『 今回帰れたからといって、
次も帰れるとは思わない方がいい。
首都直下型の地震が発生した場合、
無理に帰ろうとするのは逆に危険な場合もある。 』
廣井 悠(1978〜 / 都市工学者 東京大学助教 専門は都市防災・都市工学)
格言は産経新聞記事(2011年4月30日 「社会部オンデマンド 大震災編・帰宅困難者にならないためには」)より。
曰く―――
『 今回の震災では、首都圏の被害はそれほど大きくなかった。携帯電話などが使えず、災害伝言ダイヤルの認知度も低かったため、家族のことが心配で帰宅しようとした人が多かったが、今回帰れたからといって、次も帰れるとは思わない方がいい。首都直下型の地震が発生した場合、無理に帰ろうとするのは逆に危険な場合もある。
(家族を)心配する気持ちは分かるが、状況がはっきりするまで安全な場所にとどまるべきだ。事前に避難場所など非常時の行動を確認しておくことが重要。会社や緊急の避難施設なども安心してとどまれるように、食料や毛布などの備蓄を充実させる必要がある。 』
廣井 悠(ひろい ゆう)氏は、災害時の都市リスク解析(都市防災)の専門家。特に震災や火災・水害などによる都市の安全設計(都市計画、制度設計)についての調査研究で知られる都市工学者である。
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災では、首都圏でも震度5を超える強い揺れとなり鉄道網が乱れ、自宅へ帰れない帰宅困難者が大量に生まれた。内閣府(首都直下型地震帰宅困難者等対策協議会)の推計によると、震災当日に首都圏で約515万人、東京都で約352万人、神奈川県で約67万人、千葉県約52万人、埼玉県約33万人、茨城県約10万人の帰宅困難者が発生したという。
廣井氏は震災後いち早く、首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)の帰宅困難者の行動について社会調査を行い、翌4月初旬に調査結果をまとめ公表されている。
※調査結果概要:
東日本大震災に関する調査(帰宅困難)概要
(災害と情報研究会(東洋大学・東京大学)、株式会社サーベイリサーチセンター合同調査)
調査によると、
全体(一都四県)で約8割が「自宅に帰れた」と回答したが、地震発生時に東京都内にいた人だけの帰宅率は67.8%と割合が下がることが分かった。残り2割の人の内訳は「会社に泊まった(11.6%)」「会社以外に泊まった(6.3%)」「自宅に帰ろうとしたが途中であきらめた(2%)」だった。
帰宅するかどうかの判断に利用した媒体は携帯電話が最多の82.3%であったが、実際に使えたと答えた人は42.8%にとどまり、テレビは62.2%が利用を考え、うち81.7%が実際に見ることができた。
「地震直後に知りたかったこと」は「地震の震源や規模(79.2%)」「家族の安否や居どころ(66.5%)」「自分の住む地域の被害(58.9%)」。
71.1%の人が「地震で困ったこと」として「携帯電話がかかりにくかった」と答えていながら、災害用伝言ダイヤル(171番)や携帯電話の災害用伝言サービスについて7割以上が利用していなかったことも判明した。
廣井氏は『 テレビやラジオが災害直後、被害のあるところだけでなく無いところの情報も伝えれば、携帯電話の利用や無理に帰宅しようとする人を減らせるだろう。 』と分析されている。(2011年4月9日 朝日新聞より)
■関連リンク
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東京大学消防防災科学技術寄附講座 廣井悠 WebPage (外部リンク)
■「廣井 悠」氏に関連する防災格言内の主な記事
廣井 脩(社会学者・防災情報学者)氏 (2009.09.28 防災格言)
<店長 拝>
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『 人間の行う行為を見れば、いかに完璧を期そうとも、必らずなにか不都合なことを引きずっているものである。 』
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469〜1527 / 中世イタリアの思想家 外交官)
格言は『政略論』(マキアヴェッリ語録(塩野七生著 新潮社 1988))より。
ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolo Machiavelli)は、中世イタリア・ルネサンス期を代表する政治思想家。著作は政治・歴史・軍事から劇作に及び『君主論』『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など現実主義的な政治理論を説き、近代政治思想の礎を築いた。
メディチ家の独裁とその後の追放というヨーロッパ大陸激動の時代にフィレンツェ共和国の名門の家に生れたマキャヴェッリは、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)の戦争によって故郷イタリアの領土が蹂躙されたとき、フィレンツェ共和国外交官時代に交渉の席で接したローマ出身の大物政治家チェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia / 1475〜1507) こそイタリア半島統一を成し半島を回復せしめる理想の統治者だとして、チェーザレの死後、故郷フィレンツェのメディチ家に献言するため『君主論』を著したという。「目的の為に手段を選ばない」という意味の「マキャベリズム」は、このマキャヴェッリのチェーザレ評(君主論)から派生した言葉でもある。
■「マキャヴェッリ」氏に関連する防災格言内の主な記事
ボッカチオ(中世イタリアの詩人) (2010.11.15 防災格言)
<店長 拝>
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『 当人がどれだけ注意していても災難の大半はむこうからやってくる。交通事故と同じだ。 』
伊集院静(1950〜 / 作家・作詞家 CMディレクター 代表作『乳房』)
格言はエッセイ『大人の流儀(講談社 2011年)』の「春」より。
作家の伊集院 静(いじゅういん しずか)氏は、山口県防府市の裕福な在日韓国人の家庭に生まれ、のちに日本に帰化。立教大学文学部を卒業後、広告代理店勤務を経て、テレビCMディレクターとなる。1981(昭和56)年に短編小説『皐月』で作家デビューし、1991(平成3)年『乳房』で吉川英治文学新人賞、翌1992(平成4)年『受け月』で直木賞、1994(平成6)年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002(平成14)年『ごろごろ』で吉川英治文学賞を受賞。
作詞家としても歌手の近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』など大ヒット曲を手がけている。
たいへん美女にモテる男性としても知られ、広告代理店時代に最初の夫人(女優・西山繭子の母)と結婚し数年後に離婚。1984(昭和59)年に女優・夏目雅子と再婚し、神奈川県鎌倉市由比ガ浜で過ごすが、翌年に急性白血病により死別。1992(平成4)年に宮城県仙台市出身の女優・篠ひろ子と再婚した。
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の発生時には仙台市の自宅にいたという。
その様子を夕刊フジ(2011年3月28日)紙面で語っている。
曰く―――
被災から5、6日目、多くの遺体が見つかっているというニュースをラジオで聞いた。周りは死者ばかりなんだ・・・自分は生きているが、本当に生きているのか?なんでこんな切ないんだという悲しみが来た。男の私でそうだから、お年寄りや女性、子どもはもっとだ。ケアしないとその人の一生にかかわる。被災者の近くの人はなるべく声を掛けてほしい。
寒さと余震に震えた。東北の救援が大事なのに、東京からのニュースは原発ばかりで、怒りが込み上げた。人々を生きて救い出してほしいと願った。
被災した側だから言う。東京人は本当に買い占めをする必要があるのか、自らに問い返すべきだ。道徳や規律がなければ“街”ではない。東京人はコミュニティーのない「仮住まい」にいるのだろうか。不道徳の連鎖は卑しい。未来のあるものを優先しなければならない。
■「伊集院静」氏に関連する防災格言内の主な記事
藤本義一氏(小説家・放送作家) (2011.01.17 防災格言)
<店長 拝>
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『 いざとなるとマニュアルなどあまり役に立ちません。
ノウハウと経験を持っている人の助けが一番です。 』
泉田裕彦(1962〜 / 新潟県知事 元経産省官僚)
泉田裕彦(いずみだ ひろひこ)氏は、新潟県中越地震(2004年)と新潟県中越沖地震(2007年)という立て続けに新潟を襲った災禍で、知事として陣頭指揮を執った人物。
京都大学法学部卒業後 昭和62(1987)年に通産省入省。経済企画庁内国調査第一課、ブリティッシュ・コロンビア大学客員研究員、経済産業研究所主任研究官、産業基盤整備基金総務課長、大臣官房秘書課長補佐、国土交通省貨物流通システム高度化推進調整官、岐阜県新産業労働局長など歴任し、平成16(2004)年の新潟知事選挙で初当選。当時、全国最年少の42歳の知事誕生となったが、知事就任前日の平成16(2004)年10月23日に新潟県中越地震が発生し、初登庁の日から被災地の復興に取り組むこととなった。
格言は平成19(2007)年10月に東京ビッグサイトで開催された「危機管理産業展2007(RISCON TOKYO)」のシンポジウムより(泉田氏はパネリストとしてご参加されました)。
尚、日経BP社のWEBサイトで、このときのシンポジウムが特集されています。
併せてお読み下さい。⇒
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/262/
■「泉田裕彦」氏に関連する防災格言内の主な記事
教訓(安全神話とは何か) (2005.01.17 店長コラム)
国会で異例の警告 「大地動乱の時代」と石橋克彦教授 (2005.02.23 店長コラム)
日本の防災制度 (2004.11.24 店長コラム)
今週の防災格言<48> 元東京都知事・鈴木俊一氏 (2008.10.13 防災格言)
今週の防災格言<91> 元神奈川県知事・岡崎 洋氏 (2009.08.10 防災格言)
今週の防災格言<17> 初代東京都知事・安井誠一郎氏 (2009.08.10 防災格言)
今週の防災格言<128> 後藤新平氏(関東大震災時の東京都知事) (2010.04.26 防災格言)
今週の防災格言<24> 安河内麻吉氏(関東大震災時の神奈川県知事) (2008.04.28 防災格言)
新潟県中越地震 概要 (外部リンク)
<店長 拝>
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『 感応がなければ賢者が病気を癒すことも出来ぬ。 』
釈雲照(1827〜1909 / 真言宗僧侶 明治維新後に戒律主義「十善会」発足)
「感応(かんのう)」とは「加持(かじ)」の意味。
「加持」とは御仏の加護という意味の仏教用語。
幕末から明治に真言宗の基礎を確立した僧侶が釈雲照(しゃくうんしょう)律師である。明治維新後に戒律主義を提唱、目白新長谷寺(しんちょうこくじ=現目白不動尊)に戒律学校・目白僧園を設立、また那須野に雲照寺、備中宝島寺に連島僧園を開設し、この3つを三僧園とし清僧の養育にあたり、会報誌『十善法窟』『法の母』を発刊した。自らも戒律を厳守する清浄な生活姿勢や崇高なその人格に、山県有朋、伊藤博文、大隈重信、山岡鉄舟、澤柳政太郎など当事の著名な政治家、財界人、学者らが帰依し教えを請うた。
晩年、日露戦争戦死者の供養で、中国東北部や朝鮮半島など各地に渡り巡錫(じゅんしゃく)された。
西洋化する社会を憂い「神・儒・仏」の三道一貫の精神を柱とした国民教育の場として徳教学校設立運動を行うが、志半ばの1909(明治42)年4月13日に83歳で遷化された。
格言は「将来之宗教」(1903(明治36)年 新仏教徒同志会編)より
釈雲照律師曰く―――
『 病人がどうか治して貰いたい、この人ならば治るだろう、医者の方もどうか治してやりたいという情がある。この間の感応がなければ病気は治るものではない 』
と説明されている。
■「釈雲照」律師に関連する防災格言内の主な記事
河口慧海氏(仏教学者・探検家) (2011.09.26 防災格言)
空海・弘法大師 (2011.10.31 防災格言)
大隈重信氏(早稲田大学創設者 政治家) (2010.09.27 防災格言)
山岡鉄舟氏(幕末から明治の政治家) (2010.08.09 防災格言)
<店長 拝>
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『 地震警報を発し防災措置を講ずる上で、大衆からもたらされた数々の動物の異常行動や地下水・地電気の観測結果が大いに役立った。 』
劉 英勇(1915〜1990 / 中国共産党の政治家・将軍 地震局局長 党副書記)
日本、米国、ソ連が地震予知計画を進めていた1970年代。中国(中華人民共和国)では、遼寧省海城市で起った大地震の予知に成功し、揺れの寸前で約100万人の住民を屋外に強制退避させて多数の人命を救ったというニュースが世界中を驚かせた。
1975年2月4日の海城地震(M7.4 死者1,328人 重傷4,292人)のことである。
当時、中国では文化大革命の波に乗って、地震予知のための観測項目として井戸水の異常や動物の異常行動(これを宏観(こうかん)異常現象と呼ぶ)などの情報が、10万人規模の大衆の無給奉仕によって毎日中央センターへと報告されていた。大衆の監視とともに専門家による地震観測も行われ(これを「専群結合」と呼ぶ。専は専門家、群は大衆)、失敗を恐れず頻繁に国家による地震警報が発令されていた。当然、予知の空振りの方が多かったが、その様な中で、海城地震では住民の強制退避完了後1時間ほどで大地震が発生するという劇的な予知の成功例を収めることとなる。
中国共産党政府は、1976年2月にパリで開催されたユネスコ総会で、この「地震予報の成果」を大いに喧伝した。当時、初代国家地震局局長の劉 英勇(りゅう いんよん)氏の手による英語翻訳公式レポート(「中華人民共和国地震工作概況簡介(1976年第2期)」)がユネスコ参加者へと配布された。(格言はこのレポートから)
しかし不幸にも、中国ではそれから半年ほど経た1976年7月28日、河北省唐山市直下でM7.8の大地震が発生する。この時、1ヶ月前から現地調査をしていた国家地震局調査隊は全員殉職し、結果的に予知はできずに失敗、壊滅状態となった唐山市は犠牲者242,419人を出す20世紀世界最大の震災となった。
唐山地震の予知失敗により国家地震局の信用は地に落ち、この後の中国の地震事業は大きく変貌することとなる。
■この記事に関連する防災格言内の主な記事
地震とナマズ (2003.12.20 店長コラム)
今週の防災格言<202> 地震学者・力武常次氏 (2011.10.24 防災格言)
<店長 拝>
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『 身命の長養は衣食住の三つにあり。
衣食住の三つは田畑山林にあり。
田畑山林は人民の勤功にあり。
今年の衣食は昨年の産業にあり。
来年の衣食は今年の艱難 ( かんなん ) にあり。
年々歳々報徳を忘る可 ( べか ) らず。 』
二宮尊徳(1787〜1856 / 江戸時代の農政家・報徳思想家 通称は金次郎)
『艱難(かんなん)』とは困難に遭遇し苦しみ悩むの意。
この格言は報徳の道の精神を説いた「 報徳訓 」より。
二宮尊徳(にのみや そんとく / 通称:二宮金次郎、金治郎)翁は、江戸時代後期に「報徳思想」という道徳思想を説き、日本の農村復興政策を指導した農政家。戦前の国定教科書にも紹介され、各地の小学校に "薪を背負い本を読み歩く金次郎像" が多く建てられ、広く知られる。
幼少の時、酒匂川(神奈川県小田原市)の氾濫により小田原東栢山一帯に濁流が襲い、金次郎の父の田畑も流失するが、金次郎は荒地を復興させ、残った田畑を小作に出し収入の安定を図って20歳で生家再興を果たす。また、小田原藩家老・服部家に依頼された財政再建にも成功し藩内に名前が知れ渡ると、才能を買われて小田原藩大久保家の家臣となり、下野国桜町領(栃木県二宮町 現・真岡市)の経営に成果を上げた。その農村経営手法は「報徳仕法」として他の農村の規範となった。各地には金次郎を祭る「二宮神社」が建立されている。
二宮尊徳の娘文子の夫である報徳運動家・富田高慶(とみた たかよし / 1814〜1890)は、尊徳の事業と言行を『報徳記』として集成すると、明治27(1894)年、キリスト教の伝道者で文学者でもある内村鑑三(うちむら かんぞう / 1861〜1930)が、報徳記の逸話を『Representative Men of Japan(邦題「代表的日本人」)』として英語で紹介、日本の文化・思想を西欧社会に発表したこの本は各国で翻訳され世界的なベストセラーとなった。
■「二宮尊徳翁」に関連する防災格言内の主な記事
今週の防災格言<96> 岡倉天心氏 (2009.09.14 防災格言)
<店長 拝>
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『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになる 』
加藤清志(1928〜 / 静岡県伊東市の郷土史家 伊東市文化財審議委員長)
格言は著書『伊東風土記(サガミヤ選書12 1996年)』より。
曰く―――、
『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになるので、みんなの力で、できるだけ掘り起こし、記録して共通の財産としたいものである。 』
加藤清志(かとう きよし)氏は、静岡県伊東市在住の郷土史家。地方史研究協議会、伊東郷土研究会などに所属。公立小学校勤務、中学校校長を経て1988(昭和63)年以降、伊東市教育委員会の非常勤職員(伊東市立図書館郷土資料室)として伊東市史の編纂のための郷土資料整理に長く従事され、現在は伊東市文化財審議委員長の要職を務められている。
特に、古文書の記録から、明治の初めに伊東市付近で発生した群発地震に関する記述を発見され、これが東伊豆の地震活動周期に関する研究の貴重な資料となった。
主な著書に「私たちの郷土池の歴史(共著)」「中学高校生に語る郷土宇佐美の歴史」「伊東市ゆかりの伊東一族の人びと」など。
本書『伊東風土記』では伊東を襲った津浪の記録が詳細に載っており、防災上たいへん興味深い読み物となっている。以下、本書より要約(一部抜粋)し紹介します。
房総(千葉)から品川(東京)、三浦半島(鎌倉)、小田原、伊豆(熱海、下田)にかけ10mを超える津波が襲来した元禄地震(1703(元禄16)年 M8.2 大正関東大震災の一つ前の海溝型地震で規模は大正時代よりも大きかった)では、江戸時代の伊東地方の経済中心地だった豆州志稿和田村(現伊東市)は、大津波により163人が亡くなり壊滅している。古文書には『 これより別して寒村たり(震災以降、村はすっかりさびれてしまった)』と記されている。
元禄の大津波は、伊東平野の川に沿って津波がさかのぼったとあり、現在の伊東温泉競輪場(静岡県伊東市岡 伊豆急・南伊東駅)にある俗称「船ヶ洞」と呼ばれる洞は、この時の津波によって船がここまで運ばれて来たからだと伝えられている。
現在の伊東市街地の中心は、湯川村・松原村・和田村の三村からなり、JR伊東駅から海岸線に広がる街区が旧・湯川村、その南に隣接して大川に至るまでが旧・松原村、大川の南西側平野部が旧・和田村である。
伊東市は、標高3〜6mの平野部であったため、元禄地震の津波でほぼ全地域が津波に飲まれたという。
文禄3(1594)年の和田村の人口は、戸数126戸、人数560人に対し、元禄地震後の宝永7(1710)年には戸数76戸、人数430人に激減しており、人口の減少が元禄地震によるものだとすると総人口の約3割が亡くなったことになる。
隣接する伊豆急・川奈駅から東に600mほど先にある「海蔵寺(かいぞうじ 標高約20m)」の境内の階段(全23段 約5m)には、江戸時代以降に押し寄せた三度の歴史津波の記録が残っている。
元禄地震(1703年)には上から2〜3段目まで津波が来たという。
安政東海地震(1854年)には下から3段目まで来た。
波高8.2mの津波により56戸の住宅が流失した大正関東大震災(1923年)では下から7段目まで来たという。
階段の周辺の海抜は約2.5mであり、寺から海まで直線距離で約200mほど離れているが、現在の海岸線は50年前に埋め立てられてできたもので、当時は海岸まで50mほどだったと見られている。
<店長 拝>
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『 自分のごみは自分で、というのが廃棄物処理の原則だが、被災地内だけでの処理は無理。 』
高橋壽正(1938〜 / 元社団法人・全国産業廃棄物連合会技術部長)
格言は読売新聞(1995(平成7)年6月13日)より。各県や各市によってがれきの扱い方が違うため域外処理調整が難航していることに触れた発言。
阪神淡路震災から5ヶ月が経った1995(平成7)年6月、連日、ビル解体などが行われている被災地では、郊外の処分場に、がれきを満載したトラックが連なっていた。トラックは処分場の閉門直後から翌朝の順番待ちで長い列をつくり、運転手は徹夜で順番待ちという状態だった。一刻も早い倒壊家屋の処理が求められる一方で、処分地不足や権利調整の難航などといった震災によって初めて経験した課題も多かった。
震災後の兵庫県のまとめでは、県内の全半壊・焼失家屋は200,162棟、うち半分超の122,037棟は解体が必要とされた。震災から5ヶ月間で70,370棟が解体または業者への発注を終えたものの、埋め立て、焼却などの最終処分まで完了したのはまだ一割程度に過ぎなかった。そのため、約13,000社が加盟する全国産業廃棄物連合会が1995(平成7)年4月17日に対策本部を設置、下部組織の兵庫県産業廃棄物協会(約700社)を中心に全国規模の域外処理の検討をはじめた。
高橋壽正(たかはし としまさ)氏は、元・社団法人 全国産業廃棄物連合会技術部長。岩手県環境アドバイザー、環境省環境カウンセラーなど専門知識を活かした廃棄物の減量・資源化についての講演や環境経営の普及啓発を行われている。
<店長 拝>
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『 "幸運と不幸は二人連れ"ということだ。 』
福原義春(1931〜 / 実業家 資生堂名誉会長)
格言は「財界人随筆集(ごま書房 1997年)」から「幸福と不幸は二人連れ―その後」より。
自身の戦中や戦後の経験を振り返ってみてふと気づいたことを述べられたもの。
曰く――
『 幸せと不幸せは必ず二人一組でやって来るから、気をつけなければならない。ただし、大きな幸せが小さな不幸せを運んでくる場合と、小さな幸せが大きな不幸せを連れてくる場合がある。どっちになるかはわからないが、必ず一緒に来るということだけは肝に銘じておこう 』
福原義春(ふくはら よしはる)氏は東京出身の実業家。神奈川県逗子市在住。資生堂創業者・福原有信(ふくはらありのぶ / 1848〜1924)の実孫にあたる。1953年、慶應義塾大学経済学部卒業後、資生堂に入社。米国法人社長、商品開発部長、取締役外国部長などを経て1987年に第10代代表取締役社長に就任。資生堂をグローバル企業へ発展する基礎を築き、2001年より名誉会長(現職)。東京都写真美術館館長、文字・活字文化推進機構会長、企業メセナ協議会会長、かながわ国際交流財団理事長など公職多数。
■「実業家」に関連する防災格言内の主な記事
伊藤淳二(カネボウ会長)氏 (2010.01.18 防災格言)
浜口梧陵(ヤマサ醤油社長)氏 (2007.12.24 防災格言)
平生釟三郎(川崎重工社長)氏 (2009.11.02 防災格言)
安田善次郎(安田財閥創設者)氏 (2010.11.01 防災格言)
麻生太郎(麻生セメント社長、政治家)氏 (2008.01.28 防災格言)
中内 功(ダイエー創業者)氏 (2009.09.07 防災格言)
横河民輔(横河グループ創業者)氏 (2010.02.08 防災格言)
ロバート・ボッシュ(ボッシュ・グループ創業者)氏 (2011.12.12 防災格言)
アンリ・デュナン(国際赤十字社創設者)氏 (2011.05.02 防災格言)
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