018*一人だけの抵抗 

July 07 [Sat], 2007, 13:11

          *


 担任がやって来た。彼は沙希の靴箱の中を覗くと、息を呑んだ。屈強な体育教師である担任も、ここまでたくさんのカエルを見るのは初めてだろう。


「桐野、心当たりはないか」


 カエルを一匹ずつポリ袋の中に入れながら、担任は訊いた。心当たりは、ある。間違いなく麗だ、麗がやったに違いない。そう言おうとしたが、沙希は躊躇った。この男は麗の味方ではないか。ここで「宮永さんがやったと思います」なんて言っても、この人は信じてくれないだろう。大きく息を吸い込み、沙希は言った。


「いいえ、ありません」


 ――結局、何者かが嫌がらせのつもりで入れたのだろうということで、話は落ち着いた。担任はお礼を言って帰ろうとする沙希に言った。


「お前も少し考えてみろ」

「はい?」

「お前が知らないうちに、嫌がらせを受けるようなことをしているかもしれないだろ。理由無く嫌がらせするなんて考えにくい。誰がやった、誰が犯人だと騒ぐ前に、自分に心当たりがないか聞いてみろ」


 ――は。沙希は思わず声を出しそうになったが、担任の言葉を無視して校門を出た。
 要するに、自分が悪いとでも言うのか。自分は麗に虐められているのに、それなのに、責任は自分にあるのか。信じられない、あの教師。悪態をつきたいのを必死に堪えて歩き続ける。もう辺りは暗くなっていた。さすがに怒られるかもしれない。
 その時だった。沙希の目に黒い影が映った。黒い影はゆらりと動き、沙希の目の前に立つ。手には銀色に光る何かを持っている。それが何かを確認したとき、沙希は舌打ちした。


 ――ナイフ。



          NeXt...


018*一人だけの抵抗 

July 07 [Sat], 2007, 13:10



           018*一人だけの抵抗 〜Winning, you show even alone




 結花は沙希の話を黙って聞いていた。聞き終わると、憤慨して勢いよく机を叩いた。


「は、信じられないあの女。猫かぶりってああいう子のことを言うのね」


 結花はそう言って唇をかみ締めた。もどかしい。虐めの犯人が分かっているのに、攻撃することが出来ない。今やすべてが敵なのだから……。今にもバレー部に怒鳴り込みそうな勢いの結花の腕を、沙希はぎゅっと掴んだ。


「お願い。宮永さんに報復するとかは考えないで。むしろこれは、鍵を探すチャンスなんだから」

「チャンス?」


 結花は眉をひそめ、沙希の顔を見る。沙希は結花の気持ちを落ち着けようと椅子に座るのを促した。結花が汚れたパイプ椅子に座る。それを見て、沙希もその正面のパイプ椅子に腰掛けた。オンボロの吹奏楽部の部室がこれほど重宝されるとは。もう廊下からは楽器の音色が聞こえてきているが、自分たちは呑気に楽器を吹かす立場ではない。
 一呼吸分の間をおいて、沙希は話し始めた。


「いい、宮永さんは私を虐めるのに躍起になってる。結花もターゲットに入っているけど、最初に私を潰そうとしているわけ。ここまでは分かるでしょ?」


 結花は黙って首を縦に振った。まだ沙希の言おうとしていることが飲み込めていないらしいが、構わず続けた。


「私がおとりになって、宮永さんの虐めを受ける。その間に結花は、鍵を探して」


 沙希の真剣な表情に、結花は思わずたじろいだ。この子は正気? 自分が身代わりになるというの? 結花はごくりと生唾を飲み込んだ。沙希の言っていることは確かに効率が良い。でもその作戦を実行すると同時に、沙希は麗の虐めに一人で耐えなければいけなくなるのだ。それは……できない。友達を見捨てるなんてこと、できない。
 結花はそう言おうと口を開きかけたが、沙希の方が早かった。


「そっちの方が効率が良いの。二人が潰されたら、舞は永遠に助からなくなる。それよりも……こっちの方が助かる人数が多いでしょう?」


 沙希は窓の外を見やる。その表情が、結花には切なげに映った。


「私が潰れて舞と結花が残るか。全てを失うか。二つに一つの選択ならば、私は前者を選ぶ」


 結花はうなだれた。沙希が一人潰れてしまうぐらいなら、皆潰れてしまった方がいいとさえ思えた。けれども沙希は、結花にその選択を許していなかった。彼女は断固とした表情で、結花を見ている。抗えない。結花は咄嗟にそう思った。
 沈黙が流れる。結花は後ろめたい気持ちを残しつつも、沙希の考えを受け入れることにした。


「じゃあ……沙希の考えで」


 沙希は満足そうに頷いた。
 辛いだろうな。憐れみの感情が、結花の心の中を巣食っている。


「じゃあ結花、頼んだわ」


 この瞬間、沙希は一人で麗の陰湿な虐めを背負っていくことになった。結花はもう、彼女を助けることは出来ない。一人で鍵を探すのみだった。一刻も早く、鍵を見つけなければ。沙希と舞を解放しなければ。結花は決心すると、立ち上がった。


「私は具合が悪くて帰ったって、先生に言っといて」


 沙希は戸惑ったように結花を見た。結花はその視線を無視し、黙々と出しかけのホルンを片付けている。全て片付け終わると、結花は鞄を肩に掛けた。沙希は結花の肩を掴む。理解できないとでも言うように、沙希は結花の顔を見た。


「サボるつもり? アンコンが近いんだよ。そんなこと……」


 アンコンか。その存在を今の今まで、すっかり忘れていた。アンサンブルコンクールの地区大会。桜ヶ丘学園のレベルからしたら金賞は間違いないが、油断は出来ない。
 でも、今はアンコン云々言っている場合ではない。沙希と舞が掛かっているのだ、一つの鍵に。


「鍵探してくる。今日って合奏でしょ? みんな音楽室にいるはずだから、多分サボってもバレないやあ」


 まだ何か言いたそうにしている沙希を残して、結花は部室を後にした。その足のまま、まっすぐ教室へと向かう。幸い教室の鍵は掛かっておらず、結花は簡単に侵入することが出来た。まずは教卓、棚、ロッカー……。教室中を調べてみたが、やはり収穫は無かった。結花は自分の教室を出ると、その隣の教室、そのまた隣の教室への侵入を試みるのだった。


          *


 沙希は一人、靴箱に向かっていた。パートリーダーのミーティングが終わってからも沙希は更に練習していたから、帰りが遅くなってしまった。けれども別に問題ない。沙希の家は桜ヶ丘学園から徒歩十分程度の場所にあった。遅くなっても、別に咎められるわけでもない。吹奏楽の練習をしていたのは事実なのだから。
 靴箱の蓋を開ける。それと同時に、沙希は目を疑った。異世界にスリップでもしてしまったのか。沙希の靴箱の中は、ヒキガエルで埋め尽くされていた。一匹、二匹……ああ、数え切れない。


「きゃああああ!」


 沙希は後退った。ヒキガエルはそんな沙希の表情も露知らず、ゲコゲコ鳴き続けている。そのうち一匹がジャンプして、靴箱の下に置いてある板の上に着地した。沙希は恐怖で足が震えた。陰湿だ、陰湿にも程がある――。
 沙希は爬虫類と両生類が大の苦手だった。虫はカブト虫だろうがゴキブリだろうが簡単に掴むことも出来る。が、トカゲやらカエルやらは本当に触ることさえ出来ない。出来ることならば、見たくもない。


「宮永……っ」


 沙希は唇をかみ締め、職員室へと走って行った。どうにもこうにも、このカエルたちを取り除いてくれないと帰れない。
 そんな彼女の行動の一部始終を、後ろの柱で見守っている影があった。影は沙希が先生を呼んだことに気づくと、音も無く走り去って行った。

017*消えた幸福 

July 07 [Sat], 2007, 13:10
「誰が臆病者ですって?」


 麗は教室を見渡す。彼女の目に、学級名簿と睨めっこしている担任の姿が目に入った。歪んだ笑いを浮かべる。沙希の背筋がすっと寒くなる。麗は泣きそうになりながら、担任の方に駆け寄った。尋常ではない麗の様子を見て、担任が慌てたように目を見開く。麗は目に涙をいっぱい溜め、おろおろと話し始めた。


「先生、桐野さんが私を虐めてくるんです。私のことを卑怯とか臆病者とか言うし、さっきは机を思いっきり叩かれたんですぅ」


 沙希は呆然と立ち尽くしていた。麗に対する怒りを通り越し、上手く演技をすることへの尊敬が沸き起こる。麗は涙を拭いた。――もちろん、涙を拭く「振り」であるが。担任は麗の頭を撫でて、何かを囁いている。どうやら必死でなだめているようだ。そして憤然とした表情で立ち上がると、沙希の前に立った。隣には麗がいる。半泣きの表情だったが、微かに笑っているのを沙希は見逃さなかった。
 担任は険しい顔で沙希を見た。言い逃れなど、できない。麗と自分では、天と地ほどの身分差がある。


「桐野、お前は宮永さんを虐めたんだって? 謝りなさい」


 沙希は俯き、唇を噛んだ。自分は虐めてなんか居ない。寧ろ、虐められているんだ。しかも麗は、クラスの皆を巻き込もうとしている、卑怯で最低な女なんだ。そう反発してやりたいのだが、声が出ない。黙っている沙希に、担任は痺れを切らしたように叫んだ。


「お前が虐めたんだろう、なあ! 早く彼女に謝れ! こうやって黙っているお前のほうが卑怯で臆病者だぞ!」


 沙希がゆっくりと顔を上げる。唇を舐め、充分に間を取ってから言った。


「……ごめん……なさい」


 信じられない。どうして自分が謝らなければならないの。麗が笑ったのが見えた。担任は麗の肩を優しく叩く。


「桐野を許してやってくれるか?」

「桐野さん、もう私のこと、虐めないでね」


 担任は麗に「また虐められたら言えよ」と囁き、教室を出た。それと同時にチャイムが鳴る。席につく間際、勝ち誇ったように笑う麗の顔が目に入った。許せない。沙希は拳を握り締め、麗を見ていた。

 誰も沙希の味方にはならない。彼女は、理事長の娘なのだ。それ以上に強い権力はない。彼女に逆らえば理事長に逆らうことを意味する。教師としても、麗を全力で守らないといけないのだろう。自分の首のために。
 沙希は思わずため息をついた。隣の男子がその様子を見て、そっと呟く。


「幸せが逃げるぞ」


 いいや、もう幸せなどとうに逃げてしまっている。麗に狙われたあの瞬間から、幸せなんて言葉はないのだ……。



          NeXt...


017*消えた幸福 

July 07 [Sat], 2007, 13:09




           017*消えた幸福 〜Happiness and the like long ago it went out



 教室に入ると、沙希はその異様な雰囲気に気がついた。皆しんとしていて、黙々と本を読んでいる。いつもは仲の良い友達同士と談笑しあっているはずの朝の登校時間。誰一人として口を開こうとはしない。まるで今から、戦争が始まるとでも言うような雰囲気だ。沙希はそれを不気味に思いつつ、席についた。それと同時に教室の扉が勢いよく開き、麗が入ってきた。


「おはよう」


 麗は朗らかに挨拶したが、誰も返さなかった。彼女はそんなことを気にする風も無く、席につく。おかしい。今日の教室は、絶対に何かがおかしい……。チャイムが鳴って、担任が入ってきた。出席簿を教卓の上で開くと、長く伸びた爪でそれをトントンと叩いた。担任は棚から青い表紙の冊子を取り出し、配り始めた。沙希は本を読んでいたので、そのことには全く気がつかなかったが。


「じゃあ、さっき配った修学旅行の冊子を開けてー」


 沙希は顔を上げ、本を閉じた。修学旅行の冊子? 机の上には、自分の白黒カラーのペンケースがあるだけだった。修学旅行の冊子が、自分だけに配られていないことにようやく気づく。沙希は手を上げた。読み合わせに入ろうとしていた担任が、沙希の目を見据える。


「どうした、桐野」

「や、修学旅行の冊子が配られていないんですけど」

「おかしいなあ。人数分刷ったはずなんだが……」


 担任は肩をすくめて、棚の中をあさり始める。麗がクスクス笑っているのが見えた。嫌な予感がする。担任は上から下まで棚を確認すると、再び肩をすくめ、ため息をついた。彼は沙希の顔を遠慮がちに見つめ、申し訳なさそうに言った。


「すまん桐野。どうも先生の印刷ミスだったみたいで、冊子がないんだ。後で渡すから、隣の奴に見せてもらってくれ」


 沙希はやれやれと頷いた。よりによって、私に冊子が届かないなんて。ついてない。沙希は諦めて、隣の男子の方を向いた。隣の男子の背中がビクリと震えた。何かを恐れているような彼の表情を見て、沙希は怪訝に思ったが、冊子を見せてもらわないとどうしようもない。


「ごめん、ちょっと見せて……」


 言い終わらないうちに、彼はそっぽを向いてしまった。いつも何かを忘れても、快く貸してくれる男子なのに。何かがおかしい。麗が沙希の様子を見て、必死に声を噛み殺して笑っているのが見えた。沙希は咄嗟に、麗が差し向けたのだと感じる。それと同時に、麗の復讐はちまちました、大した事のない虐めであるとも感じてしまった。――それが間違いだと、沙希は暫くしてから気づくことになるのだが。
 麗の差し向けで無視するように言われているのなら、仕方がない。この男子を巻き込んでしまうのも可哀想だ。沙希は冊子を見せてもらっている振りをしながら、ホームルームをやり過ごすことにした。

 チャイムが鳴る。沙希は授業が終わると真っ先に、麗の席へと向かった。クラスの皆を巻き込んでまで虐めようとする手法が、どうしても納得いかなかったからだ。沙希は両手で麗の机の上を叩いた。バン、と大きな音がして、クラスの人たちが一斉に二人を向く。麗は迷惑そうに顔を歪めた。


「はあ、あんた何のつもり?」


 麗の露骨な不快感が、沙希を更に苛立たせた。沙希は長く伸びた爪で、麗の机をトントンと叩く。周りにたまって喋っていた女子達が、事態の深刻さに気づいてそそくさと離れていくのが分かった。沙希は麗を睨んだ。
 舞も、同じような手法で潰されたのだろうか。答えは否だった。クラス単位の虐めとなると、どれだけ隠していても外に漏れるはずだ。舞が虐められているなんていう噂は全く無かったから、多分、クラスの子達を巻き込んだ虐めではないのだろう。それでは何故、沙希はグループで虐められるのか。
 答えは一つ、急いでいるから。鍵を早く見つけようと、焦っているのだろう。沙希と結花に先手を取られないように、早く潰さなければならない。そうやって自分を追い込んでいるはずだ。彼女のプライドのことだから、焦りで周りが見えなくなっているというのは充分有り得る。


「クラスの皆を巻き込んで虐めるってのは、どうかと思うけど」


 麗の薄い唇が横に広がった。馬鹿にしたような微笑を浮かべ、麗は腕を組んだ。


「それがどうしたの? 私がどうあなたと遊ぼうと、勝手でしょう」


 麗は微かに声を上げて笑うと、組んでいた腕を解く。未だに沙希は麗を睨みつけている。麗はその視線を鬱陶しいとでも言うように、顔をしかめた。沙希は更に険しい視線で麗を見る。最悪だ、この女。


「だから、卑怯じゃないのって訊いてるの。一人で来なさいよ、臆病者」


 【臆病者】。その言葉を耳にした瞬間、麗の表情がガラリと変わった。自分のプライドを傷つけられて、我慢ならない様子だ。白い顔が徐々に赤く染まっていく。麗は勢いよく立ち上がると、机に置かれた沙希の手を払いのけた。


016*壊れた人形 

July 07 [Sat], 2007, 13:03
           016*壊れた人形 〜Even life you throw away



 自分が舞に何をしたのかは、今でもはっきりと覚えている。あれは今までしてきた中でもぶっちぎりでワースト一位になる虐めだった。はっきり言って、さすがに罪悪感も感じた。でも、やってしまったことは仕方ない。罪を振り返ることはあまりしたくない。


「仕方が無かった。あれは事故なのよ」


 そう、あれは事故。幸い学校が事態を重く見たから、自分がしたことを全てもみ消してくれた。父親と校長しか事件の真相は知らない。学校の生徒達に知られてしまえば、大変なことになるところだった。麗はピンク色のシャーペンを、くるりと一回転させた。そういえば小学校のとき、隣の席の男子とシャーペン何回転できるか勝負もしたっけ。あんなに普通の時期も自分にはあったんだ。
 どこから崩れてしまったのだろう。どの辺りから、自分は特別だと自惚れるようになってしまったのだろう。そこまで考えて、麗は思わず笑ってしまった。らしくない。そんなに考えるなんて。

 それでも麗の頭の中は、あの時のことをしっかりと再生していた。


          *


 あれはオレンジ色の夕日が差し込んでいた日のことだった。麗はこの日も散々舞を虐めて、泣かせていた。しかもその日はバレー部が休みで、麗は暇を紛らわせるつもりで舞を待ち伏せしていた。
 麗は靴箱の陰で、舞の帰りを待っていた。吹奏楽の合奏が止む。暫くしてから、吹奏楽部の子が何人かやって来た。
 
 吹奏楽部の解散で一時は賑やかだった靴箱も、すぐに静まり返った。舞がゆっくりと現れる。バレー部が休みであることを知っていて、わざと遅く出てきたのだろう。麗はにこやかに笑った。舞の体が硬くなるのが見て取れた。


「吹奏楽の練習、お疲れ様。一緒に帰ろう?」


 有無を言わさない強い口調で、麗は言った。拒めるわけもなく、舞はこくりと頷いた。麗は舞の隣に立ち、並んで歩き始める。舞の体が微かに震えているのに、麗は気づいていた。木の密集地を抜けて、騒がしい道路に出る。この先には駅がある。電車の中でも途中までは一緒だが、駅に着く前に何か動きたい。


「ね、どうしてあなたはあんな目にあっても懲りずに学校に来るわけ?」


 麗は訊いた。最近舞に一番訊きたいことを。


「あんたには、負けないから」


 その瞬間、今まで流れていた穏やかな時間が終わりを告げた。暗転。麗の心の中の闇が、凄いスピードで広がっていった。夢から現実に引き戻されたような気分。天国から地獄に落とされたような……。そうか、この子は黒川 舞なのだ。自分に屈辱を与えた、黒川 舞なんだ。憎しみが沸き起こる。
 通行人はあいにく、誰も居なかった。舞が悲鳴を上げた。麗が飛び掛る。舞の体が投げ出された。車のクラクションがけたたましく響いた。それと同時に、ブレーキの音。

 麗が我に返ったときは、もう遅かった。舞は気を失い、横たわっていた。車の運転手が慌てて出てきて、麗に問うた。


「大丈夫か?」


 麗は黙って首を縦に振った。そう、自分は大丈夫。傷一つ負ってはいない。何せ攻撃を最初に仕掛けたのは自分だ。舞は抵抗する事無く――否、抵抗する暇もなく道路に放り出され、車に轢かれた。何故自分は、殺しに等しい行為をしてしまったのだろう。憎かったとはいえ、あまりにも軽率すぎる。お父様が何と言うか……。麗は唇を噛んだ。


「黒川は……あ、この子は大丈夫ですかね?」


 医者でも救急隊員でもない運転手に訊いてもどうしようも無いと知りながらも、尋ねてしまう。運転手は分からないと小さな声で答え、肩をすくめた。ポケットから黒い携帯電話を取り出し、救急車を呼び出している。麗はその場を運転手に任せ、逃げるように姿を消した。

 麗が電車に乗り込む頃には、救急車のサイレンが遠くから聞こえていた。

 すぐに、この麗が舞を突き飛ばしたと言う事実は校長と傑によって隠蔽された。麗は傑に、「軽率な行動は慎め」と怒鳴られる羽目になってしまったが。
 舞はこの日を境に学校に来なくなった。車に轢かれた恐怖がフラッシュバックして、行く気になれないらしい。……それにプラスして、麗への恐怖もだろう。麗は別に、何とも思わなかった。勝ったという達成感も無かったし、もう虐めをすることができないというつまらなさも無い。要するに、何も残らなかったのだ。

 麗は僅かに生まれた罪悪感を、必死に頭から振り払った。あれは事故、事故、事故事故事故。
 幸い、舞の怪我は命に別状が無いもので、数週間の入院で済むということだった。麗は密かに、そっと胸を撫で下ろした。自分がもし、舞を死なせてしまったり、あるいは重傷を負わせてしまったのなら、さすがに耐えられないだろうと感じていたから。
 そうして時間は過ぎていった。麗の中の罪悪感もそれにつれて徐々に薄れ――消えていった。


          *


 三十八回転。ピンクのシャーペンが音を立てて床に落ちた。麗はため息をついて拾う。過去のことなんて、忘れてしまえばいい。この先のことを考えなければ。次のターゲットは、その舞の友人、桐野 沙希。クラスの皆を利用するのだ。


「まあ、いいわよね。大丈夫」


 いつからこんな憎たらしい子になっちゃったのかしら。お母様が死んだときから? お父様が理事長になったときから? 分からない。でも、そんなことはどうでもいい。皆と対等に笑っていた日なんてとうに昔のことだ。もう自分には関係無い世界なんだから。弱者の目線で考えることなんかできない。

 麗は鞄を持って立ち上がる。教室に長居しすぎた。部活はとうに始まっている。もうランニングは終わってしまっているだろう。


「待っていなさい、桐野。今に大口叩けぬようにしてやるんだから」


 ああ、本当に楽しみ。



          NeXt...


015*悲しき踊り子 

July 07 [Sat], 2007, 13:03





           015*悲しき踊り子 〜As for dancer with tear



 靴の中に画鋲を入れられ、靴箱に意味不明の手紙を入れる。教科書は落書きだらけで、すれ違うたびに鼻で笑われる。あの日から、毎日そんな調子だ。舞は結花や沙希に相談して迷惑をかけるわけにもいかず、ただ一人で耐えていた。虐めているのは麗だけだったし、知っている人たちもそろって口をつぐんだため、結花も沙希もまったく気づかなかった。麗は舞を追いかけ続けた。精神的にも肉体的にも、完全にぶっ潰すつもりだった。


「そろそろ諦めればぁ? 学校なんか、辞めればいいのよ」


 麗は何度もそう言って、舞の髪を引っ張った。彼女の顔には罪悪感など微塵も浮かんでいなかった。寧ろ愉快気に笑っているように映っていた。舞は唇を噛み、心の中で悪態をついた。こんな卑怯な手に屈するものか。この桜ヶ丘学園を辞めるものか……。
 桜ヶ丘学園を辞めるとなると、自動的に近所の公立中学に転校することが決まってしまう。今更公立に行くなんて真っ平御免だし、今まで仲良くやっていた友達とも離れてしまう。公立って、何だか嫌なイメージしか無い。絶対に辞めるものか。


「辞めない……」


 消え入りそうな声だったが、やっとのことで舞は言った。麗の顔が微かに歪む。初めて言い返されて、若干ではあるが戸惑っているようだ。麗はその戸惑いを必死にかき消すと、舞の手の甲を払うように叩いた。鬼のような形相で睨みつける。それは今までの麗の表情なかで、一番凄みがあった。今度は舞がたじろぐ。


「でも、もうあんたも終わりだね」


 麗はトイレの掃除用具入れの中からホースを取り出した。ホースの先を蛇口に繋ぎ、ひねる。水が出てくる。舞はゆっくりと後退していった。何をされるかは何となく分かった。多分、今までで最悪の虐め。麗は水の出てくるホースを握り締めて、舞のほうを向く。


「あんたには溝鼠がよくお似合いよ」


 ホースから水が飛び出す。舞はホースの水を頭からかぶった。舞の髪から制服から、雫がポタポタと垂れ落ちている。ふわっとしたショートカットはすっかり萎み、膨らます前の風船みたいになっている。制服もずぶ濡れで、かなり重くなってしまったようだった。舞は俯いたまま、麗のホース攻撃を浴びる。何も抵抗できない。悔しいけれども、本当に立ち向かえないのだ。情けない。
 麗の笑みが広がる。その表情のまま、舞にゆっくりと歩み寄ってくる。舞は歯を食いしばり、一歩ずつ後退った。徐々に壁に追い詰められていくのは分かっていた。……でも、これ以外にどうすればいい? 舞の背中が、ピンク色をしたタイルに触れた。麗の手が伸びて、タイルに触れる。


「もう逃げられないわ。さあ――どうする?」


 そう、逃げることはできない。
 毎日毎日麗に付きまとわれて、舞はもう肉体的にも精神的にもズタズタだった。それでも、退学はしたくない。途中で逃げるなんてことは……できない。逃げたら負けになる。けれども、限界だった。


          *


「舞? ……ちょ、あんたどうしたの」


 舞が遅れて部室に入ると、案の定結花がサボりで座っていた。今日は後輩からの沖縄土産を食べている。結花は舞の異変に気づくと、驚いて駆け寄ってきた。舞の腕には赤い傷がいくつもできていて、右目の瞼が僅かに腫れている。舞は弱々しく笑ってみせた。


「大丈夫、階段から落ちただけ」

「そんなわけないでしょ! 階段から落ちて、そんな傷ができるわけない!」


 結花は怒ったように叫び、舞の腕を引っ張った。棚の一番上に置いてあった救急箱を開けて、絆創膏と消毒液を取り出す。結花は無言のまま、舞の腕の傷に消毒液を吹きかけた。傷が染みて、舞は思わず顔をしかめた。結花は何も言わないまま絆創膏を貼り、舞を立たせた。


「誰にされた」

「だから、階段から……」

「誰にされたの、ちゃんと答えて」


 途端に、舞の瞳から涙が零れ落ちた。一滴、また一滴。舞は嗚咽を漏らし、うずくまった。結花もしゃがみこんで、舞の背中に手を当てる。結花は舞に何があったのか、分かってくれている。自分を心配してくれている。それだけで充分嬉しかった。舞はしゃくりあげながらも、今までの経緯を説明した。
 舞の説明を聞き終わると、結花は憤然として立ち上がった。顔は怒りで真っ赤だった。


「宮永 麗、最低ね」


 今にも復讐しに行きそうな勢いだったので、舞は慌てて結花にすがりついた。これ以上自分と同じ思いをする人はいらない、麗に復讐なんかしてしまえば二倍で返される、だから自分のことは気にしないでくれと。舞の必死の説得で、結花はようやく落ち着きを取り戻したようだった。古びたパイプ椅子に腰を下ろし、息をつく。


「分かったよ、あんたがそんなに言うなら。でも、沙希にはあんたのこと説明するよ。自分からする?」

「うん、私から話しとく。私、あんな奴には負けないから。絶対に学校行く、だから心配しないで」


 舞はそう言って、微笑んだ。顔は涙で濡れてはいたが、いつもの可愛らしい笑顔。

 それが結花の見た、舞の最後の笑顔だった。


          *


 私、あんな奴には負けないから。
 ――舞、あんたはあの時、確かにそう言ったよね。

 何があったの、舞。あんたはあの翌日、麗に何をされたの。
 舞はあの笑顔の二日後に学校を休んだ。先生は風邪だと言っていたから、結花も安心していたのだが、現実はそうではなかった。一週間たっても、二週間たっても来ない。麗が原因、そんな噂が流れ始めた。……舞は、不登校になってしまったのだった。

 舞、何があったの。どうして学校に来なくなったの。どうして私や沙希にも会おうとせず、電話だけになってしまったの。――そして。
 舞、あなたはどうして扉の中に連れ込まれてしまったの?



          NeXt...


014*麗かで、誇り高き女王 A 

July 07 [Sat], 2007, 13:02

「何で見ないの。さっきからずっと送ってきてる」

「C組の武井だよ。本当うざい」


 C組の武井は、何故か結花に思いを寄せていた。こんな性格の悪い女のどこに惹かれたのかははなはだ疑問だが、とにかく武井は毎日のように結花にメールを送ってくるらしい。最初の方こそ、結花はちょくちょく返信してあげていたのだが、五分おきぐらいにメールしてくる武井のストーカーっぷりに呆れ、完全無視状態というわけだ。別に武井は返事が来なくても結花が見ていれば満足らしくて、学校で会っても返事を催促してくることは無い。ちなみに、結花はまったくメールを読んでいない。武井とメールの話題になると適当に相槌を打っているらしい。


「着信拒否すればいいのに」

「面倒くさい」


 結花はいつもそうだった。「面倒くさい」の一言で全てを片付けてしまう。舞はクラリネットを取り出す。結花は舞のクラリネットを見、視線を自分のホルンに移した。こう見えても結花は先輩に好かれている。どうもこの緩い性格が好評みたいだ。何もしてなくて人気だけが手に入るなんて、正直羨ましい。舞はそう思っていた。別に焼きもちではないのだが。
 もし麗が自分をさらに追い込めば、こんな他愛ない話も出来なくなってしまうのだ。そう思うと、舞はまた泣きそうになる。こみあげてくるものを必死に体に押し返す。幼馴染の結花の前では、絶対に泣きたくなかった。


「で、舞は何で遅かったの」


 結花が訊いた。舞は階段を降りてくる途中で考えていた言い訳を話す。


「や、ちょっと先生と成績のことで話があったの。ほら、この前私数学の点悪かったじゃない」

「あーそうか。舞は私と同じくらい頭悪いもんねぇ」


 結花はそう言ってケラケラと笑った。舞も弱々しく微笑んでみせる。結花には言い訳を通用させるのは容易い。単純だから。
 そろそろ行かなくちゃ。舞はそう呟いて、部室の扉を開けた。これ以上長居していると、先輩にも怒られてしまう。沙希はもう楽譜の音取りをだいぶ進めてしまったはずだ。


「もうちょっとゆっくりしてけばあ?」


 結花の呑気な声。舞は笑顔で答えた。


「私はあんたと違って、真面目なのよ」


 そう、真面目だから。
 真面目だから、真面目だからこそ、目を付けられてしまうのだ。



          NeXt...

014*麗かで、誇り高き女王 

July 07 [Sat], 2007, 12:58





           014*麗かで、誇り高き女王 〜Pride of girl



 苦しい。死ぬ。
 舞はそう叫びたかった。だが、それは不可能なこと。水の中に顔をつけているのだから。……いや、トイレの洗面台いっぱいに溜まった水に「つけさせられている」と言った方が正しい。舞の髪を麗が押さえつける。周りには不幸にも、誰も通っていなかった。もっとも、二人の居るトイレは一番隅にある校舎の四階。放課後なので、授業で通る人も居ない。まして部室に使われている部屋もない校舎なので、ここに放課後人が通ることはほとんど有り得ない事だった。
 麗は舞の頭を更に強く押さえつけた。罪悪感にさいなむ事もなく、涼しげな表情で。


「……どう、苦しい?」


 答えが分かって居るはずの質問を投げかけてくる麗に、舞は更に腹が立った。そもそも、自分がどうしてこんな目にあっているのか分からなかった。自分が麗の気に障ることをした覚えは無かったから。
 麗が手を離す。舞は勢いよく水面から顔を上げた。息をつく。もうほとんど気の遠くなりかけていた頭が、少しずつ戻ってきたのが分かった。舞は呼吸の荒いまま、麗を見つめた。


「私が……宮永さんに……何をしたの?」


 普段から小さめの声が、息の苦しさもあってか更に小さかった。


「あんたは私にぶつかった。ぶつかったくせに、何も謝ろうとしなかった……!」


 憎しみに燃える麗の瞳。舞は思わず後ずさった。ぶつかった? 舞は目の前の少女に怯えながらも、記憶を辿る。そういえば――……確かにこの前、誰かにぶつかった。でも合奏の時間に間に合いそうに無くて、滅茶苦茶急いでいたんだ。誰とぶつかったかは分からなかったけど、確かに謝りそびれていたような気がする。そしてその相手は運悪く、麗だったというのか。
 麗が舞の胸倉を掴む。お嬢様の割りに、手荒なことをするものだ。


「あんたのせいで私のプライドはズタズタよ!」


 意味が分からない。麗の言っていることの意味が。やはりお嬢様は、プライドがやけに高いということか。ぶつかったのに謝らない、それだけのことで何故こんなに責められなければいけないのだろう。麗が舞の肩を揺さぶる。どうやら、本気で怒っているようだ。……しばらく束縛されっぱなしだな。


「ごめんね宮永さん、私そんなつもりじゃ……」

「黙ってよ!」


 今日二回目の平手打ち。麗はヒステリーのようなものを起こしていて、話ができる状況ではなかった。今までぶつかった人々は、麗にずっと気を遣い続けていたのだろう。麗は理事長の娘だ。仲良くなれば、それなりに見返りも来る。そんな思惑から、自ら麗の下僕に成り下がる者も少なくなかった。


「もう言い訳なんか聞きたくない。許さないから――」


 鼻息の荒いまま、麗はトイレを出て、立ち去っていった。がらんとした校舎に、麗の足音だけが響く。もう何を言っても無駄なのだろう。一度崩れたプライドは、立て直すことが不可能だった。舞はそれを知り、思わず唇を噛んだ。部活はとっくに始まってしまい、パート練習をしているクラリネットの音が階下から聞こえてくる。無断で遅刻したから、恐らく顧問にこってり絞られるだろう。やれやれ、厄介なことになってしまった。
 階段を降りながら、舞は思わずこみ上げてくるものを拭う。もう二度と普通の学校生活が送れないかもしれない。最悪の場合、退学に追い込まれることだって……。幼馴染の結花や同じクラリネットパートの沙希、それ以外の吹奏楽部員と楽しく話すこともなくなってしまうかもしれない。麗とその下僕に常に取り囲まれ、虐められるかもしれない。


「あり、舞じゃん」


 部室に入ると案の定、サボリが座っていた。今流行のファッション雑誌片手に、ポテトチップスを食べている。ポテトチップスの横には携帯電話。マナーモードにするなんて思いやりもなく、奴の携帯は着うたをひっきりなしに流している。それを見るたびに、ショッキングピンクを選んだこいつのセンスを疑ってしまう。


「結花、メールだよ」


 結花は携帯をちらりと見る。だが開けようと手を伸ばすことはせずに、肩をすくめただけだった。




013*恐ろしき観察眼 

July 07 [Sat], 2007, 12:57





           013*恐ろしき観察眼 〜Cause of non- attending school



 私は選ばれた人。自分で言うのもなんだけど、顔もまあまあイケてると思うし、スタイルだって良いと思う。頭だって良い。それに私は、理事長の娘。財力だって学園一だ、ついでにコネも。怒られたことなんか無いし、泣かされたことも無い。だって私は、未来の超有名人。私に逆らったら駄目だもの。
 自意識過剰なんかじゃない。事実よ。私は凄い人だもの。

 そんな意識は、麗を我が侭で歪んだ性格に育て上げた。

 それは二年生の春。バレー部の練習が終わって、麗は靴箱に向かっていた。ふと前を見ると、クラリネットを持った少女が慌しく走ってきている。吹奏楽部の演奏会前日で、きっと目の回るような忙しさなのだろう。麗は特に何も思わず、少女とすれ違おうとした。
 しかし、少女は前をまったく見ていなかった。二人は正面からぶつかった。


「あ……」


 少女はか細い声を出した。麗は怒ることも笑うこともせず、ただ立っているだけ。きっと謝ってくれるものだと思っていたから。だが、少女は一瞬麗を見ただけで、すぐに走り去ってしまった。信じられなくて、麗は呼び止めることもせず呆然と立ち尽くした。
 今まで自分にぶつかった人は皆謝ってくれた。どんなに忙しいときでも、皆絶対に「申し訳ありません」と頭を下げていた。でも、あの子は謝りもせず、頭を下げることさえしなかった。一瞬、自分の顔を見ただけで。どういうつもりなの。麗の中に沸々と怒りが沸いてきた。


「ねえ、あの子誰だっけ?」


 麗はすぐ前を歩いていたチームメイトの肩を掴んだ。彼女は驚いたように振り向き、おずおずと答えた。


「えっと……確か、黒川さん。黒川 舞って子。吹奏楽部の――」

「そう、ありがと」


 黒川 舞。聞いたこと無い名前だな。
 そんなことを思っていると、その子が更に言った。


「宮永さん、知らないの? 黒川さんって、うちらと同じクラスだよ」


 え、そうだったの? 叫びたくなるほど吃驚したが、自分のプライド上、そんなことはできなくて、口を押さえただけだった。それにしても、あんな子うちのクラスに居たっけ。とにかく、それほど影が薄いということなのだろう。
 黒川 舞。麗はその名前を頭の隅の隅に置いた。怒りはまだ収まっていない。初めて自分に無礼な行為をはたらいた者。一瞬にして舞の名前は、麗のブラックリストに入ってしまったのである。


          *


 麗は考えをすぐに行動には移さなかった。舞の動向を一週間、注意深く見張った。一見不審だったかもしれない。でも、誰も麗に「不審だよ」なんて言わなかった。そんなこと言ってしまえば、それこそブラックリスト直行になるだろう。
 麗の観察眼は鋭いものがあった。親譲りで、こういったことには長けていたのかもしれない。どっちにしろ、彼女の観察は完全に的を得ていた。そしてクラスメイトは、そんな抜群な観察眼を持った麗を、絶対に敵にしてはいけないと改めて心に誓ったのであった。

 舞はおとなしくて、あまり大声で話す事も無かった。いつも弱々しい微笑を浮かべていて、吹奏楽部の友達と喋っている。喋っているといっても、その友達が一方的に喋るだけで、舞は「へぇ、そうなんだぁ」と相槌を打つだけだ。吹奏楽の子以外とは話そうとしない。話しかけられたら応じる、といった具合だ。男子とも話そうとしない。おしとやかで、謙虚。麗の観察結果は、そんなイメージを持たせるものだった。
 更に集めたデータから分析すると、頭は中の下といったところ。体育の授業を見ていても、運動神経の悪さは多分クラスナンバーワン。ボーイッシュな雰囲気を持たせるショートカットがやけに虚しい。

 この子を叩くのは可哀想かもしれない。
 一瞬だけそう思ったが、そんな甘いことは出来ないと思い直す。だってあの子は、自分のプライドを傷つけた子。何としても、仕返ししなければ気がすまない。初めて味わった屈辱を、そう簡単に許すわけには行かない。


「黒川さん? 友達にならない?」


 一人で黙々と本を読んでいる舞に、麗はできるだけ優しく話しかけた。舞が驚いたように顔を上げる。まるで自分と関係ないとでも思っていたかのように。麗は舞の返事を聞かずに、彼女の手を引っ張る。ガタンと音がして、舞の椅子が倒れる。戸惑う舞を強引に引っ張って、麗は校庭に出た。


「ちょ……宮永さん?」


 舞の困惑した声。麗は舞を校庭の真ん中まで引っ張ると、ようやく舞の方を向いた。向かい合う二人。麗はニコッと笑って見せた。舞もつられて微笑む。だがその笑みは、若干引きつっていた。


「私の前から、消えてくれる?」

「は」


 麗は思い切り舞の頬をぶった。舞は頬を押さえてうずくまる。立ち上がったときには、彼女の目には大粒の涙が溜まっていた。案外弱いのね。麗は鼻で笑う。


「私のプライドをずたずたに引き裂いてくれてありがとう。許さないから」


 舞の頭をくしゃくしゃに撫でる。別に可愛がって撫でてあげてるわけじゃない、別の意味で「かわいがって」いるのだ。麗は散々舞の髪をぐしゃぐしゃにすると、背を向けた。舞が呼び止めてくるかと思ったが、舞は何も言わなかった。背後からは、ただすすり泣くような声だけが聞こえた。


「まだ序の口だよ、これは」


 麗はそういい残して、立ち去る。一人取り残された舞は、頬の痛みと麗の恐ろしさに怖気ついて、肩を震わせた。「まだ序の口」、麗は確かにそう言った。要するに、これからも麗の復讐は続くということだ。自分がどうして麗に目をつけられたのかは分からなかった。心当たりさえなかった。
 舞の地獄の日々は、一発のビンタで幕を開けた。



          NeXt...


012*味方はゼロ 

July 07 [Sat], 2007, 12:57





           012*味方はゼロ 〜Now everything enemy




 昼休みが終わる。バタバタという音を立てて、生徒達が一斉に席につく。沙希も、廊下から教室に飛び込むようにして席についた。彼女はまだ、クラスを包む異様な雰囲気に気づいていない。沙希は教科書を開くと、頬杖をついて辺りを見回した。そこで初めて、何かがおかしいことに気づく。
 誰も一言も喋っていない。お調子者の男子も、ミーハーな女子も。皆俯いているのだ。何か変だ。テストでも返却されるのかしら……沙希はそんな思惑を抱いていた。その時はまだ。


「……っそー、やりすぎじゃない?」

「宮永さんも酷いわねー」

「え、でもどうせあんたもやるんでしょ」

「当たり前じゃない! そうじゃなきゃ私らまで餌食よ……」


 ふとそんな会話が耳に入ったが、あまり気に留めなかった。きっと誰かが噂話でも拾ってきたのだろう。そう思っただけ。
 けれども、沙希は段々とこの雰囲気が異様であることに気づいてきた。皆、一枚のメモを真剣に読んでいるのだ。いつもはお調子者の隣の男子も、花柄のメモを熱心に読んでいる。


「お気の毒に」


 突然、前の席の女子が振り向き、言った。


「は?」


 だが沙希が問い詰める間もなく、その子は前を向いてしまった。それからも、何人かが哀れみの顔で沙希を盗み見したが、当の本人は全く気づかなかった。だが、やはり皆が何のメモを読んでいるのかは気になる。沙希はこっそり、隣の男子のメモを覗こうと体を動かす。が、その男子は沙希がメモを見ようとしているのに気づくと、大慌てでメモを机の中に隠してしまった。
 それと同時に、てっぺんハゲの数学教師が扉を開け、教室に入ってくる。沙希はメモを読むのをあきらめ、代わりに落書きだらけの教科書を開いた。


          *


 放課後の掃除の時間。沙希の班は教室の割り当てになっていた。いつものように、掃除用具入れから箒を取り出し、辺りを見渡す。だが、教室にいる人数がやけに少ない。というか、沙希の班員がいない。沙希はハッとして机を見る。予想通り、班員達の鞄はそこには無かった。――帰ったのだ。
 気がつくと、麗が満面の笑みを浮かべて眼前に立っていた。


「桐野さん、お掃除好きみたいだったから、班の子たちには帰ってもらったの」


 悪びれる様子もなく、麗は朗らかに言って見せた。麗のこの言動は、休み時間に揉めたことからきているのだろう。それは分かっていた。ここで負けてはいけない――。


「なんで宮永さんが指示するの? 宮永さん、私たちの班じゃないよね」

「ええ、そうよ。それが何か?」


 まるでそう反撃されるのが分かっていたかのように、麗は素早く切り返してきた。その反応の素早さに、思わずたじろいでしまう。言葉を一瞬失ってしまった。麗はまだ、笑みを浮かべている。つくづく意地の悪い女だと思ってしまう。
 麗は表情を崩さないまま、教卓の上に腰掛ける。顔に貼り付いたような笑みが気持ち悪くて、思わず顔を背けたくなる。


「……本当にあんたって、性格悪いのね」


 沙希はそう吐き捨てた。
 麗は声を微かに漏らして、クククと笑う。


「へぇ、喧嘩売ってるの? 結構な度胸ね」


 麗が軽やかに教卓から降りる。長い髪がサラサラと揺れた。だが、彼女の笑顔は消えていた。
 これ以上話していてもらちがあかない。沙希はそう思って、麗から背を向けた。麗が舌打ちする音が聞こえる。だが沙希はそれを無視して、机の上に置いてある鞄を掴んで肩に掛けた。そして逃げるようにして教室を後にした。
 残ったのは、麗と僅かな生徒達。麗は教室を見渡すと、肩をすくめた。怒っているわけではない。麗は、笑っていた。


「馬鹿よね、あの子」


 教室に残った生徒達に、麗が話しかける。生徒達はどう返事して良いか分からず、機械的に頷いた。麗は腕組をして、黒板にもたれる。チョークの粉がスカートについたが、特に気には留めていないらしい。


「こんなのまだ序の口だってのに。……あんなことで本気になっちゃって。意外とさっさと潰れてくれそうね。あぁ、皆今日のメモ読んだよね。そのメモの通りに、明日から実行してね。裏切ったら許さないから」


 一方的に喋る麗に、生徒達はただただ首を縦に振るしかなかった。麗はキーホルダーのたくさんついた鞄を手に取る。最近流行の犬のキャラクターの鈴付ぬいぐるみが、しゃらんという軽快な音を立てた。
 

「不登校になってくれたら、面白いわよね」


 流石に誰も頷かなかった。頷く代わりに、顔を伏せただけ。

 ――そう、確かあの子は簡単に不登校になった。沙希よりも、ずっと簡単に学校に来なくなった。ああ、そういえば……


「あの子も、吹奏楽部だっけ」


 あの子のことはやけに鮮明に覚えている。自分よりもちょっと背が低くて、運動神経が悪くて、頭も大して良くなくて、そのくせショートカットで爽やかな雰囲気を醸し出している。そんな記憶が頭の片隅に残っていた。
 ええと、なんて名前だったっけ。確か……。


 黒川 舞。



          NeXt...


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