小学6年のときのおもひで 

2011年02月21日(月) 23時41分
小学校6年のある日、その日は平日だったのだが、急遽、先生方の会議が開かれることになり、午後からの授業が中止になったことがあった。

それを聞いて、もちろん僕らはハイテンション。こんなにもうれしい誤算ってあるものかと、僕らは興奮を抑えるのに必死だった。

それにしても、外はいい天気だし、このまま家に帰ってしまうのは何かもったいない。さてどうしようと思っていると、そこにいたのが酒井君だった。

酒井君とは家も近所だったので、よく一緒に遊んだし、一緒に帰ることも多かった。

僕:「酒井君、今日これからどうしよう?このまま帰るのはもったいないべ?」

酒井君:「じゃあグルッペに行ってみっか!」

グルッペという奇妙な名前のお店は、当時、僕の地元に存在していたホームセンターであり、ホームセンターとしての役割以外にも、たこ焼き屋さんが入っていたり、僕の地元にとっては貴重な存在だった。

酒井君が言うには、最近そのグルッペがリニューアルして、ゲーセンとかも入っているから、行ってみようぜと言うのだ。

小学生が学校帰りにそんなところに行くのは、禁じられていたのだが、そんなルールを自分達に置き換えて考えたことがなかった僕らにとっては、あってないようなルールだった。

そりゃこんなに天気もいいんだし、行ってみましょう、そうしましょうということで、僕と酒井君はグルッペへ向かった。小学校から徒歩1分という近さも魅力だ!

よし、じゃあそのゲーセン的なものを見てみようかと思ったその時、店の前がなにやら賑やかだ。これは一体、どんな現実が待ち受けているのかと思って見てみると、それは仮設のテントのCDワゴンセールだった。

僕らが小学校6年生だった当時、CDこそが最先端の音楽媒体であり、僕のお小遣いの使い道の大部分をCDにつぎ込んだ覚えがある。そんなCDが山積みされたのを目の当たりにして、僕は興奮が抑えきれなかった。行ってみようぜ、酒井君!

アドレナリンビンビンで、あれこれCDを見ていると、僕はそこに現代社会における至宝ともいうべきものを発見した。なんとそれは、当時人気絶頂だったCHAGE & ASKAの2枚組みのベスト版CDだった!

僕と同世代の人なら分かると思うが、1990年代前半、その時期のCHAGE & ASKAの勢いはすさまじいものがあった。出す曲全てがミリオンヒット。テレビで彼らの歌を耳にしない日はないくらいだった。

これはすごい! Say Yesとか、Yah Yah Yahとか、Love Songとか、彼らのヒット曲が全部入っている!しかも値段は2枚組みで3000円。僕はこのCDを手に取った瞬間、今日の午後からの授業中止は、このCDとめぐり合うための神様からのプレゼントに違いない!と解釈するのにさほど時間はかからなかった。

しかし、ここで問題が一つ発生した。僕の持ち合わせは2000円しかない。このCD買うにはあと1000円足りない。さて、どうしよう。

「酒井君、相談なんだけど、俺が思うに、このCD、明日になったら絶対に売れてしまってると思う。でも俺はこれ買わないと一生後悔すると思う。しかも、通常CDって1枚で3000円くらいするのに、これは2枚組みで3000円ってことは、1枚1500円ってことだよ?つまりお得だよね?だから、単刀直入に言うと、これ一緒に買おう。」的なことを言って、酒井君を説得して、一緒にお金を出し合い、僕らはそのCDを手に入れた。

そのCDを手に入れた瞬間、グルッペのゲーセンなんてもうどうでもよくなってしまい、世界をこの手中に収めたような気になっていた。「酒井君、これは単なる買い物じゃなくて、俺らの未来に対する先行投資だ」みたいなことを言った気がする。

「酒井君!俺、このCD早く聴きたい!」

僕と酒井君の家は、グルッペから約2キロほど離れており、歩いて帰ると30〜40分近くかかる。家に帰るまでとても待ちきれない!誰か近所に友達いなかったっけ?

ここから100mのところに、たれちょの家があるわ。よっしゃ、じゃあたれちょんち行ってみよう!

たれちょの家に無理矢理おしかけ、このCDを聴かせてくれ!と懇願する僕らの表情には鬼気迫るものがあったに違いない。

3人そろって、再生ボタン、ポン!

本来であれば、そこには感動が待っていたはずだった。しかし、僕らを待ち構えていたのは、残酷な現実だった。なんと僕らが必死の思いで買ったCDは、全部カラオケのCDだったのだ。3人とも、呆然としていた。

僕はこのときほど、自分の人間性の浅はかさを呪ったことはない。小学生にとって3000円という大金を失った喪失感と、友達にも無駄金を使わせてしまった罪悪感に、僕は押しつぶされそうになっていた。

しかもよく見たら、CDにはちゃんと「カラオケCD」と書かれてあったのだから、弁明の余地もない。CHAGE & ASKAだというのに、CHAGEのコーラスの部分しか入っていないじゃないか。これじゃCHAGE & ASKAじゃねーだろ。開けちゃったから、返品もできないし。

今から20年近くも前の出来事だから、もう昔話と言ってもいいかもしれない。ふとネット上でCHAGE & ASKAの曲を耳にして思い出しました。そのCDは今もたれちょの家にあるかもしれません。

ジンバブエから 

2011年01月27日(木) 0時30分


先日、僕から車を買って下さったお客さんが、わざわざ写真を送ってきて下さった。ジンバブエという国のお客さんだ。

ジンバブエという国は、ムガベ大統領という独裁者のせいで、経済がメチャクチャになってしまったアフリカの国であり、自国の通貨であるジンバブエドルの価値が大暴落してしまっている。1アメリカドルが数千億ジンバブエドルだったのが、それでも暴落が止まらず、数兆ジンバブエドルになったりしたほどだった。今では発行自体されていない通貨らしい。

そんな国の人が日本から車を買うなんて、きっとこの人の人生においては、大きな買い物だったに違いない。この写真と共に、メッセージも下さった。

「あなたが送ってくれた車、とても気に入ってます。本当にありがとう。」

一人で仕事をするようになってから、今までは考えたこともないような状況になったり、漠然とした不安に襲われたりすることもあるが、遠く離れた国で、喜んでくれる人がいると思うと、自分の選択は間違ってなかったなと思うことができる。

地味な映画 

2011年01月12日(水) 22時15分


地味な映画だけど、ニューヨーク州北部の町を舞台とした映画と聞いて、思わず手に取ってしまったのがこのFrozen Riverという映画だった。僕が以前住んでいたのも、ニューヨーク州の北部の町だったからだ。

カナダとの国境に面した町で、冬になるとセントローレンス川という大河も凍るほどまで気温が下がり、貧困ゆえにその凍った川を利用して、カナダからの不法移民の密入国の手助けをしてしまう女性の物語。

この地域は、アメリカ先住民の子孫が住んでいる地域で、ある程度の自治権が認められているらしく、それを悪用した不法移民の流入は、実際に社会問題になっているらしい。

日本でも、格差社会という言葉が叫ばれているが、世界一の経済大国であるアメリカの格差社会は、日本のそれよりも過酷な気がする。

主人公の女性を演じるのは、メリッサ・レオという女優。貧困に苦しみ、いかにもやつれ果てた中年女性という感じを醸し出している。

古いトレーラーハウスでの生活。二人の息子に与える食事がポップコーンしかなかったり、請求の工面に追われるシーンなんかは、アメリカの貧困層のリアルな現実を描写している。

僕が住んでいた町にも、もしかしたら、こんな生活をしていた人がいたかもしれない。ただ、その頃僕はまだ若くて、そうした現実にまで気を配る事ができなかった。

地味な映画で、日本でもごくわずかの映画館でしか上映されなかった作品のようです。それでも一見の価値ありだと思います。

Ocean Colour Scene 

2011年01月11日(火) 21時23分
とてもいいバンドなのに、そういうバンドが正当な評価をされていないということは少なくない。中には、質の低い音楽なのに、もてはやされていたり、自らの才能とは別の部分で売れていたりしているミュージシャンって案外多かったりする。

Ocean Colour Sceneというバンドは、キャリアもそこそこ長く、UKロック界のベテラン勢の1つだが、OasisやRadioheadに比べたら、日本での知名度は決して高くない。むしろ知っていたら、その人は結構な音楽通だと思う。しかし、狭くとも深く愛されているバンドであることは間違いない。

そんな彼らが3月に日本に来るのだから、そりゃ行かなくっちゃということで、運よくチケッツも取れたし、会場は行ったことないけど、SHIBUYA-AXという、狭すぎず、広すぎない会場らしいので、音楽聴くにはこういう会場が最適なのです。というか、東京ドームとか、幕張メッセとかは広すぎて、音楽聴くにはふさわしくないのです。



当日、この曲が演奏されたら、きっと僕はさぞかしニッコリしているでしょう。

気まずいまり入れ大会 

2011年01月10日(月) 20時00分
小学校3年生の時、学校行事で、クラス対抗まり入れ大会があった。

まり入れという種目が全国共通の行事かわからないが、ソフトボール大のお手玉を、高く掲げられたカゴの目がけて投げて、入った個数を競う競技だ。大体、赤と白のお手玉が用意されている。

この競技は、年に1回の行事とは言え、幼稚園の頃から毎年やっているので、小学3年にともなるとさすがにマンネリ感が否めず、何かこう、変化を求めたくなるのが探求心というものだ。

「よし、今年は趣向を変えて」と、当時の僕が思ったかは覚えていないが、単純にカゴめがけて、まりを投げるのでなく、いろんなところへ投げてみようと思ったのだ。

そう思い立ってからの僕の行動力は迅速だった。まず、別のクラスのカゴに色違いのまりを投げてみたり、競技とは無関係のバスケのゴールに入れてみたり、デブの片倉君にぶつけてみたりなど、いろいろがんばってみた。最終的には、休日返上で来て下さった、カゴを支えている誰かのお父さんにも投げてみたりと、子供の時の出来事とはいえ、大変申し訳のない事をしてしまったと思っている。

ここで終わっていれば、バカバカしくとも、楽しい思い出だったのだが、僕の悪行を見ていた新野先生と言う女の先生が走ってやってきて、思いっきりビンタされてしまった。しかもバツの悪い事に、ビンタされた瞬間を、両親にも見られてしまい、ビンタの痛さよりも、親の目の前で体罰を食らった精神的痛みの方が小学3年ながら耐え難い苦痛であった。

しかも、この新野先生には、翌年も学芸会の練習中に、別件でビンタされており、後にも先にも、何かと相性の悪い先生だった。今から20年前の出来事だから、もう昔話で、そのときの精神的苦痛もさすがに癒えました。

今日はとても寒いです。でも、僕はこんなに元気です。

一人暮らし 

2011年01月08日(土) 1時25分
一人暮らしを始めてもう12年になる。そんなに前だという実感はないのだが、それでも12年という年月は長い。今では当たり前の一人暮らしも、人生最初の日の事は今も鮮明に覚えている。

地元を離れる日、おとんの車に荷物を詰め込んで、引っ越し業者も使わずに、東京へ向かった。23区の郊外の西武新宿線沿線の駅で、僕のアパートの前にはのどかな畑と本当に11時に閉まるセブンイレブンがあった。

アパートの前の畑が、東京だけど、田舎っぽさが残ってて、地元と重なりホッとしたのを覚えている。

早朝に地元を出て、東京に着いたのは昼頃だった。荷物を部屋に運び込み、通りかがりの人にホームセンターがないか聞いた。親切に教えてくれた。ガスコンロと蛍光灯を買った。

とりあえず部屋の整理は後にして、船橋にいる親戚のおじさんに会いに行くことにした。生まれて間もない頃に1度だけしか会ったことのないおじさんだったから、ほとんど初対面だった。「せっかく東京にいるんだから、また会いに来なさい」と言って下さったが、それ以来会っていない。

それから練馬に住むおじさんの家に行き、その日はそこに泊めてもらった。いろいろ歩き回り、疲れて10時頃には横になっていた。隣の部屋から、当時放送されてた「救命病棟24時」というドラマの主題歌が聞こえてきた。ドリカムの「朝がまた来る」という曲だ。

ドリカムは特に好きというわけではないが、この曲だけは今も印象に残っていて、聴く度にこの日の事を思い出す。

翌朝、地元へ帰るおとんが、西武新宿線の駅まで送ってくれた。上石神井駅だった。別れ際、おとんが手紙をくれた。おとんの車が見えなくなった瞬間、「あ〜ようやく一人暮らしが始まるんだ」と、不安よりはワクワク感が勝っていた。
帰りの電車の中で、おとんからの手紙を読んだ。高校時代、だらけた生活をしていたから、そんな僕の事が心配だと書かれていた。もうその手紙はどこかへいってしまったけど、読んだ瞬間、今までみたいな生き方じゃ、生きるに値しない人間になってしまう。そうならないようにしなきゃ、と思わせる内容だった。

部屋に戻って、荷物を整理して、一人分だけご飯を炊いて食べた。ただのふりかけご飯だったのに、ものすごくおいしかったのを覚えている。プラスチックの押し入れ収納ケースがテーブルの代わりだった。

自転車に乗って、地図を買って、あれこれ散策したりして、最初の日はあっというまに時間が過ぎた。先週の金曜の天気すら思い出せないのに、その日はものすごく天気がよかった。もう12年も前の出来事だ。

京都にて 

2011年01月02日(日) 0時44分
京都に行ってきた。右も左もわからないが、京都らしい街並みを歩きたくなったのだ。特に何を買いたいわけでもないのだが、大阪に住んでいながら、京都の事を全く知らないのはもったいない気がして。

ということで、あてもなく最初は阪急烏丸駅で降りた。高校の修学旅行で、確かこの辺りで降りたのを覚えていた。

とりあえず最初はラーメンしかないと決断してからの僕の嗅覚は鈍ってはいなかった。うまそうなラーメン屋のオーラを醸し出していたこの魁力屋は、今後も通いたくなるお店だった。


大通りを避け、人通りの少ない裏路地こそが京都らしさを醸し出してくれると思い、僕の足は終始、裏へ裏へと回った。こういう路地をただ歩いているだけで満たされた。


川ではカモが食事をしていました。


小川のせせらぎがきれいでした。


外国人が思い描く「日本」の情景がそこにはありました。

鳴り響け、大地1 

2010年09月29日(水) 22時43分
先日、無性に土地を耕したいという欲望に駆られ、ショベルカーとブルドーザーを買った。






恐らく、大部分の日本人のルーツは、農耕民族と狩猟民族に分類することができると思う。そして、僕の体内に流れている血は、間違いなく農耕民族であろう。そんな農耕民族としてのDNAが、土地を耕したいという欲求を抑えきることができなかったのだ。そんな時に絶妙とも言うべきタイミングで、これらの重機が僕の前に現れ、本当に買ってしまったのだ。

買ってから気づいたのだが、僕にはこの重機を運転できるスキルや免許がないということに気付き、愕然とした。今後の有効活用を現在、模索中である。

ということで、「鳴り響け、大地」シリーズと銘打ち、今後の展開を不定期に綴っていきたいと思っている。

相方の結婚 

2010年01月29日(金) 1時27分
幼稚園の時に知り合い、それから25年の付き合いになる僕の相方が結婚することになった。僕は相方のことを誰よりも知っていると思っているので、そんな相方が結婚を決意するに至ったのは、僕からすればたいそう意外であった。

高校時代の相方の恋愛遍歴は、実に華やか且つ浅はかだ。特質すべきは、今では半ば伝説とも言うべき、「自分から告っておいて4時間で終了事件」というのがあり、当時の僕も、自分の相方ながら、その傍若無人ぶりには度肝を抜かれたことがある。

この伝説の詳細は、もうそのままタイトル通りなので、敢えて説明する必要性も感じないのだが、要するに、高校1年生の時、気に入った子がいて、自分から積極的にアプローチした結果、二人は付き合うことになったのだが、付き合って4時間後、急激に気持ちが冷めてしまい、破局に至ったという、非人道的行為というのが事の真相である。

交際期間4時間の他にも、5日間とか、10日間とかの中学生レベル以下の恋愛ごっこを高校時代に重ねてきた相方だから、それが結婚という、人生における大きな決断を下したのだから、それを革命と呼ばなければ、何が革命なのかわからないほどだ。

相方との思い出は、他にもある。僕がアメリカにいた頃、わざわざ僕を訪ねてきてくれたことがあり、せっかくだからと、ナイアガラの滝ン連れて行ったのだが、その日に限って、ナイアガラの滝は、夜間ライトアップされておらず、真っ暗で何も見えず、流れ落ちる滝の轟音しか聞かせることができなかった。

中1の時、相方と酒井君とで学校の中で鬼ごっこをして遊んでいたら、何を思ってか、トイレの個室に逃げ込めば安全だと思ったようで、僕は袋の中の鼠だと言わんばかりに、上からホースで水責めにし、トイレの雑巾を放り投げたことがある。あの時の二人の悲痛な叫びは、今も僕の脳裏に焼き付いて離れない。

あと、僕と相方が二人して絶賛していたAV女優がいて、そのビデオを持って、のうのうと一人暮らしをしていたら、ある日おかんが突然やってきて、うまいことそのビデオを隠したと思っていたら、パッケージだけ、おもいっきりテーブルの上に置き忘れてしまい、おかんが残した置き手紙に「変なビデオ見るなら、ビデオは必要ありません」とだけ書かれており、思わず絶句してしまい、その恥ずかしさゆえに、そのビデオを勢い余って捨ててしまったことがあり、それを報告したら、ものすごく怒られた。

そんな相方から、結婚の報告を聞いて、腹をくくった相方を、僕は素直に祝福した。

相方よ、おめでとう。いつか、レンタカー借りて、アメリカ横断の旅をやりたいと思ってたんだ。Creedence Clearwater Revivalの曲を聴きながら行けたら最高だろうなって。おっさんになってからでいいから、いつか行きたいな。




UKな人 

2009年11月04日(水) 23時55分
UKな人というのは、日本においてはまだまだマイノリティーで、例えば友達と一緒にカラオケに行っても、歌える曲が少なくて、歌いたい曲がカラオケに入ってなかったり、運よく入っていても、その曲を友達が知らなかったりってことが多かったりする。逆に、友達が歌う曲が知らないのばかりなので、「これ、誰の歌?」が口癖だったりする。

先日、仕事上の付き合いで知り合った方が、たまたまUKロック好きだということが判明し、しかも年齢も一緒ということが判明し、僕らは仕事の話そっちのけでUKロックを熱く語った。

僕の言うUKロックとは、90年代のイギリスのロックのことがほとんどで、先日、事実上解散してしまったOasisも、この頃は一番勢いがあった時期だった。

90年代というのは、僕が中学、高校時代を過ごした時期で、音楽に対する感受性が一番豊かだったように思える。僕の今までの人生のベストアルバムは何だろう?と自問自答してみても、ほとんどが90年代に聴いた作品ばかりが上位を占めている。

その方とは、あくまでも仕事上の関係で知り合ったわけだが、僕は、確信した。僕らは友達だと。会って2回目だが、これで友達じゃなければ、じゃあ友達って何なの?くらいに思っている。びっくりするくらい、仕事の話はしなかった。

バンド名だけで会話になるという、傍から見れば奇妙な空気が二人の間には流れていた。90年代を、お互いに全く別の場所で過ごしても、音楽という共通点で、知り合えたことがたまらなくうれしかった。

その中でも特に意気投合したのが、The Verveというバンド。このバンドのヴォーカルのリチャード・アシュクロフトという人は、日本のファッション雑誌にもモデルとして登場したこともあり、ものっすごいかっこいい男なのである。ぜひ、何も言わず、こちらを見ていただきたい。




この曲を初めて聴いたとき、僕は高校2年生だった。12年も前の曲なのに、時代遅れな感じが全くしないのがUKロックの魅力なのかもしれない。90年代の名曲を聴きながら、近いうち、パブでギネスでも飲みに行きたいと思っている。
P R
最新コメント
アイコン画像TOYO
» 小学6年のときのおもひで (2011年02月25日)
アイコン画像ヤギチャンチン
» 小学6年のときのおもひで (2011年02月23日)
アイコン画像じゅん
» 小学6年のときのおもひで (2011年02月22日)
アイコン画像ヤギチャンチン
» 小学6年のときのおもひで (2011年02月22日)
アイコン画像うーたん
» 小学6年のときのおもひで (2011年02月22日)
アイコン画像じゅん
» ジンバブエから (2011年01月28日)
アイコン画像イゴール・ヤギチャンチン
» 地味な映画 (2011年01月13日)
アイコン画像じゅん
» 地味な映画 (2011年01月13日)
アイコン画像イゴール・ヤギチャンチン
» 気まずいまり入れ大会 (2011年01月12日)
アイコン画像イゴール・ヤギチャンチン
» Ocean Colour Scene (2011年01月12日)
2011年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28
Yapme!一覧
読者になる