1月22日の空襲で、二高女の仮校舎だった若狭町のお菓子工場も焼け落ちてしまって、授業は中断してしまいました。
2月になって、松尾山にある知事官舎が仮校舎に決まりました。知事官舎は前の知事さんがいなくなってから空き家になっていて、新しく来られた島田知事さんのために綺麗にしたんだけど、島田知事さんは食糧営団の理事長さんのお宅を宿舎にする事になって、二高女で借りる事になりました。
そして、2月5日から看護教育が始まりました。男子中学生たちは立派な兵隊になるために通信訓練や戦闘訓練を始めていて、女学生も立派な看護婦になって、お国の役に立たなければならないというわけです。
看護婦と聞いて、私は喜びました。姉や浩子おばさんと同じように陸軍病院の看護婦になれるんだと思うと感激でした。
私たち松組はその日は作業日だったので、6日から看護教育が始まりました。教官は南風原の陸軍病院から派遣された野口少尉さんと鮫島軍曹さんでした。野口少尉さんは東京の人で、背がスラッと高くて格好いい青年将校でした。鮫島軍曹さんは鹿児島の人で、体つきはごっついけど優しそうな顔をしていました。
昭和20年2月の出来事
2月1日、宮古島の第28師団参謀長福地春男少将、在南支第23軍参謀長に転じ、後任に一瀬寿大佐が発令される。
2月3日、《台湾及南西諸島方面作戦に関する陸海軍中央協定》が結ばれる。
2月3日、
沖縄県下の学徒動員が強化され、通信・観測・看護婦などの特別訓練が実施される。
2月3日、
米軍、マニラ市内に侵攻する。
2月4日 米・英・ソの首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)、ヤルタで会談を開く(対独戦後処理、ソ連の対日参戦を協議)。
2月7日、第32軍参謀長、沖縄県庁を訪れ、緊急に6カ月分の住民の食糧を確保すること、ならびに本島中・南部地区の住民を北部地区に疎開させることを島田知事に要請する。
2月7日、沖縄県、平時行政から戦時行政へ切り換える。
2月7日、第28師団の新参謀長一瀬寿大佐、広島から宮古島へ着任する。
2月10日、県立第二中学校で緊急市町村会議が開かれ、第32軍の木村参謀が米機動部隊の沖縄来攻見通しについて公式に発表する。
2月10日、
沖縄県中南部住民の北部疎開計画決定。
2月11日、沖縄県、人口課を新設し県内外の人口移動業務に当たらせる。
2月11日、
米・英・ソ、ヤルタ協定成立。ソ連、対日参戦を決定。
2月12日、牛島第32軍司令官、海上挺進基地大隊の改編を命じる。
2月12日、宮古島の全守備部隊に迎撃戦闘準備令が下される。
2月15日、米機動部隊の接近により宮古島の守備隊司令部、野原越に移動する。
2月15日、第32軍、《戦闘指針》を沖縄県下の軍民に示達する(《1機1艦船、1艇1船、1人10殺1戦車》が標語となる)。
2月15日、
沖縄県下に市町村単位の国土防衛義勇隊が編成される。
2月15日、那覇市役所、真和志村の安里八幡宮近くの民家に移転する。
2月15日、女師・一高女生徒に南風原陸軍病院での看護実施訓練始まる。
2月16日、米機動部隊、艦載機延約1200機をもって関東、東海地方を攻撃する。
2月19日、
米軍、硫黄島に上陸する。米軍75000、日本軍23000。
2月19日、沖縄県下男女中等学校単位の防衛隊の結成が始まる。
2月20日、B29、100機、東京を空襲。
2月22日、東京に二・二五事件以来の大雪。
2月25日、米機動部隊、東京および八丈島を攻撃する。
2月26日、B29、130機、東京を空襲。
2月、 台湾の陸軍第9飛行師団、石垣島白保に駐留する。
2月、 島田知事、決戦施策の三大目標(国土防衛の強化・食糧自給の達成・自主輸送の確立)を発表。
2月、 沖縄本島の全学校の《御真影》を北部の稲嶺国民学校に移す。
2月、 沖縄県学務課、県下男女中学校単位の防衛隊組織を決定。
2月、 沖縄県の官公吏や教員の県外疎開続出。
2月、 飯米配給の停止・減配を行う。