ほうとう 

October 20 [Tue], 2015, 19:47


何ぞコレ?

上海ガスマスク 

March 23 [Sun], 2014, 23:30


軍事系の掲示板で何かと有名なガスマスク集団画像。
「第1次上海事変の日本海軍陸戦隊」とかいうキャプションがついていたりするそうですが
実際は昭和12年、第2次上海事変における閘北方面の市街戦を撮影した連続写真。
報道されたのは同年11月のことです。

上の画像のタイトルは「待機する、陸戦隊ガスマスク部隊」
下の画像は「廃墟を衝く突撃部隊」となっています。





「上海閘北方面に於ける市街戦は、彼我共血みどろの激闘が続けられ、我が海軍陸戦隊は連日頑強な敵を相手に猛撃を加へてゐる。
敵も又執拗な逆襲を怠らず、晝夜を分たぬ肉弾市街戦は至るところに展開されてゐる。
写真は防毒マスクをつけた陸戦隊員が、廃屋の壁に沿ふて敵陣に突撃する場面である」

さて、これが日本側による化学兵器攻撃なのか、敵軍の毒ガスから防御するためのものなのか、写真からは判然としません。
化学兵器を扱う器具やガス自体が写っていないので、毒ガスなのか催涙ガスなのかも不明。
同時期の上海戦報道では、警報用のカナリアの籠を提げて進軍する海軍陸戦隊の写真もあります。

一連の画像は、本家ブログで松井石根と愛犬の資料を探していたとき見つけました。
可愛らしいワンコの出自も南京事件に絡んでいるので、どうにもこうにもアレですねえ。
近代日本畜犬史にも触れてはイカンお話とかある訳で、封印しようかどうしようかと悩んでおります。

一月の海 

January 18 [Sat], 2014, 20:59


年末は浮かれ気分なのですが、年始の時期は「また一年が始まるのか」とウンザリした気分になります。
たった一週間の違いなのに、人の気分とは面白いもんですねえ。

年始の挨拶回りで日本を北から南まで廻っていると、気温の変動に順応するのが大変です。当然ながら風邪をひきました。
アレやコレやの賀詞交歓会や新年会も続き、酒の飲み過ぎで頭もどんよりと曇ったまま。

昨夜も取引先の方と夜遅くまで痛飲し、泥酔して帰路に迷った挙句ホテルに辿り着いたのは1時過ぎ。ヘトヘトに疲れてベッドへ倒れ込みました。
翌日、目覚めたのは10時前でした。慌ててチェックアウトし帰宅の途へ。
しばらく車を走らせていると青い海が見えてきました。ああ、綺麗だなあ。
ちょいと休憩するかと、手頃な公園を見つけて駐車。カーラジオは「寒波到来」とか言っていましたが、陽射しは暖かくて無風状態です。

誰もいない浜辺に座り、缶コーヒーを片手に海を眺めました。
海鳥たちがプカプカと波間に漂い、沖合には巨大な潜水艦がポッカリと浮んでいます。
頭をカラッポにしてのどかな冬の海を見ているうちに、段々と眠くなってきました。テトラポットにもたれかかって暫しウトウト。
1時間ほどして目覚めると、澱んでいたものが体内から抜けたように氣持ちが軽くなっていました。

忙しいなりにこんな感じで過ごしていけば、今年も何とかしのげるでしょう。

春までのお別れ 

November 14 [Thu], 2013, 23:00


五月さんと出遭ったのは28年前の5月のこと。
あれは学校からの帰り道、川の土手を歩いていた時です。ちょうど護岸工事が始まっていて、河原には浚渫された川底の土砂が積み上げられていました。
通り過ぎながら何の気なしに目をやると、何かが泥の中でもがいています。
……何だアレ?魚かな?
近寄ってみると、それは小さなカメでした。仰向けになったまま、起き上がろうと手足をジタバタさせています。
川岸で冬眠していたところを、周囲の土砂ごと重機で浚われてしまったのでしょう。
拾い上げて掌に乗せると、カメはおずおずと私を見詰めています。
首筋に黄色の模様があるからクサガメですね。
川に戻そうかと思いましたが、多数の資材が並んでいるのを見ると、大がかりな工事になりそうです。また重機に巻き込まれないとも限りません。
一時保護することに決め、そのカメを家に持ち帰りました。妹が赤ん坊の頃使っていたベビーバスが放置されていたので、カメの池として再利用。
母からは「また変なの拾ってきて!」と文句を言われましたが、なし崩し的にカメは我が家の一員となりました。
愛犬のハヤも不審な新参者の匂いをクンカクンカと嗅いでいましたが、そのうち興味を無くした様です。

どうしようかと色々考えた結果、クサガメの名前は「サツキ」にしました。5月に拾ったので。
それから五月さんは元気に夏を過ごし、冬が来ると勝手に冬眠し、翌年の春には落ち葉から這い出てきて、また夏を迎えました。
それを繰返すうち、気が付くと28年が過ぎようとしています。
クサガメの寿命は30年程と言われますが、彼女の旺盛な食欲を見ると寿命が近づいているとはとても思えません。できるだけ長生きしてほしいなあ。

「彼女」と書きましたが、五月さんはメスです。
性別が判明したのは、ある年のこと。
餌をやろうとした時、水底に白いモノが沈んでいるのを発見。拾い上げてみると、小さな卵でした。
こりゃ大変だと植木鉢に埋めてみたのですが、当然ながら孵化はしません。子供の私は、「無精卵」というモノを知りませんでした。
それから毎年夏になると、五月さんは無精卵を生み続けています。孵化しないと知っているのか、最近では自分の生んだ卵を食べてしまいます。
なんだか哀れになってきて、「五月さんに婿養子を迎えようか」という案も家族から出されました。
クサガメの繁殖は簡単で、雄は体色が黒化するので容易に雌雄の識別がつきます。
しかし、繁殖させてどうする?
軽い気持ちで拾ってきた五月さんでさえ、20年以上付き合う事になったのです。
これから子亀が生れたとして、更に20年間を責任もって世話できますか?もしかしたら、先に私が死ぬかもしれません。
てな訳で、五月さんには独身生活を強いております。彼女が不幸かどうかは分りません。所詮はカメですし。

彼女の住居もベビーバスから60センチ水槽、衣装ケースを経て現在は睡蓮鉢となりました。
カメ用の池は見栄えに拘る必要はありません。給排水、換水、日当たりを条件に、とにかく日々のメンテナンスを優先した構造にしましょう。
まず、実家の庭の一画を1.5m×1.5mにブロックで囲い、脱走防止のため内部を数センチばかり掘り下げます。爪が鋭いイシガメなんかは驚異の登攀能力を発揮しますが、クサガメだと甲羅の高さの1.5倍もあれば乗り越えられません。
その中央に大きな睡蓮鉢を埋め込んで水を満たせばカメ池が完成。大雨で池が溢れる場合を考え、ブロックの間にはオーバーフロー用の細い隙間をあけておきました。
身体が小さいうちはネコやカラスに狙われるので、このような池よりも蓋の出来る水槽の方が安全だったりします。

カメの飼育は水替えとの戦いです。カメはバクバク餌を食べるので水もすぐ汚れます。五月さんの池を睡蓮鉢にしているのは、小さなバケツ数杯で換水できる水量に抑えるため。
これ以上の水量だと換水作業がキツいですし、少ないと五月さんが水中を泳ぎ廻れません。
陸地の南側にはツワブキを植えこんで、日光浴と日陰のスペースを確保。
私の仕事は毎日の給餌と週二回の換水と冬眠の支度だけで、あとは干渉しません。五月さんには勝手に泳いだり歩き回ったりしてもらっています。







先日、五月さんの泳ぐ睡蓮鉢を覗いたら水が白濁していました。せっかく水換えしたばかりなのに……。
水底には、白い物体と何かの汚泥が沈んでいます。
五月さんが生んだ卵の殻と、沈殿した中身です。蹴飛ばされたか喰われたか、既に割れていました。毎年恒例ではありますが、空しい気分になりますねえ。
産後で腹が減っているのでしょう。私を見た五月さんは、バチャバチャと餌くれダンスを踊っています。


餌くれるの?


それは餌じゃないって。


餌発見。


よく狙って


バクッ!




満腹になったところで、バケツと柄杓で溶き卵入り飼育水を汲み出します。
汚れた水は肥料として、植木の灌水に使用。栄養満点なので、雑草もよく育ちます。


卵のカラはどうしようかな。

あとはホースで清浄な水を満たし、五月さんが戻って来るのを待ちます。
真夏の時期のカメは、朝方に食餌、水温が上昇する日中は上陸して日陰に避難(そのまま昼寝)、夕方に水中へ戻るという行動パターンをとる様ですね。
夏が過ぎると食餌の量が落ち、10月頃からはツワブキの茂みへ潜り込んで動かなくなります。
頃合いを見て掃き集めた枯葉を睡蓮鉢に投げ入れてやると、五月さんはそれを寝床にして冬眠モードへ移行。
あとは水が凍らないよう覆いをかけ、来春まで長のお別れです。

五月さんの冬眠が、我が家の冬支度の始まり。
季節の移ろいがカメ基準でもいいじゃないですか。


視線 

September 19 [Thu], 2013, 23:17
彼岸花が綺麗な時期になりましたね。
桜の樹から毛虫が降り注ぎ、サザンカの枝にチャドクガの幼虫が群をなし、夜の食餌を終えたヨトウムシが素晴しい速度で巣穴に潜りこむ季節も終り、ようやく秋がやってきました。



先日のこと。
仕事から帰宅すると、玄関先で誰かの視線を感じました。
辺りを見回しても誰もいません。大きな蕾をつけた彼岸花が2本、玄関脇から伸びているだけです。
「?」
その時は何かの気のせいだろうと思い、出張も重なったことでそのまま忘れてしまいました。

数日後、出張から帰って来た日のこと。
玄関の鍵を開けようとしていたら、例の視線を感じました。
振返っても誰もいません。しかし、確かに見られているのです。
「????」
不思議に思いながら、ついでに玄関脇の彼岸花に目をやりました。そろそろ満開の筈です。
しかし、彼岸花は咲いていませんでした。
何故か蕾が消滅しており、代わりに10センチ程はありそうな黒い物体が茎に張り付いているのです。
何だコレ?と思った途端、そいつと「視線」が合いました。
ぶよぶよとしたグロテスクな胴体に浮ぶ鮮やかな目玉模様。セスジスズメ(蛾の一種)の幼虫です。以前、実家に植えたカラーを喰い荒していたので覚えていました。
視線の正体はこいつか!
背筋をゾワゾワしたものが駆け抜け、思わず悲鳴を上げそうになりました。
爬虫類や両生類は平気な私ですが、イモムシと毛虫はダメ。カブトムシの幼虫ですらムリ。小学生1年生の頃、理科の教材として出されたカイコを見て教室から逃げ出した程です。

しかしまあ、非常識な成長スピードだな。たった4日の出張中に彼岸花を喰ってここまで巨大化するとは、リアル進撃の巨人ですね。ああもうキモチワルイ。

あれ以来、ヒガンバナの群落には近寄らないようにしています。



イタビカズラ 

June 30 [Sun], 2013, 21:28
私の好きな植物のひとつがイタビカズラ。
イチジク属のツル植物で、園芸種が「フィカス・プミラ」の名で販売もされています。
日本に自生しているのは、細い葉のイタビカズラ、大きく光沢のある葉のオオイタビ、小振りの葉で毛が目立つヒメイタビの三種。
何故か海沿いの町や野山でよく見かけますが、耐塩性でもあるんですかね?内陸部でも古い石垣などに貼りついていたりします。
幼木のオオイタビとヒメイタビは区別が困難。葉脈で見分ける場合、葉の主脈(中心の繊管束)から鋭角に側脈が伸びているのがオオイタビ、横へ伸びているのがヒメイタビです。
また、ヒメイタビの葉の縁には歯牙があるのも差異のひとつ。

イタビカズラはいずれも常緑性で、一年中緑を楽しめます。
それゆえ壁面緑化に用いられることも多く、知名度が低いだけで珍しい植物という訳ではありません。
びっしりとオオイタビに蔽われた壁はとても美しく、年月を重ねた建物に茂るオオイタビなどは風格すら感じさせる程です(お手入れは大変でしょうが)。




表面がザラザラしたブロック塀のほか、溶結凝灰岩を切り出した石材もイタビカズラの着生に適しています。

幼木や挿木状態のイタビカズラは乾燥に弱く、ちょっと油断すると葉や茎がチリチリに縮んで枯れてしまいます。根が張っていないのに成長スピードが早過ぎて、水分の供給が追い付かないのかもしれません。
野山に自生している株を採集する際も、水で湿らせてから運搬する方が良いでしょう。
しっかりと根を張ってしまえば、特に弱点もありません。そうなると雑草並みに強靭な成長力を発揮し、凄まじいスピードでニョロニョロと伸びていきます。
挿し木に失敗したように見えても、茎に弾力がある間は諦めないこと。夏になれば成長を再開することもあります。
発根に失敗したのに、いつまでも青々と葉を茂らせていることもありますけど。
我が家のオオイタビはニ〜三年間全く成長せず、「もうダメかな」と諦めた頃に突如として枝を伸ばし始めました。
肝心なのは、毎日欠かさない灌水と、充分に茎を延ばせるスペースの確保ですね。

イタビカズラは「草」ではなく「樹」であることも忘れてはなりません。
その成長スピードは侮れず、放置していると擁壁や民家を丸ごと覆ってしまうこともあります。
石壁や鉄筋コンクリート造ならまだしも、木造家屋だと雨漏りや壁面の損壊など深刻なダメージに繋がることも。オオイタビに覆われた廃屋など、文字通り木に喰い潰されている観があります。
植栽する前には繁茂した場合の事をよくよく考えましょう。
「繁らせるのはこの範囲のみで、ここからはみ出た枝はトリミングする」などのルールが必要です。手が届かない場所や、屋根や隣近所にまで伸ばすなどもっての外。
私も「実家の車庫をイタビカズラまみれにしよう」と目論んだものの、ある程度成長したところで庭の手入れにやって来る植木屋さんに引き抜かれるというイタチゴッコを10年余り繰返して来ました。
「こんなのが生えると家の壁を傷める」というのがその理由。
ツルやツタを植えたければ、ひと夏楽しむだけの朝顔程度がよいのかも。


オオイタビに蔽われた旧海軍弾薬庫の壁。成長の過程が良く分りますね。
枝が壁面を覆い尽くしたら、今度は垂直に立ちあがっていきます。


オオイタビに蔽われた廃屋。屋根瓦の内部にも喰い込んで、深刻なダメージを与えています。


岩に着生したオオイタビ。覆う場所が無くなって、何だか愉快な繁り方をしています。


フユヅタ、オオイタビ、シダにフキまでが着生している賑やかなブロック塀。まるで生垣みたいですね。



夏の訪れと共に、挿し木にしていた我が家のオオイタビやヒメイタビも触手のように茎を伸ばし始めました。あと数年もすれば、立派な株に成長するでしょう。
壁面緑化はやらないにしても、植木鉢緑化くらいはやってみたいなあ。
そんなことを妄想しつつ、日々の成長を見守っています。

シンクロ 

May 04 [Sat], 2013, 1:25
この時代、この惑星のこの国のこの町で一緒に暮らしている人達。
考えてみると、奇跡に近い巡り合せなのでしょうね。大部分の人は名前すら知りませんけれど。

その中で、偶然にも誰かの人生と私の人生が重なってしまったことがありました。
確率からすると限りなく奇跡に近い出来事。
相手が素敵な異性ならば「運命の出会いかもしれない!」などと幸せな勘違いも出来るのですが、しかし、私の場合はどーでもいい結果に終わってしまったのです。



春の異動シーズンということで、歓送迎会を開催することとなりました。
予約したお店まではバスで20分ほど。初めて行く店ですが、何とか辿り着ける筈。

バタバタと仕事を終らせてから一旦帰宅して車を置き、それから最寄のバス停へ急ぎました。マズいなあ。時間ギリギリですね。
バス停には、見知らぬ初老の男性が佇んでいます。
黙ってその横に並ぶ私。オッサン二人では待ち時間が楽しくも何ともありません。
夕刻のラッシュのせいで、バスは10分ほど遅れて到着。こりゃあ待ち合わせに遅刻かな?私は男性に続いてバスに乗り込みました。
帰宅時間のため、二列席がひとつしか空いていません。
先に座った男性の隣に私も着席。そのまま暫し、ボーッとバスに揺られていました。

18時40分。ようやく目的のバス停に到着し、料金を払って下車します。あの男性も続いて降りてきました。
えーっと、予約したお店は通りの反対側ですね。
信号待ちをしている間に「先に始めといてくれ」と電話連絡しながら、ふと横を見るとあの男性が立っていました。どうやら同じ方向へ行く様です。
信号が青になったので横断歩道を渡り、向いのアーケードを北へ向かって歩いていきます。ビジネスホテルの先の角を右へ曲ると、その先の路地の奥に目的のお店がある筈。
えーっと、何番目の路地だっけ?
プリントアウトした地図を確認しながら行ったり来たりしていると、あの男性が私を抜き去って目の前の路地へ入っていきました。
彼が歩いていく路地の奥へ目をやると、目的の店の看板が光っています。ああ、やっと見つけた。
とことこ走っていくと、あの男性が先にお店のドアを開けました。
私も続いて入店します。

「よう、待った?」などと云いながら、あの男性はカウンター席の3人連れに声を掛けています。
「スンマセン、遅れましたー!」などと云いながら、私は同僚たちがビールを飲んでいる座敷に上がりました。

靴を脱いでから振り返ると、あの男性が怪訝そうな顔で私を見ていました。
私も、彼と同じ表情で見返していた筈です。


啓蟄 

March 17 [Sun], 2013, 13:45
今日はスギ花粉の飛散も少ないようで、鼻もムズムズしません。ようやく鼻水地獄の季節も去りつつある様です。
恐る恐るですが、久々に窓を開けてみたら視界がピンクに染まりました。
なんと、隣の桜が八分咲きになっています。先日まで蕾だったのに……。

昼食用につくっていたエビ入り中華粥をどんぶりに盛り付け、早速お花見に出發。
お花見といっても、近所の階段に腰掛けて桜を眺めるだけです。
その階段は通行人や近隣住民の目からは死角になっており、人通りも滅多にありません。桜の季節は秘かなお花見スポットなのです。

タオルにくるんだどんぶりを(火傷しないように)抱え、アパート裏の隙間にもぐり込みました。狭い路地の突き当りにはコンクリ製のちいさな階段があり、天井の様に張り出した桜の枝を眺めるには丁度よい場所となっています。



階段に腰をおろし、膝に乗せた熱々のどんぶりから粥をすくいながら、ぼーっと桜の花を見上げます。
頭をカラッポにして、暖かな春風に吹かれながらのんびり昼飯を食べるのはいい気分です。
これで寝っ転がるスペースでもあれば最高なのですが。桜の木の下でする昼寝は気持ちいいだろうなー。
そんな私を、花の蜜を吸いに来たヒヨドリだけが見ていました。

やがてこの桜も花が散り、緑の葉に包まれるのでしょう。

その頃から毛虫が大発生するので、しばらくは此処に近付くこともなくなるのですが。

かべちょろ 

February 04 [Mon], 2013, 20:01
まだまだ寒いですね。
生け垣の椿にはメジロが群がっていますが、本格的に動物達が動き始めるのはもう少し先でしょう。
アパートに棲みついているコウモリやヤモリも、まだ給湯器の裏でじっとしています。



今回はヤモリのお話。
むかし住んでいたアパートにも、どこから入り込んだのか一匹のヤモリが棲んでいました。
私は爬虫類や両生類が平気ですから、虫を食べてくれる益獣だからとそのまま放置。
壁に貼りつく彼のため、時々は窓を開けて羽蟲を招き入れたりしていました。
小さな同居人の存在は、独り暮らしの淋しさをなぐさめてくれたのです。


私がこんなにもヤモリを愛しているのに、母は大のヤモリ嫌い。
ヤモリを見るたび「毒があるから追っ払って!」と大袈裟に騒ぎ立てるのです。
「あのね、毒があるのはヤモリではなくイモリだよ」と何度説明しても分かって貰えません。
「ヤモリもイモリも同じでしょ!」
「いや、壁にくっついてんのが守宮で水槽にいるのが井守」
「ヤモリが毒もってんでしょ!」
「だからそれはイモリだって」
因みに、その頃の我が家では水槽でイモリを飼っていました。なのに、何で区別できないんだろ?


「頭書増補訓蒙圖彙大成」より。江戸時代の人でも、イモリとヤモリの区別くらいできていたのです。

さて。
彼は何処に隠れているのか、初夏になると姿を現して夏の間は壁に居座り、秋になると消えてしまいます。
開け放った窓から出入りしているらしく、偶にはアパートの外壁にへばりついたりしていました。

共同生活2年目くらいだったかな。

或る夜のこと、女友達が私のアパートへ遊びに来ました。珍しいこともあるもんですねえ。
で、とっ散らかった私の部屋を見た彼女は、やにわに掃除を開始。
私にとっては整頓されていたのですが、他人から見ればゴミ屋敷だったのでしょう。
こちらもボーッと眺めている訳にはいかず、掃除のお手伝いを始めました。夜中に近所迷惑だなと思いながら。

しばし片付けが進んだ頃。
掃除機をかけていた彼女の動きがふと止まりました。
「?」
彼女は、壁に貼りついているヤモリをじっと見つめています。そんなにアレが珍しいのかな?
すると、そのまま何のためらいもなく、彼女は掃除機のノズルを持上げて
―ヤモリを吸込みました。

えええええええええええええええええええ!?

「ナニすんだ!」
彼女から掃除機をひったくり、慌てて中を開けます。
紙パックの中で、ヤモリはゴミに埋まっていました。
注意しながら引っ張り出すと、私の手の中でゆっくりと身をよじります。
ああよかった。生きていました。
気息奄々たる彼をベランダに置くと、ヤモリはヨロヨロとした足取りで何処かへ歩み去っていきました。

ホッとしている私に「あのさー」と彼女が声をかけました。
「はい?」
「私、もう帰るわ」
「あー、……はい」

それっきり、あのヤモリとは逢っていません。
彼女とも以下同文です。


日本の軍用ボディアーマー 

September 16 [Sun], 2012, 21:21
【種別】 防弾衣
【製造国】 日本
【保管数】 1
【付属品】 装具連結用革製ベルト 2

旧ソ連軍のアーマーに続き、今回は日本の軍用ボディアーマーを取り上げます。



日本では、古い時代から鎧を使ってきました。
槍や弓から鉄砲へと合戦の様相が変わるにつれ、身を護る具足もそれに合わせて改良されていきます。
ケブラーやセラミックが無かった当時、鎧では銃弾を防ぐことなど出来ません。
明治時代になって、日本の軍隊は西洋式の近代軍隊へ進化します。
日本軍の兵士は銃に無力な鎧を脱ぎ、ライフルを手に軽装で戦う歩兵となりました。


元祖・国産ボディアーマー


20世紀に入ると大砲や機関銃を用いた火力中心の戦争となります。
日本がロシアと衝突した日露戦争でも強力な火器が大量投入されました。
旅順要塞を攻略する日本兵はヘルメットなどの防護具を装備しておらず、ロシア軍の火力を前に多大な損害を出しています。※日本軍も無策だった訳ではなく、敵弾を防ぐ防盾などを配備していました。
対するロシア側は、開戦前に「防弾胸甲」を欧州に大量発注したとの記録があります。
もっともこのボディアーマー、途中でキャンセルされたとか何とか。

飛散する砲弾や地雷の破片による死傷者が増えると、対破片用の防護としてボディアーマーの價値が見直され始めます。
第一次世界大戦の西部戦線では、双方が様々なヘルメットやボディーアーマーを配備していました。
但し、防弾鋼板を用いたボディアーマーは非常に重く、長距離を行軍する歩兵には不向きなシロモノ。
使っていたのは、あまり移動しない砲兵や狙撃兵だった様です。

大正時代から日本軍もヘルメットの開発に取り組みますが、防弾チョッキに関してはよく分りません。

昭和になって、日本でも「鎧」が復活します。
昭和7年に起きた第一次上海事変では、激しい市街戦が展開されました。
市街戦は限定された区域で戦われます。接近戦が多いうえに移動距離も少ないので、防弾チョッキの使用も可能だったのでしょう。
この頃の写真には、各種の防弾チョッキを着用した日本海軍陸戦隊員の姿が記録されています。

それから後、第2次上海事変までに日本軍のボディーアーマーは特殊被服として生産されるようになっていました。
以下、当時の解説より。


特殊被服の写真

【防弾被服】 鉄帽及防弾衣
今次の事変に於て令名を轟かした本品は初め鉄兜・防弾具と呼んでゐた。
そして今尚世間ではその名を用ひて居るが、昭和七年四月、兵器から被服品に移つた際
鉄帽、防弾衣と改称せられたのである。
金質はマンガン鋼、ニツケル、クローム鋼等の特殊鋼とし、前者は概ね野砲榴霰弾々子の貫せざる抗力を有し、後者は小銃弾の貫通を抗止する力がある。

陸軍一等主計 石光榮「帝國陸軍特殊被服の話」より 昭和12年




昭和12年、北平租界の大使館を警備する日本軍歩哨。ボディアーマーを着用しています。


戦時中、陸軍被服本廠参考館に展示してあったマネキン。
「防弾被服、近接戦闘に使用」と解説されています





恤兵品カタログより、日本軍の九二式防弾具。隣は被弾時の衝撃吸収用クッション。

様々な日本軍ボディアーマーの中で、工兵用の防弾具として有名なのが「92式防弾衣」。
これは胴体正面を拳銃弾や破片から防護するためのアーマーで、背中の装甲板はありません。
防弾板は亀の甲羅のような一枚板であり、下腹部を防護する前垂れが連結されています。

国内では、銃器犯罪を取り締まる警視廳の捜査員もこのアーマーを装備していました。
また、二・二六事件で治安部隊側が用いていたとの記録があります。

さて、当時の日本軍ボディアーマーとは一体どんなモノだったのか。
92式に関しては図面や写真しか見た事がないのでよく分りません。
そこで、民間で試作されていたアーマーを元にイロイロと妄想してみましょう。


こちらのアーマーは東京の「軍用銃弾防御研究所」なる組織が造った製品です。外見は92式と酷似していますね。
おそらく、日本軍への寄贈を目的に開発されたのでしょう。
装甲板はしっかりとカバー内に縫い込んであるので、形状などを視認することは不可能。
カバー部分は薄緑色の布製で、衝撃を和らげる緩衝材などはありません。

明治時代から、日本軍には民間の篤志家や企業から様々な発明品が持ち込まれていました。
このアーマーも、それらのひとつなのかも。

あと、陸軍が「両面防弾衣」というモノを試作した記録もあるそうですが、詳細は不明です。

【前面アーマー】


92式との違いは防弾板の数。このアーマー、前面の防弾板は左右3枚ずつを連結した計6枚となっています。


裏側から見たところ。製造団体の名札が縫い付けられています。縫製は結構しっかりしていますね。


肩の連結部分。


肩の連結用ストラップ。荷重の加わる部分なので、革ベルトが使われています。



脇腹のストラップ連結用Dリング。これで前後のアーマーを固定します。


【背面アーマー】
背中がガラ空きの92式とは違い、このアーマーは背中も防護できるスグレモノ。
背面の防弾板は上下に連結した計4枚を内蔵。


表側。斑点は、装甲板を連結するビスの錆びです。


裏側


前後連結用ストラップは、このように縫い付けてあります。


背面肩部分。


背面肩部分裏側。内側に縫い込んだ革で補強してあります。

【下腹部用アーマー】


大事な下腹部を防護する前垂れ部分。


前垂れ部分の裏側。

この前垂れ、92式と違ってアーマー本体には接続されていません。
両側のストラップでアーマー脇部分のDリングへ連結するか、そのまま腰に結ぶ外付け方式です。
前垂れを着脱式にしておけば、急にトイレへ行きたくなった時は便利でしょうね。
しかし、容易に取り外せるパーツだけに戦場では紛失の危険もあります。



試しに着用もして見ましたが、重量はそれ程ではありません。
いつぞや横田基地で着せてもらった米軍のプレートキャリアと大差ないように感じました。
ただ、重いし嵩張るし蒸れるしガシャガシャうるさいしで、まるでカメになった気分です。
こんなモノを着て長距離行軍とかはムリ。
このアーマーが実戦に堪え得るかというと、防護能力についてはある程度期待できるかもしれません。
しかし、耐久性は疑問です。
布製カバーは、防弾板の重量がかかる下部に補強布すらないので、これでは激しい運動をすると簡単に破れてしまうでしょう。
その部分を補強するか、使い捨てと割り切って交換式のカバーにする案はなかったんですかね?
しかも、防弾板をカバー内部へ縫い込んでしまっているこのアーマーだと、破れた部分を補修するのも難しい筈。

結局のところ、このアーマーは数多の試作品のひとつとして消えていったのでしょうね。
もしもコレを使用中の写真などございましたら、是非御教示ください。