履歴 7

2005年12月22日(木) 22時59分
だから決して、親に言われて
無理矢理公務員になったわけではないのだけど。
結局は自分で下した決断だったのだけど。

公務員試験の前に、民間の会社を2社受けた。
どちらも不採用だった。

公務員試験のほうは、地方2つ、国家1つの
合計3つ受けて、地方1つと国家1つで最終的に合格した。
高校では、公務員試験のコツや、(適正、作文、面接)について教わった。
この指導がなかったら、落ちていたと正直思う。
作文は、もともと書くのが大好きだったので楽勝・・と思いきや
試験用の作文としては最低だったらしく、
みんなの前で読まれてメタメタにこき下ろされた。
ものすごいショックだった。
確かに文法や作文構成がメチャクチャだったんだよね・・。
その後、教わった方法で作文を書くコツを練習した。
これは教わっておいて良かった、と今では思う。
(とかいいつつすっかり忘れているけれど・・)

こうして、晴れて私は公務員として働くことが決まった。
親も教師も私も鼻タカダカだった。

履歴 6

2005年12月22日(木) 22時41分
あれは確か、高校2年の2学期あたりだった。
やる気も目標もない高校生活と比例するように
成績もガタ落ち。それを何とかしようという気にも
さっぱりならなかった。
親からはもちろんガミガミ言われたけど
「うるさい!」と怒鳴り返すか無視するかでやり過ごしていた。

そんなある日、学校から帰って
自分の部屋に入った瞬間、急に雷に打たれたように
「このままではマズイ」という気持ちに襲われた。
就職するにしても、こんなに成績が悪かったら
ロクなところに雇ってもらえない。
そもそも何をやりたいかなんてことも頭にない。
ようやく、自分のヤバさ加減に気づいた気がした。

そんなこんなで、
公務員試験を受けてみようと思い立った。

大学という選択肢もまだ捨ててはいなかったが
親から「大学に行くなら私立は高いから、
国公立にしてね」的なことを言われていた。
理系が絶望的にダメだった私に、それは
「大学は行くな」と言われているようなものだった。
確か、「あんたが本当に行きたい学校なら
もちろんお金は出してやるよ」とも言われてはいたけれど
もともと両親が大学に行ってほしくなさそうな気配は察していたし
無理してお金を出してもらって、正直これ以上
「恩を売るような」ことをしたくなかった。
それに、2人の妹が進学したいと言ったとき
お金の問題で行かせられなかったら私のせいだ。
(結局2人とも高卒で就職したけど)
それと、私自身、もう受験勉強はこりごりだった。

それで結局、「就職組」として
就職に向けた指導を学校からしてもらうことになった。

履歴 5

2005年12月18日(日) 6時08分
高校は辛かった面が多いけど、少しの友人がいてくれたおかげで
辞めたりはせずに3年間通い通した。
しかし、中学3年間で溜め込んだ、
受験その他のストレスが爆発し
かなり自暴自棄になっていた。
とはいっても、親が怖いので不良グループに入るわけでも
非行行為にはしるでもなく
とにかく無気力になっていた。
学校は行くし授業は出てるけどほとんど居眠りしていた。
(世界史と倫理と現国だけは好きだったから起きていた)
進路のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。

中学のときがんばったんだからもういいじゃない!
志望校に受かったんだからもういいじゃない!
後はテキトーに就職して稼いで
今のおこずかいで買えないもの(CDとかライブチケットどか)を
バンバンかってやるんだ!
その程度のことしか頭になかった。
家を出るという発想もなかったかもしれない。
ちなみに部活(吹奏楽部)が忙しかったことと
学校の決まりで、自由にバイトはできなかった。
唯一体験したバイトは母親のパート先
野菜・果物のパック詰め工場を冬休みにちょっとだけ。

履歴 4

2005年12月18日(日) 5時39分
よく考えてみれば、中学3年間通った塾代だって
結構かかったはずだし
お金のことだけで公立高校に受かってくれ!
と言われていたわけではないのかもしれない。
親が行ってほしがっていた高校(=入学した高校)は
家から近いので徒歩で通うことができ、
私の成績でも無理のない範囲のランクで
進学校とは言っても、
毎年10名くらいは就職しているらしいことがわかっていた。
その就職実績には「公務員」も数名含まれていた。
私自身、中学の頃から「高校を卒業したら就職」という考えはあり
どちらでも選べそう、という安易な考えと
親の希望を汲み取った結果、志望校をその近所の高校にした。
親は一応「あんたが選んでいいよ」、とは口では言っていたけど
親に従うことしかしらなかった私は、
いろんな理由をつけて、親の希望を無意識に最優先していた。

思えば「公務員になりなさい。安定していていいよ〜」と
母親から言われたのって中学の頃だったろうか。
小学生の時、母親がクラスの名簿
(当時は個人情報に対する意識も浅く、親の職業まで記載されていた)
を見て、「○○ちゃんのお父さんって公務員なんだー!いいねえ」
と言ったのを聞いて「公務員てなに?」とたずねたところ
「給料が安定しているのよ」だか「給料がちゃんと出るのよ」だかと
言われた記憶がある。
別にそのとき、「よし、私は公務員になろう」なんて思わなかったけれど
公務員というのは母親がうらやむような職業であることは感じていた。

ちなみに私の父親は測量技師で
母と結婚した当初はけっこう大きめの会社で働いていたが
その後、引き抜かれては会社を転々とし
移るたびに会社の規模は小さくなっていき
ついにはリストラに合い(家を建てた直後)
現在は準社員という弱い立場で測量の会社に勤めている。
建てた家のローンを支払うのが精一杯らしく
父は最近日曜の朝(今頃?)、新聞配達のバイトをしているらしい。

履歴 3

2005年12月17日(土) 0時12分
どーにかこーにか受験を突破して
志望校(近所の進学校)に入学できた私。
新しい高校生活をエンジョイのはず・・が
中学3年間を、「高校合格」のことだけ考えて
「受験さえ終われば・・!」とひたすら思い続けてきたため
すっかり気が抜けてしまっていた。
一応、中学でも入っていたブラスバンドに
中学の部活でも一緒だった子と共に入部したりはしたが
クラスになじめなかった。
というか、中学の時みたいに
がんばってなじむ気が起こらなかった、ともいう。
それでも、少ないけど、仲の良い友達も出来た。
(その子たちとは今でも友達付き合いが続いている。)

とにかく高校生活は私にとって苦痛の連続だった。
中学も、塾通いやら受験のプレッシャーやらたくさんあったけど
目標に向かっているうちは気を張っているから
あまり感じなかったんだな・・。
いわゆる「燃え尽き」ってやつだったのかな。
1年の時は、クラスを仕切っていたのが「高校デビュー」のアホ男子どもで
もっさい私はそいつらから気に入られず、「キモイ奴」扱いされていた。
女子の多くともまた、なじめなかった。
中学の時のやり方は、ほぼ通用しなかった。

2年、3年でもなかなかクラスになじめず。
部活のメンバーに依存していた。
なんか、いかにも「女子高生」
(もちろんルーズソックス着用。私も1足だけ持ってた・・)
の子たちのノリ
(休み時間に廊下で「イエーイ!」って集団写真撮るのが流行ってた)
にもついていけず。とにかくもっさかった。

履歴 2

2005年12月13日(火) 10時58分
中学校に入ったら、いつの間にか塾へ通うことになっていた。
高校受験のために必要だと、どういうルートでだか知らないが
母親が決めてきたのだった。
学力でランク付けをされる仕組みで、
私はギリギリ一番上のコースに入った。
3年間通ったが、放火したいくらいこの塾が大嫌いだった。
週3日、午後6時から9時まで、休憩なしで講義受けっぱなし。
眠くならないほうがおかしいだろ。と今となっては思う。
実際居眠りばかりして、注意されたものだった。

一度母に「塾をやめたい」と泣きながら抗議したが
「やめてどうすんの!受験があるでしょ!」と一喝され
やめることはできなかった。
同世代の人は、みんなこんな感じで受験に追い立てられていたと思う。

なぜ、高校に受からないと行けないのか。
うちの場合、主な理由は、「私立高校はお金がかかるから」
私の地元では、私立より公立のほうがランクが上、とされていることもあったけど
親からは、「近所の公立高校に通えば、通学費も少なくてすむから
おこずかいも多めにあげられるよ」
(=私立なんてとんでもない!うちはお金がないのよ!)
というプレッシャーをかけられた。
うちがあまり裕福でないことは、小さい頃からの母親の愚痴により
しっかり私と、2人の妹たちには刷り込まれていたから
「家族のためにも、私のおこずかいのためにも
とにかく余計なお金がかからないように、公立に受からなければ」
そういうプレッシャーを背負い込み、とにかく受験に合格することだけを
目指して中学時代を走り続けた。
(その割には、私が高校に入ってから
郊外にちっぽけな家を無理して建てて
今でもその借金を返せなくて困ってるんだよね。うちの親。)

塾は嫌いだったけど、学校はまあまあ楽しかったことが救いだった。
思春期特有の悩みは絶えなかったけれど。
「暗いやつ」っていじめられないように、
学校では必死でテンションあげてピエロになってた。

履歴 1

2005年12月13日(火) 10時43分
自分の過去を振り返ってみる。

小学生の頃、私はお勉強のできる子供だった。
授業中は積極的に発言し、児童会の副会長
(「副」ってとこがポイント)なんかも務めてた。
家ではドリルを買ってやらされていたけど
どの教科もそれなりにおもしろかったし
テストで点を取るのも楽しかった。

でも集団で遊ぶのが苦手で、
トロいのでいつも鬼ごっこでは鬼から脱せず
泣いてその場をしらけさせる寒いヤツだった。
運動が苦手で、外遊びが嫌い。
一人でいるのが好きで、本ばかり読んでた。

幼稚園のときも、大体そんな感じで
ホールの中を、一人でブラブラして
気が向いたらトランポリンやらお絵かきやら
適当にやっていたなあ。

母親はそんな私に
「暗い!もっと明るくしなさい」「外で遊びなさい!」
というようなことを、よく言っていたものだった。
家に帰って母親が出かけていて居なくても
あんまり寂しいと思わなかった。
むしろラッキーくらいに思っていたような。
寂しさを自覚できなかっただけかなあ?
一人のほうが、気が楽だったから。
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