そして私の場合では自己批判と超克とによって、大胆となること、敢えて人と争うこと、悪にも耐え得ることの自己鍛錬の課題となってあらわれて来るのだ。
父は義理堅く、節約で、几帳面で、終生自分が養子であることを忘れなかった。父は決して自分のためには浪費しなかった。私の家が派手になったのは太物商のためと、女の姉妹が多く父は至って子煩悩なので、子供の願いを拒けることが出来ないためだった。娘たちは華やかに派手に装うていたが父はいつも質素な、身なりをしていた。父は決して豪放でなかったが優美を愛した。花を活け、三味線を弾き、義太夫をよくした。大阪に仕入れに行く時のたのしみは文楽を聞くことであった。しかし父は物に耽るということはなかった。実によく程を得ていた。
父は義理堅く、節約で、几帳面で、終生自分が養子であることを忘れなかった。父は決して自分のためには浪費しなかった。私の家が派手になったのは太物商のためと、女の姉妹が多く父は至って子煩悩なので、子供の願いを拒けることが出来ないためだった。娘たちは華やかに派手に装うていたが父はいつも質素な、身なりをしていた。父は決して豪放でなかったが優美を愛した。花を活け、三味線を弾き、義太夫をよくした。大阪に仕入れに行く時のたのしみは文楽を聞くことであった。しかし父は物に耽るということはなかった。実によく程を得ていた。