奈良五條・天誅組紀行(6)
2010.08.12 [Thu] 13:24
地図@〜Iまでは過去分を見てください。
「奈良五條・天誅組紀行(1)」
「奈良五條・天誅組紀行(2)」
「奈良五條・天誅組紀行(3)」
「奈良五條・天誅組紀行(4)」
「奈良五條・天誅組紀行(5)」のつづき
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新町通り(旧紀州街道)を歩き、チョット左に寄り道してみると、吉野川があったので、そこでお弁当を食べました。川がきれいで休憩するには丁度良い場所です。
お弁当はJR五条駅で買った柿の葉寿司。これも五條の名物です。柿の葉寿司は駅前の他にも24号線沿いに2つほどあります。「柿の葉すし本舗 たなか」は、五條が本店です。

↑吉野川(紀ノ川)。アユが獲れるぐらいのキレイな川です。

柿の葉寿司と例の”みかさ”を食べた後は、川原でリフレッシュし、再スタートです。
新町通りを西に、途中で右折すると、24号線に出ます。丁度そこは「柿の葉すし本舗 たなか」本店がある場所でした。24号線を横断し、左に行けば五條市史跡公園ですが、先にすぐ右折し、八幡神社に行きました。丁度、五條小学校の西隣りにあります。八幡神社に入るとすぐに目的のものはありました。I井沢宜庵宅跡です。

↑正式には「天誅組史跡・井澤宜庵宅趾」と書かれています。
説明文によると…
1. 井澤宜庵宅は五条小学校あたりで医者をしていた。←つまりこの周辺に住んでいたということです。
2. 天誅組には軍医として参加。高取城攻め負傷した吉村寅太郎の治療をし、その丁寧な治療により大将・中村忠光から褒美として刀を贈られたという。
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だんだん地図がややこしくなってきたので、ここで少しおさらいを。
これまで森田節斎、乾十郎、井澤宜庵に関係する場所を歩きました。
・地図緑色のものは天誅組に影響を与えた森田節斎関係のもので、C森田節斎頌徳碑とI森田節斎宅址。
・地図水色のものは天誅組に参加した乾十郎と井澤宜庵に関係するもので、
乾十郎のものは、@乾十郎之墓、G乾十郎顕彰碑、H乾十郎宅址。
井澤宜庵のものは、E井沢宜庵の墓、I井沢宜庵宅跡です。
そして、天誅組が本陣にしたF桜井寺です。
・地図ピンクのものは、天誅組に襲撃されたB鈴木源内外五士之墓、D五條代官所跡を表しています。
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最後に、J史跡公園・民俗資料館に行きました。
24号線を横断した場所まで戻り、坂を上がった所にそれはあります。早速、入口に「明治維新発祥地」と書かれた碑があります。また「明治維新さきがけの地 大和五條」ともあります。
説明文によると…
「天誅組の変が起こるも、その決起を反乱とみなされました。天誅組の夢は散りましたが、実はこの反乱が明治維新の導火線となり、後、時代は大きく動きました。」

↑右から、明治維新発祥地

↑拡大

↑「明治100年事業として旧代官所跡(現史跡公園)に建立」とあります。
入口に近づくと、立派な長屋門が見えてきました。
市役所にあった五條代官所の長屋門を移築したのかと思っていたんですが、どうやら違うようです。

↑五條代官所の長屋門
市役所にあった五條代官所は、文久3年(1863年)の「天誅組の変」で焼失。翌年の元治元年(1864年)に、この史跡公園のに代官所を立て直したそうです。市役所にあった代官所は全て焼失してしまっていたんですね。
明治3年には、五條県となりここが五條県庁となりました。その後、警察大屯所や中学校として利用されたそうです。

↑長屋門。濃い茶と白とのコントラストが素晴らしい!

↑ずっしり堂々として立派です。

↑汽車があります。「8620形78675号 蒸気機関車(金剛ハロー号)」と書かれています。
長屋門の中は史料室となっているので、早速入ってみました。

↑史料室には「一心公平無私」と書かれたプレート、写真、自画像、句等が展示されています。
資料室内には天誅組の史料が展示されています。
昔の桜井寺や明治後半の長屋門といった写真が展示されています。自画像や句等もあります。明治後半の長屋門の写真は、周辺木におおわれているので要塞のような雰囲気です。桜井寺は「史蹟・天誅組本陣址」という石碑が入口にあったのがわかりますよ。
その中でも興味を持ったのが、「大和五條義挙・天誅組の主な役割」。天誅組の全員の名前と役割が列挙されています。
大将:前侍従・中山忠光、総裁:備前・藤本津之助、総裁:参州・松本謙三郎、総裁:土州・吉村寅太郎、側用人:土州・池内蔵太といったふうに続いています。
特に土佐藩からが多く、那須信吾(坂本龍馬の脱藩を手助け、吉田東洋暗殺の一人)は監察。安岡喜助(吉田東洋暗殺の一人)は武器取調方という役割になっていました。土佐藩は全員で19名の名が載っています。
土佐藩以外に気になったのが、河内出身の志士が多く参加していた点です。13名載っています。水郡善之祐(大地主、水郡神社の祠官)が小荷駄奉行。鳴川清三郎が兵糧方。伴林光平(国学者、歌人、教恩寺の住職)が記録方。
他に名前を知っている志士は、大和・平岡鳩平(北畠治房)ぐらいかな。伴林光平に師事し、天誅組や天狗党に参加したのに生き残ったんですよね。
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全て見終わりました。
ここで奈良・五條の幕末散歩は終わりです。ここからはオマケで、もし行かれる方は寄ってみてください。
一つは国鉄時代の未成線があります。和歌山線の五条駅と、和歌山県新宮市の紀勢本線新宮駅を結ぶ計画だった国鉄時代の未成線、五條の”五”と新宮の”新”を合わせて「五新線」の跡があります。

↑五新線鉄道跡。
説明によると…
明治末期から「五新鉄道」建設熱が高まります。昭和17年になりやっと着工されますが、太平洋戦争で中断。戦後、昭和34年から再開され、路盤工事は完成。後は軌道敷設等の工事を残すだけとなりましたが、経済状況の変化により五新鉄道の夢は中断されました。

↑工事が中断されています。

↑五新線跡と新町通り。一直線。
1997年にカンヌ映画祭カメラドール賞を受賞した「萌の朱雀」で五新線が出てくるそうです。
また、2008年の映画「花影」で、主人公の故郷として、この五條・新町通りがロケ地になりました。
二つの映画「萌の朱雀」と「花影」両方チェックですね。
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そして余談のもう一つが、温泉です
五新線鉄道跡から北に24号線に上がり、JR大和二見駅方面に行くと「リバーサイドホテル」という名のホテルがあります。そこに併設して「金剛の湯」という温泉があり、そこで日帰り入浴も可能です。
ここがイイ!オススメです。
脱衣所はイマイチ、温泉外観も普通ですが、温泉の湯がいい。お湯は乳白色でぬるっと(どろっと)したお湯です。天然100%温泉で、肌がツルツルになりました。もし、五條に行かれる方はついでにいかがでしょう。
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盛りだくさんの五條でしたが、いかがだったでしょうか?
少しでも興味持ってもらえたら幸いです。静かな街なんで(24号線以外)、ぷらっと出かけて、温泉に入って帰ってくるのはどうでしょう。オススメですよ。
天誅組の五條代官襲撃については、司馬遼太郎の短編集「アームストロング砲」内の「五条陣屋」という話に載っているので読んでみてください。
僕は龍馬で幕末好きとなり、土佐藩については非常に興味を持ちました。それからずっと吉村寅太郎や池内蔵太、那須信吾等の詳細を知りたくて五條に行きたかったんです。
今回やっと大和五條にやって来て、さらに彼らを知り、そしてまた新たに探究したくなりました。今後も色々な箇所を歩いてみようと思います。
「奈良五條・天誅組紀行(1)」
「奈良五條・天誅組紀行(2)」
「奈良五條・天誅組紀行(3)」
「奈良五條・天誅組紀行(4)」
「奈良五條・天誅組紀行(5)」のつづき
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新町通り(旧紀州街道)を歩き、チョット左に寄り道してみると、吉野川があったので、そこでお弁当を食べました。川がきれいで休憩するには丁度良い場所です。
お弁当はJR五条駅で買った柿の葉寿司。これも五條の名物です。柿の葉寿司は駅前の他にも24号線沿いに2つほどあります。「柿の葉すし本舗 たなか」は、五條が本店です。

↑吉野川(紀ノ川)。アユが獲れるぐらいのキレイな川です。

柿の葉寿司と例の”みかさ”を食べた後は、川原でリフレッシュし、再スタートです。
新町通りを西に、途中で右折すると、24号線に出ます。丁度そこは「柿の葉すし本舗 たなか」本店がある場所でした。24号線を横断し、左に行けば五條市史跡公園ですが、先にすぐ右折し、八幡神社に行きました。丁度、五條小学校の西隣りにあります。八幡神社に入るとすぐに目的のものはありました。I井沢宜庵宅跡です。

↑正式には「天誅組史跡・井澤宜庵宅趾」と書かれています。
説明文によると…
1. 井澤宜庵宅は五条小学校あたりで医者をしていた。←つまりこの周辺に住んでいたということです。
2. 天誅組には軍医として参加。高取城攻め負傷した吉村寅太郎の治療をし、その丁寧な治療により大将・中村忠光から褒美として刀を贈られたという。
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だんだん地図がややこしくなってきたので、ここで少しおさらいを。
これまで森田節斎、乾十郎、井澤宜庵に関係する場所を歩きました。
・地図緑色のものは天誅組に影響を与えた森田節斎関係のもので、C森田節斎頌徳碑とI森田節斎宅址。
・地図水色のものは天誅組に参加した乾十郎と井澤宜庵に関係するもので、
乾十郎のものは、@乾十郎之墓、G乾十郎顕彰碑、H乾十郎宅址。
井澤宜庵のものは、E井沢宜庵の墓、I井沢宜庵宅跡です。
そして、天誅組が本陣にしたF桜井寺です。
・地図ピンクのものは、天誅組に襲撃されたB鈴木源内外五士之墓、D五條代官所跡を表しています。
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最後に、J史跡公園・民俗資料館に行きました。
24号線を横断した場所まで戻り、坂を上がった所にそれはあります。早速、入口に「明治維新発祥地」と書かれた碑があります。また「明治維新さきがけの地 大和五條」ともあります。
説明文によると…
「天誅組の変が起こるも、その決起を反乱とみなされました。天誅組の夢は散りましたが、実はこの反乱が明治維新の導火線となり、後、時代は大きく動きました。」

↑右から、明治維新発祥地

↑拡大

↑「明治100年事業として旧代官所跡(現史跡公園)に建立」とあります。
入口に近づくと、立派な長屋門が見えてきました。
市役所にあった五條代官所の長屋門を移築したのかと思っていたんですが、どうやら違うようです。

↑五條代官所の長屋門
市役所にあった五條代官所は、文久3年(1863年)の「天誅組の変」で焼失。翌年の元治元年(1864年)に、この史跡公園のに代官所を立て直したそうです。市役所にあった代官所は全て焼失してしまっていたんですね。
明治3年には、五條県となりここが五條県庁となりました。その後、警察大屯所や中学校として利用されたそうです。

↑長屋門。濃い茶と白とのコントラストが素晴らしい!

↑ずっしり堂々として立派です。

↑汽車があります。「8620形78675号 蒸気機関車(金剛ハロー号)」と書かれています。
長屋門の中は史料室となっているので、早速入ってみました。

↑史料室には「一心公平無私」と書かれたプレート、写真、自画像、句等が展示されています。
資料室内には天誅組の史料が展示されています。
昔の桜井寺や明治後半の長屋門といった写真が展示されています。自画像や句等もあります。明治後半の長屋門の写真は、周辺木におおわれているので要塞のような雰囲気です。桜井寺は「史蹟・天誅組本陣址」という石碑が入口にあったのがわかりますよ。
その中でも興味を持ったのが、「大和五條義挙・天誅組の主な役割」。天誅組の全員の名前と役割が列挙されています。
大将:前侍従・中山忠光、総裁:備前・藤本津之助、総裁:参州・松本謙三郎、総裁:土州・吉村寅太郎、側用人:土州・池内蔵太といったふうに続いています。
特に土佐藩からが多く、那須信吾(坂本龍馬の脱藩を手助け、吉田東洋暗殺の一人)は監察。安岡喜助(吉田東洋暗殺の一人)は武器取調方という役割になっていました。土佐藩は全員で19名の名が載っています。
土佐藩以外に気になったのが、河内出身の志士が多く参加していた点です。13名載っています。水郡善之祐(大地主、水郡神社の祠官)が小荷駄奉行。鳴川清三郎が兵糧方。伴林光平(国学者、歌人、教恩寺の住職)が記録方。
他に名前を知っている志士は、大和・平岡鳩平(北畠治房)ぐらいかな。伴林光平に師事し、天誅組や天狗党に参加したのに生き残ったんですよね。
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全て見終わりました。
ここで奈良・五條の幕末散歩は終わりです。ここからはオマケで、もし行かれる方は寄ってみてください。
一つは国鉄時代の未成線があります。和歌山線の五条駅と、和歌山県新宮市の紀勢本線新宮駅を結ぶ計画だった国鉄時代の未成線、五條の”五”と新宮の”新”を合わせて「五新線」の跡があります。

↑五新線鉄道跡。
説明によると…
明治末期から「五新鉄道」建設熱が高まります。昭和17年になりやっと着工されますが、太平洋戦争で中断。戦後、昭和34年から再開され、路盤工事は完成。後は軌道敷設等の工事を残すだけとなりましたが、経済状況の変化により五新鉄道の夢は中断されました。

↑工事が中断されています。

↑五新線跡と新町通り。一直線。
1997年にカンヌ映画祭カメラドール賞を受賞した「萌の朱雀」で五新線が出てくるそうです。

また、2008年の映画「花影」で、主人公の故郷として、この五條・新町通りがロケ地になりました。

二つの映画「萌の朱雀」と「花影」両方チェックですね。
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そして余談のもう一つが、温泉です

五新線鉄道跡から北に24号線に上がり、JR大和二見駅方面に行くと「リバーサイドホテル」という名のホテルがあります。そこに併設して「金剛の湯」という温泉があり、そこで日帰り入浴も可能です。
ここがイイ!オススメです。
脱衣所はイマイチ、温泉外観も普通ですが、温泉の湯がいい。お湯は乳白色でぬるっと(どろっと)したお湯です。天然100%温泉で、肌がツルツルになりました。もし、五條に行かれる方はついでにいかがでしょう。
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盛りだくさんの五條でしたが、いかがだったでしょうか?
少しでも興味持ってもらえたら幸いです。静かな街なんで(24号線以外)、ぷらっと出かけて、温泉に入って帰ってくるのはどうでしょう。オススメですよ。
天誅組の五條代官襲撃については、司馬遼太郎の短編集「アームストロング砲」内の「五条陣屋」という話に載っているので読んでみてください。
僕は龍馬で幕末好きとなり、土佐藩については非常に興味を持ちました。それからずっと吉村寅太郎や池内蔵太、那須信吾等の詳細を知りたくて五條に行きたかったんです。
今回やっと大和五條にやって来て、さらに彼らを知り、そしてまた新たに探究したくなりました。今後も色々な箇所を歩いてみようと思います。











































































