サラ2 

September 13 [Sun], 2009, 20:07
ひどい頭痛と寒気に、うなされるように目を覚ました。
ぐらぐらする頭で起き上がれば、そこが見知らぬ部屋だということに気付く。
横たわっていた硬いベッド、埃っぽい空気に満ちた部屋の中はとてもじゃないが片付いているとは言いがたく、乱雑に積みあがった本や衣類・・・おそらくそれらが雪崩れてできたよくわからないかたまりがあちこちに。
ひょい、と何気なくつかんだレースを手にとってまじまじ見つめれば、俺にはおそらく一生世話にならない女性特有の下着、で。

「女の部屋・・・・?これが・・・?」

思わず唖然、ともう一度部屋の中を見回す。
泥棒が入った後さらに地震でもきたみたいな惨状だったが、よく見ればそこら中にひっかかっている色とりどりの衣類はサテンのドレスだったり、フリルのスカートだったり、それもすべてが恐ろしく細身で小柄な女性向けのものばかり。
ベッド周辺のみ、申し訳程度に物がよけてある辺り、一応ここで生活している人間がいるのだろう。
ベッドサイドに置かれたグラスには埃が浮いていたが、水はまだ透明で何日も立っている様子はない。
まさに足の踏み場もない、といった様子の床を眺めてさあどこから着地しようかと思案しかけたとき、がたん、ざざー、という騒音と共に何かが部屋の中に転がり込んできた。

「お、お、お?起きた?」

そこがこの部屋の入り口で、横にわずかに除いているのはそりゃドアか?
そこから飛び込んできたのは、ふわっふわのピンクの毛並みの・・・・・・

「う、うわぁ!?」
「お前まだ熱あるね!もうちょっと休む!」

ガリガリに痩せた少女は恐るべき身体能力で部屋を文字通りひとっとびして俺のすぐそばへ音もなく着地した。
まるで猫のようだ。・・・・・・・と思ったら、ふわふわ揺れるピンクの髪の中に2対の・・・・・・・なんだこれ、耳?
がっ、と反射的につかんだら少女は目を見開いて動きを止めた。
次の瞬間がぶり、と腕に食いつかれる。

「なにする!」
「こっちのセリフね!」

言われてみればそのとおりなので、俺は黙った。
今のは俺が悪い。ようなきがする。・・・・・・だがしかし、あれは、なんだ?
釘付けになっている俺の視線の先で、ぴくぴく、とそれは動いた。
触って怒る、ということは感覚があるんだろう。やっぱり、耳か?

「もうすぐドクターが戻ってくるから、それまでおとなしくしてるね!」
「ドクター?医者、か?」
「医者もやってる」

言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったのは、たぶん熱のせいだ。
『も』ってなんだ、『も』って!
だが聞き返す間もなく、俺はベッドに押し付けられた。
こんな小柄な少女の腕の力一つであっけなく倒されたのも、たぶん熱のせいだ。・・・・・・・たぶん。

「あー・・・・」

思っているより熱は高いようだ。
横たわるとすぐに脳がふわふわに解けたみたいな感覚が襲ってくる。
ここがどこで、なんで俺がこんなところにいるのか、とか次々と疑問が襲ってきて、はいる。
だけどそんなことどうでもよくなるくらい、頭も体もしびれたみたいにぐったりしていた。
ひたり、小さな手のひらが額に乗せられる。
目だけでそちらを見ると、ベッドサイドにのしかかるようにして少女が笑っていた。

「熱がでると苦しいのか?えみしには、わからない」
「えみし?それが名前か・・・・?」
「そう。ドクターがつけた。・・・・・・あ」

ぴくん、とまたあの耳が動く。

「帰ってきた」

言うなり、飛び跳ねるように少女は部屋を飛び出していった。
残像だけが視界の中でぶれる。
そのすぐあとに聞こえてきたのは、がちゃがちゃ、という鍵の音。ただいまー、という間延びした声にがさがさ、紙袋かなんかのこすれる音。
それから複数の人間が家の中に入ってくる気配。

「ドクター、あいつ、起きたよ」
「ああ、そう。かるら、これ冷蔵庫」
「はーいドクター」

ぱたぱたぱた、という軽い足音がいったりきたりする音。
それとは別の、重みのある、ゆったりとした足音。

「おい、生きてるか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

だいぶんと重たくなっていたまぶたをこじ開ける。
開けた視界の先にいたのは、予想外の人物だった。

「・・・・・・・・あんたが、ドクター・・・?」
「おお。思ったより元気そうだな」

サテンのドレス、フリルのスカートがくるくると頭の中を駆け巡る。
どうみても女の、部屋にしか、見えなかったが、これ、は。

俺よりも一回りはでかい背丈に、がっしりした胸板、伸び放題の髭と髪、男らしい低音ボイス、・・・・・・・・・・・ワイルド、すぎる。
でかい手であごをさすりながら俺の顔を覗き込む。肉食獣みたいなどっしりした動き。
じゃあこの部屋中に転がるこれらはえみしのか?思った瞬間打ち消した。
たしかに華奢で小柄な少女だったが、さっき着ていたのは擦り切れたタンクトップと色あせたショートパンツ、だ。
しゃべり方や動作からしてとてもじゃないがドレスが似合う淑女には見えない。

「なんていうか、予想外だ」
「はぁ?美人の女医でも想像してたか?残念だったな」

ははは、と豪快に笑ってドクターは俺の体を軽々持ち上げた。

「え、おい・・・」
「まだ熱はあるか、まあいい。とりあえず食え。もうちょっといい寝床を用意してやりたかったんだが、残念ながら俺の部屋じゃないんでな。我慢しろ」

床に散らばるあれそれを気にした風もなくすたすたと部屋を横切るドクターの足の下でばきばき、と時折何かが壊れる音がする。
あーあ、と心の中でため息をつきながら俺は運ばれるまま部屋を出た。

あの大災害な部屋と違って、他の場所は比較的すっきりと片付いているようだった。
短い廊下を通って、部屋はどうやら二つほどあるらしい。
その中の一つへ俺を抱えたまま、ドクターはノックもせずにドアを開けた。
・・・・・・・・途端に襲い来る猛烈な熱気。
寒気がしていても関係ないくらいの熱に、毛穴から一気に汗が噴出しそうだ。
薄暗い部屋の中には規則的なカタカタという音と、機械特有のブーーン・・・という音が響いている。

「すげ・・・・」

壁中に張り巡らされたケーブル、得体の知れないブラックボックスがずらりと並んでいる。
その部屋の中心に巨大なデスク。
その上にもずらりとさまざまな機械が並べられている。
このびっくりするほどの暑さは放熱によるものか。
ひときわ目をひく巨大なモニターの光に照らし出されているのは、艶のない髪をひっつめ、でかい眼鏡をかけた痩せた女だった。
真剣にモニターを覗き込むその両手は、キーボードの上をせわしく動き回っている。カタカタいう音の正体はおそらくこれだ。

「マリア。めしの時間だ」
「ドクター」

今まで人がいたのに気がつかなかったようにぽかんとした顔を上げて、女はつぶやいた。
視線がドクターから俺へ、ゆっくり移動する。

「その子起きたの?」

はずした眼鏡をテーブルの上において、女は立ち上がった。
近づくと、結構な美人だということがわかる。
ちょっと疲れた顔色をしてはいるが。

「あれ、女の子かと思ってたんだけど違うんだ」
「!?」

俺の顔を覗き込み、細い指でくいとあごを捕らえて女はぎりぎり鼻先まで顔を近づける。
吐息がかかりそうな距離に熱のせいではなく、がっと顔が赤くなった。

「マリア」
「あ、ごめん。眼鏡がないとよく見えなくて。赤くなっちゃってカーワイ」

くすっと悪びれた風もなく笑って、女は部屋を出る。
このクソ熱い部屋の中にいたというのに汗一つかいていない。
再び廊下に戻ると、急に呼吸が楽になったような気がした。


テーブルの上には山のように積み上げられたりんごと、得体の知れない錠剤の瓶、俺の前にはくたくたになった野菜のスープとやわらかく煮た豆が置かれていた。
それと、酒。キンキンに冷やされたグラスと一緒に数種類の酒瓶が並べられている。


「いただきます」

ドクターに合わせて声を上げたのは全部で5人。
俺、ドクター、マリアと呼ばれていた女、えみし、それから。
それから。

ぴくぴく動く耳が4つになって、俺はスプーンを握ったまま呆然としていた。
えみしとまったく同じ外見をしたその少女の名はかるらというらしい。

「どうした?まずいとかいうなよ。味は完璧なはずだ」
「ドクターがつくってないからね」
「きゃははは!」

自らはビールをがぶがぶ飲みながら心配そうに俺を覗き込むドクターにかるらの冷たい声が飛ぶ。
どうやら外見はそっくりでもえみしとかるらの性格はかなり違うようだ。
天真爛漫なえみしと違い、かるらからは知的な雰囲気が漂っている。
ドクターを挟んで座る二人の前には色とりどりの錠剤。
視線に気付いたようにかるらが俺を見る。

「ああ・・・・・気にしないで。わたしたちはこれしか食べられないから」
「ドクターすごいよ!こっちがいちご、メロン、バナナ・・・・」
「猫はそんなもの食べないのにねえ。まぐろとか、チキンとかも用意しなさいよ」

嬉しそうに錠剤を指差すえみしに微笑みながら、俺の隣に座るマリアが小首をかしげる。
彼女が器用にナイフ一本で剥いているのは、テーブルの上に積みあがるりんごだ。
俺が見ている限り、すでに4個はおなかに収めている。
痩せているので小食かと思えばそうでないらしい。

「夢がねえだろ。それは。かわいい子にはかわいいもの食べさせたいだろうが」
「錠剤はもっと夢がない」
「・・・・・・・ハート型にでもすりゃいいのか?」
「そうじゃないわよ、ドクター。あら、もうおなかいっぱい?」

デザートにりんごはいかが?と剥いたナイフにそのまま突き刺して向けられたそれを俺は小さく首を横に振った。

「マリア」
「なによドクター。親切心じゃないの」

不満そうに唇を尖らせてマリアはそのままりんごを自分の口に運んだ。
ナイフが唇に触れそうになる瞬間、ひやっとする。

「さて、大体食えたか」

うなずくとドクターは懐からごそごそ、緑色のラベルを貼った茶色の小瓶を取り出した。
栄養剤に似たパッケージのそれには波打った手書きの文字。汚すぎて読めない。
中には透明な(おそらく!)液体がなみなみと満たされ、はんぱなくうさんくさい。

「熱のときの特効薬だ。びっくりするぐらい早く治る」
「はあ」
「飲め」
「・・・・・・・・」
「ドクター、すごい嫌そうよこの子」
「なんでだ。俺の作った薬だぞ」
「・・・・・・・・だからじゃないかな」
「安心しろ。俺は医者もやってる」

だから医者『も』ってなんだ。

「飲め」

ずいっと差し出されたそれに恐る恐る手を伸ばした。
ふたをあけて匂いをかいでみても、なんの香りもしない。
覚悟を決めて、ごくり、と一気に飲み干した。
匂いと同じくなんの味もしないそれは染み入るようにのどを下っていった。

「・・・・・・な、なに」

全員の視線が集まっているのに気付いて、俺は動揺した。
ドクターをはじめ、えみしまでもが真剣な顔で俺の様子を伺っている、
やっぱり、うさんくさいものだったのか、これ?

「・・・・・・・大丈夫そうだな」

ふーーーー、と仰々しいため息をついて、ドクターがワインを瓶ごとあおった。
かたり、とテーブルに響く硬質な音は、マリアがナイフを置いた音だ。

「いったい、なに・・・・・・・」

薬じゃないのか、と問おうとした声は突然途切れる。
張り付いたみたいに急に声が出なくなる。
ぶつん、コンセント抜かれたみたいに強制的に落ちる意識。


目覚めたときには寒気も頭痛もすっかり消えうせて、やたらクリアな視界に飛び込んできたのは二匹の猫が俺の両側で丸くなる姿だった。もちろん、ピンクの毛並みの。
正直どっちがどっちかこの状態ではわからない。
起こさないようにそっと動いたつもりだったが、ぴくんと耳を動かしたあと、二人は同時に飛び起きた。
そして再びベッドへと倒される。

「な、なに」

無言のまま二人がのしかかってくる。
二対の目がまっすぐ見つめてくるのに困惑した。
金色の目。・・・・・・・獣のようなきらめきを一瞬はなって、すぐに二人分の重みは体から離れた。

「もう大丈夫」
「安心!」
「何が」
「ドクターに感謝するね!薬がよく効いてる」
「・・?確かに熱は下がったけど」
「・・・・・・人間でいられてよかったな、と言ってる」
「・・・・それはどういう」

はっと口を閉じたのは、にらみつけるかるらの瞳が冷え切っていたせいだけではない。
ここにつれてこられるまでの記憶がぐるり、頭の中を駆け巡りーーー。



いつものように仕事を終えた深夜、ほどよく回った酔いで機嫌よく人気のない路地をふらふらと歩いていたとき。

『いやっ・・・・!』

押し殺したような悲鳴に酔いも吹き飛んであわてて駆けつけたその先には。
めらめらと燃え上がる『何か』とそれを見つめてうっすら微笑む少年の姿があった。

『・・・・・あれ』

声だけは鮮明に覚えているのに、記憶の中の少年の顔ははっきりしない。
覚えていないのか、それとも他のものに気をとられていてちゃんと見ていなかったのか。
---------燃え上がるそれは、どうみても人の形をしていた。

『運が悪いなあ。・・・・・・・まあいいか、ちょうどよかった。・・・れを・・・・・・・・』

声が途切れ途切れになる。
・・・・・・・何を言っている?俺は、何を・・・・・・・・・



「あれ・・・・・は、なんだったんだ」
「思い出せないならそのまま忘れるといい。・・・・・・・・覚えているのなら」
「話してくれるとありがたいわ」

部屋の入り口にもたれかかるようにして、マリアがこっちを見つめていた。
右手で神経質そうに眼鏡をぐいと押し上げ、左手に持っていた何かを俺に向かって投げた。
部屋を横切って飛んできたそれを、えみしがやすやすと口でキャッチする。
ぼとん、とベッドの上に落とされたそれを見て俺は思わず絶句した。

「これは・・・・・」

焼け焦げて黒ずんだ小さな指輪。
サイズ的には女性のもののようだ。

「・・・・・・・わたしの殺された妹のものよ。きみはその犯人を」



「見たでしょう?」

 

September 10 [Thu], 2009, 23:54
※暴力表現注意。


「もうさァ、いいじゃん、死んじゃえばァ?」

ぱりん、ぱりん。
ポテトチップスの砕ける音と、コーラの炭酸がしゅわしゅわはじけて奏でるハーモニー。
つけっぱなしのテレビはおもしろくもないニュースを垂れ流し、ためにはならないけど害にもならないつまらないつまらないBGM。

「なんでそんなこというんだよ・・・・」

ぶつぶつ、口の中でつぶやく同居人は薄っぺらの体を血まみれにして横たわったまま目だけ動かしてわたしを見た。
青白い顔、今すぐにも死にそう。
だらりとさげた右手に、薄い刃のかみそり。どうやら自傷するにもお気に入りがあるようだ。濃いピンクの安っぽいそれは、本来何の用途に使うもの?

「でも、そうだ、俺なんか死んだ方がいい、俺なんか、俺なんか」

うわごとみたいな呟きを無視して、わたしはざらら、袋に残ったポテトチップスを喉に流し込む。
油まみれの指を舐めて、袋をぐしゃぐしゃに丸めて投げた。
テーブルの上のコンビニの袋から、もう一袋取り出す。さっきはうすしおだったから、今度はコンソメ。

「そーよ、死んじゃえ、ひとごろし」
「ひと・・・ご・・ろし」
「あんたのせいで何人死んだと思ってるの」

ふは、と思ったより甲高い笑い声が出た。
笑いの発作みたいに止まらない。ひきつけみたいにけたけた笑ったら、男はむくりと起き上がった。
伸びっぱなしの黒い髪はもじゃもじゃと絡まり、まるで浮浪者のような身なりだったが、その下にある素顔が道行く人誰もが振り返るほどの稀な美形だということをわたしは知っている。
この男は死神だ。美しい顔と甘い声で、何人もの女をたぶらかし、ひざまづき、そして請うのだ。

『どうか、一緒に死んでくれ』

男の傷ついた腕と心を見せられて、今までうなずかなかった女はいない。
そして、生き残った女もいない。
何度も心中を繰り返すこの男はしかし何度でも生き残る側にいた。

「そうだ、俺は、ひとごろしなんだ」

男の痩せた指が、ぐっとかみそりの柄をつかんだのをわたしは嫌な顔で見た。
床にも、じゅうたんにも、壁にも、染み付いて取れない男の血が無数についている。
さすがにここに女を連れ込んで死のうとしたことはないが、この様子だとそれも時間の問題かもしれない。

「外でやるか、風呂場へいってよ。あんたの流血ショーはもううんざり」
「・・・・・・・・・・」
「寂しいからってついにわたしでよくなったわけ?違うでしょ、あんたの好みは白くて細くて小さくて少しおとなしい感じのかわいい子。今までみーんなそのタイプだったじゃない」

男の血を覆うようにわたしは一枚一枚丁寧に壁にはった写真を見上げた。
白黒の写真はまるで遺影のようだ。
幸せそうに微笑んで寄り添う男と少女たちが悪夢のように何枚も、何枚も。
この男は一緒に死にたい相手と写真をとりたがる妙な癖がある。
思い出にと、とそれが決め台詞のようだがなんの思い出だというのだ。
死の世界への旅立ちに?馬鹿らしい、狂っている。
しかしそんな写真に囲まれた部屋で平然と生活しているわたしだって十分におかしいのだ。

「死にたい・・・・」
「だから、死ねっていってるじゃない」

イライラして、まだ中身の入ったままのポテトチップスの袋を投げつけた。
散らばった中身を浴びて、男が小さくうめく。

「早く!ひとりで!死ねばいいのよ!!」

叫んだら息が切れて、ぜえぜえ、と情けない音がした。

「どうせできないくせに!何人一緒に死んでも、何人殺しても、あんただけは何回でも生き残るわ。女が命まで捧げて、あんたを愛してる証を立てても、あんたは信じられないんでしょう?教えてあげる、あんたがずっとずっと抱えてるその渇きは、その飢えは、絶対満たされやしない!!」

うつろにわたしを見つめる目は、動揺するほど美しく澄んでいて、なんの感情も移していなかった。
まるで鏡のようだ。

(あいしてほしい)
(あいしてほしい)
(あいしてほしい)

「それは、きみが、そうだから?」

部屋の鏡はすべて叩き割ったのに。
黒い画面に何も映りこまないよう、テレビはつけっぱなしにしていたのに。
それなのに、ああ。
男の瞳に映る私自身の姿は直視できないほどに醜く太っている。

一度詰め込み始めるともうとまらなかった。
みっしりと体中に食べ物を詰め込んだら、少しは満たされた気がした。
空っぽの体と空っぽの気持ちを埋めるみたいに食べた、食べた、食べた。

(たりない)
(たりない)
(こんなんじゃぜんぜんたりない)
(わたしがほしいのはこれじゃない)

体が悲鳴を上げても、何度吐き戻しても、それでも、泣きながら食べた。
どれだけ食べても、どれだけ食べても、いつまでも飢えが満たされることはなくて。
食べることがわたしのほしいものを満たしてくれるわけじゃないことはどこかでわかっていたけどとまることはなかった。

(あいして)
(あいして)
(あいして ほしい)

愛されたいと駄々をこね続けたわたしたちは、お互いにどこかおかしくなってしまった。
飢えすぎて、飢えすぎて。
ほしいものが見つからなくて。

「・・・・・・・・・早く、死んで」
「そうしたら、わたしがあんたを     あげるから」
「皮膚の一片さえ、髪の毛ひとすじ、誰にもくれてやらないわ。そうしたら、あんたにもわかる」
「わたしがどれだけあんたを    いるか」


「その言葉をずっと待ってた。・・・・・・・    る」


つけっぱなしのテレビは砂嵐を映している。
ザーザーと響く音はわたしたちを祝福するBGM。

もう大丈夫、わたしたちは一番ほしかったものを手に入れた。

サラ 

September 03 [Thu], 2009, 0:16
「姉さんがいなくなったら、僕が、本物に、なれる」

焦点の合わない瞳で唇をわななかせて、わたしの首を絞める腕を震わせながら何度も、何度もそうつぶやく半身をただ、哀れだと感じた。
ほんのわずか、うまれた時間が違うだけで姉と弟に分けられたわたしたち。
姉とされたわたしは『本物であれ』と育てられたけれど。
・・・・・・・・・わたしに宿るこの力さえ、所詮他人からの借り物に過ぎず、どれだけ他人の目に優秀に映ろうともわたしが本物に為れるわけではないのだ。

「ご、ほ」

指先に力がこもる。
口をぱくぱくと開いても、空気が入ってこない。
息ができない、苦しい。
涙がにじんで、視界がぼやけた。

「は、はは・・・・」

かさついた笑い声だった。
酸欠でぐらつく意識の中で、それでも手を伸ばした。
触れた皮膚は子供みたいにやわらかくて、・・・・・・・濡れていた。

(涙)

いまここで、わたしが息を止めたらこのこはどうなるのだろう。
わたしたちは確かにお互いに何かあったときの代用として用意されたスペアだけど。
父さまの思惑を裏切ってわたしを葬ろうとしたこのこを父さまは許すだろうか。

「なにをしてる」

叱責でもなく、驚愕でもなく、単なる問いとしてぽつり、かけられた声にはじかれたようにわたしの体は解放された。
ひゅう、と喉が鳴って、急に吸い込んだ空気にむせた。

「ごほ、ごほ・・・・・・!!!」
「・・・・・・・と、父さま・・・・・・」

しりもちをついた弟が、がたがたと歯を鳴らすくらい震えて体を丸めるのが見えた。
涙をぬぐい、咳き込みながら立ち上がるわたしを無表情に男は見下ろしていた。

「・・・・・・・どうした」
「・・・・・・・なんでも、ありま、せん」
「そうか、ならいい。・・・・・・・・おまえたちがなにをしようとどうでもいいが、わたしの計画に支障がでるようなら」
「わかっています」

呼吸を整え、まっすぐに見つめても視線が交じり合うことはなく。
それきり興味を失ったように男は身を翻した。
その背中を、うずくまりながらすがるように弟の目が追う。
・・・・・・・・咎めもせず、一瞥すら与えなかった。
恐怖でおびえていても、その悲鳴にはわずかの期待が混ざっていたというのに。

「・・・・・・・だいじょうぶだから、立ちなさい」

差し伸べた手を無視して、弟はよろよろと立ち上がった。
殺されかけたわたしよりずっと傷ついて、ふらふらした姿は見ていて痛ましかった。

「姉さんは、そうやって、僕を哀れんでいるんだろ・・・・」
「違うって言っても、信じないでしょう」
「僕だって必要とされたい、父さまに愛されたい、本物に、なりたい・・・・・・・!!!」

血を吐くような叫びに、心の中で耳を塞ぐ。
聞きたくない、この執着と嫉妬を。
・・・・・・・・かわれるものならかわってやりたい。わたしには他に拠り所がある。
だけどこのこにはあの男だけ。あの男がすべて。
・・・・・・・・・・わたしが死ぬことで、このこが望んでいるものになれるのなら、そうしたっていい。でもたぶん、そうじゃない。

「わたしは・・・・・・・・・」

本物にはなれない、とは言いかけて口を閉じた。
私自身の否定は、この目の前のずたずたに傷ついた哀れな弟の否定につながるのだから。
わたしがいなくなれば、本物になれる。
そう思い続けることで心の均衡を保っているのならそれでいい。

なにをしても本物にはなれない、という残酷な事実など知らないほうがいいのだ。

終。

もしも、もしも、もしも。 

August 26 [Wed], 2009, 1:23
(あなたが、すきなんです−−−−−−−−・・・)

思い詰めた声と、つかまれた腕から伝わる熱に感じたのはただただ困惑だった。
どうして?なんで?・・・・・・・・俺?

女の気配どころかまったく生活感を匂わせない無機質な美貌のこの男の存在はしょっぱなから俺の中では『???』だった。
薄笑い、というにはあまりに理性と感情に欠けた表情を浮かべて淡々と仕事をこなしていくその様は、好意よりもむしろ畏怖と薄気味悪さを積み重ねていくだけだった。
人間味の薄い・・・・・その滑らかな肌の下に本当に俺と同じ血と肉が詰まっているのかひそかに疑っていたのだが、まさかその無表情を取り払ってでてきたものがこんな、すがりつくような、焦がれるような表情だとはまったくもって予想外だ。
しかもそれが、俺に対して!なんてこった!

「いや、なんかよくわかんないけど、悪い」

離せ、とジェスチャーで示したらおとなしく手は離れていった、と思ったら今度は腕ごと伸びてきて抱き込まれる。
覚悟していたような、血の匂いはしなかった。代わりにふと香るのは、ほのかな汗の匂い。
ああ、こいつも汗なんかかくのかーーーーー、抱きしめられたまま、ぼんやりとそんなことを思った。

「すみ、ません。少し、だけ・・・・・・・・」

声が震えていた。
叱られるのに怯える、子供みたいな声だった。
背中に回された手の熱が、薄いシャツを通して伝わってくる。
どくん、どくん、と聞こえてくる鼓動はたぶん、俺のじゃない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・少しって、いつまで」

思いのほか長い抱擁に、いい加減しびれをきらしてつぶやいたらびくん、と体が震えた。
お前の方が何倍も何倍もおっそろしい男のくせに、なんで俺の言葉ひとつなんかでびくついてんだ。

「すい、ま、せん・・・・・・」

未練をたっぷり残した声と視線と指先で俺の体を撫でて、うつむく男にしょうがないから大奮発した笑顔で笑いかけてやる。
目じりを薄く染めて、ふにゃり、表情が和らいだ。
乙女か、お前は。

「今のは聞かなかったことにする。・・・・・・・せっかく男前なんだから俺なんかじゃなくてちゃんとかわいい女の子見つけろ。な?なんなら少しぐらいならあてがあるから紹介してやるよ」

ぎゅっと、手のひらを握り締めたのを視界に入れないようにした。
傷ついたような表情も、すがるような目も。
犬っころみたいに懐かれても困る。頭を撫でてやって、餌を与えるくらいならいいかと思ってたが、その餌が俺自身だってのはそれはもう大変困る。

「無理、です」
「んー・・・・・」

即答されて頭をかいた。
まあそんな気がしてた。

「あなたが、いい」
「・・・・・・・・あー・・・」

聞き分けのない子供みたいな言い方で、まっすぐ俺を見つめるその目は静かに揺らめいていて。
これはもう、笑ってごまかせるような段階を完全に超えていた。
本気の、目だ。本人に自覚があるかは知らないが、獲物を狙いさだめる、獣の。

(いつからだ・・・・・・・?)

一緒にすごすようになった数日間を思い返す。
こうしてたまに二人で仕事に出かけるようなことはあったが、ほとんど接点はなかったはずだ。
仕事中も俺はどちらかというとこいつの補佐、って感じでたいしたことはしていない。
考えれば考えるほどわからないまま、視線を先にはずしたのは俺のほうだった。

「気持ちは嬉しいけど、ちょっと、そういうのは」
「・・・・・・・・・すみ、ません」

平坦な声音に、若干落胆の色が混じるのにちょっとだけ胸が痛んだ。
どれだけ尻尾を振られても、そのご期待には応えてやれそうにない。

「・・・・・・・・・・・でも、もう、忘れないで、ください」

(・・・・・・・・・もう?)

その小さな呟きに、何かひっかかるものがあった、が俺はそれを振り払うようにきびすを返した。

「戻ろう。・・・・・みんな、待ちくたびれてるぜ」

背を向けたその先で、こいつがどんな顔してるのかなんて、わかるはずもなかった。

終。

吐夢2 

August 22 [Sat], 2009, 1:06
つられてわたしも少し笑う。

ぐぐう。きゅるるるる。

間抜けな音がした。
男は笑顔を気まずそうな顔に切り替えて、そろり、視線をそらした。
噴出しそうになるのを抑えてたずねる。

「・・・・・・・なんか食べる?」
「・・・・・・・お願いします」
「インスタントラーメンくらいしかないけど。・・・・・・・確か、買い置きが」

やかんに水を勢いよく注ぎいれて火にかけた。
キッチンの戸棚をあさってカップラーメンを探し出す。

「みそとしょうゆ、どっちがいい?」
「どっちでも」
「じゃあみそね。わたししょうゆの方が好きなんだあ」

ちょうど残りふたつだった。
戸棚の中に押し込まれていたそれをつかんで、テーブルの上に転がす。
親指の爪で底のビニールを裂いて、引き剥がす。
ぺりぺり、と小気味のよい音を立ててカップのふたをはがし、スープなんかの個袋を取り出して並べた。

「そだ、おはし・・・」

来客用のお箸なんていいものはおいてない。
コンビニでお弁当買ったときにつけてくれた割り箸がそのままどこかにほったらかしてあったはず。
がさがさ、食器棚の引き出しをあけたり閉めたりしながらなんとか箸を見つけ出して、再び男のところへ戻る。
わたしがテーブルの上に散らかしたビニールやらは男がきれいにまとめていた。

「はい。あとは、ああ・・・・・・」

水、と言おうとしたところにピーーーーーーーーッと甲高い呼び声。
あわててコンロへ取って返し、蒸気を吹き上げるやかんを持ち上げた。
火を消して、取っ手まで熱くなっているそれを持ってテーブルへ。
半分ふたをあけたカップの中へ熱湯を注ぎ込む。

「時間はかってて」
「わかった」

さっき見つけた割り箸をふたの上において、開かないようにする。
さっき投げたペットボトルを拾って、シンクに置いた。
冷蔵庫を開ける。冷えたミネラルウォーターを2本つかんで、足で扉を閉めた。

「はい」
「ん」

男はペットボトルを受け取り、ふたを開けて直接口をつけた。
ごくりごくり、上下するの喉を見ながらわたしも同じように水を飲む。
さっきの生ぬるい水とは違って、しみこむように体を流れていった。

「ん、できた」

時計を見て、男はつぶやく。
二人でいただきます、と律儀に手を合わせて同時に割り箸を割った。
ぱきん。ぺりぺり。
部屋の中にふわっと広がる安っぽい油の匂い。
しばらく、ずるずるとラーメンをすする音だけが部屋に響く。

「そういえばあんた名前は?」

三分の一ほど中身がなくなったところで、ふと疑問に思って聞いてみた。
昨晩名乗ってくれたのかもしれないが、あいにく記憶にない。

「アツシ。・・・・・・・・あんたの名前は昨日カズミさんに聞いた。サヤカ、さんだろ」
「サヤカでいい。よろしくアツシ」
「ん」

今更だけど手を差し出したら、ためらいなく手が伸びてきた。
大きくて、だけどすらっとした指にはなんだか覚えがあった。
ぎゅ、と力強く握りこまれて、上下に振られる。

「・・・・・・・ピアノとか、やってる?」
「ちょっとだけ。・・・・・・なんで?」
「や・・・知り合いの手に、ちょっと似てて」
「ふうん?」

手が離れていく瞬間、少し、ほんの少しだけ名残惜しくて、そっと指を伸ばした。
手のひらを指で優しく撫でて、手はあっけなく戻っていった。
わたしの心には気付かないのか、アツシはけろっとした顔でラーメンをすすっている。

「昨日は、さ。わたしと、カズミと・・・あと誰がいた?」
「あと男がふたり。眼鏡のちょっと悪そうな顔のやつと、アイドルみたいなくりっとした目の。それとおっぱいのでかい全体的にやらしい感じの女」
「ああ・・・・・・・・」

アツシの説明はとてもわかりやすかった。知り合いの顔がカシャカシャ音を立てて頭の中へ映し出される。
わたしの家を溜まり場にしてるやつばっかりだった。
ちなみにおっぱいのでかい女は嫌いなんだが、最近よく来る。おそらく眼鏡が目当てだ。

「あんたがだいぶ潰れかけてるときに俺が呼ばれてきて、潰れたぐらいでカズミさんが帰った。それを送ってくっていって、眼鏡と女が一緒にでてって」
「最後タクミと一緒だったの?あはは、やばいね、あんたタクミのちょうタイプっぽい」
「じりじり距離詰められて冷や汗かいた。・・・・・・唇奪われる覚悟は、ちょっとした」

3へ。

吐夢1 

August 21 [Fri], 2009, 1:15
ずしりと頭の芯がしびれるような痛みにひそやかにため息をついた。
無性に甘いものが欲しくなって、うめきながら起き上がる。

(このベッド、硬すぎ。買い換えたいな、でもそんなお金ないな)

昨日カズミが置いてったシュークリームがあったのを思い出してふらふら冷蔵庫へ向かう。
伸びきったキャミソールの紐が肩へずり落ちるのを引き上げて、ぐらぐらする頭を揺らしながら一歩、二歩。

(ああ、だめかも、きもちわるいかも)

指先で取っ手を引っ掛けて、力任せに開く。
そのままどしゃり、もつれた足が体を支えきれなくて座り込む。
ひやりと流れ込む冷気を浴びながら、コンビニの袋ごと放り込まれていたそれを出す。

(・・・・さむい)

心なしか、ぶるぶる震えだす指で袋を破る。
がぶり。かさついたシューの感触が唇に、のどに張りつくようなどろりとしたクリーム。ふっと香るバニラ。
がっつくように口に押し込んで、飲み込んだ。

(あ、ま・・・・・・・い)

すごく満ち足りた気分になって、そのままゆっくり後ろに倒れた。
表面がはげかけたカーペットはちっともわたしを受け止めてくれなかったけど、床に激突したはずの頭はあまり痛くなかった。
ぐるりとひっくり返った視界に、横倒しになったミネラルウォーターのペットボトルが見えた。
寝転がったまま腕だけ伸ばして、指先ぎりぎりでそれをつかむ。
片手でふたを開けて、生ぬるいそれを一気に流し込んだ。
びしゃびしゃ、飲みきれずにあふれた水が耳元で音を立てる。

「は、ははは・・・・・・・・は」

半分ほどしか中身のなかったペットボトルはすぐに空になった。
笑いながらそれを力いっぱいぶん投げた。
腕に力が入っていないのか、思っていたよりずっと近くでからんからん、と転がっていく音がした。
そのまま視線を天井に向けた。
・・・・・・・・見知らぬ男がわたしをまっすぐに見下ろしていた。

「・・・・・へ・・・・・う、うわ!!!!!!!!!」
「!!」

あわてて跳ね起きたら、男もびっくりしたようにこっちを見ていた。
そりゃあ驚いただろう。わたしだって驚いた。

(ていうか、誰)



「やっぱ、覚えてない?だよなあ、あんたなんかすごかったもん昨日」

話を聞くには、男はカズミの友人の、友人の、友人の・・・・・・・つまりわたしとは初対面でまったくの他人だということだった。
その見知らぬ友人たちに呼ばれて、呼ばれて、呼ばれてたどり着いた先がこのアパートの一室、つまりわたしの部屋。

「ぜんっぜん覚えてない。知らない。・・・・・・ていうかカズミの知り合いなんでしょ、なんで一緒に帰らなかったの」
「泊まっていけっていったのあんただよ。カズミさんは明け方帰ってった」
「・・・・・・・・ごめん、覚えてない。てかあんた今どこにいたの?」
「床で寝てた」
「全然気付かなかった」

男のいうことはたぶん本当だろう。
男が着ていたのはわたしの元彼がおいてったジャージだったから。思い出と一緒に封印したそれは、わたしが自分で出さなきゃ絶対でてこない場所にしまってあった。

(飲みすぎたな)

「あんたいっつもあんな飲み方してんの?あぶねーな。俺が紳士でよかったな」
「紳士が女の独り暮らしの部屋に泊まるかよ。・・・・・・・・自覚はあるんだけど、どうもね」
「はは。確かに。・・・・・しかしさっきのはびっくりしたよ。頭おかしくなったのかと」

そりゃそうだ。
起きるなりいきなり冷蔵庫開けてシュークリームほおばって床に寝転がって笑い出す女。どう考えても頭おかしい。

「まだ酔いが冷めてないのかも」
「ふうん?」

小さな折りたたみテーブルを挟んで向かい合う男は軽く頬杖をついて、わたしをおもしろそうに見つめた。
昨日その上にやまもりにしていた空き缶やビンは一つ残らずきれいに片付けられていた。
カズミはこんなことしない。翌日いつも荒れ果てた部屋をうんざりしながら片付けるのは毎度のことだったから。

「あんたが片づけしてくれたのよね。ごめん、ありがと。・・・・・・・・なのに床で寝かせちゃったりして悪かったわ」
「いいよ。着替えと・・・・・一応毛布は貸してくれたよ。覚えてないかもだけど」
「うん、覚えてない」
「・・・・・いいよ」

ふっとため息をついて男は笑った。


2へ。

指先からの距離 

August 16 [Sun], 2009, 23:27
大丈夫、大丈夫と背中を撫でる手があたたかくて、優しくて、思わずすがり付いてしまいそうになる。
だけど、それをすれば最後、わたしはわたしをたぶん許せない。
あんたとだけは、そういう関係にはなりたくない。
お互いにないものを強請りあって、傷を舐めあって、そのままさらに深みに落ちてくような、そんなみじめさは嫌だ。

「ああ、はき、そう・・・・・」
「飲みすぎ」

呆れたような声も優しい。
華奢なヒールのサンダルを、蹴飛ばしてよろめいた。
つま先がしびれてじんじんする。こんな高いヒール、はたからみればさぞ滑稽だろう。
歩くための靴じゃない。・・・・・・・・そんな必要のない女の靴だ。


「送ってくよ。・・・・気分が悪いなら、すこし休んでからにする?」
「いい・・・・だいじょぶ・・・・」

支える手を振り払って、はだしのままふらふら進む。

「・・・・・・だれか待ってるんでしょ・・・いきな・・・」
「なにが大丈夫だよ。そんなふらふらでほっとけるわけないだろ」
「恋人よりわたしを選んでくれるの?・・・・・あーら、おんなみょうりにつきるわねぇ」

きゃはははは、とこぼれた笑い声が空々しい。おもしろくもなんともないのに、どうしてわたしは笑ってる?
ほら、あんたは呆れた顔してわたしを見てる。

「ごめん・・・・怒んないで」
「怒らないけど。靴、履けよ。足切るぞ」
「だって痛いんだもん。そんな靴・・・・ばっかみたい!」
「気に入らないの?じゃあ俺がもらおうか」
「・・・・・・・・・・・」

ちょっと想像してみた。中性的な顔立ちの、男にしては華奢で小柄な、美人。
さっきまでわたしの足が納まっていたゴールドのサンダルは、もしかしたらこいつの方が似合うかもしれない。

「笑うとこだし」
「いんや、案外いけるんじゃない?あげようかー」
「いらねえよ」
「なんだよ、おまえカワイイのにもったいねーぞ!」
「誰だよ」
「きゃははは、だよねー」

ぺた、ぺた、ぺた。
なんだか開放的な気分で、わたしは弾むように歩く。
華奢な靴をはいて、誰かの迎えを待ってなくてもこうして自分の足で歩いていけるのは最高に気分がよかった。
ああ、泣きそう。

「車、よぶよ」
「ううん・・・いい、歩きたい」
「歩きたいって・・・・結構距離あるぞ」
「だいじょぶ・・・・」

呆れたため息と、後ろから静かについてくる気配。
あんたは優しい、だけどわたしを甘やかしてはくれないね。
・・・・・・・・・そうしてほしいと、いったのはわたしだけど。

わたしたちはお互いに足りないものが多すぎて、でこぼこだらけ。
二人のピースを当てはめたらきれいにひとつに重なるのかもしれないけど、ひとりぶんのパズルでふたりは幸せになれない。
求めているものに簡単に手が届くから、惹かれあって、手を繋いで、抱き合ったらひとときの安息は得られるかもしれない。
でもそれじゃ、なんにもならない。

「こんな風に、つきあわせるのはもう最後にする・・・」
「はは、そうしてくれよ。わがままで気分屋で通ってる俺に、靴もって後ろ歩かせる女はあんただけだ」
「わたしも・・・・こんな風によろっよろのとこ見せれるのはあんただけ・・・」
「他のやつがみたらショック受けるぜ」
「あはは・・・あんたはショックじゃないの?」
「全然」
「失礼ね」

振り返ったら、すこし困ったみたいな笑顔があった。
頼りにされたい、してほしい、支えてほしい、支えたい、抱きしめたい、抱きしめられたい、あとは?
目と目があった瞬間、何よりも分かり合える気がした。
あとは?

指と指が触れ合うぎりぎりの距離で、立っていたい・・・・・・・・・・・・。

恋でもない、愛でもない、この気持ちはそんなところには繋がってない。
ただいとおしくて、いとおしくて、幸せになってほしい、と心から願う。

「どうした?」
「なんでもない。・・・・・・・・・行こう」

前を向く、ひとりで歩きだす。
だけど時々振り返って、あんたがちゃんとついてきているか見よう。
・・・・・・・・置いていかないよ。ひとりにはさせないよ。

ただ、幸せになってほしいと、心から、願う。

終。

着地の速度 

August 16 [Sun], 2009, 1:25
寝転がって伸ばした手に、きらりかがやく薬指のリング。
ちょっと照れた風で差し出したその顔を思い出して、少し笑う。

「くだらねえ」

右手で引き抜いて、壁に投げつけたそれは小さな音をたててどこかへ転がっていった。



『まあ、あんたは男だからそれでもいいけど。子供なんかできたら大変よぅ、責任とって、なんて言う方も言われる方もうんざりするもの』
『できちゃった女のセリフは重みがあるなあ』

茶化していったら、睨まれた。
実年齢よりぐんと幼く見えるベイビィフェイス。さりげなく、だけど念入りに施されたメイクがよく似合っている。
病的に痩せていた昔よりも、少しふっくらした今のほうがずっと魅力的だ。
言ったら怒るから、絶対に言わないけど。
幸せなんだな、と素直に思った。

『あんた女じゃなくてほんとによかったわね。あっちフラフラ、こっちフラフラ、節操ないんだから』
『はは、耳が痛い』

唇を尖らせて、ラメのネイルがきらめく指先でつかむのは2杯目のグラス。
その手をつかんで、止める。

『俺の奢りだって言ったけど、ペース、速い』
『そう?・・・・・・・ごめん、なんだか嬉しくて。楽しくてもお酒ってすすむのね』

艶やかに笑う。大輪の花が咲き零れるような笑顔に、胸が痛む。

『俺と別れるって言うのに、楽しい、だなんて心外だなあ』
『誤解されるような言い方はやめてよ。キスも、ベッドも、・・・・・・・手を繋いだことさえないのに』
『まあね』
『あんた友達少ないもんね、寂しい思いさせてごめんね。・・・・・・・・でもまたいつでも会えるんだよ?』

頭を撫でられる。
髪をすく指の感触が気持ちよくて、目を閉じた。

『いつでも会える、ね。俺のことなんかすぐ忘れちゃうくせに』
『卑屈にならないで。あんたはわがままで傲慢で、ひどい男でしょう?』

ウインクをして、もう何度目かになる乾杯。
繊細なグラスをぶつけ合って、かちん、耳に心地よい音。

『うん・・・・』
『浮かない顔。どうかした?悩みがあるなら、話してしまいなさいな。もう、最後だから』

曖昧にうなずいたら、不思議そうに首をかしげた。
いつでも会える、といった口で最後だから、と告げる矛盾を気付いているのだろうか。

『ただし、今の男と前の男が鉢合わせて修羅場、なんて血なまぐさい話はごめん』
『そうじゃないよ。俺は誠実な男なんだから』
『せいじつ?なんだっけそれ?・・・・・・・うそうそ、冗談。あんたがそんなのしてるの、珍しいもんね。今度の彼はいい人なんでしょう?』
『・・・・うん、かわいいよ。犬みたいで』

細いシルバーのリングを弾かれる。安物のぺらぺらの、全然好きじゃないやつ。
指先で撫でて、小さく笑った。

『もう絶対に離したくないって思いなさい。大切に、大切にするの。求められすぎてしんどいなら、あんたからも求めなさい。逃げ出さないで、ちゃんと』
『・・・・・・・・・・そんな風に思えるのは今も昔も君だけさ』
『あら、わたしそんなに魅力的だったかしら?』

茶化して笑われたが、むきになって怒るようなことじゃない。
胸の奥に滓のように溜まっていくこの想いは、恋にも愛にも繋がらない。
ならばこの引きちぎられるような悲しみはなんだろう。痛みはなんだろう。
焦がれるような気持ちも、どろどろした欲望でもなく、ただただ純粋にいとおしくて、いとおしくて。
幸せになってほしい、と心から願う。

溺れるように飲んで、いろんな感情を吐き散らして、涙が出なくなるまで泣いて、いつも木の枝みたいに痩せた体で。
目だけぎらぎらさせて、心も体もぼろぼろに傷ついて、それでも『助けて』とは言わなかった。
ひとりで前を向いて、まっすぐに立って。先を行くその背中に置いていかれそうで立ち止まったら、いつでも振り返って手を引いてくれた。
支えているつもりで、支えられていた。
幸せになってほしい、と心から願う。

『・・・・・・おめでとう。だけど、俺はすこし、寂しいんだ』
『ありがとう。・・・・・・・わたしも、すこし、寂しい』

きらきらする指先と同じくらいきらきら輝く左手の薬指。俺の指にも、君の指にも。同じような、銀色の、ひかり。
テーブルの上でそっと手をつかんだら、微笑む気配がした。
名前も知らない遠い土地へ行くのだ、と告げられたあの日からさびしくて、さびしくて、たまらない。

『あんたのこと大好きよ。あの人とも、この子とも違う、好き。いとおしくて、離れがたいけど、』

物分りの悪い子供に言い聞かせるみたいな優しい声だった。

『またいつか会える。・・・・・・・・・きっとよ』

グラスはいつのまにか空になっていた。



電話が鳴っていた。
手を伸ばしたら届く距離なのに、なんだか面倒で鳴り続けるベルを黙って聞く。

りりりりりりりん。
りりりりりりりん。
りりりりりりりん。

(・・・・・しつこいな)

ぶつ、と音を立てて電話が切れ・・・・・・・・再び鳴る。

りりりりりりりん。

(ああもう)

こんなにしつこいのは・・・・・・・あいつか?
だけど今日はなんの約束もしていない。仕事が忙しくなったと、しばらく会ってない。
なんだかおもしろくなくて、誰かに声をかけようかと思ったがそれもつまらなくてやめた。

「もしもし」
『もしもし?』

受話器から聞こえてきた声は意外な相手からで。

「・・・・・・・どうして」
『あら、電話しちゃいけなかった?』

旅立っていったのはたった数ヶ月前のことなのに、ずいぶんと前のことのような気がする。
変わらない口調、笑みを含んだ声。

「元気にやってるの?」
『いい知らせよ!女の子だったわ!』
「・・・・・・・は、・・・・・え?・・・・・・・産まれたのか!?」
『そう!一刻も早く知らせたくて』
「おめでとう・・・・・・・・」

元気そうな声で告げられた朗報に、じわり、目頭が熱くなる。

『ありがとう。・・・・・・やだ、どうしたの?泣いてるの?』
「なんか、嬉しくて・・・・」
『そんなに泣き虫だったとは知らなかったわ』
「はは、俺もだ」
『それで・・・・・・・・あ、やだこっそり電話してたのばれちゃった。ごめんねまたかけなおす!』
「へっ?・・・・・・あ、」

何か言う前にがちゃり、と切れる。
受話器を握って、しばし呆然。

りりりりりりん!

再び電話が鳴った。
今度は間髪いれずにとる。

「もしもし?」
『・・・・・・・俺だけど』
「お、ああ、なに」

予想外の声に驚いた。

『仕事があるっていってたけど、ちょっと時間が空いたんだ。よかったら今から食事でも』
「・・・・・・・・」
『よ、予定あった?もしかして』

黙り込むととたんにうろたえる声が、受話器の向こうのその様子が手に取るように見えて、なんだかくすぐったい。

「にーく。肉が食いたい」
『ん、じゃあこないだの店の近くの・・・・』
「どこでもいい。まかせる」
『わかった。じゃあ、もうすぐしたら迎えにいくから準備してて』

ほっとしたような声が嬉しそうに弾んで、電話は切れた。
着替えるためにのそりと立ち上がり、・・・・・・・・一歩踏み出した素足が何か硬いものを踏んだ。
・・・・・・・・さっき壁に投げつけたリング。
ひょい、と拾い上げて、すこし考えて、・・・・・・・・もとの指へとはめた。

なんだかすっきりした気分だった。憑き物が落ちたみたいな、そんな。

「さて、いくか・・・・・・・」

終。

落下の速度 

August 14 [Fri], 2009, 23:35
無造作に放り投げられたハンカチには見覚えがあった。

「こないだおいていったろ。返す」
「ああ・・・・・・」
「あ、そういえば一回勝手に使った。一応、洗ったけど」

ベッドに寝転んだまま受け取ったそれからは、嗅ぎなれない洗剤の香り。
きちんとたたまれたブルーのハンカチを興味なさげにそばにおいて、冷蔵庫の扉を開ける背中に問いかけた。

「・・・・・・おまえが?」
「違う」

じゃあ誰が?とたずねかけた言葉を飲み込んだ。
ひっかからなくはなかったが、細かいことにこだわる女のようでとてもいえない。
遊びだと、割り切ったつきあいだと、そうやって始めた関係だった。
建前だ。・・・・・・・・・・・そう言い聞かせて、体だけでも欲しかった。

「いる?」
「・・・・・・・・ああ」

水をなみなみと注いだグラスを受け取って、起き上がる。
口をつけずにグラスを手に持ったまま、目の前で水を飲みこんで上下する白いのどを見つめた。
ついさっきまで腕の中にいた痩せたからだが急に遠ざかった気がする。
まだ、手をのばせば届く距離にいるのに。

ブー、ブー、と携帯が耳障りな音を立てた。ベッドサイドにあったそれをつかむと、ひったくるように奪い取られた。

「中を見たりしないぞ。なんでそんなに焦ってんだ」
「べっつに」

苦笑を交えていえば、すねたように唇を尖らせてそっぽを向く。
記憶を探る。電話もメールもいつも興味なさげに放りっぱなしではなかったか?

(誰から)

じりじり、と腹のそこが熱くなっていく。聞きたい、誰か問い詰めて、・・・・・・・すべて知りたい。
ふっ、とひそやかな笑い声がした。
開いた携帯の画面を見つめて、やわらかく笑うその横顔に見とれた。

「前話したよな、こいつ」

見せられた携帯の液晶に浮かぶ名前は見覚えがあった。
一緒にいるときにも何度か電話がかかったことがある。約束をすっぽかした、と聞かされてほのかに優越感を抱いたのを覚えている。
ほっとした。・・・・・・・・そいつよりは、俺の方が、まだ。

「どんだけひどくすっぽかしても、絶対待ち合わせ場所にいんの。・・・・・・先週なんか、炎天下なのに忠犬みたいに俺をずっと待ってた」
「そりゃ・・・なかなか根性だな」

グラスの中身を干して、床に転がした。
腕を伸ばして抱き寄せる。乾いた肌の感触が、心地よかった。
さっき上がった熱が、すっと冷えていくような気がした。

「で?・・・・なんか笑えるようなことでもあったのか?」
「今日も約束してた。・・・・・・・・・で、また待ってる」
「・・・・そりゃ」

ゆるゆると口の端が持ち上がるのを押さえきれない。
さらさらした髪をなでて、にやけた表情を見られないように首筋に顔を埋めた。

「ひどいやつだなおまえ」
「俺もそう思う。・・・・・・なんで俺なんかがいいのかね、わかんないや」

(俺にもわかんないよ)
(だけど、おまえじゃなきゃだめなんだ)

ぱたん、と携帯を閉じる音がする。合図みたいに俺は顔を上げた。

「なんかでも、・・・・・・・なんか、」
「なに?」

唇を寄せる。キスする寸前で・・・・・・・・・手のひらに塞がれた。

「・・・・・・・かわいくなってきちゃったんだよ」

はにかんだような微笑は、はじめてみる表情だった。・・・・・・恋する少女のような。
俺の腕の中で、俺と向き合って。・・・・・・・・俺に、ではない、その顔。
がつん、と殴られたような衝撃。いやな予感がした。まさか、まさか。

「だからそろそろいじめるの、やめることにした」

するり、呆然とする俺の腕の中から猫のように抜け出して、目の前にぶらさげられたのは一本の鍵。
反射的に受け取ったそれはひんやりと冷えていた。手のひらから熱を奪われるように全身が冷たくなる。

「これも返す。・・・・少しくらいは誠実になってやらなきゃ。だから」

これで、おしまい。

軽快に笑って脱ぎ散らかった衣服を拾いながら身につけていく背中が、遠い。
こんな風に突然終わりが来るなんて予想外だ。
なんていえばいい?なにをいえばいい?どうしたら、どうしたら。
遊びだ、なんて、割り切ったつきあい、だなんて、体を繋げば心も繋げられる、なんて思っていなかったはずなのに。
それでも、少しくらいは期待していたのだろうか。

(・・・・・・・・・・・なきそうだ)

泣いてすがり付けば、いかないでくれと懇願すれば、少しは心を動かしてくれるだろうか?
否、そんな情けないまねはまっぴらごめんだ。そんなことをすれば俺は別れの言葉すら言わせてもらえないだろう。

「俺の荷物はもういらないから、全部捨ててよ」
「・・・・・俺も捨てていくのか?」

笑い飛ばしたつもりだったが、語尾が震えた。
気付いているのかいないのか、楽しそうに応えるその姿が、最高に愛しかった。

「ひどいやつだろ?」

また明日、をいうのと同じくらいの気安さでさよなら、といって、携帯だけを大事に抱えて他には何も持たずにでていくその背中を俺はぼんやりと見送った。
乾いた笑いがこみ上げる。声を出して笑った。

「は、は、・・・・・・・・」

一度だって振り返らなかった。
未練など、まったくなさそうに、あっさりと。

「・・・・・・・ほんとうに、ひどいやつだ・・・・・・・・・」

終。

回転の速度 

August 14 [Fri], 2009, 3:06
焼きつくすような太陽から逃れるように、建物の影へ滑り込んだ。
吹き出した汗を手の甲でぐいとぬぐって、そのまま腕時計を見る。
午後2時。一番日差しの強いこの時間に待ち合わせなんて正気の沙汰じゃない。

(ありえない。・・・・・・それでものこのこやってきた俺が)

待ち合わせ場所でいつも忠犬よろしくおとなしく立ち尽くしているのは俺だ。
何度すっぽかされても、痺れを切らしてかけた携帯の向こうから寝てた、と一言不機嫌な声が返ってこようと、その後そばにいる違う人間の気配に唇を噛み締めるはめになっても。
どうせ今日も遅れてくるのだ。・・・・・・・半ば諦めの強い気持ちで、右手につかんだままのペットボトルを開ける。
駅の売店で引っつかんだミネラルウォーターのボトルはびっしり汗をかいていて、手のひらを伝って水滴が肘まで流れる。
すでにぬるくなり始めたそれをぐいとあおって、今日の待ち合わせである駅前のロータリー、日差しがすごくいいその場所へ視線をやった。
・・・・・・・・ここからなら、あいつが来てもわかる、けど。

(・・・・・・・・俺ってほんとにありえない)

涼しい影にさよならを告げて、俺は強い太陽の下へと再び歩き出す。
来るかどうかわからない気まぐれな相手は、少しでも自分が待たされるのを許さない。
待ち合わせ場所に俺の姿が見えないと判断したその瞬間に帰る方向へ足を向けるだろう。
実際、一度やられた。

『そんな気分じゃなくなった』

ばっさり、一言。
もう、どれだけご機嫌をとってもだめ。聞く耳もたずの待ち人は、一度も振り返ることなく帰っていったのだ。
あの日はかなり傷ついた。だから二度とそんな愚はおかすまい、と俺は炎天下のロータリーへ踏み出すのだ。

(帽子、かぶってくりゃよかったな・・・)

時計をもう一度見る。
5分前。だが、相手が時間通りに来たためしはない。太陽の下、これから俺の体力が何時間持つのか。
理不尽な扱いを受けていることは十分に承知している。もうやめとけ、周りの人間に止められたことも一度や二度ではない。

(俺の他にも一緒にいるやつがいるのもわかってる)

俺はけなげなのか?それとも愚かなだけか?
焼け付くコンクリートのベンチに腰を下ろす。フライパンのような暑さにげんなりする。
うなじからちりちりと焼け付くようだ。・・・・・・・・今年の夏はちょっと暑すぎやしないか?

(ああ・・・・・・・)

太陽を見上げたらくらくらした。・・・・・・・・先週もすっぽかされた。今日こそ、絶対に会いたい。
体の水分が急速に失われていくようだ。

(かさかさに、なりそうだな・・・・・・・・・)

乾ききったら誰か俺に水をやってくれるだろうか。そんなくだらないことを考えた。
・・・・・・・・・暑さで頭も煮立ってきている。
こころなしか、視界も歪んできた。
暑い、熱い、あつい、アツイ・・・・・・・・・・・・・・。

そばに置いたペットボトルの水滴はコンクリにしみこむ暇もなく、蒸発していく。
時計を見る。もうすぐ30分たつ。・・・・・・あと30分待って、電話をかけよう。1時間くらいの遅刻なら、かわいいもんだ・・・・・・。
そんなことを考えていたら、急に、がくん、と、視界が暗転した。



ひやり、とした感触にうっすらまぶたを開けた。

「バカだなあ」

すぐ近くに、あれほど焦がれた相手の顔があって俺は心底驚いた。
嬉しくて、頬が緩む。
へらっと笑った俺を、呆れたように見下ろして・・・・・・・・・・これは、一体どういう状況だ?

「気付いたんなら起きてくれよ。・・・・・・・気絶した人間の頭がこんなに重いとは思わなかった」
「・・・・・・・俺・・・」
「目の前でいきなりぶっ倒れたからびっくりした。・・・・・・・なんで日陰にいかなかったんだ?」

のっそりと起き上がって、さらに驚いた。
どうやら俺は膝枕されていたらしい。・・・・・・・もう少し気絶してるふりをすればよかったと、浅ましいことを思う。
俺の額に濡れたハンカチが載せられていた。さっきのひやりとした感触はこれか。

「さて」

ぱん、と軽快にひざをたたいて立ち上がるその細い腕をあわててつかんだ。
色素の薄い瞳が、いぶかしげに俺をにらみつける。

「なに」
「・・・・・・いや」
「こう暑いと外になんかいてらんないよ。帰る」

ばっさり。
ああ、やっぱりか、と思う。

(だけど今日はこうして待ち合わせ場所に来てくれたし、それに、倒れた俺をほっとかないでくれたし、あまつさえ介抱までしてくれたし)

あまり多くを望んではいけない。・・・・・・・こうして顔が見れただけでも、それでも。
内心がっくりしているのを悟られないように、つかんだ手をゆっくり離した。

「・・・・・・」

すたすた、と躊躇ない足取りで歩いていくその華奢な背中をぼんやりと見送った。
少し、痩せたかな・・・・・・・・抱きしめたら、折れそうだ。
額のハンカチをまじまじみた。淡いブルーのそれはなんだかイメージじゃない。

視界の端でぴた、と歩みが止まるのが見えた。

(・・・・?)

「なにしてんの」
「へっ・・・」
「帰るっていってるだろ。置いてくよ」

振り返ったその顔は照れたような、呆れたような、ちょっと怒ったような表情で。
じりっと体温が上がった気がした。

時計を見る。
あれから、2時間もたっていた。・・・・・・・・・その間、まさかずっと?
華奢な背中を追って、あわてて立ち上がる。知らず、頬が緩んだ。
だけど気付かれて期限を損なう愚はおかしたくない。必死で顔を作った。
・・・・・・君はとっても気まぐれで、俺は振り回されたばかりいるけど、少しは、少しは期待してもいいのだろうか?
・・・・・・・・・・・ほんの少しくらいは、愛されていると思っていいのだろうか?

抱きしめたい、と浮き立つ気持ちを必死で抑える。こんな目立つところでそんなことをしたら、二度と口を利いてもらえない。
だからかわりにそっと、手をとった。・・・・・・・・・手を繋ぐぐらい、許されてもいいだろう?

茶色の瞳が一瞬ちらりとこっちをみて、それから興味なさげにまた前を向いた。
・・・・・・・・・軽く握り返された感触に、このまま死んでもいい、と本気でそう思った。

おわり。
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