昭和20年(1945年)3月24日
2009年06月13日(土) 22時29分
3月23日の朝、空襲警報が鳴り響きました。いよいよ敵の攻撃が始まりました。
港川方面に艦砲射撃が始まったのです。私たちは防空壕に避難して、急遽、注射の打ち方を教わりました。
そして、24日の夜中に、連絡を受けて駈けつけていらした与那覇先生の引率で富盛にある第24師団(山部隊)の第一野戦病院へと向かいました。
ぼんやりと半月が出ていた空に照明弾が上がって昼間のように明るくなりました。
不気味な音が鳴り響いて、花火のような艦砲も撃ち上げられて、どこに落ちたのかわからないけど地響きが伝わって来ます。
生きた心地もなく、冷や冷やしながらサトウキビ畑の間の道を南へと進んで行きました。
だんだんと生まれ故郷の那覇から離れて行って、戦場の真っ只中に連れて行かれるようで、心細くて恐ろしい思いでした。

港川方面に艦砲射撃が始まったのです。私たちは防空壕に避難して、急遽、注射の打ち方を教わりました。
そして、24日の夜中に、連絡を受けて駈けつけていらした与那覇先生の引率で富盛にある第24師団(山部隊)の第一野戦病院へと向かいました。
ぼんやりと半月が出ていた空に照明弾が上がって昼間のように明るくなりました。
不気味な音が鳴り響いて、花火のような艦砲も撃ち上げられて、どこに落ちたのかわからないけど地響きが伝わって来ます。
生きた心地もなく、冷や冷やしながらサトウキビ畑の間の道を南へと進んで行きました。
だんだんと生まれ故郷の那覇から離れて行って、戦場の真っ只中に連れて行かれるようで、心細くて恐ろしい思いでした。

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