅には前途有望な少女と前途無望な愚息がいらっしゃるわけですが、
こいつらに会ってから約3年弱毎月顔を会わせている間柄で、毎月遊び相手も務めてやっている所為か、親父さんより俺になついている気がしている。

特にこの愚息が絵に描いた様な誠に香ばしい程の馬鹿で、僕の影響が完全に言動として顕著に現れている。

特徴として、まず一人称が『不肖私(ふしょうわたくし)』や『愚息私(ぐそくわたくし)』を使っていること。これが査問審査会や武家評定や冠婚葬祭の場なら礼儀として構わないことであろうが、年端も行かぬ小学生が使用する言葉でも無かろうに・・・
・・・まぁ、僕がこう自分の事を表現すると面白いんだよと教え込んだのですが・・・

この愚息ことファッキングボーイが冬休みの宿題があるのだと言うではありませんか?
毎回季節ごとに宿題を一緒にやろうと提案してくるこの小僧の神様は、まだ出題もされていない読書感想文の題材を決めてくれと言うのだ。

ちなみに、夏の読書感想文のタイトルは『VGS−FSシリーズ 取り扱い説明書を読んで』である。
僕の入れ知恵なのは確かだが、無論小学5年生がやるギャグの範囲を凌駕している。(僕がやったのは小6からです。)

最後にまとめられた部分を僕流に少し(かなり)手直ししますが、こういった内容になっています。

『(前略・中略)パソコンのサービスとサポートはあるだけで安心できるのですが、人生のサービスとサポートは現実の問題として安心出来る状態ではありません。年金問題・雇用問題・外交問題などはパソコンを起動させる準備とは違ってもっと難解で複雑です。そして有権者の意思に基づく代表者たちが、今まで増やして続けた外国債や不透明な金の流れやらが温床となり、やれ民営化やら、やれ医療費改定やら、そしてその後の展開も明らかにしない政治を、何も疑問を感じずに小泉小泉と黄色い声援を送る人間は有権者の質の問題すらも疑うことすら禁じえない。よって政党の取り扱い書と呼べるマニフェストの骨組みから直していくべきではないだろうか?』

まぁ、こんな内容だったと思う。
・・・馬鹿でしょう?先生も評価し難い内容だと思います。100%ギャグではなく政治ネタ。こいつは正直難しい。
本人に至ってはアレは完全に100%混じりっ気なしのギャグだと言い張っているが、どちらにせよ小学5年生でここまで高度なギャグを使えるのは末恐ろしい奴だ。

天才肌で真の意味での大馬鹿野郎のこいつならば、更なる高度なギャグすらも出来るだろう・・・
僕が中学2年のときに初めて使った『空想書感想文』すらも、小5のプロテスタントボーイならやり遂げよう。

空想書感想文とは空想の書物をでっち上げて読書感想文を書く事だ。
されどもこいつは大層難儀な物であって、壮大に先生を困らせる物に違いない。
こんな本があったのかと調べてみても、無論空想の書物であって実際には無いのだ。

補足としてこいつには難易度があり、
初級は、ただ空想な話の感想文をでっち上げるだけ。
中級は、作家名や文庫名まででっち上げる。
上級は、それらしい立派な受賞名まででっち上げる。

それで、結果オラクルボーイは上級を選択。

発表しよう。

『第4回小見川市文部科学賞 市長推薦賞受賞作品 『対岸の火』 長宗我部元国(ちょうそかべもとくに) 高知県小見川市出身』

ぜってーにばれるだろうな・・・
だって、『小見川市文部科学賞』なんて知らないし・・・
『市長推薦賞受賞作品』なんて日本にあるのでしょか?
『対岸の火』は、まぁあるかもですね。
『長宗我部元国』はやり過ぎですね。四国の戦国武将を2人程もじっただけですが、長宗我部は選択ミスでしょう。
『高知県小見川市』は無いでしょうね。千葉県に小見川はありますけど・・・何時ぞやの少年自然の家はお世話になりました。



長々と乱丁に書き連ねましたけど、まぁこの辺で切り上げさせて戴きます。

『歴史1』 歴史考察とはこういうことではないだろうか? 

September 06 [Wed], 2006, 6:50
事実の歴史と現代に伝わる歴史は、恐らく違うことが多いのだろうと、今となっては思う。

世の中には、書物として残っている歴史という奴が沢山あり、その書物を軸として「歴史はこうだった」と自信満々に語る歴史学者が物凄く多い。

―――全くもって忌々しい。反論したくて仕様ありません。

確かに、大筋において信用にたる書物なのは分かるが、現代に残る書物は当然人の手で出来上がっていて、その作者によって歪曲された事実すらもあるだろう。

体外、時の権力者が依頼して編纂する訳だから、良いように書くのが当然で、勿論その権力者の悪い部分を残す訳が無いのだ。そうしないと首が飛んじゃうしね。

恐らく『日本書紀』というのを聞いたことがあるだろう。
681年に天武天皇の詔によって作成された書物だが、この天武天皇には謎が多いのだ。

前置きで天皇のことについて少し説明するが、天皇家は当時から正式な権力者としてその身分や出生までもが詳細に分かる物だが、天武天皇と言う奴は正確な出生年齢が未だに分からない。
ただ、天智天皇の死後弟である天武天皇が天皇を継いだことは間違いないようだ。

ここからは心理学の話になるのだが、人間『嘘』を吐く際にそこを強調したり連呼することが度々ある。

天皇に関することは大概記録に残すのが当然で、『日本書紀』という歴史をまとめる一大プロジェクトで天武天皇を褒め称える語句が多いにも拘らず、年齢が不詳なのは不思議としか言いようが無い。
?出〜686没(?〜朱鳥1)第40代天皇(在位673〜686)となっており。ここは、意図的に隠したと考えるのが普通であるだろう。

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