予言について 

2008年09月18日(木) 15時53分
 このあいだ、有難いことに9月8日のジュセリーノ氏の大地震の予言が外れた。私はそもそもジュセリーノ氏の予言が好きではない。それは、氏の描く予言のイメージのひとつひとつが陰惨でおどろおどろしいからだ。誰だってひとのこころを恐怖に陥れるような「予言」はうれしくないはずだ。それに、ジュセリーノ氏の流すようなそうしたイメージに踊らされて皆が未来を救いようのない陰惨なものとして固定して思い描くようになってしまったら、未来はきっと多数のひとたちの言霊や思い霊(だま)のつよい影響を受けて相当にねじまがってしまうだろう。では、じっさいの未来を明るく希望に満ちた清浄たるものにするにはどうしたらよいか。そのためには、地球や宇宙があたたかな心や平和の考えにみちみちて光り輝くヴィジョンを、みんなひとりひとりの心のうちに持つようになることが必要だろうと思う。

 つい最近、あるところで、10月14日に長さ3400キロの超巨大宇宙船が地球上空に飛来するかもしれない、という話を聞いた。それは、ほかの星に暮らす、愛と平和に目覚めた賢くて真の意味で勇敢な人たちの乗った宇宙船なのだという。地球の人類ももういい加減に目覚めなければいけないときが来ているような気がする。10月14日、はたしてどんなことになるのか今から楽しみだ。

尾崎左永子さんの短歌作品から(メモ) 

2005年11月17日(木) 18時35分
 惹かれます。

尾崎左永子(この歌集『さるびあ街』を発表したときの名義は、松田左永子)さんの歌集『さるびあ街』から。

カレー粉の匂ひしてゐる地下道より夕光(ゆふかげ)赫き鋪道に出でつ 尾崎左永子

人間の流れの中に吾もゐて曇よりさす日に照らさるる 尾崎左永子

いつか読みたい本(メモ) 

2005年11月16日(水) 20時03分
 いつか時間ができたら読みたい本です。

 グリンカ、バラキレフ、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、スヴィリドフといったロシア、ソ連の作曲家の仕事にも興味がありますが、それと同じぐらいに、近現代の日本の作曲家の仕事にも強く興味を惹かれています。

http://tochimenbou.seesaa.net/article/8548970.html

●「黒澤明と早坂文雄 風のように侍は―」  
  西村雄一郎著(筑摩書房)
  発売中
  定価4095円(本体3900円)

作曲家矍小松氏のこと。 

2005年11月15日(火) 13時15分
 作曲家矍小松氏のこと。

 メモ。

 石田一志著『モダニズム変奏曲』(朔北社、2005年)303〜304ページ。

(前略)矍 小松(QU Xiao Song、1952年生まれ)は、文革期に四年間、山岳地帯の集団農場で働いた。1972年、20歳になった年にヴァイオリンの独習を開始して、すぐに文工団に所属し、ヴァイオリンとヴィオラを担当するようになった。1978年に中央音楽学院に入学してからは、杜鳴心に作曲を師事して1983年に卒業した。その後、しばらく同音楽学院で作曲科の講師を務めながら、作曲活動を展開。とくに田壮壮監督の『盗馬賊』(1985)、『狩場の掟』(1985)、陳凱歌監督の『大閲兵』(1985)、『子供たちの王様』(1987)の映画音楽の作曲で、世界的な名声を得た。1989年に、米国コロンビア大学内の米中芸術交流センターの客員研究員として招聘された。十年間、ニューヨークに滞在した後、上海音楽学院で後進の指導に当たるため中国に帰国した。
 初期作品は、曲名からも明らかなように、「尋根(自分たちのルーツ探し」音楽の典型で、山地での下放体験を描いている。すなわち、ヴァイオリン曲《谷》(1979)、チェロとピアノのための《山唄》(1982)、ヴァイオリン協奏曲《山之女》(1982)、交響組曲《山と風土》(1983)などで、そこには民歌が使用されている。「尋根」は、その後、より幅広い探求となる。バスと西洋楽器と民族楽器の混成合奏のための《Mong Dong》(1984)は、雲南地方の少数民族の岸壁画に着想を得ている。プリミティブだが強靭な線で大自然に表現を刻みつけた人間、その孤独さ、自然との一体感、そして非都会的なエネルギーの存在を、矍小松は声と打楽器を主体としたアンサンブルで描こうとした。(中略)矍小松は、1990年代に、福岡の音楽祭での一連の委嘱作品や、映画『人生は事の弦のように』(1991)の音楽などで、日本でもかなり知名度の高い作曲家となった。(後略)

今朝の地震 

2005年11月15日(火) 9時51分
 今朝の地震。。。

 黒田さんと紀宮さまの結婚の儀が今日行われるそうです。今朝の地震発生が、一部巷間で囁かれている『皇族の女性が民間に嫁ぐときには大きな災害が起こりやすい(?)』という話(噂)を思い起こさせます。。。ちょっと心配です。

Hi-net 高感度地震観測網
http://www.hinet.bosai.go.jp/

最新地震予測情報
http://jisinyosoku.livedoor.biz/

地震予知ブログ 的中率90%以上
http://ameblo.jp/ameblo11/entry-10005985585.html

紀宮さま結婚式(11月15日):サーヤの公務と大地震が連動の観点から地震が起きる!?
http://ameblo.jp/cabo-da-roca/

                ☆

《三陸沖で地震 北海道から関東にかけて震度3》 
(2005年11月15日08時56分朝日新聞記事)

 11月15日(火)午前6時39分ごろ、三陸沖を震源とする地震があり、北海道、東北、関東にかけて震度3を観測した。

 気象庁によると、震源の深さはごく浅く、地震の規模はマグニチュード6.9と推定される。

 この地震で一時、北海道太平洋沿岸中部、岩手県、宮城県、福島県、青森県太平洋沿岸、茨城県に津波注意報が出されたが、約2時間後に解除された。

 午前7時半前後に、岩手県大船渡市の50センチをはじめ、岩手、宮城、青森各県で津波を観測した。

 震度3を観測した主な地域は次の通り。

 【北海道】清里町、新冠町、静内町、浦河町、弟子屈町、釧路町、別海町

 【青森県】八戸市、三沢市、むつ市

 【岩手県】大船渡市、陸前高田市、盛岡市、二戸市、八幡平市、花巻市、北上市、一関市、遠野市、江刺市

 【宮城県】仙台市、石巻市、古川市、気仙沼市、栗原市、登米市、名取市、角田市、岩沼市


 【秋田県】秋田市、横手市、大仙市

 【山形県】山形市、酒田市、尾花沢市

 【福島県】福島市、郡山市、白河市、須賀川市

 【茨城県】常陸太田市、笠間市、常陸大宮市、石岡市、つくば市、筑西市、桜川市

 【栃木県】宇都宮市、大田原市

 また、東京都心や横浜市、千葉市、埼玉県川口市などでは震度2を観測した。

http://www.asahi.com/national/update/1115/TKY200511150026.html

大化改新、舞台に迫る 明日香・甘樫丘東麓遺跡 

2005年11月14日(月) 13時09分
 引き続き新聞記事から。
                ☆

《大化改新、舞台に迫る 明日香・甘樫丘東麓遺跡》
(2005年11月13日23時04分朝日新聞記事)

 「やっぱりあったか」。奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)東麓(とうろく)遺跡で見つかった建物や塀の跡に、考古学者らの興奮が高まった。(中略)

 奈良文化財研究所の豊島直博研究員は、今回の調査担当に決まったこの春、同僚らに冷やかされた。「いいところに当たったな」。94年に焼けた木材などが大量に見つかった場所のすぐ脇だったからだ。その期待通り、建物跡が出てきた。

 日本書紀はこう伝える――。皇極天皇3年(644年)の冬、甘樫丘の頂上とふもとに邸宅が築かれた。蘇我大臣(そがのおおおみ)蝦夷(えみし)の「上(うえ)の宮門(みかど)」と、その子入鹿の「谷(はさま)の宮門」。家の外に城柵(きかき)、門の近くに兵庫(つわものぐら)(武器庫)があった。

 (中略)

 約半年後の645(大化1)年、入鹿は宮殿で政敵・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇)に暗殺され、蝦夷は翌日、邸宅に火を放って自害。このクーデター「乙巳(いっし)の変」で蘇我氏は滅ぶ。(中略)

 今回の調査で、小規模だが5棟分の建物跡が見つかった。しかもそこは、日本書紀が入鹿邸のあった場所と記す「谷」だ。11年前の調査の担当者、奈良文化財研究所の次山淳・主任研究官は「予想通りだ。建物が小さいので、邸宅の周辺施設ではないか」と声を弾ませた。

 一方で、蘇我氏滅亡後の7世紀後半の土器や整地跡も見つかり、入鹿邸と断定するには謎が残る。(中略)猪熊兼勝・京都橘大教授(考古学)は「蝦夷の父、馬子の邸宅跡も後に天武天皇が使っている。蝦夷・入鹿の屋敷跡を天皇家が利用しても不思議ではない」と話す。

 河上邦彦・神戸山手大教授(考古学)は、邸宅跡が天皇家の苑池(えんち)(庭園と池)の一部になったのではと推測する。(中略)「蘇我氏は天皇家にとって目の上のたんこぶ。その本拠地跡を苑池に取り込み、天皇の権勢を示したのではないか」と想像を巡らせる。

http://www.asahi.com/culture/update/1113/010.html

蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土 

2005年11月14日(月) 13時04分
 興味深い新聞記事から。

 メモ。

《蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土》
(2005年11月13日20時58分朝日新聞記事)

 奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)(標高148メートル)のふもとにある甘樫丘東麓(とうろく)遺跡で、掘っ立て柱建物5棟や塀などの遺構が見つかった。奈良文化財研究所が13日、発表した。94年には約20メートル南東で大量の焼けた壁材や木材、土など(7世紀中ごろ)が出土しており、そのすぐ近くで発見されたことで、今回の建物跡は、大化改新のクーデターで倒れた権力者、蘇我入鹿(そがのいるか)の焼け落ちた邸宅跡の可能性が高いという。同研究所は周囲の発掘を続け、日本書紀が描く蘇我氏滅亡のドラマを裏付けたい考えだ。

 国営飛鳥歴史公園の整備に先立ち、約725平方メートルを発掘。直径20〜30センチの柱穴が20個以上見つかった。建物は南北10.5メートル、東西3.6メートルのものなど、いずれも小規模で、全容や用途は不明。塀は長さ約12メートル分。周辺の溝(幅0.8〜1メートル)からは、焼けた石や土、炭などが出土した。

 調査地は甘樫丘の東側のふもとで、入り江のようになった谷間。起伏の激しい場所を大規模に整地していたことも今回わかった。

 丘の頂上からは蘇我氏建立の飛鳥寺跡や、大化改新の幕開けとなる「乙巳(いっし)の変」(645年)で入鹿が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇、626〜671)に首をはねられたとされる飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)の伝承地(後の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の跡)などが見渡せる。

 日本書紀によると、644年、入鹿の邸宅が丘の谷間、父の蝦夷(えみし)の邸宅が丘の上に築かれ、乙巳の変でいずれも焼け落ちたとされる。焼けた部材や土などが94年に出土した際には建物跡は見つからなかったが、同研究所は今回の発見で入鹿邸跡との見方を強めている。 (中略)

 調査担当の豊島直博研究員は「土器の年代幅を限定しにくく、調査面積も狭かった。入鹿邸跡の有力候補地だが、結論は来年度予定の本格調査を待ちたい」と話す。
(後略)

http://www.asahi.com/culture/update/1113/008.html

句頭韻を踏む技法のこと。 

2005年11月13日(日) 20時36分
 句頭韻を踏む技法のこと。

 メモ。

                ☆

 田中裕明さんの句集『夜の客人』から。

マクベスの魔女は三人龍の玉 田中裕明

草かげろふ口髭たかきデスマスク 田中裕明

                ☆

(ま)くべすの/(ま)じょはさんにん/りゅうのた(ま)

(く)さか〔げ〕ろふ/(く)ちひ〔げ〕たかき/ですます(く)

『句頭韻を踏んでさらにそれを句末にも使うという技法。(中略)人間の普通の知力では、こんな複雑でしかも均整のとれた韻を構成するのは不可能に近い。神の業というべき、あまりにも水際立った手法である。(とくに「草かげろふ」の句については)彼がこの韻を、計算ずくで組んだとは思えない。(文京区立本郷図書館の鴎外記念室で森鴎外のデスマスクを見てから、彼が)句作に費やしたのは、根津神社の十五分と喫茶店の一時間、合計七十五分でしかなく、ということは(合計十三句を作るために)彼は一句平均で六分未満しか使っていないのだ。もし彼がいろいろ複雑に想を練っていたとしたら、途中で発想が止まってしまって十三句もできなかったはずである。だから「草かげろふ」の句は無意識の所産である。実作者としての私の実感でも、音の調子のうまくいった句というのは、だいたい無意識のうちにことばが出ているものである。それにしても、神韻としか言いようのないこのような技巧を他と比較するとすれば、モーツァルトの音楽とか、ランボーの詩とか、そういうものを引き合いに出すしかないのではなかろうか。田中裕明は、自分の命と引き換えに、最後に神様へとつながる鍵を手にしたのだ。芭蕉や一茶が開発した句頭韻の手法を、受け継ぎ、さらにもう一歩深めて表現に用いたのである。(後略)』

(四ツ谷龍氏の《田中裕明の点睛ー句集『夜の客人』読後》より。「俳句研究」2005年4月号所収)

夢日記 

2005年11月13日(日) 8時24分
 夢のメモです。

 NHKテレビの『名園散歩』(?)というミニ番組が、きれいに刈り込まれた草地に囲まれた、感じの良い広大な公園墓地を紹介している。突然カメラがズームアップしていく。その先には、三崎さん(?)の墓、我が家の先祖の一人Gさんの名前を刻んだ墓(?)、東郷さん(?)の墓が見える。この公園墓地のそれぞれの墓は、悠々と十坪ぐらいの面積を有しているようだ。どういうわけか、ここには墓地特有のせせこましさが全くない。(私は、まるで肥前の名護屋城跡公園みたいなところだ。。。と思っている)

 私はいつの間にかその公園墓地にいる。

 急に母が登場する。母は、自転車で来たと言う。「自転車、どこに駐めてきたの?」と訊くと、「そこに駐めたよ」と言うので見ると、近くのガードレールに頑丈そうな鎖でくくりつけてあった。が、サドルがなくなっている。「サドル、どうしたの?」と母に言うと、「きっと置いているうちに盗まれてしまったのだろうね。必要な人が持っていったんだ」と母。盗られたことにちっとも驚かず、悠然としている。

 母が「こっちへ来なさい」と言うので付いていく。坂道を登っていく。辺りを小虫がたくさん飛んでいる。それらが私の口や鼻に飛び込んでくる。虫を払いのけながら歩く。

 着いた先はどこかのコンサートホール(?)。司会者がどこからかマイクで作曲者名と曲目を読み上げている。ステージ上には椅子と譜面台がたくさん並んでいるが、演奏者はひとりもいない。司会者が読み上げを終えると、いろんな扮装をした人たち(名前を呼ばれた作曲者たち?)がステージに我先に駆け上がって舞台袖に消えていく。。。

まだ読まぬ詩おほし。。。 

2005年11月12日(土) 17時07分
 田中裕明さんの俳句作品から。

まだ読まぬ詩おほしと霜にめざめけり 田中裕明

(俳誌「ゆう」2005年1月号に発表された一句)

俳人、田中裕明氏。俳誌「ゆう」主宰。2004年12月30日、骨髄性白血病により逝去。享年四十五歳。


                ☆

 読むたびに、重たいと思う一句です