鉄のラインバレルについて

January 11 [Fri], 2013, 15:47
だから第二に又、質料的存在は運動[#「運動」に傍点]・変化[#「変化」に傍点]をその性格とする。運動し変化するということが存在の概念そのものなのである(唯物論はその限りヘラクレイトス主義に結び付く)。運動変化するものはその形態を固定しない、そこでは固形の形式はあり得ない。だから第三に質料的存在は形式的ではあり得ない、それはとりも直さず質料的[#「質料的」に傍点]でなければならない、だから夫は又一般的でなくて特殊的[#「特殊的」に傍点]であり、従って抽象的ではなくて具体的[#「具体的」に傍点]なのである。それ故質料的存在は概念的[#「概念的」に傍点]存在ではなく従って又観念的[#「観念的」に傍点]存在でもない。唯物論的存在論によれば、存在とは感性的[#「感性的」に傍点]従って又物質的[#「物質的」に傍点]であること自身に外ならない。感性はその一面から云えば受容性の能力である、感性的として性格づけることは、であるから、実は之を何かの意味に於て客観[#「客観」に傍点]にぞくするものに帰着せしめることに外ならない。唯物論に於ては存在とは客観である。――代表的な観念論に於てはイデア・観念が存在である、之に反して代表的な唯物論に於ては、存在の概念はとりも直さず物質の概念である、或る特別な存在が物質であるというのではない、物質ということが存在ということだと云うのである。
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