模写の意味

January 16 [Sun], 2011, 14:32
サン・レミ時代のゴッホの仕事で眼につくことのひとつは、アルル時代の『寝室』のような自作を模写ないしは再制作しているばかりではなく、主として版画や雑誌の挿絵などによって、さまざまな画家の作品の模写を試みていることです。


その中心をなすものはミレーの作品であって、『刈り取る人』『草を刈る人』『糸を紡ぐ女』『種まく人』『夜なべ』『干草を乾かす女』『麦を束ねる女』『麦を打つ人』『亜麻打ち』『羊の勇毛』『腰をおろした羊飼の女』『耕す人』といった数多くの模写を見ることが出来ます。


ミレーが、なおもゴッホのうえになまなましい力をふるい続けていることがよくわかるのです。


もちろん、彼が模写を試みたことには、病院生活が彼に強いた拘束とか天候の悪さとかいったさまざまな外的な理由がありました。


しかし彼は、やむをえず模写という手段に頼ったのではないようです。


彼は、


「断言してもよいが模写をやることはとても面白い、またいまのところモデルがないが、それでも模写をするおかげで人物の感じが忘れずにおれる。


・・・模写は古臭いやり方かもしれないが、そんなことはぼくには全然問題でない」


・・・と言っています。


そしてさらに、模写を音楽における演奏にたとえながら、こんな風に言うのです。


「それから即興的にその上に色をおくが、もちろんすみずみまでぼくの流儀によるのではなく、彼らの絵が持っている追憶をまさぐりながらやるわけだ。


・・・もっとも追憶といったが、それは正確とはいえぬまでも感情のなかに生れる色のぼやっとした共鳴みたいなもの・・・これがつまりぼく自身の解釈になるのだ。


.模写しない人もたくさんあるが、模写する人もたくさんいる・・・


ぼくはたまたまこういうことになったが、模写によって学び、また何といっても慰められることが多いと思う。


またそのさい指に握った絵筆はあたかもヴァイオリンの上の弓のように往来するのでこれは何といってもまたとないたのしみだ」。







<美術愛好家>久保雅文

深淵に向かって

January 15 [Sat], 2011, 14:31
「独房」云々とは、ゴッホが発作を起したときに閉じこめられた部屋でしょう。


おそらく病院の裏手にあったと思われますが、その部屋の前にひろがる眺めは、そのままで或る象徴的な意味あいを帯びたものになったことでしょう。


ゴッホはくりかえしここから見た風景を描いているのですが、或る批評家は、この『刈り取る人』の絵と、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある、麦畑と糸杉とを描いた絵との背景が酷似している点に着目しています。


これはほぼ同じ頃に描かれた作品ですが、たしかに、前景の麦畑にしても、中景の右上から左下にかけてなだらかに下降する山なみの線にしても両者に共通していて、違っているのは、「刈り取る人」と「糸杉」との違いくらいのものです。


・・・このような作品が同時に描かれていることからも、サン・レミ時代のゴッホにとって、「刈り取る人」と「糸杉」とが「死」という共通項で結ばれていることがわかるというわけです。


これは興昧深い指摘でしょう。


しかし、「刈り取る人」が体現する「死」について、ゴッホが、それには「何ら陰轡なものはなく」「殆んど微笑みを浮かべている」と語っていることは注意していいところです。


しかも、麦畑は、「ひまわり」の色であり、「生命」の色である「真黄色」。


しかも、「純金の光」にあふれた太陽まで描かれていて、ここでのゴッホが、生から死を見るのではなく、死から生を見るのでもなく、生と死とをともに眺めるような地点に歩み出ていることを示しています。






<美術愛好家>久保雅文

『刈り取る人』

January 14 [Fri], 2011, 14:28
糸杉が言わば死の樹木であったのと同様、「刈り取る人」もまた、伝統的に「死」を象徴するものであったことは改めて言うまでもないでしょう。


ゴッホ自身、1889年9月のテオあての手紙で、こんなふうに語っているのです。


「・・・仕事は順調に進んでいる。


いま発病数日前に手がけた或る画布に取り組んでいる。


これは、刈り取る人の習作で真黄色、恐ろしく厚塗りしてあるが、モティーフは美しく単純だ。


つまりぼくはこの刈り取る人のなかに・・・


炎熱のもと仕事をやりとげようと悪鬼のように闘っている人物のなかに・・・


人間は彼が刈る麦みたいなものだという意味で、また死の影を見たのだ。


だからいわば・・・これは前に試みた種まく人とは反対のものだ。


しかしこの死のなかには何ら陰鬱なものはなく、純金の光りにあふれた太陽とともに、明るい光のなかでことが行われるのだ。」


・・・そして、ゴッホは、同じ手紙の後半で、この習作の完成を告げながら、こんなふうに語るのです。


「やれやれ、刈り取る人がいま終った。これはきみの手元に保存してもらえる絵になるだろうと思う。


これは自然という偉大な書物がわれわれに語ってくれる死の影だが、ぼくが努めて出そうとしたのは、『殆んど微笑みを浮べている』その姿だ。


一本の董色の丘陵の線を除いては全部黄色、薄いブロンド色の黄色だ。


これはどうも変だと思うが、独房の鉄格子の間からそう見えたんだから仕方がない」。





<美術愛好家>久保雅文

「死」という核

January 13 [Thu], 2011, 14:26
ゴッホが「ひまわり=生命」と捨てて、「糸杉=死」へ移ったということではありません。


彼の制作に「ひまわり=生命」という核のほかに、もうひとつ「糸杉=死」という核が出来たということです。


アルル時代のゴッホの作品に見られる古典的ともいうべき均衡は、「ひまわり=生命」という核に支えられたものです。


ゴッホの眼と精神との激しい運動は、運動の極とも生死の姿とも見えるひまわりの円環運動のうちに収敏していました。


サン・レミにおいては、それにもうひとつ「死」という核が加わりました。


そのことによって、アルル時代の均衡は失われ、生命と死という二つの核によって激しい渦巻運動が起ります。


光と闇とをともに内部にはらみながら、まるで黒い炎のように身をよじりつつ燃えあがる糸杉の姿は、まさしく、ゴッホの精神のこのようなありようと結びついたものです。


ゴッホの眼と精神への死の圧倒的な侵入は、アルル時代の『種まく人』に替って、サン・レミでは『刈り取る人』をしきりと描いていることからも見てとることが出来るでしょう。








<美術愛好家>久保雅文

『糸杉』

January 12 [Wed], 2011, 14:21
アルル時代のゴッホの作品の本質を、もっとも典型的なかたちで象徴しているのが「ひまわり」であるとすれば、サン・レミ時代のそれは「糸杉」にほかならないでしょう。


もちろん、糸杉は、南仏なら何処でも見ることの出来る樹木であって、ゴッホは、アルルにおいても、日常よくそれを眼にしていたはずです。


それが、サン・レミ時代にいたってはじめてゴッホの絵の中心主題のひとつとなったのは、彼の眼と精神とのありようそのものとかかわる問題なのです。


「ひまわり」が、その形状から言っても色彩から言っても、何よりもまず「太陽=生命」を表わすものであることはすでに触れました。


しかし、糸杉は、伝統的に『死』を象徴する植物です。


「糸杉」という主題の選択には、アルル時代の後半から、ゴッホの精神に濃い影を落とし始めた「死」の観念がかかわっていると見るべきでしょう。


彼は、6月25日付のテオあての手紙で


「糸杉のことがしょっちゅう頭にあるが、何とかひまわりの絵のような作品にしたいものだ」


・・・と述べていますから、ゴッホ自身も、この主題の彼にとっての重要性は十分に意識していたのです。








<美術愛好家>久保雅文

死の影

January 11 [Tue], 2011, 14:19
同じ頃テオにあてた手紙では・・・


「ぼくはまた糸杉のある星の夜空か、或いは熟れた麦畑の上の星の夜を多分描かねばならぬ」


・・・と言うのであって、星空が、早くから彼の重要な関心の対象であったことがよくわかります。


もちろんこれは、ひとつには、南仏の美しい星空が彼を惹きつけたせいですが、激しい光に照らし出された自然が、時とともにその象徴性を深めるにつれて、星空もまた、その象徴性を深めてゆくようです。


彼は9月に描いた『星月夜(ローヌ河)』のディテールをテオに書き送りながら、自分には


「宗教がどうしても必要で、それで夜、戸外に星を描きに出て、親しい仲間たちの姿をそこに描き出した作品を夢みるのだ」


・・・と述べるのであって、彼が、夜空にきらめく星のなかにどのようなものを見てとっていたかがよくわかります。


しかし、星は、彼にとって慰めであっただけではありません。


この手紙より少し前の或る手紙で、彼は、次のような謎めいたことを述べています。


「・・・地図の上で町や村をあらわす黒い点がぼくを夢想させるのと同様にただ星を見ていると、ぼくはわけもなく夢想するのだ。


なぜ蒼穹に輝くあの点が、フランスの地図の黒い点より近付きにくいのだろうか。ぼくはそう思う。


汽車に乗ってタラスコンやルーアンへ行けるなら、死に乗ってどこかの星へ行けるはずだ。


この推論のなかで絶対間違いのないことは、死んでしまえば汽車に乗れないのと同様に生きている限りは、星に行けないということだ。」


・・・としてみれば、星は、慰めであると同時に死の象徴でもあります。


アルル時代を通じて、ゴッホの画面においては、生がその燃えあがるに応じて、死もその影を濃くしているようです。


あの椅子の絵における「不在=死」の導入と思いあわせてみて、いかにも興味深いのです。






<美術愛好家>久保雅文

夜の風景

January 10 [Mon], 2011, 14:17
「ぼくはいま仕事にたいして、まるで恋人のように底の底まで見えたり、盲目になったりする。


この色彩の強い環境がぼくにはまったく新しく、異常に昂奮させるからだ。」


「この頃のように自然が美しいと、ときどきぼくの頭は物凄く澄み透って、もはや自分で自分を感じず、絵が夢の中のようにやってくる。」


・・・いずれも9月に書かれたゴッホの手紙からの抜粋ですが、ここでは、極度の現実家が、そのままで、極度の幻視家になっていると言っていいでしょう。


『プロヴァンスのとりいれ』『干し草の山』その他、彼はくりかえしプロヴァンスの田野を描いています。


しかし、これらは単なる風景画ではありません。


ここに描かれた自然は、画家のまなざしの対象としての自然ではなく、絶えずものを生み出す生命の母胎としての自然です。


この自然のなかに、生命の象徴である巨大な黄色い太陽とともに、『種まく人』が描かれることとなるのは当然と言うべきでしょう。


このような風景を描く一方で、ゴッホが、言わばその対旋律として夜の風景を描いていることは注意していいでしょう。


アルルに来て間もない1888年の4月、すでに彼は、ベルナールあての手紙で


「ほら、あの星空、こいつは何とか描いてみたいと思っているものの一つだ」


・・・と言っています。








<美術愛好家>久保雅文

自然の美しさ

January 09 [Sun], 2011, 14:16
この絵や、あのはね橋の絵を見るだけでも、南仏においてゴッホが、いかにも彼にふさわしい自然を見出したということがわかります。


彼の眼は、刻々に自然に対する透視力を増し、自然は刻々にその奥深い姿をあらわにします。


彼の眼と周囲の自然とのあいだに、おそろしく緊迫した合体があり、それが脅迫するように彼を追い立てているようです。


「仕事の着想があふれるばかりに湧いてくる。


だからひとりでいても、ものを考えたり感じたりしているひまがない。


まるで絵を描く機関車みたいに、ぼくは驀進しているのだ。」


「これまでこんな目にあったことがなかったからか、ここの自然は〈異常なほどに〉美しい。


どこもかしこも空の円蓋はすばらしい青で、太陽は薄い硫黄色の光線を放ち、まるでデルフトのファン・デル・メールの絵にある空色と黄色の配合のように、柔らかく、魅惑的だ。


あの絵ほど美しくは描けないけれど、ぼくは夢中になってしまって、筆のまにまに理屈などもう考えてはおれない。


……ぼくはここへ来たころとは全く違う感じがし始めている。


ぼくはもはや疑わず、躊躇せず、或ることに取り組んでいる。


それはいよいよ烈しくなってゆくだろう。


しかし何という自然だろうか」・・・。







<美術愛好家>久保雅文

孤独な心

January 08 [Sat], 2011, 14:14
研究家は、この絵のなかに、当時のゴッホの人間関係そのものまで読みこんでいます。


手前から三艘目の船に、「友情(AMITIE)」という船名が描きこまれていることから、これらの船は「友情」によって結ばれた仲間であるとします。


一方、画面下端右寄りの半ば砂に埋もれた黄色い箱には「ヴァンサン」というゴッホの署名がありますが、この箱は、仲間に加われぬゴッホ自身を表わすとします。


こうして研究家は、この絵のうちに、そのようなことに由来するゴッホ自身の孤独感を見るのですが、たしかにそんなふうに思われなくもないでしょう。


パリでの画家仲間から離れてただひとりアルルへやって来てまだ間もない時期。


・・・宿命的に孤独であればあるだけ、生涯他人とのつながりを求め続けたゴッホにとってこのような孤立は人一倍辛いものだったでしょう。


「友情」という船名が、もともとそう描かれていたものかゴッホが考え出したものか明らかではありません。


しかし、人気のない砂浜に並んだ船とぽつんと見捨てられたような箱とのうちに、ゴッホが、おのれの人間関係を見てとったというのは、充分にありうることです。


もっともそれは、出来あがった絵が、そういう人間関係の絵解きであるということではありません。


この絵が観る者に与えるのは、孤独感ということばが与える主観的なもの、じめじめとべとついたものとはおよそ無縁です。


空にも海にも砂浜にも、また船にも、あの「何かしら永遠なるもの」がしみとおっているのです。





<美術愛好家>久保雅文

『サント・マリー・ド・ラ・メールの漁船』

January 07 [Fri], 2011, 14:07
ゴッホの描いたはね橋の形状は、造形的にも大変興味深いものですが、ゴッホがそこに、向かいあって互いに手をさしのべている二人の人間の姿を見ているというのは十分にありえることです。


凡庸な画家がそのような動機を持ち込めば、観念が先走った空疎な作品を生み出すに過ぎないでしょうが、ゴッホの場合は、それが堅固な造形性と溶け合った深深とした象徴性を生み出しています。


サント・マリー・ド・ラ・メールの砂浜に引き上げられた船の絵についてもそれはいえます。


その四艘の船が、船であると同時に肩を並べた人間のようにも見えるというのは、おそらく誰しもが覚える印象でしょう。


研究家の調査によれば、このような形や色をした漁船は、サント・マリー・ド・ラ・メールには実在しなかったということです。


事実、ベルナールあての手紙に書かれた同じ構図のスケッチでは、船の先は、タブローの場合ほど鋭くとがってはいません。


色彩にしても、その手紙では


「全く平坦な砂浜には緑や赤や青の小舟があって、形も色も実にきれいで花を思い浮べるほどだった」


・・・とありますから、色を塗られてはいたのでしょうが、これほど鮮やかなものではなかったのでしょう。


形状や色彩のこのような強調や純化そのもののなかに、鋭く緊張したゴッホの人間観そのものが反映していると言っていいでしょう。








<美術愛好家>久保雅文
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