にんげんの感情
2008年10月20日(月) 19時11分
最近、前よりも人らしい感情が出てきた気がする。
そりゃ、前からにんげんではあったけれど・・・
幼いころから、人に対してクールだったというのかな?良く言えば。
無関心だったかもしれない。
特に日本に帰ってからしばらくはそうだったし、
帰る前も、たいした執着はなかったかな。
小学校の先生が選別の、アートのプロジェクトブックをくれた時も、
感謝とか感動とか寂しさよりも
「え?これ本当に私がもらっていいんだよね?貸してくれただけ?もらったの?」
ってわけのわからないこと考えてた。
でもこれは癖のようなもので、今でもたまに
自分が行った・言ったという確証があっても、人に「そうなの?」と言われると自信がなくなる。
鞄の中に携帯があっても、「携帯はいってる?」と言われれば
「多分」「多分あったと思う」と答える。
確証があるのに断定できない、こんな人間だった。
また、人を嫌うなんてとんでもないと思ってた。
苦手に思うことはあっても、「嫌い」にはなれなかった。
口に出すこともできなかった。
ちょっとした事で叱られた時、一人になって、
親が「嫌い」だとつぶやこうとした時も、どうしても唇でつかえて、言う事が出来なかった
人に死んでほしいなんて、思うだけでも酷い悪事だと思った。
清く正しく行きたいと思っていた
後ろめたい事は何一つしたくなかった。
これは、子供であったが故の・・・幼い正義感だったのか
ただ自分が臆病だったのか、どちらかもわからない。
それが、
今では妬みや僻みまである。
親友に対しては不思議と、人に感じる妬みや僻みは憧れとなり喜びとなる。
でも。
そうでない人に対して、
行動に起こさないからこそ犯罪者にならない物の
激しい憤りを感じたり、嫉妬したり僻んだりと・・・
以前の自分からしたらあまりにも汚らしい感情が最近は湧く。
何の苦労も悲しみもなくすべてを手に入れた人に対しては
その人がこの世からいなくなれば、自分がひとつ救われるような気さえした。
そうやってどんどん自分の内なる凶暴性が目覚め、
自分は堕ちてゆくんだと思った。
今では、良く言えば意見がはっきりしている(それを主張できるかは別だが)
好き嫌いがある
気性が激しい・・・と、そんなところだろうか。
堕ちたくなくて、でも結局自分は
家族や親友でない「新しく出会う誰か」からは愛されずに
自分の交友関係も世界も広げられずにこの先生きていかねばならないと思っていた。
また、中学くらいまではやはり嘘をひどく嫌っていた。
高校では、嘘をつく場面はほとんどなかったし、
ついても大丈夫じゃない時に大丈夫とか言う、その程度の、人に迷惑をかけないものだった。
小学校の頃から、一度だってサボったこともなかった。
自分の意思か、親の意思を伺ってかはわからないが、
少なくとも中学校高校はたのしかったしさぼろうなんて気も起きなかった。
それが私は、平気でうそをつく人間になってしまった
平気でうそをついてサボる人間になってしまった
何より恐ろしいのが、時により、何の良心の呵責も感じなかったことだ。
自分は平気で人を欺き、楽な方に流れるようになってしまった。
自分はなんて汚れた人間なんだろうと思った。
それが、今日、嘘をついて酷く胸が痛んだ。
涙が出た。
親に対しても先生に対しても、そしておそらく自分に対しても。
そしてすごく苦しい。
「今日嘘をついた」事でそれを補う嘘をつかねばならないのもひどく心が重いし息がつまる。
昨日食事らしい食事をとっていないからだろうか。
コードギアスをみたからだろうか笑。
嘘をついて、それについて平静にふるまい…誰にも知らせる事無く抱え込む・・・
いや、抱え込めなかったから私はここに書いているのかもしれない
こんなこと続けられる人がいるならば、かなりの精神力だと思う。
逆に、自分がまだちゃんとした人間で、良心が残っているから、
そしてそのアニメを見た事で、人を欺く代償やその過程を見たから、
反応しているのだろうか。
苦しいのだろうか。
やっぱり正直に生きたいものですね。
嘘をついて何も感じれなくなったらきっと終わりなのかもしれないね。
その痛みを感じて、抱えるのは一種の小さな罰かもしれないけれど、
痛みを感じる事が出来るのは、
自分の人間的な、感情的な、理性的な、
自分が自分である証拠が残っている証なんじゃないかと思って
かえって嬉しい・・・かもしれない。
良く分からないけど。
正直に生きていこう、と思った
そりゃ、前からにんげんではあったけれど・・・
幼いころから、人に対してクールだったというのかな?良く言えば。
無関心だったかもしれない。
特に日本に帰ってからしばらくはそうだったし、
帰る前も、たいした執着はなかったかな。
小学校の先生が選別の、アートのプロジェクトブックをくれた時も、
感謝とか感動とか寂しさよりも
「え?これ本当に私がもらっていいんだよね?貸してくれただけ?もらったの?」
ってわけのわからないこと考えてた。
でもこれは癖のようなもので、今でもたまに
自分が行った・言ったという確証があっても、人に「そうなの?」と言われると自信がなくなる。
鞄の中に携帯があっても、「携帯はいってる?」と言われれば
「多分」「多分あったと思う」と答える。
確証があるのに断定できない、こんな人間だった。
また、人を嫌うなんてとんでもないと思ってた。
苦手に思うことはあっても、「嫌い」にはなれなかった。
口に出すこともできなかった。
ちょっとした事で叱られた時、一人になって、
親が「嫌い」だとつぶやこうとした時も、どうしても唇でつかえて、言う事が出来なかった
人に死んでほしいなんて、思うだけでも酷い悪事だと思った。
清く正しく行きたいと思っていた
後ろめたい事は何一つしたくなかった。
これは、子供であったが故の・・・幼い正義感だったのか
ただ自分が臆病だったのか、どちらかもわからない。
それが、
今では妬みや僻みまである。
親友に対しては不思議と、人に感じる妬みや僻みは憧れとなり喜びとなる。
でも。
そうでない人に対して、
行動に起こさないからこそ犯罪者にならない物の
激しい憤りを感じたり、嫉妬したり僻んだりと・・・
以前の自分からしたらあまりにも汚らしい感情が最近は湧く。
何の苦労も悲しみもなくすべてを手に入れた人に対しては
その人がこの世からいなくなれば、自分がひとつ救われるような気さえした。
そうやってどんどん自分の内なる凶暴性が目覚め、
自分は堕ちてゆくんだと思った。
今では、良く言えば意見がはっきりしている(それを主張できるかは別だが)
好き嫌いがある
気性が激しい・・・と、そんなところだろうか。
堕ちたくなくて、でも結局自分は
家族や親友でない「新しく出会う誰か」からは愛されずに
自分の交友関係も世界も広げられずにこの先生きていかねばならないと思っていた。
また、中学くらいまではやはり嘘をひどく嫌っていた。
高校では、嘘をつく場面はほとんどなかったし、
ついても大丈夫じゃない時に大丈夫とか言う、その程度の、人に迷惑をかけないものだった。
小学校の頃から、一度だってサボったこともなかった。
自分の意思か、親の意思を伺ってかはわからないが、
少なくとも中学校高校はたのしかったしさぼろうなんて気も起きなかった。
それが私は、平気でうそをつく人間になってしまった
平気でうそをついてサボる人間になってしまった
何より恐ろしいのが、時により、何の良心の呵責も感じなかったことだ。
自分は平気で人を欺き、楽な方に流れるようになってしまった。
自分はなんて汚れた人間なんだろうと思った。
それが、今日、嘘をついて酷く胸が痛んだ。
涙が出た。
親に対しても先生に対しても、そしておそらく自分に対しても。
そしてすごく苦しい。
「今日嘘をついた」事でそれを補う嘘をつかねばならないのもひどく心が重いし息がつまる。
昨日食事らしい食事をとっていないからだろうか。
コードギアスをみたからだろうか笑。
嘘をついて、それについて平静にふるまい…誰にも知らせる事無く抱え込む・・・
いや、抱え込めなかったから私はここに書いているのかもしれない
こんなこと続けられる人がいるならば、かなりの精神力だと思う。
逆に、自分がまだちゃんとした人間で、良心が残っているから、
そしてそのアニメを見た事で、人を欺く代償やその過程を見たから、
反応しているのだろうか。
苦しいのだろうか。
やっぱり正直に生きたいものですね。
嘘をついて何も感じれなくなったらきっと終わりなのかもしれないね。
その痛みを感じて、抱えるのは一種の小さな罰かもしれないけれど、
痛みを感じる事が出来るのは、
自分の人間的な、感情的な、理性的な、
自分が自分である証拠が残っている証なんじゃないかと思って
かえって嬉しい・・・かもしれない。
良く分からないけど。
正直に生きていこう、と思った
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