三谷幸喜脚本「90ミニッツ」見ました。(ネタバレあり、結構長文です。)

January 21 [Sat], 2012, 12:04
三谷幸喜脚本演出の舞台、90ミニッツを観劇してきました。
交通事故にあった9才の男の子が病院に運び込まれます。
大量に出血をしていて、90分以内に手術を始めなければ、子どもは確実に死んでしまう。
ところが、病院に駆け付けた父親は、地域の慣習からくる信仰から、輸血を頑なに拒絶します。
しかし、輸血無しの手術など、絶対にありえない。
手術の同意書へのサインを拒み続ける父親と、どうにか輸血への理解を得て、サインをもらおうとする医者の90分間のやりとり。
とまあ、こんな感じのストーリーです。
終始、密室に2人だけでの会話劇、一切の場面転換がなく、音楽すらもない。
言わば、三谷演劇の真骨頂とも言える設定と言えます。
しかし、今作はコメディでありません。
寧ろ、これまでの三谷作品の中で、最も笑いの要素が少ないとすら言える、シリアスです。
さて、感想なんですが、延々2人の会話だけが続くにも関わらず、それだけで、しっかりと起承転結を作り出し、一切退屈さを感じさせることがない、言葉のやり取りで魅せる、その腕はさすが三谷さんと言う感じでした。
と、褒めるのはここまで。
正直言うと、ちょっと残念なところも目立ちました。
理由は、次の一言に尽きます。
父親に対して、まったく共感出来なかったこと。
この手の話は、それぞれの考え方や思想はあったとしても、両者の言い分に、それぞれの理があって、どちらも正しい、いや、間違っているとは言えない状況であればこそ、見るものを引き込む事ができると思うんですよね。
僕が基本的に、近代合理主義的考え方の人間だからと言うのもあるのかもしれませんが、そこの部分が、非常に弱いと感じました。
そもそも、実際のところ、この父親には、命よりも大事なモと言えるような信念思想はまるでなく、本音の部分では、しきたりに厳格な妻と、自らの地域での世間体ばかりを気にしているのです。
これでは、父親に共感しろと言う方が無理と言うものです。
医者の言い分ロジックに、どういい返していいか分からなくなる度に、妻へと電話する父親。
そこに、自らの意思と言うものは存在しません。
父親を、このような人物像に描いたのは、恐らく喜劇作家たる三谷幸喜の、もはやDNAのようなものなのでしょう。
確かに、この作品をコメディーとして描くのであれば、こうした父親の人物像は、理にかなっていると言えるのですが。
劇中、病院に駆け付けるのが遅れていれば、自分の預かり知らぬところで、勝手に輸血はなされていたのに。
何故自分は偶然にも、こんなに早く駆けつけてしまったんだ。
と、父親が後悔する場面があります。
さらに、それを見た医師は、ひょっとして、父親が駆け付ける前に、子どもに対して血液製剤の投与がなされているかもしれない。
と言う唐期待を掛けます。
血液製剤は、人間の血液から出来ている。
その血液製剤が投与されていると言う事は、つまり輸血したのと同じだと言う訳です。
血液製剤投与の有無の確認をしている最中、父親は投与がなされている事を真剣に祈っていました。
寧ろ、医師よりも強く。
つまり、父親個人にとっては、地域のしきたりや信仰などより、子どもの命の方が上なのです。
ここから、父親の中での優先順位が、妻の目や世間体子どもの命地域の信仰である事が、はっきりとします。
同じ輸血拒否でも、地域の信仰子どもの命妻の目や世間体であれば、理解や賛成は出来なくとも、尊重なら出来るのですが。
いよいよ状況が切羽詰まって来ると、父親はサイン無しで手術を開始して欲しい。
と言いだします。
さらには私は手術をして良いと言っているのに、サインがない事を理由に手術を拒むなんて、それでもあんなは医者なのか。
などと理不尽極まりない事を言い出します。
挙句には、子どもが助かった暁には、自分が許可を出した事は隠して、妻と共に病院を訴える事になると思うと言うのですから、これでは完全なるモンスターペイシェントです結局は、最後の最後で、医者の方が折れて、サイン無しでの手術開始を指示します。
訴訟のリスクも受け入れ、自らの出世も犠牲にして。
医者が父親に言います。
思い通りになって、満足ですかと。
せめて、もっと晴れやかな顔で部屋を出て行って下さいよ。
と。
父親は答えます。
もしあなたが手術開始を指示する受話器を取るのが、あと3秒遅れていたら、私はサインをしていました。
と。
息子の命を救いたいと言う思いが、3秒分あなたより少なかった事を私は一生後悔し続けることになるでしょう。
と。
いやいや、だったら、今からサインしたれよ。
と思ったのは、僕だけではないはずです。
結局、父親の中での最優先事項は、最後の最後まで、自分は輸血の許可をしていない。
と言う唐ナあり、つまりは世間体なのです。
自分を守っているにすぎません。
父親がもしあなたが受話器を取るのが、あと3秒遅れていたら、私はサインをしていました。
と言い、医者がそうですかと答えた後、しばらくの沈黙が続きます。
ここで、会場からは少々笑いが起きていました。
この、ホン少し前の場面で、医者が自らの出世欲を告白して、だからサインなしでの手術の指示など絶対にできないと告げるシーンがあるので、そこから来る笑いな訳ハードSMですがしかし、三谷さんにとって、あのシーンは、恐らく笑いと意図したものではないはずです。
寧ろその間逆で、重さが、シリアスさが、最高潮に達する場面として、あの沈黙を用意していたはずなのです。
そこで笑いが起きてしまうところが、父親の人物設定の失敗を象徴している気がしました。
とまあ、いろいろ否定的な事を書き連ねてきましたが、上で書いた通り、さすが三谷さんと言える会話劇である事も、一方で事実ですよ。
この1年間は、三谷幸喜生誕50周年際と言う事で、舞台に映画にと様々な三谷作品が発表されました。
何れの作品についても言える事は、三谷さんが新しい表現に挑戦しようとしている意図が感じとれたと言う事です。
グッドナイトスリープタイトだけは、チケットが取れず、未見ですが。
それだけに、苦戦を感じる部分もいろいろとありましたが、これは三谷作品の、さらなる進化へ向けた過程なのだと思っています。
三谷さんは、今作のパンフレットの中で、自分は基本、コメディ作家。
だけど、武器が笑い1つでは、頼りない気がする。
だから、この作品で笑い以外の武器を磨いて、そこに笑いを加えたら、さらに面白い舞台が出来るんじゃないかなと思っている。
と言う主旨の事を語っています。
これからも、三谷幸喜と言う天性の喜劇作家に大いに期待したいと思います。
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