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May 28 [Thu], 2009, 21:14
小さいころから、なりたくてなった職業。
でも、迷いもある。

最近、自分には教師が向いていないのだと・・・。

「教師とは、何を教えるかを決めるものではなく、どう教えるかを考えるもの」
だと私は、思う。
教える内容は、指示されている。
でも、学校によっては教える内容さえ決めているところもある。
現に、私が教壇にたたせてもらっている学校がそうだ。
たかが、4年の知識量で何を教えるかまでは、決めることなど
できるはずがない。
一生かかっても、無理だと思った。そう考えたときに感じたのだ。

コンピュータの危険性についての講義で、
複数のウイルスの代表例をあげ、感染経路などを詳細に指導した。
確かに、危険性を理解させるには効果的かも知れないが、
幾分やりすぎを感じた。
計画を練ったのは、学校に機材をおろしている企業から派遣された
人間だからだ。

経済界の一線で働いている人間を現場に入れることは、問題ないと思う。
彼らが持っている、知識は新卒よりも深く、最新だと思うからだ。
しかし、指導要領から逸脱するのはどうだろうか。
「教師とは、何を教えるかを決めるものではなく、どう教えるかを考えるもの」
と、考えている私にとって大きな疑問を抱いた。

インターネットの犯罪に巻き込まれている多くの被害者は
中高生だといわれている。
それを考えれば、当然の指導計画だと思うが、内容が深すぎでは
ないだろうか。

「教科 情報」と聞いたとき、
多くの人が
「PCの使い方を教えているんでしょ?」
と答えるだろう。
生徒も似たような認識の下で授業に臨む。


多くの教員がPCの操作方法を教えるのは、
・大学にいって困らないように
理由だと聞いた。

実際に現場に立ったとき、致し方ない事実なのだと実感した。
教材を作るのに困ったとき、周囲に資料がないのだ。
本屋にいって驚いた。
「教科 情報」に関する授業教材補助のような書籍が
極端に少ないのだ。
これでは、知識に不安のある教員は専門書をあてにするしかない。
でも、あくまでも専門書は専門書。
教育のレベルまで落とすのに、膨大な知識が必要になる。
さらに、指導要領を逸脱しかねない。
それを考えると、PCの操作方法に偏ってしまうのは
致し方ない気がした。

たとえば、「情報を表現しよう」という分野が
あったとする。
・文章処理ソフトの操作方法を教える
・表計算処理ソフトの操作方法を教える
・プレゼンテーション用ソフトの操作方法を教える
それぞれの機能を使って、情報を表現する。
これが多く用いられる展開だと思う。

ここで、評価基準を考えたとき観点が問題になってくる。
PCの操作方法を交えた授業展開ならば、
どんな機能を、どう活用して、どれくらいの頻度で使っているのか。
この場合なら、指導した内容を理解しているか評価はしやすい。

PCの操作を指導せず手作業で行った場合、観点はどう設定するのか。
一番に思いつくのは「見易さ」だと思うが、
人の意思に左右されやすくなってしまうと思う。
その上、その観点は、どんな状況でも正しいといえるのか。
そうでなければ、生徒が混乱してしまう。
その観点を、確固たるものにするために資料を探し、
専門書に行き着き、教育のレベルまでに落とす。
悪循環の始まりだ。

だから、PCの操作方法を交えた授業展開が
多く取り上げられるのではないのかと思う。


現場で、ギャップを感じながら働くなら、
企業で最新の技術を身に付けながら
上を目指していたほうが割りにあう。

そう語った、友人の言葉を思い出した。


分野の内容が10あったとしても
10以上知って、1教える。
それくらいの勉強が必要。
1の部分は、指導要領に記されてる。
10以上身に着けた知識は、指導要領の内容を教えるための
材料なのだ。
教師は、何を教えるかを決めるものではなく、どう教えるかを考えるのもの

こう、思うのはきっと生意気なのだろう。
何も知らない、新任だからこんなことを思ってしまうのかもしれない。
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