なんで、アクセスできないのかな?ぱんぷきん88さんの日記。

July 09 [Sat], 2011, 7:08
被災追悼支援交流ライブ前段年月日あの大地が震え、海が怒り狂った平成23年の311から100か日を迎えた6月18日土、黒川郡大和町吉岡ななの森の家を会場に標記ライブを開催した。あの日から100か日が過ぎようが、おいらたちが受けた衝撃と悲しみはあまりに深く、単に日数では癒されはしない。おいらのすぐ目の前で濁流に飲まれていったヒトたち、翌日朝からはあたり一面の廃墟で大きな余震が続く中で始まった遺体回収、その遺体が苦しそうに見開いた瞳の視線の先の焦点は合っていない。と言うよりおいらがその目を覗き込むことなんてできないそういうことだ。それはまさしく、大津波が破壊しながら押し流してきた家屋の瓦礫と、押し潰された自動車が海水に浮かぶN小学校の校庭。その水面にはあたかも木の葉のようにぷかぷかと無数に浮かぶ遺体遺体遺体。ヘドロの海水を胃と肺にたっぷりと飲み込んで溺死した遺体は重いなんてもんじゃない。四人がかりで担架に乗せるが、どこが道路でどこが田畑かも判らないほど積み重なった家屋の瓦礫、自動車、その合間からも除く頭腕足。もとより生存の可能性はほとんどない。そこに昨日の悪魔の時刻から降り続いた冷たい雪の中、どの瓦礫の上に次の一歩を乗せれば良いのか、確かめながらの遺体回収搬送だ。それを避難した校舎の3階の教室の窓から、何週間も見続けた子どもたち。あまりの被害の甚大さに、遺体回収すらなかなか進まず、引かない校庭の海水に浸かったままで痛んでいく遺体遺体遺体。痛んでいくとはどういうことかと言うとそれはとてもここに書けない。判っていただけますよね。これは夢か、本当に現実なのか、そんな呆然となりそうな意識は、足元の瓦礫の釘先をゴム長靴で踏み抜いてしまい、そのあまりの激痛で夢ではないと思い知る自分がいる。遺体搬送などもう二の次で、破傷風にならないかと心配で消毒液を探す愚かしく情けない自分がそこにいる。おいらが作業を命じられた市内のある現場では、避難所に指定されていた体育館の中にまで、濁流となって流れ込んできたヘドロ瓦礫の津波に巻き込まれて溺死したヒトたち、その隣の介護施設の建物の中では避難が間に合わずベッドの上で溺死した高齢のヒトたち、また、おいらなんかより遥かに屈強な30代と思われる父親の腕にしっかりと抱かれた可愛い盛りであったろうと思われる幼児、その親子はぺしゃんこに押し潰され水没した車の中で息絶えていた。あるいは、10メートルはあろうかという太い木の枝に、首だけで引っかかり、衣服もすっかりはだけた無残な姿で息絶えていたうら若い女性。こんな死に方ではあまりに理不尽だ。その時なぜか、仲間の信頼を裏切って業務上横領の末に逃げていって、今は津波などはるかに及ばない街中で暮らしていると聞く男とその一派を思い出した。犠牲者と横領男を比較する何の尺度も存在しないのは百も承知だったが、亡くなったヒト、生き残ったヒト、今回の災害に大変とか役所がと言うだけで、何も具体的行動を起こさないヒト、その一方で遥か遠方から見ず知らずだけど友人の友人だからと支援活動を展開してくれるヒトたちがいると本当に混乱した。遺体が確認されたヒト、行方不明のままのヒト、個々に事情は違うけど一応の葬儀土葬含むはほとんど済んだと思う。でもこの理不尽さを呪わずにはいられない。これでは無差別テロだ。非戦闘員の市民が暮らす街に何の予告も無く核爆弾での空襲を仕掛けるようなものだ。前段のいろんなヒトがいることも含めて犠牲となったヒトはほとんどがまじめに生きてきた市民のはず。あまりにもあまりにも気の毒だ。そして、同じく大津波の犠牲になったおいらの多くの身内や友人たちの生前の姿声残された演奏音源等々。おいらの記憶の中ではあまりに生々しい。彼らは優れたローカルミュージシャンでもあり、おいらにいろんなことを教えてくれた。その他にも犠牲となった全てのヒトたちのために、おいらは自身の心が納得できる形で感謝とお別れの追悼の場が必要だった。どうしても。本当のところは、おいら自身も地震直後にがけ崩れや道路損壊箇所等の確認パトロールに出て、河口堤防脇の一本道で正面から壁となって襲ってくる大津波に遭遇。偶然そこに小高い山への横道が一本あったから逃げおおせたものの、車の位置があと10メートル前でも後ろでもダメだったろう。また、N川Y川の河口で想像を絶する破壊力の大津波直撃を受け、自宅どころか集落まるごと家屋のコンクリート土台だけを残し、根こそぎ瓦礫として流されてしまい、おまけに海岸にあった職場も被災して閉所となってしまい、荒れ狂う濁流の中でビルの屋上からヘリで救出されたカコさん。彼女をはじめ県内の多くの仲間達が多かれ少なかれ被災した。そうした仲間が集い、たとえひとときでも演奏だけに没頭することで、お互いの無言の激励になる、そう確信していたし必要だとも思った。おいらが生かされている意味は、生業の仕事市民生活のライフラインの確保は間違いなくそうだし、音楽ではアンサンブルをコーディネイトするベーシスト、として、各メンバーの橋渡し役となること、そんな思いも日に日に強くなってきている。そんな中で思い切って開催したこのライブ、おいらがボトムを支える各バンドの素晴らしい仲間、それから遠路長野県と愛知県から素晴らしいゲストミュージシャンを招いての開催となった。長い前書きでしたが、そういう稀有な体験あってのことだとご理解ください。以降ではそのライブの模様をレポートします。
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