根元的な反応

September 04 [Wed], 2013, 2:09
もったいない。ホントに。

テレビでやっていたが、今年は野菜が豊作すぎて値段が下がり、市場に出しても損ということで、白菜やピーマンをトラクターで踏みつぶしていた。潰すと、JAから補償金が出るのだそうだ。現実的な対応だが、農家の人たちの心中いかばかりか。割り切っているのかなあ。

別に、野菜の身になってみれば、出荷されて喰われようがここで踏みつぶされようが違いはない。どっちにしたって、人間の勝手な思惑で処理されるだけのことである。よく子供向けの絵本に載っているみたいに「このお米や大根は、食べられる日をずっと待っていたんだよ」などという欺瞞には反吐が出る。

スーパーの魚売場に流れている「さかなさかなさかな〜さかなを食べると〜」の歌にしたって、「魚はボクらを待っている」というフレーズのたびに「待ってるわきゃねーだろ」と呟く私である。誰が喰われるために買われることを待つか。人間の死体が陳列されていて、巨大な生物がそれを選んでいる場面を想像してみろというのだ。

ま、そういう義憤はしょせん偽善であって、肉を喰い魚を喰い野菜を喰う私は「人類の方が強いんだよ」と笑うケダモノでしかないので、その立場はとりあえず確保するとして、そこから見てもせっかく作った野菜を踏みつぶすというのは愚行以外の何物でもない気がするのである。もったいないではないか。

まず、せっかく作った労力がもったいない。もったいないだけでなく、作った人への侮辱ですらある。それはまあ、補償金が出るということで納得するにしても、補償金まで出すんだったら、もっと有効利用できないものか。ODA予算で買い上げて、食糧危機の国に無償で輸出でもすれば大喜びだろう。少なくとも、飢えている人たちは。

政治的、経済的、面子とか戦略的にヤバいのは判る。例えば北朝鮮なんかに「人民が可哀相だ」ということで贈ったら、おそらく政権の延命に手を貸すことになり、結果的に人民の苦しみを引き延ばすことになるだろう。また、飢えている人に食料をただであげることほど、その人のためにならないことはない、という話も聞いている。そんなことをすれば、貰った人は働かなくなる。金持ちのおぼっちゃんが駄目なのと一緒だ。

それでもなお、もったいない。食料を自ら廃棄するというのは、人類としての本能に逆らうことなのだ。氷河期のご先祖様たちが聞いたら何と言うだろう。タイムマシンか何かで、その人たちの元に送ってやれないものか。いやいや、そんなことしたらぐーたらになって、クロマニヨン人たちは滅びてしまうかもしれない。困ったものである。

ああもったいない。

自動車関係サイトリンク集
http://glac.jp/twenties/evolable.html

第1級殺人

September 01 [Sun], 2013, 2:05
アメリカのミステリ小説などに時々出てくる言葉なのである。

気になって調べてみたら、アメリカの司法制度にある規定だった。アメリカの場合、殺人を加害者の計画性・故意かどうかによって分類しているのである。

(Wikipediaより抜粋)
>英米法、州法等により規定の詳細は異なるが概ね以下の分類がなされている。

謀殺(Murder)
 事前の計画(malice aforethought)をもって殺人を犯した場合。態様につきさらに2等級に分類される。

第一級謀殺(First-degree murder) 保険金目的殺人など周到な準備に基づく場合や、強盗・強姦・誘拐等他の重い犯罪行為(Felony)の手段として謀殺をした場合(Felony murder)。情状酌量等が認められず、量刑も死刑又は終身刑(100年を超える実質的終身刑を含む)。日本においても強盗殺人罪、強姦殺人罪等の結果的加重犯と同旨の部分もある。

第二級謀殺(Second-degree murder) 第一級謀殺以外の計画性をもった殺人

故殺(Manslaughter) 第三級謀殺(Third-degree murder)とも称される。 
Voluntary manslaughter 喧嘩における殺人等殺人の故意はあるが、計画性のないもの。これに謀殺を加えたものが、日本法の殺人罪に相当する。

Involuntary manslaughter 日本語でいう過失致死に近い(negligent homicide)が、死の結果について認識がある場合(認識ある過失)に適用される。
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つまり殺しで掴まった場合、方法とか意志とかで罪の重さが決まるわけである。こうしてみるとアメリカの場合、強盗殺人ってのは即死刑か終身刑なのか。

ところで、なぜ日本では「殺人罪」でひとくくりにされている罪がこんなに細かく分けられているのかというと、裁判制度のせいらしい。アメリカの場合、裁判は陪審員制度である。陪審員が事実認定(つまり有罪か無罪か、有罪だとしたらどんな罪か)を決定し、判事が量刑(罰金や刑期)を決めるわけである。

陪審員は一般市民から選ばれるので、特に法律に詳しいわけではないと想定される。そこで、まずおおざっぱな分類を決めて陪審員がやりやすいようになっていると思われる。日本みたいに、強盗+殺人というような重加算罪を判断するのは難しいからね。

しかし、同時にアメリカの司法は判例判断である。つまり、判断材料として「過去にどういう判断があったか」が重視される。アメリカの司法試験に、受験生が山のような参考資料を持ち込むのもそのせいである。(持ち込み可なんだって)

だから、例えば第2級謀殺と陪審が判定してしまうと、自動的に量刑も大体決まってしまうらしい。判事の役目も陪審員が背負っているわけである。これが、あんなに訴訟が多いのにバッサバッサと判決が出てなんとか回転している理由なのだ。過去に決まったことがあれば、それと同じになってしまうのである。

で、第1級殺人(謀殺)の場合って大体死刑か終身刑なのだよね。掴まったら即死刑。ミステリじゃあ、それは必死で逃げるわけだ。しかし、司法までオートメーションになっているとは、さすがアメリカ。

判りやすくていいけどね。

夢の中の図書館

September 01 [Sun], 2013, 2:04
一応、行きつけの図書館があるのだった。

だが、この単語から想像されるようなパライソな場所では決してない。そもそも、どこにあるのか判らない。だから行きたい時に行けるわけではないのだ。眠っていて、ふと気づくと入り口にいる。

不思議だが、必ず入り口から入るのである。今まで一度も、突然内部にいたということはない。何か手続きがあるのかもしれない。(尚、出るときは一瞬である)その入り口が、またやたらに立派というか長いのであった。つまりプラネタリウムみたいに、入ったらまず壁があって、それが延々と続くのである。壁には色々(絵とか)かけてある。

ぐうっと大回りしてやっとその図書館に入れるのだが、意外にも配置は普通の図書館と同じだ。まずソファーとかのある空間があり、その向こうにカウンター、そして開架式の本棚がある。隣は子供向けのコーナーになっている。多分、私がこういう図書館しか知らないからだろう。

もっとも、やたらに全体が細長いというのは「世界一美しい図書館」と言われるウィーンのオーストリア国立図書館のイメージが混じっているからかもしれない。壁に絵があったりするのは明らかにそれだな。あそこには子供向けコーナーはなかったような気がするけど。

さて、私が夢で行く図書館には名前がない、というより私が知らないのだが、私以外にも結構利用者がいるようで、司書もたくさんいるのだった。古びた本棚に藤子不二雄の全集(なぜかボロボロだった)があったので立ち読みしようとしたら、むすっとした司書に後ろからつつかれた。指さす方を観ると「読まないで下さい」という張り紙があった。なぜそんなのを開架式の本棚に置いておくのかと文句を言ったら「規則です」という返事。
嫌がらせか?

面白そうな本とか、まだ読んでない古典SFとか色々あるのだが、いつも借りられない。本は埃まみれになっていて、長いこと誰も使ってないのは見え見えなのだ。そうそう、なぜかDVDやCDの貸出コーナーもあるのだった。まだ一度も借りられていないが。

さっきその図書館の窓から外を観ると、どしゃぶりだった。空を見上げると晴れているのに。「ああチャリは屋根付きの車庫に入れて置いて良かった」などと思ったのである。その後、便意を催してトイレを探したのだが、見つからない。あちこち歩いて、ついに出入り口まで来てしまったところで目が覚めたのであった。もちろんトイレは現実の場所に行きましたとも。

正直言って、あまりいい図書館ではない。司書は無愛想だし、新しい本がないし、第一本を借りられたこともないし、中で本を読んだことすらないのである。私以外には本を選んだり読書に没頭している人がたくさんいるのになあ。

そろそろ、別の図書館を探さないと。

君は国を愛しているか

September 01 [Sun], 2013, 2:03
先日の北朝鮮の脱北者の本にあったのだが、作者がどうして家族を捨てて自分だけで脱北したのか、という事に対して作者の考え方は次の通りであった。

「自分は日本で産まれて日本の思い出があり、半分は日本人である。しかし妻や子供達は、北朝鮮しか知らない。そんな者たちを、私の都合で日本に連れてきても適応できないだろうし、かえって不幸になるだけだ。彼らはたくましいから、私がいなくても生きていけるだろう」

凄い考え方だと思うが、この人はなんせ脱北者である。その言葉は、極度に実用的だ。だから、この人がそう言うのなら本当にそうなのである。少なくとも、私らのような日本しか知らない者がああだこうだ言うより説得力がある。

ここで、では彼は日本を愛しているのかとか、北朝鮮に愛着はないのかとか、そういう問いかけは無意味だろうと思うわけである。多分、愛とか愛国心というものも、彼の中では昇華されて生き延びるためのツールと化しているはずだ。思想というよりは環境なのである。

私は時々感じるのだが、「どうしてそんな酷い土地にしがみついて生きていくのか」という疑問の答えの半ばは簡単である。そこでしか生きていけないからなのだ。愛しているとかではなくて、そこで生きていく方法しか知らないのである。いくら日本の方が物資が多くて当局につかまる心配もないし、何でも自由に言えるといっても、日本で生きるよりはそっちの方が楽なのだ。

どんなにひどくても、産まれ育った土地ならその環境や社会をよく知っているからだ。むしろマイナスの方向性であるが、「そっちの方がマシ」という選択である。そこで産まれて育つというのは、多分人間を決めてしまうのだろうなあ。

そういえば「愛国心」というような表現を教育指導要領に入れるとかいう議論があったような気がするが、そんなのは教えられるものでも定義できるものでもない気がする。日本を愛するという場合、それは思想でもないし政府でも国民でもない。土地と、そこで生活する人ということになるだろう。

そしてそれは、ただそこで産まれて生活していれば自動的に身に付くものなのである。そう思う。だが、それは天皇陛下のために万歳突撃するわけでも、日本政府や人民のために身命を投げ出すものでもないのだ。もし私が愛国心から何かをやるとすれば、多分それは自分のためだろう。

というようなことをブッシュが演説する画像を観ながらつらつら思ったのであった。あれは、やっぱアメリカだからだろうな。あそこは愛国心を言葉で定義して、しかも生活権と絡めてしまった。そんな国に、愛国心は育たないぞ。あそこにあるのはおそらく契約である。アメリカと市民との契約なのだ。契約は、どっちかが嫌になったら破棄できるのである。

特攻や自爆テロは、あいつらには理解できないだろうなあ。
P R
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