記念日。

2006年09月18日(月) 5時07分
 
 
さりとて僕は、記念日と言うものに拘らない人間なのですけれども、
今日という日は、忘れられない一日になることでしょう。

【 個性 】 という言葉がありますけれど、
鮮烈な 【 個性 】 を 垣間見た時、心が震える感覚があるものだと思います。

いえ、万人にあるかどうかは別にして、僕にはあります。

自らに厳しく、甘えることも無く、(( 本人は 甘えていると思っているようですが
かといって本人は 【 努力 】 が足りないと、心から思っているようすで。

そのような人に出会うと、心から尊敬してしまいます。

その純粋さ、直向さに触れると、心が洗われて、自分も頑張らなくては、
と、刺激を受けて、疲れも癒されるという感じでしょうか。

この記事には、きっと続きがあります。

その昔、脚本に書いた台詞を、抜粋して載せたい気分になりました。

現在、脚本を捜索中です。

脚本が見つかったら、抜粋して載せるつもりですけれど、
つまらない台詞だったような気もしてきましたけれど、
あまりにも つまらない台詞でしたら、載せられませんけれど、
脚本が見つかったら、もう一度、検討したいと考えます^^;

… 10年以上に書いたものだから … 
拙い文章なんでしょうねえ^^;

いえ… 今も 拙いのですけれども。

愛。

2006年09月08日(金) 4時00分
  
 
さて。

いきなり 【 愛 】 ですけれども、
『 愛とは何か? 』 と よく訊かれたり、考えさせられたりします。

僕はシバシバ、補完愛と、共鳴愛に分けますけれど、
もちろん、それだけで済むような 単純なお話でもないわけで…。

そこには トキメキだとか 尊敬だとか 安心だとか 
無償だとか 下心だとか 同情だとか 可憐だとか
なんだかんだと いろいろな要素が ゴチャゴチャと絡み合ったりしていると思います。


愛を アガペーと フィリアと エロスに 分けてみたりだとか、
いろんな思想だとか カテゴライズなんかがあったりしますし、
愛と恋は どう違うのだろうかとか 真剣に議論したりすることもあったりなどしますけれど…。


『 一緒にいて 居心地がいいなら いいんじゃないですか? 』
とか、答えてしまったのですけれど、
これはチョット、答えになっていないような気もしますけれど、
…けれど、こうとしか答えようがなかったりするのでした。


もし よろしければ そのあたり ご教授くだされば 幸いです。


そんなあたりを ディスカッションできるように 
掲示板など作ってみようかと思ったりするのでした。


それにしても 
恋は 心が変になると書く。 
愛は 心を受け容れると書く。
と言うのは とても 言いえて妙だと思ったりするのでした。


 

一周年。

2006年09月03日(日) 3時47分
 
  
一年がたちました。

あっという間だったような、とても長かったような、不可思議な一年でした。


それなりに頑張れたような、今ひとつ頑張りが足りなかったような…
微妙な感じですけれど、まあ、頑張ったということにしておこうと思います^^;


ホントに 色々な人の助けを受けました。
本当にありがとうございます。
そして、これからも、よろしくお願いいたします (( 他力本願

こころ30年計画の2年目ですけれど、今年は安定をテーマにしたいところです。


そのためには、まず、自分の心を安定させなくては…。


それから、来年初頭には、劇団を発足させるつもりですので、
その筋の方は、どうか、ご協力のほど、よろしくお願いいたします^^

まずは、実験的に劇団を作って、ある程度 できる状態になったら
名称を変更して、本格的に 旗揚げするつもりですので、よろしくです^^


 

孤独。

2006年08月06日(日) 8時39分
 
 
さて。

なんだかんだと、バタバタ、ジタバタとしている間に、8月になってしまっていました。

どうでもいいようなクダラナイことから、重大事件まで、
様々なことのあった、激動の数週間でしたが、
なんとなく、小康を保つような雰囲気を醸しだしている気配です。


と、書き始めたとたんに、またもや悩ましい問題が持ち上がり、
そのことを、あれやこれやと考えたり、対応したり、悶々としていたりしているうちに、
瞬く間に2週間が過ぎているという始末。


何を思って、この文章を書き始めたのかさえ分からなかったりするのですが、
薄らいだ当時の記憶を引っ張り返してみると、
どうやら、孤独との闘いと言うことを書きたかったのだと思われます。


きっと、この頃、僕はとても 【 孤独 】 だったのでしょう。


かといって、今現在、 【 孤独 】 では無くなったわけでもないのですが、
ことさらに そのことを抽出し、再考する必要の無い状態になっているようです。


振り返ること20数年前、
『 人生とは、孤独との闘いであるな… 』 
などと、分かったようなことを考えていたあの頃を、
遠い目をして思い出したりしてみるわけですが、
今もなお、
『 人生とは、孤独との闘いなのかもしれない 』 
と、考えていたりするあたり、進歩がないというかなんというか…。


建設と破壊。

2006年07月15日(土) 8時35分


何事においても、 【 建設する 】 ということは、なかなかに難しいことなのだと思います。

それにひきかえ、 【 破壊する 】 ということは、思いのほか簡単なことのようで…TT


ある共同体において、多数の人が建設的にガンバっていたとしても、
たった一人の 【 破壊者 】 に よって、
建設していたものが破壊されることも、よく見かける光景なのかもしれません。


… あまり、良いことではないのでしょうけれども …



僕の座右の銘は 【 他力本願 】 なのですけれども、
最近は、 【 刹那的かつ建設的に 】 という言葉が気に入っていたりします。 

… えと … すみません TT  
勝手な造語ですので、ググろうとかしないでくださいねTT

一見、矛盾しているかのように思われがちですが、あながち矛盾してるとも言い切れないのではないか?
とか、自画自賛していたりするのですけれど、誰も褒めてくれないから、自分で褒めるしかないわけで、
そのあたりから、僕は、自分で自分を褒めて育てる方針を採らざるを得ない…
というのは、また別の話なのでしょう。


 

治療という事

2006年07月01日(土) 5時57分
 
 
 
さて。

医者になって 20年弱…

【 治りますか? 】 と訊かれる事がしばしばありました。

僕がまだ、脳外科医としての仕事に比重を置いているころ、
このセリフには、随分悩まされたような気がします。

基本的に僕は、治療とは、病気・怪我をする前の状態まで回復する事。
と、考えていますが、果たして 後遺症なく、治癒してくださるのか…。
いつも 悩んだり、色々と足掻いていたりしていたような気がします。

後遺症が残った患者さんからも、
『 ここまで回復するとは思いませんでした 』 と、
お礼を言ってもらったりする事もありましたが、
やるせないやら、無力感を感じていたりなどしつつ、
患者さんの笑顔に救われていたような気がします。

脳というのは、かなり特殊な臓器ですから、いろいろな後遺障害が出やすいですから、
違う領域の医者を 羨ましく思った事もありましたねえ…

そうです。
【 治療 】 に話を戻しましょう。

例えば骨折。
折れた骨がキチンと融合し、元の筋力に復したなら、これで治療は完了でしょう。

たとえば その患者さんが
『 100mを 10秒で走れるようにしてください 』 と言ったとしましょう。

もともと その患者さんが 10秒で走れていたなら、それは治療の一環といえましょう。
しかし、もともと 15秒でしか走れていなかったのだとすれば、10秒で走るためには、
努力だとか、教育だとか、様々な成長因子が必要なわけで、
これは治療の領域ではなさそうです。

優美。

2006年04月13日(木) 1時18分
 
 
というわけで。

最近 【 エレガンス 】 なる言葉を しみじみと考えていたりします。

僕には、もっとも縁のない言葉なのかもしれません。

ある人に言わせれば、僕は深爪だから、優雅ではないとのことですが、
それは 大いなる誤解であって、どこからどうみても、
深爪だとか、フカヒレだとかは関係なく、僕は優雅ではありません。

これは真であり、それは自明なわけで、
それは あたかも、
『 地球は丸い 』 だとか、
『 時は止まらない 』 だとか、
それくらいアタリマエなことであって、
『 神は死んだ 』 だとか、
『 我 物思う故に 我あり 』 だとか、
解釈の相違により変動するものではなく、
『 イチローが投手になる 』 だとか、
『 ヒデがボクサーになる 』 だとか、
ほんのわずかでも可能性を残すことでもありません。


そういうわけで、 【 エレガンス 】 って なんだろう?
とか、考えているわけですけれども、なんなんでしょう?


ぼけ〜〜〜っと、
『 ああ… 【 エレガンス 】 で あるなあ… 』 
と、感じることが、時々あるわけですけれども、
これはかなり、感覚的なことなのだと思われます。


思い起こしてみると、僕は随分と、この 【 エレガント 】 な要素に憧れているようです。


そしてどうやら、 【 エレガンス 】 なるものを、女性的と考えているのだと思われます。


【 エレガンス 】 の規定を考えてみたりすることは時間のムダかもしれませんけれど、
そんなことを言っていると、何もかもが時間のムダに思えてきますので、
ちょっくら規定してみたいと思います。


近代人。

2006年03月30日(木) 16時01分
  
 
ところで。

先日、恐るべきことを耳にしてしまいました。

真偽のほどは定かではないのですけれど、
現代史においては、僕は 【 近代人 】 に分類されてしまうというのですTT

なんでも 1980年以降に生まれた人が 【 現代人 】 なのだそうで…

現代に生きていても 【 近代人 】 というのが、妙に可笑しくてw

思いっきり 気に入ってしまったのでした。

というわけで、僕は、【 現代人 】 ではなく、 【 近代人 】 なのです。 

さくさくっと 辞書を引いてみましょう。

 【 近代人 】 
近代の特徴である自我に基づいた人間主義、合理主義などの近代思想を身につけている人。

… ふむふむ …。 なるほろ…。

ということは、僕は 【 自我 】 に基づいた 【 人間主義 】 【 合理主義 】 などの
【 近代思想 】 を身につけている人だということになりますね。

… なんといいましょうか …

言葉の多義性に基づいた、なんだか言葉遊びのようなことになってきましたけれど、
そもそも 【 人間主義 】 なんていう言葉が、多義でもありますし、
【 合理主義 】 なんていうものも、理の数だけ合理性も多様なわけですし、
【 自我 】 なんていう言葉も、曖昧模糊とした言葉なわけですから、
こうなってくると、もう、なにがなんだか よく分かんない状態になってしまいますが、
とにかく僕は、現代に生きているのだけれども、 【 近代人 】 なわけです。 


というわけで、僕はこれから、
『 【 近代人 】 として言わせていただけるなら… 云々 』
『 【 近代人 】 的感覚では… 云々 』
などという言い回しを、とても好んで用いることになるのだと思います。

そして、よくわかんなかったり、都合が悪くなったりすると、
『 【 現代人 】 的感覚は理解し難い… 』 
などと言い訳をすることになることでしょう。


ということで、僕がイロイロと訳の分からないことをしでかしても、
『 … 【 近代人 】 だから、しかたないか… 』 と、
哀れんだり、諦めたりしてあげるのが良いような気がします^^;

ゼロ。

2006年03月19日(日) 2時54分
 
 
 
眠りました。

とことん、眠りました。

一日を24時間とするなら、三日は72時間。

三日のうち、50時間ほどを眠りに費やしたわけですけれど…。

… 思いのほか、疲れていた様子ですTT

眠るということは、
疲れの借金を返済しているようなもので、
疲れという借金を返済しているわけですから、
たくさん眠れたのなら、
『 とっても疲れていたのだな… 』 と、
シンプルに解釈するのが良いようです。

よく、『 食いだめはできても、寝だめはできない 』 と言われますが、
それはとても、言いえて妙だと思うのでした。


ともかく。

出張だらけの生活から開放され、僕も人並みに、【 休日 】 を 手に入れたのですが…
TT … 正直 … うれしいです^^


今日は 【 0 】 について 書いてみましょう。

ゼロというのは、不思議な概念で、『 何もないことを表した記号 』 です。

ここで、ヒトの 【 疲れ 】 と 【 気合 】 を 例にとって考えてみましょう。

疲れが0のとき、気合が0なら、0−0=0 となり、0 で よさそうです^^
とても平和な状態なのだと思います。

疲れが10のとき 気合が10なければ 10−10=0 を作れません。
これは、一応 0 ではあるわけですけれども、
10の疲れと、10の気合で、相殺された 0 ですから、
0−0=0 よりは、少し、いろいろと問題を含みそうです。


疲れが100のとき 気合が100なければ 100−100=0 を作れません。
これも 一応 0 ではありますけれども、
かなりアンバランスな状態での 0 と言えることともいます。

ニュートラルな状態にいるために、100や200の気合が必要なら、
それはきっと、ほんとの意味での 【 ニュートラル/0 】 ではないのでしょう。


似たようなこと。

2006年01月08日(日) 12時35分
 
 
僕的には、随分長く、日誌なるものを書いてきたわけですけれど。
…まあ、アトヅケ日誌だったり、昔の文章で穴を埋めたりしているわけで、
とても日誌と言えるものではないという意見もありましょうが、
そのあたりは、勝手に目を瞑ることにしたいと思います^^;

こうして書いていると、
『 なんだか、似たようなこと書かなかったか?? 』
とか、シバシバ思うわけですけれども、
忘れっぽいというか、発想が貧困というか、
似たようなことばかり書いている気もしますが、
そのあたりも、あまり気にせずに書くことにしました^^;

いわゆる 【 ヒラキナオリ 】 というヤツですね。


僕はシバシバ、【 人の記憶は三ヶ月で失われる 】 と、
言ったり書いたりしているわけですけれど、
それはやはり、大脳生理学的に真であると、感じていたりします。

というのは、僕が、この記事を書き始めたのは、
実は昨年の10月だったりするのでした。

10月といえば、
7月1日から、日誌を付け出してから、チョウド三ヵ月後…。

そうですね。
自分が、何を書いたかを、忘れてしまっていて、
『 なあんか、書いたことがある気がする…かも? 』
とか、困惑してしまい、書きかけた文章を投稿できなくなったのでした。

そして、今や1月…。
…10月の困惑から三ヶ月後。

僕は、困惑していたことさえ忘れて、
また、新たなる気持ちになれるのでした。
キッチリ三ヶ月で、やはり記憶は薄らいでいるようです。
(( 書いていて、情けなくなってきましたが…TT


というわけで。

これから、サクサク日誌を更新できる予感がするのですけれども、
『 前に書いてあったぞっ 』 とか、あるいは、
『 前に書いてあったことと、違うぞっ 』 なんてこともあるかもしれません。

そんな際は、ビシバシご指摘ください^^


一応ブログって、コメント機能がありますので、
なんとか 【 双方向性 】 を保てる可能性がありますから、
そのあたりも嬉しかったり、期待していたりもして^^;


とにもかくにも、
なあんか嫌なことがあっても、
三ヶ月間過ぎれば、忘れてる可能性も高いので、
【 三ヶ月間様子を見る作戦 】 は、おすすめです^^

 
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