・・・このように、ゴッホの肖像画は、他人も自分も、時として残酷な感じがするほどむき出しに示してしまいます。
画家自身がなまなましく感じてはいても、はっきりしたかたちで意識していないものまで示してしまいます。
それは、いわゆる肖像画ばかりではありません。
彼は末の妹のウィレミーンにあてた手紙で、『郵便配達夫ルーラン』や『少女像』など今かかっている肖像画について語りながら、
「ぼくはしょっちゅう同じものを求めているのだ・・・ 肖像画即風景画、風景画であり肖像画でもあるわけだ」
・・・と述べています。
こういう発想は、いわゆる風景画家のそれとは、ずいぶん遠くにあると言うべきでしょう。
彼は、アルルに来て間もない頃、くりかえし、アングロワのはね橋を描いています。
また、6月には、地中海岸のサント・マリー・ド・ラ・メールに1週間ほど紀行して、沖にゆれ動く船や、砂浜に引きあげられた船を描いています。
いずれも、明確な線と浮世絵風の構図法によって、南仏の乾いた空気や透明な色彩をあざやかに表現したすぐれた作品です。
しかし、属目の風景を造型的に処理しただけのものではありません。
このような題材や構図の選択そのもののなかに、ゴッホの精神のありようが濃厚にかげを落しているのです。
<美術愛好家>久保雅文
画家自身がなまなましく感じてはいても、はっきりしたかたちで意識していないものまで示してしまいます。
それは、いわゆる肖像画ばかりではありません。
彼は末の妹のウィレミーンにあてた手紙で、『郵便配達夫ルーラン』や『少女像』など今かかっている肖像画について語りながら、
「ぼくはしょっちゅう同じものを求めているのだ・・・ 肖像画即風景画、風景画であり肖像画でもあるわけだ」
・・・と述べています。
こういう発想は、いわゆる風景画家のそれとは、ずいぶん遠くにあると言うべきでしょう。
彼は、アルルに来て間もない頃、くりかえし、アングロワのはね橋を描いています。
また、6月には、地中海岸のサント・マリー・ド・ラ・メールに1週間ほど紀行して、沖にゆれ動く船や、砂浜に引きあげられた船を描いています。
いずれも、明確な線と浮世絵風の構図法によって、南仏の乾いた空気や透明な色彩をあざやかに表現したすぐれた作品です。
しかし、属目の風景を造型的に処理しただけのものではありません。
このような題材や構図の選択そのもののなかに、ゴッホの精神のありようが濃厚にかげを落しているのです。
<美術愛好家>久保雅文


