昔の居場所 

2007年02月14日(水) 23時45分
さっそくバイト。
といっても今日、明日は1年前勤めていたバイト先からの
緊急要請に応えて2日間だけの復帰だ。

懐かしい面々と挨拶を交わす。
中前君がバッハみたいな髪で来たよ!と
騒いでて、笑った。

3年もバイトしてた所だから
ほぼみんな知ってる人達。
この人達にも、早く自分の輝く姿を見てもらいたいなあ。

張りつめた糸がようやく 

2007年02月13日(火) 23時30分
葬式が終わるまで、家族、親戚は大忙しだ。
僕ら孫も、仕事がいくらでもある。

ただ、それらの仕事をしないやつらもいて
温度差を感じた。温度差って表現はチト違うかもね。
何ていうんかな?

とにかく、ずっと気を張ってた。
帰りの新幹線で、どっと疲れが…

岡田氏の供花には心の底から感謝。
こういう事をできる人間と一緒に仕事できるって
本当に素晴らしく幸せな事だ!

じぃちゃん逝く 

2007年02月11日(日) 2時42分
イトコの結婚式が終わった。
その晩、じぃちゃんの容態が急変。
翌朝、心臓が止まった。

享年91歳。大往生。
岐阜新聞で新聞記者、支局長、その後独立。
「飛騨 日の出新聞社」旗揚げ後30年間
地元の為の新聞を作り続けた。

もっと色んな話を聞きたかったのに
じぃちゃんは方言が濃い上に早口で
こっちは聞き取るのに必死だ。
普通の会話すら必死なもんで
あんまり会話しなかった。

数年前、脳出血で倒れてから
徐々に身体の自由を奪われていった。
足が悪くなり、腰、手、目。
でも頭はハッキリしていた。

新聞記者として、その生きがいを
徐々に奪われていく辛さに、
何度も「殺してくれ、なぜ生かすんだ」と
もらした。そのたびにばぁちゃんは泣いてなだめた。

そして終に病は脳にまで達し、
家族の事をわからなくなる事が増えだす。
「わからないんだよ、ごめんなぁ…」
ばぁちゃんも母ちゃんも泣いていた。

看護するばぁちゃんにも、疲労からか
痴呆の症状が出始めた。
じぃちゃんに薬をやるのを忘れたり
食事を忘れたり。でもばぁちゃんは
じぃちゃんを病院に移すのを嫌がったけど、
みんなの説得で泣く泣く諦めた。

ばぁちゃんは、じぃちゃんとずっと一緒に
暮らしてきた。介護も自分でしたかった。
最愛の夫だから。
でも、痴呆で介護は危険すぎる。
ばぁちゃんは自分が痴呆である事を
受け入れ、じぃちゃんの為に、じぃちゃんと
離れて暮らすことになった。

やがて病院で徐々に死に近づいていく
じぃちゃん。
ところがまだ「末期」とは言えないある日、
病院から言われた言葉。

「治療を諦めてくれませんか」

早く死んでくださいと言われた。
家族は泣いて抗議した。それが医者の言うことかと。
こんな事、新聞や報道機関に訴えでるぞと。

返ってきたのは意外な答え。
どうぞ、むしろ広く世間に広めて欲しいと。
現在の介護保険の制度の欠陥を、報道して欲しいと。

現在の制度では、介護保険で患者の負担が減ったが
その分を国がしっかり払ってないそうだ。
そのせいで、じぃちゃんのような老人が病院に居るだけで
病院は赤字となり、経営ができなくなってしまうらしい。

だからといって、諦めるなんてできない。
今までどおりどうか、治療を続けて欲しい。
辛い延命治療を望んでいるわけじゃない。
じぃちゃんが辛くないようにして欲しいだけだ。

病院も納得してくれた。
最後まで誠意を尽くしてくれると言ってくれた。

そして、2月11日の朝。
息子の前で、ゆっくりと逝った。
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