プライバシーと電話

April 20 [Fri], 2012, 12:46
家のなかでは、親兄弟に聞かれるのをいやがり、室の片隅でひそひそと電話をしているのに、一歩街角に出ると、隣りに他人がいるのもかまわず、声高に、のびのびと電話をつづける。


このような日本人の世界独特のプライバシー感覚が、わが国の公衆電話繁盛記のべースにあるともいえるのではなかろうか。


このため、かつては世界に例のない店頭の赤電話が日本の都会を象徴する風物詩となり、現在は、駅の構内や空港のロビーで、間になにも仕切りがない緑のカード式公衆電話が並ぶという情景を生みだす。


これにたいして、向こうではプライバシーを重んじるので、ボックスでないと気軽に話せないといわれるし、赤電話のような公衆電話への要望自体が出てこないとのことです。


・・・ところで、docomo 大和などの携帯電話ではどうでしょう。


ボックスとは違い、好きな場所に移動できるので、人目の無い場所で通話・・・なんてのも出来ますから、便利ですよね。


日本人と電話

April 08 [Sun], 2012, 12:45
・・・日本人は電話をよく利用する。


「日本人の電話好き、フランス人の手紙好き」という言葉さえあるようです。


そして、その電話好きのなかでも、とくに公衆電話好きという側面が目立つ。


これについて藤竹暁氏は、日本在住のドイツ人フリージャーナリストG・H・ヒールシャー氏との対談で、「外国へ旅行して一番困るのは、あちらには日本流の赤電話が少ない事ですね。・・・それにボックスはあるにはあっても、しかるべきところにしかない。だから、日本流の感覚で赤電話を使おうとすると、非常にとまどってしまいます」と述べ、ヒールシャー氏も、これに即座に同意している(『電話コミュニケーションの世界』ダイヤル社昭和54年)。


ここで、赤電話といわれているのは、いまなら、さしずめ緑の公衆電話でしょう。


しかし、それはともかく興味深いのは、その後で、ヒールシャー氏がつぎのように述べている点です。


「初めて日本に来たとき、街に赤電話が多いのにびっくりしたんですけど、もっとびっくりしたのは、みんながプライバシーなどお構いなし、という感じで大声で赤電話をかけていることでした」まことにそういわれると、そのとおりです。


でも今の時代でもそうですけどね・・・笑


ドコモ 大和などの携帯電話の普及でますますその当たりが加速したのでは?と思います。

日本人と公衆電話

March 13 [Tue], 2012, 12:45

当時、日本の公衆電話は、ピンク電話を含めないでも約80万台ありました。


全国の街角や道路ぎわ、あるいは店頭で、雨の日も風の日も、いつももくもくと顧客を待ちつづけています。


ときには手荒に扱われ、いたずらをされ、傷められることもあるが、欧米諸国とくらべても公衆電話は広く普及しており、その管理も全般的に良好です。


しかも、うれしいことには多くの場所で、公衆電話は繁盛し、行列が絶えないところも少なくありませんでした。


さらに、春の花見をはじめとして、全国で四季折々に催される各種の祭り、夏の海辺や登山者の多い山頂、冬のスキー場、または、最近流行のイベント会場など、およそ人出の多いところには、臨時に公衆電話が架設され、行楽客などに利用されています。


しかし、なんと言っても災害に強いですよね。公衆電話って。


docomo 大和どの携帯は利便性と、公衆電話は強さを・・・ですかね。

文化になったテレホンカード

March 01 [Thu], 2012, 12:44

テレホンカードは、発売後数年で認知率100パーセントの商品となり、緑の公衆電話とともに、現代日本の暮らしやビジネスになくてはならぬものとなりました。


また、コレクションの対象としても、根強い人気が定着した。


一方では、旅行のおみやげや、冠婚葬祭の引き出物、卒業記念や会合の思い出、はてはバレンタインデーのチョコレートに添えて、自分の番号を磁気記録したカードを贈り、彼氏からの電話を待つ女性まで出現、テレホンカードはいまや「文化」になったとまでいわれています。


しかもそれだけではなく、このテレホンカードの成功が、オレンジカードなどの交通機関用のカードをはじめ、各業界でつぎつぎとプリペイドカードを誕生させることになり、昭和の終わりから平成の初めにかけて、世界に例のないプリペイドカードブームを、わが国に招来していました。


ドコモ 大和などの携帯もコレクションしている人がいるようですが・・・歴代の携帯をとっておくのも、時代を感じる種となるんでしょう。


電話史上、初の街頭販売

February 15 [Wed], 2012, 12:44

それにもう一つは、全国各地で展開された街頭販売です。


それまでは、「通信」という目に見えぬものが主力商品であった電電公社、お役所気質が抜けなかったこともあって、頭でわかっても、販売が身体にピンとこなかったのも無理はない。


そこに降ってわいたようなテレホンカード販売。


大いに戸惑ったのは事実だが、そこは電電マンのど根性で乗りだしたのが、街頭でハッピを着用におよび、のぼりを立てて、朝早くから夕刻まで、声をからしての販売合戦。


それが、電電民営化の前哨戦となったのはまちがいない。


ここでも、よい意味での社内競争が活発に行われ、テレホンカードの社会浸透を加速し、今では、docomo 大和などの携帯電話も加速中です。

デザイン競争でブームが到来

February 02 [Thu], 2012, 12:43

効果的だったのは、デザインを開放したこと、逆にいえば、デザインの競争をさせたことでしょう。


遊ぶ字シリーズの成功に目をつけた関西地域では、翌58年に「大阪城築城400年」のカードがだされ、59年には、全国各地で、地方色豊かなカードが、つぎつぎと発行されました。


また、59年9月からは、電電公社がデザインするのではなく、顧客の注文によりデザインする「オリジナルカード」が発売されることになりました。


もっとも、広告の専門家が一致して反対したといわれるこのカードの立ち上がりは、苦戦の連続だったようです。


しかし、間もなく、辻氏の後任課長になった福元俊久氏が、フリーデザイン第一号として、ピエール・カルダンのデザインのものをとってきてから、はずみがつきだし、あとは注文に追いつくのが精いっぱいというブームがやってきたのです。


ところで、ドコモ 大和などの携帯電話でもデザインの競争は続いています・・・。

デザイン性、ファッション性

January 16 [Mon], 2012, 12:43
遊ぶ字シリーズの誕生にも、数々の苦心談があったが、ここに紹介するスペースがないのが残念です。


ただ、その発行に当たって、社内の若手社員100人に人気投票をしてもらったところ、遊ぶ字シリーズの得票がゼロだったということ、感性がすぐれているはずの若者でさえ、賛成しなかったというところに、新しい企画実現を阻む壁の厚さがうかがわれよう。


テレホンカードにも、イギリス、フランスなどの先進国があったが、その表面にデザイン性、ファッション性を採り入れた国はなかった。


デザインと言えば、docomo 大和などの携帯もそうですね。


話は戻りますが、そのなかで、あえて先進国なみの数字だけのさえないカードと、遊ぶ字シリーズのカードを同時に売りだし、デザインのよさを際立たせた心憎いやり口、固いと評判の電電公社にも、なかなかの人物がいると、マスコミにしばしば登場させられた二人は、辻毅氏(当時の業務管理局電報電話課長)と網谷駿介氏(同補佐)です。


遊ぶ字テレカ

January 03 [Tue], 2012, 12:42
テレホンカードがヒットした第一のきっかけは、岡本太郎画伯のデザインによる「遊ぶ字シリーズ」のテレホンカードです。


これは、「喜」「楽」「音」「話」の四文字、すなわち、電話で話す喜びや楽しさ、電話にもっとも関係が深い音と話をデザインしたカードで、喜は50度数、楽は100度数、音は300度数、話は500度数です。


そして、平成元年3月現在のその評価は、それぞれ、7万7000円、9000円、5500円、6500円となっている(『テレカ収集』平成二年三月一日号)。


売り値がいちばん安い50度数のカードに、売り値が高いカードの何倍もの値段がつけられているところなど、なかなかおもしろいコレクター心理です。


このように発行後、何年たっても人気が衰えないカードを、スタートのときから売りだしたのが、テレホンカードの話題性を高めた第一歩でした。


しかし、ドコモ 大和などの携帯電話でもそうですが、なにごとにも生みの苦しみはつきものなんですね。

テレホンカードこぼれ話

December 22 [Thu], 2011, 12:41

昭和57年のクリスマスイブの前日、つまり、12月23日、東京は数寄屋橋公園で、一つのイベントがありました。


この日、ここにカード式公衆電話機第一号が設置され、午前10時から開通式が行われたのです。


そこには、電電公社創立30周年にちなんで「おかげさまで30年」の大きな看板があった(上之郷利昭『テレホンカード成功の秘密』昭和62年エヌ・テイ・テイ・アド)。


それから3年もたたぬうちに、電電公社は民営化され、その前後に社員総がかりで売りまくったテレホンカードが、二十世紀最後の大ヒット商品とまでいわれるようになり、平成2年春には、その販売枚数が延べ10億枚を超えるまでになろうとは、当時、誰が予想したでしょうか。


そして、今のdocomo 大和などの携帯電話も当時の人は予想もしていなかったでしょうなあ・・・。

日本一低い公衆電話

December 07 [Wed], 2011, 12:41
日本一低い公衆電話は、海面下149.5メートル、青函トンネル内の吉岡海底駅に設置してあるカード式公衆電話です。


また、平成の時代がスタートしたばかりの現在、日本全国の公衆電話のなかで、もっとも多く使われているのは、東京駅八重洲口新幹線乗場に設置してある右から三番目のカード式公衆電話で、月間70万円近くの利用があるとのことです。


あの南海の孤島、太平洋戦争の最大の激戦地であった硫黄島にも、カード式公衆電話が設置され、昭和63年3月から、硫黄島と本土間の通信を確保しています。


このように、公衆電話をはじめ、ドコモ 大和なのどの携帯電話はあらゆる場所で公害にもめげず、四六時中もくもくと、私たちのコミュニケーションの橋渡しをする重要な役割を演じています。