昭和20年(1945年)3月18日
2009年02月25日(水) 23時23分
18日の日曜日、私たちに外出許可が出ました。
先週は日曜日も関係なく、いつもの日課をこなしたので、久し振りの休日です。みんな、大喜びして家族に会いに出掛けました。
私も家族に会いたかったけど、父親は日曜も休まず、県庁で仕事をしいて会えないかもしれないし、姉は陸軍病院にいて、会えるかどうかわからない。もしかしたら、弟に会えるかもしれないし、おばあちゃんにも会いたいので、首里に帰る友達と一緒に、首里に行きました。本当は安里先輩に会えるかもしれないと密かに期待していました。
南風原の陸軍病院の前を通ったけど、残念ながら姉や叔母には会えませんでした。南風原から首里にかけて大勢の兵隊さんが行き来していて、何となく慌しくて、戦争が近づいて来ているというのがひしひしと感じられました。
もしかして、疎開して誰もいないかもしれないと思いましたが、おばあちゃんはいました。従姉の陽子ちゃんとも会えました。
記念運動場で作業していた弟の康栄とも会え、そして、安里先輩とも会えました。ほんの少しの時間だったけど、安里先輩と話ができて、本当に嬉しかったです。

先週は日曜日も関係なく、いつもの日課をこなしたので、久し振りの休日です。みんな、大喜びして家族に会いに出掛けました。
私も家族に会いたかったけど、父親は日曜も休まず、県庁で仕事をしいて会えないかもしれないし、姉は陸軍病院にいて、会えるかどうかわからない。もしかしたら、弟に会えるかもしれないし、おばあちゃんにも会いたいので、首里に帰る友達と一緒に、首里に行きました。本当は安里先輩に会えるかもしれないと密かに期待していました。
南風原の陸軍病院の前を通ったけど、残念ながら姉や叔母には会えませんでした。南風原から首里にかけて大勢の兵隊さんが行き来していて、何となく慌しくて、戦争が近づいて来ているというのがひしひしと感じられました。
もしかして、疎開して誰もいないかもしれないと思いましたが、おばあちゃんはいました。従姉の陽子ちゃんとも会えました。
記念運動場で作業していた弟の康栄とも会え、そして、安里先輩とも会えました。ほんの少しの時間だったけど、安里先輩と話ができて、本当に嬉しかったです。





