【鑑賞】シネカノン有楽町【日本公開日】2007年10月6日
【製作年/製作国】2006/メキシコ・スペイン・アメリカ
【監督】ギレルモ・デル・トロ
【出演】イバナ・バケロ/セルジ・ロペス/マリベル・ベルドゥ/ダグ・ジョーンズ/アリアドナ・ヒル
【原題】“EL LABERINTO DEL FAUNO”
恐怖の政治が国を覆っていたスペインの暗黒時代に、少女オフェリアは生を受けた。優しかった父が死に、身重の母親と二人で直面する現実は目を覆うようなことばかり。新しい父親はまさに独裁のシンボルのような恐ろしい大尉。生まれてくる自分の息子にしか興味を示さず、オフェリアの生きる世界は閉ざされていた。そんなとき、彼女が見つけたのはうす暗い森の中の秘密の入り口。妖精の化身である虫たちに導かれて、迷宮の世界への冒険が始まる・・・。

『観客は映画が虚構だとわかっている。だから、どんなに残虐な内容でも受け取ることができる。』というが、とても残虐な映画を観たときに、どうしようもなく痛みや辛さを感じるのはなぜだろうか。それは、観客が映画という虚構の世界に浸りたいという矛盾した願望も持っているからだと思う。現実でないとわかっていながらも、映画の世界にどっぷりと入り込んでしまうために、「これは映画だ」と言い切れない気持ちになるのだろう。
この映画、「ファンタジー映画」と言われているが、観終わって「ファンタジー映画を観た」という感じがしない。少女が残酷な現実から救いを求めるために、現実と“パンズ・ラビリンス”を行き来することになる。その現実は少女にとってはあまりに残酷で、パンズ・ラビリンスでの試練もとても過酷なものだ。そのため、“ファンタジー”という言葉からすぐに想像するような夢のある世界とはかけ離れた内容である。
現実とパンズ・ラビリンスと分けて書いたが、この映画の中では現実というものがわからなくなる。はっきりとした境界がなく入り混じっている。だから、少女が現実から逃げているようにも思えたし、母を救うという現実と向き合っているようにも思えた。と考えているうちに、そもそも現実と分けること自体がおかしいことのように思えてくる。書いていて自分でもよくわからない。
映画のラストには、180度違う2つの結末と取れる場面が描かれている。そのどちらを少女の本当の結末として受け取るかで、残酷な映画と感じる人もいれば、ファンタジー映画と感じる人もいるかもしれない。上記の通り私はファンタジー映画と感じることはできなかったが・・・。
ところで、映画の冒頭には映画の結末が描かれている。説明もないままだから、実は一番最初に結末が示されているのに、映画を観ているうちにそのことが頭から消え去ってしまうから不思議だ。そしてラストに至るまでの間も、冒頭に示されていたはずの結末を思い出すことなく、その残酷さに衝撃を受けた。
ファンタジーといえばファンタジーだけど、いわゆる“ファンタジー映画”を期待して観に行くと、まるっきり違う映画を観に来たように感じるかもしれない。
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