変化するうどんの呼び名 

March 23 [Wed], 2016, 10:00
鎌倉中期頃から、水田裏作として、オオムギ・コムギの栽培が始まり、コムギ粉の入手は比較的容易になるが、両方の理由が考えられる。



中国のめん料理の発展の経過にも同じことがいえる。



日本の明治期に、華僑の居留地に現れた手で延ばす拉麺は、手打ちから機械打ちの切りめんに、いち早く切り替えられていく。



このときには、すでに、両者の技法が習得されている。



室町期になると、切りめんが普及し始め、うどんという呼び名が使われ定着してくる。



『日木食物史(上)』(雄山閣出版)によると、「饂飩といふ言葉は室町初期の辞典に見え、餓鈍といふのは室町末期のものに見える。うんどんがうどんに約まるまで100年余かかつてゐるらしい。尤もうんどんといふ菖葉も後まで残り、天明の江戸町中喰物重寳記にも干うんどんと見えてゐる」とある。



江戸期になると、うんどん・うどん・おんとん・あつむぎ・うんどん・うどんなど、さまざまな呼び名が出てくる。



うどんの名称の移り変わりについて、江戸中期の『嬉遊笑覧』によると、混沌という文字が、後に食偏に書き替えられ、煮て熱湯に浸したので温鈍ともいわれたが、これは呼び名を取り違えている、あつむぎのことであるとある。



混沌は、平たく延ばした生地に、刻んだ豚肉のあんを包んで煮たもので、後のワンタンになり、一方、めん線状のうどんに変わる。



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うどんの発祥 

March 09 [Wed], 2016, 10:00
うどんは、めん生地を薄く延ばし、そうめんのように油は用いず、グルテンの形成を強靱にするために食塩を加え、手で延ばすのではなく、めん棒で延ばし、庖丁でめん線状に切る、手打ちの切りめんである。



すでに触れたように、中国では、唐代に不托と称する切りめんが現れ、宋代には、庖丁で切る縫帯麺が作られる。



その後は、切りめんが、続々と登場する。



一方、『一衣帯水中国料理伝来産史』によれば、「日本の平安中期から鎌倉中期までは、中国の宋代で、この時期は、中国の麺類の完成期で、それまでの湯餅・水引餅・牢丸などと呼ばれていた麺類が麺と呼ばれるようになり、現在と同じように名称の末尾に麺という字がつくようになる。



日本もこのころ麺という字が使われ出したので、宋代になって名称・製法ともに再伝来したものと考えられる」とある。



すなわち、宋代に、めん料理が完成すると、唐代の餅は、麺と呼ばれるようになり、その麺が、留学僧により再伝来したことがわかる。



日本では、切りめんは、いつ頃から始まったのだろう。



法隆寺に残る『嘉元記』に、「ウトム」とあるとする説、14?五世紀の南北?室町期からとする説がある。



きりむぎ(切り麦)という言葉は、室町後期の『山科家礼記』にみられる。



室町初期の『庭訓往来』に、饂飩・饅頭・素麺・基子面などの文字がある。



中期の『尺素往来』には、索餅は熱く蒸し、栽麺は冷やして濯うとある。



しかし、日木における「切りめん系」のルーツについては、残念ながら明確な答えは得られていない。



再伝来した鎌倉から南北朝の頃に作り始めたのだろうか。



なぜ、庖丁で切る「切りめん系」のめん打ちの導入が、「手延べ」よりもおくれたのだろう。



手で延ばす操作の方が簡単だったのだろうか、切りめんを作るほどには、コムギ粉が潤沢に採取できなかったのだろうか。



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そうめんの食べ方 

February 26 [Fri], 2016, 10:00
そうめんの漁で方や食べ方について触れていく。



茄で方につては、蜀山人の狂歌に、「投げつけて見よ素麺のゆでかげん、丸にのの字になるかならぬか」とある。



そうめんの茄で加減に、当時の通はかなり気を使っている。



厄の効いたそうめんが珍重される。



厄とは、そうめん独特の現象で、寒中に作られたものが、梅雨を1回越すごとに、2年もの・3年ものとなる。



茄で伸びが遅くなり、特有の喉越しを楽しむことができる。



江戸中期の『和漢三才図会』によると、茄でたときに、油分の沫は取り除く、沫のなくなった状態がよいとある。



食べ方については、『本朝食鑑』によると、



?うどんや冷やむぎと同じように、つけ汁を用いるとよい。



?好みにより、味噌や醤油仕立ての煮込み(入麺)にする。



?卸しダイコンは、毒消しになり風味もよくなる。



?7月7日の七夕に、そうめんを食べるとある。



そうめんを供えた七夕祭りは、女性が、縫い物上手になる願いを託している。



江戸の中期頃から、七夕にそうめんを贈答する習慣が生まれる。



縁起物のそうめんは、2?3メートルもあり、食べるときに随分苦労したらしい。



江戸前期の『女重宝記』によると、女性のそうめんの食べ方について、



?うどんと同じように食べる。



?男のように、汁をぶっ、かけてはいけない。



?薬味(ショウガ・ワサビ・唐辛子)は使わない方がよい。



臭いものはいけないとある。



中期の『女諸礼綾錦』に、



?汁を下において、椀よりめんを一?二箸入れ、猪口を手に持って食べる。



?その後は、猪口を手にもったままでよい。



?汁を追加したときは、再び、同じようにする。



?辛味は入れなくてもよい。



?食べ終わったら、汁を皿のなかにあける。



?亭主も、それ以上は勧めないとある。



中国から伝えられた、「手延べそうめん」は、全く、日本式の食べ方に変えられ、受け入れられたのである。



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麦縄から索麺に 

February 02 [Tue], 2016, 10:00
索麺の作り方は、居家必用慕類全集』のなかに二通りある。



少し丁寧に繰り返すと、一つは、油を用いる方法で、コムギ粉を用い、塩を入れずに油だけを加えて捏ね、さらに、油でよくもんで油紙でおおい、四時間寝かせてから、箸ほどの長さの竿にひっかけ、捩じるようにして細く延ばす。



表面の油がなくなると、延ばしにくくなる。



もう一つは、油を用いない方法で、コメ粉をうち粉として揉みながら、延ばすときにも打ち粉を用い、ねじりながら、3?5回延ばしていく。



太いものは、もう一度延ばし、乾いてから、鍋で煮る。



いずれの方法も、捩じる操作により、めん線が切れるのを防いでいる。



しかし、コメ粉では、表面にひび割れができて切れやすく、あまり細くならない。



油を塗布すると、ひび割れができにくい。



江戸中期の『和漢三才図会』には、さらに詳細なそうめんの作り方がある。



基本的な考え方は全く同じで、この「手延べ」の技術は、今日まで引き継がれている。



索麺が、素麺という字に変わるのは、南北朝頃からである。



江戸前期の『本朝食鑑』に、索には、縄をなうという意味があり、色の白いことを素というので、索と素とを取り違えたためとある。



精進料理を好む僧院では、索麺をよく食べた。



この僧院の食べ方から、索麺と呼んだとする説がある。



そうめんという呼び名は、室町期になると、急速に普及する。



そうめんの女房言葉に、「そぞろ」「ぞろぞろ」がある。



ほそもの(細紐状)という意味か、食べるときの音を模したものらしい。



このようにして、そうめんに適した国内産のコムギがとれる地域に、名物そうめんが続々とできあがる。



江戸前期の『毛深草』によると、名産地として、大和の三輪、山城の大徳寺、伊勢、武蔵の久我、越前の丸岡、能登の和嶋、備前の岡山、長門の長府、伊予の松山など、11個所が元記されている。



そうめん作りは、冬季の農家の副業として発達する。



とくに、大和三輪索麺は、『日本山海名物図会』に、絵入りで詳しく紹介される。



古代信仰の地、三輪山周辺の冷え込みの厳しい奈良盆地が、質のよいそうめんを生み出している。



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手延べそうめんの発祥 

January 21 [Thu], 2016, 10:00
平安中期の『延喜式』に、索餅の作り力がある。



現代のレシピに置き換えると、コムギ粉70パーセント、コメ粉30パーセントに、食塩2.4パーセントを混ぜ合わせる。



コメ粉を配合すると、めん線は切れやすく、細長く延ばすことはできない。



索餅をそうめんの祖型と考えた場合に、最も疑問視される点である。



しかも、この頃は、油は塗布していない。



ところが、索餅には、揚げ菓子の一種、そうめんの祖型とする説もある。



しかし、索餅の作り方は、古代中園の文献には見当たらない。



索餅は、日本に伝えられると、麦縄・無木奈波・牟義縄と呼ばれ、後に、索麺が現れ、素麺になる。



江戸中期の『和漢三才図会』によると、「索餅は素獅(麺)なり」とある。



この断定がいささか軽率であっても、索餅の情報は、後め素麺のなかに引き継がれている。



平安後期の『今昔物語』に、「寺ノ別当ノ許ノ麦縄、蛇ト成レル」とある。



欲深の坊主が、夏に人気の麦縄を客に出し、旧麦は薬になると残りを隠しておいたら、蛇に変わった物語である。



そして、鎌倉期になると、索麺の製造技術が、中国から再伝来している。



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唐菓子の伝来 

January 08 [Fri], 2016, 10:00
奈良から平安前期頃は、遣隋使や遣唐使により、留学生や留学僧が行き来した時代である。



この時代に、中国から唐菓子というものが伝えられる。



これが日本の菓子の始まりである。



と同時に、めん食文化の開幕でもある。



しかし、伝えられた8種類の唐菓子と34種類の果餅が、今日の何に当たるのかは必ずしも明確ではない。



しかし、このような唐菓子は、儀式や宗教行事、貴族などの上流社会の嗜好食であり、庶民には無縁の食べ物であった。



むしろ、唐菓子伝来の意義は、コメ粉やゴムギ粉など、粉食に対する新たな認識が芽生え、粉食加工が発達する契機となり、蒸したり、焼いたり、油で揚げたりする技法が伝わったことである。



このことが、その後の日本の食文化の進展に大きな影響を与えている。



日本のめん食は、手延べそうめんに始まっている。



江戸期になっても、乾めんの主流はそうめんが占めている。



そうめんへの発展経路をたどると、索餅→(麦縄)→索麺→素麺となる。



索餅と麦縄噛、意味が近い。



しかし、索餅については、不明な点が多い。



索餅は、唐菓子として、日木に伝えられる。



『一衣帯水中国料理伝来史』(柴田書店)によると、「奈良朝は、だいたい中国の唐代初中期に当たり、中国で湯餅(うどん)が細く長いものであることがはっきりする時代である」とある。



奈良期には、索餅が盛んに食べられている。



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不思議なほうとう 

December 27 [Sun], 2015, 10:00
ほうとうは、山梨県を始めとして、ほうとう・ほうとう・ぼうと・こほうとう・はっと・はっと汁・はっとう・ほうちょう・ほうちょう汁など、全国各地のめん料理にみられる。



すいとんは、コムギ粉をゆるいバッター状(ケーキ生地)に溶いて、つみれ風にして煮込んだものをいう。



これも各地の郷土料理に、すいとんやだんご汁としてみられる。



食塩を入れない生地を、めん線状にしたのが、ほうとうであり、団子状の塊にしたのが、すいとんやだんご汁である。



『日本人の味覚』(中央公論制)によると、



?日本列島の東側に入ると、めん類文化はしだいに姿を消し、糊食文化が現れる。



?富士山と赤石山系の間を走るフォッサマグナ線を越すと、糊食文化圏を形成する。



?その西限が、名古屋の煮込みうどんである。



?山梨県は、日本列島の糊食文化センターの一つであるとある。



このようにして、糊食やめん食大好きな日本人は、中国人とは異なった独特なめん食文化を築き上げたのである。



つぎに、時代を追いながら、日本のめん食の歩みの各論を展開していこう。



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独特な糊食文化の形成 

December 10 [Thu], 2015, 10:00
独特な糊食文化の形成についてである。



中国からのめんの技術を吸収し同化していく過程で、日本人は、めん生地に独特な趣好を凝らしている。



すなわち、食塩を加えるものと、食塩を加えないものを、使い分ける技を考え出している。



食塩を加えたコムギ粉生地は、グルテンの形成が強靱になり、そうめんやうどんができる。



一方、食塩を加えない柔らかい生地では、めんとは異質の食べ物ができる。



ほうとう・すいとん・だんご汁の類いである。



このような生地を、汁のなかでよく煮込むと、汁がしみ込んだ独特の風味と、柔らかい歯触りが楽しめる。



全国の郷土料理にみられる、糊食文化である。



例えば、山梨のほうとう、名古屋のみそ煮込みうどんが知られている。



ほうとうは、かなり古い時代から存在した。



平安中期の『枕草子』に、ほぞちほうとうとある。



ほぞちは、ほぞおちのことで、よく熟れた果物(瓜)を入れて煮込むとある。



鎌倉前期の日本最古の料理書『厨事類記』に、今日と変わらないほうとうの作り方が出ている。



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僧院との関わり 

November 27 [Fri], 2015, 10:00
僧院との関わりについてである。



幾つかの具体例をあげていく。



?七世紀の初めの推古天皇の頃に、高麗より僧侶の曇徴が、眠瞠を伝える。



?九州太宰府の観世音寺には、巨大な礫硅が現存する。



?一三世紀の鎌倉中期に、東福寺開山の聖一国師は、『大宋諸山図』をもたらし、製粉やそうめんの作り方を伝える。



?一八世紀の江戸中期に、浅草道光庵(世田谷に移転)の道光和尚は、生まれ故郷の信州のそば打ちに凝り、門前市をなす賑わいとなる。



いずれも、めん食文化に残る挿話である。



『文化麺類学麺談』(フーディアム・コミュニケーション)によると、僧院でのめん食について、



?寺方では、手判ちめんのように手間隙のかかる料理ができた。



?うどんは、鍋を囲む共食の世界に相応しい。そばは、個食の食べ物として嫌われた。



?『典座教訓』にも、うどんは、ハレの日の食べ物とある。



?食べ方は、湯づけか冷水に入れ、ダイコンやミョウガの薬味で、汁は花カツオに生醤油である。



?うどんを、みんなで引きずり出す、「ずり出し」と呼ぶ楽しい内緒食(こっそりとる食事)があった。



?お盆や七夕に、そうめんはつきものであるとある。



このようにして、僧院のめん食が流行すると、一般の庶民にも、大きな影響を与えることになる。



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ハレの日の食ベ物 

November 14 [Sat], 2015, 10:00
めんはハレの日の食べ物ということについてである。



民俗学という新しい領域を提唱した柳田国男は、『木綿以前の事元』(岩波書店)のなかで、ひき臼のない時代には、コムギ粉は入手しにくい貴重品であり、ハレの日だけに、人々は手間隙をかけ、めん(粉食)で祝ったと指摘している。



今日でも、めん類は、ハレの日の食べ物であり、その姿は、多くの郷土料理のなかに生きている。



例えば、「たいめん」は、広島・愛媛・大分の名物めん料理である。



大皿のなかの波に見立てたそうめんの真ん中に、煮上げた大ダイが飛び跳ねる。



そうめんは細長く、タイの煮付けはメデタイので、結婚式の披露宴・棟上式・祭り・宴会・人生の門出に相応しい。



披露宴では、新郎・新婦と客が、初めて対面するという酒落もある。



また、「讃岐うどん」は、1000年も前に、善通寺生まれの弘法大師(空海)が、唐の都の長安(西安)より伝えたとする伝説がある。



田植え・慶弔行事・離乳食・年・越し・結婚式など、あらゆる年中行事に出す。



このように、日本でも、めん類は、ハレの日の食ぺ物であり、細長い形状が、めでたく長寿につながるとする思想がある。



ところが、日本で創作されたラーメンには、このような縁起担ぎは全くみられない。



韓国では、結婚式にクッス(めん)を食べる。



しかし、日本の披露宴で、ラーメンを食べた話は聞かない。



庶民の味ラーメンの不思議さであろう。



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