ブログのお引っ越し 

2005年04月01日(金) 23時17分
引っ越します。
新しいブログです。
マップの編集日記もつくりました!


ジンガロ 

2005年03月30日(水) 1時35分


待ちにまったジンガロ日本公演へ行きました。ライブの迫力はとてもすごく、会場にはお香を焚かれていて、生のバルタバスも見ることが出来て、興奮しました。

とにかく人と馬とがどうしてこんなに仲良しなんだろうという程仲良しで、馬の顔を双眼鏡で良くみたのだけど頭がよさそうで、性格もよさそうで、「はい。わたくしたちも喜んで参加させて頂いております」という顔をしているのだ。馬ができていると言うかんじ。耳も全然動かないし、リラックスして集中しているのだ。どうやって教えるんだろう、台本もないのに。「あ、きみ、きみはあの黒い馬が出るのを見届けてから出てきてね〜」なんて教えられているようによくわきまえているのだ。ほんとうに可愛い馬達だった。

ジンガロの馬術は、意外にも西洋馬術のトラディショナルなものだった。その美しい技は「馬を調教するのではなく馬の気持ちに耳をかたむけるのです」というジンガロと馬との信頼関係のたまものだ。

ただ、今回はチベットがテーマなのだけど、馬の乗り方がトラディショナルなせいか、西洋の人にとってのチベットという感じ。民族音楽にインスピレーションを受けて作られたクラシック音楽のような・・・でも、あの馬の首をきゅっと曲げる西洋の馬術は美しいのだ。チベットの人は馬の首をあんなふうには曲げないし、乗り方も違う。西洋に綿々と受け継がれる美の感覚とはやはり違う部分も大きいと思う。もちろん馬を愛する気持ちに国境はないけれど。

 多分バルタバスは馬と人とを外見的に美しく見せるだけでなくもっと野性的なものを表現したいのだろう。だからジプシーとかチベットの人の馬との関わりのような物を作品に取り入れてきたんだと思う。でもやはり人と馬とを美しく見せる西洋的な美の感覚は根底に流れているから、この作品もバルタバスの目を通したチベットというものが表現されているのでしょう。そう思えばとても納得。

 最後のチベットの人の歌はよかったなあ。最後の演出はちょっと泣けました。この最後の部分を見るとジンガロのチベットの人への尊敬や愛のようなものがとてもよくわかりました。沢山の馬をつれてくるのは大変でしょうがまた日本にきてもらいたいものです。

本を読む人 

2005年03月27日(日) 21時20分
本を読む人が好きだ。というと、本を良く読んでいる人という意味になってしまうけど、もちろんそういう人も好きだけど、本を読むその姿というのを見るのが老若男女問わず好きなのです。(但し新聞は別。広げて読むその姿は老若男女問わずあまり可愛いくないのであります。)

本屋さんや図書館で知っている人に会わないのは、知っている人がそこにいないのではなくてみんな本を見ていて人をみていないから。

同じ空間にいながら頭の中はみんな異空間を彷徨っている。みんなきっと頭から見えない湯気がたっているのです。

あ、今度そういうテーマで写真をとってみたいな。

もわもわ 

2005年03月12日(土) 0時26分
この世の中はいろんな、解決できないたくさんのもわもわに満ちあふれている。(もわもわとかほにゃほにゃとか、全くもって言語が足りなすぎる。時には科学的、客観的思考は大切。)でもいつものクセですぐもわっとしてしまう。だってこの世の中っていうのは考えてみると不思議だらけ、矛盾だらけ。自分の頭の中で絡まりもつれるそういう言葉にならないいろんなものごとがどうしょうもなくなったとき、私は写真を撮っていることが多い。でも最近は写真を撮ることすら忘れていた。気持ちがもわもわっとしてきて、写真を撮ることを思い出す。撮るとスッキリすることがある。写真とって良かったと思えるととても嬉しい。なのにすぐにまたそのことを忘れている。何度も同じことをくり返しているのに学習しない。でもきっとこうしてひょんなときに思い出してまた撮ってホッとしてと言う感じで私と写真との関係は続いていくのだろう。

催眠音楽 

2005年03月06日(日) 22時02分
カゼが長引くと気持ちもトーンダウンしてしまうので昨日は寝る前に「スケッチショウ」を聴いた。この選択は正解でした。すごく気持ちよくてほんのり楽しくなって、すぐに眠くなってしまった。でも、聴いていたのはほんの数分、後は泥のような眠りがやってきてほとんど聴いていないというのが本当のところ。それで思い出したんですが、細野さんのCDにはなにか催眠作用があるような気がするのです。というのもずっと昔のアルバムで、たしかバリとかそっちの方を意識して作ったアンビエントのCD、あれも聴いているといつの間にかどどっと睡魔に教われ眠ってしまうことが何度もあったのです。昼間に聴いていても、です。これは一体どういうことなんだろう?

インフルエンザ 

2005年03月06日(日) 14時30分
とうとうインフルエンザB型にかかってしまった。一昨年もかかって本当につらかったのに昨年はかからなかったのをいいことに予防注射をしていなかったのだ。(注射をしても今年はかかるらしいけれど。)2年もたつと何がどうつらいっていうのは忘れてしまうのだがまた思い出した。あ〜これこれ。インフルエンザっていうのはかぜで熱が出たりする感じとちがってなんというかビールスと言う目に見えないすごい力をもったものにやられてしまっているダークな感じだ。治ったと思ってもまた熱が出ての繰り返しなのでしばらくはあまり期待しないで過ごそう。
 こういう時は普段読めない本を読む機会でもある。梨木香歩の作品には最近ひかれていて「からくりからくさ」という本を読みはじめる。日常の何気ない描写が味わい深く面白いと思って読み進めて行くうちに、話がどんどん込み入ったものになり、誰々の父方の祖父が、誰々の嫁ぎ先のどうのこうのと義理の母?といった私の苦手なややこしい人間関係の話になり、それでも前を読みかえして何度もトライして読んでいたのだが、登場人物が次第に増えて(登場人物が多いと人間関係がわからなくなり、また名前も覚えられなくなってくるのだ)、どんどん知らない人が増えるのでとうとう投げ出してしまった。小説にしては久しぶりにもうすぐ読破しそうだったのになんだか、くやしい・・・
「西の魔女が死んだ」は登場人物が主人公とおばあさんが中心だったのでさらりと読めた。よしもとばななの作品も登場人物が少ないので助かる。もっといろんな小説が読みたいと思うのにいつも人間関係と名前を覚えられないために何度挫折していることだろう・・・

追加
その後、また読みはじめた。最後まで読んで良かった。最後を読まなければこの本を読む意味はなかったでしょう。私は人形や織物のことは良く分らないし興味もあまりないけれどなにかものすごいものを感じた。物に宿る力はそれと関わる人間の魂の力でもある・・・とても力強い作品です。

ジョニー・イングリッシュ 

2005年02月22日(火) 10時00分
家では今さらながらMr.ビーンが大流行で、久しぶりに見るとまた面白い。ビデオ屋さんでビーンを借りるついでに「ジョニー・イングリッシュ」も借りてみた。

私の知っているアトキンソンはビーンの時のままだったので、この渋いおじさまは誰?
という感じでびっくり。ああ、人ってこういう風に年をとるんだなあと思うと妙に感慨深くなったりして、全然笑えない。ビーンを知らない人ならそのまま映画にはいっていけるのかな。なにかおとぼけなことをやってもいちいちかっこいいのでビーンの時みたいに笑えない。すこし間をおいて頭のモードをチェンジしてからもう一度見よう。

ここ2,3日の状況 

2005年02月21日(月) 22時32分
前からお話を聞きたかった尊敬する方々がみな快くインタビューにOKして下さったため、思いもかけずmap次号は豪華なものになるかもしれない。こちらもそれなりに良いものをつくらなくては!と考えているうちにコーフン状態に陥る。

眠れないのでパソコンをやろうとしたらパソコンの調子がおかしくなり、ノートンでいじくっているうちにパソコンがとんでもないことになり、さらにコーフンで眠れなくなる。

翌日の保育園の謝恩会で叩くお母さん達で集まった和太鼓の練習では睡眠不足によるアドレナリン放出でハイ状態。わけもなくバチを振り回して踊り狂う。

その上「謝恩会の余興になんか面白い企画を考えてよ」というお母さん友の要望に気を良くして夜もいろいろ考えていたら一人で笑いがとまらなくなり、翌日もハイ状態が続いた。

そんなわけで今日はわけもなくド〜ンと落ち込んでいる。

自己管理 

2005年02月16日(水) 13時00分
昨日はアテさんと文化服装学院の敷地にあるBFBの卒業作品のショーを見に行った。かなり本格的。これだけのことをやるのは本当に大変だっただろう。その中の期待の新人田中さんは、絶対疲れているだろうに、全く疲れが顔の色つやに表れていない点が、やはり若さというものなんだと感心してしまった。

map次号もだんだん原稿が集まってきた。

まあ当たり前といっちゃ当たり前だけれど、せっかくみんなが良いものを書いてくれても、私が動かなければ、本がこの世に存在しなくなってしまう。と思うとその責任をずしんと感じつつ、なんとなくまだまったりと過ごしている。発酵させるのを待っているという感じでもあり。
締め切りがハッキリないというのはよいものだが、だからといってだらだらしてよいと言うことではないわけで。これから求められるものは「自己管理」。

自分に厳しくするもしないも全て自分次第。常に新しいことに挑戦し続けているアテさんを見ていると、そういうところがすごいなあと思う。

良い感じで自分を律して、モチベーションを保ち続けること。それが大人というものなのだ。




アートを飾る 

2005年02月09日(水) 16時07分
国立にあるプランターコテージへ朋子ちゃんにつれて行ってもらった。

中に入ると蔦の絡まる外観からはまた予想できないような異空間となっていて、不思議に心和む空間。彫刻家の小池さんがゼロから作りあげたこの場所は、どこかの森の小さな洞窟のようでもあり・・・壁に掛けられているアートが土壁の重みととても合っているなあと思ったら、リヒターやカール・ブロスフェルトの本物だった。現代美術の画廊に勤めていた奥さんが買ったり、もらったりして集めたものだそうだ。

そこでアートを飾るとはどういうことかということをすごく考えさせられたのです。それは飾ったものを見て初めてわかるものでした。

それは良い洋服は着てみないとわからないのと同じで、良いアートは実際飾ってみないとわからないということ。それは絵画も写真も彫刻も全て同じ。

美輪明宏さんは「美は心の栄養」とおっしゃっていましたが、アートが生活と共にあることから得られるものというのは、これはあなどれないぞと思ったのです。

アートを買うというのはお金に余裕がなければ無理というのも本当なのだけれど、アートの経済は、投資等のゲームとしてだけで成り立つんだとしたらとても勿体無い話で、もちろんこの喜びを知っているコレクターの方もたくさんいらっしゃるのだと思いますが、身銭をはたいて買って家に飾り、アートと暮らすことがどういうことなのか。それがどんなに生活を潤してくれるものか、その可能性みたいなものをすごく感じたのでした。

今日は久しぶりに部屋の額縁の絵をとりかえた。無性にルソーを飾りたくなり、もちろん本物は無理だから古い画集を切り抜いて入れたらなんだかすごく気持ちのいい感じになりました。



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