攻撃と防衛。
2006年01月11日(水) 12時41分
『 トリが好き 』 と題して、外罰性と、内罰性に触れました。
ここでは、もう少し、そのことを掘り下げてみましょう。
『 窮鼠 猫を噛む 』 というコトワザがあります。
追い詰められたネズミは、恐ろしいネコに噛みつくことだってある。
という意味だと解釈しています。
『 せめる 』 という言葉を変換すると、
【 責める 】 という語と 【 攻める 】 という語が出てきますが、
このあたりは、 【 責める 】 と 【 攻める 】 の類似性を、
大和言葉((訓読み))が示しているのだと思いますが、
そのことを書き出すと、ドンドン話が逸れそうですので、
ここでは、 【 責める 】 と 【 攻める 】 はケッコウ似ている。
とだけ、書いておくことにします。
声に出して言えば、同じですよね^^;
外罰者((初めから人のせいにしちゃう人))の 【 せめる 】 は、
【 侵略的攻撃 】 である傾向が強いと思います。
根っからの外罰者は、他者を 【 せめる 】 ことを当然だと感じているようです。
ですので、 【 誰かを せめる 】 ことに、罪悪感を感じない様子です。
内罰者((まず、自分の責任と感じちゃう人))も 【 せめる 】 ことをします。
それは、 【 防衛的攻撃 】 である傾向が強いと思います。
ときには、 【 先制攻撃 】 をして、 【 侵略的攻撃 】 を防ぐこともあるでしょう。
しかしながら、内罰者は、他者を 【 せめる 】 ことを当然と感じられません。
ですので、 【 誰かを せめる 】 ことに、罪悪感を感じるのだと思います。
この 【 罪悪感 】 というものが、大切な概念だと、僕は考えています。


