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久しぶりの更新である。しばらく休んでいたのには大して意味はない。要するに怠慢なのである。
さて、先日日本でおそらく最高の権威を持つであろうと思われるコンクールの、地方大会の審査に行ってきた。小中高の部である。最初の小学生部門を聴いて驚いた。皆上手に弾くのである。実に達者なものだ。もしかすると審査員より上手かもしれないとさえ思ってしまう。
中学も高校も同様である。私も様々なコンクールの審査をしているが、参加している子供たちのレベルが全く違う。地方でこのレベルなのだから、東京は恐ろしいほどのレベルの高さあろう。普段得体のしれない無気力な、スケールも碌に弾けない音大生ばかり見ているせいか、別の世界の出来事のように感じられた。
ところで今のご時世コンクールには講評用紙がつきものである。それを楽しみにコンクールを受ける子供もいるくらいである。しかし、書く側にしてみれば、聴きながら書くのは結構大変な作業である。しかも点数も付けている。聴きながら講評を書き、更に点数までつける。これは予想以上のストレスがかかる所業である。場合によってはストップウォッチを見ながら時間になるとベルを鳴らして演奏を止めたりもする。そこまでくると超人技である。
今回のコンクールでは講評がなかった。これはラッキーなことである。しかし、ただ単に楽なだけではなく、聴くことに神経を集中できるのである。その結果、考え抜いた末の採点ができるということに気がついた。講評を書きながらではこうはいかない。書いていれば聴くことがおろそかになり、聴いていれば筆が止まる。時にはストップウォッチを見ることすら忘れてしまう。
人間の認識能力や判断能力、記憶力はいい加減なものである。聴くこと、採点すること、講評すること、計測することを同時に出来る人は聖徳太子くらいなものである。そろそろ講評はやめてみてはどうか。
コンクールから戻って、上記のような事柄について学生に聞いてみた。そうしたところ、講評のないコンクールは受けないという学生がいたのには驚いた。世の中変な方に動いているようだ。
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