今週の防災格言<487> 渡部昇一 (英語学者・評論家 上智大学名誉教授)
2017.04.24 [Mon] 07:00


『 最大の国難とは、
 日本人のアイデンティティーが
 失われてしまうことである 』


渡部昇一(1930〜2017 / 英語学者・評論家 上智大学名誉教授)

曰く―――。

《 名だたる日本企業の不祥事で、日本の、ひいては日本人の「強み」は失われたという人もいるかもしれない。だが、それは間違っている。アメリカのような大国に影響されるのは島国の日本では当然なことで、日本の歴史をみればずっと海外の影響下にあるのである。

しかし、歴史から鑑みて、長い月日の中で見れば、さざ波のような出来事でしかない。日本の、日本人の「強み」は、海の底に広がる岩盤のように確固とし根付いているのである。

その証拠は、二度にわたって日本を襲った震災の中にみることができる。未曽有の被害を被った東日本大震災の時、人々は混乱なく整然と並び、暴動や略奪行為もほとんど起こらなかった。自分のことより人を慮(おもんばか)る態度に、世界は驚嘆したというニュースをお聞きになったのは皆さんご存知の通りだろう。

そして、2016年4月に発生した熊本地震は、改めて地震災害の恐ろしさを実感させられた。にも関わらず、東日本大震災の時と同様、被災者たちは秩序を保ち自制した避難生活を今でも送っている。厳しい状況におかれても、自分のことばかりではなく、他の被災者を慮り、手を差し伸べているのも変わりはない。

海外では、人種問題から端を発したロサンゼルスの暴動事件のように、いったん世の中が無秩序になったと思えば、民衆は暴徒と化し、店舗や人家を破壊したうえ、金品を強奪するということは普通に起こることなのである。

なぜ、日本人は大震災のような中でも、世界が驚嘆するような秩序を保つことができたのか?≪中略≫

実は、私は日本人というものが、どういう歴史を辿って形成されてきたのかを、日本人自身が理解できていないように思うことがある。 ≪中略≫

日本の皇室は他の国の王朝とは異なる特色をもっている。ほとんどの国は、時代によって王朝は倒され、時には支配者の民族が入れ替わっている。ところが、日本の場合は『古事記』『日本書紀』に示されている通り、神話から始まる皇室が万世一系の流れで現代に受け継がれて連続性をもっているのである。

日本の歴史をみたとき、この万世一系の連続性を考慮しない限り、説明が不可能な史実が日本史には随所に存在していることが本書を読み進めていただければわかるはずである。

近々の例を挙げれば、興味深いことに熊本地震の時、他県から熊本に乗り込んで盗難を働いたごく一部の不届き者に対して、日本全国から憤りの声がいっせいに上がったことである。それはまるで、日本全体がひとつの運命共同体となり、一枚岩で熊本地震に臨もうとしているようであった。

日本人が個別に意識しなくても、古代から途絶えることなく続く歴史が、日本人の骨となり肉となっていて、日本人の矜持を形作っているのである。日本人はこのことを決して忘れてはいけないのである。 》

(以上「まえがき」より)


国の継続には、力ではなく精神的権威こそ重要である―――と著者は考える。また著者は、文明史家アーノルド・J・トインビーやフィリップ・バグビー、マシュー・メルコ、サミュエル・ハンチントン、アーサー・ウエイリー、ライシャワー(駐日アメリカ大使)などの言説『 日本は「一民族一文明」であり、他の文明とは一線を画している 』を紹介しながら、

《 日本人として誇りをもってもらいたいと思うときに、私はいちばん重要だと思うことは、日本が、日本一国だけで一つの文明圏を形作っていることである 》

と述べる。そして、

《 日本だけが持つ「日本語」「皇室」「神社」「日本仏教」という四つの要素が、日本人のアイデンティティーを構成している 》

と論じ、それにより、

《 自然や人や他国と対立せず、拒否せず、排除もせず、それを受け入れて自分の中になじむように収めてしまう知恵が養われた。すべてを受容するというこの知恵は、日本人の体質になっている。すなわち、それが日本人の「強み」なのである 》

と結論している。


渡部昇一(わたなべ しょういち)さんは、保守派の論客として、歴史認識問題や政治を題材に積極的な評論活動を行った山形県鶴岡市出身の英語学者。上智大学名誉教授。
山形県立鶴岡第一高等学校(現山形県立鶴岡南高等学校)、上智大学大学院(西洋文化研究科修士課程)を経て、ドイツのミュンスター大学大学院博士課程修了。その後、オックスフォード大学などの留学を経て、上智大学教授となった。1976(昭和51)年、読書を中心にした独自のライフスタイルを説いた『知的生活の方法』は100万部超のベストセラーとなり、同年『腐敗の時代』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
たいへんな蔵書家で、その知識は専門の言語学だけにとどまらず、政治、経済、歴史、哲学など多岐にわたった。また「マーフィーの法則」を日本で最初に紹介した人物としても知られる。
2017(平成29)年4月17日、心不全により東京の自宅で死去。86歳。
瑞宝中綬章受勲(2015年)。

写真は日本財団WEBより


■「渡部昇一」に関連する防災格言内の記事
 作家 司馬遼太郎(2015.01.12 防災格言)
 哲学者 木田元(中央大学名誉教授)(2014.09.22 防災格言)
 作家 佐々淳行(2008.6.30 防災格言)
 作家 石原慎太郎(東京都知事)(2013.07.22 防災格言)
 作家 三島由紀夫(2014.07.07 防災格言)
 小野田寛郎(予備陸軍少尉 元帝国陸軍情報将校)(2014.1.20 防災格言)
 政治家 ウィンストン・チャーチル (イギリス首相)(2008.08.18 防災格言)
 歴史家・評論家 徳富蘇峰(2009.07.27 防災格言)
 思想家・教育者 新渡戸稲造(2012.11.12 防災格言)
 実業家・渋沢栄一(2013.03.18 防災格言)
 幕末の儒学者・漢学者 佐藤一斉(2011.05.16 防災格言)
 サミュエル・スマイルズ(イギリスの作家)(2010.09.13 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<486> 宮崎美子 (熊本市出身の女優・タレント)
2017.04.17 [Mon] 07:00


『 ご近所さんのありがたみを実感しました。 』


宮崎美子(1958〜 / 女優・タレント 熊本市出身)

曰く―――。

本震があった4月16日は東京にいました。熊本市に住む両親に電話をかけましたが、つながりませんでした。実家には固定電話しかなかったので、近所の方の携帯に電話をかけ、両親に取り次いでいただき無事を確認できました。ご近所さんのありがたみを実感しました。

讀賣新聞(2016年5月25日朝刊)「被災地を想う(最終回)」より。

宮崎美子(みやざき よしこ)さんは、熊本県熊本市出身のタレント。
本名は宮崎美子。旧芸名は宮ア淑子。ホリプロ所属。
県内でもトップの進学校である大分県立大分上野丘高校、熊本県立熊本高校(編入学)を経て、熊本大学法文学部法学科(現法学部法学科)在学中の1980(昭和55)年に、週刊朝日「篠山紀信があなたを撮ります・キャンパスの春」に応募し、1月25日号の「週刊朝日」の表紙に掲載。
これを機にミノルタ・カメラのテレビCMに抜擢され、これが大反響となり、以後、雑誌やテレビ出演が増え、同年のTBSテレビ小説「元気です!」で主演で本格デビューを果たす。その後は数多くのドラマ・映画・バラエティ番組等に出演中。

■「宮崎美子」に関連する防災格言内の記事
 黒澤明(映画監督)(2014.02.17 防災格言)
 ダニエル・カール (タレント・山形弁研究家)(2008.04.21 防災格言)
 作家 村薫(2013.07.29 防災格言)
 放送作家 藤本義一(2011.01.17 防災格言)
 作家 小松左京(2011.08.01 防災格言)
 作詞家 阿久悠(2013.06.17 防災格言)
 作家 筒井康隆(2013.02.18 防災格言)
 映画監督 大森一樹(2013.04.08 防災格言)
 女優・室井滋(2013.04.01 防災格言)
 池上 彰 (ジャーナリスト)(2010.07.19 防災格言)
 作家 立松和平(2010.02.15 防災格言)
 作家 伊集院静(2012.02.27 防災格言)
 映画監督・山田洋次(2010.05.24 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<485> 田山花袋 (小説家 代表作『蒲団』『田舎教師』など)
2017.04.10 [Mon] 07:00


『 金がありさえすれば先ずい。
 えさえしなければ兎に角安心だ。
 この「兎に角安心」が非常に勢力がある。 』


田山花袋(1872〜1930 / 小説家 代表作『蒲団』『田舎教師』など)

格言は小説『妻(1909年)』より。理想化肌の青年「勤」が、実社会にでて見聞を広め得た感想から。

なお、この青年「勤」は花袋自身のことで、小説『妻』には、花袋の親友である柳田國男が「西」として、国木田独歩は「田邊」として、太田玉茗は「田舎寺の住職・早川貞一」のモデルとして描かれている。


田山花袋(たやま かたい)は、自然主義派の代表的小説家の一人。
1907(明治40)年発表の『蒲団』が、自然主義文学の先駆的作品と評価され、以来旺盛な作家活動を続けた。『野の花』『田舎教師』『東京の三十年』などの小説の他、『日本一周』『古人之遊跡』『南船北馬』『山行水行』などの紀行文や日露戦争の従軍記『第二軍従征日記』、関東大震災のルポタージュ『東京震災記』など優れた作品を残している。

群馬県館林(当時は栃木県)の館林藩の下級藩士の子として生れる。本名は録弥(ろくや)。6つ年上の長兄・田山実(みのる / 1865〜1907)は、1893(明治26)年に文部省の震災予防評議会(旧震災予防調査会)嘱託として日本初となる古地震史料集「大日本地震資料(1904年)」を10年かけて編纂した人物として地震史学分野で著名でもある。
若くして儒学者・吉田陋軒(ろうけん)の休々草堂で漢詩文を学び、和歌や西洋文学にも親しんだ。14歳のとき一家は上京して東京牛込富久町に転居。英語や和歌を学び、西洋文学にも触れ、1890(明治23)年に尾崎紅葉に入門し江見水蔭の指導を受けたが、1902(明治35)年に発表した自然主義的な作品『重右衛門の最後』によって文壇に認められた。
1904(明治37)年、日露戦争が勃発すると従軍し壮絶な記録をつづった。
1906(明治39)年、博文館の『文章世界』の主筆となり、翌年『蒲団』を発表し日本における自然主義文学の地位を築いた。
1923(大正12)年の関東大震災では東京で罹災。様々な惨状を耳にした花袋は、自らの目で何が起きているかを確かめようと、罹災後すぐに壊滅した市街地へと入り、目に飛び込んできた光景を『東京震災記(1924年)』に記している。
晩年は宗教的心境に至り、精神主義的な作品を多く残すも、1928(昭和3)年に脳溢血のため入院。その後、喉頭癌となり1930(昭和5)年5月13日に東京(渋谷区代々木)の自宅で死去。58歳。

「田山花袋」 森田太三郎 画


■「作家」に関連する防災格言内の記事
 作家・思想家 魯迅(2017.03.27 防災格言)
 作家 芥川龍之介[1](2008.08.25 防災格言)
 作家 芥川龍之介[2](2017.01.02 防災格言)
 作家 夏目漱石(2012.04.09 防災格言)
 作家 菊池寛(2012.03.26 防災格言)
 作家 内田百間(2010.03.08 防災格言)
 作家 志賀直哉(2009.12.28 防災格言)
 作家 谷崎潤一郎(2014.12.08 防災格言)
 作家 武者小路実篤(2010.10.11 防災格言)
 作家 二葉亭四迷(2012.05.07 防災格言)
 作家 水上滝太郎(2015.07.20 防災格言)
 作家 葛西善蔵(2014.12.22 防災格言)
 作家 広津和郎(2012.07.23 防災格言)
 作家 横光利一[1](2016.6.13 防災格言)
 作家 横光利一[2](2016.7.25 防災格言)
 作家 福永武彦(2016.09.19 防災格言)
 フランスの劇作家 ポール・クローデル(2012.12.17 防災格言)
 作家 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(2015.10.26 防災格言)
 英文学者 戸川秋骨(2016.02.15 防災格言)
 作家 加能作次郎(2016.5.16 防災格言)
 作家 野上弥生子[1](2009.06.29 防災格言)
 作家 野上弥生子[2](2015.06.22 防災格言)
 作家 林芙美子(2008.4.14 防災格言)
 川村花菱(脚本家)・山村耕花(画家)(2010.2.22 防災格言)
 作家 大曲駒村(2012.08.27 防災格言)
 哲学者 和辻哲郎(2014.10.27 防災格言)
 作家 幸田文(2015.05.11 防災格言)
 作家 宮沢賢治(2009.07.06 防災格言)
 児童文学者 村岡花子(2014.04.28 防災格言)
 児童文学者 鈴木三重吉(2011.02.21 防災格言)
 作家 森鴎外(2014.11.03 防災格言)
 作家 徳冨蘆花(2011.09.12 防災格言)
 作家 小林多喜二(2009.07.13 防災格言)
 作家 平沢計七(2015.12.07 防災格言)
 作家 中島湘煙(2011.07.25 防災格言)
 作家 串田孫一(2014.08.04 防災格言)
 ドイツの作家 ギュンター・グラス(2015.04.20 防災格言)
 作家 別役実(2016.01.04 防災格言)
 劇作家 福田恆存(2015.07.06 防災格言)
 作家 山本七平(2010.11.08 防災格言)
 作家 司馬遼太郎(2015.01.12 防災格言)
 作家 池波正太郎(2012.06.18 防災格言)
 作家 遠藤周作(2010.07.12 防災格言)
 作家 開高健(2011.11.14 防災格言)
 作家 筒井康隆(2013.02.18 防災格言)
 作家 小松左京(2011.08.01 防災格言)
 作家 筒井康隆(2013.02.18 防災格言)
 作家 石川英輔(2011.09.19 防災格言)
 作家 村薫(2013.07.29 防災格言)
 作家 藤原智美(2013.08.12 防災格言)
 作家 伊集院静(2012.02.27 防災格言)
 作家 佐々淳行(2008.6.30 防災格言)
 作家 立松和平(2010.02.15 防災格言)
 作家 斎藤栄(2014.03.03 防災格言)
 作家 石原慎太郎(東京都知事)(2013.07.22 防災格言)
 作家 三島由紀夫(2014.07.07 防災格言)
 作家 野坂昭如(2013.02.04 防災格言)
 作家 堤清二(辻井喬)・元セゾングループ代表(2013.12.02 防災格言)
 作家 串田孫一(2014.8.4 防災格言)
 作家 幸田真音(2009.06.01 防災格言)
 作家 柳田邦夫(2010.10.04 防災格言)
 作家 高山文彦(2013.12.16 防災格言)
 作家 藤本義一(2011.01.17 防災格言)
 作家 陳舜臣(2015.01.26 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<484> 番匠幸一郎 (元自衛隊陸将・西部方面総監(第35代))
2017.04.03 [Mon] 07:00


『 安全はそれを担保する力と
 備えがなければ維持できない 』


番匠幸一郎(1958〜 / 元自衛隊陸将・西部方面総監(第35代))

格言は櫻井よしこさんのコラム『 サマワ帰国「番匠群長」の笑顔 』
(初出:「週刊新潮」(2004年7月1日号)日本ルネッサンス 第122回)より。

曰く―――。

《 番匠幸一郎第一次イラク復興支援群長率いる部隊が引き揚げるとき、イラクの人々は“涙”で別れを惜しんでくれたという。外国人への敵意と、自衛隊へのこの親しみは一体どこで交叉するのか。
番匠群長が語った。
「それらが混在しているのがイラクなのだと思います。私は日本の自衛官として現地の人々に嘘はつかないこと、誠実さと友好的な態度を全ての基本に置くことを旨としました。が、絶対に油断しないことがそれらの大前提ではありました。我々の派遣されたムサンナ県は比較的安全だと言われていましたが、安全はそれを担保する力と備えがなければ維持出来ませんから」 》


番匠幸一郎(ばんしょう こういちろう)氏は、鹿児島県鹿児島市出身の元陸上自衛官。
1980(昭和55)年、防衛大学校卒。陸上自衛隊富士学校レンジャー課程修了、アメリカ合衆国陸軍戦略大学校(United States Army War College)留学。2005(平成17)年、陸将補。西部方面総監部幕僚副長、陸上幕僚監部防衛部長を経て、2011(平成23)年、陸将に昇任。
陸自第3師団長、陸上幕僚副長(第49代)、西部方面総監(第35代)を歴任し、2015(平成27)年、自衛隊退官。
現在は、政府の国家安全保障局顧問、丸紅株式会社輸送機グループ顧問を務める。

アメリカ合衆国・有志連合軍がイラクへ侵攻したイラク戦争(2003年)では、5月の「大規模戦闘終結宣言」後もイラク国内の治安悪化が問題となった。日本政府は「イラク特措法」に基づいて自衛隊のイラク派遣が決まり、番匠(当時1等陸佐)氏は、2004(平成16)年2月から5月までの期間、第1次イラク復興支援群長としてサマーワに赴任した。 また、2011(平成23)年の東日本大震災では、4月12日まで「日米危機対応チームリーダー」として活躍された。


■「番匠幸一郎」に関連する防災格言内の記事
 君塚栄治 (陸上幕僚長 東日本大震災時の東北方面総監)(2016.03.14 防災格言)
 志方俊之 (元自衛隊陸将・北部方面総監)(2010.11.01 防災格言)
 村井嘉浩 (元陸上自衛隊東北方面航空隊パイロット 宮城県知事)(2013.10.14 防災格言)
 ジェームズ・L・ウィット (元アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)長官)(2010.01.11 防災格言)
 明石康 (元国連事務次長・NPO日本紛争予防センター会長)(2009.03.30 防災格言)
 小川和久 (軍事アナリスト)(2008.02.04 防災格言)
 依田智治 (元防衛事務次官・自民党参議員)(2007.12.10 防災格言)
 後藤田正晴 (政治家・内閣官房長官・警察官僚)(2010.11.29 防災格言)
 伊藤宗一郎 (防衛庁長官・帝国陸軍少尉・政治家)(2013.01.07 防災格言)
 ジョン・ワイズマン (元英国特殊部隊SASサバイバル指導教官)(2017.02.20 防災格言)

■「東日本大震災」に関連する防災格言内の記事
 チャールズ・カスト (元米原子力規制委員会地域センター長)(2017.2.6 防災格言)
 君塚栄治 (陸上幕僚長 東日本大震災時の東北方面総監)(2016.03.14 防災格言)
 廣井悠 (都市工学者)(2012.03.12 防災格言)
 国土交通省東北地方整備局「災害初動期指揮心得(2013年3月)」(2015.03.09 防災格言)
 高知県黒潮町「南海トラフ地震・津波の防災計画基本理念(2012年)」(2016.03.07 防災格言)
 「津波避難のたすとひく」静岡県警の津波避難啓発標語(2014.11.10 防災格言)
 昭和八年三月三日 大海嘯記念碑(大槌町 昭和9年建立)(2011.11.07 防災格言)
 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ報告書(2013年5月)(2013.06.24 防災格言)
 イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco's motto)(2013.03.11 防災格言)
 坂 茂 (建築家 プリツカー賞受賞(2014年))(2016.03.21 防災格言)
 李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
 ケリー・シー (アメリカの地震学者)(2015.02.02 防災格言)
 本間博彰 (児童精神科医・宮城県子ども総合センター所長)(2014.10.06 防災格言)
 村井嘉浩 (宮城県知事)(2013.10.14 防災格言)
 石原信雄 (官僚 元内閣官房副長官)(2013.10.21 防災格言)
 丸茂湛祥 (日蓮宗僧侶)(2013.08.05 防災格言)
 ワンガリ・マータイ (ケニアの環境保護活動家 ノーベル平和賞)(2013.04.22 防災格言)
 谷川浩司 (将棋棋士 永世名人)(2013.03.04 防災格言)
 堤清二(作家 辻井喬 元セゾングループ代表)(2013.12.02 防災格言)
 伊集院静 (作家)(2012.02.27 防災格言)
 都司嘉宣(地震学者)(2013.03.25 防災格言)
 漫画家 やなせたかし(2017.03.13 防災格言)
 脚本家 市川森一(2017.03.20 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<483> 魯迅 (中国の作家・思想家)
2017.03.27 [Mon] 07:00


『 絶望の虚妄なることは、
 まさに希望と同じである。 』


魯迅(1881〜1936 / 中国の作家・思想家 代表作「阿Q正伝」「狂人日記」)

格言は散文詩「野草」所収の『希望(1925年1月1日)』より。
(出典:駒田信二訳「集英社ギャラリー「世界の文学」20 中国・アジア・アフリカ」(集英社 1991年))

虚妄(きょもう)は、うそ、・いつわりの意。

中国近代文学の祖・魯迅(ろじん)。
本名は周樹人。字は予才(よさい)。浙江(せっこう)省紹興の出身。
弟に文学者・日本文化研究者の周作人、生物学者の周建人がいる。

中国大陸で、清王朝(1644〜1912年)による封建的な支配が続く時代に魯迅は比較的に富裕な読書人階級の家に生まれた。しかし、少年の頃に祖父が失脚、家は没落し、生活が貧窮したことで、社会の冷たさを体験することになる。
1902年、国費留学生として日本に留学。当初は近代医学を学ぶため、1904年に仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に入学するが、講義中に見た日露戦争のニュース映像に写し出された愚かな中国人たちの姿にショックを受け「中国民衆の愚弱な精神を改造するには医学ではなく文学である」と痛感し、1906年、24歳で医学専門学校を退学し、東京での生活を始めた。帰国後、革命運動に参加したが、のちに学問に没頭し、1912年に中華民国政府が成立すると教育部の事務官の職位に就き北京へと移り住んだ。1918年、魯迅の筆名で処女小説『狂人日記』を発表。『狂人日記』は中国文学で初めての口語体で書かれた小説となる。
以降は多くのペンネームを用いて文筆活動を本格化し、代表作『阿Q正伝』(1921年)や神話時代から清朝末期までの小説史を論じた中国初の小説史『中国小説史略』(1924年)などをはじめ、多くの小説、随筆、評論を発表し、他にも、外国文学の翻訳・紹介にも努めた。また、翻訳、文学史研究などにも大きな功績を残した。
1927年上海へと移り、左翼作家連盟の中心として論陣をはり、文学者としては国民党独裁体制を厳しく批判した。1936年10月19日、持病の喘息の発作により急逝。56歳。葬儀委員会の名簿には、蔡元培、宋慶齢、毛沢東、内山完造、アグネス・スメドレー、茅盾らの名が連なり、六千人以上の人たちが葬儀に訪れたという。


■「魯迅」に関連する防災格言内の記事
 毛沢東 (中華人民共和国の建国の父)(2012.09.24 防災格言)
 賀川豊彦(キリスト教社会運動家)(2014.10.20 防災格言)
 内村鑑三 (キリスト教思想家)(2014.12.29 防災格言)
 夏目漱石 (作家)(2012.04.09 防災格言)
 谷崎潤一郎 (作家)(2014.12.08 防災格言)
 武者小路実篤 (作家)(2010.10.11 防災格言)
 芥川龍之介[1] (作家)(2008.08.25 防災格言)
 芥川龍之介[2] (作家)(2017.01.02 防災格言)
 横光利一[1] (作家)(2016.6.13 防災格言)
 横光利一[2] (作家)(2016.7.25 防災格言)
 林芙美子 (作家)(2008.4.14 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<482> 市川森一 (脚本家)
2017.03.20 [Mon] 07:00


『 大地の震動が治まったあとも、
 人心の余震はさらに広がり、
 風評と不信が横行して
 日本中が平常心を失っていった。 』


市川森一(1941〜2011 / 脚本家・劇作家・小説家)

格言は日本経済新聞「日曜日の随想」(2011(平成23)年8月14日朝刊)掲載のエッセイ「古いノートから」より。

曰く―――。

《 大津波襲来という、古代の神話のような、きわめて原始的な異変が、日本の政治も経済も日本人のあらゆる物事への価値観までも、根底から覆してしまった。大地の震動が治まったあとも、人心の余震はさらに広がり、風評と不信が横行して日本中が平常心を失っていった。
均衡を失ったのはメディアも同様だった。動揺が伝播する中で、飛び交う情報の真偽を質(ただ)す術(すべ)もないままに、虚偽も真実もごちゃ混ぜになって垂れ流された。そうこうしながら、ようやくテレビは、被災地の住民を励まし、慰め、元気づけることに自らの存在理由を見出したようで、連日、復興のキャンペーンを張って「ガンバロー」を連呼するようになった。≪中略≫

そうした日本国民の精神力や団結力をもってしても、解決不能な難題を今回の震災はもたらした。

原発事故がそれだった。

どんな文明にも必ず終わりはくる。産業革命以降の大量生産と大量消費、それを支えるエネルギー資源によって築き上げられてきたわれらの物質文明はどんな終わり方をするのか。石炭、石油の枯渇はすでに秒読みに入り、終わりの始まりが警鐘される時期を迎えてもなお人類は――もはや自己を省みることなく――こんどは原発エネルギーに乗り出した。
ヨーロッパ、アメリカに続き、東アジアでも、日本がその潮流に乗り、中国はさらに多くの原発建設に着手しようとしている。その最中での、原発の安全神話の崩壊だった。

新聞・テレビでは今日も、脱原発派と原発依存派の議論がせめぎ合う。そこでは、「人命」と「国益」、「理想」と「現実」が対峙する。

人類の理性は、「原爆」をなくすことなら、あるいは可能にするかもしれない。それは原爆が明らかに非人道的で悲惨な悲劇をもたらす兵器だからだ。一方の「原発」は、人類の「幸福」と結びついている。我らに、いまの快適な生活を犠牲にする覚悟がもてるだろうか。だれもが「幸せになること」を人生の目的に生きている現代である。有史以来、現代ほど人類が幸福を追求することに躍起になっている時代はあるまい。目の前の幸福を棄てて、遠い未来の人類の存続を選択するほどの叡知を神は与えてくれているだろうか。温水洗浄便座に慣れてしまった筆者にはとても後戻りはできそうにない。 》


脚本家の市川森一(いちかわ しんいち)は、子供番組「快獣ブースカ」でデビューし「コメットさん」や「ウルトラマン」シリーズなどで活躍。後にテレビドラマ「傷だらけの天使」、NHK大河ドラマ「黄金の日日」「花の乱」、映画「異人たちとの夏(大林宣彦監督)」などを手掛けた。

1941(昭和16)年、長崎県諫早で代々呉服業を営む裕福な家庭の跡取り息子として生まれる。戦時中の衣料統制で店は休業し、父親の一郎は、海軍大村航空隊の英語教官となり、戦後は市議会議員や俳句誌の主宰者(俳号は青火)などとなった人物。
1947(昭和22)年、市立諫早小学校に入学。小学生時代の10歳の頃に、母親が肺結核で他界。14歳で諫早教会(プロテスタント)で洗礼を受けた。私立鎮西学院中学部、長崎県立諫早高等学校を経て、1959(昭和34)年に日本大学藝術学部映画学科に入学。在学中からテレビ局にアルバイトで出入りしコント番組を執筆。大学卒業後の1966(昭和41)年、25歳の時に円谷プロの特撮番組「快獣ブースカ」第4話「ブースカ月へ行く」で脚本家デビュー。以後は「快獣ブースカ」のメインライターとなり、続く円谷プロのウルトラマン・シリーズ「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」「コメットさん」など子供向け番組を多数手掛けた。1969(昭和44)年、脚本を担当した「マキちゃん日記」に出演していた女優・柴田美保子と出会い、後に結婚。大人向けドラマの脚本を書くようになり、1974(昭和49)年の大人気ドラマ「傷だらけの天使」のメインライターとなり、脚本家として広く名が知られるようになった。翌1975(昭和50)年には「冬の時刻表」「紙コップのコーヒー」で民間放送連盟優秀賞を初受賞。37歳で大河ドラマ「黄金の日日」の脚本家に抜擢、ドラマは後に戯曲化され大谷竹次郎賞を受賞。1981(昭和56)年の「港町純情シネマ」「チャップリン暗殺計画」で芸術選奨文部大臣新人賞、翌年の「淋しいのはお前だけじゃない」で第一回向田邦子賞を受賞するなど名実ともに売れっ子脚本家となった。他にも芸術選奨文部大臣賞(1988年)、モンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞(1999年)、初の映画脚本「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞(1989年)を受賞。執筆活動の傍ら、1993(平成5)年から2007(平成19)年まで日本テレビの情報番組「ザ・ワイド」のコメンテーターとして出演したほか、ニッポン放送ラジオ「テレフォン人生相談」パーソナリティ(2001年〜2012年)などに出演、2000(平成12)年からは日本放送作家協会理事長(その後会長)を長年にわたって務めた。
2011(平成23)年10月、肺炎のために入院。同年12月10日、肺がんのため70歳で死去。2011(平成23)年には旭日小綬章、中部日本放送小嶋賞、長崎県県民栄誉賞を受賞。


■「市川森一」に関連する防災格言内の記事
 放送作家 藤本義一(2011.01.17 防災格言)
 作家 野坂昭如(2013.02.04 防災格言)
 ラジオパーソナリティー 永六輔(2016.07.18 防災格言)
 映画監督 山田洋次(2010.05.24 防災格言)
 映画監督 黒澤明(2014.02.17 防災格言)
 映画監督 大森一樹(2013.04.08 防災格言)
 俳優 下元勉(2015.03.30 防災格言)
 女優 室井滋(2013.04.01 防災格言)
 作家 立松和平(2010.02.15 防災格言)
 落語家・六代目 桂文枝(桂三枝)(2015.01.19 防災格言)
 作詞家 伊集院静(2012.02.27 防災格言)
 作詞家 阿久悠(2013.06.17 防災格言)
 作家 小松左京(2011.08.01 防災格言)
 漫画家 手塚治虫(2013.09.30 防災格言)
 作家 開高健(2011.11.14 防災格言)
 劇作家 遠藤周作(2010.07.12 防災格言)
 作家 司馬遼太郎(2015.01.12 防災格言)
 作家 池波正太郎(2012.06.18 防災格言)

■「東日本大震災」に関連する防災格言内の記事
 チャールズ・カスト (元米原子力規制委員会地域センター長)(2017.2.6 防災格言)
 君塚栄治 (陸上幕僚長 東日本大震災時の東北方面総監)(2016.03.14 防災格言)
 廣井悠 (都市工学者)(2012.03.12 防災格言)
 国土交通省東北地方整備局「災害初動期指揮心得(2013年3月)」(2015.03.09 防災格言)
 高知県黒潮町「南海トラフ地震・津波の防災計画基本理念(2012年)」(2016.03.07 防災格言)
 「津波避難のたすとひく」静岡県警の津波避難啓発標語(2014.11.10 防災格言)
 昭和八年三月三日 大海嘯記念碑(大槌町 昭和9年建立)(2011.11.07 防災格言)
 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ報告書(2013年5月)(2013.06.24 防災格言)
 イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco's motto)(2013.03.11 防災格言)
 坂 茂 (建築家 プリツカー賞受賞(2014年))(2016.03.21 防災格言)
 李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
 ケリー・シー (アメリカの地震学者)(2015.02.02 防災格言)
 本間博彰 (児童精神科医・宮城県子ども総合センター所長)(2014.10.06 防災格言)
 村井嘉浩 (宮城県知事)(2013.10.14 防災格言)
 石原信雄 (官僚 元内閣官房副長官)(2013.10.21 防災格言)
 丸茂湛祥 (日蓮宗僧侶)(2013.08.05 防災格言)
 ワンガリ・マータイ (ケニアの環境保護活動家 ノーベル平和賞)(2013.04.22 防災格言)
 谷川浩司 (将棋棋士 永世名人)(2013.03.04 防災格言)
 堤清二(作家 辻井喬 元セゾングループ代表)(2013.12.02 防災格言)
 伊集院静 (作家)(2012.02.27 防災格言)
 都司嘉宣(地震学者)(2013.03.25 防災格言)
 漫画家 やなせたかし(2017.03.13 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<481> やなせたかし (漫画家・詩人)
2017.03.13 [Mon] 07:00


『 どんなに対策をたてても絶対安全ということはない。
 どんなに立派な耐震住宅を建てても活断層がなくても、
 大地が液状化すればひとたまりもない。 』


やなせたかし(1919〜2013 / 漫画家 代表作「アンパンマン」)

格言は東日本大震災後の2011年5月11日にスタートした岩波書店初のウェブ連載企画「3.11を心に刻んで」で2012年2月11日掲載の「3月11日から」より。

曰く―――。

《 テレビで東日本大震災のニュースと映像が流れた。≪中略≫
原発はCO2を発生しないクリーンなエネルギーであることを売り物にしていたが、その危険な廃棄物については沈黙していた。実は僕は原発に賛成ではなかったが、チェルノブイリのような事故は日本では起きないと信じていた。

日本人の国民性はまじめで規律を良く守る。戦後は誤った民主教育のためにいくらか怪しくはなってきたが、基本的な性格は変わらない。世界で一番安全な国と言われている。しかし安全神話はもろくもくずれ去ってしまった。

これが僕にはショックだった。
まさか一〇〇〇年に一度の国難のような大震災に遭うとは思わなかった。僕のマンションもその辺りの建物も幸いに無事だった。≪中略≫

でも本当に驚いたのは黄昏になってからである。東京都のような大都市になると都内に住んでいても通勤に一時間ぐらいかかるところはザラである。遠い人は三時間ぐらいかけて勤務地へやってくる。すべての交通機関が止まってしまったので、帰宅できない帰宅難民があふれた。
新宿通りも靖国通りも道をうずめて大群衆が移動していく。スーパーやコンビニも弁当はすべて売り切れ、異様な感じになった。幸い停電はしなかったものの、大都市の弱点が浮き彫りになった。これでもし直下型地震だったらと思うと身の毛がよだった。≪中略≫

どんなに対策をたてても絶対安全ということはない。 僕は震災直後、自家発電機や電池、非常食を買おうとしたが、なんとすべて売り切れていた。 世間の人は僕よりもはるかに用心深いようである。どんなに立派な耐震住宅を建てても活断層がなくても、大地が液状化すればひとたまりもない。 》


やなせたかし(本名:柳瀬嵩)は、『アンパンマン』生みの親として知られる漫画家・絵本作家。他にもいずみたく作曲の童謡『手のひらを太陽に(1961(昭和36)年)』の作詞者としても著名。

高知県出身。1919(大正8)年2月6日、東京府(現東京都北区)生まれ。旧制東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部デザイン学科)を卒業後、田辺製薬宣伝部に就職するが、まもなく徴兵により帝国陸軍に入隊、下士官(軍曹)として中国戦線にいたときに敗戦を知った。やなせの弟は特攻隊に志願し戦死している。
終戦後は高知新聞、三越宣伝部デザイナーを経て1953(昭和28)年より独立してフリーとなる。1969(昭和44)年、大人向け絵本『アンパンマン』を執筆。1973(昭和48)年にはサンリオで雑誌「詩とメルヘン」を創刊し編集長を務めた一方で、「漫画家の絵本の会」を立ち上げ、フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」に子供向けに改作した「あんぱんまん」を発表。1988(昭和63)年、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』が日本テレビ放送網で放送開始され人気番組となる。翌年文化庁こども向けテレビ用優秀映画賞を受賞。1989(平成元)年からは劇場用アニメも制作され、1990(平成2)年 「アンパンマン」が日本漫画家協会大賞を受賞し、翌1991(平成3)年勲四等瑞宝章授章。2000(平成12)年、日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞。2009(平成21)年には最もキャラクター数の多いアニメとして「それいけ!アンパンマン」がギネス世界記録に認定された。70歳代以降は病を抱えながらも精力的に様々な活動を展開し、1992(平成4)年からは高知県主催の「まんが甲子園」の審査委員長、2000(平成12)年から日本漫画家協会理事長、2012(平成24)年からは会長を歴任。2013(平成25)年10月13日、心不全のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。94歳。

2011年の東日本大震災時は、都営新宿線・曙橋駅近くの自宅マンション(東京・新宿区)で仮眠中に揺れに遭遇したが、地盤が強固だったこともあり本棚や壁掛け時計が落下するなど小被害ですんだという。


■「やなせたかし」に関連する防災格言内の記事
 漫画家 手塚治虫(2013.09.30 防災格言)
 漫画家 さいとうたかを(2011.02.14 防災格言)
 漫画家 森恒二(2014.4.7 防災格言)
 挿絵画家 水島爾保布(2013.12.23 防災格言)
 漫画原作者 真刈信二(2014.07.14 防災格言)
 ラジオパーソナリティー 永六輔(2016.07.18 防災格言)

■「東日本大震災」に関連する防災格言内の記事
 チャールズ・カスト (元米原子力規制委員会地域センター長)(2017.2.6 防災格言)
 君塚栄治 (陸上幕僚長 東日本大震災時の東北方面総監)(2016.03.14 防災格言)
 廣井悠 (都市工学者)(2012.03.12 防災格言)
 国土交通省東北地方整備局「災害初動期指揮心得(2013年3月)」(2015.03.09 防災格言)
 高知県黒潮町「南海トラフ地震・津波の防災計画基本理念(2012年)」(2016.03.07 防災格言)
 「津波避難のたすとひく」静岡県警の津波避難啓発標語(2014.11.10 防災格言)
 昭和八年三月三日 大海嘯記念碑(大槌町 昭和9年建立)(2011.11.07 防災格言)
 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ報告書(2013年5月)(2013.06.24 防災格言)
 イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco's motto)(2013.03.11 防災格言)
 坂 茂 (建築家 プリツカー賞受賞(2014年))(2016.03.21 防災格言)
 李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
 ケリー・シー (アメリカの地震学者)(2015.02.02 防災格言)
 本間博彰 (児童精神科医・宮城県子ども総合センター所長)(2014.10.06 防災格言)
 村井嘉浩 (宮城県知事)(2013.10.14 防災格言)
 石原信雄 (官僚 元内閣官房副長官)(2013.10.21 防災格言)
 丸茂湛祥 (日蓮宗僧侶)(2013.08.05 防災格言)
 ワンガリ・マータイ (ケニアの環境保護活動家 ノーベル平和賞)(2013.04.22 防災格言)
 谷川浩司 (将棋棋士 永世名人)(2013.03.04 防災格言)
 堤清二(作家 辻井喬 元セゾングループ代表)(2013.12.02 防災格言)
 伊集院静 (作家)(2012.02.27 防災格言)
 都司嘉宣(地震学者)(2013.03.25 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<480> 荻原井泉水 (俳人・随筆家 俳誌『層雲』を創刊)
2017.02.27 [Mon] 07:00


『 平生、都会に住んでいる私達は
 色々の物の価値を軽く見ていた。
 生活に必要な物はいつでも
 金と代えられることとタカをくくっていた。
 それが今はそうではなくなった。 』


荻原井泉水(1884〜1976 / 俳人・随筆家 俳誌『層雲』を創刊)

格言は日記『大震雑記』(著書「大地に嘆く(新作社 大正13年)」収録)より。関東大震災(1923年)の翌々日(9月3日)の記述から。

義兄から、自宅の近隣(麻布十番通り)の店が開いており「食うべき物は早く求めなければ忽ち売切れるであろう」と注進され、すぐさま買物に出かけた時の感想。

曰く―――。

十番通りの商家には倒潰したものが少なくなかった。家は傾かずとも商品は乱されていた。その内で食料品だけは、その乱れたままの商品を手当りに売っていた。人々が手当りに買ってゆくからだった。何を欲しいなどと、選り好みをしている場合ではなかった。缶詰、干魚、梅干など、見当たるままのものを、私も買い求めた。妻から塩を頼まれたが、酒屋には塩はなく、薬種屋で食塩の一ポンド詰を買った。「坊や」のためにキャラメルを頼まれたが、幸に僅かに二箱を得ただけで品切という事だった。米屋ではとうに売切の札を出していた。私は取りつけの店で、玄米五升(白米はないので)を譲って貰った。

平生、都会に住んでいる私達は色々の物の価値を軽く見ていた。生活に必要な物はいつでも金と代えられることと"たか"をくくっていた。それが今はそうではなくなった。米もない、味噌もない、水でさえも、水道のとまった今は遠くまで汲みに行かねばならなかった。一杯の水さえも貴重なものになった。凡ての物は、その物自身が自然に有すべき価値を認識せしめたのである。都会人は平生、余りに自然を蔑ろにして、驕慢にすぎていたのである。


荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)は、大正から昭和に活躍した俳人。河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)と共に新傾向俳句を志し、明治44(1911)年に現在も刊行が続く文芸誌『層雲』を創刊する。後に、季語や定型を廃した自由律俳句を提唱し、尾崎放哉や種田山頭火など多くの門人を育てた。

明治17(1884)年6月16日、芝区神明町の雑貨商「新田屋」の次男として生まれる。本名は荻原幾太郎、のちに藤吉。小学校時代から俳句に親しみ、芝公園の旧制正則尋常中学(現正則高等学校)に入学するが、教育指導に異議を唱えた学校新聞を発行したことから退学処分となる。不良学生らを受け入れていた麻布中学校へと編入学してからは、酒や煙草をやめて勉強に真面目に取り組み、明治34(1901)年に旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)に入学し、角田竹冷の秋声会、岡野知十の半面派に関係し、後に正岡子規の日本派に参加し一高俳句会を起こした。明治38(1905)年、東京帝国大学言語学科に入学。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加し『層雲』にその新理論を発表、さらに季題無用論を唱えたことで意見を異にする碧梧桐が同誌を去り、以後は同誌を主宰した。

関東大震災(1923年9月1日)では、自宅(麻布宮村町:現在の東京都港区元麻布)近所の医者の家からの帰り道で大きな揺れに遭遇。その時の様子を以下のように語っている。

『 空は好く晴れて、残暑の強い日の正午近くであった。 《中略》 ふと、足許に或る不安定を感ずる刹那、四肢には"あやつり"の糸をかけられたように、身体は自分の意志を離れた奇妙な踊をはじめた。それでも、全くの人形ではなく、身体が傾倒するのを踏みこたえようとするだけの力を出し得た時には、大地が激しく震動している事が解った。私の右手には長屋建の低い家が並んでいたが、瓦ががらがらとなだれ落ちると共に、屋根土が煙をなして襲いかかった。左手の古い二階家は、裸の男を一人、ぺっと路上に吐き出すとぐさりと傾いてしまった。続いて、左右の家から人々が飛出した。
《中略》
地面はまだ揺れていたが、私は、そこから二三丁しか離れていない家へ向って急いだ。初め激動を受けた時、扇を使っていた其儘の扇を使いながら、行逢った知人と、「随分大きな地震でしたね」などと挨拶しあう程、その時はもう往来に立っている人達も私も、驚駭の中から自分を取戻していた。付近よりも軟弱な地盤の上に建ててある私の家は、どうかと案じられた程もなく、少しく傾いただけであった。 』

震災当日の9月1日は、大きな余震が続いたため、倒壊の不安から草原に出て露宿したという。翌9月2日には、大火災により妻の里(義兄一家)が避難して来る。

『 彼等をも我身をも容るゝ家ある事を喜ぶばかり 』
(俳句集「皆懺悔」(春秋社 昭和3年)より)

9月6日には知り合いを見舞うために外出するが、丸の内、日本橋、銀座、芝と『 何処も一面の焦土なり 』と述べ、9月14日に再び外出し本所深川辺を見学した時は 『 被服廠跡には白骨の破片積みて貝殻の山の如く、溝に女の毛髪漂ひて藻の如し 』 と感想をしたためている。

震災直後の10月28日に妻桂子が、翌年に母が亡くなると一時仏道を志し、京都の禅宗寺院東福寺の塔頭に寄寓、以降各地への行脚旅が多くなったが、昭和4(1929)年の再婚を機に鎌倉の地へと移り住み、昭和51(1976)年5月20日、脳血栓で鎌倉山ノ内の自宅で永眠。享年92。


■「関東大震災」に関連する防災格言内の記事
 二木謙三 (内科医・細菌学者)(2016.11.14 防災格言)
 山川菊栄 (婦人運動家・作家)(2016.11.07 防災格言)
 加能作次郎 (小説家)(2016.5.16 防災格言)
 芥川龍之介(小説家)(2008.8.25 防災格言)
 水上滝太郎(小説家・実業家)(2015.07.20 防災格言)
 野上弥生子(小説家)(2015.06.22 防災格言)
 林芙美子(小説家)(2008.4.14 防災格言)
 川村花菱(脚本家)・山村耕花(画家)(2010.2.22 防災格言)
 内田百間(作家)(2010.3.8 防災格言)
 鈴木三重吉(児童文学者)(2011.2.21 防災格言)
 大曲駒村(俳人・作家)(2012.08.27 防災格言)
 竹久夢二(画家)(2012.08.20 防災格言)
 広津和郎(小説家)(2012.07.23 防災格言)
 池波正太郎(作家)(2012.06.18 防災格言)
 菊池寛(作家)(2012.03.26 防災格言)
 横光利一[1](小説家)(2016.6.13 防災格言)
 横光利一[2](小説家)(2016.7.25 防災格言)
 長田秀雄 (詩人・劇作家)(2016.10.31 防災格言)
 水野錬太郎 (官僚政治家 内務大臣)(2016.04.11 防災格言)
 結城豊太郎 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第15代))(2016.12.05 防災格言)
 横井弘三 (洋画家)(2015.11.23 防災格言)
 三浦梧楼 (武士・陸軍中将)(2015.12.21 防災格言)
 加藤久米四郎 (政治家・政友会 実業家)(2015.10.05 防災格言)
 宮武外骨 (ジャーナリスト・著述家・文化史家)(2015.08.31 防災格言)
 北澤重蔵 (実業家 天津甘栗「甘栗太郎本舗」創業者)(2015.08.24 防災格言)
 土田杏村(哲学者・文明批評家)(2014.09.01 防災格言)
 賀川豊彦(キリスト教社会運動家)(2014.10.20 防災格言)
 南条文雄 (仏教学者・真宗大谷派僧侶)(2016.10.10 防災格言)
 和辻哲郎 (哲学者・評論家)(2014.10.27 防災格言)
 谷崎潤一郎(小説家)(2014.12.08 防災格言)
 葛西善蔵(小説家)(2014.12.22 防災格言)
 佐藤栄作(政治家)(2008.2.25 防災格言)
 安河内麻吉(神奈川県知事)(2008.4.28 防災格言)
 今村明恒(地震学者)(2008.5.12 防災格言)
 カルビン・クーリッジ(米大統領)(2008.5.19 防災格言)
 清水幾太郎(ジャーナリスト)(2008.9.29 防災格言)
 大和勇三(経済評論家)(2010.3.29 防災格言)
 後藤新平 (政治家)(2010.4.26 防災格言)
 永田秀次郎(関東大震災時の東京市長)(2015.01.05 防災格言)
 渋沢栄一(2013.03.18 防災格言)
 大正天皇(2013.10.07 防災格言)
 曾我廼家五九郎(浅草の喜劇王)(2010.6.7 防災格言)
 東善作(冒険家)(2010.8.30 防災格言)
 黒澤明(映画監督)(2014.02.17 防災格言)
 北原白秋(詩人)(2014.01.06 防災格言)
 ポール・クローデル(フランスの劇作家)(2012.12.17 防災格言)
 植草甚一(評論家)(2012.06.25 防災格言)
 林達夫(思想家)(2012.05.21 防災格言)
 石原純 (理論物理学者)(2012.03.19 防災格言)
 奥谷文智 (宗教家)(2011.11.28 防災格言)
 佐藤善治郎 (横浜市の教育者)(2014.5.26 防災格言)
 マーシャル・マーテン (横浜市ゆかりの英国人貿易商)(2014.06.23 防災格言)
 山崎紫紅 (劇作家・詩人)(2016.12.12 防災格言)
 平生釟三郎・川崎重工業社長(2009.11.02 防災格言)
 和辻春樹(船舶工学者)(2013.01.21 防災格言)
 内藤久寛(日本石油初代社長)(2014.08.18 防災格言)
 渡辺文夫・東京海上火災保険会長(2013.11.25 防災格言)
 松山基範 (地球物理学者 京都大学名誉教授)(2015.02.16 防災格言)
 李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
 関東大震災十周年防災標語(2008.7.7 防災格言)
 首都直下 ホントは浅かった 佐藤比呂志教授と関東大震災(2005.10.26 店長コラム)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<479> ジョン・ワイズマン (元英国特殊空挺部隊SASサバイバル主任指導教官)
2017.02.20 [Mon] 07:00


『 最終判断はあなた自身が行う。
 誤った判断をした責任はあなたにしかない。 』


ジョン・ワイズマン(1940〜 / 元英国特殊部隊SASサバイバル指導教官)

曰く―――。

《 霧深い山腹で孤立する、ジャングルで迷う、砂漠に取り残される。このような時、直面するサバイバルの問題は兵士であれ、民間人であれ同じである。両者の違いは兵士は敵から自分の身を隠す必要があるのに対し、民間人は救助されるべく自分の存在を訴えることにある。

若者でも老人でも、健康な者も虚弱な者も、生き残りたい気持ちは同じだ。知識があるほど生き残れる可能性は大きい。

事故に伴うサバイバルも生ずる。墜落、衝突、そして自然災害に対処できるよう準備しておかなければならない。ケガの手当てや健康の維持、負傷者の救助方法も大切だ。水、食糧、火、シェルターは必需品であり、これらを確保する方法を知らなければならない。

合図のマーカーを地面に作れば、捜索隊に発見されるかも知れないが、発見されなかった場合、川を渡り、山を越え、自力で帰還するしかない。

世界のどこで孤立するかはわからない。北極や砂漠、熱帯雨林、あるいは海の真っ只中かも知れない。場所によりそれぞれ特殊な技術が必要になる。生存困難にみえる山、ジャングル、平原、泥地にも何かしら利用できる物はあり、方法さえ知っていれば、食糧、燃料、水、シェルターを得られる。 》

格言は著書(訳・柘植久慶、高橋和弘)『SASサバイバル・ハンドブック』(並木書房 1991年)の「はじめに」より。


ジョン・ワイズマン(John "Lofty" Wiseman)は、英国出身のサバイバル術のコンサルタントで、元英陸軍特殊空挺部隊SAS(Special Air Service)に26年間在籍し、SASサバイバル主任指導教官を歴任した人物。

1959年、18歳でSAS隊員に選ばれた最年少の人物となり、1985年の退役まで、砂漠や密林、極地圏といった世界各地で活躍した。この間、SAS作戦研究(Operational Research 22)の責任者となり、対ハイジャックの「SPチーム」やイラン大使館包囲作戦などで活躍した「SASカウンターテロリストチーム」を設立させ、グリーンベレー特殊部隊などの訓練も行った。
退役後は、英国ヘリフォードでサバイバルスクールを開設し、サバイバル術のコンサルタントしてテレビ出演、映画の演技指導、数多くの本を執筆。特に1986年のSASサバイバル技術を集大成した著書「SASサバイバル・ハンドブック」は世界的なベストセラーとなった。


■「ジョン・ワイズマン」に関連する防災格言内の主な記事
 バニー・カー (アメリカのプレッパー)(2015.04.06 防災格言)
 ロバート・ベーデンパウエル卿 (スカウト運動提唱者)(2008.05.26 防災格言)
 ロバート・キヨサキ (米国の投資家)(2012.10.08 防災格言)
 クリストファー・マッカンドレス (映画「荒野へ」のモデルになったアメリカの旅人)(2014.12.15 防災格言)
 野間寅美 (元海上保安庁首席監察官 元第十管区本部長)(2010.07.05 防災格言)
 須川邦彦 (商船学校教授 東京商船学校校長)(2014.07.21 防災格言)
 小野田寛郎(予備陸軍少尉 元帝国陸軍情報将校)(2014.1.20 防災格言)
 結城豊太郎 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第15代))(2016.12.05 防災格言)
 西堀栄三郎 (冒険家 理学博士)(2008.10.20 防災格言)
 東善作 (冒険家)(2010.8.30 防災格言)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
 

今週の防災格言<478> 瀬島龍三 (伊藤忠商事会長 関東軍作戦参謀・陸軍中佐)
2017.02.13 [Mon] 07:00


『 普段から、悲観的に準備すること、
 そして楽観的に対処すること 』


瀬島龍三(1911〜2007 / 実業家・伊藤忠商事会長 関東軍作戦参謀・陸軍中佐)

格言は阪神淡路震災後の談話より。(出典「大震災を生き抜く」(時事通信社編集局編 1995年))

曰く―――。

『 危機管理とは平時にどれだけ準備しておくかということだ。備えあれば憂いなし、という言葉があるが、普段から準備しておくのが大事だ。 《 中略 》
危機に対処するための心構えは、古来「悲観的に準備し楽観的に対処せよ」ということに尽きる。準備をする時は最悪の事態を想定し、危機に直面した時は慌てずに対処する。これが危機管理の要諦(ようてい)だ。 』


伊藤忠商事副社長だった1965(昭和40)年、業務拡大により手狭となった本社社屋は日本橋から青山へと移転。このとき、本社移転の担当役員に任命された瀬島は、青山に決めた理由を以下のように述べている。

《 日本は火山の上に住んでいるみたいなものだから二十一世紀までには必ず大きな地震があると思い、まず、部下を東大の研究所に派遣し、都心部で地盤がしっかりした所はどこか調べさせた。すると、本郷か青山ということだった。青山なら神宮外苑も近く、地震に襲われても逃げ場がある。 》

また、自動車で通勤途中に高速道路で地震に遭うことを想定し、役員の車には縄ばしご、懐中電灯、靴、手袋を準備させるように指示したという。

《 しかし、阪神大震災が起こって自分の車を調べたら、トランクに入っていなかった。十年もたつと駄目なんだ。総務部に至急チェックするよう言ったところだ。 》


瀬島龍三(せじま りゅうぞう)は、大本営陸軍参謀として太平洋戦争の指揮にかかわり、敗戦後のシベリア抑留を経て、帰還後は伊藤忠商事会長、自民党の有力政治家らのブレーンとなり、戦後日本の政財界で大きな影響力を持った人物。「昭和の参謀」との異名で呼ばれた。

1911(明治44)年、富山県西礪波郡松沢村(現・小矢部市鷲島(わしがしま))の助役や村長をつとめた瀬島龍太郎の五男三女の三男として生まれる。陸軍幼年学校を経て、1932(昭和7)年に陸軍士官学校を次席卒業。1938(昭和13)年に陸軍大学校を首席で卒業した。1939(昭和14)年、大本営参謀部員となり終戦直前まで軍の中枢で数々の作成計画に関与した。1945(昭和20)年、関東軍作戦参謀に転じ赴任先の満州で敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となりシベリアに11年間抑留された。1956(昭和31)年帰国し、1958(昭和33)年に伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長を経て、1961(昭和36)年に業務本部長、翌1962(昭和37)年に取締役業務本部長、常務となる。1968(昭和43)年専務、1972(昭和47)年副社長、1977(昭和52)年副会長を経て、1978(昭和53)年会長に就任。いすゞ自動車と米GMとの提携交渉や安宅産業の併合などで手腕を発揮し、繊維商社から総合商社へと発展する伊藤忠の近代化に寄与した。1981(昭和56)年相談役、1987(昭和62)年より特別顧問となり2000(平成12)年退任。1978(昭和53)年に永野重雄(日本商工会議所会頭、新日本製鉄会長)に日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭に抜擢され、1981(昭和56)年に総理府の臨時行政調査会(臨調)委員、1983(昭和58)年以降は臨時行政改革推進審議会の委員・会長代理に就くなど中曽根康弘首相(1982〜1987年)のブレーンとして政財界で活躍した。
他にも、日本電信電話取締役相談役、観光政策審議会会長、亜細亜学園理事長、国際大学理事、イセ美術財団会長、稲盛財団会長、西本願寺門徒総代、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長、太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会長など歴任。
2007(平成19)年9月4日、老衰により東京調布の私邸にて死去。95歳。
勲一等瑞宝章受章(1984年)。没後、従三位追贈。


■「実業家」に関連する防災格言内の主な記事
 品川正治 日本火災海上保険会長(2016.05.30 防災格言)
 三澤千代治 ミサワホーム創業者(2016.03.28 防災格言)
 小倉昌男 ヤマト運輸会長(2016.02.22 防災格言)
 児島仁 NTT社長(2009.02.16 防災格言)
 関本忠弘 NEC会長(2012.10.01 防災格言)
 坪井東 三井不動産会長(2012.10.15 防災格言)
 若狭得治 全日本空輸名誉会長(2014.08.11 防災格言)
 伊藤淳二 カネボウ会長 日本航空会長(2010.01.18 防災格言)
 堤清二(作家・辻井喬) 元セゾングループ代表(2013.12.02 防災格言)
 福原義春 資生堂名誉会長(2012.01.09 防災格言)
 中内功 ダイエー創業者(2009.09.07 防災格言)
 本田宗一郎 ホンダ創業者(2012.12.31 防災格言)
 秋山富一 住友商事会長(2013.09.02 防災格言)
 渡辺文夫 東京海上火災保険会長(2013.11.25 防災格言)
 加納時男 元東京電力副社長(2008.06.09 防災格言)
 浜口梧陵 ヤマサ醤油第7代目社長(2007.12.24 防災格言)
 領木新一郎 大阪ガス元会長(2008.11.03 防災格言)
 久我徹 博報堂関西支社長(2009.04.06 防災格言)
 平生釟三郎 川崎重工業社長(2009.11.02 防災格言)
 横河民輔 横河グループ創業者(2010.02.08 防災格言)
 ロバート・ボッシュ ボッシュグループ創業者(2011.12.12 防災格言)
 内藤久寛 日本石油会社創設者・初代社長(2014.08.18 防災格言)
 阿部良夫 物理学者・北海タイムス社長(2014.6.30 防災格言)
 松永安左エ門 関西電力・中部電力創業者(2012.08.13 防災格言)
 スティーブ・ジョブズ アップル設立者(2013.9.16 防災格言)
 渋沢栄一 実業家・官僚(2013.03.18 防災格言)
 水上滝太郎 作家・旧明治生命保険会社筆頭専務(2015.07.20 防災格言)
 益田孝 旧三井物産創設者(2015.05.25 防災格言)
 石山賢吉 ダイヤモンド社創業者(2015.02.23 防災格言)
 小倉昌男 ヤマト運輸会長(2016.02.22 防災格言)
 水上滝太郎 小説家・明治生命保険会社筆頭専務(2015.07.20 防災格言)

■「阪神淡路大震災」に関連する防災格言内の記事
 実業家 瀬島龍三 (伊藤忠商事会長)(2017.02.13 防災格言)
 余禄(毎日新聞 1995年1月18日朝刊)より(2016.01.18 防災格言)
 天声人語(朝日新聞 1995年1月27日朝刊)(2009.01.19 防災格言)
 兵庫県知事 貝原俊民(2014.11.01 防災格言)
 牧師 草地賢一(2011.08.29 防災格言)
 FEMA長官 ジェームズ・L・ウィット(2010.01.11 防災格言)
 気象庁長官 和達清夫(2007.12.03 防災格言)
 防衛事務次官 依田智治(2007.12.10 防災格言)
 美智子皇后陛下(2010.10.18 防災格言)
 政治家 後藤田正晴(2010.11.29 防災格言)
 政治家・村山富市(2007.12.31 防災格言)
 政治家・池端清一(2008.01.07 防災格言)
 政治家・鳩山由紀夫(2009.08.31 防災格言)
 東京都知事 鈴木俊一(2008.10.13 防災格言)
 元社団法人・全国産業廃棄物連合会技術部長 高橋壽正(2012.01.16 防災格言)
 建築学者 早川和男(2014.06.16 防災格言)
 作家 司馬遼太郎(2015.01.12 防災格言)
 推理作家 斎藤栄(2014.03.03 防災格言)
 指揮者 朝比奈隆(2014.03.10 防災格言)
 指揮者 岩城宏之(2008.02.18 防災格言)
 作家 筒井康隆(2013.02.18 防災格言)
 作詞家 阿久悠(2013.06.17 防災格言)
 放送作家 藤本義一(2011.01.17 防災格言)
 作家 小松左京(2011.08.01 防災格言)
 作家 村薫(2013.07.29 防災格言)
 作家 藤原智美(2013.08.12 防災格言)
 作家 陳舜臣(2015.01.26 防災格言)
 映画監督 大森一樹(2013.04.08 防災格言)
 ニュースキャスター 筑紫哲也(2009.09.21 防災格言)
 作家 伊集院静(2012.02.27 防災格言)
 映画監督・白羽弥仁(2008.01.21 防災格言)
 将棋棋士・谷川浩司(2013.03.04 防災格言)
 医師・西村明儒(2009.12.21 防災格言)
 落語家・六代目 桂文枝(桂三枝)(2015.01.19 防災格言)
 プロテニスプレーヤー 沢松奈生子(2008.1.14 防災格言)
 MLB選手 イチロー(2013.08.26 防災格言)
 中内功・ダイエー創業者(2009.09.07 防災格言)
 本田宗一郎・ホンダ創業者(2012.12.31 防災格言)
 秋山富一・住友商事会長(2013.09.02 防災格言)
 領木新一郎・大阪ガス元会長(2008.11.03 防災格言)
 久我 徹・博報堂関西支社長(2009.04.06 防災格言)
 元台湾総統 李登輝(2015.07.13 防災格言)
 ラジオパーソナリティー 永六輔(2016.07.18 防災格言)
 科学評論家・元NHK解説委員 村野賢哉(2016.08.08 防災格言)
 美術史家・西川杏太郎(2017.01.16 防災格言)
 川柳作家・時実新子(2017.01.23 防災格言)
 芸術評論家・多木浩二(2013.01.14 防災格言)
 阪神淡路震災より18年(2013.01.17 店長コラム)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理