今週の防災格言<217> 劉 英勇(中華人民共和国初代国家地震局局長)氏
2012.02.06 [Mon] 07:00


『 地震警報を発し防災措置を講ずる上で、大衆からもたらされた数々の動物の異常行動や地下水・地電気の観測結果が大いに役立った。 』


劉 英勇(1915〜1990 / 中国共産党の政治家・将軍 地震局局長 党副書記)

日本、米国、ソ連が地震予知計画を進めていた1970年代。中国(中華人民共和国)では、遼寧省海城市で起った大地震の予知に成功し、揺れの寸前で約100万人の住民を屋外に強制退避させて多数の人命を救ったというニュースが世界中を驚かせた。

1975年2月4日の海城地震(M7.4 死者1,328人 重傷4,292人)のことである。

当時、中国では文化大革命の波に乗って、地震予知のための観測項目として井戸水の異常や動物の異常行動(これを宏観(こうかん)異常現象と呼ぶ)などの情報が、10万人規模の大衆の無給奉仕によって毎日中央センターへと報告されていた。大衆の監視とともに専門家による地震観測も行われ(これを「専群結合」と呼ぶ。専は専門家、群は大衆)、失敗を恐れず頻繁に国家による地震警報が発令されていた。当然、予知の空振りの方が多かったが、その様な中で、海城地震では住民の強制退避完了後1時間ほどで大地震が発生するという劇的な予知の成功例を収めることとなる。

中国共産党政府は、1976年2月にパリで開催されたユネスコ総会で、この「地震予報の成果」を大いに喧伝した。当時、初代国家地震局局長の劉 英勇(りゅう いんよん)氏の手による英語翻訳公式レポート(「中華人民共和国地震工作概況簡介(1976年第2期)」)がユネスコ参加者へと配布された。(格言はこのレポートから)

しかし不幸にも、中国ではそれから半年ほど経た1976年7月28日、河北省唐山市直下でM7.8の大地震が発生する。この時、1ヶ月前から現地調査をしていた国家地震局調査隊は全員殉職し、結果的に予知はできずに失敗、壊滅状態となった唐山市は犠牲者242,419人を出す20世紀世界最大の震災となった。
唐山地震の予知失敗により国家地震局の信用は地に落ち、この後の中国の地震事業は大きく変貌することとなる。

■この記事に関連する防災格言内の主な記事
 地震とナマズ(2003.12.20 店長コラム)
 今週の防災格言<202> 地震学者・力武常次氏(2011.10.24 防災格言)



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今週の防災格言<216> 二宮尊徳(二宮金次郎)翁
2012.01.30 [Mon] 07:00


『 身命の長養は衣食住の三つにあり。
 衣食住の三つは田畑山林にあり。
 田畑山林は人民の勤功にあり。
 今年の衣食は昨年の産業にあり。
 来年の衣食は今年の艱難かんなんにあり。
 年々歳々報徳を忘るべからず。 』


二宮尊徳(1787〜1856 / 江戸時代の農政家・報徳思想家 通称は金次郎)

『艱難(かんなん)』とは困難に遭遇し苦しみ悩むの意。
この格言は報徳の道の精神を説いた「 報徳訓 」より。

二宮尊徳(にのみや そんとく / 通称:二宮金次郎、金治郎)翁は、江戸時代後期に「報徳思想」という道徳思想を説き、日本の農村復興政策を指導した農政家。戦前の国定教科書にも紹介され、各地の小学校に "薪を背負い本を読み歩く金次郎像" が多く建てられ、広く知られる。

幼少の時、酒匂川(神奈川県小田原市)の氾濫により小田原東栢山一帯に濁流が襲い、金次郎の父の田畑も流失するが、金次郎は荒地を復興させ、残った田畑を小作に出し収入の安定を図って20歳で生家再興を果たす。また、小田原藩家老・服部家に依頼された財政再建にも成功し藩内に名前が知れ渡ると、才能を買われて小田原藩大久保家の家臣となり、下野国桜町領(栃木県二宮町 現・真岡市)の経営に成果を上げた。その農村経営手法は「報徳仕法」として他の農村の規範となった。各地には金次郎を祭る「二宮神社」が建立されている。

二宮尊徳の娘文子の夫である報徳運動家・富田高慶(とみた たかよし / 1814〜1890)は、尊徳の事業と言行を『報徳記』として集成すると、明治27(1894)年、キリスト教の伝道者で文学者でもある内村鑑三(うちむら かんぞう / 1861〜1930)が、報徳記の逸話を『Representative Men of Japan(邦題「代表的日本人」)』として英語で紹介、日本の文化・思想を西欧社会に発表したこの本は各国で翻訳され世界的なベストセラーとなった。

■「二宮尊徳翁」に関連する防災格言内の主な記事
 今週の防災格言<96> 岡倉天心氏(2009.09.14 防災格言)



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今週の防災格言<215> 加藤清志(静岡県伊東市の郷土史家)氏
2012.01.23 [Mon] 07:00


『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになる 』


加藤清志(1928〜 / 静岡県伊東市の郷土史家 伊東市文化財審議委員長)

格言は著書『伊東風土記(サガミヤ選書12 1996年)』より。

曰く―――、

『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになるので、みんなの力で、できるだけ掘り起こし、記録して共通の財産としたいものである。 』

加藤清志(かとう きよし)氏は、静岡県伊東市在住の郷土史家。地方史研究協議会、伊東郷土研究会などに所属。公立小学校勤務、中学校校長を経て1988(昭和63)年以降、伊東市教育委員会の非常勤職員(伊東市立図書館郷土資料室)として伊東市史の編纂のための郷土資料整理に長く従事され、現在は伊東市文化財審議委員長の要職を務められている。
特に、古文書の記録から、明治の初めに伊東市付近で発生した群発地震に関する記述を発見され、これが東伊豆の地震活動周期に関する研究の貴重な資料となった。
主な著書に「私たちの郷土池の歴史(共著)」「中学高校生に語る郷土宇佐美の歴史」「伊東市ゆかりの伊東一族の人びと」など。

本書『伊東風土記』では伊東を襲った津浪の記録が詳細に載っており、防災上たいへん興味深い読み物となっている。以下、本書より要約(一部抜粋)し紹介します。


房総(千葉)から品川(東京)、三浦半島(鎌倉)、小田原、伊豆(熱海、下田)にかけ10mを超える津波が襲来した元禄地震(1703(元禄16)年 M8.2 大正関東大震災の一つ前の海溝型地震で規模は大正時代よりも大きかった)では、江戸時代の伊東地方の経済中心地だった豆州志稿和田村(現伊東市)は、大津波により163人が亡くなり壊滅している。古文書には『 これより別して寒村たり(震災以降、村はすっかりさびれてしまった)』と記されている。

元禄の大津波は、伊東平野の川に沿って津波がさかのぼったとあり、現在の伊東温泉競輪場(静岡県伊東市岡 伊豆急・南伊東駅)にある俗称「船ヶ洞」と呼ばれる洞は、この時の津波によって船がここまで運ばれて来たからだと伝えられている。

現在の伊東市街地の中心は、湯川村・松原村・和田村の三村からなり、JR伊東駅から海岸線に広がる街区が旧・湯川村、その南に隣接して大川に至るまでが旧・松原村、大川の南西側平野部が旧・和田村である。
伊東市は、標高3〜6mの平野部であったため、元禄地震の津波でほぼ全地域が津波に飲まれたという。

文禄3(1594)年の和田村の人口は、戸数126戸、人数560人に対し、元禄地震後の宝永7(1710)年には戸数76戸、人数430人に激減しており、人口の減少が元禄地震によるものだとすると総人口の約3割が亡くなったことになる。

隣接する伊豆急・川奈駅から東に600mほど先にある「海蔵寺(かいぞうじ 標高約20m)」の境内の階段(全23段 約5m)には、江戸時代以降に押し寄せた三度の歴史津波の記録が残っている。
元禄地震(1703年)には上から2〜3段目まで津波が来たという。
安政東海地震(1854年)には下から3段目まで来た。
波高8.2mの津波により56戸の住宅が流失した大正関東大震災(1923年)では下から7段目まで来たという。
階段の周辺の海抜は約2.5mであり、寺から海まで直線距離で約200mほど離れているが、現在の海岸線は50年前に埋め立てられてできたもので、当時は海岸まで50mほどだったと見られている。

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今週の防災格言<214> 高橋壽正(元全国産業廃棄物連合会技術部長)氏
2012.01.16 [Mon] 07:00


『 自分のごみは自分で、というのが廃棄物処理の原則だが、被災地内だけでの処理は無理。 』


高橋壽正(1938〜 / 元社団法人・全国産業廃棄物連合会技術部長)

格言は読売新聞(1995(平成7)年6月13日)より。各県や各市によってがれきの扱い方が違うため域外処理調整が難航していることに触れた発言。

阪神淡路震災から5ヶ月が経った1995(平成7)年6月、連日、ビル解体などが行われている被災地では、郊外の処分場に、がれきを満載したトラックが連なっていた。トラックは処分場の閉門直後から翌朝の順番待ちで長い列をつくり、運転手は徹夜で順番待ちという状態だった。一刻も早い倒壊家屋の処理が求められる一方で、処分地不足や権利調整の難航などといった震災によって初めて経験した課題も多かった。

震災後の兵庫県のまとめでは、県内の全半壊・焼失家屋は200,162棟、うち半分超の122,037棟は解体が必要とされた。震災から5ヶ月間で70,370棟が解体または業者への発注を終えたものの、埋め立て、焼却などの最終処分まで完了したのはまだ一割程度に過ぎなかった。そのため、約13,000社が加盟する全国産業廃棄物連合会が1995(平成7)年4月17日に対策本部を設置、下部組織の兵庫県産業廃棄物協会(約700社)を中心に全国規模の域外処理の検討をはじめた。

高橋壽正(たかはし としまさ)氏は、元・社団法人 全国産業廃棄物連合会技術部長。岩手県環境アドバイザー、環境省環境カウンセラーなど専門知識を活かした廃棄物の減量・資源化についての講演や環境経営の普及啓発を行われている。



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今週の防災格言<213> 福原義春(資生堂会長)氏
2012.01.09 [Mon] 07:00


『 "幸運と不幸は二人連れ"ということだ。 』


福原義春(1931〜 / 実業家 資生堂名誉会長)

格言は「財界人随筆集(ごま書房 1997年)」から「幸福と不幸は二人連れ―その後」より。
自身の戦中や戦後の経験を振り返ってみてふと気づいたことを述べられたもの。

曰く――

『 幸せと不幸せは必ず二人一組でやって来るから、気をつけなければならない。ただし、大きな幸せが小さな不幸せを運んでくる場合と、小さな幸せが大きな不幸せを連れてくる場合がある。どっちになるかはわからないが、必ず一緒に来るということだけは肝に銘じておこう 』

福原義春(ふくはら よしはる)氏は東京出身の実業家。神奈川県逗子市在住。資生堂創業者・福原有信(ふくはらありのぶ / 1848〜1924)の実孫にあたる。1953年、慶應義塾大学経済学部卒業後、資生堂に入社。米国法人社長、商品開発部長、取締役外国部長などを経て1987年に第10代代表取締役社長に就任。資生堂をグローバル企業へ発展する基礎を築き、2001年より名誉会長(現職)。東京都写真美術館館長、文字・活字文化推進機構会長、企業メセナ協議会会長、かながわ国際交流財団理事長など公職多数。

■「実業家」に関連する防災格言内の主な記事
 伊藤淳二(カネボウ会長)氏(2010.01.18 防災格言)
 浜口梧陵(ヤマサ醤油社長)氏(2007.12.24 防災格言)
 平生釟三郎(川崎重工社長)氏(2009.11.02 防災格言)
 安田善次郎(安田財閥創設者)氏(2010.11.01 防災格言)
 麻生太郎(麻生セメント社長、政治家)氏(2008.01.28 防災格言)
 中内 功(ダイエー創業者)氏(2009.09.07 防災格言)
 横河民輔(横河グループ創業者)氏(2010.02.08 防災格言)
 ロバート・ボッシュ(ボッシュ・グループ創業者)氏(2011.12.12 防災格言)
 アンリ・デュナン(国際赤十字社創設者)氏(2011.05.02 防災格言)



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今週の防災格言<212> アンリ・ポアンカレ(フランスの数学者)氏
2012.01.02 [Mon] 07:00


今日こんにちでも ある民族は、絶えず不思議の中に生きていながら、これに対して驚きを感じないでいる。 ところがわれわれは、自然が整然と規則立っていることに、かえって驚きを覚えずにはいられない。 人間は、神が奇跡によって自分の存在をあらわすことを祈るけれども、かつて奇跡が起こらないということこそ、かえって永遠の奇跡なのである。 世界はこんなにも調和している、だから世界は神々しいのである。 』


アンリ・ポアンカレ(1854〜1912 / フランスの数学者・物理学者)

ジュール=アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincare)は、数学(位相幾何学)の分野の「トポロジー(位相)概念の発見」や「ポアンカレ予想」で知られる世界的数学者。数々の重要な基本原理を確立し、天文力学や数理物理学などの分野でも功績を残した。
特に1904年に提唱されたポアンカレ予想(Poincare conjecture)の問題は、20世紀最大の難問の一つとして以後100年間にわたって未解決となり、2000年にアメリカのクレイ数学研究所(Clay Mathematics Institute=CMI)がミレニアム懸賞問題(長い間証明されていない重要な問題)として正解に100万ドルの賞金をかけたことで、世界的に広く知られることになる。この難問は最終的に、2003年にロシアの数学者・グリゴリー・ペレルマン(Grigori Perelman)により証明された。



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今週の防災格言<211> 旧約聖書『創世記』41章より
2011.12.26 [Mon] 07:00


『 エジプトの国を襲うであろう七年の飢饉に備えて、
 食糧がこの国の蓄えとなり、この国は飢饉により
 滅びることがないでしょう(41章36)。 』

 " The food shall be for a store to the land against the seven years of famine, which shall be in the land of Egypt; that the land perish not through the famine.(41-36) "


旧約聖書『創世記』41章(ヨセフの物語より)

旧約聖書『創世記』41章からのくだりに「備えの重要性」を説く物語が紹介されている。『七頭の雌牛と七つの穂:七年の豊作と七年の飢饉』(The seven kine and the seven ears : the seven plenteous years and the after seven years of famine) の物語である。

神に祝福されているヨセフが、エジプトで奴隷として働く中で、夢判断を任されることになる。すると夢判断のため投獄され、また、それが縁となって牢屋から出されると、エジプト王の前で王の夢を判断することになる。「七頭の肥えた牛と七つの種、それから痩せた七頭の牛と七つの枯れた籾(もみ)」の夢は、七年の豊作が続いた後の七年の飢饉のお告げなので、だから、豊作の時に飢饉に備えなさい、とヨセフは王に伝える。
聖書によると、エジプトは備えを行ったため、豊作後に全土を襲った大飢饉を無事に乗り切ることができたという。


英語の旧約聖書の記述(抜粋)は以下の通り。(日本語は店長訳です)


"Behold, there come seven years of great plenty throughout all the land of Egypt: (41-29)

エジプト全国に七年の大豊作があり、(41章29)


"and there shall arise after them seven years of famine; and all the plenty shall be forgotten in the land of Egypt; and the famine shall consume the land; (41-30)"

その後、七年の飢饉が起り、その前の豊作がまるでなかったかのように、その飢饉が国を滅ぼすでしょう。(41章30)


"Now therefore let Pharaoh look out a man discreet and wise, and set him over the land of Egypt. (41-33)"

だからこそ今、王は、慎重で賢い人を尋ね、彼らにエジプトの国を治めさせなさい。(41章33)


"Let Pharaoh do this, and let him appoint overseers over the land, and take up the fifth part of the land of Egypt in the seven plenteous years.(41-34)"

王は国中に監督を置き、七年の豊作のうちに、エジプト国の産物の五分の一を取り、(41章34)


"And let them gather all the food of these good years that come, and lay up grain under the hand of Pharaoh for food in the cities, and let them keep it.(41-35)"

続いて来る豊作の年々のすべての食糧を彼らに集めさせ、食糧として穀物を、王の手で町々に貯蔵し守らせなさい。(41章35)


"And the food shall be for a store to the land against the seven years of famine, which shall be in the land of Egypt; that the land perish not through the famine.(41-36)"

そうすれば、エジプトの国を襲うであろう七年の飢饉に備えて、食糧がこの国の蓄えとなり、この国は飢饉により滅びることがないでしょう。(41章36)


"And the seven years of famine began to come, according as Joseph had said: and there was famine in all lands; but in all the land of Egypt there was bread.(41-54)"

ヨセフの言ったように七年の飢饉が始まった。飢饉は全ての国にも起ったが、エジプト全土には食物があった。(41章54)

■「聖書」に関連する防災格言内の主な記事
 今週の防災格言<106> 旧約聖書(ソロモン王)より(2009.11.23 防災格言)



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今週の防災格言<210> 釈尊
2011.12.19 [Mon] 07:00


おのれこそおのれの寄辺よるべおのれをきてだれに寄るべぞ、よくととのえしおのれにこそまこと得難えがた寄辺よるべをぞん 』

  " 自己心為師、不随他為師、自己為師者、獲真智人法 "


釈迦(紀元前5世紀頃 / 仏教の開祖 「仏陀」「如来」等と呼ばれる)

口語訳 『 まことに自己(おのれ)こそ自己の救護者(すくいて)である。いったい、誰がこの自己の外に救護者となりうるものがあろうか。よく制せられたる自己こそ、吾(われ)らは他にえがたき救護者を見出すことができる。 』

格言は 『法句経 第百六十番』(出典:友松圓諦著『法句経講義(講談社学術文庫533 1981年)』)より。
訳者である仏教学者・友松圓諦(ともまつ えんたい / 1895〜1973 初代全日本仏教会事務総長)氏は、

『 漢訳に「自己の心を師となす」と「師」といっていますが、原文はナートなので、私は「救護者(すくいて)」とか「よるべ」と訳しておきました。漢訳に「自己の心」を師とするといっていますが、これは少々、どうかと思います。原文にしたがって「おのれ」だけにしておきました。

親、夫、妻、子、財産、親族、健康、信仰、こうしたものいっさいを失っても、もし万一、自己というものさえ見失わなかったならば、これが最後の足溜り、この最後の足溜りがありさえすれば、どんなにいっさいを失い、いっさいに裏切られても、自己に対して一つの堅牢なる立場があります。 』

と述べられている。

仏教の開祖釈迦は、紀元前5世紀頃に北インドの小国カピラバストゥ(現ネパール)で釈迦族の王子として生まれた。本名はゴーダマ・シッダールタという。後に "悟りを得た者" という意味の「仏陀(ブッダ)」と呼ばれる。
仏教界では、ルンビニー園で4月8日に生誕、12月8日に成道(じょうどう=悟りを開く)され、クシナガラの地で満月の日の陰暦2月15日に80歳で入滅されたとされており、それぞれの日に法要がとり行われる。



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今週の防災格言<209> ロバート・ボッシュ氏(ドイツ企業「ボッシュ・グループ」創業者)
2011.12.12 [Mon] 07:00


『 財産を失っても、何もなくならない。
  勇気を失ったら、多くがなくなる。
  誇りがなくなったら、全てがなくなる。 』

  " Geld verloren, nichts verloren,
   Mut verloren, viel verloren,
   Ehre verloren, alles verloren. "


ロバート・ボッシュ(1861〜1942 / ドイツの実業家 ボッシュ・グループ創業者)

世界150ヶ国で従業員28万人を抱えるドイツの老舗自動車部品・電動工具メーカー「ロバート・ボッシュ・グループ(Robert Bosch GmbH :"BOSCH"のロゴで知られる会社)」の創立者ロバート・ボッシュは、一介の職人から世界的企業の指導者となったドイツが誇る立志伝中の人物である。

ボッシュは、ドイツ南部ウルム近郊のアルベック村で裕福な農家の12人兄弟の11番目の子として生まれた。複数の会社で精密機械工として働き、1886年にシュトゥットガルトでボッシュ・グループの前身となる作業場を開設。
"信用"、"信頼"、"法の遵守"を社是として、1902年、革新的技術を使った自動車エンジン用の点火装置が大ヒットし、飛躍的に事業拡大すると、自動車のワイパー、ディーゼル燃料噴射ポンプ、電動ドリル・ドライバーなど次々に新製品を発明した。
『 雇用主も従業員も会社の運命と同じように左右される 』として、1906年、従業員の一日8時間労働制を導入、製造ラインの二交代シフト制など世界に先駆けた経営システムをつくりあげてもいる。
ナチス・ドイツ政権下では、生粋のドイツ人(ゲルマン系アレマン人)でありながらアドルフ・ヒトラーに抵抗し、多くのユダヤ系の人々へ援助を行った。
1942年3月12日、シュトゥットガルトで後妻と4人の子供達に看取られながら80年の生涯を閉じた。

本格言は、第二次世界大戦の敗戦後、西ドイツ経済を奇跡の復興(エアハルトの奇跡)に導いた政治家ルードヴィッヒ・エアハルト( Ludwig Wilhelm Erhard / 1897〜1977 )西ドイツ首相が、このボッシュの言葉を好んで引用したことで世界的に紹介されたもの。(日本語訳は店長訳です)



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今週の防災格言<208> 莅戸善政(米沢藩家老)氏
2011.12.05 [Mon] 07:00


『 今の豊かなる日にく心得させよとの御事に候条、油断すべからざるもの也。 』


莅戸善政(1735〜1803 / 江戸時代中期の出羽国(山形県)米沢藩家老)

格言は、米沢藩で寛政12(1800)年に刊行された領民への救荒食(非常食)の手引書『かてもの』の「あとがき」より。

天明3(1783)年の浅間山大噴火により発生した「天明の大飢饉」を体験した米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎ ようざん)公が、重臣の莅戸善政(のぞき よしまさ)に命じ、12年後に刊行された救荒食(非常食)の手引書が『かてもの』である。この書のおかげで、後の「天保の大飢饉(1833(天保4)年)」では、米沢藩から一人も餓死者を出さなかった。

「心得させよ」とは、手引書の「はじめに」書かれている『 豊かなる今日より、万々一の日の心がけいたすべく候』のことを指し、『 豊かな今だからこそ、つい忘れてしまいがちになる備蓄について、決して油断してはいけません。 』、と領民へ薦めている。

■「莅戸善政」氏に関連する防災格言内の記事
 豊かなるけふ(今日)より、万々一の日の心がけいたすべく候(2008.03.17 防災格言)
 今週の防災格言<126> 上杉鷹山(米沢藩主)(2010.04.12 防災格言)



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