早いもので明日で引退、というわけで、さすがに更新しようと思って昔のブログを引っ張り出してきました。
1回生の頃、なっちゃんと「マンドリンのための専門的なホームページを作ろう」と画策してこのサイトを立ち上げました。ブログはマンドリンの記事が充実するまでの場つなぎ的な意味合いでしかなかったのですが、いつの間にやらそれが本業になり、変化に乏しいマンドリン界においてそこそこの頻度でそこそこのネタが提供されるというのは当時新しかったのか結構ウケて、ちょっとした人気サイトになりました。そのせいで僕の側では初対面なのに、相手はブログを見て僕の人となりを知っている、という奇妙な場面に出くわすことも多かったです。
知名度に関してはほとんどがなっちゃんのテケトーな才能の功績ですが、そこに立ち会えただけでも今までやっててよかったかなと思います。
テケマンを立ち上げた頃は、本当に毎日が楽しくてしょうがなかったです。さえない日があっても、それでもどこか楽しかった。今もしていること自体は同じだけど、そういう気持ちにはなりません。時間の経過がどう作用してそうなったのか、今となっては思い出すこともできませんが、変わってしまったもの、失ってしまったもの、そういうものは二度と戻らないというのが持論なので、まあもうどうこう言っても仕方のないことです。
でも、過去に確実に「楽しかった」と記憶しているのは動かない事実で、僕はそれを忘れ去ってしまってはいけないと思うんです。今そうじゃなくても、そうだった、ということ、そのときに思っていたこと―――純粋に楽器が好きで、合奏が好きで、そういう気持ちを演奏で表現できたら―――なんてことを、なかったことにしてはいけないと思うんです。だって、明日の演奏会は、奏者としての自分の集大成だから、昔の自分も今の自分も一緒くたに出さなきゃ、昔の自分や、昔の自分に関わった人がかわいそうです。これも持論ですが、過去は絶対に消えないのです。
副指揮者が、明日の演奏会は今年の終わりであると同時に、来年へのスタートだと言っていました。終わりが終わりとして存在するのではなく、はじまりに繋がるという意味では、僕ら引退する回生は現役にとって過去に、消えない過去になるのです。それなら少しでもいい過去になってあげたい。このクラブにいれば、楽だと感じられる時間は回生が上がるにつれどんどん少なくなっていきます。でも、そんなときに初心として立ち返れるような過去にならなくちゃいけない。そんな風に思います。
何度か書いたことですが、僕は演奏会は自分の全存在をかけて音楽にぶつかる行為だと思っています。よい自分も悪い自分も、全部受け止めてそれを音にする。願わくばそうすることでお客さんや後輩に何かを伝えて、残してやることができたらいいなと思います。
僕はマンドリンを通じて出会ったみんなのことが大好きです。嫌いな部分も含めて、大好きです。結局そういうことだってわかってたのに、今まで言えずにいた。遅くなったぶん、そういう気持ちも明日表現できたらいいな。伝わるといいな。そんなことを思いました。