新渡戸記念館取り壊しをめぐる十和田市の暴政 

2017年02月04日(土) 23時27分
今回は青森県十和田市による「新渡戸記念館」取り壊しの暴政をお知らせする。
青森県十和田市はその代表都市として歴史に名を刻もうとしている。小山田十和田市長は三本木の荒れ地を開墾して十和田市の歴史を作った誇りある新渡戸家ゆかりの「新渡戸記念館」(同市立)を耐震調査を踏まえて、昨年、取り壊すことを決めたが、その調査に疑いがあることが分かっても再調査に応じず、さらに取り壊した後は同記念館の建設は考えておらず、そのかわりに、新たに「歴史資料館」的な建造物を建設する計画があるという。なんたることか!暴政の親玉・小山田久市長が無投票による3期目の市政をまかされることになったため、予断を許さぬ状況だ。

以下、新渡戸記念館側が誠実にこれまでの十和田市との克明なやりとりをホームページで掲載しているので、ここに転載しておきたい。


十和田市立新渡戸記念館休館の経緯と現状ならびに諸問題について

2015/ 06/29
2015 年 2 月 26 日十和田市議会全員協議会において、十和田市は耐震診断の一環として行った「コンクリート強度診断」で、当館建物のコンクリートが極低強度と判明したと発表しました。診断数値は 7.6N/㎟と、1964 年の開館以前、1950 年当時の最低強度 9.0N/㎟もクリアしていませんでした。更に報告書では、補修について「技術的に不可能」と結論づけています。その結果を受けて、市は市民や観光客の安全確保を最優先に 4 月 1 日からの休館と建物を取り壊すことを決めましたが、休館後の資料展示保存のための代替施設は全く示さず、保存活用の新施設については「耐震強度不足の市内全施設の建設計画を今後 2 年間で一体的に策定するので、その中で市民と共に検討していく」としました。市議会では危機感を強め、3 月 19 日当館資料を 4 月 1 日以降も展示閲覧できるように善処するよう市に求める決議案を提出し、全会一致で可決しております。

しかし市は 3 月 26 日記念館の指定管理者である太素顕彰会の役員会で、施設が休館となり、観覧料の徴収業務が無くなることを理由に、その他の活動は全く関係無いものとして「指定管理を契約途中(5 年間の契約の 2 年目途中)で解除すること」を申し入れました。太素顕彰会も市の判断を受け入れ、新渡戸常憲館長はじめ、館員全員が 6 月末で解雇されることとなりました。

太素顕彰会は元々市のルーツである新渡戸氏の開拓の偉業を顕彰する団体で、歴代首長が会長を務め、昭和 39 年記念館が建てられて以来は、市の外郭団体として館の運営を行ってきました。それが 2006 年指定管理導入とともに市商工会議所に事務局を移し、十和田商工会議所会頭が会長を務めることになっております。

十和田市はこれまで資料の所有者である新渡戸家から寄託を受け、記念館で保存展示活用してきたわけですが、太素顕彰会役員会での市の説明では「市の指定有形文化財となっている新渡戸家所有の資料を市に寄贈すれば、何等かの保存措置を講ずるが、寄贈しなければ保存することはできない」との方針を示しております。更に運営母体であった太素顕彰会も、その席に於いて「新渡戸家が寄贈すれば速やかに新しい建物を建てることを要望するが、寄贈しなければ要望しない」との見解を示しました。市議会決議について市は「“資料の展示について”の決議であって、建物を建ててほしいという決議ではない。寄贈されればそれに対しては責任をもって展示保全をし、建物についても検討していく」としました。

しかし、その後市は一度も新渡戸家に対し、正式に資料の寄贈について申し入れて協議することもなく、若干記念館で所蔵していた太素顕彰会で購入した資料や、十和田市立新渡戸記念館長が寄贈を受けたものについて「速やかに市で保存の措置を講じなければならないから」と、市に引き渡すように言ってきました。4 月 15 日には収蔵資料を3つに分類(@新渡戸家所有A十和田市所有B太素顕彰会所有)して、それぞれのリストを提出することを要求し、寄贈物については『「十和田市立新渡戸記念館」又は「十和田市立新渡戸記念館 館長宛」に寄贈されたものは市の所有である』と主張しています。

市は当初、新渡戸記念館を建てる時「資料を永久に保存する」と新渡戸家に約束し、大正 14 年から現在地にあった新渡戸家の「私設新渡戸文庫」を昭和 39 年に取り壊し、同家の協力を得て記念館を建てた経緯があります(文末添付資料2:昭和 41 年市設置看板参照)。そのため敷地である十和田市開拓の祖・新渡戸傳(明治 4 年没)の墓所境内は新渡戸家所有ですが、土地を新渡戸家は無償で市に貸与し、市の都市公園としてきました。

所蔵資料のほとんどが個人(新渡戸家)からの寄託資料ですが、個人所有であっても、寄託を受けて保存活用の措置を講ずることは博物館ではごく一般的なものと思われ、これまで 50 年間記念館はそのような形で活動してきました。しかし、市は 3 月 26 日の役員会で「市の文化財保護条例では第一義的に所有者が保存の措置を講ずるとなっているため、寄贈を受けないまま公費で保存することはできない」との見解を示しました。更に、市では「寄託」は展示等のために一時的に資料を受け入れる時にのみ適応されるもので、長期の寄託はないという見解を示しております。一般に保存、研究などの目的で所有権を変えずに資料を博物館で長期に預って扱うことを「寄託」と言うと存じますが、十和田市では定義が違うと言っています。

十和田市が、個人所有のものに対して公費を使って保存しないとする根拠に、以下の十和田市文化財保護条例の「補助金」に関する条文、第 11 条を上げています。 http://www.city.towada.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/r082RG00000270.html しかし、今回のケースがこの条文で言う「特別の事由」にあたり「保存のための補助金」の交付の対象となるかどうかの検討については、市からは全く提案されず、こちらからそのことを話しても、「個人が保存するものである」という主張のみをしています。

十和田市は旧十和田市と旧十和田湖町の合併時の 2005 年に文化財保護条例を改訂し、翌年には当館の運営に指定管理制度が導入されておりますが、条例改正当時は全く個人所有のものの寄託、保存について問題になりませんでした。しかし、今回コンクリート強度診断の結果が出たところ、市は休館、建物の取り壊し、指定管理解除を決め、急に条文に基づいて新渡戸家へ資料を返却するか、市に寄贈するかの二者択一を迫っております。

コンクリート強度の問題に端を発したのですが、市の財政的問題や政治的方向性などと絡み合い、閉館に追い込まれ、更に市側は法令を逆手に新渡戸家へ強引な形で寄贈を迫るという図式になっております。これまでの十和田市の対応には市のルーツである資料を保存活用し、後世に伝えようという姿勢や文化財への敬意を感じることはできませんでした。5 月 28 日に行われた新渡戸家と市長との会談においても、市指定の文化財を地域に活かしていくため双方がどう協力していくのかということが全く協議できず、市はこれまで通り記念館は廃館、建物は取り壊し、資料は寄贈を迫り、寄贈しないなら市指定の貴重な資料がどうなろうとも関わりが無いという態度でした。更にこちら側が建物の耐震診断に疑義を訴えているにもかかわらず、全く聞く耳を持たず、結果として新渡戸家側が募らせてきた不信感を拭うことはできませんでした。

市は、東北地方で震災以来建物の耐震強度の問題が分かった博物館の中で、個人の資料を保存活用するような館が 10 館ほどあったが、それらは全て財団法人か、資料が市へ寄贈されている館ばかりで、そのため行政で速やかに保存の措置を講じたという例を、今回市の予算を使って保存しない判断の根拠の一つに挙げました。その判断は「人類共通の遺産」である文化財の保存上、妥当なものでしょうか?

更に、市は館内の展示ケースについて、収蔵展示の当館においては資料の重要な保存設備であるにも関わらず、市の備品であるから使用することは相成らず 7 月前に搬出すると言ってきています。ケースから出した資料については、市の所有であれば保存するが、新渡戸家所有であれば全く関知せず、段ボール箱にでも入れて床に置いておけばよいとしており、この対応は文化財の保存環境に対する配慮が著しく欠落していると言えます。
市町村への寄贈について、県内の研究者や博物館関係者からは「十和田市の今回の対応を見ると、寄贈してもきちんと保存活用されるとは到底信じがたく、財政難においては売却やあるいは破棄の恐れもあり、どのように扱われるかわからないのだから寄贈してはいけない」とアドバイスされる方が多くいらっしゃいます。その真偽は定かでありませんが、現状の市の対応を見ると、否定しがたいものがあると言わざるを得ません。

また、当館と教育委員会が 2010 年から共催してきた「寺子屋稲生塾」の平成 27 年年度事業について、6 月 27 日の開講式に限らず、7 月以降も新渡戸記念館として当館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土)と共に出来得る限り協力することを教育委員会と申し合わせています。それにも関わらず、市は 5 月上旬に印刷配付する稲生塾チラシに「新渡戸記念館」の名称を記載することも、協力団体である「新渡戸記念館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土)」の固有名称を使うことも許さず削除させました。この理由について市は「7 月以降新渡戸記念館は廃館となるため」と言ってはばかりません。これは議会決定を待たずに廃館を既成事実として作りあげようとする行為であり、議会軽視と言えます。また、名称の使用を禁ずるという市の不当な要求に対して、館員、ボランティアともに、稲生塾の子どもたちのために支障なく事業を開催することが第一と、要求を呑んで進めていましたが、市長はチラシに新渡戸記念館の名称が無いことの説明として「新渡戸記念館が協力しないためである」と事実と異なる内容を公言しており、その態度には不審を感じます。

今回の新渡戸記念館の休館とそれに伴って起きている諸々の問題や、新渡戸記念館に所蔵する貴重な文化財の保存環境が不安定な状態になってしまった事について、看過できないとして、文化遺産国際協力コンソーシアム副会長前田耕作先生は、平成 27 年 3 月 26 日「十和田は世界の輝きを曇らせてはならない」、5 月 4 日「ふたたび新渡戸記念館の行方を憂う!」と、十和田市民に対し、二度に亘ってメッセージを下さいました。メッセージでは、この問題が十和田市地域全体のみならず日本、そして世界に与える多大な影響についてまで言及されており、十和田市が置かれている厳しい現状をはっきりと認識し、今後を考える上でも市民全体で共有すべき情報として 6 月 1 日の市広報とともに折り込まれる予定であった「新渡戸記念館だより」75 号に掲載すべく編集を行いました。

しかし、今回のだよりに限って、印刷前に市から事前チェックを受けることが必要と連絡を受け、市担当者に見せたところ「市を批判する内容、市の方針と異なる内容や事実誤認があり、市の予算で印刷発行することはできない」と、前田先生のメッセージの全文削除を要求されました。このメッセージはこの文化財に関わる全ての人々に新渡戸記念館の休館、廃館が与える多大な影響について慎重な熟慮を求めたもので、市のみを批判する内容ではありませんでした。また、内容に事実誤認も認められませんでした。そのため全文削除という不当な要求に応ずることはでき無いことから印刷することができず、結果的に 6 月 1 日の広報折り込みに間に合わず、発行できない状態となっています。この件については、報道関係者も検閲行為ではないかとして記事で紹介しています。(2015 年 5 月 31 日付 東奥日報「広報紙発行できず」2015 年 6 月 2 日朝日新聞「休館・新渡戸記念館存続を求めた寄稿 市が全面削除要請」)

市民に対して情報統制まで行い、市民不在のまま十和田市行政が推し進めようとする当館の休館、廃館は、そもそも耐震診断の一環のコンクリート強度診断の結果を受けたものでした。「技術的に全く補修の手立てがない」と結論づける診断書の内容が本当に妥当なものなのか、耐震診断の報告内容について再度検討してほしいとの思いから、6月10日十和田市に対し、新渡戸記念館学芸員が住民監査請求を提出、耐震性の確認と解体の取りやめを求めました。

新渡戸記念館の資料保存のためのインフラに市が予算措置を講じないために7月1日以降、環境の悪化が懸念されたため、新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)を中心に市民有志が5月11日から文化財レスキュー活動をおこなっていましたが、5月29日には国立民族学博物館 准教授 日真吾 先生、合同会社文化創造巧芸 代表社員 和 智美 先生をお呼びして新渡戸記念館の収蔵環境整備保持活動へのアドバイスと文化財に対するレクチャーを行っていただきました。日教授は文化財とは人類共通の遺産であり所有権によって保存するしないが左右されるものではないこと、文化財の所有者と市民と行政が一体になって文化財を保護することが重要であることをお話しいただき、新渡戸記念館所蔵資料の保存については現在の環境に置くことが最適であり、恒久的な保存施設が確定する前に軽々と移動させるべきでは無いことをアドバイスいただきました。

十和田市からの申し出で6月9日十和田市長と現新渡戸家当主新渡戸明顧問が話した中でも、小山田久十和田市長自身も「今のままで、ずっと継続してやっていけるのが一番いいことだ」としており、耐震結果の検討で、新渡戸記念館の建物の使用が可能となることは、十和田市にとっても最善の策であると言えます。

今回の耐震診断は設計図面が無い状態で行われており、その結果「コンクリート強度診断」の結果のみによって当館が廃館に追い込まれていることを知った建築関係の方が、記念館の設計者・東京大学名誉教授生田勉先生の縁故をたどって設計図書を入手し、新渡戸家に寄贈しました。しかし、新渡戸家が設計図を入手したという事が報道などで取沙汰され、6月12日から開会した十和田市議会一般質問で取り上げられても、市は設計図書が無い建物については、設計図書が無い場合の国の基準に従って診断を行う事になっており、今回はその基準に乗っ取って適正に診断は行われているとして、設計図面を使っての再診断は行わないとしています。

また、市議会開会の前日である6月11日十和田市は耐震診断の報告書の一部を新渡戸記念館に持参し、「コンクリート強度のみの診断ではなく、耐震診断を行っていたが、報告書が市に提出されたのは3月16〜17日であり、報告書の件をお知らせするのが遅れたのはこちらのミスである」「自分たちも耐震診断の数値や内容はわからないが、結果は3月中に出ていた」「耐震診断報告書は来ていたが、コンクリート強度の診断のみで廃館の方針を決めていると誤解されているようなので説明しに来た」という趣旨の説明がありました。報告書提出から3か月もの間、新渡戸家と市の間で今回の診断がコンクリート強度のみで行われた事への妥当性について議論されていたにも関わらず、耐震診断報告書の提出があったことをなぜ新渡戸家に説明しなかったのか疑問を感じます。更に、報告書の全文の写しを渡してほしいと言ったところ当初「全部の写しは渡せない」との返答があり、理由についても納得できる説明がありませんでした。そこで十和田市の情報公開条例に基づき6月17日に耐震診断報告書の全文の開示請求を十和田市に提出し、6月26日全文コピーを入手しました。

今回の新渡戸記念館廃館取り壊しは、“日本の心武士道を世界に発信した国際人・新渡戸稲造の精神を葬り去ろうとする暴挙”と、全国各地から市役所に抗議のメールや電話が来ていると聞いています。著名な方々もフェイスブック上で「青森県十和田市の新渡戸記念館が閉館になるらしい。残すことはできないのだろうか・・・」などと書いており、新渡戸記念館の廃館は十和田市だけの問題では無いと言えます。

6月20日には元日本建築学会会長で東京大学名誉教授の内田祥哉先生、日本建築士連合会会長で芝浦工業大学名誉教授の三井所清典先生らが新渡戸記念館に立ち寄られ、「補強はできない」とされた記念館の建物に関して、補強の可能性や建物の貴重性について言及されました。(添付資料3:2015年6月21日付デーリー東北「新渡戸記念館 補強できそう」)両先生は新渡戸記念館の建物について、近代建築の大家・生田勉氏の作品として補修、補強して活用すれば十和田市の地域資源にもなると話されていました。しかし、十和田市は建築界を代表される先生方のアドバイスにも耳を傾けることなく廃館、取り壊しを推し進めました。

十和田市が、著名な専門家による意見にも全国各地からの声にも耳を傾けず、廃館、取り壊しを強硬に推し進めていることに対して、新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)のメンバーを中心に市民有志が立ち上がり、市民の手で大切な文化財を守り、未来へ伝えるため「新渡戸記念館の廃館および建物取り壊しの撤回」を求める署名運動(世話役 まちづくりコーディネーター小笠原カオル氏)を6月16日から開始しました。6月9日までに新渡戸家は、十和田市議会に上程された「新渡戸記念館条例の廃止」「新渡戸記念館の取り壊し」の議案が6月26日に可決された場合は提訴する意志を表明していたため、訴訟となれば所蔵資料の今後の保存活用の見通しが不透明になることが憂慮されました。市民有志は6月16日〜25日にかけて市内外の多くの方々に現状を訴えて署名を集め、上程された議案を市議会で否決するか、または審議を先送りすることで、新渡戸家と市との協議が正常に行われるための猶予を頂きたいとして市や市議会に働きかけました。

10日間という短期間にも関わらず 2799名(十和田市内 1625名、十和田市外1174名)の方が署名下さり、6月25日署名運動の趣旨に賛同された元文化財保護協会会長山崎栄作氏とともに十和田市長、十和田市議会議長宛に提出しました。(署名運動はその後も継続しており、6月29日現在で市内外合わせ4014名の署名が集まっています)6月17日からは、十和田市が予算措置を講じていなかったために止まってしまう見通しであった電気代、水道代などのインフラについて寄付を募ったところ6月29日現在で375506円が集まり、新渡戸記念館所蔵資料を市民の手で守ろうという機運が高まっています。

しかし、署名提出により市民の声を届けたにも関わらず6月26日十和田市議会は十和田市立新渡戸記念館条例の廃止と取り壊しを可決し、これに対して市民有志は廃館取り壊しの撤回と建物の保存活用を求め全国に呼び掛けて活動を更に展開する考えです。また、7月1日以降、市と新渡戸家が建物の診断や取り壊しの是非をめぐって係争中も、所蔵資料の保存と活用が途切れることの無いように新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)が博物館活動を継続することを決めており、6月中旬から7月末まで十和田市内各所[(社福)福祉の里みのり苑、青森銀行十和田支店、みちのく銀行十和田支店]において開催する「新渡戸記念館まちなか博物館〜稲生町グラフィティ&三木野八景〜」についても、同ボランティアが引き継ぎ開催します。

今回の早急な新渡戸記念館廃館取り壊しの方針について、市は「都市公園内に危険な建物は置けず、すぐに解体しなければならない」という説明のみを繰り返していますが、新渡戸家に対して市長は危険な建物であるにも関わらず「建物の払い下げ」を打診しており、これまでの発言との整合性がありません。もし、財政問題や政治的な方針転換から、建物強度に不安がある当館の存続について、政治判断として難しいと考えられるのであれば、そのように明確に発表した上で、判断の妥当性について市民の信を問うていただくことが、文庫設立から 90 年、記念館設立から 50 年の新渡戸記念館の歴史と所蔵する文化財に対する、行政の誠意ではなかったかと考えます。一部報道にあったように「新渡戸家に文化財の寄贈を求めたい」という意志が十和田市側にあったとすれば、前述のような対応により真逆の結果を招いていることは紛れもない事実であると言えます。





奇襲攻撃に弱い日本 

2016年08月04日(木) 13時39分
8月2日、北朝鮮が弾道ミサイルを能登半島沖の我が国の排他的経済水域(EEZ)内に着弾させたが、これは初めての我が国のEEZ内着弾であり、日本の漁船が多く漁を行っている地域だった。
本来はEEZ内に弾道ミサイルが飛んできた時点で迎撃されていなければならないと思うのだが、その対応がまったくできなかったために、本当に防衛体制ができているのか心配になってきた。

自衛隊が誇っていたイージス艦やPAC-3の対応はできなかった…。これはショックどころではない。この事件があって、ある代議士が24時間対応できる体制を整えなければならないと主張した。え、つまり24時間の防衛体制が我が国はできていなかったということなのか!

ともかく今回の発射は日本人の危機意識を目覚めさせてくれたと思う。すぐに政府は奇襲攻撃されても対応できる防衛体制を確立しなけらばならない。
稲田防衛大臣に期待する!(安田)

外務省改革を推進せよ! 

2016年08月03日(水) 13時05分
各ニュースによれば稲田朋美政調会長が防衛大臣に起用されるとのこと。なかなか妙案だ。明日3日、内閣改造人事が正式に発表されるが、外務大臣には参議院に初当選した青山繁晴代議士の起用をぜひお願いしたいものだ。
私利私欲のない、誠心誠意の青山代議士ならば、うるさい国にすりよるだけの外務省官僚の改革ができるのではないかと思う。
さて本日(2日)の産経新聞にこんな記事が出ていて驚いた。

韓国最大野党「共に民主党」の文在寅前代表が7月25日に、韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)に上陸していたにもかかわらず、事態の把握が遅れ、同日の日韓外相会談で岸田文雄外相が抗議できなかったことが2日の自民党部会で明らかになり、外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が陳謝した。
 外務省によると、文氏は7月25日午前10時10分ごろに竹島に上陸したが、外務省が上陸の報道を確認したのは同日午後2時前だった。ラオスを訪問中だった岸田氏は同日午前11時15分ごろ(日本時間)、文氏の竹島上陸を知らないまま韓国の尹炳世外相との会談に臨んだため、直接抗議することはできなかった。外務省は会談終了後の同日午後2時半ごろに外交ルートを通じて抗議し、徹底した再発防止を求めた。
 2日の自民党部会に出席した議員からは「なぜ情報把握がこんなに遅れるのか」「岸田氏からしっかり抗議させるべきだった」と厳しい指摘が相次ぎ、経緯を説明した金杉氏は「対応に遺漏があった。大変申し訳ない」と謝罪した。
 一方、議員からは慰安婦問題をめぐる日韓合意に関して「韓国は合意に反するような行為をしている」「今の状態では(元慰安婦を支援する財団に日本政府が)10億円を出すべきではない」などと韓国側への批判も続出。在ソウル日本大使館前の慰安婦像の撤去についても「韓国が命懸けの努力をしているようには見えない」と不満が上がった。(産経)
 

 またか、外務省!
 外務省の官僚の意識を変革していくには労力がかかる。政府として外務省まかせにしない正確な独自情報ルートを持つべき必要性がでてきたのではないか。
 明治時代の日清戦争前後から日本は各国に情報武官が潜入していて、これに民間人も関与し、多くの情報網を持っていたものだ。
 彼らは武家に生まれ、小さいころから家庭で武士的な知育をされた人たちが多く、国を思い、私心というものを捨て去り、志が高かった。それがゆえに国益につながっていったのだ。荒尾精、根津一、宮崎滔天、山田良政、岸田吟香…。戦後の教育では消し去られてしまった人たちにスポットを当てながら、現代を考えていかねばならないと思う。
 まずは外務省の改革。そしてもう一つの外交情報ルートの確立をいそぐべきだ。青山繁晴代議士が外務大臣になればやれるような気がするのだが…。ちなみに青山代議士も誇り高い士族出身であるそうだ。(安田光敦)
PS…3日、外務大臣は岸田現大臣が留任と決まった。岸田外務大臣も国益を第一とする積極外交をしており、留任は順当だ。これも良し!

サムライの論語 

2016年07月08日(金) 5時43分
 歴代の都知事の中でも最悪と言われた舛添要一元東京都知事の公私混同は甚だしいものでした。美術品の私的購入、伊豆の別荘に公用車使用、議会にはからず都内一等地に朝鮮学校を増設する約束を朴大統領にするなど、トンデモ知事の見本市のような人物でした。

 あまりにひどいため身内の都庁からリークされ、次々といろいろなことが暴露。ついに辞任に追い込まれていきましたが、なぜこのような知事が生まれたのかというと、やはり小さい頃から道徳教育がされていなかったからでしょう。

 小さい頃から人間教育がされず受験勉強がよくできるだけで有名大学に入った人は、往々にして自意識が高く、さらに言えば自分本位になりやすいものです。先日は、女子大生をだまして猥褻な行為をする東大生グループの事件がありましたが、これも自分本位の見本のようなものです。こういう人たちが大学を卒業すると企業や役所で出世街道を歩み、やがて日本を背負うようになっていくのかと思うと日本の将来が心配でなりません。

 よくテレビの時代劇で悪代官や強欲な旗本が豪商と悪だくみをする話が出てきますが、あれはテレビの脚本家が面白くさせるための作り事で、武士というのはそもそも人の上に立つ役目がありましたから、小さい頃から文武両道を心掛けていました。元禄の泰平の時代になってから、ずいぶんタガが緩んできましたが、それでも(程度の差はありますが)学問を身につけることが当たり前でした。学問を学ぶ目的は品性を高めることを第一とし、損得勘定の数字に強い頭脳ではなく、四書五経を中心に道義という心を鍛えられました。そうして仕事に誠を尽くし、不正を不名誉とし、政治・行政・軍事を行う者として立派な人物になっていったのです。

 舛添元都知事は損得勘定の非常に強い人物でした。その意味ではサムライ精神は皆無で、政治・行政・軍事のトップに立てる人物ではありませんでした。

 幕末に日本を訪れた西洋人の日記を読みますと「日本人はどんなに貧乏でも清潔で正直で悪いことをしないし、お金をどこかに忘れても届けてくれる素晴らしい民族だ」と称賛しているものが多いようです。日本では武士階級だけでなく、庶民も小さい頃から「寺子屋」に通って勉強をしていたからです。彼らに学問を教えるのは、やはり武士階級の人でしたから誠の心を教えていきました。だから、心の教育が全国に行き渡っていたのです。

 しかし、明治時代に入って、政府は西洋にならって西洋の法律を導入し、法治国家として法制が敷かれていきます。そして並行して道徳教育がなおざりになっていきました。その結果、法律の抜け道を探して、脱税や法律に触れなければ、また見つかりさえしなければいいんだという風潮が広がっていきました。
 そうなってくると、選挙にお金がかかる政治家が法律に触れないギリギリのやり口でお金を集めようとしたり、闇の商取引をするのが当たり前になって、しだいに平気で私利私欲に走る悪徳政治家が多くなっていきます。

「法律に触れるような悪いことをしてはいけない」という考え方ではなく、「細かな法律に触れなくても悪いことをするのは人として恥ずかしい」という道徳心を持たなければ、良い国にはならないと、そう思いませんか。

前述したように江戸時代の日本人は小さい頃から誠の心を学びました。論語はその教科書のひとつです。次の論語は政治家、官僚、教育者の金科玉条のものと言っていいでしょう。


子曰(しのたまわく)、道之以政、(これをみちびくにまつりごとをもってし)
齊之以刑(これをととのふるにけいをもってすれば)、
民免而無恥(たみまぬがれてはじなし)。
道之以徳、(これをみちびくにとくをもってし) 
齊之以禮(これをととのふるにれいをもってすれば)、
有恥且格(はじありてかついたる)。


孔子先生がおっしゃった。
「法律づくめの政治で国民を指導し、刑罰をもって統制しようとすれば、国民は刑罰を免れるために、法律の抜け道を探せばいいのだと羞恥心がなくなってしまう。
しかし、仁義や道徳をもって国民を指導して、礼儀作法によって統制をしていくようにすれば、
国民は悪事に対して恥入り、心正しく罪を犯さないようになっていくものだ」




●語解
【道】みちびく。
【政】法律や法制
【齊】一斉にととのえる
【徳】道徳心
【禮】礼節
【格】いたると読む。善にいたるという意

熊本ボランティアで思ったこと 

2016年06月09日(木) 21時18分
熊本ボランティアで思ったことは以下。

【ボランティアを受け入れる自治体の傲慢】
 ボランティアは善意で行なわれるものだが、受け入れの自治体はボランティアを便利屋にしかみていない。たとえばゴールデンウィークなどボランティアが殺到した。熊本市内の花畑公園にあるボランティアセンターでは午前9時受付でわずか10分で受付終了し、多くのボランティアの人たちがボランティアができないままだった。
地元の受け入れ態勢が不十分で、これはもう、人の善意を無駄にしていると言えまいか。実際にはボランティアに手伝ってもらいたい人たちも多かったと聞いているし、また多くの近隣の町村では人が足りずに困っていたのだ。そちらに行けるように連携を取る臨機応変さが行政には必要だと考える。
 また、震源地の益城町のボランティアセンターは交通の便が非常に悪い。最寄りのバス停で早朝に行くとボランティア希望者の輸送が行われるが、それに遅れてしまうと4キロも歩かなければならなかった。その道案内の地図も途中にはないのだ。ボランティアが終わって解散したあとも車で来ている人ならいいが、車ではない人は再び歩いて遠いバス停まで戻るわけで、それがわかっていながら改善されないのは傲慢ではないか。

【ボランティアの炊き出しを受け入れること】
避難所の炊き出しについて前出しましたが、炊き出しは1日3食のうち1回でいいからやるべきです。毎日3食が弁当で満たされるようになると「炊き出しはしなくていい」と決めているのは行政です。
しかし、人というのは、特に被災者のぺしゃんこにへこんだ気持ちからエネルギーを与えるためには温かいものを食べさせてあげないといけない。そうでなければ心がダメになっていくのではないか。炊き出しをやっていいというのなら、いつでも炊き出しをやりにきてくれるでしょう。
しかし、それもいいのですが、本当は避難所にいる人たちが力を合わせて炊き出しをするのが一番いい。それが自立をしていくということではないか。それを決めるのは自治体のトップであり、自治体の議員たちではないかと思った。

【ボランティアの宿泊施設を作るべき】
私はわずか5日間のボランティアだけで、現地での移動費、宿泊費だけで約7万円が必要になった。現地での食事などは1日2千円ほどだから5日で1万円で足りる。せめて現地にボランティアの宿泊施設とボランティア用の給食センターがあれば、移動も含めて経費を減額することができるし、もっとボランティアが集まるに違いない。
また現地には女性のボランティアがいたが、やはり野宿するわけにはいかず、ホテルを確保するのが大変だったと聞いている。さらに現地ボランティアセンターの近くのベンチで寝袋で寝た男性の話では蚊もいるし、明け方は寒くてすぐに起きてしまったと言っていた。
各自治体には義援金が送られている。なぜ、その義援金をボランティアの宿泊施設を用意するために充てないのか。みなボランティアは「義を見てせざるは勇無きなり」の精神で活動しに来ているわけだから、野宿などは当たり前という覚悟がある。したがって文句や要望などは言わない。しかし、もう一歩進んで、ボランティアが支援しやすい環境を地元の自治体が作ってやれば、非常に効率がいいボランティア社会が生まれるのでは。


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2017年02月
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