
先週末、母方の祖父のお墓参りへ行った際、祖母がお茶を飲みながら昔の写真を出してきた。
母の娘時代の写真をみせて上げるという口上であったが、なぜだか祖母と祖父の20数年程前の写真が多かった。
祖母は、サングラスが大好きで、お気に入りの写真はほとんど大きめのサングラスをかけ、ちょっぴり気取って写っている(笑)
自分が亡くなった時の遺影の写真も、お気に入りのサングラスと着物をきた一枚をすでにキープしているくらいだ。
今回初めてみせてくれた写真の中に、祖父母が旅行へ行った際のとっても素敵な写真があった。祖父母が隣同士に座り、祖父はカメラ目線が恥ずかしいようで、ちょっぴり視線をずらして笑顔。そして祖母は、スカーフを頭にまいて、サングラスでにっこりカメラ目線(笑)

”おお〜!この写真とってもいいね〜。とってもカッコイイカップルだ!”
と大喜びの私に、祖母が懐かしそうに話す。
”この旅行の時にね、おじいちゃんが、「お前はサングラスがよく似合うな〜」って褒めてくれたんだよ。”
少しはにかみながら、満面の笑顔で話す祖母。
あ、そっか。祖母のサングラス好きは、その一言で始まったんだ。
祖母の話す言葉の端々に、祖父への思いが垣間みられる。
甘い思い、ほろ苦い思い。
そんな新たな祖父母のエピソードが、私の中の祖父母像に色づけされる。
おばあちゃんの事を生まれてこの方30ウン年知ってるけれど、意外に、若い頃のおばあちゃんの事、夫婦としての祖父母の事とか知らない事だらけだ。
祖母は92歳。一体、あとどれ位、昔のエピソードを祖母から直接聞けるんだろうカナと、帰りの車を運転しながら思ったりした。
翌朝は、父方のお墓参り。
早朝のまだ気温が上がりきる前に出掛ける。
雲一つない青空に、お寺の瓦屋根が美しく映える。
こじんまりとした、手入れの行き届いた大好きなお寺だ。
汗をカキカキ(笑)一連のお掃除やお花やお線香のお供え終えて、手を合わせてご挨拶。いつも思うんだけど、この行為は結局、自分のルーツを確認して自分を内省する行為になってる。
あの「千の風になって」の歌詞を聞いた時、
”そこに〜 私はぁ〜いません〜
ねむってなんかぁ〜 いません〜
千のか〜ぜぇになぁ〜ってぇ〜
あのぉ〜大きな空を〜
吹きわたっています〜”
あ〜、よかった。夏は暑くて、冬は極寒のお墓にいなくて。みんな幸せなんだ。気持ちよく自由に空を飛び回ってるんだわ〜と、嬉しくなってしまうのだ。
という事で、墓石の前で色々と思いを巡らせながら、お寺のおくりさんへご挨拶して帰路へ。
これまた運転しながら、母から昔話が。
祖母(母に取っては姑)がまだ存命だった頃、地下鉄とバスを乗り継いでお墓参りに一緒に来ていたという。二人で、お供えのお花をもって、お菓子を持って。
お参りの後は、お寺さんのお宅で、おくりさんとお茶を飲みながら四方山話をして帰ってきた事。
祖母は、私がまだ小さい時に亡くなっており思い出が皆無に等しい。
でも、こうやって当時の話を聞くと、は〜、本当に祖母はこうやって生きていたんだわと不思議な気持ちになると同時に愛着も湧いてくる。
亡き人の思い出を語らい合うって、ちょっぴり大袈裟かもしれないんだけど、祖父母や父が生きた証となり、今の私や姉に続いているんだよな〜と思ったりした。私の事も、いつか次の世代の人が思い出したりするのかね。
素敵でないか。お盆の効用。