奇襲攻撃に弱い日本 

2016年08月04日(木) 13時39分
8月2日、北朝鮮が弾道ミサイルを能登半島沖の我が国の排他的経済水域(EEZ)内に着弾させたが、これは初めての我が国のEEZ内着弾であり、日本の漁船が多く漁を行っている地域だった。
本来はEEZ内に弾道ミサイルが飛んできた時点で迎撃されていなければならないと思うのだが、その対応がまったくできなかったために、本当に防衛体制ができているのか心配になってきた。

自衛隊が誇っていたイージス艦やPAC-3の対応はできなかった…。これはショックどころではない。この事件があって、ある代議士が24時間対応できる体制を整えなければならないと主張した。え、つまり24時間の防衛体制が我が国はできていなかったということなのか!

ともかく今回の発射は日本人の危機意識を目覚めさせてくれたと思う。すぐに政府は奇襲攻撃されても対応できる防衛体制を確立しなけらばならない。
稲田防衛大臣に期待する!(安田)

外務省改革を推進せよ! 

2016年08月03日(水) 13時05分
各ニュースによれば稲田朋美政調会長が防衛大臣に起用されるとのこと。なかなか妙案だ。明日3日、内閣改造人事が正式に発表されるが、外務大臣には参議院に初当選した青山繁晴代議士の起用をぜひお願いしたいものだ。
私利私欲のない、誠心誠意の青山代議士ならば、うるさい国にすりよるだけの外務省官僚の改革ができるのではないかと思う。
さて本日(2日)の産経新聞にこんな記事が出ていて驚いた。

韓国最大野党「共に民主党」の文在寅前代表が7月25日に、韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)に上陸していたにもかかわらず、事態の把握が遅れ、同日の日韓外相会談で岸田文雄外相が抗議できなかったことが2日の自民党部会で明らかになり、外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が陳謝した。
 外務省によると、文氏は7月25日午前10時10分ごろに竹島に上陸したが、外務省が上陸の報道を確認したのは同日午後2時前だった。ラオスを訪問中だった岸田氏は同日午前11時15分ごろ(日本時間)、文氏の竹島上陸を知らないまま韓国の尹炳世外相との会談に臨んだため、直接抗議することはできなかった。外務省は会談終了後の同日午後2時半ごろに外交ルートを通じて抗議し、徹底した再発防止を求めた。
 2日の自民党部会に出席した議員からは「なぜ情報把握がこんなに遅れるのか」「岸田氏からしっかり抗議させるべきだった」と厳しい指摘が相次ぎ、経緯を説明した金杉氏は「対応に遺漏があった。大変申し訳ない」と謝罪した。
 一方、議員からは慰安婦問題をめぐる日韓合意に関して「韓国は合意に反するような行為をしている」「今の状態では(元慰安婦を支援する財団に日本政府が)10億円を出すべきではない」などと韓国側への批判も続出。在ソウル日本大使館前の慰安婦像の撤去についても「韓国が命懸けの努力をしているようには見えない」と不満が上がった。(産経)
 

 またか、外務省!
 外務省の官僚の意識を変革していくには労力がかかる。政府として外務省まかせにしない正確な独自情報ルートを持つべき必要性がでてきたのではないか。
 明治時代の日清戦争前後から日本は各国に情報武官が潜入していて、これに民間人も関与し、多くの情報網を持っていたものだ。
 彼らは武家に生まれ、小さいころから家庭で武士的な知育をされた人たちが多く、国を思い、私心というものを捨て去り、志が高かった。それがゆえに国益につながっていったのだ。荒尾精、根津一、宮崎滔天、山田良政、岸田吟香…。戦後の教育では消し去られてしまった人たちにスポットを当てながら、現代を考えていかねばならないと思う。
 まずは外務省の改革。そしてもう一つの外交情報ルートの確立をいそぐべきだ。青山繁晴代議士が外務大臣になればやれるような気がするのだが…。ちなみに青山代議士も誇り高い士族出身であるそうだ。(安田光敦)
PS…3日、外務大臣は岸田現大臣が留任と決まった。岸田外務大臣も国益を第一とする積極外交をしており、留任は順当だ。これも良し!

サムライの論語 

2016年07月08日(金) 5時43分
 歴代の都知事の中でも最悪と言われた舛添要一元東京都知事の公私混同は甚だしいものでした。美術品の私的購入、伊豆の別荘に公用車使用、議会にはからず都内一等地に朝鮮学校を増設する約束を朴大統領にするなど、トンデモ知事の見本市のような人物でした。

 あまりにひどいため身内の都庁からリークされ、次々といろいろなことが暴露。ついに辞任に追い込まれていきましたが、なぜこのような知事が生まれたのかというと、やはり小さい頃から道徳教育がされていなかったからでしょう。

 小さい頃から人間教育がされず受験勉強がよくできるだけで有名大学に入った人は、往々にして自意識が高く、さらに言えば自分本位になりやすいものです。先日は、女子大生をだまして猥褻な行為をする東大生グループの事件がありましたが、これも自分本位の見本のようなものです。こういう人たちが大学を卒業すると企業や役所で出世街道を歩み、やがて日本を背負うようになっていくのかと思うと日本の将来が心配でなりません。

 よくテレビの時代劇で悪代官や強欲な旗本が豪商と悪だくみをする話が出てきますが、あれはテレビの脚本家が面白くさせるための作り事で、武士というのはそもそも人の上に立つ役目がありましたから、小さい頃から文武両道を心掛けていました。元禄の泰平の時代になってから、ずいぶんタガが緩んできましたが、それでも(程度の差はありますが)学問を身につけることが当たり前でした。学問を学ぶ目的は品性を高めることを第一とし、損得勘定の数字に強い頭脳ではなく、四書五経を中心に道義という心を鍛えられました。そうして仕事に誠を尽くし、不正を不名誉とし、政治・行政・軍事を行う者として立派な人物になっていったのです。

 舛添元都知事は損得勘定の非常に強い人物でした。その意味ではサムライ精神は皆無で、政治・行政・軍事のトップに立てる人物ではありませんでした。

 幕末に日本を訪れた西洋人の日記を読みますと「日本人はどんなに貧乏でも清潔で正直で悪いことをしないし、お金をどこかに忘れても届けてくれる素晴らしい民族だ」と称賛しているものが多いようです。日本では武士階級だけでなく、庶民も小さい頃から「寺子屋」に通って勉強をしていたからです。彼らに学問を教えるのは、やはり武士階級の人でしたから誠の心を教えていきました。だから、心の教育が全国に行き渡っていたのです。

 しかし、明治時代に入って、政府は西洋にならって西洋の法律を導入し、法治国家として法制が敷かれていきます。そして並行して道徳教育がなおざりになっていきました。その結果、法律の抜け道を探して、脱税や法律に触れなければ、また見つかりさえしなければいいんだという風潮が広がっていきました。
 そうなってくると、選挙にお金がかかる政治家が法律に触れないギリギリのやり口でお金を集めようとしたり、闇の商取引をするのが当たり前になって、しだいに平気で私利私欲に走る悪徳政治家が多くなっていきます。

「法律に触れるような悪いことをしてはいけない」という考え方ではなく、「細かな法律に触れなくても悪いことをするのは人として恥ずかしい」という道徳心を持たなければ、良い国にはならないと、そう思いませんか。

前述したように江戸時代の日本人は小さい頃から誠の心を学びました。論語はその教科書のひとつです。次の論語は政治家、官僚、教育者の金科玉条のものと言っていいでしょう。


子曰(しのたまわく)、道之以政、(これをみちびくにまつりごとをもってし)
齊之以刑(これをととのふるにけいをもってすれば)、
民免而無恥(たみまぬがれてはじなし)。
道之以徳、(これをみちびくにとくをもってし) 
齊之以禮(これをととのふるにれいをもってすれば)、
有恥且格(はじありてかついたる)。


孔子先生がおっしゃった。
「法律づくめの政治で国民を指導し、刑罰をもって統制しようとすれば、国民は刑罰を免れるために、法律の抜け道を探せばいいのだと羞恥心がなくなってしまう。
しかし、仁義や道徳をもって国民を指導して、礼儀作法によって統制をしていくようにすれば、
国民は悪事に対して恥入り、心正しく罪を犯さないようになっていくものだ」




●語解
【道】みちびく。
【政】法律や法制
【齊】一斉にととのえる
【徳】道徳心
【禮】礼節
【格】いたると読む。善にいたるという意

熊本ボランティアで思ったこと 

2016年06月09日(木) 21時18分
熊本ボランティアで思ったことは以下。

【ボランティアを受け入れる自治体の傲慢】
 ボランティアは善意で行なわれるものだが、受け入れの自治体はボランティアを便利屋にしかみていない。たとえばゴールデンウィークなどボランティアが殺到した。熊本市内の花畑公園にあるボランティアセンターでは午前9時受付でわずか10分で受付終了し、多くのボランティアの人たちがボランティアができないままだった。
地元の受け入れ態勢が不十分で、これはもう、人の善意を無駄にしていると言えまいか。実際にはボランティアに手伝ってもらいたい人たちも多かったと聞いているし、また多くの近隣の町村では人が足りずに困っていたのだ。そちらに行けるように連携を取る臨機応変さが行政には必要だと考える。
 また、震源地の益城町のボランティアセンターは交通の便が非常に悪い。最寄りのバス停で早朝に行くとボランティア希望者の輸送が行われるが、それに遅れてしまうと4キロも歩かなければならなかった。その道案内の地図も途中にはないのだ。ボランティアが終わって解散したあとも車で来ている人ならいいが、車ではない人は再び歩いて遠いバス停まで戻るわけで、それがわかっていながら改善されないのは傲慢ではないか。

【ボランティアの炊き出しを受け入れること】
避難所の炊き出しについて前出しましたが、炊き出しは1日3食のうち1回でいいからやるべきです。毎日3食が弁当で満たされるようになると「炊き出しはしなくていい」と決めているのは行政です。
しかし、人というのは、特に被災者のぺしゃんこにへこんだ気持ちからエネルギーを与えるためには温かいものを食べさせてあげないといけない。そうでなければ心がダメになっていくのではないか。炊き出しをやっていいというのなら、いつでも炊き出しをやりにきてくれるでしょう。
しかし、それもいいのですが、本当は避難所にいる人たちが力を合わせて炊き出しをするのが一番いい。それが自立をしていくということではないか。それを決めるのは自治体のトップであり、自治体の議員たちではないかと思った。

【ボランティアの宿泊施設を作るべき】
私はわずか5日間のボランティアだけで、現地での移動費、宿泊費だけで約7万円が必要になった。現地での食事などは1日2千円ほどだから5日で1万円で足りる。せめて現地にボランティアの宿泊施設とボランティア用の給食センターがあれば、移動も含めて経費を減額することができるし、もっとボランティアが集まるに違いない。
また現地には女性のボランティアがいたが、やはり野宿するわけにはいかず、ホテルを確保するのが大変だったと聞いている。さらに現地ボランティアセンターの近くのベンチで寝袋で寝た男性の話では蚊もいるし、明け方は寒くてすぐに起きてしまったと言っていた。
各自治体には義援金が送られている。なぜ、その義援金をボランティアの宿泊施設を用意するために充てないのか。みなボランティアは「義を見てせざるは勇無きなり」の精神で活動しに来ているわけだから、野宿などは当たり前という覚悟がある。したがって文句や要望などは言わない。しかし、もう一歩進んで、ボランティアが支援しやすい環境を地元の自治体が作ってやれば、非常に効率がいいボランティア社会が生まれるのでは。


熊本地震ボランティア活動 

2016年06月04日(土) 16時39分
報告が遅くなったが熊本・大分震災のために廃材撤去などの手伝いに行ってきた。5月10日は熊本市内と周辺地域の壊れた家財のゴミ出し作業。11日は熊本市内と震源地の益城町。12日、13日も益城町での廃材撤去の手伝いをしながら日本のボランティアと行政との連携を考えた制度の必要性を感じた。今号は熊本・大分地震災害ボランティアレポートを送る。(安田光敦)


【初日=10日】
 熊本到着。すぐに熊本県ボランティアセンターにいき、手続のため受付へ。しかし、午後をまわっていたので、やはり明日来てくれと言われる。満杯になったら受付を終了することが事前にわかっていたので腹も立たなかったが、たとえば西原村とか益城町に行ってくれとか、各町村との連携をとった対応ができないものだろうかといま思う。(GW時に多くのボランティアが受付終了で帰らされて問題になった)
 この日はやむなく熊本市内を歩き回って、市民に声掛けして後片付けやマンションから壊れた家具をゴミ置き場に運ぶ手伝いをしながら、被災者の話を聞いた。ほとんどの人が本震があった時は「これで死ぬのか」と思ったという。

【2日目=11日】
震源地の益城村に行った。
熊本神社庁の湯地氏(武道教育購読者)に連絡をとって「助けにいけるところはないか」と打診。
「益城町の木山神宮さんが潰れて大変のようです」とのことで、まずは益城町のボラティアセンターに行くことにした。
熊本県ボランティアセンターとバス案内所の話では益城町に行くには熊本市内から空港バスで途中の「グランメッセ」というところで下車し、距離にして4qあるのでそこでタクシーを拾って、益城町ボランティアセンターに行くのが一番便利とアドバイスされた。ところがタクシーなどはまったく通らず。
のちに聞いたが「水道、ガスなどの調査や修理のために県外から応援が来ており、また家屋の崩壊で保険会社の調査員も熊本入りしていて、その数は二千人を超えている。ホテルも借り切っていて、またタクシーも借り切っているため、流しのタクシーはほとんどつかまらないとのことだった。

ともかく、ボランティアセンターまで歩くはめになった。途中、近道をしようとしたが逆に時間がかかり2時間近くもかかって、結局、午後12時ころに到着。すでに受付が終了しており、「明日8時に来てください」と追い返された。ならば、と益城町の中を「手伝いは必要ないか」と歩きながら活動。お寺(専寿寺)がぺしゃんこに潰れていたので、声をお掛けしましたがどなたもお見えにならず。通りがかりの人の話では避難所かヨソ(益城町以外)に行かれたということ。
木山神宮に向かう。木山神宮は拝殿本殿がぺしゃんこ。崩れた石灯籠などで入り口参道から本殿が見えないくらいくらいの荒れようだった。矢口宮司に「手伝うことがないか」と聞く。「12、13日に九州の神青協(神道青年全国協議会)の皆さんが拝殿の撤去作業をしていただけることになっている」と言われ、一緒に手伝わさせていただくことになった。

このあと、再び街中を歩く。住める状態の家はほとんどなかった。
潰れた家の前の庭におじいさんと30歳ほどの娘さんらしき人がいて、携帯用ガスコンロで料理を作っていた。「祖父は避難所が嫌なので、この庭にバラックを建てて、祖父はそこで泊まっています。私は避難所です」
家が崩れたのは本震の時だったそうだ。前震の時は建物は大丈夫だったが、住むのは危険なため庭に5台の自動車を駐車させて寝ていたため、助かったということ。
本震は夜中。「真っ暗だったので状況が分からなかったが朝、起きて家が倒れているのを見て驚いた」ということだった。

県道沿いを歩く。県道沿いの家は商店であったり、比較的に新しい建築の家が多いので建物自体は倒れていないものもありましたが、いずれにしても、建て直しをしなければ住めないということだった。
ちょうど、お年寄りがいて使える家財を福岡県に住む息子のところに運ぶというので家財を運ぶ手伝いをやらせていただく。危険で本当は家に入ってはいけないが、そんなことを言ってられないのが現実。「残念だがもう益城には住めん。また家建てるのにお金がかかるけん」と悔しそうにつぶやく。

 この手伝いが終わり、犬が近くで吠えていた。そこに行く。
犬は家の玄関につながれていて飼い主がそばにいた。「ごはんが欲しいんでしょうね」と言いますと「うん、そうかもしれんばい。うんじゃが、食べんとよ。地震が毎日あるけん、ストレスたいね」と悲しそうな顔をされまた。
 確かに犬は地べたに伏せているから、地震をもろに感じる。恐怖からくるストレスは尋常ではないはずだ。

 避難所になっている益城総合体育館に行く。避難所はみな静かだった。すでに午後5時になっていて夕食の配給をやっていました。夕食は混ぜご飯弁当とセブンイレブンで売っている一袋120円くらいのクリームパンだった。小6の子が長椅子に座って一人で食べていた。話を聞く。毎食、弁当とパン。しかし、レンジで温めるわけでもなく冷たい弁当なので「温かいものを食べたい」と言う。

避難所内を歩く。弁当を食べるのが楽しみかどうかは表情をみればわかる。ただ食べ物を口に入れているというだけでうれしそうな表情もなく、みな会話もすることもなく一人で黙って食事。行政側では「食べられるだけでも幸せ」という感覚なのだろうが、温かいものを食べていただくために炊き出しなどもすべきではないかと思った。

弁当の配給は万全となっているので炊き出しは必要なくなったと行政側は言っているが、スープ類はプロパンを用意し、みんなで作ればいいだけなのだから、やるべきかもしれない。また使えなくなっている給食センターの復旧だけでも早くすべきではないか、と思う。
とにかく温かい炊き出しひとつで避難所のひとたちは明日への希望が持てるんじゃないか。また、みんなで力を合わせて温かいものを一日一回でも作る。これが自立への第一歩になるのではないかと感じた。

夜になった。私自身の食事も摂りたかったが、どこにも食べるところがない。益城町にはボランティアが泊まるような宿泊施設があるわけではないため、いったん熊本市内に戻ることにした。しかし、やはり、ホテル、ビジネス、カプセルなど熊本市内にも泊まるところはない。多くのボランティアは車で来ており、車の中で寝るわけだが個人で車なしできているボランティアの場合は公園のベンチに寝袋で寝るか、別の方法を考えるしかないことが分かる。女性のボランティアは大変だろうと思う。

熊本市内の崇城大学には5月3日からボランティアヴィレッジを開設された。ここでボランティアがテントを借りて有料で宿泊できるようになっているが限りがあって多くのボランティアを収容することは難しい。また車で来ているボランティアは駐車場に車を置いて車中で寝る人も多いということだ。
私は熊本市内の24時間のネットカフェを選択。椅子形式ではなく胡坐をかける店舗「自遊空間」に午後10時に入店。ようやく熊本ラーメンで遅い夕食を摂った。
夜中に震度3の地震が起きたが起き上がって逃げるほどでもなかった。

【3日目=12日】
 朝5時半に起床し、市電の始発を待つ。熊本市役所前から終点の建軍町まで市電で行き、タクシーで益城町ボランティアセンターへ。乗車時間は30分。8時受付をして面接があり、作業の場所と作業の内容を知らされ、午後になって動く。個人宅のブロック塀の解体と廃材のかたずけが仕事で3時間くらいで終了。ボランティアセンターに戻って解散。
徒歩でバス停まで行き、熊本市内に戻るつもりだったが、バス停までの距離があまりに遠いために綜合体育館のある避難所まで行く。それでも徒歩40分。避難所のバス停から熊本行きのバスに乗るつもりだったが、すでに最終のバスが出てしまったあと。
 しかたなくタクシーを呼んでもらい、熊本市内に戻る。片道3000円あまり。今回、こうした交通費に非常に費用がかかり、予定外の出費となったのは反省するところだ。今思うと、博多からレンタカーを借りて熊本に行き、レンタカーで寝泊りすればすんだのかもしれない。いずれにせよ、レンタカーでの移動宿泊は風呂に入れないのが難点。
 この日の夜もネットカフェで宿泊。

【4日目=13日】
 朝6時起床。やはり市役所前から建軍町まで市電。そこからタクシー。午前8時の開店を待ってミスタードーナツで急いで腹ごしらえをして、近くのタクシー会社から一台待機していたのに乗り、益城村の木山神宮まで行く。乗車時間は35分。
ほぼ9時に木山神宮に着くと、すでに神青協の若者たちが60人到着していて、作業の手順を説明していた。作業は拝殿の廃材かたずけ。このかたずけはなどを使用する本格的なもので、東京で購入したヘルメット、粉塵マスク、ゴーグルを使用するなど完全装備での作業となった。
廃材にはビニール樹脂などが貼りつけてあるものが多いため、そのビニール樹脂もはがして分別処理もする。これがなかなか面倒だったが、みな黙々と作業を進めていく。途中、昼食休憩が1時間。しかし、おにぎりなどを買ってくるのを忘れたため、野宿した時の腹ごしらえのために用意していた炒り豆で腹を満たした。午後5時、本殿を残してすべて廃材のかたずけが終了。 

この日の夜は熊本市在住の大学の先輩・切通和美氏(元熊本県警)のお世話で大浴場付のホテルに泊まることができて、すっかり疲れをとることができた。
翌14日、現地での移動(タクシー)費用が掛かりすぎたため、節約のために在来線で熊本から博多まで行き、夜行バス午後6時半発で東京に帰る。15日午前10時、無事東京・新宿到着。16時間の長旅だった。
P R
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