ドッペルさん 

April 22 [Sun], 2012, 19:15

ぬっへっほう


ある日、取引先を訪問した際の話。
応対に出られた相手の方から「こんちわー。昨日は勝てました?」といきなり訊ねられました。
「勝った?何の話です?」
「パチンコ。昨日の夜やってたでしょ」
「パチンコですか……?15年くらい前に止めましたけど……」
「止めたの?何で?」
「向いてませんからねー。破産するまでのめり込みそうだったんで、怖くなりました」
「あれー?確かにアナタだと思ったんだけどな。後姿とかそっくりだったし」
と、いう会話を交わしたのが昨年のこと。

先日の夜、お花見のあと二次会で飲み屋さんへ行ったときの事。
店のドアを開けると「あらーいらっしゃーい。毎週来てくれて嬉しいわー」
とカウンターのママさんが笑顔で出迎えました。
「イヤミは止めてくださいよー。昨年末から御無沙汰してます」
「え?先週来てくださったでしょ?」
「先週?先週は飲みに来てませんよ。そうだよね」
「ああ、年度末は忙しいもん」
そう答える私と同僚を、ママさんは“二人して騙しているのではないか?”と怪訝な表情で眺めています。
「何ですかその顔。嘘じゃありませんよ」
「だって、お一人で見えられて、カラオケですごく盛り上がってたじゃない」
「知りませんよ。此処に来るのも今年に入って初めてです」
「えー、じゃあ誰だったんだろあの人。ほんとにお客さんじゃないの?」
「違います」
「本当にそっくりだったのよ」
「まさか、その人の支払いをウチの会社に請求したとかないですよね」
「ううん、現金払いでしたよ」
「ならいいですけど。……どんな人でした?」
折角の機会なので、「もう一人の私」について根掘り葉掘り訊きだしました。

とりあえず判明したドッペルゲンガ―氏の特徴は
・二人とも顔や体格がそっくり
・隅っこで黙々と呑んでいる私と違い、明るく楽しい飲み方だった
・会話が弾んでいたし話題も豊富
・酒をガブ飲みする私と違い、じっくり味わいながら飲んでいた
・タバコを喫わない私と違い、ヘビースモーカーだった
・音痴の私と違い、カラオケがとても上手かった
・高価そうな腕時計をしていた(私のは1800えんの安物)
なんというリア充。
しかも羨やまし……怪しからんことに、そいつはお店のおねえさんの胸を触りまくっていたというではありませんか。
一体ナニモノなのでしょう、もうひとりの私は?

この狭い町に、自分そっくりの人物が暮らしているというのも不気味な話です。
もうひとりの私は、今も夜の街を徘徊しているのでしょう。
もしかしたら、いつかどこかで二人がバッタリと出会うかもしれませんね。
芥川龍之介ではありませんが、その時が待遠しくもあり、不安でもあります。
遭遇した瞬間、二人とも対消滅してしまいそうで……。



罅割レ 

April 17 [Tue], 2012, 23:52

先週あたりまでは朝晩の肌寒さも残っていたのですが
櫻が散ってしまった今日は、空の色が完全に春へと切り替わりました。
先月まで花粉を撒き散らしていた杉林は漸く活動を休止し、代わりに芽吹いた雑木林が新緑に染まっています。
新緑といっても鮮やかな緑から淡い緑灰色までイロイロ混じっていますが、パステルカラーに彩られた山々を眺めていると愉しい気分になってきますね。



空のヒビ割れみたいなこの枝々も、来月には緑の葉をいっぱいつけている事でしょう。

軍用虎 

February 18 [Sat], 2012, 22:19

何年か前、某画像掲示板に投稿したら微妙にウケた画像。「皇国の守護者」とは一切関係ありません。
元ネタは大場彌平陸軍少将の著書より。昭和8年。

トラはともかく、中国に駐屯していた日本陸軍部隊で軍用豹「ハチ公」を飼育していた記録はあります。放し飼い状態でしたが兵士によく懐いており、歩哨任務にも同行していたとか。
後に「八紘」という名で上野動物園へ寄贈されたハチは、戦争末期におこなわれた戦時猛獣殺処分の犠牲となりました。


実は、秘密裏に日本軍が軍用虎を配備していたことは知られていません。
歩兵第50聯隊所属のこの虎が、実戦に投入されたかどうかは不明です↓

まあ、軍旗祭の飾り物ですけど

様々な軍用動物については本家ブログの記事もどうぞ。

海沿いの家 

December 25 [Sun], 2011, 6:20



せっかくのクリスマスなのに風邪が治らず、ゲホゲホ咳込みながらお好み焼きとビールで乾杯(もちろん独りで)。
思えば、去年もクリスマスに愚痴を書いてましたね。私の人生には何年経っても進歩がみられません。

寂しい夕餉を終えたら特にするべき事もなく、寝床に入ってフテ寝。

暫くして下の食堂に降りると、宿の女将さんが誰かと話していました。
TVを見ながらその輪に加わります。
やがて、話は近所にある家のことに。
「ウチの近所、海沿いの道に空家があるでしょう」
「ああ、あのボロボロの家ですか」
「むかしは食堂だったんですけどね。おじいさんが、港で獲れた魚とか出してたの」
「店を閉めたのはいつ頃なんですか」
「ずっと昔。おじいさんが亡くなってね」
「ふーん。で、あの家がどうかしたんですか」
「私も耳が遠いからよく分らないんだけどね、時々、あの家から歌が聞こえてくるの」
「歌ですか?」
「おじいさんが歌っているの」
「……は?」
何か、訳のわかんない話になってきました。女将さんは酔っぱらっているのでしょうか。
其の時、背後でカタカタと物音がしました。ビクッとして振り返ると、押入の襖がスルスルと開いていきます。
全員、凍りついた様にそれを見守っていると、宿で飼っている白猫が襖の間からにゅるりと出てきました。

なんだネコか、とホッとした時。

とつぜん、女将さんが立ち上りました。じっと虚空を見詰めています。
「どうしたんですか?」
「聞こえる……」
「何が?」
「ホラ、今も聞こえるでしょう?」
そう呟くと、女将さんは食堂の窓を開けました。
そこから見える海沿いのあの家に、ぽつりと灯りがともっています。
「まだ、誰か居るんだわ」
ゾッとして飛び起きた途端、目の前が真っ暗に。
闇の中で悲鳴をあげそうになってから、今のが夢だったことに気付きました。

そういえば、むかし泊まった旅館の女将さんと一緒に飲んでいた時、延々と地元の怪談を語られたことがあります。
「海沿いの家」もあの夜に聞かされたような記憶が……。

しかし、せっかくのクリスマスを選んで夢に出てこんでもよかろうと思うのですが。

我ニ追イツク…、アレ? 

October 29 [Sat], 2011, 3:02


其の日は小雨が降ったかと思えば晴天になったり、朝から落ち着かない天気でした。
ポコポコと道を歩きながらふと空を見上げた時、虹色に輝く雲が眼に入りました。
「彩雲だ!」
彩雲に出逢うなんて久しぶりです。以前目撃したのは、「言われてみれば虹っぽい色かな?」程度の彩雲でしたけれど。

しかしこの虹、彩雲にしては何か変。雲が流れ去っていくと、虹だけが空にポツンと残っています。
しかも半円形。イヤ、虹というものは大概が半円状なのですが、地表近くではなく空の真上で半円状なのです。どうすれば上手く説明できるんだか分りませんけど。
まさか、これが環水平アークというモノなのでしょうか?
見慣れたブロッケン現象なんぞと違って初見の虹ですから、どうにも判別がつきかねます。
澄んだ秋空に浮ぶちいさな虹は、コレはコレでとても綺麗ですねえ。
まあ、それ程珍しい現象ではないのでしょう。もしかしたら、結構頻繁に発生しているのかもしれません。

そういえば最近、空を見上げることが少なくなったことに気附きました。
手前の頭の上に、こんなにも美しい景色があることを忘れていたのでしょう。

悪夢のような2011年ももうすぐオシマイ。
これから寒い冬を迎えます。

恐怖のヘビトンボ 

September 13 [Tue], 2011, 0:09

昭和20年の広告より。孫太郎蟲と対米戦に何の関係があるのかは謎です。



夕方、5時を報せるサイレンが麓のほうから聞こえてきました。
シダの観察をしながら山の斜面にへばりついて数時間。サイレンで我に返り、漸く周囲の暗さに気付きました。
樹冠に遮られて空も見えない森の中、慌ててライトを点けようとしたら電池切れ。最悪です。
登山道までは離れていますし、来る途中の密生した藪と無数の蜘蛛の巣を再び突破するのもウンザリ。
下山時間短縮の為、まだ薄明りのあるうちに麓の駅まで近道をすることにしました。
コンパスで方向を確認してから、東側の急な斜面を真っ直ぐ降りはじめます。
最初はゆるやかだった山肌も、降りるにつれて次第に傾斜を増していきます。
落葉の堆積した斜面は一足ごとにズルズルと滑り、立ち木に掴まりながらでないと転落しそうになってきました。
次々と顔にかぶさってくるクモの巣を払う余裕もなく、崩落箇所や風倒木をかわしながらひたすら降下。
斜面のところどころに白く浮き上がっているのはキノコでしょう。こんな状況で見ると結構不気味です。



……遭難事故ってのは、こんな時におきるんだろうなあ。
などと縁起でもない事を考えていたら、漸く麓の町の灯りが見え始めました。
此処でホッと一息。
一休みしようと近くの木を掴んだ途端、幹にとまっていた何かの生物を一緒に握ってしまいました。この感触と体節だらけの生き物は、きっと昆虫でしょう。
バタバタ暴れる生物の感触に驚いて手を引っ込めようとするより一瞬早く、そいつは私の中指にカプッと噛み付いて、そのまま何処かへ飛び去っていきました。
痛みは大したことないのですが、闇の中で得体の知れない生物に咬みつかれるというのは不安なものです。
相手の姿が見えないので、もしかしてムカデやセアカゴゲクモだったらどうしよう?と余計な心配までしてきました。
……まあ、ムカデは空を飛びませんけど。
噛み付くうえに飛ぶんだから、アレはヘビトンボだったのかな?苦手なんだよなあヘビトンボ。何度見ても凶悪な姿をしてますよね、あの虫。
まあ、ムカデよりは無毒なぶんヘビトンボの方がマシですか。犯人はヘビトンボということにしておきましょう。
そんな事を考えつつ、痛む指をさすりながら降りていると

いきなり足元の地面がなくなりました。

暗闇の中、何が自分の身に起きたのか理解できません。仰向けに転んだかと思ったら、体は垂直に近い斜面を滑り落ちていきました。
うおっ?おおおおおおおおおおおおおヤバイヤバイヤバイ。
奈落の底へ吸込まれていくような恐怖の中、どうする事もできません。
そのまま何メートルか落ちていたら、ドンッという衝撃と共に平らな地面に足が着きました。
勢い余って3、4歩つんのめって漸くストップ。此処はドコなの?恐る恐る周囲を見回します。
よく見ると、昼前に登って来た林道の上でした。
助かった、と思った瞬間ヘナヘナと力が抜けてその場に座り込みます。
今しがた落ちて来た「崖」を見ると、何の事は無い、3メートル程の高さしかありません。死ぬ程ビビッていた自分が恥ずかしくなります。
変な虫に咬まれたことなどすっかり忘れ、街の灯りに向ってテクテク林道を下っていきました。
あーもー、今日は散々だったな……。


帰宅後、チクチク痛みだした指を確認したら、ちいさな2つの歯型がついていました。
皆さんもヘビトンボには気を付けましょう。何だかよく分かんない締めですけど。

戦場の怪談 

August 18 [Thu], 2011, 20:54
怪談の季節ですね。

今回は、当時出征された方による不思議な戦場体験を取上げてみます。
まずは洪橋決戦当時、唐底(唐は土編)付近での話。

「田圃道を急いでいると、兵一人が悪路に転んでしまった。
運悪く右足首の捻挫である。「困った」と思って付近を見ると、刈り残しの稲田の中に、紺色の野良着をつけた農夫が立っている。
「そうだ、この農夫に頼もう」と思い、「ニイ、ライライ」と呼んだ。
するとその農夫はこちらを向いたが、何の反応もしない。
再び「ニイ、ライライ」と呼んだ。すると今度は、僅かに顔に変化があり、笑ったように見えた。
「よし了解したぞ」と思い、手招きをした。けれどもその農夫は一向に動かない。
「ヨシ脅かしてやれ」と一人の兵隊が銃を構えた。「撃っちゃいかん」と自分が叫んだ途端、銃が暴発したのか「パン」と一発。
その弾が農夫の肩に命中した。その途端、今まで立っていた農夫の姿が消えた。
その状況は三人が確かに見た。
「惜しいことをした」と言いながら田ん圃の中に入って見ると、今撃たれた農夫がたおれている。
近くに寄って見て驚いた。撃った筈の農夫は何処にも居らず、横たわっているの農夫は死後数日経ったもので、既に臭気がある。
「おかしい」と付近を探して見たが、田圃の中で農夫が逃げられるような場所はない。
何だか魔術にでもかかったような錯覚にとらわれた。
暗くなってきたので仕方なく、米を二人分の籠に移し予定の場所に急いだ。
中隊に帰って中隊長に今の出来事を報告したら、「そんな馬鹿な事が」と一笑にふせられた。
いや、確かに見た。
忙中閑有りの一コマである」
独立第百七大隊 川野卯一氏「麦畑に立つ生霊」より

同部隊に伝わる話をあと2つ。
「それから暫く歩いた。夜もしらじらと明け始めた。
ふと立ち止まった隊長が、「松本中尉(狙撃され治療中)も駄目だな」とつぶやいた。
よくしたもので、三年も当番をすれば、難しい東北訛のつぶやきも良く判る。
「どうして?」と聞き直すと「今、人魂が紙坊の中隊の方へ飛んで行った。恐らく、松本中尉の執念が中隊のところに報告に行ったんだろう」としみじみ話した。
私には気がつかなかったが、そんなこともあるのだろうかと、半信半疑の氣持ちであった」
独立第百七大隊 小松友一氏の証言

続いてもうひとつ。
「重傷の松本中尉を収容し、私と山本上等兵は必死で介抱した。
が、その甲斐もなくついに意識不明のまま、安らかに息を引き取られた。
それまで抜刀のままであった松本中尉の愛刀を、帰らぬ人となられたのを見とどけて、私が鞘に「ガチャリ」と納めた時、外が「パッ」と明るくなった。
思わず外を見ると、青い火の玉が長い尾を引いて、漢口の大隊本部の方向に飛んで消えた」
独立第百七大隊 柳田武志氏の証言



別の意味で怖“がった”話。

第百七大隊が衡陽北端に到着した時、敵陣地前面の台地には第六十八師団の志摩支隊(歩兵第五十七旅団、大阪兵団)が陣地を構築して、敵と対峙していた。
我が第百七大隊は、この志摩支隊と戦線交代のためにここの陣地に来たのであった。
我々第百七大隊の兵隊が、陣地偵察や食料調達のため、前の田ん圃に出て行こうとした時、志摩支隊の兵隊とちょっとした言葉のやり取りがあった。
「前に出ると弾が飛んできまっせ(訳:前に出ると弾が飛んできますよ)」
「戦場じゃが、弾が飛んでくっとは当たり前じゃろが(訳:戦場ですから、弾が飛んでくるのは当たり前でしょう)」
「弾が当たったら死にまっせ(弾が当たったら死んでしまいますよ)」
「おんどんにゃ弾は当たらんわい(私には弾など当たりません)」
「九州の兵隊さんは恐ろしゅうおますな(九州の兵隊さんはおそろしいですね)」
「これじゃ、大阪の鎮台さんは衡陽は落とせんわい(これでは、大阪の第四師団さんは衡陽を攻略できせませんね)」


「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」などと馬鹿にされていた大阪の部隊ですが、実際には数々の戦功をあげています。
猪突猛進で突撃したり、合理的な思考で戦ったりという各部隊の県民性の違いに尾鰭が付いていったのでしょう。

ここに載せた話は、いずれも独立歩兵第107大隊史「平和の陰で」からの引用です

謎のソ連製ダットサイト 

August 04 [Thu], 2011, 0:38
ソ連製ダットサイト「РУСАК」




近頃流行のダットサイト(ドットサイト)。
この機器は銃に取り付ける光像式照準器で、レンズに投影された光点(ダット)を目標に合わせて引き金を引けば、その位置に弾が飛んでいくという原理になっています。
ダットサイトが登場したのはいつ頃なんですかね?旧西側諸国が最初だった様なイメージがあります。

で、実は旧ソ連もダットサイトを開発していました。

РУСАК(ロシア語で野兎の意味)という名のこのダットサイト、ソ連崩壊直前に出回った品なのですが、例によって正体がわかりません。
誰が、いつ、何の目的で、どの銃に取り付ける為に開発したのでしょうか?名前からすると狩猟用ですかね?
確かマニュアルが付いていた筈なのですが、何処へ仕舞ったのか忘れてしまいました。
今回の謎ソ連アイテムとして、このノウサギちゃんを紹介いたします。



РУСАКの正面と横。右サイドの三角形のツマミがダットの入切用スイッチです。


裏面。銃にマウントする為の金具が2箇所あります。




電池収納部分を開けた状態。横の部品はねじ込み式の蓋。РУСАКは単三電池2本で動きます。





ダットの形状は逆V字型。スイッチを右へ回すと、ドットの輝度が二段階で上がっていきます。


ダットはこの小さい穴から前方のレンズへ投影されます。



コレがAKに載せられるかどうか、こんど手持ちのモデルガンで試してみる予定です。



犬神憑き 

June 10 [Fri], 2011, 4:48
症例
熊本縣球磨郡免田村字吉井
所有者・管理者 永島カノ
牛 雑種 牝 赤毛 一歳 農用の目的

大正四年八月十六日午後七時頃発病
同年月十八日午前九時頃斃死

前記畜牛一頭八月十六日気腫疽に罹り治療中の旨、同十八日午前八時多良木警察分署よりの報告に接し、同九時斃死の旨同十一時更に報告あり。
仍て同日午後七時矢津技手発生地に出張、翌朝剖検し気腫疽と認め可検材料を採取せりと。

地勢及発病状況
気腫疽の発生地は球磨郡免田村にして、熊本を距る南三十三里余、東は同郡岡原村、西は同木上村、南は上村、北は深田、須恵、多良木村に圍繞せられ、各村共に既往炭疽の発生を見しことあるのみならず、近く本月十三日多良木村に炭疽発生せしと雖も、此地一帯には未だ曾て気腫疽の発生を見しこと更になかりしに、本囘突発せるに於て稍々疑念を懐き調査せる所以なり。

禀告
畜主に就て親しく其の径路を探るに、斃牛は大正三年十二月同郡黒肥地村牛馬売買業者某より買入れ、今日に至れるものにして、発病四五日前付近の河川に川入れせし外同牛を牽引他行せしこともなく、又牛馬商の往来もなく、家族の者に於ても施行せしこと等更になかりしに、八月十六日正午給飼せしまでは元気、食欲共に異常なかりしが、午後七時頃夕餉を与ふるに採食を好まず、仍て初めて獣医に診を乞ひしと云ふ。
又古老の談話に拠れば、本郡は宮崎縣と交通頻々なるが故に随て此地付近にも犬神生棲し為めに、該犬神の祟りに遭いて発病することありと唱ふ。
之れ腫脹を発生するが故に此地に於ては「カゼ」と称すると。
此の犬神たるや土鼠及野鼠に類似し、所謂齧歯獣にして野鼠或は土鼠の一種に属するものかとも察せられ、此地付近の山中に棲すと(之れ甚だしき迷信に外ならず)。
若し此の犬神の怒を招来せんか、忽ち腫脹を発し腫脹は皮下各所を遊走し、経過甚だ急劇にして該症に侵さるゝ時は二三日にして斃れ、到底其の生命を救ふこと不能に至ると云ふ。
亦主治獣医たる田村獣医の談に徴するに、此地一帯には既往気腫疽の発生を目撃せしことあるも、付近開業獣医は悉く炭疽として報告處分するにより、法定獣医としての取扱上炭疽と気腫疽は共に略ぼ同一なるが故に強て気腫疽として處分せざりしと雖も、本囘は主治獣医として衝に當りしのみならず、其の徴候顕著なりしが故に気腫疽として報告せりと。
由来本郡は古老の談話の如く犬神盛んにして、此の犬神の祟りの為めに発する「カゼ」に侵され斃死せるものは獣医の囘想に依れば主に牛を侵せりと。
仍て此「カゼ」も或は気腫疽にはあらざるかと思料せらると。
以上の談話を綜察するに、既往気腫疽の発生しつゝありしは明かにして球磨郡の如きとは趣を異にし、牛と共に産馬多数なるに既往発生せし。
炭疽は馬に比し牛を侵すこと最も多き傾向あるに因て観れば、田村獣医の談の如く炭疽と誤診せしものありしやも計り難く、本囘の発病もそれが為めに此地潜伏病毒に因て不幸本症を発せしにはあらざるかと思料せらる。

既往症
斃牛は大正三年十二月同郡黒肥地村牛馬売買業者某より購入し、今日に至れるものにして発病四五日前付近の河川に川入れに行きしのみにして、輓近他行せしこともなく、又家族の者に於ても旅行したること更になきのみならず、牛馬売買業者の往来もなく十六日正午までは何等認むべき変常なかりしが午後七時頃夕餉するに採食するを不好、仍て俗称ナイラかとも考へ持合せの売薬を投与せしも、病状軽減の態を認めざるによりて十七日午後六時(発病後約一日)初めて獣医に診を乞ひしによるものにして主治獣医初診の際は動物は起臥自由・結膜其他天然孔の粘膜は稍々充血・脈搏・疾速・呼吸僅かに促迫・皮温不正・體温三十九度六分にして聴診上胃の運動及腸の蠕動衰憊するも著しく認むべき原因もなきが為めに稍々疑惑を懐き牛舎外に牽出せしめしに、左後肢跛行を呈し、繋凹部に出血斑を認むる外、飛節部発熱し鵞卵大の腫脹を認め触診上嗶潑音を発す。
依て気腫疽ならんと診するも療法としては唯だ下剤三囘を投与せしに止まりしが、同日午後七時頃より已に規律すること不能、右側位置に横臥し頻々叫鳴を発し水を欲し、時々腹部を顧睨し腫脹は臀部に波及し虻蠅の刺螫に依て直に血様液の流出容易・後肢は腫脹のため開帳するに至るまでに劇甚となる。
仍て同村濱田獣医立會診断するに其の結果同獣医の診断も一致せしが、同獣医は後再び来診し畜生に向ひ炭疽ならんとの語を遺し立ち去りしが、臀部に至る腫脹は益々其の度を増し、下腹部に至るまで波及し十八日午前九時斃死せりと。
(以下省略)

冥途 

May 09 [Mon], 2011, 3:43
久しぶりに帰省したというのに、皆出掛けているのか家の中はしんと静まり返っています。
薄暗い家から出て裏庭へ。しかし、いつもなら一目散に駆け寄ってくる犬の姿もありません。
犬小屋を覗くと空っぽです。どこへ行ったんだろう?
庭の木々には、午后の日差しが静かに照りつけています。
しばらくそれを眺めていて、……ふと見下ろすと、いつの間にか犬が私の足元に座っていました。足にもたれ掛ったまま、ボーっと明後日の方向を見ています。
よう婆さん、元気だったか。1年振りだなと頭を撫でようとして驚きました。
彼女の体の至る所から、双葉の芽が吹き出ているのです。
慌てて引き抜こうとしたのですが、その根は体内深く喰い込んでいました。ひとつひとつ、千切れないように注意しながら引きずり出します。ズルズル引き抜くと、その芽はうねうねと身をよじるのでした。まるで寄生蟲のように。
やっとの事で右眼から生えていた最後の1本を取り去ると、彼女はさっぱりしたような顔で私を見上げ、パタパタと短い尾を振りました。
そのとき、ようやく思い出したのです。
ああ、お前は去年、死んでしまったのだったな。

蒲団から飛び起きていつものアパートの部屋にいるのだと気づいた時、涙が溢れてきました。
あの子はもう居ないのですね。


不思議なもので、それ以後は妙に吹っ切れた気持ちになりました。いつまでも犬の死を悲しんだところで仕方ないのだと。
ただ、もういちど夢の中で逢いたいと願っているのですが、なかなか出て来てくれません。
あれが別れの挨拶だったのかも、などとバカバカしい事を思ったりもします。