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2005年09月01日(木) 11時48分
 読み方

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  完結作品は そのとき私は超人となった 利尻島での挑戦です
            チューリップ&チョコレート 海外旅行記です
    連載中は  余命宣言 癌を発病した父との闘病記です

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    日付タイトルが余命宣言です

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はじめに 

2005年09月03日(土) 19時53分
 この経験を公表しようと思ったキッカケがありました。

私の北海道での仕事仲間が、22歳という若さで自ら命を絶ってしまったのです。
同じ会社で共に成長し、苦楽を共にしてきた同志のような存在でした。私は強くショックを受けました。死をこんなにリアルに感じたのは始めてです。同時に同じくらい後悔をしまた。あんなに近くにいながら、彼の感じやすいもろい部分を見てやらなかったこと。
 よく考えれば、自分の気持ちをうまく表現出来ない人だったのです。私が利尻から帰った時も、彼に島を歩いた話をしました。その時は冗談のような感じで会話をしましたが、その後でいくらでも話は出来たのです。今となっては全てどうにもなりません。
 だからせめて同じように苦しんで、自分の弱さや存在意味で悩んでいる人がいるなら、私がどう乗越えたか知ってもらいたい。生き続けてほしいと願ったのです。

 私は祈る。彼の魂が癒されることを。   2004.10

利尻島での挑戦 T 

2005年09月03日(土) 19時58分
 誰もが自分につまずくことがあるだろう。
 私も何度も自分の弱さ、無力さ、生きる価値を問ってきた。
 自分を否定し、消えてしまえばいいと切に願ったこともある。
 そんな時に人はどうするのだろう。
 多くの人が自暴自棄になるのではないだろうか。
 そして自分を傷つけ、現実から離脱する。

 2000年6月。私は海を背にしていた。
風雨にさらされながら降りたったそこは、北海道利尻島。
 私は自分を痛めつけるためやって来た。自分を壊すためにやって来たのだ。歩いてみよう。この利尻島を。周囲63kmを。

 仕事を3日間休みをとった私は、港からリュックを背負って宿へと向かった。
港町の集落から海岸線を、やや強い風に吹かれながら進んだ。何もない寂しい景色の先にポツンと宿が見えてきた。
 低気圧が島に接近していて、雨が静かに絶え間なく降り続く。これでは歩き切れるか不安だ。天候の悪さも考えて多めに休みを取っていてよかった。
 私は島で唯一の温泉施設に出かけ、時間を潰した。休憩室にはリクライニングの長いすがたくさんあったので、横になって窓を見つめた。ただジッと、雨が草に跳ねるのを何時間も目に映していた。動かず何も考えずに。
 そんな状態で2泊目の夜が過ぎようとしていた。カタカタと窓を揺らす風が止み、雨音が遠ざかる気配がした。そして雨は上がった。
 明け方前の灰色の雲間から青白い空が見えた。午前3時。私は上着の胸元をしっかり握り絞め歩き出した。
 いったい何時間掛かるんだ。自分に問うてみる。歩いたからといって、何かが起こるとも限らないぞ。潮風が私の頬を打って、そう言っているように思えた。

利尻島での挑戦 U 

2005年09月03日(土) 20時01分
 おし泊の宿から海岸沿いに時計回りに進んだ。
ペシ岬のにょっきりととがった岩。見上げると、カモメとその糞で白くなっていた。
 風は湿ってはいないが、いつでも降出しそうな空だ。リュックの中には雨合羽が入っている。それが唯一の仲間に思えて心強い。
 姫沼に続くわき道にふっと顔を向けると、雪と同じ色の雲を腰までかぶった利尻富士があった。私は心の中で強く叫んだ。
(利尻富士よ。見ていておくれ。そして、お前の顔をきっと見せておくれ。)
 空全体が明るくなったが、朝日を見ることは出来なかった。
人気のない道を黙々と進む。その間に自分と見詰め合い、心の沼から這出る答えを探すのではないかと思った。しかし何も考えなかった。ただ足を交互に前に出すだけで、それ以外はなかった。

 気付くと辺りはすっかり明るくなっていた。民家も多くなって、家の前の道路に昆布がたくさん敷かれている。
(これが有名な利尻昆布か。こんな造作もなく干してるんだ。平和なんだな。)
 私は歩道の昆布を避けながら歩く。腕時計を見ると、もう昼間近だった。朝も食べずに歩いたから、さすがに腹が減っていた。
 集落に入るとすぐに暖簾が目に付いた。私は迷わず暖簾をくぐる。そこには時代が戻ったような古い雰囲気があった。床やテーブル椅子が木のせいか、とても落着いた気分になる。よく磨かれた木は清潔感があった。
 私は瓶ビールと『タコ蕎麦』をたのんだ。

 食事を終えて外に出ると、海は明け方の静けさとはうって変わっていた。激しく上下し、海岸沿いは遠くまで浪で真っ白だ。防波堤に腰掛けて私は地図を広げた。まだ半分も歩いてない。
 先は長いが不思議と心が(胃も)満タンになり、気持ちに余裕がでたらしい。
(私の足はまだ大丈夫だ。)
 自分の健脚さが頼もしく思えた。道に沿って海岸の村から小高い丘を登る。空の雲は去っていた。そして少し雪を残した猛々しい顔が私を見た。
(あー利尻富士よ。遂に見せてくれたね。)
 私たちはしばらく見つめあった。するとドンと背中を押されて前につんのめった。
(えっ?)
辺りは私だけだ。それはきっと海風か山風の仕業だろう。肩をたたかれたような、背中を押してくれたような、そんな感じだった。
(うん。頑張るよ。)
 私は再び歩きだした。

利尻島での挑戦 V 

2005年09月03日(土) 20時02分
 天気は上々となり、もう雨の心配はなくなった。私の足取りは天候の回復と共に軽くなり、明け方とは違い楽しみながら歩いていた。
 パッパー。後ろからクラクションが聞こえた。ビックリして振り返ると大型バスだ。今まで車も人にも出会わなかったので、現実世界に引き戻された気分になった。
 バスは右折し、反対車線からも観光バスがその道に入って行った。
(何があるのだろう。)
 私は宿から持ってきた観光マップを開くて現在地を探す。これか。『オタドマリ沼』とその隣に『三日月湖』とあった。興味に駆られて私もその道に入っていった。
 オタドマリ沼は少し整備されていて、看板や山と沼を背に写真を盛んに撮っている人が大勢いた。北海道では特に珍しくもない、湿原の沼といった感じだ。お土産屋があり、店の人も観光客も忙しそうに動いている。10分ほどすると観光客の一行は、潮が引くようにいなくなった。
 沼に静寂が訪れた。しーんという音が聞こえてきそうだ。店の人もさっきのことはなかったかのように落着いている。
 するとまた大型バスが入ってきた。静寂は一気に打ち破られ、店の人も客もヒートアップする。雀のさえずりか烏のざわめきか。口が忙しく開閉している。
 そしてまたすぐに静寂。私は何ともいえない気持ちになってその場を後にした。

 同じに道を通って同じものを見ているのに、感じ方は人によって全然違う。私が踏み出す一歩と彼らの通り過ぎる1mは、同じなのに何て遠いんだろう。
(当たり前なのに切ない。)
その感傷は、その場から距離が離れて行くと、道に少しずつ落としているかの如く薄れていった。

利尻島での挑戦 W 

2005年09月03日(土) 20時04分
 利尻富士町から利尻町に入っていた。
やっと半分を過ぎたところだが、もう昼を過ぎていた。私の中で不安が生まれた。
(あー、まだこれだけか。先が見えない)
 少し重くなった脚を擦って虚ろに道を見た。延々と続く海と陸地。境界線のごとく道が伸び緩やかなカーブを描いている。遥か遠くは霞んでいた。
(でも脚はまだ動くから、もう少し歩いてみよう。)
 そんな弱い励ましを自分に向けて進んだ。

 どのくらい歩いたろうか。景色は依然と変わらなく単調で、私は漠然とした気分となった。すると、濁った眼に建物が写つり景色が変化しだした。集落に入ったのだ。体中に安堵感が湧いた。
 少し行くと反対側の歩道に母子がいた。
「こんにちはー。」
 久しぶりに人と声を交わした。
「どこまで行くの?おし泊?」
「はい!」
「まだまだ遠いよ。乗せていこうか?」
「!」
 言葉に詰まった。辛い、車に乗っていきたい。私の脳裏に車でサーっと走り過ぎ、ゴールで降りる自分がいた。
(でも…でも。)
 何のために自分はここにいるのだろう。沼で感じた虚しさを忘れたのか。二人の己が押し合う。
「あ、ありがとうございます!でも、だ、大丈夫です。」
 女は私の言葉を聞いて明るい声で、
「そう!最後まで歩きたいのね。分かった。頑張って!」
 そう言って手を振り去っていった。私はその背に向かって叫んだ。
「はい!頑張ります!」
 胸が熱い。声を掛けてくれたこと、優しくしてくれたことに、いつもでは感じない何かが生まれた。
(そうだ!私は最後まで歩きたいんだ。)
 辛さに見失いかけていた思いを彼女は見つけてくれた。気づかせてくれたのだ。私は感謝の気持ちでいっぱいになった。
 私は歩いた。体が前のめりになりながらも進んだ。脚の感覚が鈍くなっていても、もう諦めたりしない。

利尻島での挑戦 X 

2005年09月03日(土) 20時06分
 一歩踏み出す度に痛みが脳を突いた。心臓が足にあるように熱く膨れ脈打つ。広がる世界は無風の静寂。葦の草原を裾に利尻富士が絵画のように厳かだ。
 私は遂に倒れこんだ。厄介ものを抱え込んだ重さに耐えられず、うめき声を上て道端に体を投げ出す。
(この足…動くだろうか。)
 痛みのため、足との意思の疎通が途絶えそうだ。
(後どのくらいだろう。もう直ぐかな。まだまだかな。)
 もはやどこにいるのかも分からない。人もいない。車も通らない。地図を開く気力さえない。呆然と目が空を漂う。その目に水道の蛇口が写った。
 そこはちょっとした公園になっている。私はなんとか上体を起こし這って行った。水場の横で靴を脱ぎ、靴下を剥ぐ。まるで鍛冶屋に打たれたような火照りだ。蛇口を開いて足を冷やした。足に弾かれる水が小魚のようだ。
 はぅーと深いため息がでた。次第に私と足の意識が少しずつ回復しだす。
(後戻りはできない。進むだけだ。)
 私はようやく、何故自分はこんな試みをしようと思ったのかを、自分を整理しはじめていた。

利尻島での挑戦 Y 

2005年09月03日(土) 20時10分
 私はこれまで強いフリをしていた。
 本当は感じやすく弱い部分のほうが多いのに、それを隠すように強がっていた。弱さに目を背け認めようとしなかった。しかも強いと思い込ませていたのだ。
 今まで悩み、つまずくようなことにあっても、己には触れずに事態だけを解消していた。
何一つ己を乗越えていなかったのだ。そうして私は歳を重ねるごとに諸刃の刃になっていった。
 自衛は働くものだ。私は無意識に脆さを補うものを身近に置いた。人だったり、物事だったり。自分を支える杖のように寄りかかった。己ではないのに、自身の一部と考えるようになっていた。
 だからそれを失ったとき、まるで底の見えい宇宙に落ちていくような孤独と不安、恐れと絶望に支配された。立っていられない、自分が支えられない、息が出来ない。苦しくて溺れもがくように次の杖につかまる。その繰り返し。
 自分と向かい合うのが怖かったのかもしれない。自分を知って絶望したくなかったのだ。

 何年もそうして生きてきた。だからいつも同じつまずき方をする。私はもう、そんな自分にうんざりなのだ。
 人生を終わらせることは簡単だったが、怖がりの私はそこまでの勇気はない。まして自分を乗越えた向こうの景色を描くことも出来ない。ジレンマだ。
 そして、この世の終わりに一人だけ生き残った気持ちになり、ますます私をすくませる。
(このままではいけない!)
 私の中で誰かが叫ぶ。どうしたら今の自分に対峙できるか。どうしたら今の自分を乗り越えられるか。どうしたら自分の目で、向こうの景色を見ることが出来るか。

 私は考えた。
 人は精神の痛みを肉体に転化することがある。実体のある肉体の痛みなら解りやすいし、目で見ることもできる。自分の肉体の限界、心の痛みを越える体の酷使。そんな行為をすればいいかもしれない。でもそれは後ろ向きではいけない。前に進むーそうだ!自分の脚で歩くことだ。今まで経験したことのない距離を歩くことで、己を見つけられるかもしれない。
 原始的でとても安易な考えかもしれないが、そう思い付いた時に目の前が明るくなった。と同時に利尻島が私の頭に飛び込んできたのだ。

 私はやっと己をつかまえた。
そして水で冷やされ、ジンジンと鳴っている脚で立ち上がった。最後まで歩くと強く心に念じて、再び歩き出した。向こうの景色を見るために。

利尻島での挑戦 Z 

2005年09月03日(土) 20時11分
 山はそこにあるだけなのに息吹を感じる。なんて強い生命を発しているのだろうか。
 私は脚を引きずりながら、利尻富士の気配を感じていた。既に顔を上げて見る余裕はなくなっていたが、その分、精神が研ぎ澄まされた感じだ。
 私の脚は一歩といえる一歩を踏み出すことは出来なくなっていた。それでも気持ちだけは前に進んでいて、上半身に引き摺れるようになっていた。でも私の身体はしっかりと支えられている。

 頬を撫でていた風が急に私の全身に張り付いてあおった。
(!)
 風が変わったのだ。私は周りを見た。空が黄金色になって、中世の宗教絵画の雲のように夕陽が四方に帯を放っていた。
(もう、日が暮れる。)
 私はどうしてか日没までに着きたかった。何かケジメのよな、今日の太陽が終わる前に私はケリをつけたかった。
 焦りが脚の痛みを完全に忘れさせた。足取りは断然と速くなり、変な体のバランスのまま、引張られるように進んだ。
 右手に『利尻空港』の看板を見た。
(あー。あとひと頑張りだ。)
 ここまで来ればおし泊まで4kmほどだ。先は見えたのだ。
  
 私は太陽と競争した。
 背中には神殿のような雲から射し込む柔らかい光がある。私はこの光に包まれて、新しい風景を見たい。私はまるで今、歩き始めたような脚で小走りをしていた。
(もう少し。もう見える。)
 向こうの岬に建物が見えた。スタート地点の宿だ。岬はグングンと私に近づいて来た。そして遂に私は宿に向かう小道を曲がった。

 太陽はまだ、暖かい光を私に注いでいた。その光は利尻富士の頂周辺を照らしながら、今日の別れを告げようとしている。
 私はとうとう歩き切った。山に太陽に海に次々と顔を向けて心の中で叫ぶ。
(遂にやった。とうとう…最後まで…。)
 不思議と感激の涙はでなかった。こんなものなのかもしれない。映画とは違うことは分かっていた。少しガッカリした。きっと私の顔は疲労と体の痛みで、年老いてしまっているだろう。絵にはならない。
 立ち尽くしていると、宿のおばさんが私のほうへ走って来た。
「よく頑張ったね。お疲れさま。さあ、温泉に行って体を休めよう。」
 そう言って、手際よく車を出してくれた。

利尻島での挑戦 [ 

2005年09月03日(土) 20時14分
 車の中でおばさんは、疲れた私を労うように話をしてくれた。
「何だか気が気じゃなくてね。この時期はまだ歩く人もいないし。今、どこ歩いているのかなーって思ってたよ。」
 私は自分のことしか考えてなかったが、こうして私のことを思ってくれた人がいたことを知った。嬉しかった。歩いている時は孤独だったが、本当はそうではなかったのだ。
「毎年ねー、夏には島一周に挑戦する人が多いんだよ。島に来て知ってやる人もいる。」
 おばさんはそういう人たちをたくさん送り出し、迎えて来たそうだ。
「なかにはねー。脚を痛めて動けなくなる子もいてねー。それでも歩きたいって泣きながら病院に運ばれてく子もいるんだよ。」
 今だからこそ、私はその子の気持ちが分かる。既になんの反応もない脚を擦りながら思った。
「さあ、着いた。ゆっくり湯に浸かって、よく脚を揉むんだよ。」
 私は車から足を地面に下ろした。すると太い針が脳天を突く刺激が襲った。
(う…。)  
「美味しいウニが食べたいって言ってたね。すぐそこに知り合いの居酒屋があって、あなたのことは話しておいたから。」
 私はこれ以上おばさんに迷惑を掛けないように、痛みを殺して笑顔でお礼を言った。

 一時間以上も湯に浸かった。何度も足を揉んだが、過剰な疲労でコチコチになっている。諦めて湯から上がった。長湯したせいで、少しのぼせ頬は紅くなった。。
 左足はもう使えなくなって棒のようにくっ付いているだけだ。地面に触れる度に痛みが針の如く脳天に突き刺さる。
 この時は本当の杖が欲しいと切に思った。