思うのです。
なんでそんなに否定的で、批判的で、傷をつけることをするのですか。
何が間違っているとか、どんな考え方が正しいとか、一つにまとめられないことなんて当たり前じゃないですか。
誰かが、「これが一番正しい」と決めて、話し合って、決めたとしても、必ず批判する人間が現れる。
それは当たり前のことで、何一つ間違っていない。
でも、「批判する人」が現れたら、必ず「それを批判する人」が現れる。
お互いがどちらかの意見に統一するために、主張して、怒号を飛ばす。
さらに加速する。しかも、面と向かってではなく、文字で。文章で。
顔も知らぬ相手を、ズタズタに、いびっていく。
でも、どちら側も折れないので、さらに激しさを増す。
どちらが正しいも間違いも、言い合いであれば無いと思うのだ。
私が書いているこの文章にも、もしかしたら批判や野次が飛ぶかもしれない。
私がこう思うのは、単純に透明な統一性なんてこの世には存在しないと思っているし、それなら平和でいたいじゃないかという気持ちからである。
平和でいたいが、皆、人間でいたいわけだから、仕方がないことだとは思っております。
自分の意見を人に主張できる現代の人間の行動には感心する。
それを遮るように、汚濁した言葉を生み出し、文にする現代の人間にも感心する。
でも、私は、一歩遠目で見ている人間でいいです。
参加はしない。
今の私の見ている世界の状況に、私はうだるような気持ちになり、よくわからなくなってしまった。
なら、こんな世界でも、この、今、この状況でも、平和でいたいではないかと。
生きていれば、腹が立ったり、やるせなくなったりすることがあるのだ。
それでも、そっと隠せば、濁せばいいのではないだろうかと思う。
結局、私も自分の意見を主張してしまう、人間の一部だ。
主張しているつもりはないですが。
こんなものがあるからだ。
こんな、こんな便利な世の中になったために。
結局、主張して、批判されて、主張して、批判されて、主張して、批判しての繰り返しだ。
答えなど無い。
どこでも突っつかれてしまえばもろく崩れる。
答えのない争いや、批判、「見なければいい」だけで済ませられることではないでしょう。
参加しない者は徹底的に蚊帳の外へ放り出される。
傷がつく。傷がついても立ち向かう。傷がつく。それの繰り返しだ。
蚊帳の外の人間でも、「人間でいたい」のです。
平和でいたいのです。