お帰りなさいの御挨拶 

2004年11月27日(土) 23時04分
やっとの事で帰ってまいりました。藍色の御二人がしかと帰郷いたしました。道中色々な事が御座いまして、もう、散散に疲れきった顔をしていらっしゃる事この上ない。御二人とも自分の音を見極め直して帰って来られたのでしょうか。其の点は私が申し上げる事では御座いませんので、御二人にお任せいたしましょう。さて、最終日でした。一欠けらも観光という文字の現れなかった御二人に、一つ、好いロケーションもある『ハウステンボス』巡りをプレゼントさせて頂きました。あのようにお疲れきった御二人が、ええ、何故そこまで?!と云う疑問が私の脳内に巡りました。あちこち走り回っては私の高性能写真機を奪い合い撮りあいの大騒ぎで御座いました。なんとまあ、先日日録に書き上げた通り釣りゲームに嵌っている御二人はハウステンボス内に流れる川に泳ぐ鮒を見つけ、「記念写真!記念写真!」とのたまいながらバシバシ撮り捲ること。「何センチかねぇ?」「社交ポイント幾つあるかねぇ?」等と、私の知る由もない言葉を発していた・・・・。私の立場など皆無に等しいものである。やはり、そう来るか、除者か!!と言いたくなる口を押さえ込みながらの写真撮影inハウステンボスであった。帰りの飛行機内では言わずもがな、RYO殿がスパイラル云々と延々飛行機談義。ええ、私も疲れました。初めてこの様に長い時間お二人と過ごしましたが、何か、扱い方が解って来てしまった様な気がする自分が恐ろしくて堪らない。ええ、ますます「知ってしまった。」訳です。しかし、何よりも無事帰って来られた事、存在の有無もわからぬ神に感謝といったところでしょうか。

諸事情と言い訳 

2004年11月25日(木) 14時31分
本日一日、いろんなスケジュールがかみ合わず、一日つぶれてしまうことになった。もてあました藍色のお二人と私は、四ヶ町商店街をふらついた。此処のアーケードはどうやら日本一長いアーケードで有名の模様。伊藤女史は「走ったら、きっと心臓が死ぬ!」といいつつもどかどか走っていらっしゃった。元気である。路地裏に入って鬼ごっこをしてみたり、私にはついていけません。はい。私は、この辺を見知っているので、さほど珍しいものも無かったのだが、此処を知っているはずのRYO殿も伊藤女史にのっかってばたばた走り回っていた。お二人とも、恥ずかしげも無く大声で歌を歌い、私は心の中で”どうか知り合いに会いません様に”と一身に神様に願い続けていた。その途中、ストリートをやっている歌い手さんがいて、お二人に拍車をかけた。写真は勝手に取るわ、一緒に歌うわで、私も笑うしかない。しかし、その方に話を聞いてみるとSANDYTRIPのVoの西村歩美女史(RYO殿の古くからの友人でともにバンドをやっていたこともあるこちらでは大変有名な御仁)とお知り合いの方で、意気投合し話が弾んでいた。キイチロー様(22)と仰るその方にお会いする前に、お約束の如くCDSHOPに足を止め各々のお買い物をしRYO殿はSANDYTRIP様のCDを購入されていたところなので、何たる偶然と、キイチロー様(22)に大いに絡んでいた。遠く九州まで来てお友達ができるということは、とても嬉しい事です。お二人とも上機嫌で何よりでした。そして、このアーケードを歩いているさなかネカフェを見つけて、日記更新だ、と迷わず進入し、今に至ります。明日は早起きをして(勿論目覚まし係は私です)十穀ご飯を食べ、外でのロケに励みます。皆様、お二人がしっかり起きてくれることを、祈っていてください。私の力だけでは到底無理でございます。さ、そろそろ帰って、一杯お二人とやりましょうか。

常に寝坊の図 

2004年11月24日(水) 22時49分
本日は「どんだけだよ!」と私が申し上げたかった。お二人とも私の電話にも呼びかけにも気が付かず、夢の中で跳ねるわ飛ぶわの大はしゃぎであったのではないかと思われる十二時に昼食を、との約束を、ひた忘れお二人が起きていらっしゃったのは午後二時である。3時までのランチタイムを逃したらば、ホテルでの食事はもう取れないというのに、はた迷惑な話である。日々、撮影も好調に進んでいるとはいえ、今のうちに素材をどんどん増やしでいかねばならないのに、全く、如何なものか。しかし、初ランチであったが、自然食をふんだんに使ったレストランでバイキング形式であり、特に自然食を好む伊藤女史にとっては願ってもない場所であった。十穀入りご飯が御気に召した様で、伊藤女史は「りんご100%と十穀ご飯しかいらない!」とお一人でブツブツと仰っていた。伊藤女史、それでは自然食で栄養満点名食事の意味がありません。
それから三人で部屋に戻り、この後のスケジュールの打ち合わせにいそしみ、それだけで、多くの時間を使ってしまった。私も、RYO殿も話していくうちにどんどん九州弁になり、伊藤女史だけ「どうせ仲間はずれですよ、、、。」と拗ねていらっしゃった。小学生の子供じゃないのですから、勘弁していただきたい。拗ねるのも飽き飽きした様子で、ホテルの中のわたしとRYO殿の様子を、無駄に写真を撮っていらっしゃった。
その打ち合わせの中で、もしかしたらば天神に足を伸ばせるかもしれないという話を聞きつけ、伊藤女史は兼ねてから九州に行ったらば天神を彷徨いたいと仰っていたので「ええ、本当に?!」と一人で、きらきらしていらっしゃった。
今日は明日のために早く休むということになり、私はそれぞれの部屋から自室に戻ることになった。スケジュールをまとめ、元気な私一人でのみにでも出るかと、支度をしていたところ、復活した伊藤女史から恐怖の電話がかかってきた。「飲むぞ〜!!」と、との一言で伊藤女史の部屋に行くと、伊藤女史はなんと言うことか、バスルームで日本酒のビンを片手に飲んでいらっしゃるではないか。「RYOがあっちで飲んでるから、一緒にのみ♪おつかれさ〜ん♪」とだけいわれ、私はRYO殿の元でビールを飲み始めた。「酒乱には困りますな。」とRYO殿と意気投合し、初めてのお酒を酌み交わした。長崎の夜は、楽しいものだ。

祝日の祝 

2004年11月23日(火) 22時11分
本日十一月二十三日、羽田より伊藤女史、RYO殿と私は本州を越え海を越え、長崎に旅立った。空は快晴、RYO殿の航空薀蓄も冴え渡っていた。空港に入る前のタクシーの中、いや、もう既に長崎に飛行機で発つと決めた時から、RYO殿の飛行機談に塗れていたので、羽田に着いたらば、どのような事態になるやら、と懸念していたらば、案の定だった。滑走路のよく見渡せる搭乗待ちのベンチで待っていたのは雨霰とばかりに降り注ぐ、言わずもがなの航空薀蓄であった。伊藤女史は煙草、やら、お昼ごはん、やら、お散歩等と言って、一人遊びに花を咲かせているために、RYO殿のターゲットは私一人に絞られ、もう、蜂の巣になるほど狙い撃ちをされた。でも、申し訳ありません、何一つ頭に入っておりません。勿論飛行機の中でも勢いは止まらずであったが、伊藤女史の落書きがはじまり、それもまた止まることを知らないのでRYO殿も気おされていらっしゃいました。しかし、何が面白いというと、そんなに飛行機のことに詳しいRYO殿ですが、飛行機に乗るのが苦手で、不安でたまらなかったらしく、ランディングのときに少し失敗をしたのがわかったときには、涙ちょちょ切れていた模様です。
いや、しかし、長崎というところは私もRYO殿も故郷である訳ですが、徐々に言葉が戻っていきますね。そして、変わった所、変わらぬ所、懐かしい思いでいっぱいでした。東京に出てきてからは、随分長いこと帰っていなかったものですから伊藤女史を差し置いてRYO殿と二人地元話に花が咲いてしまいました。
ついた後は、お世話になるところへのあいさつ回りをする予定であったが、もう既に先方がホテルまで見えていて、滞りなくスケジュールをこなしていった。
夜には中華料理を、皆さんと召し上がったお二人は紹興酒もお召しになって、ほろ酔いで帰路に着き、旅の疲れを癒されていました。
そういえば、飲みにいくという計画、忘れてはいまいか、、、

久々の会合 

2004年11月23日(火) 3時58分
伊藤女史が二週間休み無しの仕事、練習、ライブと多忙を極め中盤から熱まで上げてしまい、一日遅れの東京入りとなったが、何とか3人で打ち合わせを開く事が出来た模様。湘南新宿ラインで恵比寿に乗り付ける伊藤女史を先に事務所に来ていた私がお迎えに上がり、改札口から出てくる伊藤女史に開口一番「スッピンも見慣れましたわ。」とお声をお掛けしたのは昨日の11時過ぎだった。そんな私の第一声に「どんだけだよ!」と昨今流行の若者言葉で対応しる伊藤女史を見て、全快ではないにせよ大分お体の方も良くなって明日の長崎ロケに迎えるなと一安心した。
それからRYO殿の生息するマンションに向かったのだが、一番心配であった"電話何ぞで起きるわけがないだろうが事件”も起こらず、伊藤女史も私も放置されずに無事、RYO邸に家宅侵入を果たした。そろそろ放置プレイも飽き飽きしていた所なので、伊藤女史は狂喜乱舞、まではいかなかったが、御機嫌に歌を歌いながら足を進めていた。
無事にロケスケの打ち合わせも済み、私は先方との打ち合わせもし終えて戻り、時間も未だ遅くはないので「前夜祭でも・・・」と言いかけたのだが、そのような私の言葉はお二人の耳には届かず、最近お気に入りの釣ゲームで大ハシャギしていらっしゃった。

あの、作業場のパソコン、二台しか常備していないのですけど、、、
残念、、、

ロケスケの行く先。 

2004年11月13日(土) 4時46分
今月末に行く、長崎でのロケスケを完璧に、もう其れは烈火の如く、藍色のお二人に叩き付けて遣ったのは、本日の午後十一時頃であろうか。もう、そんなに吃驚しても、ビックリ大賞等貰えないのだから、しなくてもよいという勢いだった。流石は藍色の傍観者だ、と自負してもいいでしょう。23日から27日まで、なんと、交通費・宿泊費込みでお一人様53300円という格安パックでご提供です。伊藤女史、RYO殿、納得いただけたでしょうか・・・・
私、これ以上の尽力はできません。未だ、飲みに行っていなくても、奢って頂けてなくても、私、最大限の努力をいたしました。
後ほど、詳しい日程などを立てた書類をお渡しいたしますが、伊藤女史も、RYO殿も、報告の際にかなりエキサイティングしていらっしゃって、もう、煩い位でした。其の元気があったらば、チケやホテルを予約するのを手伝ってください、伊藤女史、、、
長崎ロケスケの話は、また、後ほど詳細をば。

そして、最近の藍色ですが、伊藤女史がまた何時もの通り突飛な発言をなさって、それで一番お困りなのはRYO殿です。なんと、「RYOもあたしと歌え勅命」が伊藤女史より勧告され、RYO殿の困惑といったらもう、泣き出しそうな程でした。代わりに私が歌おうか、といいたいところだが、そこはぐっと、堪えて我慢。可愛い子には旅をさせろ、可愛いRYO殿には歌を歌わせろの言葉の通り、私は、肩をたたき、「あなたなら大丈夫です」と、一言申し上げてみました。心を鬼に、発言も鬼、、、、な訳がないですが、お二人のデュエット私も、楽しみに思っております。

復帰後初レコーディング 

2004年11月06日(土) 23時48分
本日はお昼から、藍色のお二人はレコーディングに勤しんでいらっしゃいました。藍色スタヂオでの復帰後初レコーディングは取敢えず、機材共の世話から始まり、RYO殿がせこせこCHECKしてらした。その後オケ作りでもう、PCの前にRYO殿あり!といわんばかりの状況であった。一方、伊藤七女女史の方は機材関係にはさっぱりで、サブ機で頁の更新。其れでも時間が余っているようで、お連れの猫様と戯れていらっしゃった。RYO殿が忙しいときは、傍観者である私が伊藤女史の恰好のターゲットになるわけです。其れでもお暇そうな伊藤女史に歌の練習を勧め、そそくさと足早に逃げたのは紛れもないこの私ですが、其の後に伊藤女史に「邪険にしましたね?」と責められたのも、この私なので不問にして頂きたい。

そんな経緯もありつつ、レコーディング突入。
しかし、始まってすぐ、伊藤女史が不調を訴え、もう、泣きそうな顔をしながら「どうしよう、、、」と泣きついていらして、何とか、レコーディングは終了したものの、しばらくの間、物憂げな感じで座っていらっしゃった。其の間、RYO殿は最終ミックス・・・・・・と思いきや、今度はPC様様がご機嫌七女、ソフトがうまく動かなくなってしまった様子でRYO殿も倒れそうであった。5袋目の鎮痛剤に手を伸ばした時には、もう相当トリップしていただろう。お二人とも、終盤は流石にもう、無理だ、、、と言う表情が隠せなかった。ここ数日、私に鞭を打ちすぎた罰だと傍観者は思いつつ、初レコーディングを無事見届けました。

でも、音源アップは勿論楽しみです。さて、あれが、どう仕上がるでしょうか。

そういえば、今日は居酒屋でお酒を頂くという話をしていたのだが、奢りだと言うから終わるまでお待ちしていたのに(いや、其れが仕事なのだが)、結局行かず終いです。何時奢って頂けるのでしょうか?

傍観者 所信表明 

2004年11月06日(土) 5時47分

私は、藍色蝶々の日々の活動を常に傍から眺めている者です。このページでは、藍色蝶々の日々の活動について、傍観者というアングルで、こぼれ話をほぼ毎日書き綴りたいと思います。

 が、ほぼ毎日書き綴ることなど不可能だということは、皆様がよくおわかりのことだと思います。それでも書き続けていくのです。文章の最後にオチをつけることとともに、これはもう私の業だと思っています。温かく、見守ってやってください。


早速本日、と云うよりも此処最近の藍色のお二人に関して、書き綴ってゆきましょう。
伊藤七女女史が江戸に到着なさって数日、殆どの時間を引篭もってらっしゃるところしか
傍観しておりません。
初日はRYO殿の馴染み深い「東京事変・遭難」のコピーに勤しんでおり、伊藤七女女史は
歌唱の練習をなさっておりました。
お二人とも休養前に比べ、お互いの上達が垣間見られると
モチベーションも上がり、テンションもいい感じになっていった様。

二日目になると、何故だか行き成り思い付きの様に(と言うよりも完全に思い付きであるが)
青山にあるAMPプロダクションの事務所に車を走らせ、PCとPC周辺機器を持ち去り、
自宅作業場で「LANを組んでネットワーク構築だ!!」と騒ぎ立てながら作業をしていらっしゃった。傍目では誠に滑稽な限りであったが、楽しそうだったので、その場は私も温かい目で眺めて居りました。

しかし、全くもって時間が不規則であり、私のついていけない時間まで作業やら、演奏やらとなさるので、
余り、鞭打たないでくれと、叫びたいのも山々であったのも否めない状況。

長い長い休養をあけたお二人は、やる気十分気合十分元気ハツラツ。
私も、食いっぱぐれずに済むようです。
今月はお二人の長崎遠征にもお邪魔する予定なので、予定を立てる段階から
私もしゃしゃり出てみようかなと思います。
傍観者兼カメラマンは大忙しの日々です。

皆様、此れからの藍色蝶々、長い目で見守ってやってくださいませ。
光る揃いのものたちと、お二人は暗中模索、とはいえ
猪突猛進中で御座います。
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