『銀の系譜』で、またしても

June 23 [Thu], 2016, 16:05

『銀の系譜』、終了。

リリパットアーミー30周年記念公演『銀の系譜』の全てが終了しました。ご来場頂いた全ての皆さま、関わって下さった全ての皆さま、共演者・スタッフの皆さま、本当にありがとうございました。


主宰であるわかぎゑふさんとは、これで4度目。主宰されている玉造小劇店で3度、浅野彰一さん主宰の「あさの@しょーいち堂」に書き下ろされた舞台で1度という内訳になります。

浅野くん主宰の舞台『紅の半纏』は火消しの話なので例外なのですが、玉造小劇店主宰の舞台のみに目を移してみると、驚くべき共通項が、オレに充てられた配役から浮かび上がってくるのです。


全て、"軍人"。

初めて出演させて頂いた『お願い』では、海軍。2度目となる『おたのしみ』は、日系のGHQ。そして今回の『銀の系譜』では、陸軍。なので、どの作品でも着ている衣裳は軍服なのです。

更にはもうひとつの事実がありまして、この三者、軍での階級が全て"少尉"なのであります。これに関しては、とあるふっこさんの一言に、何か納得せざるを得ないものを感じるのです。


「何年経っても少尉止まりやなあ」。

次があるならば、是非とも中尉へ格上げされたいものです。






START 2016

January 01 [Fri], 2016, 3:16
※写真:岡本賢治さん(『さらば!イチロー』より)

新年あけましておめでとうございます!


いろいろな嬉しい事、いろいろな悲しいこと、いろいろな新しい出会いや別れ、様々あった2015年も終わり、2016年がスタートしました。

新年を迎え、「さて、どうしようか"2016"」となりそうなものなのですが、例年通り特に何もないもので、昨年同様、何も決めず、決意せず、ただ流れのままに身を任せる事になるのだろうと思っています。

こんなアイマイな前田ではありますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。






追悼ではなく、備忘録です

December 25 [Fri], 2015, 17:54


<1>
昔から人の死を冷静に捉える傾向があった。

思春期には誰しもが考える事なのだろうが、「宇宙の果てってどこまであるんだろう」とか、「人って他の星にはいないのかな」とか、「人ってどこから生まれたんだろう」とか、ベッドに入ってから眠りにつくまでの時間を、ボクはそんな風に過ごしていた。そして、そんな考える先の終着点は、「人は死んだらどうなるんだろう」「ボクは死んだらどうなるんだろう」というものがほとんどだった。

人よりそんな思考に囚われる事の多かったボクは、今思い返せば少しだけ医学的にも病んでいたらしい。一時期、気持ち悪さから唾を飲み込むことが出来ず、寝る際にも常に枕元にコップを置いて、唾が溜まる度にコップに吐き出すという毎日を送っていた。内科の診療を受けても何も異常はなかったらしく、「じゃあこちらへ」と通されたのは"精神内科"というプレートのかかった部屋だったりした。

ただ大事にはならず、期間は忘れたが、恐らく1年程度でそんな状況は改善されたと記憶している。ボクにとって幸いだったのは、当時はストレスや鬱といった言葉も一般的では無く(単に知らなかっただけ!?)、両親も極めていつも通りに接していてくれたので、何となく当たり前のひとつとして過ごしていた事だった(あくまでもボクの場合だが)。後年にその症状を検索して「そうだったのか!」とその事実を知った時の方が、よほど衝撃を受けていた。

そんな少し歪んだ思春期を送ったものだから、「人は死んだらどうなるんだろう」「ボクは死んだらどうなるんだろう」という、答えではないが、間違いのないひとつの事実だけは強く認識していた。「人は絶対に死ぬ」。だから、人が死んでも泣く事は無かった。祖父母が亡くなった時もそうだった。もちろん衝動的な悲しさや寂しさは感じるのだが、それよりも「お疲れさま」という労いの気持ちの方が大きかった。これは亡くなった方の年齢や亡くなり方に左右されると思われるかも知れないが、やっぱりボクの中では変わらなかったりする。

そんな思春期を過ごしたボクの中での、圧倒的な事実としての「人は絶対に死ぬ」は、生き方として「墓に入る時に後悔しない」という思いに変換され、最終的には"覚悟"という言葉に集約された。

それは神戸で経験した、阪神淡路大震災が原因だった。たった1日ではあったが、被災した神戸の街中で呆然としていた。詳しくは「20年めの"1.17"」で書いているので割愛するが、破壊し尽くされた街並みと、何より灘区役所で目にした「遺体を安置する場所がもうないため、これ以上は王子公園の方へ運ばせていただきます」という張り紙。「この場所に?いったい何人の人が?…死んでる?」。

亡くなられた方々のどれだけが、後悔する事なく亡くなられたのか。そんな方がいるはずもない。突発的に命を落とされているのだから、全てが「まさか」だったろう。周りの状況を考えれば奇跡的に助かったといっていいボクは、どうすればいいのか?当然、解答など出るワケもなかった。大阪へ戻ってより愕然とした極めて震災以前と変わることのない日常の中で、目の前にあったはずの焼け野原のような光景、1階が消失した家々、アスファルトの割れ目から吹き出したガスの臭い、区役所に収容できないくらいの遺体の数々を処理しきれなかった。

それから2週間ほど家から出ず、ひたすら震災報道ばかりを観て過ごしていた。その間に劇団と連絡を取り、自身の無事を伝えるのと同時に、神戸に住んでいた藤田辰也さんの無事も確認していた。後に辰さんから、住んでいたマンションで救助活動をしたが、遺体として運ばざるを得なかったという話を聞いたりもした。ただ、自身の中では「もっと強固に生きねばならない」という思いも発生し出していた。先に何が待っているか分からないが、最大限予測されるその全てを受け入れる"覚悟"が必要なのだと意識するようになっていた。

そして同時に、こんなボクですらそんな覚悟で生きているのだから、亡くなられた方も「これまで精一杯生きたに違いない」筈だったし、敬意を持って「お疲れさまでした」と言うようになっていた。だから祖父母のお葬式でも、事故で亡くなった同級生のお葬式でも、自殺した友人のお葬式でも涙を流すことは無く、ただ「お疲れさま」と「よく頑張った」を頭の中で反芻させていた。


<2>
既に関西を代表する劇団として名を馳せていた南河内万歳一座が初めてオーディションで新人を取る、と告知をした時に入団したのがボクの代だった。いわゆる一期生になる。そんなイケイケの頃の劇団なので先輩は怖かったし、それに負けないようにと思っていたので、恐らく先輩側からしてもとっつきにくい後輩だったに違いない。そんな中、一番最初に「飲みに行くかぁ?」と誘ってくれたのが、辰さんだった。

辰さんは当時から「クレイジー」と呼ばれていた。もちろん日常生活の事では無く、その芝居の作りのこだわり方が異常ともいえるものだったからだ。"藤田辰也を送る会"でもエピソードが語られていたが、客席には絶対に見えないのにカラーコンタクトレンズを入れ外国人を演じたり(台本では外国人などと書かれていないのに!)、黒の革手袋をして時には「スナイパーだ」と言ってみたり、時には「義手だから動かないんだ」と真剣に語ったりしていた。

そんな初めて誘ってくれた飲みの場で、「俺は"普通"だから他に太刀打ちできないんだよ、だからクレイジーになったんだよぉ」と話してくれた。集団内での他者との共存の仕方や、どうやって自らを俳優として確立させていかないといけないかを暗に教えてくれた。そして趣味の幅広い辰さんとはF1の話で盛り上がったり、パチンコを教えてもらったり、パソコンに関して語り合ったりした。そんな中のひとつが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』だった。

「ほんと面白いんだよ、発想が凄いんだよぉ」。そう言って漫画を貸してくれ、いつしかボク自身も全巻を揃えるほど夢中になっていた。そんなジョジョの第6部『ストーンオーシャン』の最終決戦で、「同じだ!」と驚かされた一節がある。主人公である空条徐倫と敵対していたプッチ神父。その戦いの勝利を目前にしていた際にプッチ神父が発した言葉に「覚悟することが幸福」というものがある。これは、「例え自分の前に残酷な運命が立ちはだかっていてもそれを事前に知ることが出来れば、その運命に翻弄されることなく生きることが出来る。すなわち運命の克服である」というものだった。当然プッチ神父は敗れてしまったし、この一節のように"事前に知ること"など出来るワケもないのだけれど、その"事前"を最大限の幅を持って覚悟しておく事は可能であり、正にボクが思っていた事をこのプッチ神父が語っている、と思ったのである。この第6部の結末に関しても、辰さんと多くを語った。

辰さんは、近年、体調を崩す事が多かった。ボクが劇団に在籍していた頃から、しばらく出演を取りやめ、復帰して、またたまに休んだりしていた。稽古場に行くといっていた日に来なかったりもあった。そんな時、「辰さん、死んでんちゃう?」と冗談まじりに言っていた。ただその冗談は全くのゼロから発していたわけではなく、どこかに「もしかしたら」が潜んだものだった。だから本当に心配していたし、そう心配されるほど辰さんは危うい存在にみえた。

劇団を退団してからも何度か連絡を取っていた。元劇団員としてのボクがいちお客さんとして観る、劇団の今の芝居の感想を求められたりした。一番最近では、「首の状態が良くないから、前ちゃんが手術した病院で診てもらおうかと思うんだけどさぁ、どんな感じ?」というメールがあった。とても信頼できる病院である事と、入院期間や入院治療費の事までを具体的に書いて返信した。そんなやり取りの最後に「とりあえずMRI撮ってもらった方がいいですよ〜」と連絡してから返信のないまま3週間が経過し、「内藤さんが伝えといてくれって」と後輩の皆川あゆみから信じたくない一報を受けたのが11月25日だった。

皆川はその事を告げるやもう話せない状態になっていたが、やはりボクは泣いていなかった。「そうか」とだけ思っていた。ボクが劇団員の誰より辰さんの一番近くに住んでいたし、食材を購入する辰さんと偶然スーパーで会う事もあった。何かしてあげられる事があったんじゃないかと思う一方、何ができたんだ?とも思っていた。「辰さん、死んでんちゃう?」と言っていたのをある種の"覚悟"と捉えて良いのか分からなかったが、「あるかも知れない」と思っていたのも事実だった。皆川を慰めるでもなく、何より翌々日から初日を迎える万歳一座の公演に頭を切り替えるよう話した。舞台に立つ以上、お客さんが一番だからと。辰さんもそんな事を言ってたんじゃなかったかなぁ、と思い返したりしていた。

電話を切った後、頭はとても冷静だったが、身体の異様なほてりに気づかされた。深夜をとっくに回っていたが「走りたい」衝動に駆られ、外へ出た。驚いたのは、身体の感覚がほとんど無い事だった。足が地面を蹴っている感覚がない、足が上下に動かされている感覚がない。なので、とにかく足の回転数は上がる一方で、体感した事の無いくらいのスピードで走っていた。とにかくフワフワした感じで、視界も極端に狭く、自身で走っているという感覚が持てなかった。そうして、そんな身体にも限界が来たのだろう。時間にして20分位を走ったところで、急に視界が開け、外気の冷たさを感じ、足の異常な重さを感じ始めた。そこからは歩くように走る事しか出来ない身体の疲労感を持ったまま、肉体の不思議をまじまじと感じていた。そうして「辰さんの肉体はどうなったろうか?」などと考えていた。


<3>
辰さんが亡くなってからほぼ一ヶ月経った12月23日、"藤田辰也を送る会"と、その後"辰也の分まで飲む会"が企画されていた。舞台出演のため既に東京滞在だったボクは、何をする事もなく、ただ「両方行くのでお願いします」とだけ返事を入れ舞台に没頭していた。

12月20日に公演を終え、翌21日には大阪へ戻り、23日を迎えていた。その昼間には、抽選で当たったライブがあった。「不謹慎かな?」と考えはしたが、出来る限りフツーでいこうと思っていたボクは、入場口に並び、手を振り、ジャンプし、目一杯ライブを楽しんだ。そしてTwitterにも「最高っす!」とフツーにつぶやいた。そうして式の行われる10分前に、"藤田辰也を送る会"の会場である一心寺シアター倶楽に到着した。

会は、笑いもあったが、圧倒的に悲しみに包まれていた。フツーに乗り込んだボクには場違いじゃないのかとさえ思えたが、これがやはりボクのスタンスなのだと思った。ただ、劇団員全員が祭壇のある壇上へ上がり、一人ひとりから語られる辰さんへの言葉は、それぞれの付き合いの期間、深さに応じた本当に素敵な言葉の数々で、その言葉が頭にジンジンと響き出していた。分かっていたのは、この響きは自身の中から発生したものではなく、みんなの気持ちが流れてきたもので、例えボクがあの壇上に上がったとしても何も言えないであろうという事だった。この時にはもう、参加を申し込んでいた「辰也の分まで飲む会」には行けないと感じていた。あの劇団員たちとどんな言葉を交えれば良いのか分からなくなっていたし、恐らくその場でボクは涙を流してしまうだろう。ただその涙は、その劇団員たちの言葉が流れてきたもので、ボク自身のものではない。そんな涙を、劇団員たちの前では見せられないと思った。ボクはやはりフツーのまま、一番後ろの席に座っていた。

最後に、参加者一人ひとりが祭壇に花を添えるという運びとなった。一輪の花を手渡され、立ち上がった。その列に並ぶため、多くの献花が並べられた壁側へと向かった。すると、まるで作話のようになってしまうが、その花の匂いが自身の鼻の奥をムワッと刺激した瞬間、第一報を聞いたあの後の、得体のしれないほてりが身体中に広がり始めた。脳の後ろの方でずっと控えていたのに、見聞きした劇団員たちの辰さんへの言葉や思いが、花の匂いに刺激され、破れて漏れ出しているようだった。まるで宙に浮いているような、あの時と全く同じ感覚に陥っていた。

献花台に着くまでにと、深呼吸をしてみたり、背筋を伸ばしてみたり、何とかフツーを取り戻そうとした。ボクの涙ではない涙、を落とす事などもってのほかだった。献花台に着き、辰さんの遺影と遺骨を前に言葉をかけようとすると、辰さんの死よりも、辰さんと食べた物、辰さんにもらったもの、辰さんに教えてもらった事、辰さんと話した事、辰さんと行った所などが一気に思い返された。それでも「お疲れさまです」と「好きなだけ酒を飲んで下さい」みたいな事を伝え、壇上を降りた。そして、恐らく凄い形相だったろうが、走るように自分の席に戻り、コートとカバンを取って、誰に挨拶する事も無く会場を出た。とにかくタバコに火をつけ、一息だけつき、制作の岡野に飲み会のキャンセルと会費の立替をお願いするメールを入れ、駅に向かった。

もう天王寺駅だという横断歩道を渡りきった時、「前田!」と声を掛けられた。東京からわざわざ来られた深沢淳さんだった。こんな至近距離で気づかなかったのか、とビックリするぐらいの距離に深沢さんは立っていた。そして「何だよ、お前飲み会行かないのかよ?」と聞かれ「行けません」と答えた瞬間、崩れた。劇団員以外の知った顔に、思いもしないタイミングで出会った事がそうさせたのかも知れないが、とにかくその場から動けない状態になっていた。とはいえ1分もない時間だったろうが、その間、脇を歩く歩行者の事など一切目に入らない状態だった。「帰って甘いものでも食えよ」「はい、すいません」とその場を後にし、自宅の最寄り駅まで戻った。


<4>
この頃には、プッチ神父の如く素数を数えたワケでは無いが、すっかりフツーを取り戻していた。さて、一人になって何をしようか?さまざま考えたが、辰さんの死を悼むより、同じ楽しみを共有する事の方がボクらしい。そんなワケで、パチンコ屋へ向かった。初めてパチンコを打ったのは辰さんとだった。隣の台に座り「ここを狙って打つんだよぉ」と教えてもらいながら打った。当時一斉を風靡していた「黄門ちゃま」という台だった。弔いになるのかどうなのかは分からないが(多分ならないよな…)、とにかく打った。出たり出なかったりだったが、結果1万円を手にし店を出た。「辰さんからのお小遣いかな?」と思ったが「それなら辰さん、少ないっすよ」と文句を言った。

今後も辰さんの教えてくれたラーメン屋に、行きつけの整骨院に、たまにパチンコ屋に行くのだ。そして『ジョジョの奇妙な冒険』は現在も『ジョジョリオン』として連載し続けている。新刊が出る度に、仏前に供えに行くつもりだ。辰さんに渡す前に読んで、先に知っている優越感に浸りながら仏前に供えるのだ。「絶対言うなよぉ〜」と辰さんは言うだろうか?そんな声が心の中で聞こえたら、小出しに漏らしてやろうと目論んでいる。





サラバ! 『さらば!イチロー』と、ルデコ

December 23 [Wed], 2015, 4:52

『さらば!イチロー』、無事終了。

ねじリズムの最新作『さらば!イチロー』の全公演が無事終了いたしました。ご来場頂いた全ての皆さま、観る事は出来なかったけど応援して下さった皆さま、関係して下さった全ての皆さま、本当にありがとうございました。


抜群のメンバー

今回のねじリズムは、これまでと少し違っておりました。その要因は、台本のテイストがこれまでと違っていたという事になります。何せ、ちゃんとストーリーがあるのです!そりゃ、もう、ビックリしました。と同時に「これはちゃんと作らないとマズいな」と思いもしました。

もちろん、これまでちゃんとして無かったという事ではありません。これまでの作品は「あまり必要無かった」という事と、「それより重要な事があった」という事です。ただ、今回の『さらば!イチロー』では、いわゆる背景であるとか、関係性であるとかをしっかり認識して作らないとマズいんじゃないかと思ったワケです。

ただ、そこを追い過ぎると"ねじらしさ"を損ないかねないので、台本の改訂も、芝居作りも、注意に注意を払いながらという超濃密な稽古期間を過ごしました。難しい作業ではありましたが、本来のねじリズム独特の色に、丸山正吾さん、ジジ・ぶぅさん、山本チアキさん、それぞれの経験と感性が加わり、日に日に「これはいいものになるぞ」という実感を得ていきました。

最終的には、締めるトコロはしっかり締め、破綻すべきトコロは尋常じゃないくらい破綻するという、ねじリズムのちょいと新しい一面もご披露できたのではないかと思う結果となりました。石川シンという作家と、今回のチームが本当に上手く作用して『さらば!イチロー』はある一定の成果を見ることができたと思っています。何より、本当に楽しかったのが一番です!


同時に『さらば!ルデコ』

そんなワケで、今回の会場は渋谷のギャラリー・ルデコ。ねじリズムはこのルデコだけではなく劇場でも公演を行っているのですが、何故だかオレが絡むねじの公演は過去全てルデコなのですね。で、この会場で公演をする際のお決まりが「音響・照明のオペは役者がやる」という事なのです。

当然今回も、役者として舞台に立ちながら舞台上に出ていない時には各々が、照明のフェーダーを弄っていたり(しかも手組み!)、パソコンから曲を出したりしていたワケです。圧倒的にねじメンが弄っている時間は多いのですが、「誰もいない!」となると、オレも、自身が入っていく舞台の場面明かりに変えて、その舞台にそのまま出るというシーンもあったりしました。

そんなスリリングなルデコ公演ですが、ルデコの入っているビルが改修になるらしく、これが最期のルデコ公演となるようです。オレにとっては"ねじ=ルデコ"だったので寂しさもありますが、『さらば!イチロー』と同様に、西加奈子さん(※)的意味合いで、ギャラリー・ルデコにも言葉を投げかけました。


「サラバ!」





※西加奈子さん:ご存じだとは思いますが、『サラバ!』で第152回直木賞を受賞された、オレの大好きな作家さんです。「サラバ!」の意味合いについては、是非『サラバ!』をお読み下さい。

"ねじリズム"に出演します

November 20 [Fri], 2015, 16:47

久しぶりの、我がホーム。

既にチケットを発売しているので遅漏な情報公開ではありますが、オレの愛して止まない"ねじリズム"からまたまたお誘いを受け、今回で3度目となる出演を果たす事となりました。タイトルは『さらば!イチロー』です。


南河内万歳一座に所属していた頃から大好きで出演させてもらっていましたが、万歳一座とねじでは全く芝居の毛色が違います。故に、「何でねじなの?」と聞かれる事も多くありましたが、オレの中では一緒の区分けなのですね。

客演として出演させて頂くのは、その劇団や集団の色に染まってみたいという意向があったりするからなのですが、時として、自身の根幹を抑えこまないといけない場合も出てきたりします。

万歳一座は長年在籍していたのですからそういった違和感を感じるはずも無いのですが、そうではないねじリズムにも同じく違和感を感じた事がありません。俳優当人が大切にしてきている根幹を、ねじは一切合切尊重してくれるのです。

そんなとても自由なねじですが、それでいてちゃんと芯を通す頑なさはしっかりあります。これも、万歳一座の芝居の作り方と同じだと思う一要因となります。これがあるから安心して無茶苦茶やれるのだなと思っています。

もちろん根幹に関わらないダメなところは大いに指摘されますし、やらされる(敢えて"やらされる"と言います)事は突拍子も無かったり、「この歳ではツライ」と思うような事をヘーキで指示してきたりします。ただ、それは大きな刺激となります。


きっと、必ず、絶対、面白い。

どうやら今回は「ミステリー物になりそうだ」という事です。「いつも"不条理"とか言われるんで」と、今回の作家の石川シンちゃんは曰っておりました。ただ、何れにせよですよ、きっと毎度バカバカしいものになるには違いありません。出演者も全力でこの作品をバカにしていくのだと思います。

「何でこんな事してるんだろう?」「これ必要あるの?」と思われるような、それでいて実は芯がちゃんと据わっているというねじリズムの最新作になると思います。東京での公演のみになりますが、関東以外の方にも是非観てもらいたいなぁと思います。


12月15日から20日、集え渋谷!




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
※公演詳細

ねじリズム第八回公演
『さらば!イチロー』

◆脚本・演出:石川シン
◆出演:鈴木祥二郎/石川シン/青柳尊哉/佐々木仁(以上、ねじリズム)/山本チアキ/丸山正吾(Bobjack theater/DOGADOGA+)/前田晃男/ジジ・ぶぅ(ワハハ本舗)
◆日時:2015年12月15日(火)〜20日(日)
 12月15日(火)19:30◯
 12月16日(水)14:00☆/19:30
 12月17日(木)14:00☆/19:30
 12月18日(金)14:00☆/19:30
 12月19日(土)14:00/18:00
 12月20日(日)13:30
 ※◯は初日割、☆は平日昼割公演。
◆会場:渋谷ギャラリー・ルデコ 5F(東京都渋谷区渋谷3-16-3/会場地図)
◆料金:前売2800円/当日3000円他(全席自由)



記憶には深く刻まれてます

September 03 [Thu], 2015, 15:20

もう食べられない超逸品。

東京滞在の最終日、この日はホテルを出てから恵比寿へ直行したのであります。その目的は、東京に住んでいた頃から今までずっとお世話になりっぱなしだった中華料理「伊那」のお父さん・お母さんへのご挨拶でした。


『御用牙』という舞台に出演した時に知り合ったのが、商業演劇の道で活躍している三村晃弘くん。同じ"舞台"とはいえまた違う世界観で活動する三村っちですが、同い年という事もあり仲良くさせてもらっていました。そんな時「実家が中華屋やってるから食べにおいでよ」と誘ってくれたのが「伊那」でした。

とにかく本当に、べらぼうに美味しかったのです。お世辞とか一切抜きです。特に写真の酢豚ですが、コレ以上に美味しい酢豚など、これまで一度も食べた事はありません。豚肉は、脂身の少ない部位を使用したもので、かつ豚本来の甘みが存分に引き出されたものです。外はカリッとしていて、中は柔らかみがしっかり残っているという素晴らしいバランス。そこに甘さと酸っぱさが絶妙な味わいを放つ餡が掛けられるワケです。もう思い出しただけでたまりません。


しかし今年の3月、「店主高齢のため閉店することを決断いたしました」という張り紙と共に36年という年月に終止符を打たれたのです。その少し前の1月、東京へ出向く際に三村っちから「今入院してて、このまま閉店するかも知れない」と聞いていました。

初めて訪れてから『御用牙』の面々と、またねじリズムの面々と、また1人でと、何度も食べに行かせて頂いたのです。そして、一度もお代を取ってはくれませんでした。それどころか、このブログの記事を見て食べに行ってくれたお客さんから「"前田さんのブログを見て来ました"と言ったらお代を取ってくれなくて…」という話を聞いた事もありました。お願いだから取ってくれと懇願すると、「息子の友達が遊びに来てるだけなのに、お金を取るか?」と曰うのです。それ以降は必ずお土産を持っていくようにしました。

本当に閉店は残念で仕方無いのですが、それよりも、お父さんの退院祝いと、36年間お疲れ様でしたという意をどうしても伝えたく、恵比寿に向かったのでした。


「鍋振れるんじゃないっすか?」。

かなり大掛かりな手術だったという割には、というか、これまでと殆ど変わらないくらい元気なように見受けられたお父さん。お土産に持っていったお菓子を立て続けに3個も食べ、お母さんに叱られたりもしていました。そんなお母さんも閉店に関して「もう歳だから」と言いながら、「次は何して働こうかしら」と意欲満々な言葉を口にしていました。

「伊那の復活あるんじゃない?」と思ったりもしましたが、さすがにそれを口にするのは控えました。ただ、もう一度伊那の料理を食べたいなぁとは、今も本気で思ったりしています。一流って、その辺の踏ん切り所が明確なのかも知れません。


「前田さん、ダラダラですもんね」。

それがオレの特性です。





そんなこんなで三村家に別れを告げた後は、劇団PATHOS PACKの稽古場へ差入れだけでもと再度麹町へ向い、その2分後には「じゃあ」と稽古場を飛び出し、羽田空港へ向ったのです。まさに分刻みで時間を使い切った感じです。そんな充実感満載で、今回の東京行脚を終えたのでした。



モノノフ@病院

September 02 [Wed], 2015, 20:26

「楽しんでくれるなら」。

今回の東京行脚を決行したきっかけは、高野ゆらこちゃんのお見舞いでした。2011年のねじリズムの公演『ねじ四季』に出演した時からのお知り合いで、一度も共演した事は無いのですが、飲みに行ったり、公演の都度お宅へお邪魔したりと仲良くさせてもらっているのです。

そんなゆらこちゃんから「次回出演作の後、手術・入院する」と連絡があったのは4月だったでしょうか。そんなわけで5月末にその"次回作"であるブス会*『女のみち2012 再演』の観劇に出向き、今回、手術を終えリハビリに励むゆらこちゃんに会いに行ったワケです。

そんなお見舞いの日はと言いますと、8月29日、ももクロのイベント終わりに向かうという予定を組んでおりました。イベント終了予定が14時、千葉の幕張から東京都狛江市にある病院までは1時間30分強を要するため、待ち合わせを約束していた鈴木祥二郎くんとは病院の最寄り駅で16時30分に落ち合おうという約束をしていました。

ところが、ありがたい事ではあったのですが、ももクロのイベントが大盛り上がりで40分も延長。終わって会場を出た時の時間が14時45分、海浜幕張駅へ着いた頃には、時間はとっくに15時を大幅にまわっておりました。

本来なら、一旦ホテルへ戻り、応援グッズ等を置いて身軽な状態で行くつもりだったのですが、とてもそんな時間はありません。直行で狂わず行けたとしても、17時前がいっぱいいっぱいという検索結果となっていました。


「法被とサイリウムで来て下さいよ」。

そう連絡をしてきたのは祥ちゃんでした。「また無茶を言う…」と思ったのですが、「きっと喜ぶと思いますよ」などと言われてしまうと、もうそうするしか道はありませんでした。ちゃんとしたお見舞いの品を購入する時間も無く、駅にある本屋でちょこっとしたモノを買っただけで向かおうとしていたという事情も、そこには加味していました。

そんなワケで腹を決めたオレは、病院内に入るやいなや2本のサイリウムをしまってある袋から取り出し、ズボンの後ろポケットに差し込みました。受付にあるテーブルに帽子を置いて、手拭いを折りたたみ、それを帽子に巻きつけました。流石にピンクの法被を着てナースステーションの前は通れないと思ったので、腕に巻き付け部屋の前へと向かいました。そうして部屋番号を外から確認した後、法被を羽織りました。そうして最後にポケットのサイリウムを取り出し、電源を入れたのです。これで、ついさっきまでももクロに向かってエールを送っていたのとの全く同じスタイルとなり、いざ室内へと入ったのです。


「ウソでしょーーーっwww」。

良かった。喜んでもらえた。こんな格好をしてもピンと来ず、いや、それどころか「病室で何やってくれてんのよ」となったらどうしようなどと稀有は尽きなかったのですが、思いの外喜んでもらえたようでした。

そればかりか、ゆらこちゃんだけでなく、同室のおばあさんまでもが「あら〜、ピンク!」と目をキラキラさせてくれるではありませんか。本当に良かったと思うとともに、ももいろクローバーZのポテンシャルの凄さを改めて実感した瞬間でした。


「それは違うでしょ」。


違うかどうかはいざ知らず、病院で話し倒した後は祥ちゃんと小松正一さんの店「こましょう」でつけ麺を食べ、本格的な珈琲の店であれやこれやをまた話し、東京2日目を終えたのでした。







プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:前田晃男
  • 誕生日:1970年4月20日
  • 血液型:B型
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俳優・演出

AKIO MAEDA THE OFFICIAL SITE
http://maeda-official.wix.com/akio

ボラ☆ボラ特設サイト
http://boraborastage.wix.com/borabora


Information


出演情報


【舞台】

全公演終了、ご来場ありがとうございました!
リリパットアーミー30周年記念公演
『銀の系譜』
(作:わかぎゑふ 演出:浅深大介)




【映像】

Webドラマ『鬼の人美に涙』
(監督:石田アキラ)
※全話配信済み→『鬼の人美に涙』


映画『繕い裁つ人』
(監督:三島有紀子)


映画『いろんなにおいのワカモノだ』
(監督:伊藤祥)






公演終了

ねじリズム
『さらば!イチロー』

トランスパンダ
『サーカスナイト』





過去の出演作一覧
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