淑女の皆さんはご退室ください。
先日目にしたコラムに、こんなことが書いてあった。
「25歳以下と以上とでは、性教育における大きな違いが存在する。」
かつて、健全たる世の男子たちは、「そこ」に行き着くまでに多大なる労力を費やした。
幼少期、下校途中のドブや高架下で、破れたエロ本との神聖な邂逅を経験する。
小遣いを握り締め本屋に買い求めるようになるが、レジでのカムフラージュのため不要な本まで買ってしまう勇気のなさ。
深夜番組を知ってからは音を立てないように工夫を凝らし、ビデオを始めて手にしたときのあの興奮たるや。
しかし、動いちゃいるけど可愛くないというそのジレンマに、悩み喘ぎ、もがく。
そして訪れる、「無修正」の極地。
見終わった後、想い恋焦がれたものとはかけ離れた「その姿」に、みな愕然とした気持ちで夕焼けの中をとぼとぼと歩いてゆくのだ。
(※注:上記述は参考文献によるもので、すべての男子に当てはまるものではありません。また、反フェミニズム的表現が含まれていることをご了承ください。)
こうした、途方もない努力と時間を掛けて、男子は漢(オトコ)へと成長するのである。
しかし、最近の若者に言わせると、
「自分ら、中学の頃からネットで動画見てましたね。無修正?フツーっすよ。」
だそうである。
紙媒体には触れたこともないという。
つーか、静止画って何が面白いんすか?って。
そしてその境目が、大体25歳くらいらしい。
この筆者は、こんな現実に対して強い(そして多少の羨望の混じった)憤りとともに、未来への憂いを嘆いている。
つまり、昨今騒がれている草食系男子は、この「エロにおける正しい過程」を踏まなかった結果による情熱の欠如に由来する、というのだ。
納得。
そういうことだったのか。
今までは、100階建てのビルの展望台まで、みなよいしょよいしょと自らの脚で登ってきたはずなのに、
アンダー25世代は、高速エレベーターどころか、どこでもドアで一瞬にワープしてしまっている。
そりゃ、フロイトに言わせるところのリビドーも消え失せる。
性に目覚めた瞬間から、手に届くところに(擬似)ゴールがあれば、誰だって頑張らない。
そして僕は思う。
やっぱり、人生において、ある程度はアナログ的要素が必要なんだ、と。
例えば、音楽。
多くの音楽家や愛好者が言うように、僕もCDやレコードなどのパッケージとしての存在が好きだ。
音楽は目に見えない分、ジャケットやブックレットなどから伝わる視覚と触覚にリンクし、強い思い出となって心に残る。
だから、ダウンロード配信という形態にはどうしてもゴーストのような希薄さを感じるし、例えどんなにいい曲であっても、
それが自分の人生の一部になるようなことは起こりにくい。
歌詞カードについたシミやケースの傷、レコードのノイズには、僕が生きてきた証が詰まっている。
そして、写真、だ。
どこの観光地に行っても、誰もがデジタルカメラを手にしている。
今どきフィルムを使って写真を撮っている人など、まず見かけることはない。
でも、僕はフィルムが好きだ。
もちろん写真家ではないので技術も知識もないし、現像作業だってだってほとんどやったことはない。
しかし、フィルムを無駄にしないようにと、意思を込めてシャッターを押すことでやっぱり結果は違ってくるし、
何よりどんな写真に仕上がるか、現像が上がるまでのわくわく感は最高だ。
デジカメで撮った写真はほとんど見返すことはないが、フィルムで撮った写真は持ち歩いていたりする。
残念ながら、フィルムは刻一刻と世界からその姿を消しつつある。
理由は分かる。
持ち運びは面倒くさいし、現像はわずらわしい。
撮ってすぐ見られないなんて、現代では不自由以外の何物でもない。
でも、そんなアナログの不便さというものは、大体にして、人間の感情部分に気付かぬうちに沁み込んでいる。
僕がフィルムカメラを使うのも、別に大義名分があるわけじゃない。
単純に、楽しいからだ。
僕は別にアナログ志向ではないけれど、嗜好品にはアナログは多い。
きっとそれは、人の心が0と1だけで再現できないっていうことの、確固たる証明なんだ。
僕は、そう信じている。
なんつって。
そう言えば。
「あんたは、すっごいおとなしい肉食だよね。」
って、友人に言われたよ。この間。