あなた、どうして。

August 18 [Wed], 2010, 21:49



あなた、どうして。

人をひく救急車、さんへのささやかなるお手紙

March 08 [Mon], 2010, 1:15
ろーずれこーずの回廊 からのフレーズに始まって ニックドレイクやシューゲイザーといった 端々に出てくる星屑のような固有名詞はもとより なにかすごく この部屋に灯っている明かりが好きで
ロムっているべきなのだろうけれど こんなわたしの足跡にも 少しのことばをありがとう >297さん >304さん

ずっとずっと巡ってる 自分はその中のほんの一部に軌跡を描くようにして 生きて呼吸してるにすぎないんだなぁ って その いま自分が立っている螺旋状の円環の持続のなかに おじいちゃんも おばあちゃんも いたんだなぁ って この 吸って吐いている空気は
たぶん太古の昔から 何万何億といういのちたちが 吸って吐いてきた空気なんだなぁ って そのかけがえのない一瞬のまばたきの中の かけがえのないあなたとあなたなんだなぁ って 散っていった花のなんと気の遠くなるほどの多いこと
その幻のような影の存在の抱きしめたくなるいとしさよ って まばたきが おわってしまう前に 人と人とはであうのでしょう わたしたちは そのまばたきがおわってしまう前に きっとやらなきゃならないことがあるんだろな って

あなたたちの小部屋に勝手に入ってしまって ごめんなさいね 窓辺の花瓶に一輪の花でもさしむけられたらいいのに と願いつつ沈黙の海へと方位を定め……

東京の不在、円状の声の炎上

March 07 [Sun], 2010, 3:52
東京という街に、愛の水撒きを。
東京の街を、知らない街へ。
東京を、東京からもっとも遠い街へ。
あなたの愛で。消し去って。

愛は、不在の果てにある。
無時間性のその先で。
彼岸の河原で落ち合って。
光化学スモッグ警報で目がさめる。
煙のなかを、手をとりあって
世界の果てまでつれてって。
あなたの声は聞こえません。
あなたの影はかろうじて。
手の感触は存在を意味のゆらぎへ落とし込む。
石造りの街の反響に
ひんやりした壁に冷たく浮かび立つ白い影は。

わたしとあなたの主体からの逃走の日々(一)

March 06 [Sat], 2010, 3:32


ことばには、そのひとが現れる。
あなたと呼吸を合わせたい。
あなたといっしょに呼吸したい。
あさ、レースごしの陽のもとでいっしょに植物に水をやり、
おひる、お仕事を抜け出して電車でいっしょにご飯を食べにゆき、
よる、いっしょにちょっとのお酒を飲みましょう。
夜景のきれいなところにすみたいな。
あのマンション、いつかあんなところに住みたいねって、いってたから。
東京タワーと、レインボーブリッジ、
よく晴れた休日は、遠くに富士山が見えるあの部屋で。
ネコがベランダで背伸びして。
ミニトマトも栽培してたいね。

主体をなくすこと。
問題は、「わたし」じゃない。
でも、「わたし」なんだということ。
境界線は、もっともとおいわたしの肌。
問題は、他者や世界への不在でもないんだって。彼女はいった。
それもまた、分かるような。
たしかにあの頃は、不在は問題じゃなかったの。
問題は、哀しみや寂しさではない。
世界を包むぬくもりは響きと色となってたち現れる。
分かってる、それは不在ではないの。

でも今のわたしには一体なにが唄えるというの。
わたしはたしかにあの時に、
あなたがいなくとも生きてゆけると意思表明したのかもしれない。
あれはそういうことだったかもしれない。
でも、それはあなたがいるからこそだったの。
そのことが、ずっとずっと、ちょっとずつ大きくなってきた。
あなたとの意識の差異が、こんなにもちょっとずつだけれど、
大きな隔てとなるだなんてな。
耳を澄ますということ、わたしはそれを、あの頃は
どんな風に考えていたのだろう。
どんな音が聞こえてたんだろうか。
でも、よろこびの声がたくさんあった。
子どもたちの。植物たちの。目に見えないミクロの元素たちの。
いっしょに戯れることだったのかしらん。
でも、それよりも。
わたしのからだの奥深いところにたしかに刻印されてある、
だれかの足跡だった。

こうしてわたしは分かってることを教えられる。
わたしはこうしてなにひとつ、だれにも語りうることなんてもっていやしないんだ。
だれかが落としていった砂粒みたいに小さな存在のたしかさの欠片を
たいせつにたいせつに拾い集めてそこにゆっくり息を吹きかけて
だれのものでもない現象をてつだってあげることだけなのかもしれない。
わたしはなんで生きてきたの。
なんであのあさの5時にきびしさのふぶきの海をフェリーのデッキの上に立っていたの。
それは耳を立てるためだったんじゃなかったの。
羅針盤は、たしかにある方角を指していた。
でもそれがときどき、くるくるくるくる回って見えなくなったりする。
けど、それでも前が見えなくとも、とどまることはできないじゃないの。

あしたがだれにとっても天気でありますように。
さいごはいつも、それしかことばをもたない。
あしたが転機でありますように。
それは儀式でもないのだけれど。
なにか見つけられますように。だれかが。落としもの。拾う人。


拾う人へのメッセージ。
受けとる人の耳の感受性に託そう。


わたしは見ることでしか、その奥深さの背後の向こうへとおりてゆくことができない。
彼女はいう。
色だって質感だって。
でも、足音に耳を立てることだって、思うんだ。
みることも、そういうことだと思ってるんだ。
透視してゆくことについて。
お医者さんは、聴診器に耳を立ててゆくでしょう。
それがわたしたちの天文学。


引用の処

March 06 [Sat], 2010, 3:06
(クロエさんからの、メモ・・・)



表現のことを考えるときに、思い返すと自分でも驚くほど他者ということをやじるしの先に入れない。
いまのところ踊りでも写真でも、その先に観客がいるということを前提にしている。
見てもらわなくても、私から生まれるだけで満足、というふうではどうやらない。
これははっきりと認識している。
そういった意味ではもちろん他者を意識してはいる。かならずこれが誰かの目に触れ、肌に伝わるものだということ(もしくはそうだといいなという祈り)。
けれど生み出すその母体はどうしてもわたしの奥深く、あるいはその芯とつよく手を握っているものであって、世界に対してとか他者に対してへの叫びではないし、他者や世界の不在の感覚でもない。

きっとわたしの宇宙のいちばんおおとそは私の皮膚であり、それがいつも宇宙の中心を向いているのだろう。

いつか誰かのために、とか、世界に向けて、ということを、その意識において、話したくなるのだろうか。

たぶんこのわたしのなかのブラックボックスはいつか、宇宙のいちばんおおそとを包む、と思っているのかもしれない。


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もし、
たとえばだけれど
わたしがのっぴきならない疵や空洞を抱えていたとしても、
そのことをおもてだたせることはしないだろう
と、お風呂でぶくぶく思った
喜びや発見や幸せや毎日のごはんのようにそういうものもわたしを構成するものの一部であるからおのずと含まれることはあるとしても、
それをことさら掬いだして肌にはりつけるようなことはしない
そういう表現に対する批判でもなければ嫌いですの表明でもなくてただ、
少なくともいまのわたしはそうなんだなあ、というだけのこと
それはわたしが届け、はぐくみたいこととはちょっと違うんだきっと、とぶくぶく

写真展でいただいた感想のひとつが、今日わたしの胸のげんこつくらいの石を砕いてくれた。
単純でいい。
そのまんまでいい。
たぶんだからこそ、むずかしいのだから。

からだを澄ませることをしなければ。

身の丈について

March 06 [Sat], 2010, 1:17


最近あの、なにをやっても身の丈に合わなくなってきていて、ご飯を食べるということすら、そういう感じがあるのです……、わたしなんぞがご飯を食べる資格もない!と……。


スケールだけがでかくって、何もやらない人、というのが、います。自分が何か、そういう人に近くなってゆくのが分かるなぁ……。よくない!

思い立ったら吉日!というのはいいことだとは思う。思い澱んでいても何も始まらないし、しょうがない!
けど、その直感自体が少し鈍ってきているような気もする!
自分にぴったり合った洋服が見つからないのです!どこへゆけばいいのかな。
感傷的になるんじゃなくて!

介護?
農業?
修行?
それとも教育?
学問か?音楽か?
それともまた、恋人か……。

自分の身の丈に合うものは、自分で見つけなくちゃいけない。
わたしは今までなにをやってきたのか。
直感がすべて。そうして紡いできたものが、たしかに持続はしているのだけれど、そのようにして、食べるための糧としてゆくのか………。
目眩がする。

私には才能などない、ということを、誰も言ってくれなかった。だからここまで来てしまった……。さて、どうすれば良い、私は……?
そういう時は、とにかくいろんな人に会うべきかもしれない。いろんな人と話をしたいんだ。
そうして少しずつ少しずつ手探りで、手繰り寄せるように、ピッタリ合った衣服を……。

だってね、もう、着る服さえ、自分の服じゃないみたいなんだもの(苦笑)!




あんなに大変な労働をしてるにも関らず、なんであんなにお腹から大きな声で飄々とうたが唄えるのか分からない……。

介護

March 04 [Thu], 2010, 0:59


最近また、マクドに行く気が起こらなくなってきた。
自分の精神を一定のところに保つための……。


毎日、看病する生活をしていたことを忘れかけていたのか、私は……。

農業
介護
禅〜仏教

(気になったままのメモ)。

May 30 [Sat], 2009, 18:39






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(気になったままの映画、メモ)

アッバス・キアロスタミ『10話』(6/5)
トリン・T・ミンハ『愛のお話』『ルアッサンブラージュ』『性はベト、名はナム』『核心を撃て』『ありのままの場所』『裸の空間』
フィリップ・ガレル『恋人たちの失われた革命』(6/6)
マノエル・デ・オリヴィエラ『わが幼少時代のポルト』(5/28)
アモス・ギタイ『カドッシュ』『キプールの記憶』『ケドマ』『フリー・ゾーン』

マルグリット・デュラス『ヴェネティア時代』『セゼレ』『オーレリア・シュタイネル』
ロメール『海辺のポリーヌ』
ロッセリーニ『ヨーロッパ1951年』『イタリア旅行』『ストロンボリ、神の土地』
セルジュ・ブールギニョン『シベールの日曜日』
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『嘆きの天使』
イオセリアーニ『歌うつぐみがおりました』
エルマンノ・オルミ『木靴の樹』
タヴィアーニ兄弟『カオス・シチリア物語』
カレル・ゼマン『盗まれた飛行船』
ストローブ=ユイレ『エンペドクレスの死』
ダニエル・シュミット『天使の影』
エットーレ・スコラ『特別な一日』
ミシェル・ロッド『ノエミの旅』
アレクサンドル・ペトロフ『作品集』
ジョナス・メカス『ウォールデン』
ジャリリ『七本のキャンドル』
ジャン・ジュネ『愛の詩』

王兵(ワン・ビン)『鉄西区(第一部:工場)(第二部:街)(第三部:鉄路)』
フレデリック・ワイズマン『州議会』(5/30)
神代辰巳『一条さゆり 濡れた欲情』『恋人たちは濡れた』『青春の蹉跌』
森田芳光『の・ようなもの』
今村昌平『赤い殺意』『にっぽん昆虫記』
深作欣二『蒲田行進曲 』
内田吐夢『飢餓海峡』
大島渚『少年』
佐藤真『阿賀に生きる』『Self & Others』
諏訪敦彦『不完全なカップル』
釣崎清隆『死化粧師オロスコ』


(気になったままの本、メモ)
アガンベン『中身のない人間』『幼年期と歴史』『バートルビー 偶然性について』『ホモ・サケル──主権権力と剥き出しの生』
ユスナール『目を見開いて』
ペソア『不穏の書』
タブッキ『レクイエム』
グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』
ディドロ『運命論者ジャックとその主人』
ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』
アライダ・アスマン『想起の空間』
ジャン・コクトー『シネマトグラフをめぐる対話』『美をめぐる対話』『映画について』
ゴダール『全評論・全発言集』
アンドレ・バザン『映画とは何か』
シュトゥンプ『音楽のはじめ』
今福龍太『身体としての書物』
リービ英雄『越境の声』
田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』『都市の詩学〜場所の記憶と徴候』
中村雄二郎『歓ばしきポイエシス』『精神のフーガ』
岩井寛『生と死の境界性 「最後の自由」を生きる』
姜信子『安住しない私たちの文化』『追放の高麗人』『うたのおくりもの』
内藤高『明治の音〜西洋人が聴いた近代日本』
笠原潔『黒船来航と音楽』
神月朋子『ジェルジ・リゲティ論―音楽における現象学的空間とモダニズムの未来』
中井英夫、島田雅彦


(気になったままの音盤、メモ)
スティーナ・ノルデンスタム『まぼろしの世界』
スコット・ウォーカー『スコット』
スラップ・ハッピー『デスペラード』
カエターノ・ヴェローゾ『粋な男ライヴ・リオ』
Sera Una Noche『SeraUnaNoche』『LaSegunda 』
Iva Bittova『Ne Nehledej』
朝生愛『あいだ』


(また見たい落語家さん)
志の輔、市馬、さん喬、喬太郎、白鳥、歌之介…

sui.

May 09 [Sat], 2009, 4:42


・雨の日の鈴懸の木の匂いがすると、昔住んでいた町の、あの道のことを思い出すのです。
・…というように、タルホの云う"永遠癖"っていうのかな、"宇宙的郷愁"の癖みたいなものがわたしは強すぎるから、それがいけないんだと思う。これがあるから、わたしはこんなにもどうしょうもないんだと思う。三浦雅士の『メランコリーの水脈』ともつながるし、タルコフスキーの『ノスタルジア』ともつながる。なんでなのかなぁー。ほんとうに、バカみたいに、わたしの胸を締めつける。いつまでもいつまでも、離れない。
・音楽が、追憶や記憶と共にあるイメージ、プルーストとかね。そういう感覚がとてもよく分かるのだけれど、でも、本当に大切なのは、深沢七郎が書くような音楽なんじゃないか。楢山節とはなにか、といえば、それはいつまでも"現在"である音楽です。ノスタルジアなんてどこにもない、不滅の現在です。ライヴで、生き続けている、生きるもののうたです、ジプシー音楽も、ピグミーの音楽も、奄美黄島民謡も、ホーメイも、ビクトル・ハラも、メレディス・モンクも、みんなそうだと思う。人生と音楽が一体化してしまっている人は、そうなんだとおもう。人生と記憶が一体化している人の音楽とは違う。


・二歳年上の方の演奏を聴きに行く。テル・アヴィヴ生まれの彼。はじめは静かに、それが想いもかけない展開を遂げて、その音の太さ、音色も含めて、圧倒される。
腕が平行になる。腰があがり、前屈するように弾く。声が重なる。そのあいだに何度となく、ここだけは神経質そうに、メガネを右手であげる。あぁ、この人はやることがいっぱいあるのだな、と思う。表現するべき何かをものすごく抱えこんでいるんだな、と思う。
隣の席をあけて、そのもうひとつむこうには大柄の外国人女性が座っていた。休憩時間、彼女はヘブライ語の本を読んでいた。ページを右からめくっていた。


・1日25時間くらい音を聞いていて、頭がパンクしそうじゃ…。音楽なんてもう、ほんとしょうもない。


・弟は一昨日、インドに行った。約3ヶ月、か。うちはみんな、いろんな場所へゆく。


・夢。ホテル。ホテルって、早朝でも真っ昼間でも真夜中でも、どこにいても人の気配がする。不思議な空間だな。いつも、移動する中で留まっている空間。
イヤな夢だった。でも、ウットリするような夢だった。誰かが、出てきた。わたしたちは、なにをやっていたのだろう。思い出せない。でも、感触は覚えてる。肌触りは覚えてる。空中エレベーター。地下のバーと英国人。わたしは、裸で地下を走っていた。


・ちっちゃい子どもだけじゃなくて、ネコやトリにまで不思議がられるような人間です、わたしは。


・「虚構でできた日常のざんがいのカケラを純度100%で結晶化したみたいな」写真。

・未完成の手荒なままの作品って、ドキュメンタリーでありワークインプログレス状態のもので、自分としてはそっちの方が、ちゃんとしたカタチになっているものよりもしっくりくることが多い。それで、そこから完成度を高めて進めるのではなく、未完成のまま進めて、置いておく。わたしは、それがいけないのかもしれない。けど、そうしかできないと思う。たまに、わたしの音楽を"ジャズ"と云ってくれる人がいるけれど、あぁ、そうなんだなぁ、と思う。ジャズって云うのは、まさにドキュメントであり、ワークインプログレス。常に変わり続けるもの。インプロヴィゼーションっていうものも、結局はそういうところなのよね。常に、"現在"の最前線に孤立して立ち続けること。

・死んでも、この地上に留まってるんだなぁ、と思ったりして。魂は天に昇るとか、そういった精神論はもうほんとにどうでもよくて。ただ、この体の細胞は粒子みたいに大気中に飛び散って、溶けていって、その大気の中から世界を見つめつづけるのかなぁ、とか。そういう、眼差し以前の眼差しというもの、あるのかもなぁ、と。まぁ、死後のことなんかどうでもいいんだけどね。死後のことで云々いうなんて、夢の話をするのと同じくらいバカバカしい。
問題は、わたしにとっては、死ぬ時に誰にも迷惑をかけないこと。でも、誰にも迷惑かけずに死ぬなんて、案外…というか、結構難しそうな気もするんだけれど…。でも、人生の中でこれだけは…ということが唯一あるとすれば、死ぬ時の自分の後始末は自分でケリをつけてゆくこと、かな。それが、生きてきた世界への、お世話になった人たちへの、せめてもの感謝の証しです。死ぬための後始末は、感謝と慈しみの気持ちを抜きにしては、できない気がする。
まだ20代だけど、もう、後始末を始めたいくらいです。なんでこんなにも、"晩年"を生きてるような感じがするのかしら。もう、生きてる気がしない。魚の屍体を見てるように、世界が見える。とはいえ、魚の屍体って、鮮やかだよね。そういうふうに、世界も鮮やかなの。

舞い.

May 09 [Sat], 2009, 4:41


人生、喪中につき。
P R
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