さらにフロイス 日本史を読んでみた

October 28 [Wed], 2009, 2:06
こんな一説がでてくる。

和田惟政(わだ これまさ)※1がキリスト宣教士(伴天連、バテレン)等の為に、弁許状※2を貰おうと、信長に謁見し、銀の小判10枚を貢物として差し出した。

そこで、信長は笑い、予には金も銀も必要ではない。伴天連は異国人であり、もし予が、彼から教会にいることを許可する弁許状のために金銭の贈与を受けるならば、余の品位は失墜するであろう、と語った。その他、彼は和田殿に向かい、「汝は予がそのように粗野で非人情に伴天連を遇すれば、インドや彼の出身地の諸国で予の名がよく聞こえると思うか」(と言い)・・・


「インドや彼の出身地の諸国で予の名がよく聞こえると思うか」
ああ、信長が、ここに居る。多分、当時の日本では、信長以外、誰も言えない台詞ではないか。
「我は日本の信長にあらず、世界の信長ぞ!」という声さえ聞こえてきそうだ。
インドだろうと、ヨーロッパだろうと敬われる、そんな世界に冠たる君主が自分である、との信長の思いが、この一言に詰ってるような気がしてならない。

この一説を読むに、当時、大航海時代を実際として理解した数少ない日本人、それが信長だったのだろう。だが、彼は、大航海「する」側の国ではなく、「される」側の国に生まれてしまった。つまり、世界に向かって帆を掲げると、異端児扱いされる国に生まれてしまった。
その事が、信長を時代の先駆けの英雄にした。同時に、時代の産みの苦しみを背負う生涯を歩まさせもした。

ともかく、もう少しこの本は手放せそうに無い。

<ウィキペディアより抜粋>
※1
和田惟政(わだ これまさ)は日本の戦国時代の武将。室町幕府末期の幕臣である。惟政はキリスト教を自領内において保護したことで知られ、イエズス会の宣教師であるルイス・フロイスが織田信長と会見するとき、その仲介役を務めたという。さらに、畿内におけるキリスト教の布教にも積極的に協力した。しかし、惟政自身は洗礼の儀式を受けることはなく、戦死してしまったために、その死をフロイスは大変嘆いたという。

<根拠適当、間違ってても知らん>
※2
大名が与える特別な許可書、今回はフロイス等キリスト宣教士が領内で自由に住める事や無税特権(実質は労役免除)を得る許可書をさしている。
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