尊厳死について 

2006年05月13日(土) 18時31分
今日は尊厳死について考えます。
こどもニュースで取り上げられていたので。

私は、そういう時が来たら尊厳死を望む。というのは、ただ単に自分が機械をつけてまで生きたくないし、そういう意思を尊重して欲しいというものではない。一周してこの結論になった。正直、私がもしそういう時が来たら、延命するかどうかは家族に決めて欲しい。その時点で意識は無く、痛みなども感じてないと思うから(そうじゃない場合もあるのかな?)、自分の意志なんてものより、家族の意思を大事にしたい。家族がまだ生きて欲しい、死んで欲しくないって思うなら延命続行だし、機械に繋がれてまで生きるのは酷だと思うなら延命中止だし。でも実際、家族はそこですごく葛藤すると思う。やっぱり私の意思を知ってるのと知らないのでは全然違くて、かなり辛い選択をさせると思う。どっちの結論に至ってもそれからずっと「これで良かったんだろうか」って悩み続けることになってしまうだろうし。家族には「これでよかったんだ」ってスッキリした気持ちで私とお別れして欲しいから、やっぱり私の意思を残しておくべきだと思う。その意思っていうのが「尊厳死」。私の意思であれば別にどっちでもいいんだけど、延命治療をして生きるほどこの世に固執してるわけではないし、機械をつけて呼吸してる姿っていうのはなかなか恥ずかしいから。こんな理由で十分じゃないかなぁ。

「尊厳死が法制化されれば、尊厳死が当たり前っていう雰囲気ができてくる」って番組では言ってたけど、必ずしもそうではないと思う。尊厳死=個人の意思だから、要は法制化されることによって個人の意思が尊重されるようになるってこと。だから延命治療もひとつの個人の意思として問題なく受け入れられると思う。でも中には「尊厳死こそ人間の意思」と言わんばかりに尊厳死を押し付ける人が出てくると思うから、世の中には「尊厳死を望む人もいるし、延命を望む人もいる。人それぞれ」っていう考え方が必要だと思う。そのためにも、ドナーの意思表示カードのように書面で残せるようにするべき。普及するかわからないけど・・・。

本当に難しいです、この問題は。この問題に正しい答えっていうのは存在しないから、だからこそ、個人が各々の意思をきちんと考えて、表示していくことが大切だと思う。

米、人権侵害と憂慮 

2006年03月25日(土) 21時19分
アフガニスタンでイスラム教からキリスト教に改宗した男性(41)がイスラム教を棄てた罪に問われていることに米政府が「人権侵害」として強い憂慮を示している。米国が民主化実現を期待して後ろ盾となっているアフガンのカルザイ政権下で、イスラムの教えに沿い、棄教を理由に死刑判決が下される事態を嫌うからだ。
AP通信によると、この男性は聖書を所持しているところを警官に見つかり逮捕され、16年前に改宗したことを認めた。
アフガン関係筋によると現在の憲法は人権尊重を打ち出してはいるものの、イスラム教徒が信仰を棄てることを禁じるイスラム法も尊重するとしている。裁判で有罪になれば死刑の可能性もあるという。
ブッシュ大統領は22日、「我々の手助けによって解放された国で、宗教の選択を巡り人が拘束されているのは極めて困った事態だ」と発言した。

読売新聞(3/25)

はじめましてこんばんは。 

2006年03月23日(木) 20時34分
今日からブログ始めます。
とは言ってもただ単に日記を書くだけじゃつまらないので、
気になった新聞記事をピックアップして、その感想を綴るというブログにしたいと思います。
新聞読む良いきっかけになりそうです。
今も新聞は読んでいますが、内容すぐ忘れてしまったりするんですよね。
記憶に留めておくためにも、こういうブログをつくりました。
いつまで続くかわかりませんが、あたたかく見守って頂きたい。


意見などあればお聞かせください。コメント大歓迎です。
(って誰が来るんだ・・・)
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