忘れるということ。 

2014年02月05日(水) 22時59分
『人は、忘れないと生きてゆけない生き物なのよ』

いつだったろうか、若い頃に姉を亡くした母が言っていた。

これ以上抱えてしまうと、精神が崩壊してしまうと、
無意識のうちに自分の中の何かが制御をかけたようにも思う。

ある時から、たくさんの事を忘れ去ろうとしてきて、
どうやら本当に忘れてしまったみたいだ、と自分でも呆れる時がある。

いろんな人の想いを忘れないように、と
彼らの言葉を、存在を伝えなければならないと
死んだ友人たちの写真を机に並べて暮らしていた日々があった。
『忘れるな、決して忘れるな』と。

死んでいった友人たちの写真の数が、机に並びきらなくなった頃
何かがプツリを音を立てて切れた気がする。

『日常』という時の流れに委ねて、
すべてを『忘れる』という選択肢を選んだ。

ばーちゃんが死んで自分の中で宇宙が生まれて、
ラアードが吹き飛んで世の不条理を知った。
香川さんは最期までポジティブで、
吉川さんをひとりで逝かせて悔やんだ。
痩せた種やんには会うのが怖くて、
山ちゃんはちーこを追うように逝った。
あきよの葬式の為だけに一年間写真を撮り続けて、
彼女の遺体を撮った時に己の生業を呪った。
のえは自ら命を絶ちCDだけが残り、
智恵はある日突然召されてしまった。
大好きな旭さんは結婚式に来れないまま真冬の朝死んだ。
『電話すれば良かった』と何度も何度も悔やんだ。
そして、世話焼きな田畑さんも旭さんを追いかけた。

どんなに胸が張り裂けそうでも、
どんなに願ったとしても、もう話す事はできない。

『人の死』を避けるようになった。
写真はすべて引き出しの奥にしまった。

お別れなんて、しにいかない。
いきたくない。
それは自分にとって、恐怖でしかない。

世の不条理に首を突っ込むということは、
否応もなく、人の死に触れるということ。
己の精神を保つために、
見ないフリをして生きることを選んだ。

忘れてはいけないことを、忘れてしまった自分がここにいる。
それを時折思い出しては、問いかける自分がここにいる。

『オマエは本当にそれでいいのか?』と。
『自分を許して生きてゆけるのか?』と。

知っているくせに、全部知っているくせに。
いまもそこに生きている人たちがいることを。

過去の自分、今の自分、そして未来の自分。
オマエは、どこへゆくのか。

(題名なし) 

2005年12月08日(木) 6時39分
6日に、バグダッドの警察学校で自爆攻撃があり、警官や訓練生が36人死亡、50人がケガをした。

その日の夜中、イラクからの電話。964の国番号とバグダッドの市外局番
が出るので、間違いなくイラクだ。

9月にパレスチナへ行く前にかかって来て以来の電話だ。

午前4時前に4回。出ると切れてしまう。

「元気?」っていうだけならいいんだけど。

また心配になった。

There was a suicide attack in a Police training center in Baghdad on the 6th killing 36 and wounding 50.  That night, I had phone calls from Iraq 4 times.
My cell phone shows the country code of Iraq and the area code of Baghdad, so
I know it's from the family.

They haven't called since Septemebr right before I left for Palestine.
Every time I tried to answer it was cut off.

I just hoped that they just wanted to say hello.

I got worried again.



10月11日 Oct. 11, 2005 

2005年11月13日(日) 1時59分
香川さんが、死んだ。

香川さん。
私が長居で出会った時には、すでに福祉を受けていた。長居に行くと、たまにテント村に遊びに来ていて、めちゃめちゃ関西人だなぁって思うジョークをよく飛ばしていた。最初に話した時に、「関東の人間は、やっぱり冷たいなぁ」と言っていたのをなんでだか覚えてる。出会った時には、既に末期癌だとわかっていたらしい。一度、アパートに遊びに行った。「もう、お迎え来た頃かと思ったわ〜。なんや、まだ生きとるんか」と、誰かが冗談で言うと、「先に香典もらっとくわ〜」と返していた。

7月に行った時に、アパートに行ったら、留守だった。その後、東京に戻ってから、「香川さんは、夏を超えられないかもしれない」と、聞いた。

パレスチナに行く前に、香川さんはもう自力で生活できる状態ではなく、病院に入っていたので、3日間だけ会いに行った。元々、細い人だったが、たぶん、言われなかったら私には誰だかわからないくらいに痩せていた。「骨と皮」って、こういう事を言うんだ。と思った。「元気ですか?」と、2回も聞いてしまった事をすぐに後悔した。「ちょっと起こしてくれるか?」と、腕を差し出されて、力を入れて起こす事を戸惑ってしまった。「折れてしまうんじゃないか」と、不安になった。点滴ばかりで、食事もほとんど喉を通らなかったが、その日の夜、香川さんは、桃とメロンをほんの少しだけ食べた。「阪神、どうしたかなぁ」と、言っていた。

次の日の夜行くと、食事の時間を終えたばかりだった。食事が喉を通らない末期がんの患者に、普通の白いご飯と、揚げ物を出す病院て、一体、どんな病院なんだろう。その日は、酢豚で、少しだけ酢豚を食べた香川さんは、すぐに気分を悪くして口が聞けなくなり、丸くなってしまった。吐き気止めをうってもらうと、すぐに眠りに落ちた。30分くらい、香川さんの寝顔をみてた。香川さんの身体が、小さく息をしているのをみて、安心した。若い時は、塗装工をしていたと話していた。

私は、彼が近い将来、死んでしまうと、わかっていたから会いに来たのだろうか。可哀想だと思ったから?
彼の寝顔をみながら、考えていた。何か口あたりのいいものなら、食べれるだろうと持って行ってみたたまご豆腐は、自分で持って帰って長居で食べた。テント村に戻ってから、香川さんは、全然弱音を吐かなかったのを思い出した。「新しい病院に移るねん」と、パンフレットを見せてくれた。「ここよりも、もっといいとこや。ここの先生はなぁ、あかんねん。」 ホスピスのパンフレットだった。

3日目、会いに行くと、長居のさとさんが来ていた。香川さんの夕飯をつまんでいた。私とさとさんとふたりで、完食。ひどい見舞客だ。「散歩、連れてってくれへんか?」と香川さんに頼まれた。その日、夜行バスで東京に戻る予定で、あまり時間がなかったので、一瞬躊躇したが、「ちょっとだけや。」と、どうしても行きたそうに言うから、車いすでさとさんと3人で外へ出た。「たこ焼きがなぁ、どうしても食べたいねん。」思わず、「冗談かしら?」と思ってしまうようなコテコテな事を香川さんは言い出した。大阪生まれの大阪育ちなのかと思っていたが、香川県の出身。
車いすは、人間を乗せているとは思えないくらい、やたら軽かった。

しかし本当に、どうしても食べたかったみたいで、その執念に負けた。「この近くに、たしかたこ焼き屋があったんや。匂いがする。こっちや!」病院からすぐ近くの角をまがると、本当にたこ焼き屋があった。私には、たこ焼きの匂いはしなかった。でも、ちょうちんに灯はともっておらず、たこ焼き用の鉄板も今すぐたこ焼きが焼けるようには見えなかった。民家の一部だったので、何度か家の中に声をかけたが、人が出てくる気配はまるでなかった。私たちがあきらめて行こうとしても、香川さんは、まだ「おーい。誰かおらんのかぁ」と、問いかけ続けていた。

しばらく、その辺りを歩き続けたが、もう、たこ焼きの匂いはしないようだった。
前日、病院からの帰りに、新しいたこ焼きやができているのを見たのを思い出し、そこの話をした。自転車だったら、7分くらいの距離かな。テント村の、向かいの店。車いすだと、結構距離がある。

それでも、ここまでたこ焼きが食べたいのなら、どうしても食べさせてあげたいと思った。たこ焼き屋につくまでに香川さんは、独り言のようにつぶやいてた。「新しい病院に行ったら、また腹切るんかなぁ。切らんと直らんやろうなぁ。」さとさんが、相づちを打っていた。もう、手の施しようがない事を、本人は知っているはずだった。あれは、私に見せた強がりだったんだろうか、それとも、本当にそう思っていたのか。何を、思っていたんだろう。死ぬまでの日々、彼は何を考えてたんだろう。怖くは、なかったんだろうか。

やっとたこ焼き屋についた。公園のベンチでつついた。口にした途端、嗚咽がきたようだった。「あかん。これたこ焼きやない。」その、新しいたこ焼き屋のたこ焼きは、香川さんの食べたかった「たこ焼き」ではなかった。そして、本当は、たこ焼きなんて、もう受けつけられる体ではなかった。「目がほしいだけで、食べたいなんて言ったら、あかんなぁ」と、自分に言い聞かせるように言っていた。もっとおいしいたこ焼き屋が、もう少し頑張ったらあるのは3人とも知っていた。だけど、そこまで行く事はできなかった。

香川さんはすっかり疲れてしまったようで、病院に辿り着くと、すぐにベットに横たわった。「パレスチナから戻ったら、10月に来ますから」と、言って別れた。
嘘を、ついていると自分で思った。帰って来てすぐになんて、来れるわけが無いのはわかってた。

パレスチナにいる時も、香川さんのことを思い出した。戻って来て、成田で香川さんの容態は、あまり芳しくない事を聞いた。すぐに、新幹線に乗って行こうかと思ったけれど、そんな気力も、体力も残っていないくらい疲れ果てていた。

「もうすぐ行くから、待って下さい。頑張って下さい。」と、心の中で何度も思っていた。長居の他の人たちと比べたら、私の事など、大して記憶に残ってはいないだろう。そこまで、深く関わった覚えもない。けれど、彼の事を気にかけている人間が余分に1人いる事は知っていてほしかった。なんでかは、よくわからない。ただの、自己満足なんだろう。

今朝、香川さんが亡くなったと連絡が入った。 電話が、やけに大きな音でなっていたような気がした。かけてくれた人の名前をみて、何の電話か、聞かなくてもすぐにわかった。「ああ、遅かった。」と思った。

いや、遅かったんじゃなくて、たぶんわかってたんだ。荼毘に付す時に、新幹線で駆けつけようかとも思った。けれど、そんな風に、本当に無理をすればいけたのに、新幹線で、一目会うだけでもよかったのに、行かなかった。死んでから行けるんだったら、生きてる時に行けよって、自分にムカついていた。こういう後悔は、本当にムカつく。

そんな事をする前に、ちゃんと、自分の役割を果たしなさいと言われた。その通りだけど、感情だけで動く事をよく否定されるけど、それができなくなったら、あたしは、あたしではなくなると思う。ひとりひとりと、ちゃんと向き合える人間でいたい。

今日、香川さんは灰になる。もっと、話がしたかった。「長居で一番おいしいたこ焼きを、棺に入れてあげて下さい。」と、頼んだ。自分で持って行こうかとも考えたけれど、「今更行って、何になるんだ。」と思った。生きている時に、持って行かなかったくせに。

たこ焼きを探して、香川さんの車いすを押している時に、生きなくちゃならないと思った。自分の足で歩ける限り、突っ走らないかんと思った。生きて、生きて、生きまくったらなって。

仕事部屋の机の上に、またひとつ写真が増えた。
これからも、自分なりに突っ走ってく力を借りる為に、毎日の生活の中で、今までに感じてきた、怒りや、哀しみや、後悔を、決して忘れる事のないよう、机の上に置いて、毎朝、毎晩、顔を見ている、もういない人たちの写真。写真は、毎年どんどん増えていってしまうけど、増えれば増える程、いつか時がきて死んでしまうのも、そう恐ろしくなく感じる気がする。したら、また会えるんかなぁと思うと。前述の通り、全然死にたい訳ではないので、誤解のないよう。

死んでしまったら、人は、土の中に入るというのに、もういない人に語りかけるとき、人は、天を仰ぐ。
おかしな習性だと、思う。

しばらく、たこ焼きは食べたくない。

香川さんの写真は、これ一枚しかない。まだ、痩せこけてしまう前の写真。
もっと、いい写真を撮ってあげたかった。

Kagawa san passed away.

He was already getting wellfare money and lived in an apartment when I met him. He used to live in the tent villege. Sometimes, he was at the tentvillege when I visited there. His jokes were very much "Kansai jin"(people in the West in Japan. It is said that kansai people have more sense of humor). The very first time I met him, I remember he was saying that "Kantou no ningen" (people in the East in Japan) are much colder than Kansai jin. When I met him, he already knew the he had a cancer and he was dying. One time, I visited him in his apartment. someone said, "oh you are still alive, I thought you are already dead and being a mummy", and he replied, "you should give me KODEN (money people give at funerals) already"....

I tried to visit him at his apartment in July, but he was absent at that time. After I returned from nagai, I was told that he might not make it over the summer.

Before I left for Palestine, he wasn't able to live by himself at his apartment. Since he was hospitalized, I went to Nagai to see him for 3 days. It was about 4days before I left for Palestine.
He was skinny when I met him, but he was even skinnier. I wouldn't have recognized him if my friend didn't come with me. In Japanese expression, people use "bone and skin" to discribe a really skinny person. and I remembered that term when I saw him. I regreted right after I asked him twice, "Genki?"( are you doing well?). He asked me to help him wake up and gave me his arm, but I hesitated cuz I thought I might have broken his arm. He was put in intravenous drip and wasn't able to eat much. That day, however, he ate a little bit of peach and melon.

The next day when I visited him, he just finished dinner. I just wonder what kind of hospitals give the patient, who is dying of cancer and can't even eat much, some flies and regular steamed rice. (cuz ususally, they would give that kind of patients softer food) he ate a little bit of Subuta (pork stir fry with vineger). Right after I got there, he was about start vomitting. He got a shot for not vommiting (don't know the exact medical term) and fell asleep. For about 30 minutes, I was just spaced out and looking at his face. He seemed really really small. and I was relieved his body was breatheing. He told me that he used to be a painter.

I was thinking when I was looking at his face. Thinking if I went to see him just because he was a poor guy who was dying. I brought him Tamago Tofu cuz I wanted to bring him something soft which is easy to eat. Since he passed out, I brought it back to the tent villege and ate it all. After I went back to the villege, I remembered that he didn't say anything negative. He said, "I am moving to a new hospital." and showd me a booklet. "It's better than this hospital. the doctors here are no good." the booklet was for a hospice.

The third day, when I went to see him, there was sato san from the tent villege. he was eating Kagawa san's dinner. Sato san and I ate all of his dinner. What kind of visitors are we? "Will you take me for a walk?" Kagawa san asked. I was supposed to go back to Tokyo in a couple of hours, so I hesitated for a second. but he said, "only a little bit, please" so we put Kagawa san in a wheel chair and went outside.
"I REALLY want to eat TAKOYAKI" he said. I thought it was just a joke. I thought he grew up in Osaka, but I wasn't correct. He grew up in Kagawa. The wheel chair didn't feel like it had a person on. It was really light.

I guess he really wanted to eat TAKOYAKI. He said, "I rememeber there was a TAKOYAKI place really close to the hospital. I think it's this way cuz I can SMELL it!!" Yes, there really was a TAKOYAKI place.... but it was closed and we couldn't smell anything. it was a part of someone's house, so we rung the bell. But noone answered. we were about to leave that place but still Kagawa san was calling for them.

We walked for a while, but he couldn't smell any more TAKOYAKI.
Then I remembered there was a new TAKOYAKI place opend which I discovered the day before.
It would take about 5 minutes by bycicles. it takes quite a while by a wheel chair.

I realized he really, really wanted to eat TAKOYAKI and I wanted to let him eat that stuff. He was talking to himself on the way, "Am I having another operation? I might get better if I do that." Sato san nodded. and I didn't know what to say. He was already told that he was dying soon by his doctor. don't know if he was trying to be positive or wanted to show me that he is trying to be positive. I wish I could have known what he was thinking. To the day he died, what was he thinking of.
It must have been scary.

We got to the new TAKOYAKI place. we ate them at the Nagai park. He was about to start vommitting again when he tried to eat a little bite and he couldn't eat it anymore. It wasn't even a bite. the TAKOYAKI wasn't what he was looking for. "this is not TAKOYAKI...." he mumbled. and truthfully, his body wasn't able to take TAKOYAKI in his stomach anymore. He said, "I shouldn't say I want to eat this and that just because I want to..." there was a better TAKOYAKI place a bit farther and we all knew it. but, it was too far for us.

The walk and the fact he couldn't eat TAKOYAKI made him really tired. right after we got back to the hospital, he laid down on the bed. I told him that "I will come see you when I come back from Palestine." I knew I lied to him. I knew that I wouldn't be able to come right away after I come home.

While I was in Palestine, I thought about him a lot. When I got to Narita, I was told that he isn't doing well. I thought about going there from Narita by Shinkansen, but I was exhosted physically and mentally.

I was hoping he could hold on to his life for a little bit more. I probably didn't mean anything to him compared to other people who meant to him. I just wanted him to know that there was an extra person who cared about him. I really don't know why. It's probably just my self satisfication.

This morning, I got a phone call and was told that he passed away. When it rung, it seemed like my cell phone was ringing really loud. I ran down stairs to grab the phone. and when I looked at it and saw my friend's name on my phone, I knew that I was too late.

NO, it wasn't like that. I could have made it if I really wanted to. I had 5 days after I came home. I am mad at myself. and I really hate this kind of regrets. Who doesn't.

Today, he is going to be ashes. I just wanted to talk to him more. I asked my friend to put the best TAKOYAKI in NAGAI in his cascket. I thought about bringing it myself. but if I could go there by Shinkansen like that, I could have visited him when he was still alive.

When we were looking for a TAKOYAKI place, I kept thinking that I have to live, live and live. as long as I can walk with my legs, I have to keep going to pursue what I believe in.

Another photo is put up on my desk now.
The photos on my desk gets more and more every year. As the number of the photos increases, I don't feel so scared of death so much. When I think that I can meet them, it doesn't seem so bad. only when the time comes though. no worries. I'm not gonna die anytime soon.

When people die, we bury them in the ground. But for some reasons, when we talk to them, we tend to look up to the sky. When I think about it, it is a strange habit.

Every time I eat Takoyaki, I will probably remember the day we looked for them. Well, I don't wanna eat them for a while.

This is the only photo of him I took. This is before he got really skinny. I wish I could have taken a better photo.






Ramallah 

2005年10月04日(火) 22時14分
I'm out of Gaza and back in Ramallah. Ramadan started today. I'm gonna go to the airport tonight straight from Ramallah and leave Israel 5 in the morning tommorow. I have a lot to say but I don't have much time to write it. I will try update everything when I go back to Japan. The plane will land Japan about 9:30 am on the 6th. I miss SASHIMI!! deha, massalama.

Gaza 

2005年10月03日(月) 23時07分
ima Gaza desu. Gaza ha umi ga arunode, West Bank toha daibu tigau.
West Bank yori mo, Gaza no houga suki da. ashita, Gaza wo deru.

I'm in Gaza now though I am leaving Gaza tommorow. I am staying with a family again. things here have been a bit tense. yesterday, there was a shooting going on between Hamas and Fatah and 5 people were killed and 50 were wounded. But basically, things are way quieter than 3 years ago. it's not as tense as i used to be. Right after I entered Gaza, there was air strikes from F16. anyways,I am glad to be back in Gaza. it is a beautiful place.

I am going back to Jerusalem tommorow. and the day after tommorow, I will be headed to Japan. Insha Allah.

back in Ramallah 

2005年09月28日(水) 1時26分
Ramallah ni yesterday modori mashita. Asu, Gaza ni Hairu yotei. ga, Gaza no GATE ga CLOSED datta ra, Hebron ni modoru yotei.

I got back to Ramallah the day before yesterday. I interviewed several female film makers today and yesterday, but the lady who was in charge of the film festival had REALLY pissed me off, I quit and left in the middle of the schedule today.

I am going to shoot a Palestinian boxer's photos tonight. planning to go in to Gaza tommorow, but don't know if the gate to Gaza, Eretz, is open because of the situation in Gaza. if it is closed, I am going back to Hebron and Al rooub camp, I think.

anyway, I am doing completely fine.
so, DON'T WORRY

Hebron 2 

2005年09月23日(金) 5時27分
ima, Hebron no refugee camp de aru kazoku to seikatsu wo tomo ni shite iru. kono kazoku no syashin wo toru tame ni Nablus ni iku noha yameta. koko ni ha sunday made stay shite, sorekara Ramallah ni modori, Gaza he mukau. I am using dial-up, so I can't update photos yet. I am learning lots of Arabic words. Although their life is kinda hard (not as hard as the life in NAGAI PARK!!), it has been very quiet and peaceful. Except the one time in Ramallah, I haven't heard any sound of shooting so far.which is quite different from the last time. I remember the first night I was in Palestine 3 years ago, I had to sleep with my shoes on cuz we were under attack in Jenin. the Ramallah one was just fighting between 2 Palestinians over stupid stuff and the police fired guns to break up the fight. the life here in a refugee camp in Hebron and Ramallah are sooooooo different. people seem to be closer to each other here. I like it here better. Ramallah is very westernized. I really wish I could update the photos before I go back home. the family reminds me of the Abbas family so much. and it makes me really sad and upset sometimes to think about them... I will probably miss this Hashim family too when I leave though. it's is always a pleasure to meet new people that I care about. but at the same time it is always hard to say good bye to them and worry about them after I leave. yeah. it's pretty tough and I hate it so much. anyways, I am doing pretty good and drinking lots of NAMA MIZU!!! no worries, I have anti-virus pill.... ok, Masah-lama for now. Peace.

Hebron 

2005年09月23日(金) 5時10分
I decided to stay in Hebron longer. I am staying in a refugee camp with a family. The father is a barber and he has a wife and 3 sons and a daughter. it's been 3 days with them already. the kids are driving me crazy though, it has been great.

back in Jerusalem 

2005年09月19日(月) 19時41分
Israeli Press card wo uketoru tame ni Jerusalem ni modotte kita. korekara, Hebron ni iku. Hebron ni 2haku shite, sono ato, Ramallah ni 1paku dake modori, sonoato ha, Nablus ni iku yotei. Nablus no atoha, mata Ramallah de, Palestina jin no josei kantoku tachi no interview wo suru yotei. sono ato ha, Iza Gaza he... It's so hard for me to write in Japanese right now, so let me write it in English.


I am back in Jerusalem to receive the Israeli Press card. I am about to go to Hebron now. I will stay in Hebron for 2 nights and go back to Ramallah for one night and go to Nablus for 3 nights. There will be a women's film festival in Palestine this week and next week, so I am scheduled to meet with 7 female Palestinian film makers next week. After that, I will be headed to Gaza strip. There are sooooooooooooo many photos from Ramallah I want to put up on this weblog, but I still can't connect my own computer online, so I will do it when I get a chance before I go into Gaza strip. You will be surprised to see all those photos from Ramallah. Life there is so different from other cities in Palestine. I REALLY wanna update my photos so bad. so everybody can see what I have seen this past week. Anyways, I gotta go now. Things are not as bad as you think! I will be just fine!! ;)

ramallah 

2005年09月17日(土) 23時46分
i was just writing how peacfull rammalah was... but when i was writing, i heard the sound of shooting REALLY close to us. my friend was explaining to me that 2 palestinians are shooting at each other and one of them is the palestinian police. I haven't heard the sound of guns over a year, but now i do.... and I DO NOT LIKE IT!! when i looked down the window, i saw people running from the shooting... it's happening really close to us. anyway, i will be ok.
P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:chihirophoto
読者になる
2014年02月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新コメント
アイコン画像ちひろ がんばれ
» 2004年6月18日 (2007年10月17日)
Yapme!一覧
読者になる