サン・レミ時代のゴッホの仕事で眼につくことのひとつは、アルル時代の『寝室』のような自作を模写ないしは再制作しているばかりではなく、主として版画や雑誌の挿絵などによって、さまざまな画家の作品の模写を試みていることです。
その中心をなすものはミレーの作品であって、『刈り取る人』『草を刈る人』『糸を紡ぐ女』『種まく人』『夜なべ』『干草を乾かす女』『麦を束ねる女』『麦を打つ人』『亜麻打ち』『羊の勇毛』『腰をおろした羊飼の女』『耕す人』といった数多くの模写を見ることが出来ます。
ミレーが、なおもゴッホのうえになまなましい力をふるい続けていることがよくわかるのです。
もちろん、彼が模写を試みたことには、病院生活が彼に強いた拘束とか天候の悪さとかいったさまざまな外的な理由がありました。
しかし彼は、やむをえず模写という手段に頼ったのではないようです。
彼は、
「断言してもよいが模写をやることはとても面白い、またいまのところモデルがないが、それでも模写をするおかげで人物の感じが忘れずにおれる。
・・・模写は古臭いやり方かもしれないが、そんなことはぼくには全然問題でない」
・・・と言っています。
そしてさらに、模写を音楽における演奏にたとえながら、こんな風に言うのです。
「それから即興的にその上に色をおくが、もちろんすみずみまでぼくの流儀によるのではなく、彼らの絵が持っている追憶をまさぐりながらやるわけだ。
・・・もっとも追憶といったが、それは正確とはいえぬまでも感情のなかに生れる色のぼやっとした共鳴みたいなもの・・・これがつまりぼく自身の解釈になるのだ。
.模写しない人もたくさんあるが、模写する人もたくさんいる・・・
ぼくはたまたまこういうことになったが、模写によって学び、また何といっても慰められることが多いと思う。
またそのさい指に握った絵筆はあたかもヴァイオリンの上の弓のように往来するのでこれは何といってもまたとないたのしみだ」。
<美術愛好家>久保雅文
その中心をなすものはミレーの作品であって、『刈り取る人』『草を刈る人』『糸を紡ぐ女』『種まく人』『夜なべ』『干草を乾かす女』『麦を束ねる女』『麦を打つ人』『亜麻打ち』『羊の勇毛』『腰をおろした羊飼の女』『耕す人』といった数多くの模写を見ることが出来ます。
ミレーが、なおもゴッホのうえになまなましい力をふるい続けていることがよくわかるのです。
もちろん、彼が模写を試みたことには、病院生活が彼に強いた拘束とか天候の悪さとかいったさまざまな外的な理由がありました。
しかし彼は、やむをえず模写という手段に頼ったのではないようです。
彼は、
「断言してもよいが模写をやることはとても面白い、またいまのところモデルがないが、それでも模写をするおかげで人物の感じが忘れずにおれる。
・・・模写は古臭いやり方かもしれないが、そんなことはぼくには全然問題でない」
・・・と言っています。
そしてさらに、模写を音楽における演奏にたとえながら、こんな風に言うのです。
「それから即興的にその上に色をおくが、もちろんすみずみまでぼくの流儀によるのではなく、彼らの絵が持っている追憶をまさぐりながらやるわけだ。
・・・もっとも追憶といったが、それは正確とはいえぬまでも感情のなかに生れる色のぼやっとした共鳴みたいなもの・・・これがつまりぼく自身の解釈になるのだ。
.模写しない人もたくさんあるが、模写する人もたくさんいる・・・
ぼくはたまたまこういうことになったが、模写によって学び、また何といっても慰められることが多いと思う。
またそのさい指に握った絵筆はあたかもヴァイオリンの上の弓のように往来するのでこれは何といってもまたとないたのしみだ」。
<美術愛好家>久保雅文



