ゴッホの精神のありよう

January 06 [Thu], 2011, 14:04
・・・このように、ゴッホの肖像画は、他人も自分も、時として残酷な感じがするほどむき出しに示してしまいます。


画家自身がなまなましく感じてはいても、はっきりしたかたちで意識していないものまで示してしまいます。


それは、いわゆる肖像画ばかりではありません。


彼は末の妹のウィレミーンにあてた手紙で、『郵便配達夫ルーラン』や『少女像』など今かかっている肖像画について語りながら、


「ぼくはしょっちゅう同じものを求めているのだ・・・ 肖像画即風景画、風景画であり肖像画でもあるわけだ」


・・・と述べています。


こういう発想は、いわゆる風景画家のそれとは、ずいぶん遠くにあると言うべきでしょう。


彼は、アルルに来て間もない頃、くりかえし、アングロワのはね橋を描いています。


また、6月には、地中海岸のサント・マリー・ド・ラ・メールに1週間ほど紀行して、沖にゆれ動く船や、砂浜に引きあげられた船を描いています。


いずれも、明確な線と浮世絵風の構図法によって、南仏の乾いた空気や透明な色彩をあざやかに表現したすぐれた作品です。


しかし、属目の風景を造型的に処理しただけのものではありません。


このような題材や構図の選択そのもののなかに、ゴッホの精神のありようが濃厚にかげを落しているのです。







<美術愛好家>久保雅文

『ひまわりを描くゴッホの肖像』

January 05 [Wed], 2011, 14:03
「坊主の像」ということばのある手紙の少しあと、ゴーギャン到着の直前に書かれた手紙のなかで・・・


ゴッホは、自分が今、栄養をたっぷりとって、しばらく描くのを止めなければ、狂気におちいってしまうだろう、と述べています。


そして、


「もしも、ぼくが修道僧であり画家であるといった、いわば二重の性質をもっていなければ、とっくの昔に、完壁に、そういう破目に追いこまれているだろう」


と言うのです。


この自画像は、ゴッホのなかのそのような本質的危機をも、すでにおそろしくあざやかに表現してしまっているようです。


さきに引いた手紙で、ゴッホは、自分の自画像も重苦しいがゴーギャンのものほど絶望的ではないと述べていました。


しかし、やがてアルルへ来たゴーギャンが描いた、『ひまわりを描くゴッホの肖像』を見て、


「これはたしかにぼくだ。だが、発狂したぼくだ」


・・・と語るのです。




<美術愛好家>久保雅文

描くことで認識する

January 04 [Tue], 2011, 14:02
一方、おのれの自画像の動機については


「肖像画のなかで自分の個性を強調することが許されるなら、ぼくは自分の肖像のなかに、自己のみならず印象主義者一般をも表わそうと努めた。


従ってぼくはこの肖像を、永遠の仏陀の素朴な崇拝者である或る坊主の像だと考えている」


・・・と述べています。


そして、両者を比較しながら、


「ゴーギャンの構想とぼくのとを比べてみると、ぼくのは同じように重苦しいが、それほど絶望的じゃない。


ゴーギャンの肖像をみていると、こんな状態を続けてはいけないし、心を和らげ、『黒人女』時代のもっとも豊かなゴーギャンに帰らねばならない、という感じがしきりにする」


・・・と言うのであって、このような彼のことばを読むと、彼においては描くことが認識であり、認識は刻々に描くという行為に収
敏されていることが、はっきりと見てとれます。


もっとも、このゴッホの自画像には、「永遠の仏陀の素朴な崇拝者である或る坊主の像」というようなゴッホのことばだけでは片付かないところがあります。


渦を巻くようなタッチで厚く塗り重ねられたヴェロネーズの背景にも、日本風に少し眼尻のつりあがった、「坊主」よりもむしろ「農夫」とも「囚人」とも見えるゴッホの顔にも、或る不安と狂気がしみとおっているようです。






<美術愛好家>久保雅文

自画像を描く動機

January 03 [Mon], 2011, 14:09
アルル時代のゴッホは、パリ時代ほど多くの自画像を描いてはいません。


豊国の版画のある真偽の疑わしい自画像を加えても五点を数えるにすぎませんが、ヴェロネーズの背景の自画像や、二点の耳を切った自画像など、彼の自画像中の傑作が、その生活の変り目に描かれていることは注意していいでしょう。


耳を切った自画像については言うまでもないでしょうが、前者もまた、間近に迫ったゴーギャンとの共同生活を待ちながら描かれ、ゴーギャンの自画像と引きかえに彼に贈ろうと考えていたものです。


ゴッホがこの共同生活にかけていた期待を思えば、彼が自画像を描こうとした動機がよくわかるのです。


ゴッホは、ベルナールの自画像とともにアルルに送られてきたゴーギャンの自画像を


「この絵はぼくに何よりも囚人を描いたものだという感銘を与える。


陽気なところが影さえもない。


これは生き身の肌というものではなく、思いきっていうなら、陰轡なものを描こうと意図し計画してやったのだと思える。


影になった肌の部分は陰惨に青ずんでいる」


・・・と評しています。










<美術愛好家>久保雅文

宿命をとらえる

January 02 [Sun], 2011, 14:07
『子守唄・ルーラン夫人』について、


「ぼくはこの絵についてゴーギャンに、彼とぼくとが『氷島の漁夫』について、またあらゆる危険にさらされ、荒涼たる海にひとり残された彼らの沈轡なる孤独について・・・


仲よくそんなことを語りあったあとで、ふと子供でもあれば殉教者でもある船乗りたちが、その絵を氷島の漁船の船室でみたら、自分の子守唄を思い出させるあの揺籠にゆられている感じ・・・


そんな感じを経験させるような絵を描いてみたい、そういう気持がふと起ったのだ」


・・・と語っています。


そして、


「ぼくの色で、揺籠を揺る女が歌いえたかどうか」


と語っています。


いずれも、対象とゴッホとのかかわりかたがいかにもよくわかることばです。


彼が「感じ」と言っているのは、単なる印象ではありません。


「何かしら永遠なるもの」のなかで対象と結びついた手ざわりなのです。


・・・というわけですから、ゴッホの数々の肖像画は、対象となった人物の単なる見かけをこえて、言わばその宿命をとらえるといったおもむきを呈するのです。


しかし、それゆえに、それは同時に、おのれ自身の宿命を確認することでもあります。


彼は、他人を描くと同時におのれ自身を描いていると言っていいのです。


当然、自画像が彼の肖像画の核となります。






<美術愛好家>久保雅文

「何かしら永遠なるもの」

January 01 [Sat], 2011, 14:05
ゴッホは、サン・レミでドラクロワやレンブラントを模して描いた作品をのぞけば、神も天使もキリストも聖者も描きません。


「オリーヴの庭のなかのキリストと天使の習作」を試みたという記述が手紙にありますが・・・


「ぼくはモデルを使わずには描けないし、というよりは描きたくない」


という理由で二度とも削ってしまっています。


かくして、彼が描く人物は、さきに触れた「芸術家」や「百姓」であり、アルルで彼が親しくまじわったおそらく唯一の家族である郵便配達夫ルーラン一家の人びとであり、『ミリエ少尉』や『アルジェリア土民兵』などです。


・・・いずれも名もない一般の人びとですが、彼らを描くことによって、ゴッホは現代における一種の宗教画家になったとも言いうるでしょう。


彼らは、何の感傷も美化もなく、ざらついた手触りをもって描き出されています。


その根底を「何かしら永遠なるもの」によってつらぬかれているのです。


そして、近代の画家のなかで、かつての「輪光」に替って今や「光りの輻射自身」や「色彩の振動」がその「何かしら永遠なるもの」を表現している、というような言いかたをした画家は、おそらくゴッホ以外にいないのです。


彼は、郵便配達夫ルーランについて、彼を「感じた通りに描けるかどうかわからない」と語っています。







<美術愛好家>久保雅文

聖なるものへの欲求

December 31 [Fri], 2010, 14:02
続けてゴッホは、次のように語っています。


ゴッホのこのような手法が、どんな対象に対しても同じように適用される一本調子なものではなく、対象に応じて微妙に変化するものであることがよくわかります。


「百姓の肖像も同様にこのやり方ですすめた。


もっともこの場合は無限のなかの青ざめた星の神秘な輝きを出そうとしたものではなく、ぼくは自分が描こうとするこの男子、真昼の油照りの収穫のなかで働く恐ろしい人間であると考えた。


そのために赤く灼けた鉄のようにぎらぎらしたオレンジ色になり、暗黒のなかに輝く古金色の調子が出てきたのだ。」


・・・ここでゴッホが触れている「芸術家」と「百姓」との対照は、もちろんそっくりそのままではないです。


しかし、『寝室』と『夜のカフェ』との対照や、『ゴッホの椅子』と『ゴーギャンの椅子』との対照と相応じているようなところがあります。


そのことは、ゴッホの眼と精神との構造をおのずからうかがわせて興味深いのです。


同じ頃の或る手紙で、ゴッホは


「ぼくは人生においても絵画においても神などなくてやってゆけるが、苦しんでいるぼくは、何かぼく以上に偉大なもの、ぼくの生命であり、創造力であるもの、それがなくしてはすまされないのだ」


・・・と言います。


そして


「ぼくは絵のなかで何か音楽のような慰めになるものを語りたい。


かつては輪光がその象徴であり、いまは光りの輻射自身により、色彩の振動によってわれわれが求めているあの何かしら永遠なるものによってぼくは男や女を描きたい」


・・・と続けています。


こういうことばは、ゴッホの絵画における聖なるものへの欲求のありようを直接に示していると言えるでしょう。








<美術愛好家>久保雅文

肖像画と自画像

December 30 [Thu], 2010, 14:01
人間関係に対するゴッホの凝視は、ゴーギャンとの関係において、それぞれの「不在」を通して結びつくという状態に至ったわけですが、アルル時代の彼の肖像画も自画像も、このような極限からの光によって多少とも照らし出されています。


対象への凝視を通して対象を超えたものがとらえられ、そういう関係のなかで、対象と、対象に対するゴッホの心の動きとが、それぞれおのれを乗りこえながら結びつくのです。


これは、画家としての出発の当初からゴッホのうちに見られる特質です。


アルル時代に、充分な暗示性と象徴性とをそなえた色彩をわがものとしたことによって、彼は無類の表現を成就しています。


彼の手紙のなかの次のようなことばを読むと、このような彼の歩みが、実際の制作においてどのようなかたちをとったかということがいかにもよくわかります。


「ぼくは或る友人の芸術家の肖像を描いてみたいと思う。彼は大きな夢を抱き、鶯が歌うように仕事をする。


つまりそれが彼の天職なのだ。いまこの男の髪はブロンドだとしよう。


ぼくは絵のなかにこの男に対する評価を、ぼくの愛を表わしたいと思うだろう。


だから初めはありのままに、出来るだけ忠実に彼を描くだろう。


しかし絵はそれで終ったのではない。いよいよ仕上げというときになって、ぼくは気ままな色彩画家になってゆく。


ぼくは髪の毛のブロンドを誇張し、ついにはオレンジのトーン、クロームと薄いレモン黄に達するだろう。


頭のうしろには、見すぼらしいアパルトマンのつまらぬ壁など描かず、無限を描く。


出せるだけ豊かな強烈な青の単純な空を描き、その単純な配色によって、豊麗な青の背景の上に照らし出されたブロンドの頭が、深い紺碧のなかに光る星のように神秘な効果を獲得する」・・・。





<美術愛好家>久保雅文

「死」を導き入れる

December 29 [Wed], 2010, 14:00
『ゴーギャンの椅子』というかたちでその個性的な表現を見出したというわけです。


これは充分にありうることでしょう。


・・・ただその場合、アルルを去ったゴーギャンを「不在」ととるのはいいとして(描き始めたときはゴーギャンはまだアルルにいたわけですが、それはつまり「不在」の予感がなまなましく感じられていたということでしょう)・・・


なぜゴッホ自身の椅子も、ゴーギャンの椅子と対になるようなかたちで「からの椅子」として描かれたかという問題が残ります。


これは、『ゴーギャンの椅子』を描いたから事のついでにというようなことではないでしょう。


ゴーギャンの場合はその「不在」ですが、自分自身については、もっと本質的な不在を、まさしくおのれ自身の「死」を、そこに見たと考えてみるといかにも面白いですね。


眼前の対象を凝視することを通して、対象を超えたものと結びつくという、ゴッホにおいて終始一貫する動機は、ついに、みずからの「死」をも導き入れるに至ったと思われるからです。








<美術愛好家>久保雅文

「一個の生きもの」的表現

December 28 [Tue], 2010, 13:48
ゴッホは、エッテン時代にすでに「頭を刈り込んだ一本の柳をあたかも一個の生きもののように描こうとする」と語っていました。


こうして彼が描く樹木も家も静物も、単なる造形対象ではなく「一個の生きもの」のようなおもむきを呈したのです。


それはたとえば、パリ時代に描いたあの無骨な「靴」の絵についても言いうることで、あの靴には、そのままゴッホの自画像と言いたいようなところがありました。


そして、そのようなゴッホの動機は、この椅子の絵において実に重水な表現を獲得していると言っていいでしょう。


しかし、ゴッホがここで、誰も腰掛けていない椅子を描いたということには、そういう理由だけでは片付かないところがあります。


ある批評家は、ゴッホが1882年にすでに、英国の画家リューク・ファイルズがディケンズの死後に描いた『主のいない椅子』に強く心を惹かれていたことと結びつけながら、この椅子の絵でゴッホは「不在」を表現しようとしたと述べています。


これは注目すべき指摘でしょう。


82年のテオあての手紙で、ゴッホは、ファイルズは


「ディケンズが死んだ日にその部屋に入って、彼の椅子がからになっているのを見た。


『グラフィック』の旧号の一冊に、こうして『主のいない椅子』というあの側々たる素描が収められたのだ」


・・・と言います。


そして「主のいない椅子たち・・・主がいなくなった椅子はたくさんあるだけではなく、ふえてだって行くだろう。


晩かれ早かれ、ハーコマーのかわり、リューク・ファイルズのかわり、フランク・ホル、ウィリアム.スモール等々のかわりに、主のいない、からの椅子ばかりが残ることになるだろう」


・・・と続けています。


このようにして彼のなかに根付いた「からの椅子」という主題が、時とともに成熟しました。








<美術愛好家>久保雅文

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