今週の防災格言<482> 市川森一 (脚本家)
2017.03.20 [Mon] 07:00


『 大地の震動が治まったあとも、
 人心の余震はさらに広がり、
 風評と不信が横行して
 日本中が平常心を失っていった。 』


市川森一(1941〜2011 / 脚本家・劇作家・小説家)

格言は日本経済新聞「日曜日の随想」(2011(平成23)年8月14日朝刊)掲載のエッセイ「古いノートから」より。

曰く―――。

《 大津波襲来という、古代の神話のような、きわめて原始的な異変が、日本の政治も経済も日本人のあらゆる物事への価値観までも、根底から覆してしまった。大地の震動が治まったあとも、人心の余震はさらに広がり、風評と不信が横行して日本中が平常心を失っていった。
均衡を失ったのはメディアも同様だった。動揺が伝播する中で、飛び交う情報の真偽を質(ただ)す術(すべ)もないままに、虚偽も真実もごちゃ混ぜになって垂れ流された。そうこうしながら、ようやくテレビは、被災地の住民を励まし、慰め、元気づけることに自らの存在理由を見出したようで、連日、復興のキャンペーンを張って「ガンバロー」を連呼するようになった。≪中略≫

そうした日本国民の精神力や団結力をもってしても、解決不能な難題を今回の震災はもたらした。

原発事故がそれだった。

どんな文明にも必ず終わりはくる。産業革命以降の大量生産と大量消費、それを支えるエネルギー資源によって築き上げられてきたわれらの物質文明はどんな終わり方をするのか。石炭、石油の枯渇はすでに秒読みに入り、終わりの始まりが警鐘される時期を迎えてもなお人類は――もはや自己を省みることなく――こんどは原発エネルギーに乗り出した。
ヨーロッパ、アメリカに続き、東アジアでも、日本がその潮流に乗り、中国はさらに多くの原発建設に着手しようとしている。その最中での、原発の安全神話の崩壊だった。

新聞・テレビでは今日も、脱原発派と原発依存派の議論がせめぎ合う。そこでは、「人命」と「国益」、「理想」と「現実」が対峙する。

人類の理性は、「原爆」をなくすことなら、あるいは可能にするかもしれない。それは原爆が明らかに非人道的で悲惨な悲劇をもたらす兵器だからだ。一方の「原発」は、人類の「幸福」と結びついている。我らに、いまの快適な生活を犠牲にする覚悟がもてるだろうか。だれもが「幸せになること」を人生の目的に生きている現代である。有史以来、現代ほど人類が幸福を追求することに躍起になっている時代はあるまい。目の前の幸福を棄てて、遠い未来の人類の存続を選択するほどの叡知を神は与えてくれているだろうか。温水洗浄便座に慣れてしまった筆者にはとても後戻りはできそうにない。 》


脚本家の市川森一(いちかわ しんいち)は、子供番組「快獣ブースカ」でデビューし「コメットさん」や「ウルトラマン」シリーズなどで活躍。後にテレビドラマ「傷だらけの天使」、NHK大河ドラマ「黄金の日日」「花の乱」、映画「異人たちとの夏(大林宣彦監督)」などを手掛けた。

1941(昭和16)年、長崎県諫早で代々呉服業を営む裕福な家庭の跡取り息子として生まれる。戦時中の衣料統制で店は休業し、父親の一郎は、海軍大村航空隊の英語教官となり、戦後は市議会議員や俳句誌の主宰者(俳号は青火)などとなった人物。
1947(昭和22)年、市立諫早小学校に入学。小学生時代の10歳の頃に、母親が肺結核で他界。14歳で諫早教会(プロテスタント)で洗礼を受けた。私立鎮西学院中学部、長崎県立諫早高等学校を経て、1959(昭和34)年に日本大学藝術学部映画学科に入学。在学中からテレビ局にアルバイトで出入りしコント番組を執筆。大学卒業後の1966(昭和41)年、25歳の時に円谷プロの特撮番組「快獣ブースカ」第4話「ブースカ月へ行く」で脚本家デビュー。以後は「快獣ブースカ」のメインライターとなり、続く円谷プロのウルトラマン・シリーズ「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」「コメットさん」など子供向け番組を多数手掛けた。1969(昭和44)年、脚本を担当した「マキちゃん日記」に出演していた女優・柴田美保子と出会い、後に結婚。大人向けドラマの脚本を書くようになり、1974(昭和49)年の大人気ドラマ「傷だらけの天使」のメインライターとなり、脚本家として広く名が知られるようになった。翌1975(昭和50)年には「冬の時刻表」「紙コップのコーヒー」で民間放送連盟優秀賞を初受賞。37歳で大河ドラマ「黄金の日日」の脚本家に抜擢、ドラマは後に戯曲化され大谷竹次郎賞を受賞。1981(昭和56)年の「港町純情シネマ」「チャップリン暗殺計画」で芸術選奨文部大臣新人賞、翌年の「淋しいのはお前だけじゃない」で第一回向田邦子賞を受賞するなど名実ともに売れっ子脚本家となった。他にも芸術選奨文部大臣賞(1988年)、モンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞(1999年)、初の映画脚本「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞(1989年)を受賞。執筆活動の傍ら、1993(平成5)年から2007(平成19)年まで日本テレビの情報番組「ザ・ワイド」のコメンテーターとして出演したほか、ニッポン放送ラジオ「テレフォン人生相談」パーソナリティ(2001年〜2012年)などに出演、2000(平成12)年からは日本放送作家協会理事長(その後会長)を長年にわたって務めた。
2011(平成23)年10月、肺炎のために入院。同年12月10日、肺がんのため70歳で死去。2011(平成23)年には旭日小綬章、中部日本放送小嶋賞、長崎県県民栄誉賞を受賞。


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<防災格言編集主幹 平井 拝>

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今週の防災格言<481> やなせたかし (漫画家・詩人)
2017.03.13 [Mon] 07:00


『 どんなに対策をたてても絶対安全ということはない。
 どんなに立派な耐震住宅を建てても活断層がなくても、
 大地が液状化すればひとたまりもない。 』


やなせたかし(1919〜2013 / 漫画家 代表作「アンパンマン」)

格言は東日本大震災後の2011年5月11日にスタートした岩波書店初のウェブ連載企画「3.11を心に刻んで」で2012年2月11日掲載の「3月11日から」より。

曰く―――。

《 テレビで東日本大震災のニュースと映像が流れた。≪中略≫
原発はCO2を発生しないクリーンなエネルギーであることを売り物にしていたが、その危険な廃棄物については沈黙していた。実は僕は原発に賛成ではなかったが、チェルノブイリのような事故は日本では起きないと信じていた。

日本人の国民性はまじめで規律を良く守る。戦後は誤った民主教育のためにいくらか怪しくはなってきたが、基本的な性格は変わらない。世界で一番安全な国と言われている。しかし安全神話はもろくもくずれ去ってしまった。

これが僕にはショックだった。
まさか一〇〇〇年に一度の国難のような大震災に遭うとは思わなかった。僕のマンションもその辺りの建物も幸いに無事だった。≪中略≫

でも本当に驚いたのは黄昏になってからである。東京都のような大都市になると都内に住んでいても通勤に一時間ぐらいかかるところはザラである。遠い人は三時間ぐらいかけて勤務地へやってくる。すべての交通機関が止まってしまったので、帰宅できない帰宅難民があふれた。
新宿通りも靖国通りも道をうずめて大群衆が移動していく。スーパーやコンビニも弁当はすべて売り切れ、異様な感じになった。幸い停電はしなかったものの、大都市の弱点が浮き彫りになった。これでもし直下型地震だったらと思うと身の毛がよだった。≪中略≫

どんなに対策をたてても絶対安全ということはない。 僕は震災直後、自家発電機や電池、非常食を買おうとしたが、なんとすべて売り切れていた。 世間の人は僕よりもはるかに用心深いようである。どんなに立派な耐震住宅を建てても活断層がなくても、大地が液状化すればひとたまりもない。 》


やなせたかし(本名:柳瀬嵩)は、『アンパンマン』生みの親として知られる漫画家・絵本作家。他にもいずみたく作曲の童謡『手のひらを太陽に(1961(昭和36)年)』の作詞者としても著名。

高知県出身。1919(大正8)年2月6日、東京府(現東京都北区)生まれ。旧制東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部デザイン学科)を卒業後、田辺製薬宣伝部に就職するが、まもなく徴兵により帝国陸軍に入隊、下士官(軍曹)として中国戦線にいたときに敗戦を知った。やなせの弟は特攻隊に志願し戦死している。
終戦後は高知新聞、三越宣伝部デザイナーを経て1953(昭和28)年より独立してフリーとなる。1969(昭和44)年、大人向け絵本『アンパンマン』を執筆。1973(昭和48)年にはサンリオで雑誌「詩とメルヘン」を創刊し編集長を務めた一方で、「漫画家の絵本の会」を立ち上げ、フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」に子供向けに改作した「あんぱんまん」を発表。1988(昭和63)年、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』が日本テレビ放送網で放送開始され人気番組となる。翌年文化庁こども向けテレビ用優秀映画賞を受賞。1989(平成元)年からは劇場用アニメも制作され、1990(平成2)年 「アンパンマン」が日本漫画家協会大賞を受賞し、翌1991(平成3)年勲四等瑞宝章授章。2000(平成12)年、日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞。2009(平成21)年には最もキャラクター数の多いアニメとして「それいけ!アンパンマン」がギネス世界記録に認定された。70歳代以降は病を抱えながらも精力的に様々な活動を展開し、1992(平成4)年からは高知県主催の「まんが甲子園」の審査委員長、2000(平成12)年から日本漫画家協会理事長、2012(平成24)年からは会長を歴任。2013(平成25)年10月13日、心不全のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。94歳。

2011年の東日本大震災時は、都営新宿線・曙橋駅近くの自宅マンション(東京・新宿区)で仮眠中に揺れに遭遇したが、地盤が強固だったこともあり本棚や壁掛け時計が落下するなど小被害ですんだという。


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 イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco's motto)(2013.03.11 防災格言)
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 谷川浩司 (将棋棋士 永世名人)(2013.03.04 防災格言)
 堤清二(作家 辻井喬 元セゾングループ代表)(2013.12.02 防災格言)
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<防災格言編集主幹 平井 拝>

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今週の防災格言<480> 荻原井泉水 (俳人・随筆家 俳誌『層雲』を創刊)
2017.02.27 [Mon] 07:00


『 平生、都会に住んでいる私達は
 色々の物の価値を軽く見ていた。
 生活に必要な物はいつでも
 金と代えられることとタカをくくっていた。
 それが今はそうではなくなった。 』


荻原井泉水(1884〜1976 / 俳人・随筆家 俳誌『層雲』を創刊)

格言は日記『大震雑記』(著書「大地に嘆く(新作社 大正13年)」収録)より。関東大震災(1923年)の翌々日(9月3日)の記述から。

義兄から、自宅の近隣(麻布十番通り)の店が開いており「食うべき物は早く求めなければ忽ち売切れるであろう」と注進され、すぐさま買物に出かけた時の感想。

曰く―――。

十番通りの商家には倒潰したものが少なくなかった。家は傾かずとも商品は乱されていた。その内で食料品だけは、その乱れたままの商品を手当りに売っていた。人々が手当りに買ってゆくからだった。何を欲しいなどと、選り好みをしている場合ではなかった。缶詰、干魚、梅干など、見当たるままのものを、私も買い求めた。妻から塩を頼まれたが、酒屋には塩はなく、薬種屋で食塩の一ポンド詰を買った。「坊や」のためにキャラメルを頼まれたが、幸に僅かに二箱を得ただけで品切という事だった。米屋ではとうに売切の札を出していた。私は取りつけの店で、玄米五升(白米はないので)を譲って貰った。

平生、都会に住んでいる私達は色々の物の価値を軽く見ていた。生活に必要な物はいつでも金と代えられることと"たか"をくくっていた。それが今はそうではなくなった。米もない、味噌もない、水でさえも、水道のとまった今は遠くまで汲みに行かねばならなかった。一杯の水さえも貴重なものになった。凡ての物は、その物自身が自然に有すべき価値を認識せしめたのである。都会人は平生、余りに自然を蔑ろにして、驕慢にすぎていたのである。


荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)は、大正から昭和に活躍した俳人。河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)と共に新傾向俳句を志し、明治44(1911)年に現在も刊行が続く文芸誌『層雲』を創刊する。後に、季語や定型を廃した自由律俳句を提唱し、尾崎放哉や種田山頭火など多くの門人を育てた。

明治17(1884)年6月16日、芝区神明町の雑貨商「新田屋」の次男として生まれる。本名は荻原幾太郎、のちに藤吉。小学校時代から俳句に親しみ、芝公園の旧制正則尋常中学(現正則高等学校)に入学するが、教育指導に異議を唱えた学校新聞を発行したことから退学処分となる。不良学生らを受け入れていた麻布中学校へと編入学してからは、酒や煙草をやめて勉強に真面目に取り組み、明治34(1901)年に旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)に入学し、角田竹冷の秋声会、岡野知十の半面派に関係し、後に正岡子規の日本派に参加し一高俳句会を起こした。明治38(1905)年、東京帝国大学言語学科に入学。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加し『層雲』にその新理論を発表、さらに季題無用論を唱えたことで意見を異にする碧梧桐が同誌を去り、以後は同誌を主宰した。

関東大震災(1923年9月1日)では、自宅(麻布宮村町:現在の東京都港区元麻布)近所の医者の家からの帰り道で大きな揺れに遭遇。その時の様子を以下のように語っている。

『 空は好く晴れて、残暑の強い日の正午近くであった。 《中略》 ふと、足許に或る不安定を感ずる刹那、四肢には"あやつり"の糸をかけられたように、身体は自分の意志を離れた奇妙な踊をはじめた。それでも、全くの人形ではなく、身体が傾倒するのを踏みこたえようとするだけの力を出し得た時には、大地が激しく震動している事が解った。私の右手には長屋建の低い家が並んでいたが、瓦ががらがらとなだれ落ちると共に、屋根土が煙をなして襲いかかった。左手の古い二階家は、裸の男を一人、ぺっと路上に吐き出すとぐさりと傾いてしまった。続いて、左右の家から人々が飛出した。
《中略》
地面はまだ揺れていたが、私は、そこから二三丁しか離れていない家へ向って急いだ。初め激動を受けた時、扇を使っていた其儘の扇を使いながら、行逢った知人と、「随分大きな地震でしたね」などと挨拶しあう程、その時はもう往来に立っている人達も私も、驚駭の中から自分を取戻していた。付近よりも軟弱な地盤の上に建ててある私の家は、どうかと案じられた程もなく、少しく傾いただけであった。 』

震災当日の9月1日は、大きな余震が続いたため、倒壊の不安から草原に出て露宿したという。翌9月2日には、大火災により妻の里(義兄一家)が避難して来る。

『 彼等をも我身をも容るゝ家ある事を喜ぶばかり 』
(俳句集「皆懺悔」(春秋社 昭和3年)より)

9月6日には知り合いを見舞うために外出するが、丸の内、日本橋、銀座、芝と『 何処も一面の焦土なり 』と述べ、9月14日に再び外出し本所深川辺を見学した時は 『 被服廠跡には白骨の破片積みて貝殻の山の如く、溝に女の毛髪漂ひて藻の如し 』 と感想をしたためている。

震災直後の10月28日に妻桂子が、翌年に母が亡くなると一時仏道を志し、京都の禅宗寺院東福寺の塔頭に寄寓、以降各地への行脚旅が多くなったが、昭和4(1929)年の再婚を機に鎌倉の地へと移り住み、昭和51(1976)年5月20日、脳血栓で鎌倉山ノ内の自宅で永眠。享年92。


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 関東大震災十周年防災標語(2008.7.7 防災格言)
 首都直下 ホントは浅かった 佐藤比呂志教授と関東大震災(2005.10.26 店長コラム)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

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今週の防災格言<479> ジョン・ワイズマン (元英国特殊空挺部隊SASサバイバル主任指導教官)
2017.02.20 [Mon] 07:00


『 最終判断はあなた自身が行う。
 誤った判断をした責任はあなたにしかない。 』


ジョン・ワイズマン(1940〜 / 元英国特殊部隊SASサバイバル指導教官)

曰く―――。

《 霧深い山腹で孤立する、ジャングルで迷う、砂漠に取り残される。このような時、直面するサバイバルの問題は兵士であれ、民間人であれ同じである。両者の違いは兵士は敵から自分の身を隠す必要があるのに対し、民間人は救助されるべく自分の存在を訴えることにある。

若者でも老人でも、健康な者も虚弱な者も、生き残りたい気持ちは同じだ。知識があるほど生き残れる可能性は大きい。

事故に伴うサバイバルも生ずる。墜落、衝突、そして自然災害に対処できるよう準備しておかなければならない。ケガの手当てや健康の維持、負傷者の救助方法も大切だ。水、食糧、火、シェルターは必需品であり、これらを確保する方法を知らなければならない。

合図のマーカーを地面に作れば、捜索隊に発見されるかも知れないが、発見されなかった場合、川を渡り、山を越え、自力で帰還するしかない。

世界のどこで孤立するかはわからない。北極や砂漠、熱帯雨林、あるいは海の真っ只中かも知れない。場所によりそれぞれ特殊な技術が必要になる。生存困難にみえる山、ジャングル、平原、泥地にも何かしら利用できる物はあり、方法さえ知っていれば、食糧、燃料、水、シェルターを得られる。 》

格言は著書(訳・柘植久慶、高橋和弘)『SASサバイバル・ハンドブック』(並木書房 1991年)の「はじめに」より。


ジョン・ワイズマン(John "Lofty" Wiseman)は、英国出身のサバイバル術のコンサルタントで、元英陸軍特殊空挺部隊SAS(Special Air Service)に26年間在籍し、SASサバイバル主任指導教官を歴任した人物。

1959年、18歳でSAS隊員に選ばれた最年少の人物となり、1985年の退役まで、砂漠や密林、極地圏といった世界各地で活躍した。この間、SAS作戦研究(Operational Research 22)の責任者となり、対ハイジャックの「SPチーム」やイラン大使館包囲作戦などで活躍した「SASカウンターテロリストチーム」を設立させ、グリーンベレー特殊部隊などの訓練も行った。
退役後は、英国ヘリフォードでサバイバルスクールを開設し、サバイバル術のコンサルタントしてテレビ出演、映画の演技指導、数多くの本を執筆。特に1986年のSASサバイバル技術を集大成した著書「SASサバイバル・ハンドブック」は世界的なベストセラーとなった。


■「ジョン・ワイズマン」に関連する防災格言内の主な記事
 バニー・カー (アメリカのプレッパー)(2015.04.06 防災格言)
 ロバート・ベーデンパウエル卿 (スカウト運動提唱者)(2008.05.26 防災格言)
 ロバート・キヨサキ (米国の投資家)(2012.10.08 防災格言)
 クリストファー・マッカンドレス (映画「荒野へ」のモデルになったアメリカの旅人)(2014.12.15 防災格言)
 野間寅美 (元海上保安庁首席監察官 元第十管区本部長)(2010.07.05 防災格言)
 須川邦彦 (商船学校教授 東京商船学校校長)(2014.07.21 防災格言)
 小野田寛郎(予備陸軍少尉 元帝国陸軍情報将校)(2014.1.20 防災格言)
 結城豊太郎 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第15代))(2016.12.05 防災格言)
 西堀栄三郎 (冒険家 理学博士)(2008.10.20 防災格言)
 東善作 (冒険家)(2010.8.30 防災格言)











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今週の防災格言<478> 瀬島龍三 (伊藤忠商事会長 関東軍作戦参謀・陸軍中佐)
2017.02.13 [Mon] 07:00


『 普段から、悲観的に準備すること、
 そして楽観的に対処すること 』


瀬島龍三(1911〜2007 / 実業家・伊藤忠商事会長 関東軍作戦参謀・陸軍中佐)

格言は阪神淡路震災後の談話より。(出典「大震災を生き抜く」(時事通信社編集局編 1995年))

曰く―――。

『 危機管理とは平時にどれだけ準備しておくかということだ。備えあれば憂いなし、という言葉があるが、普段から準備しておくのが大事だ。 《 中略 》
危機に対処するための心構えは、古来「悲観的に準備し楽観的に対処せよ」ということに尽きる。準備をする時は最悪の事態を想定し、危機に直面した時は慌てずに対処する。これが危機管理の要諦(ようてい)だ。 』


伊藤忠商事副社長だった1965(昭和40)年、業務拡大により手狭となった本社社屋は日本橋から青山へと移転。このとき、本社移転の担当役員に任命された瀬島は、青山に決めた理由を以下のように述べている。

《 日本は火山の上に住んでいるみたいなものだから二十一世紀までには必ず大きな地震があると思い、まず、部下を東大の研究所に派遣し、都心部で地盤がしっかりした所はどこか調べさせた。すると、本郷か青山ということだった。青山なら神宮外苑も近く、地震に襲われても逃げ場がある。 》

また、自動車で通勤途中に高速道路で地震に遭うことを想定し、役員の車には縄ばしご、懐中電灯、靴、手袋を準備させるように指示したという。

《 しかし、阪神大震災が起こって自分の車を調べたら、トランクに入っていなかった。十年もたつと駄目なんだ。総務部に至急チェックするよう言ったところだ。 》


瀬島龍三(せじま りゅうぞう)は、大本営陸軍参謀として太平洋戦争の指揮にかかわり、敗戦後のシベリア抑留を経て、帰還後は伊藤忠商事会長、自民党の有力政治家らのブレーンとなり、戦後日本の政財界で大きな影響力を持った人物。「昭和の参謀」との異名で呼ばれた。

1911(明治44)年、富山県西礪波郡松沢村(現・小矢部市鷲島(わしがしま))の助役や村長をつとめた瀬島龍太郎の五男三女の三男として生まれる。陸軍幼年学校を経て、1932(昭和7)年に陸軍士官学校を次席卒業。1938(昭和13)年に陸軍大学校を首席で卒業した。1939(昭和14)年、大本営参謀部員となり終戦直前まで軍の中枢で数々の作成計画に関与した。1945(昭和20)年、関東軍作戦参謀に転じ赴任先の満州で敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となりシベリアに11年間抑留された。1956(昭和31)年帰国し、1958(昭和33)年に伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長を経て、1961(昭和36)年に業務本部長、翌1962(昭和37)年に取締役業務本部長、常務となる。1968(昭和43)年専務、1972(昭和47)年副社長、1977(昭和52)年副会長を経て、1978(昭和53)年会長に就任。いすゞ自動車と米GMとの提携交渉や安宅産業の併合などで手腕を発揮し、繊維商社から総合商社へと発展する伊藤忠の近代化に寄与した。1981(昭和56)年相談役、1987(昭和62)年より特別顧問となり2000(平成12)年退任。1978(昭和53)年に永野重雄(日本商工会議所会頭、新日本製鉄会長)に日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭に抜擢され、1981(昭和56)年に総理府の臨時行政調査会(臨調)委員、1983(昭和58)年以降は臨時行政改革推進審議会の委員・会長代理に就くなど中曽根康弘首相(1982〜1987年)のブレーンとして政財界で活躍した。
他にも、日本電信電話取締役相談役、観光政策審議会会長、亜細亜学園理事長、国際大学理事、イセ美術財団会長、稲盛財団会長、西本願寺門徒総代、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長、太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会長など歴任。
2007(平成19)年9月4日、老衰により東京調布の私邸にて死去。95歳。
勲一等瑞宝章受章(1984年)。没後、従三位追贈。


■「実業家」に関連する防災格言内の主な記事
 品川正治 日本火災海上保険会長(2016.05.30 防災格言)
 三澤千代治 ミサワホーム創業者(2016.03.28 防災格言)
 小倉昌男 ヤマト運輸会長(2016.02.22 防災格言)
 児島仁 NTT社長(2009.02.16 防災格言)
 関本忠弘 NEC会長(2012.10.01 防災格言)
 坪井東 三井不動産会長(2012.10.15 防災格言)
 若狭得治 全日本空輸名誉会長(2014.08.11 防災格言)
 伊藤淳二 カネボウ会長 日本航空会長(2010.01.18 防災格言)
 堤清二(作家・辻井喬) 元セゾングループ代表(2013.12.02 防災格言)
 福原義春 資生堂名誉会長(2012.01.09 防災格言)
 中内功 ダイエー創業者(2009.09.07 防災格言)
 本田宗一郎 ホンダ創業者(2012.12.31 防災格言)
 秋山富一 住友商事会長(2013.09.02 防災格言)
 渡辺文夫 東京海上火災保険会長(2013.11.25 防災格言)
 加納時男 元東京電力副社長(2008.06.09 防災格言)
 浜口梧陵 ヤマサ醤油第7代目社長(2007.12.24 防災格言)
 領木新一郎 大阪ガス元会長(2008.11.03 防災格言)
 久我徹 博報堂関西支社長(2009.04.06 防災格言)
 平生釟三郎 川崎重工業社長(2009.11.02 防災格言)
 横河民輔 横河グループ創業者(2010.02.08 防災格言)
 ロバート・ボッシュ ボッシュグループ創業者(2011.12.12 防災格言)
 内藤久寛 日本石油会社創設者・初代社長(2014.08.18 防災格言)
 阿部良夫 物理学者・北海タイムス社長(2014.6.30 防災格言)
 松永安左エ門 関西電力・中部電力創業者(2012.08.13 防災格言)
 スティーブ・ジョブズ アップル設立者(2013.9.16 防災格言)
 渋沢栄一 実業家・官僚(2013.03.18 防災格言)
 水上滝太郎 作家・旧明治生命保険会社筆頭専務(2015.07.20 防災格言)
 益田孝 旧三井物産創設者(2015.05.25 防災格言)
 石山賢吉 ダイヤモンド社創業者(2015.02.23 防災格言)
 小倉昌男 ヤマト運輸会長(2016.02.22 防災格言)
 水上滝太郎 小説家・明治生命保険会社筆頭専務(2015.07.20 防災格言)

■「阪神淡路大震災」に関連する防災格言内の記事
 実業家 瀬島龍三 (伊藤忠商事会長)(2017.02.13 防災格言)
 余禄(毎日新聞 1995年1月18日朝刊)より(2016.01.18 防災格言)
 天声人語(朝日新聞 1995年1月27日朝刊)(2009.01.19 防災格言)
 兵庫県知事 貝原俊民(2014.11.01 防災格言)
 牧師 草地賢一(2011.08.29 防災格言)
 FEMA長官 ジェームズ・L・ウィット(2010.01.11 防災格言)
 気象庁長官 和達清夫(2007.12.03 防災格言)
 防衛事務次官 依田智治(2007.12.10 防災格言)
 美智子皇后陛下(2010.10.18 防災格言)
 政治家 後藤田正晴(2010.11.29 防災格言)
 政治家・村山富市(2007.12.31 防災格言)
 政治家・池端清一(2008.01.07 防災格言)
 政治家・鳩山由紀夫(2009.08.31 防災格言)
 東京都知事 鈴木俊一(2008.10.13 防災格言)
 元社団法人・全国産業廃棄物連合会技術部長 高橋壽正(2012.01.16 防災格言)
 建築学者 早川和男(2014.06.16 防災格言)
 作家 司馬遼太郎(2015.01.12 防災格言)
 推理作家 斎藤栄(2014.03.03 防災格言)
 指揮者 朝比奈隆(2014.03.10 防災格言)
 指揮者 岩城宏之(2008.02.18 防災格言)
 作家 筒井康隆(2013.02.18 防災格言)
 作詞家 阿久悠(2013.06.17 防災格言)
 放送作家 藤本義一(2011.01.17 防災格言)
 作家 小松左京(2011.08.01 防災格言)
 作家 村薫(2013.07.29 防災格言)
 作家 藤原智美(2013.08.12 防災格言)
 作家 陳舜臣(2015.01.26 防災格言)
 映画監督 大森一樹(2013.04.08 防災格言)
 ニュースキャスター 筑紫哲也(2009.09.21 防災格言)
 作家 伊集院静(2012.02.27 防災格言)
 映画監督・白羽弥仁(2008.01.21 防災格言)
 将棋棋士・谷川浩司(2013.03.04 防災格言)
 医師・西村明儒(2009.12.21 防災格言)
 落語家・六代目 桂文枝(桂三枝)(2015.01.19 防災格言)
 プロテニスプレーヤー 沢松奈生子(2008.1.14 防災格言)
 MLB選手 イチロー(2013.08.26 防災格言)
 中内功・ダイエー創業者(2009.09.07 防災格言)
 本田宗一郎・ホンダ創業者(2012.12.31 防災格言)
 秋山富一・住友商事会長(2013.09.02 防災格言)
 領木新一郎・大阪ガス元会長(2008.11.03 防災格言)
 久我 徹・博報堂関西支社長(2009.04.06 防災格言)
 元台湾総統 李登輝(2015.07.13 防災格言)
 ラジオパーソナリティー 永六輔(2016.07.18 防災格言)
 科学評論家・元NHK解説委員 村野賢哉(2016.08.08 防災格言)
 美術史家・西川杏太郎(2017.01.16 防災格言)
 川柳作家・時実新子(2017.01.23 防災格言)
 阪神淡路震災より18年(2013.01.17 店長コラム)











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今週の防災格言<477> チャールズ・カスト (元米原子力規制委員会地域センター長)
2017.02.06 [Mon] 07:00


『 最悪の事態が起きうることを常に肝に銘じ、
 対策を怠らないことが、
 福島事故の最大の教訓です。 』


チャールズ・カスト(1955〜 / 元米原子力規制委員会地域センター長)

曰く―――。

《 現在の日本の原子力規制委員会は、かつての原子力安全・保安院と異なり、強い力を持って規制に当っていると思います。ただ、断層の評価など技術的な面が中心になっています。避難計画など非常時の対応に、もっと国が力を入れるべきです。最悪の事態が起きうることを常に肝に銘じ、対策を怠らないことが、福島事故の最大の教訓です。 》

格言は読売新聞(2016(平成28)年1月27日朝刊のインタビュー「証言 震災5年」より。

チャールズ・カスト(Dr. Charles "Chuck" A. Casto)博士は、米ウエストバージニア州出身の原子力工学を専門とする危機管理コンサルタント。経営学博士。
福島原発事故の際には、米原子力規制委員会(NRC)から派遣された米国チームの中心人物として事故対応に尽力した。

17歳で米空軍に入隊し、軍で核兵器に携わったのを契機に、原発業界へと進むこととなった。初め、ニューヨーク州教育評議会(USNY)リージェント大学(University of the State of New York Regents College)で原子力工学を学び、ジョージア大学やケネソー州立大学で政治学・経営学を学んだ。その後、電力会社を経て、米原子力規制委員会(NRC)に転職。原子力発電所建設監査担当やハリー・リード米国上院議員の立法補佐官としてエネルギー政策に係わった。

2011(平成23)年の福島原発事故では、福島原発と同型の原子炉の専門技術者だったこともあり、米国政府とNRCの合同チーム166人の代表として、事故直後の3月15日午後から東京に派遣されることとなる。

チームの主な目的は、日本にいる米国人の保護と福島原発事故対応への援助であったが、東京行きの飛行機の中では「日本に行ったら健康にどう影響するのか」など原発事故で不安に駆られた客室乗務員らから次々に質問攻めとなり『 結局、一睡もできなかった 』という。
当初は『 日本滞在は早くて数日、恐らく数週間で終わる 』と考えていたそうだが、結局、駐在期間は2012(平成24)年2月までの11ヶ月間に達した。期間中には福島第1原発にも6度足を運んだ、という。

当時のルース駐日アメリカ合衆国大使館とともに米本国のNRC緊急対策センターとの調整役を担い、日本の総理官邸(菅直人首相)に対しては米国政府を代表して事態打開に尽力し、帰国後の2012(平成24)年に、オバマ大統領から大統領勲章が授与された。同年5月、ミシガン州など8州23の原子炉を監督するNRCの中西部責任者(地域センター長)に就任。2013(平成25)年に27年務めたNRCを退職。現在はカストグループ・コンサルティング代表を務める。


■「チャールズ・カスト」に関連する防災格言内の主な記事
 FEMA長官 ジェームズ・L・ウィット(2010.01.11 防災格言)

■「東日本大震災」に関連する防災格言内の記事
 君塚栄治 (陸上幕僚長 東日本大震災時の東北方面総監)(2016.03.14 防災格言)
 廣井悠 (都市工学者)(2012.03.12 防災格言)
 国土交通省東北地方整備局「災害初動期指揮心得(2013年3月)」(2015.03.09 防災格言)
 高知県黒潮町「南海トラフ地震・津波の防災計画基本理念(2012年)」(2016.03.07 防災格言)
 「津波避難のたすとひく」静岡県警の津波避難啓発標語(2014.11.10 防災格言)
 昭和八年三月三日 大海嘯記念碑(大槌町 昭和9年建立)(2011.11.07 防災格言)
 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ報告書(2013年5月)(2013.06.24 防災格言)
 イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco's motto)(2013.03.11 防災格言)
 坂 茂 (建築家 プリツカー賞受賞(2014年))(2016.03.21 防災格言)
 李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
 ケリー・シー (アメリカの地震学者)(2015.02.02 防災格言)
 本間博彰 (児童精神科医・宮城県子ども総合センター所長)(2014.10.06 防災格言)
 村井嘉浩 (宮城県知事)(2013.10.14 防災格言)
 石原信雄 (官僚 元内閣官房副長官)(2013.10.21 防災格言)
 丸茂湛祥 (日蓮宗僧侶)(2013.08.05 防災格言)
 ワンガリ・マータイ (ケニアの環境保護活動家 ノーベル平和賞)(2013.04.22 防災格言)
 谷川浩司 (将棋棋士 永世名人)(2013.03.04 防災格言)
 堤清二(作家 辻井喬 元セゾングループ代表)(2013.12.02 防災格言)
 伊集院静 (作家)(2012.02.27 防災格言)
 都司嘉宣(地震学者)(2013.03.25 防災格言)











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今週の防災格言<476> 三宅雪嶺 (哲学者・評論家)
2017.01.30 [Mon] 07:00


『 余り衛生を重んずるものは
 身体が弱くなり
 あるいは病気にかかる。 』


三宅雪嶺(1860〜1945 / 哲学者・評論家・ジャーナリスト 文化勲章受章)

格言は『世の中』(大正3年)より。

曰く―――。

余り衛生を重んずるものは身体が弱くなり或(あるい)は病気に罹(かか)る。常識は人の世間に立つ上に於て最も肝要であるが、余りに常識を念(ねん)として過不及(かふきゅう)無いように努むるものは生きて居るも、死んで居るも変らなくなる。

※過不及は、過ぎたところ、足りないところ、及ばないところ、の意味。


三宅雪嶺(みやけ せつれい)は、鹿鳴館に象徴される欧化主義に対して、東洋や日本の固有の価値を正当に評価する「国粋主義」を主張し、陸羯南や徳富蘇峰らとともに明治の近代日本を代表する言論人の一人。

父は加賀藩家老のお抱え医師・三宅恒、母は蘭学医・黒川良安の妹の滝井の三男として加賀国金沢新竪町(現石川県金沢市)生まれる。本名は雄二郎。
幼少から漢学、英語、フランス語を学ぶ。名古屋の愛知英学校を経て、明治9(1876)年、東京開成学校(翌年に東京大学に改称)に入学。明治16(1883)年、東京大学文学部哲学科(後の帝国大学文科大学)を卒業し、23歳で東京大学準助教授として東京大学編輯所(へんしゅうじょ)に勤め、日本仏教史の編集に従事。後に文部省編輯局勤務をするが、これを辞し、明治21(1888)年28歳の時に井上円了、志賀重昂、杉浦重剛らと「政教社」を創立させ、雑誌『日本人』を発行した。国粋主義に基づく社会批判を行なう一方で、哲学的な著述でも名をあらわし、雑誌「中央公論」などへ多彩な論説を発表した。明治25(1892)年、32歳で元老院議員の田辺太一の長女で小説家・随筆家の龍子(※三宅花圃(みやけ かほ / 1869〜1943))と結婚。のちに5人の子供をもうけ、娘の多美子は衆議院議員・中野正剛の妻となった。
大正12(1923)年以降(昭和20年まで)は政教社を離れ、中野正剛と共同で『我観』を創刊し、67歳のときから同紙に「同時代観(同時代史)」を20年にわたって連載した。昭和20(1945)年11月26日、85歳で死去。
帝国芸術院会員(昭和12年)、文化勲章受章(昭和18年)。

■「三宅雪嶺」に関連する防災格言内の主な記事
 佐藤一斉 (幕末の儒学者・漢学者)(2011.05.16 防災格言)
 徳富蘇峰(2009.07.27 防災格言)
 新渡戸稲造(2012.11.12 防災格言)
 黒岩涙香(2011.05.23 防災格言)
 山下重民(2008.09.22 防災格言)
 加能作次郎 (小説家)(2016.5.16 防災格言)
 東善作 (冒険家)(2010.8.30 防災格言)
 佐治実然 (宗教家)(2010.03.15 防災格言)
 中谷宇吉郎 (物理学者)(2009.10.19 防災格言)
 松永安左エ門 (実業家)(2012.08.13 防災格言)
 大隈重信 (早稲田大学創立者)(2010.09.27 防災格言)
 岡倉天心(2009.09.14 防災格言)
 角田浩々歌客 (文芸評論家)(2012.06.11 防災格言)
 防災格言こぼれ話 「火事を待つ人」(ジャーナリスト・朝比奈知泉氏)(2010.07.29 店長コラム)











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今週の防災格言<475> 時実新子 (川柳作家・エッセイスト)
2017.01.23 [Mon] 07:00


『 衣食が何とか足りれば、次に求めるのは
 プライバシーの保てる「住」だ。 』


時実新子(1929〜2007 / 川柳作家・エッセイスト 代表作「有夫恋」)

格言は阪神淡路震災直後に書かれたエッセイ「阿修羅のごとく」(月刊PHP 1995年5月号)より。

曰く―――。

《 呆然自失とはこのことか。書きかけの原稿が気になったが、手につかず、とにかくぼーっと悪夢を見ている感じだった。

二日経ち三日経ち、死者の数はどんどん増えて、何日目かに五千を超えた。五千となると数の感覚がにぶる。百人ぐらいの時がいちばんつらかったように思う。私の知人も三人死んだ。

避難所には人があふれた。寒かろう、ひもじかろう、どんなに悲しく苦しかろうと、胸を錐で刺される思いだ。そのうちボランティアの人たちが続々と神戸に入ってくる。つめたい握り飯と一杯の水を押しいただく人たち。その顔の、何といい顔だこと。人は窮地に立つとこんなにも崇高で美しい顔になるのかと、別の意味で心打たれた。ボランティアの人たちの顔はさらに輝いている。

あまりにも大きすぎる犠牲を払ったけれど、この地震によって、人は、人の情に涙し、また人のお役に立てることの喜びを知った。つかのまにしろ、人間の原点に立ちもどることができたのではないだろうか。

≪中略≫

人間の我慢の限界は二十一日ぐらいだと誰かに聞いたことがある。

事実、避難所の人たちも、あのいいお顔からだんだんと元の顔に戻りつつある。衣食が何とか足りれば、次に求めるのはプライバシーの保てる「住」だ。当然の欲求である。その次には生きる方法を考え、行政に対しても要求を出すようになる。つまり、人間の欲望こそが復興のエネルギーになるのだから、いつまでもいいお顔でいられるわけがない。

しかし、どうぞあの、見知らぬ人が枕を並べ、一個のパンも分けて食べた避難所の日々を悲しみと共に忘れないでほしいと願う。

≪中略≫

大震災にあって、天を恨む気持ちはわかる。不公平な行政のあり方に楯つく心の荒れもむべなる哉と思う。

しかし、私たちは地震という自然の猛威にひざまずき、己の無力を思い知ったのである。忘れかけていた人の情を知ったのである。エネルギーをまともに使って立ち上がり、人間の底力を示す好機だと思うのだがどうだろう。》


時実新子(ときざね しんこ)は、大胆で奔放な作風で一躍人気作家となり、大衆的な現代川柳のすそ野を大きく広げた人物。本名は大野恵美子。
1929(昭和4)年、岡山県上道郡九蟠村(現岡山市東区西大寺)生れ。岡山県立岡山西大寺高等女学校(現西大寺高等学校)を卒業後、17歳で親が決めた姫路の文房具店へと嫁いだ。25歳で新聞への投句をはじめて、28歳の時に川柳界の大御所であった川上三太郎(1891〜1968)に師事。1963(昭和38)年に初の句集『新子』が話題となり、短歌界の与謝野晶子になぞえられ「川柳界の与謝野晶子」と評された。1975(昭和50)年から個人季刊誌『川柳展望』を発行。56歳の時に夫と離婚し、2年後の1987(昭和62)年に川柳研究家・曽我六郎と再婚し、そのときに発表した句集『有夫恋(ゆうふれん) おっとあるおんなのこい』がベストセラーとなった。
1995(平成7)年1月17日の阪神淡路震災では、神戸市中央区の自宅で仕事中に罹災。その時の様子を

『 電気もガスも水も止まった寒い部屋で、まさか神戸や芦屋が西宮があんなに悲惨な状態になっていようとは思ってもいなかった ≪中略≫ つめたいごはんをぬるくなったポットの湯でかき込んでいると、ぱっと電気がついた。 ≪中略≫ それから丸一日テレビに目が釘づけになった 』

と紹介している。
被災体験を共有しようと、夫とともに震災川柳を募り、震災二ヶ月後に句集『悲苦を超えて 阪神大震災』を発表。この年、神戸新聞平和文化賞受賞。翌1996(平成8)年『川柳展望』を人手に譲り、新たに『月刊川柳大学』を創刊。各紙誌の投稿川柳の選者としても活躍し、後進の指導と川柳の普及に努めた。2007(平成19)年3月10日、肺癌により神戸にて逝去。78歳。

■「阪神淡路大震災」に関連する防災格言内の記事
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 阪神淡路震災より18年(2013.01.17 店長コラム)











<防災格言編集主幹 平井 拝>

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今週の防災格言<474> 西川杏太郎 (美術史家 東京文化財研究所名誉研究員)
2017.01.16 [Mon] 07:00


『 昔の知恵はばかにできない。 』


西川杏太郎(1929〜 / 美術史家 東京文化財研究所名誉研究員)

阪神淡路震災は、日本の美術館や博物館の現状を露呈した災害でもあった。
ヨーロッパでは、所蔵品が自国の文化・精神の結晶体と考え都市文化の背骨となる一方で、日本の公立美術館は、ミュージアムが自治体の一施設にすぎない。

兵庫県立近代美術館では阪神淡路震災の当日(1995年1月17日)、学芸員3人を含む7人がかけつけ、転倒・破損した彫刻を収蔵庫に運ぶなどの作業に追われた。展示作品の撤去や収蔵庫の整理は以後数日にわたって続けられたが、余震に備えて彫刻を縛ったり、盗難防止のため作品を隠すなどに手間どり、すべての被害をつかむまでに3週間かかったという。

ただ、自館の復旧に取り組めた館はいい方で、神戸市立博物館では、11人いる学芸員は避難所勤務に動員されたため、しばらくの間、壊れた展示品が放置されていた。
西宮市大谷記念美術館の場合は、被災者の避難所となったため、1995(平成7)年6月4日まで、ピーク時で350人の被災者が館内に寝泊まりした。
兵庫県立近代美術館では、地震の翌日、館を遺体置き場にしたい、という県からの要請を受けた(実際には館が危険な状態だったため断らざるを得なかった)という。

災害時の学芸員の本来の仕事は「自館の資料保全」であることから「それをほったらかしにするのはクレージーだ」と海外の学芸員から非難されたという。

この震災を契機に、「見せる(企画展示)」に走ってきたこれまでの運営から、作品保存や安全な展示のあり方を見直す動きがでてきた。
絵の壁へのとりつけ方、彫刻を安定させる方法など、ちょっとした工夫で被害はもっと軽く済んだのではないか、との反省があるからだという。

震災半年後の夏、文化庁で、被災データを分析し、その対策マニュアルをつくる目的で、学識経験者で構成する「文化財の防災に関する調査研究協力者会議」が発足され、座長には西川杏太郎が就任する。
そして、2年後の1997(平成9)年6月、収蔵・展示・緊急処置の三点について書かれた防災指針『文化財(美術工芸品等)の防災に関する手引』が刊行されることとなる。

格言は読売新聞(1995(平成7)年9月26日朝刊)の記事「文化財:保存・展示に反省点」より。

曰く―――。

《 仏像など古い美術品の被害は思ったほどひどくない。やられたのは江戸以降に修理が加わった作品が多く、それ以前の作では台座に心棒が入っているなど構造がしっかりしていた。昔の知恵はばかにできない。私の博物館勤めの経験から言っても、ガラスケースのなかはクロス張りと板に限るとか、器物はなかに鉛玉を入れて安定させるなど先人の工夫は見直さなければならないと思う。
しかし米国の美術館から日本には震災対策のマニュアルがないと指摘されればもっともなので、今年は現場の生の声とデータをできるだけ集め、来年にはその分析にかかりたい。被災の代償は大きいが、震災の記憶が風化しないうちに対策をまとめていきたい 》


西川杏太郎(にしかわ きょうたろう)は、日本彫刻史、文化財保存学を専門とする美術史家。「書の巨人」と謳われ、書家として初の文化勲章受章者となった西川 寧(にしかわ やすし / 1902〜1989)の息子として東京都墨田区向島に生まれる。
旧制・東京中学校(現東京高等学校)を卒業後、昭和20(1945)年春、慶應義塾大学文学部予科に入学。東京空襲により中学は全焼したため卒業式はなし。大学も日吉キャンパスが帝国海軍に接収され入学式はなかったという。
旧制大学最後の卒業となる昭和25(1950)年9月に大学を卒業すると、翌年、文化財保護委員会(現文化庁)入りし、文化財保護部美術工芸課長、文化財調査官、東京国立博物館次長を経て、昭和62(1987)年に奈良国立博物館館長及び東京国立文化財研究所長となり、東京芸術大学客員教授を歴任。
退官後は、横浜美術短期大学学長、神奈川県立歴史博物館館長を歴任。平成25(2013)年より日本美術院から独立し国や行政の依頼で国宝、重要文化財などの修理を行う「公益財団法人・美術院 国宝修理所」の理事長に就任。
平成14(2002)年、勲二等瑞宝章を受章。主な著書『日本彫刻史論叢』など。

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今週の防災格言<473> スイス連邦政府「民間防衛(1969年)」より[2]
2017.01.09 [Mon] 07:00


『 我々は、あらゆる事態の発生に備えて
 準備しなければいけないと言うのが、
 もっとも単純な現実なのである 』


スイス連邦政府 連邦法務警察庁発行「民間防衛」より(1969年)

「民間防衛」は、永世中立国のスイス政府(国民保護庁)が冷戦時代を背景に1969年、スイス国民の一人一人が、戦争や自然災害など、あらゆる危険から身を守れるようにと各家庭に無償配布された冊子(マニュアル)である。
食料や燃料の配給統制や食糧備蓄、戦争・核兵器・化学兵器への対策や、それらが使用されたときの行動などが仔細にわたり解説されている。

食料を輸入に頼るスイス政府は、第二次世界大戦の時、中立政策を維持したために、周辺の国から食料の輸入が困難になった経験がある。そのため、有事の際に食糧を確保するために小麦を1年以上備蓄し、古くなったものから市場に放出するといった公的備蓄制度が整備された。そして、一般家庭でも食料を自主備蓄することが推奨されている。

■「民間防衛」に関連する防災格言内の記事
 スイス連邦政府「民間防衛(1969年)」より[1](2009.05.11 防災格言)
 スイス連邦政府「民間防衛(1969年)」より[2](2017.01.09 防災格言)
 スイスのパンはとっても不味い(2002.12.16 店長コラム)
 「備えよ、常に( Be Prepared )」スカウト標語(2008.05.26 防災格言)
 後藤新平(日本スカウト運動標語)(2010.4.26 防災格言)
 アンリ・デュナン (国際赤十字標語)(2011.5.2 防災格言)











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