修行としての柔道〜戦前の明治大学 

2010年03月07日(日) 16時39分
 6日、明治大学の柔道部に行き、OB(昭和30年入学した柔道部員)に話を聞いた。

 明治大学の柔道部は歴史があるし、OB会がしっかりしているので柔道部の遠征活動がちゃんとできることで知られている。戦前の先輩から教わったエピソードなどを聞くと、柔道をスポーツとしてやっておらず、自分自身の修養としてやっていたという。三船十段が師範であったため、講道館柔道と嘉納治五郎翁の教えを徹底的に叩き込まれていたのだ。

 面白かったのは、みな組織で何かをやろうというものではなく、個人で山ごもりをしたり、滝に打たれたり、まるで小説にでも出てきそうなこともやったのだという。戦前はまさに柔道が修行だったのだ。

トイレ掃除をさせる道場で子供を習わせたい 

2010年03月07日(日) 16時32分
JR中央線沿線のある柔道場を取材に行った。帰り際に道場のタオルを頂戴した。道場主いわく「手ぬぐいを作りたいんだが手ぬぐいが高くなってね」ということだった。そう言われれば、これまでいろんな道場に行ったが柔道場に関する限り、タオル地ばかりだった。

戦前までは袴に手ぬぐいは柔道家のトレードマークだったが、そう思うとなんか寂しい気もしないではない。しかし、柔道家も剣道家もそれを専門にしている方々はみなさん清貧だ。それを考えるとタオルを頂くことだけでもありがたいと思う。

清貧の指導者に共通するのはいまの人たちの感覚に合わせず、昔からの教えを頑なに守っているということ。昔の教えというのは歴史ある教えだから理にかなっているし、考え方がちゃんとしていてブレていない。その道場主は子供たちの徳育のためにも道場の掃除、トイレの掃除もさせるのだという。こういう道場に子供を習わせに行かせたいねえ。

森島先生いわく「剣道雑誌は読むな。迷う」 

2010年02月12日(金) 11時37分
達人・森島先生のお宅は非常につつましいものだった。居間に案内されて話を聞く。緊張して質問の言葉が固くなっていることに気づくが、いたしかたなし。
1時間のつもりが4時間も時間をいただいてしまった。こちらが話を切り上げようとすると「もうおしまいですか」といわれた。森島先生はご高齢だけに長居をしてはいけないと思っていただけなので「いえ、本当はもう少し聞きたいが、またにします」と言うと「大丈夫です。どうぞ、どうぞ。何でも聞いてください」と言われたのだ。恐縮。

話の中心は戦後剣道の歴史と、いま現在の剣道の問題点。何とかしてスポーツではなく武道として考える剣道指導者を一人でも育てなければならないということ。そして何とか真剣勝負に近づきたいがために3本勝負ではなく「1本勝負」にしなければいかんと主張された。
最後に先生はこういわれた。
「私はね、指導者に剣道雑誌は読むな、と言っている。なぜなら、そういう雑誌を読むと自分の剣道に迷いが出てくるからなんです」
 だから、技よりも武道による教育を考えている「武道教育」新聞に期待され、ここまで時間をとっていただいたのか…。ありがたいことだ。

森島先生は達人である。だから、何より日常はどんな歩き方をされるのか観察しようと思っていた。
しかし、出迎えていただいた時の笑みにすっかり舞い上がってしまい、たちまち観察することを忘れてしまっていた。帰りの電車に乗るときにようやく忘れていたことに気づいた。誠に残念でならない。

 お弟子さんたちに寒い日は外に出ないように言われているらしい。しかし、冷気が肌を刺すくらいの夕方。私を玄関のところまで見送っていただいた。私が通りに出て曲がる時に、後ろを振り向いたら、ずっとそのまま立っておられた。慌ててお辞儀をすると、森島先生は手を上げられた。しかし、非常に寒かったので風邪を引かれでもしたら…と心配だ。
 森島先生、今度は気温が温かくなる春頃にお目にかかりに参ります。よろしくお願いいたします。

森島健男先生宅へ行く! 

2010年02月09日(火) 22時23分
8日(月)。
 剣道の大家・森島健男先生の取材をした。まさか取材ができるとは思いもよらなかったので、天にも昇る心地だ。
お目にかかってお話がしたいと思ったのは10年ほど前。ちょうど栄花直輝さんが全日本剣道選手権を獲得した時だった。この栄花さんの剣道本を出すことになったので森島先生に栄花さんのことを聞いておきたかったのだ。

 しかし、雲の人でもある森島先生に会えるルートはないし、あきらめてしまった。だが、いま思うと、あの時に会っていたとしてもロクな質問もできなかったことだろうし、ロクな質問しかできなければ森島先生にしても警戒されていたことだろう。
10年の時が過ぎて、日本をなんとかせねばという思いで新聞を作り、その過程の中で、思いもかけずに森島先生に取材が出来たことは、そういう運命の流れであったのかと思いたい。

 ここでエピソード。
 最寄の駅から森島先生の宅に電話を入れた。ここから私は森島先生に試されているかのような心持ちになった。先生はいきなり電話で家まで来る道を案内し始めたのだ。
「駅北口を出て左の階段を降り、左に真っ直ぐにいくと西友がある。西友に面しているのが○○街道でそれを右に曲がって進み、信号が(途中で聞こえなくなった)…○○ラーメンがありますから、そこは私の弟子の店です。それで…」とおっしゃった。
 こちらはメモをしていないので頭で地図を描くしかない。電話で聞き取りにくいところもあったので後は勘だなと歩き始めた。もうビクビクものだった。
 まったく違った方向に行ってしまったらどうしようか、などと考えている暇なく早歩きで向かった。事前にグーグル地図でどのあたりなのか頭に入っていたので、まったく違う方向に行くはずはないと自信を持って歩く。
 まず西友があった。ヨシ! そこを右に曲がった。あとは勘だ。○○ラーメンを探そう。わからなくなったら人に聞けばいいと思い、今度は走った。信号があった。一か八か、左に行こう。あ、○○ラーメンだ。弟子だと言うから、ここで聞こう。店主に道を聞いて向う。
 するとなんと森島先生が道の曲がり角でニコニコと笑みをたたえられて待っておられた。「よく来られましたね」と言わんばかりであった。(続く)

発起人公表 

2010年01月27日(水) 23時08分
発起人メンバーを公表いたします。この方々のほかに多くの賛同者がおられます。

東 孝(空道・大道塾主宰師範)
青柳政司(空手道・誠心会館館長)
稲葉 稔(明治神宮武道場・至誠館名誉師範)
市川智彬(曹洞宗・興禅寺住職)
岩沢敏雄(力道山OB会事務局長)
大塚直樹(会社経営)
岡野 功(柔道家、流通経済大学教授)
兼坂弘道(全日本銃剣道連盟副会長)
京谷泰弘(横浜エフエム放送監査役)
黒澤丈夫(群馬県上野村元村長)
木暮浩明(新日本合気道連盟会長)
佐藤和男(青山学院大学名誉教授)
佐藤忠之(日本合気道協会理事、早稲田大学講師、同大学合気道部師範)
佐山 聡(興義館総監、初代タイガーマスク)
酒井満天(アントニオ猪木名古屋事務所所長)
坂口征二(柔道家、新日本プロレス相談役)
ジャック・マルシアノ(無双直伝英信流「正真館」道場主=仏パリ)
田代しんたろう(漫画家、別府大学教授)
田原弘徳(宮本武蔵顕彰武蔵武道館名誉館長)
戸塚 宏(戸塚ヨットスクール校長)
中村藤雄(大義塾長)
中嶋健富(ジム経営)
野呂田秀夫(NPO法人格闘メディカル協会代表)
真樹日佐夫(WKA世界空手道連盟真樹道場主席師範)
宮崎三代治(ノンフィクション作家)
緑 健児(空手道新極真代表理事)
森 徹 (全国野球振興会副理事長) 
森島健男(剣道範士) 
持田 優(会社経営)
山口升呉(日本合気道協会理事、会社経営)
吉原和弘(新合気道師範)
槇 省輔(NPO法人レッシュプロジェクト理事)
廣戸総一(NPO法人レッシュプロジェクト代表)
早瀬利之(ノンフィクション作家)
藤岡弘、(俳優、武道家)
藤井石舟(新合気道代表)
福留佳子(殉国七士廟祭主)
高橋由香(会社経営)
安田光敦(日本武道教育新聞社編集主幹)
ほか68名(匿名希望)