右欄“CATEGORY”にあるメンバーの名前をクリックして、メンバーごとに日記を読みましょう。  メンバーそれぞれの意外な素顔や日々のつぶやきはもちろん、ライブやスタジオの裏話を知ることができるばかりか、更新具合によってその人のズボラ度までも知ることができてしまいます。

2006年04月
« 前の月    |    次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:c_clover
読者になる
Yapme!一覧
読者になる
はじの席のウィークポイント / 2006年04月01日(土)
 電車ではじの席をお狙いの皆々様におかれましては、今日も周りをよく見て元気に尻スライドされていることかと思うが(12月12日参照)、はじの席の人にとって唯一の敵といえるのが「ドア横立ち人」である。「ドア横」は手すりを持ったり、「はじの席」の横のパイプに尻を乗せて寄りかかれる、電車内立ち位置最強のスペースだ。

 はじの席に座っていると、たまにこの「ドア横立ち人」が邪魔になるときがある。「はじの席人」が傘を引っ掛けたまま忘れて降りがちなあのパイプに、限度を超えて寄りかかる無粋な「ドア横立ち人」がいるからだ。

 そして「ドア横立ち人」の尻が「はじの席人」の肩に触れて、嫌な顔をするのは「ドア横立ち人」なのである。なぜだ。貴様が尻をくっつけてきたんだろう。しかしそれだけならまだよく、中にはその体勢で屁をこく大バカ者がいる。あれは臭い。なんといっても位置的に顔面直撃。侮辱も甚だしい。しかし電車内という匿名空間ではなんの確信もなく、「はじの席人」は泣き寝入りとなってしまう。

 最近の電車は「はじの席」のパイプにアクリル板が後付けされていたりして、「はじの席人」が最上級に優遇されるような工夫が施されている。あれには、傘引っ掛け忘れ防止や「ドア横立ち人」の覗き見防止などの効果があるのだろうが、一番の狙いは「尻防止」であり、「屁防止」だと思う。

 はじの席で屁を浴びせられれば誰だって怒るだろうが、ひとたび自分が「ドア横立ち人」になれば、すました顔して屁のひとつやふたつはこいているわけで。そして誰もが「音をたてない自信がある」とか「俺のは臭わないから大丈夫」などとタカをくくっているのだろうが、あなたの後ろの「はじの席人」はきっと顔をしかめているはずである。
 
   
Posted at 14:01 / Toru / この記事のURL
コメント(5)
ありがた文字はやめろ! / 2006年03月16日(木)
 ありがた文字が嫌いだ。よくチェーンのラーメン屋や定食屋や居酒屋の壁にある“みつを”な書体で書かれた能書きのことを、俺は「ありがた文字」と呼んでいる。たとえばこんなやつだ。チェーンの定食屋にあるような、米粒への愛情たっぷりな雰囲気のありがた文字。

(みつを書体をイメージしながら)
おてんとさまの恵みをいっぱいにうけて
すくすくすくと元気いっぱいに育ったコシヒカリ
お釜の蓋を開けるとふわっといい匂いが広がってくらぁ
お口の中でふんわかふわふわ、あつあつのおふくろの味
なんだか心まであったけえなあ、しあわせだなぁ
おてんとさま、今日もありがとう

 ありがたぶった説教をおしつけがましく垂れやがって。どうして恥も臆面もなくこういうくだらないでまかせを掲げてしまうのだろうか。こんなもん、心にもない嘘っぱちに決まっている。

 ありがた文字を掲げる以上、そのありがた文字に相応する重みやらリアリティが店に漂ってなければなんの説得力もないのだ。何十とあるチェーン店のためにマニュアル化され、画一化された味付けにリアリティなんかあるもんか! そのありがた文字の重みをバイト君たちは理解し、おてんとさまに感謝しながら働いているとでもいうのか!

 まあ屁理屈はそのくらいにして、結局なにがむかつくかというと「一杯の白飯のありがたさ、それが自分たちの出発点なのです」みたいな顔をして実際は客に説教を強要し、素朴な味わいを演出するための道具としてありがた文字を利用しているということなのである。駅前の大衆食堂からスタートした先代の食に対する純粋な想いを単なるビジネスツールにおとしめてしまった二代目の浅はかさなのである。

 以前に入った上野の土間土間(牛角系列の居酒屋)にも、薄暗い店内の壁にありがた文字が書かれた紙が貼ってあった。テーブルにお客様のご意見用紙がセットされていたので、俺はそれに「ありがた文字はむかつくのでやめたほうがよい」と書いて提出した。

 果たして土間土間の人たちに俺の想いは届くだろうか。それ以前に、「ありがた文字」という俺独自の単語が、店の壁の説教を指していることに気付いてくれるだろうか。
 
   
Posted at 01:07 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
おふくろの味 姉さん / 2006年03月01日(水)
 「おふくろの味 姉さん」という店が職場の近くにある。中に入ったことはないが、個人経営の居酒屋という線だと思う。店はあまり流行っている様子ではない。そしてお気付きの通り、おふくろなのに姉さんなのである。ちなみに「おふくろの味」がサブ的な扱いで、「姉さん」がメインの店名となる。

 姉さんみたいなおふくろなのだろうか。「キャンキャン」みたいな格好のおふくろだぞ。自分の母親がそんなだったら薄気味が悪い。若作りも大概にしろ! とどなってしまうかもしれない。

 しかしこれがおふくろのような姉さんだとすると、急に同情めいた気持ちになってくる。

 母親を早い時期に亡くし、父親は酒とギャンブルに溺れた借金の果てに愛人を作り、幼い子達を残して蒸発した。おふくろのような姉さんは長女で、以下男ばかりの4人兄弟の末っ子である俺が商業高校を卒業するまで母親の代わりになってくれた。バイクを盗んで警察の世話になった三男のために頭を下げてくれたこともあった。

 そんな姉さんが、結婚相手ともうまくいかずに離婚し、必死に工面したのが居酒屋の開業資金だった。弟たちを女手ひとつで育てた、料理の腕だけは自信があった。花火職人の次男も快く出資に応じてくれた。

 そして今から18年前、東京の片隅で小さな居酒屋がささやかにオープンした。夕刻過ぎ、はじめてのお客が店のドアをくぐった。

「いらっしゃ……」

 姉さんの声が震えた。そこに立っていたのは、あんなに悪くて姉さんの手を焼かせ、消息が途絶えていた三男だった。その手には、開店を祝う花束が握られていた。



 それが「おふくろの味 姉さん」だとしたら、どうだ。行きたくなるだろうか。姉さんの肉じゃがを食べたくなるだろうか。

いや、べつにいいや。
 
   
Posted at 22:13 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
スケートは速弾きじゃないのだ / 2006年02月24日(金)
 ミキティがこけた。4回転ジャンプに失敗したのだ。それにしても4回転、4回転とうるさいのである。イングウェイのスウィープピッキングじゃあるまいし。

 バンドマンなら若かりし頃に誰もが経験するのが「速弾き至上主義」である。俺も学生時代は、ギターを速く弾けるやつがエライ! という風潮の中に身を置いてきた。速弾き王、イングウェイ・マルムスティーンのコピーバンドが氾濫し、スウィープ奏法ができるギタリストが音楽性とは関係なくもてはやされ、ポップスなどの手数の少ない音楽は「簡単な音楽」であり「ダメな音楽」とされた。

 どうもフィギュアスケートをみていると、あの速弾き時代を思い出してしょうがない。「トリプルアクセル! ダブルトウループ! ダブルトウループ! 決まった!!」なんていう実況を聞いていると、「スウィープ! ライトハンド! ライトハンド! すごい!!」といってるのとあんまし変わんねえんじゃねえかな、なんて思ってしまう。

 まあ4回転ジャンプだろうがスウィープだろうが、個人の身体能力の限界に挑んでいることは確かだし、速弾き君に関していえば、テクニック偏重主義から脱却することができれば、速弾き時代に培った実力は素晴らしい肥やしとなることは間違いない。

 でも4回転だからすごいとか2回転だからダメだとか、そういうことではなく、演技と呼ぶのであれば観た人がなにを感じるかが重要であり、もっと構成とか表現という部分に重きを置いてほしいものだ。

 とはいえ確かに4回転はすごい。世間が騒ぐのもわかる。しかし「速弾き」というフィルターを通して観た途端に、4回転4回転と騒ぐことはいきなり不健全に映り出し、ウンコ臭くなる。「たくさん回れるヤツがすごい」と「速く弾けるヤツがエライ」が限りなく同義に思えてしまうのだ。やはり諸悪の根源は、速弾き至上主義なのだろうか。
 
   
Posted at 22:43 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
二子玉で見せる男気 / 2006年02月22日(水)
 最近の二子玉川ときたら、“おしゃれ”だの“セレブ”だの“アロマ効果でママもうっとり”のようなイメージばかりであり、“節約”とか“ストレス”とか“半ライス”といった俺の身近にあるキーワードからは程遠く、二子玉を往く人は全員敵であるという気概であの街を素通りすることにしている。

 なぜ素通りをしなければいけないかというと、目下の俺は自転車通勤励行中であり、二子玉はいわゆる通勤経路だからなのだが、それだけに駅前のレンタルビデオ屋にだけは世話になることも多く、先日は出勤途中で駅前に自転車を止めて目の前の建物の2階に向かおうとしたのだった。そのとき。

 「そこに駐めちゃだめだあー」。振り返ると70前くらいのおっさんだった。おっさんは言った。「そこに駐めた自転車は午後に全部撤去するからよー」。区のシルバー人材センターかなんかで雇われたおっさんだろう。作業着に腕章を着けている。

 「じゃあどこに駐めんの?」と訊くと、「あっちあっち。あの角を曲がった先」「遠いよ」「遠くねえってば。歩いて2分だあ」。俺は出勤中なのだ。その2分が惜しい。といってもすでに正午なので説得力はまるでないし、2分くらいなんだという気もする。

 「おじさんさー、そこのビデオ屋に返してくるだけなんだよ。1分もかかんないよ」。俺がそう言うと、おっさんは黙ってしまった。たしかに1分の用事に往復4分の駐輪場は遠いわ。でも駅前の駐輪を1台でも減らすのがおれの仕事だあ。おっさんはほんの短い間、自分の心と闘ったようだ。そして肩をすくめ「……おれぁ耳が悪いからよくわかんねぇ」と言って立ち去ってしまった。

 つまりおっさんは見て見ぬフリをしてくれたのである。その男気はさながら“どぶろく”であり、“半ライス”としてはどのような男気で返すべきかと思ったが、俺の周りには、もう俺の男気を評価してくれそうな人はおらず、ひとまずビデオ屋への階段を全力で駆け上がってみた。
 
   
Posted at 13:29 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
バンド名変更のお知らせ / 2006年02月20日(月)
 新生おっさんバンドは「Three Days Moon」でいくぞとお知らせした矢先だが、やっぱりやめることにしたのである。説明するのもバカらしいが、「Three Days Moon」とは直訳バンドであり、要するに「三日月」ということで、字面はかっこいいけど実はあまり賢そうではないというところが気に入っていた。

 しかし、なんの説明もなしにそういうニュアンスをわかってもらえることは少ないだろう。「いや、これは直訳でさ、バカっぽいところがいいだろ?」と人に会うたびに説明しなければいけないのは面倒であり、さらにそれを聞いたところで相手が「ほー」と感心してくれるとも思えず、もっと言えば「三日月」自体にはバンドの音楽となんの関連性もないのが致命的だと思ったのだ。

 身内以外の人がこのバンド名を見て「三日月ならCrescent Moonだろ」と思っても、接点のない人たちに対してはなんの弁解もできないのも辛い。つまり説明が必要な時点で敗北なのである。もっとツッコミどころのない、“意味があるけどないバンド名”にしなければ。

 そこで考えた新バンド名が「FUNKY FUNNY FLYER」だ。そう、この日記のタイトルをもじったものである。これなら「どんな意味?」と訊かれても「意味なんかねえよ。FFFだぜ」と言い切ることができる。思えば前身のCountless Cloverという名前も「どういう意味なの?」と訊かれ、恥ずかしいなあとよく赤面したものだ。

 そんなわけだからFUNKY FUNNY FLYERをよろしくと改めて申し上げる。スタジオワークはぼちぼち順調。アルコールワークは絶好調。しかし度が過ぎて、終電を失うメンバーが続出するのがタマにキズである。
 
   
Posted at 19:40 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
ファンクとはなんぞや? / 2006年02月10日(金)
 曲を作っていると、こういう精神状態によく陥る。ファンクってカテゴリーとしては実に曖昧というか、紙一重でロックにもジャズにもなる。うちはファンクバンドだが、特に俺は歌い手なので、絶対的にメロディありきで曲作りをする。そしてできあがったメロディに対して、可能な限りファンクへのトライアルを試みるのだ。リズムでもサウンドでも、ファンクが入り込む余地があればガンガン詰め込む。

 だからこのバンドはファンクといっているものの、ベースメントは歌モノだし、Aメロ、Bメロ、サビというJポップ的な展開をかなり意識している。であるからして1フレーズを繰り返しながら高揚していくというファンクの命題は追求しづらく、ファンクの様式を拝借したポップスを作っているというほうが近いのかもしれぬ。

 しかし俺はこの、ポップスという部分がなかなか気に入っている。特に今度のメンバーに関してはなおさらで、新バンドは平均年齢34.4歳(2006年2月10日現在)とかなりお高め。おっさんバンドと呼んで差し支えなかろう。そんなバンドがポップン・ファンクを引っ提げてガツンとオリジナルをかますのである。

 よくおっさんバンドがビートルズなんかをコピーしていて、それは楽しそうでいいんだけど、演奏者のエネルギーが内側に向いて完結してしまっている場合がほとんどで、そういうのは演者と観客がいて初めて成り立つ趣味としてはどうしたもんかなと思う。

 しかし、おっさんが外側に向かって尖ったポップセンスを叩きつけた場合、これはすげえかっこいいことになるんじゃないかと思う。おっさんをなめんじゃねえ、となる。それにはコアなロックでも、マニアックなジャズでもダメなのだ。俺の場合、エネルギーは大衆に向かっていかないと意味がなしお君なのである。俺はそれをファンクというフィルターを通してやりたいんだと思う。
 
   
Posted at 22:08 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
かきもち昆布の味がわかるかよ? / 2006年02月03日(金)
 職場で俺の向かいに座ってる木野土さん(仮名)はせんべいが大好きで、いつもドトールのコーヒーを飲むか、せんべいを食いながら仕事をしている。せんべいならお茶だろう! という固定観念はさておき、木野土さんはわりとおかき系も分け隔てなく愛し、どこで買ってくるのか個装のおかきをむさぼっては「ホレ」とかいいつつ、向かいの俺の机にもおかきを投げ込んでくる。数は決まってふたつだ。

 ある夜、そんな木野土さんからまた包みのおかきが投げ込まれた。数はふたつだ。おかきの包装紙には「かきもち昆布」と書かれていた。

 「それあんまりうまくないんだよ」。別にうまくないから俺にくれたわけじゃない。木野土さんは、せんべいがすべての人に平等であってほしいと願っているのか、たいてい俺に分けてくれる。「なんか味がしないんだよな」。

 些細な批判とはいえ、木野土さんがせんべいのことを悪く言うのは初めてだった。俺はかきもち昆布を開封し、昆布が入り混じったそのおかきをおもむろに噛み砕いた。味はしなかった。昆布のダシの風味とおかきの歯ごたえを同時に楽しむというアイデアなのだろうが、ダシに期待しすぎたのだろう。おかき自体に塩気がまったくなかった。

 「味、しないっすね」。俺は言った。しかし言いながら、遠い遠い、日本のどこかにあるかきもち昆布の工場のことを考えていた。

 今年65歳になるおかき職人が、最近の化学調味料漬けのせんべいやおかきを憂いながら焼いた、昔かたぎの素朴な味わいのおかき。それがかきもち昆布だとしたら。昆布ダシよりほんだしに舌鼓を打ってしまう俺の味覚が試されてるのだとしたら。かきもち昆布が間違っているのではなく、俺たちが間違っているのだとしたら。
 
   
Posted at 22:09 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
三日月発進 / 2006年01月26日(木)
 細々と続いているこの日記だが、それはそうとCountless Cloverはいったいどうなってしまったんだという人も中にはいるかもしれないので、このへんで白状しておこう。

 前々から言っていたとおり、夏のライヴを持ってベースのゴリが出産のために脱退(あたりまえだがゴリが生むわけではない。念のため)。後任ベースは決まっており、活動再開は容易と思われた矢先、キーボード小笠原サチコが諸々の事情により電撃脱退、さらにギタリスト阿部祐己の謎の音信不通状態と、次々と悲劇が襲った。

 みなさんがこよなく愛するバンドが実は壊滅状態だった! そんな! ひどい! ショッキング! などとイメージしていただけると、俺も告白した甲斐があるのだが、まあ、みんなそこまで優しくしてはくれまい。

 そんなわけで小山田と榛葉の2人バンド状態から必死の人策を施した結果、先日ようやくスタジオで新しい5人組が顔を揃える形となった。新ベースは子持ちの46歳、キーボードは弱冠(?)26歳のピアノ出身者、そしてギタリストはなんと! 初代CCギタリスト澤崎健だ!

 Countless Cloverはその役目を終え、新バンドThree Days Moonへと継承される。来たる4月29日、ロックの聖地・下北沢は屋根裏のイベントに、ファンクを引っ提げて殴り込みをかけるのでどうか観に来ていただきたい。HPの処置については未定だけど、この日記だけは継続していくので変わらぬご愛顧をお願いしたい。

 余談だが、Countless Cloverの待望の2ndアルバムのマスター音源が音信不通の阿部氏の下にある。彼と連絡が取れる方はぜひ我々に知らせてほしい。それからここの日記は、最近スパムのトラックバックばかりつくので、併せてなんとかしてほしい。
 
   
Posted at 12:03 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
たまにはピーなしで / 2006年01月23日(月)
 先日、同僚の結婚パーティがあり、いつもどおり、なんか歌ってくれという話になった。結婚関係の場で歌うのは実の兄の披露宴で歌ってから、すでにこれで7回目か8回目を数えており、バンドでライヴをやるより、よっぽど結婚式で歌ってるんじゃないかという気もするが、集客に奔走することもなく大勢の前で歌えるということ自体ありがたい話なので、ホイホイと引き受けることにしている。

 先日はご両人が職場結婚ということもあり、会社関係の人間だけで演奏したせいか、仕込みのアンコールまで成立してしまうという盛り上がりぶりだった。例によって「ヒュー」とか「ワー」とか「ピー」とかいう歓声に包まれるわけで、それはもちろん悪い気はしないのだが、俺が思うのは、どんな会場においても「ピー」ができる人間がいるんだなあということである。

 「ピー」とは指笛のことであり、俺はこいつができない。「ピー」ができない人は「ワー」とか「ヒュー」を言い続けるしかないので、いまひとつバリエーションに欠けるというか、なんか能がねえなと、芸足らずな自分を省みるいい機会でもある。

 しかし俺のほかにも「ピー」ができない人はたくさんいるはずで、むしろできない人のほうが多いんじゃないかと思う。が、どんな会場にも必ず「ピー」の使い手が1人以上紛れているもので、彼らのおかげで我々は安心して「ヒュー」に専念できるのだ。ありがたいとは思うが、たまには「ピー」が1人もいなくても……と考えるときもある。

 誰も「ピー」ができない会場……、それは美しい欠落。その場に居合わせた奇跡を思い天を仰ぐことだろう。「ピー」がなくなると帯域のバランスが悪くなり、音像が濁るかもねと考える人は宅録のしすぎである。めでたい席なんだから濁ったっていいじゃないか。

Wedding Live 06.01.21 at Yoyogi Ooyama House
1.Sweet Memories
2.はじめてのチュウ
−encore−
3.らいおんハート
 
   
Posted at 13:57 / Toru / この記事のURL
コメント(0)
  | 次へ  
 
Global Media Online INC.