ラテン音楽一口メモ6

September 27 [Tue], 2005, 7:15
<NYラテン>
Puertorico Canta y Baila Myrta Silva wslatino wscd-4264

マータ・シルバは、プエルトリコ出身のニューヨーカーで、
1938年15才の時、地元の劇場で歌っていて発掘された。
次いで39年16才の時、スパニッシュ・ハーレムの作曲家
ラファエル・エルナンデスに見出され、彼のバンドである
クァルテート・ビクトリアで歌ったことでNYとプエルトリコの
テレビ界で大人気となり、その名はラテンアメリカ全域に。
それから後には、キューバのラ・ソノ−ラ・マタンセーラの
ボーカルとなり、その歌唱は後継の大歌手セリア・クルーズ
にもヒケをとらない見事なものだといわれている。それはまた
グァラーチャを中心に、ボレーロ、ボンバ、プレーナなどで
みせるケレン味のない弾けるような歌唱で、ええ感じだと思う。

ラテン音楽一口メモ5

September 24 [Sat], 2005, 0:05
<NYラテン>
Con Los Jovenes de Cayo Daniel Santos Seeco sccd-9078

ダニエル・サントスは、プエルトリコ出身のニューヨーカーで
30年代に音楽活動を始め、40〜50年代にキューバ音楽の
ボレーロやグァラーチャを主に、一世を風靡したトップ歌手だった。
端正な顔立ちと滑らかで気だるい声質でもって、キューバ伝統の
歌い方を手本にしながらもプエルトリコ系らしい際立つ甘い歌唱が
ラテン・アメリカ世界全体の、大勢の人々を魅了し、熱狂させた。
そして初期のクァルテート・フローレスに参加してのもの、40年代の
キューバのトップ・オルケスタだったラ・ソノ−ラ・マタンセーラと共演
してのものなど、魅惑的な作品を少なからず残し、伝説の人となった。
時には、こんな旧き良き時代の、おおらかな音楽を味わってみては。

ラテン音楽一口メモ4

September 19 [Mon], 2005, 0:08
<NYサルサ>
Into The 80's TIPICA73 canta Jose Alberto FANIA JM 592

ティピカ73はその名の通り、1973年にNYで、レイ・バレット楽団
で鍛えられた名プレーヤ−達により結成されたサルサ・オルケスタ。
そしてキューバ音楽志向が強い、エネルギッシュでダンサブルな
演晶で人気が高かった。その有力なバンド・メンバーは、
ピアノにソニー・ブラボ、バイオリンにアルフレド・デラフェなど。
リード・ボーカルはドミニカ出身ニューヨーカーのエル・カナリオこと
ホセ・アルベルトで、その歌唱は濃厚で甘くて渋い味わいだった。
それから後の80年代ソロ活動から現在に渡ってラテン・サルサ界
を代表するスター・シンガーの一人と称される大きな足跡を残した。
ことに1984年ファニアの有力プロデューサーのルイ・ラミレスの元
ピアニストのイシドロ・インファンテたちと一緒に行ったセッションから
生まれたアルバムのノーチェ・カリエンテスは、新しいスタイルという
サルサ・ロマンティカの先駆けだといわれた。このアップビートな曲に
気だるく甘いボレロ風の歌というのは、やや不得手なのだが、大方の
人にはもっともNYサルサらしいお洒落さが味わえ、いいかもとも思う。

終わりの始まり

September 12 [Mon], 2005, 9:47
なんともお粗末すぎて、情けない。

<今朝の秋>織り込みの戯れ句

「純の劇 心も寒むし 今朝の秋」

「今朝の秋 救済ライブ ここちよし」

Musica Cubanaブログのハバナ風信に

「ソンクバノ サルサにルンバ 今朝の秋」

「今朝の秋  ハバナの匂い 懐かしむ」

ラテン音楽一口メモ3

September 10 [Sat], 2005, 0:14
<NYサルサ>
Criollo Willie Colon RCArecords 74321
Top Secrets Willie Colon Messidor 15980

ウィリー・コローンは、プエルトリコ系のニューヨーカーであり、
トロンボーン奏者・歌手・作曲家・そして何よりバンドリーダー
としてNYサルサの立役者の名をほしいままにしている存在。
1967年若干17才でエクトル・ラボーとのコンビでエル・マロ
というアルバムでデビューし、当時流行っていたブーガルーや
マンボなど熱いダンス音楽を展開した。次いで1974年には
ルベーン・ブラデスと組み、汎カリブ・サルサのシエンブラという
名作アルバムなどで、70年代最も人気が高いユニットとなった。
そして80年代の本格的なソロ活動で、このトップ・シークレッツ
などのしっとり感が味わい深い哀愁サルサを披露、人気も定着し
押しも押されぬ大御所的存在となった。だからこそ70年代初め
のサルサ誕生からその歴史を創りながら歩んできた男と称された。
そうして、ラテンアメリカの音楽物語の中で、こう語った、いわく
「ラティーノにとってサルサは自らのアイデンティティを確認するもの」
それはすなわち「サルサは単なるリズムではなく、コンセプトなのだ」

ラテン音楽一口メモ2

September 05 [Mon], 2005, 7:06
<NYラテン〜サルサ>
Lo Mejor Johnny Pacheco ALEGRErecords CDPACD-7011

ジョニ−・パチェーコは、1959年頃ピアニストのチャーリー・パルミエリと
チャランガ・ドゥボネイを結成し、そこで斬新なフルート演奏をおこなうなど
スイング感たっぷりの音楽を生み出していた。次いで1960年頃あらたに
自らのチャランガというバンドを結成しアップテンポで派手なパフォーマンス
を展開し評判になった。それはNYでははじめてというふたりのシンガーを
立てて、バンド全員が踊るという画期的なもので一大旋風を引き起こした。
そして、ついに1964年ファニア・レーベルを創設し、やがてラテン音楽史
に燦然と輝くファニア・オールスターズの伝説のライブの演出(及び出演も)
を手掛け、「サルサ」の生みの親の一人という栄誉な称号で語られることに。
でもまあ、そういう講釈を抜きにしても、「サルサ」誕生期の熱気が感じられ、
少し古めかしい面を差し引いても、聴いてみる値打ちのあるものだと思う。

ラテン音楽一口メモ1

September 01 [Thu], 2005, 6:06
<NYラテンロック〜サルサ>
Latin-Soul-Rock FANIA ALL STARS FANIArecords SLP 470

ファニア・ストーリーのはじまり
1964年、音楽家ジョニー・パチェーコと弁護士ジェリー・マスッチ
キューバ音楽を愛していたふたりがファニア・レーベルを創設した。
そしてファニアはラテン音楽史上、最も影響力の大きな存在になり
キューバ音楽のエッセンスを、NYのラテン社会にふさわしいような
「サルサ」という音楽へと、練り上げ、成長させ、発展させていった。
1971年、クラブ・チーターでの歴史的なライブで、「サルサ」という
音楽のスタイルは確立された。そしてそのサルサ熱を世界各地に
伝えたワールド・ツアー、各メンバーのソロ活動での大活躍などで
ファニア・オールスターズの誕生と成長はラテン音楽史のなかで、
最も大きな出来事だったといわれた。NYラテン・サルサの黄金期
の大いなる母船であり、現在のさまざまなサルサの原点となった。

主な参加アーティストは、
ジョニ−・パチェーコ、ラリー・ハーロウ、レイ・バレット、
ウィリー・コローン、エクトル・ラボー、イスマエル・ミランダ、
チェオ・フェリシアーノ、ルイ・ラミレス、ボビー・バレンタイン、
そしてグァラーチャからサルサの女王へのセリア・クルーズ、
その他多数のゲストと、もうそれは目も眩むばかりの陣容だった。
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