やっとSUITE HABANA

May 28 [Sat], 2005, 20:09
映画<永遠のハバナ> フェルナンド・ペレス監督

本日5月28日(土)関西での上映初日に駆けつける。
整理番号20番で、ぎりぎり運よく、チェ・ゲバラ・コインを手に。

※ハバナの普通の人たちの
 なにげない、ありふれた一日の活写
※これこそ、現実そして夢
 それ以上でも以下でもない
※語ることなく音楽も控えめ
 ただ観るだけでいい、思いを寄せるだけでいい

☆このいわばハバナ・グラフィティともいえる映画が
 できるだけ大勢の人に観てもらえることを切に願う。

★ウィトゲンシュタインのいう
 <世界とは出来事たる一切である>
 この論考を通じてみた自分流の映画の一系譜

 54年イタリア 道 フェデリコ・フェリーニ
 57年ポーランド 灰とダイアモンド アンジェイ・ワイダ
 60年フランス 勝手にしやがれ ジャン・リュック・ゴダール
 62年スエーデン 野いちご イングマール・ベルイマン
 73年アメリカ アメリカン・グラフィティ ジョ−ジ・ルーカス
 03年キューバ 永遠のハバナ フェルナンド・ペレス

キューバ音楽一口メモ48

May 22 [Sun], 2005, 17:32
De Bayamo a Pinar del Rio Orquesta Riverside TUMBAO TCD109

オルケスタ・リベルシーデ(リバーサイド)は1939年頃にハバナで
結成されたチャランガ編成楽団がはじまりで、やがてサックス奏者
のペドロ・ビラをリーダーに、有名な即興歌手でハスキーヴォイスの
ティト・ゴメスをカンタンテに、ゴージャスでスイング感溢れる音楽の
スタイルを築き上げた。そして51年〜59年にかけてラジオテレビの
音楽畑の大立者だったアドルフォ・グスマンが指揮した4chTV番組
へのレギュラー出演や華やかなナイトクラブ・トロピカーナへの毎週
の出演で、幅広い年齢層に支持され、人気を高めた。そういう中で
バンダ・ヒガンテ、オルケスタ・アラゴン、オルケスタ・アメリカなどと
並ぶビッグバンドの最高峰と謳われたが世評は低いままに甘んじた。
本作は53年〜59年の絶頂期のもので、まずまずのものと思われる。

キューバ音楽一口メモ47

May 17 [Tue], 2005, 6:32
La Cubanisima Orquesta Aragon EGREM TKF CD-18

オルケスタ・アラゴンはチャチャチャのトレンド・セッター(流行発信者)
そしてチャランガ編成バンドの最高峰と称され、世界的人気を誇っている。
1939年シエンフエゴスで、著名なバイオリン奏者オレステス・アラゴンに
よって結成されたのが始まりで、やがて1946年リード・バイオリン奏者の
ラファエル・ライがバンドを引き継ぎ、さらに1955年名フルート奏者だった
リチャ−ド・エグエスが加わり、双頭リーダー・コンビとして率いたことで、
心地よく滑らかなスタイルと独特の存在感を確立し地歩を固めていった。
そして優雅な演唱の伝統を底流に、大御所と呼ばれるようになってからも
若いメンバーを加えつつ、現代的なグルーブ感やスピード感を前面に出した
音楽活動を続けている稀有な存在である。本作はリチャード・エグエス自選
のベスト盤で時代を彩った名曲名演を堪能できる秀逸なものだと思われる。

キューバ音楽一口メモ46

May 11 [Wed], 2005, 9:53
La Reina del Bolero Olga Guillot Fuentes D16255

オルガ・ギョーは、40年代から50年代にかけて
グァラーチャの女王と称されたセリア・クルーズと同時期に、
ボレーロの女王として名を馳せたキューバの歌姫といわれる。
そしてビーハイブ(円錐形に結った髪型)がトレード・マークで、
まるでオペラ歌手のような豊かな情感と貫禄たっぷりな歌唱
で人気を誇っていた。本作は全盛期のキューバン・ボレーロ
の神髄が詰まったもので、そのテンポのゆるさを差し引いても
その演唱の華やかさや優美さで一聴の価値があると思われる。
ただ今ではベニ−やリタ同様、記念品的なものと思うべきものか。

キューバ音楽一口メモ45

May 05 [Thu], 2005, 6:34
Funcion de Gala con Rita Montaner aro CD-118

リタ・モンタネルは1900年生まれで、まだ女性の進出が
認められなかった1920年代に、ソプラノ歌手として初めて
登場し、その反逆的なパフォーマンスを披露し驚かせた。
1927年ママ・イネスという猥雑なアフロ・ソンをダイナミック
に歌い、最初のヒット曲を生み出した。そして1930年には
より開放的なパリのレビューに出演し、さらに1931年には
ブロードウェイミュージカルに出演しながら、モイエス・シモン
が彼女のために書いた曲のエル・マニセロの最初の録音を
行い、後の世界的大ヒットとキューバ音楽ブームの礎を作った。
その後1940年代後半にはハバナのキャバレートロピカーナで
1950年代にはラジオ・テレビで、全ての世代に人気を博した。
1963年になってリタはベニ−・モレーと相前後してこの世を去り
同じように国葬(国民葬)に付されキューバは一斉に喪に服した。
本作はベニ−のもの同様、もはや記念碑的作品と割り切るべきか。

キューバ音楽一口メモ44

May 03 [Tue], 2005, 7:21
Asi Es ---  Beny More DISCUBA DCD-541

ベニ−・モレーの枕詞のような尊称
<エル・ソネーロ・マヨール>(最高のソン歌い手)
<エル・バルバーロ・デル・リトゥモ>(リズムの魔法使い)
史上最高のボーカリストとも、真のアイドル・歌うヒーローともいわれた
彼は1919年キューバ東部で生まれ、1963年44才でこの世を去った。
そして国葬(国民葬)に付され、旧き良き時代は終わったといわしめた。
1945年コンフント・マタモロスのリードボーカルとしてメキシコに渡って
頭角を表し、ペレス・プラードとの共演で開花し、世界的名声を博した。
その後キューバに戻り、自身のバンダ・ヒガンデを結成し活躍を続けた。
その大きな功績や世評に異論はないのだが、さすがに今となっては
旧くさい面が否めなく、やはり記念碑的なものと思って割り切るべきか。

キューバ音楽一口メモ43

May 01 [Sun], 2005, 7:48
La Pulidora Septeto Santiaguero NUBENEGRA INT32662

セプテート・サンティアゲロは、ソンの本場といわれている
サンティアゴ・デ・クーバから登場した新進気鋭のバンドで
なにやら疾走系トラディショナル・ソンのグループと称される。
これは草創期の偉大な先達であるセプテート・ナシオナルの
メンバーで作曲家のラピンディ(マルセリーノ・ゲーラ)に、
捧げたものといわれる。そして彼の数々の名曲を若手らしい
スピード感と絶妙なハーモニーで演唱することで、なんとも
いえない哀愁の味わいを醸し出しており、その生きの良さ
と勢いがなかなかのもので、ホベネスに次いでと思われる。
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