パチン,パチン。

September 03 [Sat], 2011, 14:37
数日前のことだけど休み時間に中3の女の子が友達に愚痴っていた。知らない人からの申請を深く考えずに受けたらそれが自分と同じ学校にいる芸能活動をしている男子が目当てのジャニヲタだったらしい。自分はそのジャーズ君の従姉の友達だとか彼のためにサプライズ的なイベントを企画しているところだとかそれらしいことをいろいろ言ってメアドを聞き出そうとしてくる。念のためジャーズ君本人に確認したらもちろん教えないように言われたけどたいへんだねと言ったら自分に限らずそんなことはしょっちゅうだよと笑っていた。今度はほかの人に同じことを繰り返すかもしれないから注意を呼びかけるメッセだけは同級生たちに送っておいたんだけど云々。いやはや。最近出た木村紺からんの最終巻を読むいでにずっと積ん読になっていた神戸在住の最終巻も読んでみる。どうやら打ち切りの憂き目に遭ったと思しきからんでは大幅な描き下ろしパートで連載では光が当てられなかったキャラクターにきっちりと始末をけており伏線も回収されて結果実に気持ちのよい終わり方になっている。この描き下ろしのために最終巻の束かが他の巻より目に見えて厚くなっているあたりに作者の意地のようなものが感じられた。彼女のデビュー作で巻まで続いた神戸在住は東京から神戸に引っ越してきた奥手な読書少女のリリカルな学生生活を描いたものだった全体としてほんわかした内容なのに後半近しい人間の病死が非常に重い出来事として描かれておりもしかするとこれは作者自身の体験を反映したものなのではないかと疑わずにはいられない。一方しばらく前に連載が終了したからんは京都のお嬢様学校を舞台とするコミカルかホットな柔道部物語。そしてこのほど掲載誌を移して連載再開した巨娘は傍若無人だがやたら仕事のできるビッグでパワフルな居酒屋店長♀の豪快な活躍を描いた作品舞台は東京である。3作とも好きだけどこの人の引き出しの配置はいったいどうなっているんだろうと思う。どれも群像劇ではあるのだけれど神戸在住と巨娘では主人公のベクトルがまるっきり真逆ではないか。こちらは新作ではないけどきづきあきらサトウナンキエビスさんとホテイさん。エロカワイイ絵柄でエグい展開そうそう都合よくはいかないよと冷や水を浴びせかけるのが定番のこの人たちの作品で本作のように恋が素直に実ってすっきりさわやかハッピーハッピーで終わるというのはかなり珍しいように思う。その数少ない例外になっているのは本作が♂♀のいわゆるーマルな恋物語ではないからか。先日買った児童書に挿し絵を描いているのを見けて懐かしくなったので森雅之のペッパーミント物語の珈琲文庫版を購入して再読。まずは上巻。大して売れていないのだろう買ったばかりの単行本は年5月に出た初版ではさみ込んであった版元ふゅーじょんぷろだくとの広告パンフレットの表紙は同社の親組織にあたる阿佐ヶ谷の映画館ラピュタでその年にロードショーをやった霧の中のハリネズミだった。年という年からコクリと一会釈をもらった気分。この項はちょっと嫌な話なので読み飛ばされることをお勧めします。正直村の住人にあなたは嘘きですかと尋ねるといいえと答える。嘘き村の住人にあなたは嘘きですかと尋ねてもやっぱりいいえと答える。まりこの場合のいいえという返事は相手がどちらの村の住人なのかを確かめる上では何の役にも立たないちなみに単純にどちらかを確かめたいだけならたとえば1たす1は2ですかと尋ねるだけで十分だ。生徒が何か悪さをたとえば宿題での解答写しをやっているのではないかと疑われるときもし清廉潔白であればやったと訊かれてもやってませんと答える。一方実際にやっている場合も認めると面倒なことになるのでやっぱりやってませんとシラをきることが多い。当然見る側にちゃんと目があればその反応からンバーバルな要素をいろいろと読み取ることができるけどやってませんという言葉そのものにはやっぱり何の意味もない。心不全という言葉にもちょっと似たところがあるんじゃないかと思う。これはたまたまペッパーミント物語珈琲文庫版の上巻が刊行される一前の月のことだけど年4月にSさんという女流作家が他界した。歳で亡くなったSさんは僕とちょうど同世代で僕の大学1年のときのクラスメイトには彼女の元同級生で親友だという子がいたりした。その大学1年のころSさんはすでに作家として活躍しておりとても歳の筆とは思えないと騒がれる時の人だったわけだけれど今でもたまに国語の教材に彼女の作品が使われている。Sさん逝去の報道は当初は心不全という形で少し後から自室のドアのフックでのあるいはトイレでの縊死が警察の調べで判明したという形で流された。Sさんと親しかったカメラマン横木安良夫の4月日のブログにも関係者から死因は心不全と聞かされたことがそのまま書いてあり後の自殺報道にはそんなわけないと強く反発している。心不全は心臓の拍出量が低下した状態というだけのことだからそもそも死因を説明する言葉としては不十分であるという。縊死の場合警察の調べを待たずとも少なくとも発見者からすれば死因は明らかなわけだからSさんのような場合の心不全発表は遺族や関係者の作為によるものと考えられる。心臓麻痺等による突然死でも自殺など関係者が世間から隠したいと思うような原因による死の場合もひとしなみに心不全と発表されるのならば誰かの死を報じる公式発表の中でのこの言葉には何の意味もないということになる。という有楽町の日劇にまわる舞台へのコメントで黒柳徹子が話していた。この舞台のような喜劇ではお客の笑いを毎日分析してウケたところをふくらませたりすることで終演までにだいたい2倍くらいまで笑いを増やすことができる。これが悲劇となるとお客の反応がわかりにくくなるが本作で主演を張った森光子から聞いたところによれば客席からパチンパチンという音が聞こえてきたらそれはご婦人方が紅涙を拭うハンカチを出すために開けるハンドバッグの口金の音でこの音でお客がどれだけ泣いているかがわかったという。自分黒柳は最近気づいたのだが今の舞台では客席からシャーッシャーッというかすかな音がする。このポケットティッシュのパッケージを破る音が昔のパチンパチンの代わりなのだという。誰だったか噺家の言葉で一番むっりしておかしくも何ともないという顔をしている客に焦点を合わせてその人に向けて一生懸命に語るそうすればその人が笑い出したころには客席中が爆笑しているというものがあってこれを読んだときは生徒を惹きけるのが苦手な教師もこれを応用することができるだろうかと考えた。黒柳さんの言葉には残念ながら応用の余地はなさそうだ。しばらく前の日記でアイルランドのという反戦歌がアメリカでという歌に書き換えられたことにいて万歳万歳という歓呼の声の中襤褸布のようになった夫を迎える皮肉な悲しさが失われた分歌としての洗練度は後退した感があるというようなことを書いた。群衆の中の孤独なんてものにも近いかもしれないがそういう浮かれた雰囲気が悲しさやさびしさを際立たせるというパターン何かほかになかったかとちょっと引っかかっていて今日夕飯のスパゲッティをすすり込んでいる最中に突然そうか阿倍仲麻呂じゃないかと思いいた。天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも百人一首にも採られているこのあまりにも有名な歌が詠まれた経緯にいては諸説があるらしいけれど一般的には帰国の遣唐使船に乗る前の送別の宴においてであったとされる。まりそれが正しいとすればこれは生涯見ることのできない故郷を懐かしんだせない望郷の歌などではなくいよいよ遠からず本物の三笠の月が見られることを期待していた仲麻呂による浮かれ歌なのだ。彼の乗った第十二次遣唐使第一船大使船が南方に漂流したために仲麻呂は帰国の機を逃すことになったわけだけれどちなみにこのときの副使船には第一船への乗船を断られた鑑真和上一行が乗り込んでいてこちらは無事に日本にたどり着いているその前に詠んだ歌だけが生みの親を尻目にしっかり本朝に伝えられたというのも皮肉といえば皮肉な話だと思う。付記読み返してみると浮かれ歌というのはあまりにシニカルな決めけだったかもしれない。遣唐使船の危なっかしさは当時の人々にとっても自明だったはずだからそれは仲麻呂の祈りだった可能性もあるわけだ。というよりその方がずっとありそうなことのように思われる。
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