ポンちゃんさんと考える(1) 

April 28 [Fri], 2006, 18:18
「ポンちゃんの部屋:なさけねぇ」から
(↑まずは、こちらをお読み下さい)

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「何のために生きるのか」と問われると、人は、それぞれ、様々な答えを出してきます。
それをポンちゃんさんは、列記しています。
その答えを、よ〜く見てみましょう。
共通項が浮かび上がってくるのです。
なんでしょうか。

それこそ、このブログで、何度も言ってきた、「私たちは幸せになるために生きている」という事実です。

どうすれば幸せになれるか、そこに至るまでのプロセスは、人それぞれに描いているものがあります。しかし、最後、目指すべきところは「幸せ」という点で、一致しているのです。

ところが同時に、私たちには、他にも、人生の共通項があります。
それは、人はやがて必ず死ぬ、という事実です。
若くして亡くなれば、老いるということはありません。元気な人が突然交通事故で死ねば、病むということも無いかも知れません。しかし、死なない人は一人もありません。

幸せを求めて生きているのも、やがて必ず死んでいくのも、人間として生まれた以上、どうしようもない現実です。
この2点から、なんのために生きるのか。どんなに苦しくとも生きようとするのはなぜか、ということの答えが見えてくるのです。

・・・(2)に続く

ポンちゃんさんと考える(2) 

April 28 [Fri], 2006, 18:16
・・・(1)より

なぜなら「死ぬ」という現実が迫ってきた時、それまで幸せだと思えていた、ポンちゃんさんが挙げていたいくつもの事柄によって得られた幸せは、皆、吹き飛んでしまうでしょう。
それでは意味がありません。
よくよく考えてみると、私たちは、いつ死が来ても崩れないような幸せを求めているのではないでしょうか。
そして、試行錯誤で、いろいろなものを求めては裏切られているわけです。

さて、ならば、どうすればいいのでしょうか。
布教使の私は、ポンちゃんさんの挙げた中の、「信仰を世に広めようとする人」に含まれてしまうのか、とも思いますが、仏教が広めているのは、信仰というよりも、知ることです。
いつ死が来ても崩れない幸せのあることを知り、それを果すことです。

今日は、ここまで。
今後とも、よろしくお付き合い下さい。
感じるものがありましたら、どなたでも、コメントを残して言って下さると、幸いです。

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茅那さんと考える(4) 

April 23 [Sun], 2006, 20:30
「生きてるってコト…: 生きてる理由1」から
(↑まずは、こちらをお読み下さい)

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茅那さんへの、先回の続きです。
実に興味深い文章です。じっくりと考えて書いたのだろうな、と想像しています。

何のために生きるのか、について、茅那さんは、すでにある程度の答えを出して
います。
たとえば、「生きるからにはなにかきらきらと輝く理由があるって思いたい」と。
そうですね。生きているということは、輝かしい未来を求めての行為です。輝か
しい未来とは、すなわち「心からの幸せ」ということでしょう。

茅那さんの以下の文章も考えさせられます。

「でも病気や戦争や飢餓とかで
 苦しんでる人たちが聞いたら
 わたし怒られるかな。
 健康で食べるとこも寝ることも不安なく生活して
 ぬくぬくと・・・今を生きてる意味なんか考えて。」

これは、実に不思議な現象です。
私たちは、今も地球上にいる、もの凄く不幸な人たちと比べれば、充分に幸せな
ようにも思えます。

・・・(5)へ続く

茅那さんと考える(5) 

April 23 [Sun], 2006, 20:26
・・・(4)より

「健康で食べるとこも寝ることも不安なく生活して ぬくぬくと・・・」と書か
れてある通りです。おそらく、私たちが、戦争や飢饉で苦しむ方々の中の一人
だったとすれば、確かに、今の私たちを見て、羨むでしょう。それは確かなので
すが、同時に、今の私たちの心を見つめてみると、こんなにも豊かな暮らしをし
ているはずなのに、満たされず、なんのために生きているのか、と真面目に考え
ています。

ここを明らかにみるべきです。

もっと苦しんでいる人よりも恵まれているのだから、生きる意味なんて考えず
に、今を喜ぼう、と、自分の暗い心をごまかすのでなく、
こんなに恵まれていても尚、解決しない、この心の病みは一体なんなんだ、と考
えなければ、人生の抱える問題の本質に迫れません。

幸せを求めて、努力し、手に入れた平和と繁栄の中、尚も満たされない心が間違
いなく存在します。これが、人生の大問題なのです。

次に、こんなことも書かれています。

「人は自分のために生きてるってのがあったよ。
 自分のために生きて、それで、どうなるのかなー。」


自分のために生きる、という表現があいまいなので、分かりにくいのですが、人
は、自分が幸せになる為に生きている、と言ったらどうでしょうか。
私は、自分の幸せよりも、皆さんの幸せを願っている、という反論をしてくる方
もあるでしょうが、よく考えてみると、それは、皆さんの幸せを実現すること
が、自分の幸せだと思えるから一生懸命になるのですから、すべての人は、自分
の幸せを求めて生きている、ということになりはしないでしょうか。
茅那さんは、「自分のために生きて、それで、どうなるのかなー」と書いていま
すが、幸せになった時、その思いは吹き飛びます。幸せになりきった時、「なん
のために生きるのか」とは思わなくなります。それは、ごまかしたり、忘れたり
しているのではなく、幸せになること、そのものが、生きる目的だから、それが
果された時、人生に意味があったと確定し、それ以上、何もいらない、という幸
福感を得ることができるのです。

なんだか難しい表現になってしまいましたでしょうか。

・・・(6)に続く

茅那さんと考える(6) 

April 23 [Sun], 2006, 20:23
・・・(5)より

幸せになっても尚、「それで、どうなるのかなー」という心が出てくるのは、そ
れは、心からの幸せにはなっていないからです。不安の残る幸せ、不満の残る幸
せでは、まだまだ人生の意味を問い求める気持ちは消えません。一切の不安、不
満から開放された幸せを手に入れることが、人生の目的なのです。

そんな幸せは、想像しても、あり得ないような気がします。
現に、私たちの身近で、手に入りそうな幸せは、皆、時と共に喜びが薄らぎ、何
か大きな不幸がやってくれば嬉しさも吹き飛んでいってしまうように思えるもの
ばかりです。

でも、いつまでも変わらない、崩れない、そんな幸せがなければ、私たちは、永
久に、幸せになることもできませんし、人生の目的を果たすこともできません。
死ぬまで、幸せになりきれずに苦しみ続けなければならないことになります。

茅那さんも、そのことを、こんな風に書いています。

「そりゃ、好きなことしたり、うれしいことがあると
 ああ生きてるっていいなって思うけど
 悲しいことやつまらないことだっていっぱい。」

「すぐ死ぬかもしれないし、
 長く生きるかもしれない、
 先天的な障害を持って生きるかもしれないし、
 途中で事故にあって大きなケガをするかもしれない」


・・・(7)に続く

茅那さんと考える(7) 

April 23 [Sun], 2006, 20:15
・・・(6)より

そうですね。
人は老い、病み、死んでいきます。その間、苦しいことはどれだけでも訪れます。
頭では分かり切っていることですが、実際にその現場に直面すると、想像以上の
苦しみ悲しみを味わわなければなりません。

そんな苦しみが来ても、微動だにしない幸せがあるとすれば、どうでしょうか。
そんな幸せがあるんだよ、と仏教では教えられているのです。

ついでに、もう少し。

「運命は決まってなんかいないよね。
 だってそうじゃないと、つまらないじゃん。
 わたしがここにいるのは決まった運命を生きるためじゃない。」


そうですよ。
運命は決まっていません。
私の今の行為が、未来の私を生み出します。
今の私は、過去の私の行為が作り出したものです。
それは、厳粛な因果の法則によって、起こることであり、誰かが私の運命を決め
るのでは断じてありません。

今日は、ここまで。
今後とも、よろしくお付き合い下さい。
感じるものがありましたら、どなたでも、コメントを残して言って下さると、幸
いです。

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《追伸・茅那さんへ》
まだまだ茅那さんとはお話ししたいことが山ほどありそうです。
とてもブログで書ききれる内容でも無くなって来ました。
もしお付き合いいただけるならば、できればメールでやりとりしたいな、と思っ
ています。
ここまで読んで、なお、関心がおありでしたら、以下へメールを下さいませんか。
ぶん

茅那さんと考える(1) 

April 20 [Thu], 2006, 16:10
「生きてるってコト…: 生きてる理由1」から
(↑まずは、こちらをお読み下さい)

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人はなんのために生きているのか。
茅那さんは、とても丁寧に、そして真面目に、この問いに取り組んでいます。
難しい言葉は使っていないのですが、だからこそ、すごくよく分かる語り口です。
こちらも、真面目に書きたい、と思わせられる内容です。

・人が生きてる理由なんてない
・人は死ぬために生きてる
・答がでないからその話はやめよう
・人はひとりひとりに使命があって生まれてきた
・自分のために生きてる

茅那さんが挙げているような答え方は、確かによく聞きます。
でも、正直なところ、茅那さんも指摘しているように、どれもしっくり来ません。
それは、これらの答えには無理があるからでしょう。

人が生きている理由なんてない、と答えるのは、どこに無理があるのでしょうか。
確かに理由は無いかも知れない、と、この問いを考え始めた人ならば、誰でも思
うでしょう。
しかし、その答えで、安心していられますでしょうか。
理由が無い、ということは、生きていてもいいし、死んでしまってもいい、とい
うことです。死なずに生きるのはなぜか、という問いには、何も答えていないに
等しいのです。

・・・(2)に続く

茅那さんと考える(2) 

April 20 [Thu], 2006, 16:08
・・・(1)より

ならば「理由なんてない」と言っている人は、友人が「死にたい」と相談して来
たら、「生きなければならない理由は無いから、生きるのも死ぬのも自由だよ」
と、淡々と答えられるでしょうか。
どうも、私たちの感性と合致しない、受け入れ難い答えだと思いませんか。

私たちが生きる為には、食べなければなりません。寝なければなりません。様々
な単調な繰り返しの中を生きています。
なぜ食べ続けるのでしょうか。なぜ寝床を確保するのでしょうか。なぜ病気にな
れば薬を飲むのでしょうか。
「生きたい」からです。明確にその意志を自覚しているわけではないかも知れま
せんが、無条件に「死にたい」よりも「生きたい」を選んでいます。

だから、生きている理由は無い、というのは、堂々と公表できる答えにはならな
いのです。
敢えていうならば、それは3番目の「答がでないからその話はやめよう」という
茅那さんの友人の答えと同質で、要するにあきらめているのです。
しかし、心のどこかで、あきらめきれないものがあるから、それでも尚、生き続
けているわけです。

2番目に挙がっている「死ぬために生きる」というのも、同じです。
これは、ちょっと考えれば、生きる理由になっていないのが分かると思います。
死ぬために生きるのは、今死を選ばずに生きていることを説明できません。
さっさと死ぬのと、あと10年生きるのと、何も変わらない、と断言しているよ
うなものです。
ところが、こう答えている人は、死なずに、生きているのです。
行為と答えが矛盾しています。
平然と答えられるような内容では無いでしょう。

・・・(3)へ続く

茅那さんと考える(3) 

April 20 [Thu], 2006, 16:04
・・・(2)より

4番目の「ひとりひとりに使命があって生まれてきた」という答えに対しては、
茅那さんが見事に論破しています。
「生まれてすぐ亡くなってしまった赤ちゃんの使命ってなに?戦争で殺された罪
の無い人たちの使命ってなに?」と。
そうです。4番目は、あくまで、悲惨極まりない人生を送らざるを得ない人の存
在を無視しなければあり得ない答えです。
「私にしかない使命」を、自分で決めるのは自由ですが、それは、自分以外のす
べての人を納得させられるような、人の生きる理由にはならず、あくまで、私個
人の生きる理由を暫定的に決めているだけです。
しかも、その使命は、これから先、様々な山あり谷ありの人生で、揺らがない保
証がありません。

さて、勝手ながら、茅那さんのブログ記事に対して、答えきるのは、短い時間で
はとてもできそうにありません。

まだまだ続けなければなりませんが、一旦、中断します。茅那さん、ごめんなさい。

今日は、ここまで。
今後とも、よろしくお付き合い下さい。
感じるものがありましたら、どなたでも、コメントを残して言って下さると、幸
いです。

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にこけんさんと考える(1) 

April 19 [Wed], 2006, 13:17
「檻を破壊するためにペンを持つ:ロボット」から
(↑まずは、こちらをお読み下さい)

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にこけんさんの結論は、永遠に自我を持たないロボットになれば、苦しみ悩まな
くてもいいのに、となっています。
それは、ある種の、究極的な、苦しみの解決かも知れません。
でも、これは、にこけんさんの本音ではないでしょうね。
そうでは無いところに、解決の道が無いか、何とか見出そうと努力しているよう
に思えます。

「生まれたから生きている。それだけだ。」と言い張る人も確かにいますが、そ
れだけで人は生きていけるわけがありません。
苦しみが無い人生ならば、それでも生きていけるのかも知れませんが、そんな人
生は考えられません。
生まれたから生きている、ということが可能ならば、自殺する人はあり得ないで
しょう。どうしてこんなに苦しまなければならない人間に生まれたのだ、と問う
必要が無くなるからです。

にこけんさんが「底知れぬ闇」と表現したものを、実は、仏教では「無明の闇」
と教えられています。
これは「人生の目的が分からない心」のことです。
だから、にこけんさんの指摘は、非常に鋭いものがあると、私は一人、関心して
います。

・・・(2)に続く
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