ある月夜の光景。

June 25 [Thu], 2009, 23:50
今日は予約更新です。

このせつ未来SS第5弾になります。
初めて読む方はこちらを一読ください。


ずっと、ずっと。


〜ある月夜の光景〜


気付いたのはやはりお嬢様だった。
私が子どもたちを寝かしつけてリビングに戻ったときだった。
普段あまり見せないような、そんな不安げな表情で俯くお嬢様の
姿を見て私は不意に足を止めた。
私が入ってきたことに遅れて気付いたお嬢様はハッとしてすぐに
笑みを取り繕った。
でもそれはもう遅かった。
私は椅子に腰掛けて目の前のお嬢様を見据えた。

「何かありましたか。顔色が悪いようですが」
「あちゃー、やっぱり見られてもうたか」

参った、という風にお嬢様は鼻の横をかいた。
お嬢様は昔からその笑顔で不安も涙も何もかも隠してしまう。
それは大切なひとを悲しませないようにする彼女の特技のような
もので私はいつも騙されていた。
その頃は気付いたときにはもう手遅れで、私は何度お嬢様を
泣かせてしまったことか。
もう思い出したくもない私の失態だ。でも今は違う。
少しずつだが私はお嬢様が隠そうとする思いを見つけられる
ようになった。いや、お嬢様が隠そうとしなくなってきたのか。
とにかく、私たちは一歩一歩確実に近付いていた。
こんな風にお嬢様に素直に訊けるようになった今、私は私の
できる限りのことをする。
だから、私は今精一杯お嬢様の声に耳を傾ける。
お嬢様は決心したのかひとつ小さく息をはいた。

「こうちゃんのことなんやけど、せっちゃん何か気付かへん?」
「木羽、ですか?いえ、私は特に何も」
「……ほっか。せやったらウチの勘違いかもしれへんな。ん、
 きっと勘違いや」

お嬢様は自分に言い聞かせるようにして何度も頷いた。
そんなお嬢様に「それならいいのですが」と、昔の私ならそう
言ったはずだ。

「お嬢様、ちゃんと話してください。悩むなら一緒に悩みましょう。
 だって、木羽の親は私たちなんですから」

ね?と笑うとお嬢様は顔を伏せてしまった。
長い髪の隙間から見える小さな耳が朱に染まっている。
「ずるい」ぽそりとお嬢様がつぶやいた。
お嬢様と私の間にテーブルがなかったら私は間違いなく彼女の
手を握っていただろう。
でもその代わり、私はお嬢様の頭をそっと撫でることにした。
お風呂上がりの前髪はまだ乾ききっておらず少し濡れて艶めいていた。
するとお嬢様の肩がぴくりと小さく跳ねた。
そして上目遣いで再び「ずるい」とお嬢様は不貞腐れたようにぼやいた。
しばらくし、お嬢様はぽつりぽつりと話し始めた。

「木羽が夕羽の真似、ですか」
「うん」
「いつもの真似っこ遊びの類などではなく?」

違う、とお嬢様は首を振った。
いつもの真似っこ遊びというのは、二人がいつも私に電話をかけて
きてはやる恒例の遊びである。
自分たちの声が似ているということを利用して二人は電話口で
「どっちだ」と私をからかう。もちろん私は百発百中で当てる。
声は同じかもしれないが、話す速度や調子など、どこか話し方が
違うのだ。
しかし今回はそれとは違うらしい。

「こうちゃん、急にスカート嫌やー言い始めてな。あないに好き
 やったのに幼稚園の制服以外は穿きたがらんし、それにゆう
 ちゃんと一緒がええってきかないんよ。同じ服やないとぐずって
 泣いてまうし。ほら、こないだやって」

お嬢様の話を聞き、私は思い出していた。
それは私が夕羽の前髪を切っていたときだった。
木羽が「ウチも切って」と駆け寄ってきた。
私は驚いた。木羽は髪を切ることが嫌いだったからだ。
いつも木羽が泣いたまま髪を切っていたためにその言葉は
ありがたかった。そのときは夕羽の次に木羽の前髪を切った
だけで何もなかったのだが……
私は視線をお嬢様に戻した。

「まあ、夕羽は実際姉ですし、どこか憧れみたいなものが
 芽生えたのではないでしょうか」
「……それならええんやけど。ウチ、急にこうちゃんが変わって
 もうてびっくりして」
「子どもは毎日成長していますからね。木羽の今のそれも
 そのうち落ち着くと思いますよ」
「そやろか」
「ええ、きっと。一応明日幼稚園の方にも聞いてみましょう。
 案外園ではいつも通りかもしれませんよ」

そう言って笑うとやっとお嬢様は頬を緩めた。
布団に入ってお嬢様の手を取り考えていた。
本当に大丈夫だろうか。
自分が言ったことはただの気休めではなかっただろうか。
隣には夕羽と木羽が寄り添うようにして眠っていた。
見た目は特に何も変わらないのに、木羽の中では何が起きて
いるのだろう。切ったばかりの前髪はもう綺麗に並び、小さい
ときのお嬢様のそれとそっくりだった。
少し様子を見てみるか。それからしばらくし、私は目を閉じた。

木羽のそれがただの憧れなどではないことを知ったのは翌日だった。





「木羽はっ」
「しー……大丈夫、今はぐっすりや。安心しい」

私は医務室の扉をゆっくり閉めるとお嬢様の隣のに力無く座った。
そんな私の手を握りお嬢様はまた「大丈夫や」と囁いた。
ベッドの上でスースーと心地よさそうに眠っているのは木羽だ。
泣き腫らした目、眠ってから時間はまだそんなに経っていないらしい。
頬には可愛らしい絆創膏が貼られている。
きっと園の先生が貼ってくれたのだろう。
私は無意識に手を伸ばしていた。
木羽の頬は柔らかくてあったかくて、絆創膏を貼られている以外は
いつもと変わりなかった。
せっちゃん、と呼ばれ振り向くとお嬢様が静かに首を振った。
私は名残惜しみながら身を引いた。

「すみません。私がもっと早く気付いていたら」
「ううん。ウチこそもっと早うせっちゃんに相談してたらこないなことに
 ならへんかったかもしれへんのに……ごめんな、せっちゃん」

そのときだった。
カチャリと扉が開き、私は思わず立ち上がった。
瞬間、ぼすっと腹部に衝撃が走った。

「ゆうは?」

私のお腹に顔を埋めて夕羽が小さく震えていた。
私がしゃがみ込むと夕羽はしがみつくようにして抱っこをせがんだ。
夕羽にしては珍しい。だが、この状況なら仕方あるまい。
私は夕羽を抱き上げ、彼女と共に入ってきたその人に向き直った。

「二人ともお仕事中だったのにごめんなさいね」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまって」
「そんなこと……全て園の責任ですから」

那波さんはそう言いながら苦笑した。
そう、学生時代同級生だった彼女が夕羽と木羽の先生なのだ。
二人は那波さんのことが大好きで風邪をこじらせても幼稚園に
行きたいと泣き喚くくらいだ。

「あの、いったい何があったのでしょうか」
「それが……鉄棒から落ちたらしいんです。私は見てなかったの
 ですが、夕羽ちゃんが一緒にいたらしくて」
「ゆうちゃん、ほんまなん?」

お嬢様が訊ねると夕羽がおずおずと顔を上げた。
こちらも目が真っ赤に腫れていた。
夕羽には怪我はなさそうなのできっと木羽が怪我をしたことで
驚いたのだろう。それから夕羽はこくりと頷いた。

「ゆうちゃんな、こうちゃんにあかんっていったんやけどな、
 こうちゃんな、やるーいうてゆうちゃんのいうこときかへん
 かったの」

夕羽はしゃくり上げながら一生懸命説明してくれた。
夕羽の背中をぽんぽんと撫でながら那波さんが続けた。

「幸い木羽ちゃんも軽い脳震盪とかすり傷で済みましたし、
 病院には行かなくてもいいそうです」
「そう、ですか」
「ありがとな、那波さん」
「姉妹っていいわね」
「え」

この雰囲気を打ち消すかのように那波さんはぽん、と手を合わせた。

「私が駆けつけたとき夕羽ちゃんね、木羽ちゃんを負んぶして
 運ぼうとしてたのよ。まだ小さいのに、ちゃんと大切なものが
 何なのか分かってるのね」

帰ったら褒めてくださいね。
那波さんはそう言ってまたあの優しい笑みを浮かべた。



つづく
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